一筆啓上仕候。 弥︵いよいよ︶御機嫌能︵よく︶可レ被レ成二御座一目出度奉レ存候。然ニ先頃長崎より後藤参政と同船ニて上京仕候処、此頃英船御国ニ来るよしなれバ、又、由井参政と同船ニてス︵須サ崎キ︶港まで参り居候得とも、竊︵ひそか︶ニ事を論じ候得バ、今まで御無音申上候。此度英船の参ル故ハ、長崎ニて英の軍艦水夫両人酔て居候処を、た︵誰れ︶やら殺し候よし、夫︵それ︶を幕吏ニ土佐国の人が殺候と申立候よし。其故ニて御座候。其英の被︵こレろさ殺れ︶候時ハ、去ル月六日の夜の事ニて候。同七日朝私持の風帆船横笛と申が出帆致し、又御国の軍艦が同夜ニ出帆仕候。 右のつ︵都が合ふ︶を以て幕吏が申スニハ、殺し候人が先ヅ横笛船ニて其場引取て又軍艦ニ乗うつり、土佐に帰り候と申立候よし也。 夫で幕軍艦英軍艦ともに参り候よし也。 然レ共先ヅ後藤、由井ママ、佐々木ニ談判ニてかた付申候﹂此頃又御願申上度品在レ之候。彼御所持の無銘の了戒二尺三寸斗の御刀、何︵な卒にとぞ︶拝領相願度、其かわり何ぞ御求被︵なレされ成たく度︶、西洋もの有レ之候得ハ御申聞奉レ願候。先ハ今持合候時計一面さし出し申候。御笑納奉レ願候。 今夕方急ニ認候間、はたしてわかりかね可レ申かと奉レ存候得ども、先早々如レ此、期二後日一候。恐惶謹言。
八月八日
直柔
尊兄
左右