このたびはソノ三さん題だい話ばなしの流は行やつた時じぶ分んに出で来きました落はな語しで、第一が大だい仏ぶつ餅もち、次が袴はか着まぎの祝いはひ、乞こつ食じき、と云いふ三さん題だい話ばなしを、掲だ載すことに致いたしました。
場とこ所ろは山やま下したの雁がん鍋なべの少し先に、曲まがる横よこ丁ちやうがありまする。彼あの辺へんに明めい治ぢの初はじ年めまで遺のこつて居をつた、大だい仏ぶつ餅もちと云いふ餅もち屋やがありました。余あまり美お味いしくはございませんが、東とう京きや見うけ物んぶつに来くる他たけ県んの方かた々〴〵が、故く郷にへ土みや産げに持もつて往いつたものと見えまする。其その大だい仏ぶつ餅もち屋やの一いつ軒けんおいて隣とな家りが、表おもてが細こまかい栂つがの面めん取どりの出でが格う子しになつて居をりまして六いつ尺けん、隣となりの方はうが粗あらい格かう子しで其その又また側わきが九くし尺やくばかりチヨイと板いた塀べいになつて居をる、無し職も業た家やでございまする。表おもてには河かは合ひき金ん兵べ衛ゑといふ標へう札さつが打うつてござります。マア金かね貸かしでもして居をるか、と想さう像ざう致いたされます家うち、丁ちや度うど明治三年の十一月の十五日、霏ちら々〳〵と日ひぐ暮れから降ふり出だして来きました雪が、追おひ々〳〵と積つもりまして、末すゑには最もう﹁初はつ雪ゆきやせめて雀すゞめの三里りまで﹂どころではない雀すゞめが首くびつたけになるほど雪が積つもりました。其その時ときに俄には盲かめ目くらの乞こじ食きと見えまして、細ほそ竹たけのを突ついて年と齢しの頃ころは彼かれ是これ五十四五でもあらうかといふ男、見る影もない襤すぼ褸ろの扮な装りで、何どうして負け傷がを致いたしましたか、尻しりを端はし折よつて居ゐる膝ひざの所からダラ〳〵血が流れて居をりまする。ト属ついて来きましたる子こぞ供うが、五いつ歳ゝか六むツ歳つぐ位らゐで色いろ白じろの、二ふた重へま瞼ぶたの可かあ愛いらしい子でございまするが、生は来らからの乞こじ食きでもありますまいが、世の中の開かい明めいに伴つれて、前ぜん、贅よい沢く生ら計しをなすつたお方かたといふものは、何どうも零おち落ぶれ易やすいもので。親おや父ぢの膝ひざから、血が流れるのを視みて、子﹁お父とつちやん痛いかえ、お父とつちやん痛いかえ。父﹁アイそれは痛いワ……負け傷がをしたんだから……エー最もう新しん入まいの乞こじ食きだからの、何ど処こが何どうだかさつぱり訳わけが解わからないが、彼あの山やま下したの突つき当あたりの角かどの所に大おほ勢ぜい乞こじ食きが居ゐて、何な故ぜ己おれ等たちの縄なは張ばりの家うちを貰もらつて歩く、其そ処こは己おれの方はうで沙さ汰たをしなければ、貰もらふところでない、といふから、私わたくしは新しん入まいの乞こじ食きで何なんにも存ぞんじませぬ、と云いふのを、大おほ勢ぜい寄よつて集たかつて己おれを三つも四つも打ぶち倒のめしアがつて、揚あげ句くのはてに突つき飛とばされたが、悪いところに石があつたので、膝ひざを摺すり剥むいて血が大たい層そう出るからのう……。子﹁お父とつちやん血が大たい層そう出るよ。父﹁アー大たい層そう出るか。子﹁アー大たい層そう流れるからね……あのね坊ばうが摩さすつて上あげようか。父﹁まアまア何なにしろ斯こう歇やみなしに雪が降ふつては為しか方たがない、此こ家の檐のき下したを拝はい借しやくしようか……エー最もう日が暮くれたからな、尚なほ一いち倍ばい北きた風かぜが身に染しむやうだ、坊ばうは寒くはないか。子﹁あいお父とつちやん、坊ばうは寒くはないけれども、お父とつちやんが痛からうと思つて……。父﹁ン、ンー能よく労いたはつて呉くれるの。子﹁お父とつちやん摩さすつて上あげようか。父﹁ンー摩さすつて呉くれ。子﹁此こ処ゝのところかえ……。父﹁あゝ……有あり難がたうよ……何どうもピリ〳〵痛んで堪たまらない……深く切つたと見えて血が止まらない……モシ少せう々〳〵お願ひがございますがな、お軒のき下したを少せう々〳〵拝はい借しやく致いたします……就つきまして私わたくしは新しん入まいの乞こじ食きでございまして唯たゞ今いま其そ処こで転ころびましてな、足を摺すり破こはしまして血が出て困りますが、お慈なさ悲けに何どう卒かお煙たば草この粉こ末なでも少せう々〳〵頂いたゞきたいもので……エー〳〵粉こ末なで宜よいのでございますがな。此う家ちでは賓きや客くの帰かへつた後あとと見えまして、主ある人じが店みせを片かた付づけさせて指さし図づ致いたして居をりますところへ、表おもてから声こゑを掛かけますから、主﹁何なんだ……お美み那なや何な者にか表おもてで言つてるぜ。み﹁なにね新しん入まいの乞こじ食きが参まゐりまして、ソノ負け傷がをしたからお煙たば草この粉こ末なを頂いたゞきたいつて……。主﹁然さうか、乞こじ食きか……待まちな〳〵、今いま乃お公れが見て遣やるから……。と雨あま戸どを引いて外の格かう子しをがらがらツと明けまして燈あか明りを差さし出だして見ると、見る影もない汚きた穢ない乞こじ食きの老おや爺ぢが、膝ひざの下したからダラ〴〵血の出る所を押おさへて居ゐると、僅わづか五いつ歳ゝか六むツ歳つぐらゐの乞こじ食きの児こが、紅もみ葉ぢのやうな可かあ愛いらしい手を出して、父お親やの足を摩さすつて居をります。
主﹁おゝ〳〵……お美み那な、可かあ愛いさ想うぢやアないか……見なよ……人ひと品がらの好よい可かあ愛いらしい子こぞ供うだが、生は来らからの乞こじ食きでもあるまいがの……あれまア親おや父ぢが負け傷がをしたといふので、彼あの可かあ愛いらしい手を出して膝ひざの下したを撫なでて遣やつて居ゐる、あゝ〳〵可かあ愛いい児こだ、今いまのう良よい薬くすりを遣やるよ、……煙たば草この粉こ末なぢやア却かへつて可いけない、良よい薬くすりが有あるから……お美み那なや其その粉こぐ薬すりを出だして遣やんな……此こ薬れは他ほかにない能よく効きく薬くすりだからな……血ち止どめには善よく効きくし、直すぐに痛いたみが去さるから、此こ薬れを遣やるから此こつ方ちへ足を出しな。乞﹁はい〳〵有あり難がたうございます、誠にお檐のき下したを拝はい借しやくするばかりでも、私わたくしは有あり難がたいと存ぞんじますのに、又また々〳〵お強ねだ請り申まうして、お煙たば草この粉こ末なを願ひましたところ、却かへつてお薬を下くだされまして、はい有あり難がたう存ぞんじます、誠にとんだ負け傷がを致いたしまして……何どうも相あい済すみませぬことでございます、お蔭かげ様さまで父おや子この者が助かります、はい〳〵……。主﹁さア〳〵此こ薬れをおつけ……此こ薬れはな鎧よろひの袖そでというて、なか〳〵売ばい買かひにない良よい薬くすりだ……ちよいと其そ処れへ足をお出だし、撒かけて遣やるから…。乞﹁はい〳〵有あり難がたう存ぞんじます。主﹁それ〳〵……染しみるか、……あと、余あまつたのをお前まへに上あげるから此こ薬れを持もつてお帰かへり。乞﹁はい〳〵。主﹁エーまア血が大たい層そう流れるが、手てぬ拭ぐひで縛しばらなければ可いけない。乞﹁はい〳〵。主﹁手てぬ拭ぐひは無ないか、……無なければ遣やる……これ〳〵古ふる手てぬ拭ぐひを出だして遣やんな、……ソレ此こ手れ拭で縛しばるが宜いい、アレサ然さう裂さかなくつても宜いいやな、……無なければ復また古ふるい手てぬ拭ぐひを遣やるよ……。乞﹁はい〳〵有あり難がたう存ぞんじます。
俄には盲かめ目くらで感かんが悪わるいけれども、貰もらつた手てぬ拭ぐひで傷きずを二ふた重へばかり巻まいて、ギユツと堅かたく緊しめますと、薬くすりの効かう能のうか疼いた痛みがバツタリ止まりました。乞﹁旦だん那なさ様ま、誠にまア結けつ構こうな薬くすりでございます、有あり難がたう存ぞんじます、疼いた痛みがバツタリ去さりましてございます。主﹁それは去さるよ、極よく効きく薬くすりだもの……其その子こはお前まへの子こかえ。
乞﹁はい忰せがれでございます。主﹁幾いく歳さいになる。乞﹁はい六むツ歳つになります。主﹁六むツ歳つか……吾う家ちの子ば供うは、袴はか着まぎの祝いは日ひで今け日ふは賓きや客くを招よんで、八やほ百ぜ膳んの料れう理りで御ごち馳そ走うしたが、ヤア彼あれが忌い嫌やだの是これが忌い嫌やだのと、我だ意だばかり云いふのに、僅わづか六むツ歳つでありながら親おや孝かう行かうに、まア此この寒さむいのに可かあ愛いい手で足を撫なでてゝ遣やるところは何どうだえ、……可かあ愛いさ想うだなー、……彼あの残あ余まつた料も理のがあつたツけ……賓きや客くの残のこした料も理のが皿さらの内なかに取つてあるだらう、……アーそれさ、……乃わ公しの家ところで今け日ふは小ば供うの袴はか着まぎの祝いは宴ひがあつて、今いま賓きや客くが帰かへつたが少しばかり料れう理りの残あ余まつたものがあるが、それをお前まへに上あげたいから、なにか麪めん桶つうか何なにかあるか、……麪めん桶つうがあるなら出だしな。乞﹁はい〳〵、まア結けつ構こうなお薬くすりを頂いたゞくのみならず、お料れう理りの残あま余りも物のまで下くだされ、有あり難がたう存ぞんじます、左さや様うならこれへ頂ちや戴うだい致いたしますと、襤ぼろ褸てぬ手ぐ拭ひへ包くるんであつた麪めん桶つうを取とり出だして、河かは合ひき金ん兵べ衛ゑの前まへへ突つき出だすのを、金きん兵べ衛ゑ手に取つて見ますると、遠ゑん州しう所しよ持ぢの南なん蛮ばん砂すば張りの建みづ水こぼしでございます。主﹁まアお前まへ、結けつ構こうな建こぼ水しだが此この建こぼ水しをお前まへは、何なにか麪めん桶つうの代かはりに使つかふのか。乞﹁はい最もう何なにも彼かも売うり尽つくしましたが、此こ品れは私わたくしの秘ひざ蔵うでございますから、此こ品れだけは何どうも売は却なすことが忌い嫌やでございますから、只たゞ今いまもつて麪めん桶つう代がはりに傍そば離はなさずに使つて居をります。主﹁ンー、これは恐おそ入れいつたね、お前まへはお茶ちや人じんだね、あゝこれ〳〵彼あの悪い膳ぜんに、……向むかう付づ肴けが残の余こつて居ゐるのを附つけて、お汁しるを附つけてチヨツと会くわ席いせ風きふうにして……乃わ公しもね茶ち道やが嗜すきだからね、お前まえが何どうも麪めん桶つう代がはりに砂すば張りの建みづ水こぼしを持もつて居ゐるので感心したから、残あま余りも肴のだが参さん州しゆ味うみ噌そのお汁しるもあるから、チヨツと膳ぜんで御ごぜ飯んを上あげたい、さア家う内ちへ上あがつてね、何なにもないホンの残あま余りも肴のだが御ごぜ飯んも喫たべて下ください、さア此こ処れへお入はいり…。乞﹁へい〳〵……何どう致いたしまして、此この通とほり穢きたなうございますから……。主﹁まア宜いいよ〳〵……此こ処ゝを明けて置いては、雪が吹ふツ込こむから疾はやく此こ処れへお入はいり、……乃わ公しが寒いから……。乞﹁へい〳〵有あり難がたう存ぞんじます、何どうも折せつ角かくのお厚なさ情けでございますから、御ごゑ遠んり慮よ申まう上しあげませぬでお言こと葉ばに従したがつて、御ごめ免んを蒙かうむります。主﹁どうもお人ひと品がらなことだ、違ちがふのうー……さア〳〵此こつ方ちへお入はいり。乞﹁へい〳〵。主﹁足が汚よごれて居ゐるな……これ〳〵徳とく次じら郎う〳〵。徳﹁はい。主﹁此こ処ゝへ来きての、此この乞こじ食きの足を洗つて遣やれ。徳﹁乞こじ食きの足あしイ……ンー〳〵〳〵。主﹁何なにを云いつて居ゐる、当い時まは事ゆ由ゑあつて零おち落ぶれてお出いでなさるが、以も前とは立りつ派ぱなお方かたで、士しぞ族くさんだか何なんだか知しれないんだよ、大だい事じにしてお上あげ、陰いん徳とくになるから。徳﹁︵小こご声ゑ︶陰いん徳とくでも乞こじ食きの足を洗ふのは忌い嫌やでございますなア。とグヅ〳〵云いひながら、忌い嫌や々/々\足を洗つて遣やる。乞こじ食きは頻しきりに礼れいを云いひながら雑ざふ巾きんで足を拭ぬぐひ、漸やう〳〵の事で板いたの間まへ坐すわつて、乞﹁どうも何なにから何なにまでお厚なさ情けに預あづかりまして、有あり難がたう存ぞんじます。主﹁これ〳〵膳ぜんを持もつて来きな……お汁しるを熱あつくして遣やるが宜いい……さア〳〵お喫たべ〳〵剰あま余りも物のではあるが、此こ品れは八やほ百ぜ膳んの料れう理りだから、そんなに不ま味づいことはない、お喫あがり〳〵。乞﹁へい〳〵有あり難がたう存ぞんじます……︵泣きながら伜に向つて︶まア八やほ百ぜ膳んの御おれ料う理りなぞを戴いたゞきますといふのは、是これはお前まへなんぞはのう、喫たべ初はじめの喫たべ納をさめだ、斯かういふお慈なさ悲け深ぶかい旦だん那なさ様まがおありなさるから、八やほ百ぜ膳んの料れう理りを無やど宿な者しに下くだされるのだ、お礼れいを申まうして戴いたゞけよ、お膳ぜんで戴いたゞくことは、最もう汝きさま生しや涯うがい出で来きないぞ。子﹁あい……旦だん那なさ様まお有あり難がたうございます。と可かあ愛いらしい手を突ついて、頸くびを横にして挨あい拶さつをします挙やう動すが手の突つきやうから、辞じ儀ぎの仕しか方たがなか〳〵叮てい嚀ねいでげす。主﹁ンー……お前まへ様さんも何なんだらうね……。乞﹁へい〳〵。主﹁以いぜ前んは然しかるべきお方かたの成なれの果はてで、まア此この時じせ節つが斯かう変かはつたから、当い時ま然さういふ御ごみ身ぶ分んに零おち落ぶれなさつたのだらうが、何どうもお気の毒なことで…。乞﹁はい旦だん那なさ様ま私わたくしも、賓きや客くを招よぶ時ときには八やほ百ぜ膳んの仕しだ出しを取とり寄よせまして、今け日ふの向むか付うづ肴けが甘あま酢ずの加かげ減んが甘あ味ま過すぎたとか、汁しるが濃こ過すぎたとか、溜たま漬りづけが辛から過すぎたとか小こご言とを云いつた身みぶ分んでございますが、当い時ま罰ばちが中あたつて斯かういふ身みぶ分んに零おち落ぶれ、俄には盲かめ目くらになりました、可かあ愛いさ想うなのは此この子こぞ供うでございます、何なんにも存ぞんじませぬで、親おやの因いん果ぐわが子にりまして、此この雪ゆきの降ふる中なかを跣はだ足しで歩きまして、私わたくしが負け傷がを致いたしますとお父とつさん痛いたうないかと云いつて労いたはつて呉くれます、私わたくしの心こゝ得ろえ違ちがひから斯かや様うに零れい落らくを致いたし、目めまで潰つぶれまして、ソノ何なんにも知らぬ頑ぐわ是んぜのない忰せがれに、斯かう難なん義ぎをさせますかと思ひますれば、誠にお恥はづかしいことでございます。主﹁それは〳〵お気の毒なことだ、貴あな方たは以も前とはお旗はた下もとかね。乞﹁いえ〳〵。主﹁ンー……南なん蛮ばん砂すば張りの建みづ水こぼしは、是こ品れは遠ゑん州しうの箱はこ書がきではないかえ。乞﹁へい……能よう御ごぞ存んじさまでございます、これは貴あな方た、遠ゑん州しう所しよ持ぢでございまして、其その後のち大たいした偉えらい宗そう匠しやうさんが用もちひたといふ品しなでございます。主﹁ンー……。乞﹁これは私わたくしの大だい事じな品しなでございまして、当い時ま斯かう零おち落ぶれまして、値ねを高く買かはうといふ人がございますけれども、なか〳〵手てば離なしませぬで……。主﹁どうもマア、乞こじ食きになつても砂すば張りの建みづ水こぼしをすてないといふところは、真しんのお茶ちや道じ人んでげすな、お流りう儀ぎは…乞﹁へい千せん家けでございます。主﹁誰どな方たの御ごも門んじ人んで……。乞﹁はい実じつは……川かは上かみ宗そう治ぢの弟で子しでございます。主﹁フーン……お姓なま名へは聴きいても仰おつしやるまいね。乞﹁へい〳〵もう姓なま名へを申まうすのは、お恥はづかしうて申まうせませぬが、斯かや様うに御ごし親んせ切つに上うへへ上あげて、御ごぜ飯んまで下くださる貴あな方たさ様まのことでございますから、隠かくさず申まう上しあげますが、私わたくしは芝しば片かた門もん前ぜんに居をりました、神かみ谷やか幸う右ゑ衛も門んでございます。主﹁へえー……何なにかえ、貴あな方たは神かみ幸かうといふ立りつ派ぱな御ごよ用うた達しで大たいしたお生くら計しをなすつたお方かたか……えーまアどうも思おもひ掛がけないことだねえ、貴あな方たの家とこ宅ろの三畳でふ大だい目めの、お数す寄き屋やが出で来きた時に、お席せき開びらきといふので、私わたくしもお招まねきに預あづかつたが、其その時ときは是ぜ非ひ伊い豆づ屋やさんなんぞと一緒しよに、参あ席がる積つもりでございましたが、残ざん念ねんな事には退のつ引ぴきならぬ要よ事うがあつて、到たう頭とう参あ席がりませぬでしたが……。乞﹁へい〳〵貴あな方たは誰どな方たさ様まで……。主﹁私わしアお徒かち士ま町ちに居をつた、河かは内ちや屋き金ん兵べ衛ゑでげすよ。乞﹁へえー……河かは内ち屋やさん……エーまア道だう理りこそ、此この砂すば張りの建こぼ水しがお目めに留とまるといふのは、余よほ程どお嗜すき好し者やとは存ぞんじましたが……貴あな方たは河かは内ち屋やさんでございましたか……思おもひ掛がけないことで……。主﹁どうも誠に思ひ掛がけないことでお前まへさんに邂あ逅ひました、未まだお目めには掛かからなかつたが、今こん度どはお眤ちか近づきにならう……まア此この時じせ節つが変かはつて貴あな方たは斯かう御ごれ零いら落くになつて、何なんとも云いひやうがない、拙てま者へはマアどうやら斯かうやら、斯かうやつて居をりますが本ほん当たうにおいとしいことだ……。妻﹁お噂うはさには毎まい度ど承うけたまはつて居をりましたよ、立りつ派ぱなお住すま宅ひでお庭にはは斯かう、何なには斯かうと、能よくまア、何なんでございますよ、名なく草さ屋やの金きん七といふ道だう具ぐ屋やが参まゐりまして始しじ終うお噂うはさでございますよ。乞﹁へい然さうでございますか。主﹁まア〳〵おいとしいことでございます……時に一ちよ寸つとお薄う茶すを上あげやう鉄てつ瓶びん点だてゞ……コレ〳〵其その棗なつめで宜いい、出でて居ゐるんで宜いいから持もつてお出いで……一服ぷく鉄てつ瓶びん点だてゞ上あげませう、茶は挽ひきたてだけれども、何どうも湯ゆか加げ減んが悪いのでうまく出で来きないが、一服ぷく上あげる。乞﹁どうも誠に有あり難がたうございます、私わたくしは最もう一生しや涯うがい、お薄う茶す一服ぷくでも戴いたゞけることでないと、断あき念らめて居をりましたところが︵泣なき声ごゑ︶鉄てつ瓶びん点だてゞ一服ぷく下くださるとは……往むか昔しの友よし誼みをお忘れなく御ごし親んせ切つに……私わたくしは最もう死んでも宜ようございます。主﹁然さう仰おつしやられては実じつに胸が一杯ぱいになります……お菓子か何なにかあるだらう……最もう皆みな賓きや客くに持もたして遣やつてしまつたか……困つたなア……何なにかないかなア……ンー一軒けんおいて隣とな家りの大だい仏ぶつ餅もちでも宜よい、仕しか方たがない……宜よしく此こ餅れを皆みんな皿さらに積つんでの……さア何どうか不つま味らない物だが子こど供もし衆うに皆みな上あげて下ください。
乞﹁どうも有あり難がたう存ぞんじます……左さや様うなら御ごゑ遠んり慮よなしに頂ちや戴うだい致いたしますと、亭てい主しゆの河かは合ひき金ん兵べ衛ゑが茶ちやを点たつてる間あひだに、小こど丼んぶりを前まへに引ひき寄よせて乞こじ食きながらも、以いぜ前んは名のある神かみ谷やか幸う右ゑ衛も門ん、懐ふと中ころから塵ちり紙がみを出だして四つに折をつて揚やう子じば箸しで手てさ探ぐりで、漸やうく餅もちを挟はさんで塵ちり紙がみの上うへへ載のせて忰せがれ幸かう之のす助けへ渡して自分も一つ取つて、乞﹁有あり難がたう存ぞんじます……大だい仏ぶつ餅もちと申まうすものは雅ががありまして、お茶ちや受うけには結けつ構こうなお菓子でございますなア……どうも思ひ掛がけないことで……とオロ〳〵泣きながら、口の中でムク〳〵噛かんで居をりましたが、お茶がプツと出て来きたから、グツと嚥のみ込こむと餅もちが咽の喉どへ閊つかへた。幸﹁︵苦くも悶ん︶グツ〳〵〳〵。主﹁おや〳〵何どうかなすツたか。幸﹁︵苦くも悶ん︶グツ〳〵〳〵……モヽヽヽ餅もちが……。主﹁餅もちが閊つかへたか……さア大たい変へんだ……泣きながら喫たべるから閊つかへるのだ困つたものだ……お待ちなさい……此この子こが心配する……私わしが脊せなかを叩たゝいて上あげる……宜よいかい……失しつ礼れいだが叩たゝきますよ。と握にぎり拳こぶしで二ふた度つ叩たゝくと、グツと餅もちが通とほつたが鼻の障しや子うじが抜ぬけてしまつた。乞﹁フガ〳〵〳〵……有はひ難はほうほざいます有はひ難はほうほざいます、餅もひが通とほりました。主﹁餅もちが通とほつたか……おや〳〵貴あな方たの目めが明あきましたな。乞﹁目めが明あひましたが、鼻はなが斯くんなになりました。主﹁何どうしたんだ……どう〳〵……ハハア解わかつた今いま食くつた餅もちが、大だい仏ぶつ餅もちだから、目めから鼻へ抜ぬけたのだ。
︵拠納谷直次郎速記︶