﹁仙臺の方言﹂と﹁土佐の方言﹂へはそれぞれ斯道の大家の序を頂戴したが、今度の隨筆集の序はどなたに御願ひしようかと出版者に相談した處、御良人がいゝでせうと曰はれました、どうかよろしくとの申出である。一寸考へた、亡妻を褒める文︵蘇東坡の如き︶はある、妹の詩集や遺稿への序︵袁子才の如き︶はあるが、現に生きて居る女房の文集に序を書いた例は見た事がない。﹁涵芬樓古今文鈔﹂の中、序跋は十二册に亘り五六百篇もあるが、こゝにも一篇も無い。しかし若い昔の、はにかみ勝ちの自分でもない、先例がないからとて止めるにも當るまいと考へて筆を執る。 此書に收めてあるものゝ中、若干はすでに種々の雜誌に載つたものであるが、亡兒の思ひ出の若干部分は全く新たの執筆で、私にとつては最も感慨の深いものである。子を失ふといふ人世無上の慘苦を味つた方々へ多少の慰安となるかも知れぬ。 ﹁掃除や洗濯のひま〳〵に襷をはづして、遂にかやうな詰らぬものを書いた﹂とは、此著者が大正八年に出版した﹁仙臺方言集﹂の跋文の一節であるが、此書も同樣に家事の片手間に成つたものである事は曰ふ迄もない。家庭の主婦としてどれ程内助の功があるかは別問題だが、少くも内妨の害だけは無かつた事をこゝに保證して筆を擱く。
昭和十五年十月
土井晩翠