葉桜(一幕)

岸田國士




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人物



時  四月下旬の真昼

所  母の居間――六畳



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娘  (顔をあげ、無邪気らしく)あたし、どうでもいゝわ。
母  (わざと素気なく)母さんもどうでもいゝ。(間)どうでもいゝことはないよ。(間)お前も少しはかんがへたら……?
娘  考へるつて……だから、あたし、母さんのいゝやうにするわ。
母  母さんは別に異存はないよ。たゞお前の気持さ、大事なのは……。
娘  ……。
  
娘  (首を振る)
母  ぢや、お前と二人つきりの時は、どんな話をするの。
  
母  何が。
  
母  どういふ風に……。
娘  第一、口を利かないの。それから、顔も見ないの。
母  へえ。
  ()()
母  へえ。
  
母  随分をかしな人だね。でも、二人つきりの時は、そんなでもないんだらう。
娘  (うなづく)
母  優しくすることはするんだらう。
娘  優しくつて……?
母  いゝえさ、いくらかお前の機嫌を取るやうにしやしないかい。
娘  機嫌を取るやうにつて……?
母  つまり、お前が好きだとか嫌ひだとか云ひさうなもんぢやないか。
娘  そんなこと、云はないわ。
母  云はないことがあるもんか。
娘  だつて、云はないんですもの……。
母  それぢや、お前、どうにもならないぢやないか。
娘  だから、それでいゝわ。(雑誌に顔を近づける)
母  なにがいゝのさ。

娘  どうにもならなくつても……。


沈黙。

  
  
母  なぜ。
   
母  さう云ふ処があるかも知れないね。それだけかい。
  
母  それで、大分話ができたわけだね。
  
母  馬鹿だね、お前は。それより、あの人の云つたことをすつかり云つて御覧。
娘  あの人はね、かういふの――「僕はまだ結婚なんかしたくないんだけれど、お袋が――さうさう、お袋つていふのよ――お袋がやかましく云ふものだから……」つて。
母  それぢや、お前……。
娘  えゝ、だからよ、それぢや、あたしいやだつて云はうかと思つたの。
  
  
母  そんなことを云つたのかい。
娘  えゝ、さうしたら……。
母  さうしたら……。
娘  さうしたら、僕もそのうち、何か仕事を見つけようかなあつて、誰につていふことなしに云つて見たりするの。
  
娘  さうよ。
母  まだ何か云つたの?
娘  日本間が好きか、西洋間が好きかつてあたしに訊くから、そりや西洋間が好きだつて云つたら、そんなら離れを西洋間にしようかなあつて云ふの。
母  なんでも、「なあ」ぢやないか、あの人は。

娘  さうよ。


間。

  
娘  そのことはお母さんに委してあるらしいのよ。
母  さうして安心してるのかい。
娘  安心してるかどうか知らないけれど……。
母  自分はどうでもいゝつていふやうな顔がしたいんだらう。
娘  あたしだつて、母さんがいゝつていふやうにするんぢやないの。
  

娘  いやよ、あたし、そんなこと訊くのは。


沈黙。

  
娘  そんなだつたの……。あたし、ちつとも知らなかつたわ。
  
  
母  活動か……西洋はいゝね。
娘  いゝわね。あゝいふ風にされゝば、女だつて悧巧になるわ。
母  いや、もつと、ちやんと引張つてなくつちや……。
娘  あの人ね、あたしのことを母さんそつくりだつて云つたわよ。
母  さう云つときや間違ひはないからね。
娘  ……。
  
娘  いやな母さん。
   
娘  さうしてどうするの。

母  もう少し待つて見るさ……。


沈黙。

娘  (だんだん顔を伏せる)

  鹿

長い沈黙。

娘  母さんは、あの人、嫌ひなんでせう。
  

娘  (あつけに取られて)母さん。


間。

母  (気を鎮めようと努めてゐるらしい。大きな溜息)
娘  あたしは、どうだつていゝのよ。
母  ぢや、断るよ。いゝかい、後でかれこれ云ふまいね。
娘  (黙つてうつむく)
  
娘  何処つて……別に……。
母  ぢや、たゞ、あの人が好きか嫌ひか、どつちなの。

娘  (低く)嫌ひぢやないわ。


長い沈黙。

母  (娘を見つめながら)さうか、そんなら好きなんぢやないか。
娘  (雑誌で顔をかくすやうにして)好きつていふんでもないけれど……。
母  まあ、好きなんだらう。(畳についた物差しがぐいとしなふ)
娘  はつきり云へないわ、そんなこと……。
母  それがはつきり云へなけりや、しかたがない。ことわるんだね。
娘  ……。
母  母さんになんにもかくしてやしまいね。
娘  どんなこと……。
  
娘  ……。(雑誌の口絵の上に涙が一滴落ちる。それを慌てて手で拭き取る)
  
娘  (窓を閉めに行く)
  
  
  
娘  それが、さういふやうなことは、ちつとも云はないの。
  
娘  二人さへ信じ合つてゐれば、どんなことでも恐れる必要はないつて……。
母  何時さ、それは……。
娘  送つてくれる途中で……。
母  なんだつてさ……。どんな話をしてたの、それまで……。
  
母  なぜ……。
娘  可哀さうだつて……。
母  ……?
  

母  (首をふり)さつぱりわからない……。お前たちの話は……。


沈黙。

娘  あたし、そんなにいやぢやないの、あの人なら……。
  
  
母  (笑ふ)
  
母  それから……。
  
母  (息を吸ひ込む真似をして)……つてかい?
  
母  ……。
  
母  それだけかい、途中の話は……。
  ()
母  逃げなくつたつていゝじやないか。妙だね。
娘  さういふところがあるのよ、あの人……。あたし、ちやんとわかるの。
  
娘  (うなづく)
母  二人で、さうして、静かな道を歩いてゐるのが、楽しいことは楽しさうなんだね。
娘  (知らないわといふやうなからだのゆすぶり方をする)
  
娘  (頭を振る)
  
娘  (力なく頭をふる)
  
娘  (決心したやうにうなづくと、そのまゝ、顔を母の胸に押しあてる)
  調
娘  (からだを母の方に摺り寄せる)
母  (それを邪慳に突きのけて)あゝ、馬鹿だよ、お前は……。

  

間。

母  (娘の視線を避けながら)うそなもんか。
娘  (涙声になり)いゝえ、うそなの……。あれはね……。
  
娘  (母の胸に顔をうづめ)母さん……。
  

娘  (咽び泣く)


間。

  
  
  

娘  (此の間、ぢつと、鏡を見つめてゐる)


長い沈黙。

母  お前も、何か習つとくんだつたね……。あの人は三味線が好きだつて云つてたぢやないか。
娘  ……。
母  ほんとに、どうして今迄、ぶらぶらしてたんだらう……近頃は、お花にも行かないしさ……。
娘  ……。
  
娘  (静かに顔をなほしはじめる)
  西
娘  独逸語よ。
  姿
娘  だつて、よく伸びないんですもの……。
母  濃すぎるのさ、第一……。
娘  うそよ、さうぢやないのよ……。(かう云ひながらなほす)
  
娘  ……。
母  (淋しく)これで大丈夫つていふのは、何時のことやら……。
娘  あたし……?
  
娘  (静かに立ち上つて、そのまゝ母の後に佇む)

母  (背後に近づくものゝ気配を感じて、それとなく、その方に不安な眼を向ける)


沈黙。

娘  (思ひ出したやうに、袖で顔を蔽ふ。そして、いきなり母の傍に泣き伏す)


――幕――






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kompass

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