びつくりするほど冷たい井戸水を、ザブ〳〵と二つのバケツに一ぱい汲くむと、元気な槇まき君はそれを両手にさげて、廊下から階段を登つて、トツトと自分の教室へ帰つて来ました。 すると、だしぬけに、四五人の掃除当番の者が、口々にかう叫びました。 ﹁おい君、五年生のやつらが、僕たちのぞうきんを持つてつちやつたぞ!﹂ ﹁おれ、ほうきで追つかけたんだが、どうしても返さないんだ――﹂ ﹁三人はいつて来て、だまつて探してゐたが、﹃おう、たくさんあるな、一枚かりてくよ﹄つて、持つてつちやつたんだよ!﹂ ﹁上級生だつて、なまいきだ! ねえ槇君、おれたちも、しかへしに、何か、かつぱらひに行かう! ごみとりだつて、ほうきだつて、あいつらの帽子だつていゝぢやないか! かうなれア非常時だ――﹂ ﹁アツハ、﹃非常時﹄はすげエや。非常時日本……いや、非常時四男組だア……﹂ みんなワイ〳〵騒ぎ出しました。だまつて窓ガラスを拭ふいてゐた、女のやうなおとなしい水みづ村むら君も、窓からおりて来ました。 ﹁ぞうきんは、これつきりだね?﹂ 槇君はさう云いひながら、落着いて、残つてゐるぞうきんを、床の上に並べて見ました。四つあります。けれど、みんなボロ〳〵で、中には半分ぐらゐしかないのもあります。 ﹁これぢや駄目だね。﹂と、槇君は呟つぶやきました。﹁よし、僕が取り返しに行く。こんなぞうきんばかりで拭けるもんか。みんなも、ついて来てくれ。だが、乱暴しちや駄目だぞ。﹂ ﹁おれ、ほうきもつてかうか?﹂ ﹁よせ〳〵!﹂と、誰だれかゞ止めました。 ﹁そんなら、ぞうきんならいゝだらう? おれ、こいつで、五年生のやつらの、顔をふいてやるんだ。イザつていふ時にな。﹂ ﹁さうだア、おれもさうしよう!﹂ 背の高い、当番長の槇君は、サツサと出て行きました。 その後へ、四人つゞきました。少し遅れて、また二人、まだ滴しづくのたれるボロぞうきんをさげて、追ひつきました。 すぐ隣の教室は、四年女子組の教室で、その次が五年男子組の教室です。 槇君を先頭にする四年男子組の子供たちは、いつもなら、女子組の掃除当番にからかつたりするのですが、今日は見向きもしないで、ドヤ〳〵と五年男子組の教室へ、おしかけて行きました。 槇君は、先生の出入口の方から入つて行くと、いきなり、かう云ひました。 ﹁おい、ぞうきんは僕の方でもいるんだ。返してくれ給たまへ。﹂ すると、騒ぎながら掃除してゐた五年男子組の子供たちは、一度に立ち止まりました。そしてポカンと振り向きました。四年生にしてはバカにノツポのやつを先頭に、ズラリと六人並んでゐるのです。ビリつこの二人のさげてゐるボロぞうきんからは、ポタ〳〵と水がたれてゐます。 ﹁ぞうきんを返し給へ。君たちは、僕たちのぞうきんを盗んだんだ。盗むなんて、よくないぢやないか。返してくれ給へ。﹂ 槇君がかう云ふと、 ﹁盗みはしないよ。﹂と、教室の隅すみつこの一人が叫びました。 ﹁さうよ。泥どろ棒ぼうなんかするもんか!﹂と、また一人叫びました。 ﹁証拠があるか?﹂ ﹁証拠を出せ!﹂ みんなてんでに叫びながら、五年男子組の方も、一つところへ、かたまつてしまひました。 ﹁証拠か?﹂と、槇君は少し腹を立てゝ、前へ一歩踏み出して、叫びました。 ﹁証拠なら、いくらでもある。僕たちみんなが見てるんだ。ぞうきんだつて、見覚えがあるんだ。――いつたい、君の方の当番長は誰です?﹂ ﹁おれだ。﹂ よく肥えた、眼のクル〳〵した、おどけた恰かつ好こうの男の子が突つ立ちました。 ﹁ぢや、君は、当番長でも、盗んだぞうきんを、返さなくつてもいゝと思つてるんですか?﹂ すると、当番長は眼めをクル〳〵させて、きまり悪さうにニヤツと笑ひました。そこで他の者が、かう叫びました。 ﹁盗みはしないよ!﹂ ﹁うそオつけエ!﹂と、ぞうきんをさげて来た一番小さい北きた川がは君が、だしぬけに叫びました。それと一しよに、ぞうきんからタラ〳〵と水が流れました。覚えずぞうきんを握りしめたからです。 ﹁盗んだんぢやない、借りて来たんだ。﹂と、また向ふの一人が叫び返しました。 ﹁借りたんなら、なほさら返してもらはう。返してくれ給へ。﹂と、すかさず、槇君が突つこみました。 ﹁さうだ〳〵。返せ〳〵。﹂と、小さい北川君が、いたづらツ子らしく叫びました。 ﹁こらツ、チビ! そこは掃除してあるんだぞ。ボロぞうきんに小便させちや困るぢやねえか! 出ろ〳〵!﹂ ﹁出るもんかア、ぞうきんを取り返さなくちや。――こつちは﹃非常時﹄だぞ!﹂ みんな吹き出してしまひました。 ﹁ようし、ぢや、返してやる。﹂ 五年当番長がさう云ふと、すぐ一人が、 ﹁だつて、僕らの方でも取られたんだよ。六年のやつらに。﹂と云ひました。 ﹁さうよ。さつきね、二三人とんで来て、﹃おい、ちよつとぞうきんを貸してくれ。君の方はまだ使つてないんだらう? ぢや、一枚借りて行くよ﹄つて、持つてつちやつたんだ。こつちにもいるんで、さつき返してもらひに行つたんだ。するとね、六年のやつらはね、﹃借りはしないよ﹄とか、﹃もう返した﹄とか、﹃ケチ〳〵云ふな。おれの方がすんだら、おまいの方へ手伝ひに行つてやるよ﹄なんて云つてね、どうしても返してくれないんだ。だから……だからさ……﹂ ﹁さうよ。で、僕たちも困つて、四年生のを借りに行つたんだ。﹂ 槇君はだまつて聞いてゐましたが、この時コト〳〵と、五年生の方へ近づいて行きました。そして親しさうに、かう云ひました。 ﹁ぢや、みんなで、かうしようぢやないか? 僕たちのぞうきんは、僕たちがもらつて行くことにして、その代り、君たちのぞうきんも、今すぐ、もらつて来ることにしようぢやないか? 君たちと僕たちとで、みんな一しよになつて行けば、きつと、六年生だつて返すにちがひない。ねえ君たち、すぐ行かうぢやないか?﹂ これには五年生たちも、すつかり機きげ嫌んをなほしました。すぐ、﹁行かう〳〵!﹂と云ふ者が二三人ありました。おどけた恰好の当番長も、﹁よし、行かう!﹂と云つて、太つちよの短い体を、前へ躍り出しました。 ﹁ぢや、君たち五年生から行つてくれ給へ。僕たちは、そのあとだ。﹂と、槇君が云ひました。 五年の当番は六人でした。みんなニコ〳〵して、元気に、四年の当番の前を出て行きます。と、その中の一人が、 ﹁ぢや、かへすよ、ぞうきん。﹂と云つて、ポイと、持つてたぞうきんを投げ返しました。取つてたぞうきんです。 ﹁オーライ!﹂と答へて、それをすぐ四年生の一人が、ヒヨイと引つ掴つかみました。 ﹁ナイス〳〵!﹂ みんな、すつかり仲好しになつて、ガヤ〳〵と、六年生男子組の教室へ入つて行きました。 ﹁君たち、おーい、おれたちのぞうきんどうしたい? かへしてくれよう。﹂ 五年の当番長は、教室に入ると、ブツキラボウに云ひました。 六年男子組の当番は七人でしたが、十三人も一度に押入つて来たので、ちよつと、あつけにとられました。特に当番長の下しも田だといふ少年は、自分が優等生だけに、ひどくあわてました。こんな騒ぎを先生にでも見つかつたら、どんなに叱しかられるだらうと思つたからです。で、すぐぞうきんを返さうと思つて、 ﹁おい、誰が持つてるんだい? すぐ返せよ。﹂と、青い顔をして云ひました。 ﹁知らねえよ。﹂と一人の男の子が、意地悪さうに答へました。 ﹁おれも知らんぞウ。﹂と、また一人答へました。鼠ねずみでも引いてつたんだらう、チユウ〳〵つてな。﹂ ﹁馬鹿にするな!﹂と、突然五年生の一人が叫びました。 つゞいて、五年生たちみんなが、口々にくツてかゝりました。 ﹁鼠はおまいたちだらう!﹂ ﹁ぞうきんをかへせ!﹂ ﹁六年生でもひつぱたくぞ!﹂ ﹁もう一度云つて見ろ!﹂ ﹁おい〳〵、さわぐな。﹂と五年の当番長が、短い太つちよの体を、もぐらのやうにモグ〳〵動かして云ひました。 すると、今度は六年生の方が、口々にくツてかゝりました。 ﹁なんだ、もう一度云つて見ろ! 下級生のくせに、なまいきだ!﹂ ﹁おまいの方の当番長はもぐらぢや!﹂ ﹁大勢で来やがつて――四年生迄までつれて来やがつて――いくぢなし!﹂ ﹁なんだと?﹂と五年生の一人が、向つ腹を立てゝ躍り出ました。すると、 ﹁やかましく云ふな。ぞうきんなら、こゝにあらあ。﹂ と云つて、向ふからボテリと、足もとにぞうきんを投げ返しました。 ﹁投げ返すやつがあるかツ!﹂ ﹁ぢや、どうしろツてんだ?﹂ ﹁返すやうにして返すんだ。﹂ ﹁ぢや、なにかい、お盆か何かへのつけてさ、﹃はい、どうも有難うさま﹄つて、さうして返せば気に入るんかい? さうだな? アハツハツハア!﹂ ﹁さうだとも!﹂ ﹁アハハハア!﹂ 誰か一人、バカに調子はづれの大声で笑つたので、つい二三人引きずりこまれて笑つてしまひました。さうすると、すぐ四年生たちが笑ひ出し、たうとう、みんなドツと笑つてしまひました。 そして、暫しばらくみんな笑ひつゞけた後に、やつとお互ひに顔を見合つた時には、もう誰一人も、おこつた顔をしてゐる者は、ありませんでした。みんなニヤ〳〵ツとしてゐました。 ﹁ねえ、おい!﹂と、この時、槇君が前へ出て云ひました。 ﹁ねえ! みんな、仲よくしようよ。僕たちもね、さつき、この五年生の組に、ぞうきんを一枚とられたんだ、だが、もう返してもらつて、仲直りしたんだ。だがねえ、こんなふうに、ぞうきんの取り合ひごつこをするのも、もとは、どこにもボロぞうきんしかないからぢやないかな? 僕んとこなんかにや、みんなで五つあるんだけど、ほんとうは三つ分ぐらゐしかないや。だからね、みんなで、かうしようぢやないか?﹂ さう云つて、槇君はみんなの顔を見みま廻はしました。みんな熱心に聞いてゐます。 そこで槇君は、唾つばきをのみこんで、また続けました。 ﹁あのねえ、かうしたらどうだらう? 四年生以上の組には、どの組にだつて﹃クラス自治会﹄があるね。そこへぞうきんのことを持ち出して、ボロになつたら、すぐ新しいのを、学校から出してもらふことにしたらどうだらう? さうするとぞうきんの取り合ひごつこもなくなるし、掃除だつてすぐ出来て、きれいに出来上ると思ふんだがな。どうだらう﹂ ﹁うまい〳〵、さんせい!﹂と、五年の当番長が、おどけた恰好で手を叩いて叫びました。﹁四年の当番長は頭がいゝや!﹂ みんな笑ひながら手を叩きました。 ﹁さんせい!﹂ ﹁みんな賛成だア!﹂ すると、さつきまで青い顔をして、ひどく困つたらしい様子をしてゐた六年の当番長の下田君が、すつと立ち上つて、 ﹁今の意見は、大へんいゝ意見だと思ひます。僕も大賛成です。で僕は、この次の土曜の、僕たちのクラス自治会にかけて、ぜひ、さう決めたいと思ひます。君たちも、君たちのクラス自治会にかけて、早くさう決めて下さい。﹂と云ひました。 みんな、元気よく、パチ〳〵と手を叩きました。と、その途端、トン・トトンと、つゞけさまに三つ、みんなの突つ立つてゐる頭の上の天井が鳴りました。忽ちワアツと、みんな騒ぎ立ちました。ふり仰いで見ると、ボロの濡ぬれぞうきんが投げられて、天井に突き当たつて落ちて来るところでした。 みんなは、またワツと叫んで、パチ〳〵と手をうち鳴らしました。 ﹁おい〳〵、ぢやア、さうすることにして、みんな引きあげようぜ。﹂ やがて、五年の当番長がかう云ひました。ぞうきんを投げたチビの北川君を一番先に、みんなガヤ〳〵と出て行きました。 ﹁おほけに、おぢやまさま。﹂ ﹁おやかましうございました。﹂ 出て行く子供たちがそんなことを云ふと、見送る子供たちの方でもこんなことを云ひました。 ﹁どうか、またお出いで下さい。﹂ ﹁なにも、おかまひしませんで。﹂ ﹁アバヨ!﹂ ﹁ちよつと君、早かつたら待つとつてね。一しよに帰らうよ。﹂