フランス伯N・B

久生十蘭




 

 
 
 
 

 
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一八三〇年
  
 同二十二日 侍医アントン・マルシィ氏、塑面(デス・マスク作製)
 同二十三日 埋葬式、聖砂鎮魂
 とあって、ナポレオンはセント・ヘレナで似非プスウドナポレオンが死んでから九年後、ジャック・カルチイエが開拓した仏領加奈陀の一邑で、悠々六十一歳の天寿を全うしたことになっている。
 それは一八四二年に法王庁領チヴイ・タヴェッキヤで出版された四折版、百二十一頁の小冊で、扉の上端に Les manuscrits in※(アキュートアクセント付きE小文字)dits という文題が薔薇の木の唐草模様で囲まれ、その下にラテン筆記体で sur la seconde-vie de N. B. とあって、
「聖ヘレナ島司ハドソン・ロオとの対話」
「脱島人、サウル・ランボオよりの聞書」
「一八一六年六月、メジューズ号にたいするエークス島民の風説」
「運送船マサニエル号船長の目撃したる一八一九年七月二十二日、ロング・ウッド、N・B邸の火災及びその顛末」
 こんなふうに日記、手簡、備忘といった小記録が豊富に蒐集されているが、専門の歴史家のお家芸である全体的な叙述や広汎な綜合はいっさいやっていない。さまざまな人間が別々な場所で思い思いに書いた筆録を、註解もなくただ雑然と並べているだけだが、かれこれと読み合せて行くうちに、ナポレオンがどんな方法でセント・ヘレナを脱けだし、どういう経過で仏領加奈陀へたどり着いたか自然にわかるようになっている。お察しになるのはそちらの勝手だが、責任は一切もたないという抜目のないやり方らしく思われる。

「運送船マサニエル号船長の目撃したる一八一九年七月二十二日、ロング・ウッド、N・B邸の火災及びその顛末」
 

 
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七月二十二日 レチチア夫人が差し遣わされた医師アントン・マルシィ氏、外に、皇帝の同郷人パトラン三名、
マリオ・ジェンツイオ
エミリオ・モンティ
シェザレ・ロッセルリ
病気見舞としコルシカより来島。
同 二十七日 同郷人三名、離島。
 
 

「一八一八年十月十六日及び一八二一年五月五日の検診に対する備考」
 
 
 
 

 
 
 
 
 
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「皇帝と百日の船旅。並にジャン・フレミユの島の生活」
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「われわれはとうとう勝ちました。N・Bはセント・ヘレナをぬけだしました」
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 Fr※(アキュートアクセント付きE小文字)d※(アキュートアクセント付きE小文字)ric Masson Nepol※(アキュートアクセント付きE小文字)on inconnu Vol. ※(ローマ数字2、1-13-22)

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 鹿鹿
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 ※(ローマ数字3、1-13-23)
   19704522811
   19981022817


Nepol※(アキュートアクセント付きE小文字)on


2019930

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