古いゲエルの伝説に出てくる蝙蝠の話を読むと、昔の昔から彼はきらはれものであつたらしい。蝙蝠にはいろいろの名があつたらしいが﹁黒い放浪者﹂といふのが一ばん詩的な名だとその伝説の筆者は書いてゐる。
世界の初めごろ蝙蝠は川かは蝉せみのやうに青い色で、胸は燕のやうに白く、そしてうるほひ深い大きな眼を持つてゐたから、その眼の色とひらめく羽根のうごきとで﹁きらめく火﹂といふ名でもあつたが、世の中が移り変つてその﹁きらめく火﹂が﹁黒い放浪者﹂とまでなつてしまつた。
キリスト﹁御苦難﹂の日の出来事である。一羽の駒鳥が飛んで来て十字架の上にくるしむキリストの手から足から茨の刺を抜かうとして、キリストの血で小さい胸を赤く濡らしてゐるとき、蝙蝠がひらひらその辺を飛び廻つて、﹁何と私は美しいだらう! 私が飛ぶのは早いだらう!﹂と自慢らしく鳴いた。キリストはお眼をふり向けて蝙蝠をごらんなされた。すると潮が引いてゆく時のやうに、青と白の色が蝙蝠の体から消えて行つた。蝙蝠はめくらになり黒い体になつてぱたぱた飛んで、折しも迫る夜の中にとび入り、暗くら黒やみの中に永久に溺れてしまつた。それからは黄昏と夜の世界にだけ彼はあてもなく旋回しながら飛びまはり﹁なんと私は眼が見えない! 私のみにくさを見てくれ!﹂と、ほそいほそいかすれた声で鳴くのである。
その同じ話し手から聞いたことでは、蝙蝠は雷のために枯れた樹と稲妻とのあひだに生れた子供であるさうだ。又もう一つ聞いた名は﹁誇り高き父の畸形児﹂といふので、誇り高き父は、誇り高く花々しい天使、﹁悪の父﹂サタンである。なぜ蝙蝠がサタンの畸形児であるかといへば、それもまた御苦難にまつはる物語である。ユダが裏切をしたあとで樹の枝でくびれ死ぬと、ユダの魂が歎きなげき風に乗つてさまよひ出た、すると﹁誇り高き父﹂はそのみじめな魂をさげすみ切つてこの世に投げ返してよこした。しかし、投げ返す前に﹁誇り高き父﹂はその卑しいものをひねり曲げ幾たびもひねり曲げ、四百四十四回ひねり変へたので、それは人間でもなく鳥でもない、けものでもない、何よりも、卑しい鼠にいちばんよく似てゐて羽根を持つた生物の姿に変へた。﹁最後の日まで盲目と暗黒の中に住み、永久にのろはれてゐよ﹂と、﹁誇り高き父﹂が言つたさうである。それで﹁黄たそ昏がれの逡ため巡らふ者もの﹂は手も足も萎え、眼も見えず、恐れ、うたがひ、ためらひながら、幽霊のやうな声で﹁死ぬ日まで、死ぬ日まで﹂と泣きさけびながらさまよひ飛ぶのださうである。
アルガイルの或る地方では、蝙蝠は鷲の三代、鹿の六代、人間の九代を生きると言つてゐる。もつと詩的でない正確さで勘定した人があつて、蝙蝠のあの逃げまはる時間が十三年で、一生の全部は三十三年だと言つた。また平均して二十一年のいのちだといふ人がある。リスモルの島から来た漁師の話では﹁蝙蝠の齢ですか? それはユダがキリストに接吻して敵の手に渡したその時のユダの齢と同じで、それより若くもなければ年寄でもないんです﹂と気やすく答へた。どの人もはつきりしたことは言へないらしい。
ある園丁の話したことでは、人間の齢の勘定をするのには、まづ蛙の齢は鰻の齢の二倍、蝙蝠の齢は蛙の齢の二倍、鹿の齢は蝙蝠の齢の二倍、それに十年を加へると普通の人間の齢になるといふ話。鰻の齢が大てい七年から七年半ぐらゐ、蛙はまづ十五年ぐらゐ、蝙蝠は三十年ぐらゐ、鹿は六十年ぐらゐ。この話をきかせた人は、はてな、鹿ではなく、鷲だつたかもしれないよ、と言つた。
中国の美しい織物やじうたんには、いつでも蝙蝠が現はされてゐる。福といふ字の連想からかそれとも別の伝説があるのか、いろいろさまざまの色で模様化された蝙蝠が典雅な富貴な姿に現はされてゐる。中国の蝙蝠は福であり、うらぎりものユダの連想なぞとはおよそ天地の遠さよりも、もつと遠いものであらう。日本では、蝙蝠はうらぎりものでもなく、めでたい福でもなく、ただ実在の夏の生物として夕涼みのとりあはせ位に思はれてゐるが、善でも悪でもなく、美でも醜でもないやうである。たぶん虫めがねで見たら醜怪な姿のものかもしれない。この世に蝙蝠はゐてもよろしいが、無くてもけつこうである。