一
ある国くにに、戦せん争そうにかけてはたいへんに強つよい大たい将しょうがありました。その大たい将しょうがいる間あいだは、どこの国くにと戦せん争そうをしても、けっして負まけることはないといわれたほどであります。 それほど、この大たい将しょうは知ちり略ゃく・勇ゆう武ぶにかけて、並ならぶものがないほどでありました。それですから、よくほかの国くにと戦せん争そうをしました。そして、いつも勝かったのであります。 あるとき、隣となりの国くにと戦せん争そうをしました。それは、いままでにない大おおきな戦せん争そうでありました。そして両りょ方うほうの国くにの兵へい隊たいが、たくさん死しにました。隣となりの国くにでは、今こん度どばかりは勝かたなければならぬといっしょうけんめいに戦たたかいましたけれど、やはりだめでした。そして、とうとう最さい後ごに負まけてしまいました。けれど、さすがの強つよい大たい将しょうも、今こん度どはやっと勝かったというばかりで、みな家けら来いのものもなくしてしまいました。 大たい将しょうは疲つかれて、生いき残のこったわずかな人ひとたちとともに、都みやこをさして戦せん場じょうから歩あるいてきました。そして、戦せん争そうのために荒あれはてた、さびしいところを通とおらなければなりませんでした。森もりも林はやしも、大たい砲ほうの火ひで焼やけてしまったところもあります。広ひろい野のは原らに、青あお草くさひとつ見みえないところもあります。まったく昔むかしの日ひと、あたりの景けし色きがすっかり変かわっていました。 ある日ひの暮くれ方がた、大たい将しょうは、まったく路みちに迷まよってしまったのであります。二
このとき、あちらから目めを泣なきはらした、貧まずしげな女おんながやってきました。その女おんなは、もうだいぶの年としとみえて、頭かみ髪のけが白しろうございました。 大たい将しょうは、女おんなを呼よび止とめて、都みやこへゆく路みちをたずねました。 ﹁あなたは、どなたさまでございますか。﹂と、年とし老とった女おんなは、泣なきはらした目めを上あげて尋たずねました。 ﹁おまえは、俺おれを知しらないのか、今こん度ど大だい戦せん争そうをして、ついに敵てきを負まかした、大たい将しょうが俺おれだ。﹂と、大たい将しょうはいわれました。 年とし老とった女おんなは、じっとその顔かおを見み上あげていましたが、 ﹁あなたは、地ち図ずをお持もちにならないのでございますか。﹂と申もうしました。 ﹁ああ、この大たい戦せんでみんな焼やけてしまった。﹂と、大たい将しょうは激げき戦せんの日ひの有あり様さまを目めに思おもい浮うかべて答こたえられました。 すると年とし老とった女おんなは考かんがえていましたが、さびしい細ほそい路みちを指ゆびさして、 ﹁これを、まっすぐにおゆきなさるとゆかれます。﹂と申もうしました。 大たい将しょうは、わずかな家けら来いを引ひき連つれて、その路みちを急いそがれました。けれど、どこまでいっても人じん家かがありません。やっとたどりついたところは、いつか激げき戦せんのあった、思おもい出だしてもぞっとするような戦せん場じょうであって、ものすごい月つきの光ひかりが照てらしていたのであります。三
﹁こんなところへきては、後うしろへもどるようなものだ。あのおばあさんは、うそをいったな。﹂と、大たい将しょうは怒おこられました。その夜よは野のじ宿ゅくをして、翌あく日るひ、またその道みちを引ひき返かえしたのです。 今こん度どは、あちらから、白しろい着きも物のをきて、髪かみを乱みだしたはだしの娘むすめがきました。大たい将しょうは、その娘むすめを呼よび止とめられました。 ﹁俺おれは、大たい将しょうだが、都みやこの方ほうへゆく路みちは、どういったがいいか。﹂と、おたずねになりました。 娘むすめは、悲かなしそうな顔かおつきをして、大たい将しょうの顔かおをながめていましたが、 ﹁この路みちをまっすぐにゆきなされば、あなたの思おぼし召めしなさるところへ出でられます。﹂と申もうしあげました。 大たい将しょうは、うなずかれて、この娘むすめは正しょ直うじ者きものらしいから、けっしてうそはいうまいと思おもわれて、娘むすめの指ゆびさした路みちを急いそいでゆかれました。 やはり、どこまでゆきましても、人じん家からしいものは見みあたりませんでした。やっと、たどり着つくと、そこはまだ新あたらしい墓はか場ばで、今こん度どの戦せん争そうに死しんだ人ひとのしかばねがうずまっていて、土つちの色いろも湿しめっていたのでありました。 ﹁俺おれは、こんなところへきたいと思おもったのでない。じつに不ふら埒ちなやつらだ。なんでこの名めい誉よある俺おれを、みんなが欺あざむくのだ。﹂と、さすがの大たい将しょうも、ひどくお怒おこりになりました。四
また、すごすごと、大たい将しょうはきた路みちをもどらなければなりませんでした。
そのうちに、いつしか、その日ひも暮くれかかったのであります。すると、あちらから、おじいさんが、つえをついてきました。大たい将しょうはそのおじいさんを呼よび止とめて、自じぶ分んは大たい将しょうであるが、都みやこへ帰かえろうと思おもって道みちに迷まよって、二ふた人りの女おんなたちに路みちをきいたら、みんなうそをいったが、それはどういうものだろうと問とわれたのであります。
おじいさんは、つえにすがって、背せを伸のばしながら答こたえました。
﹁年とし老とった女おんなは、母はは親おやであって、その子こど供もが戦せん争そうにいって、死しんだのを深ふかく悲かなしんでいるからでありましょう。﹂と答こたえました。
﹁そんなら、娘むすめは……。﹂と、大たい将しょうは問とわれました。
おじいさんは、
﹁その娘むすめは、結けっ婚こんして、まだ間まもないのであります。それを夫おっとが戦せん争そうにいって、死しんだのを深ふかく悲かなしんでいるからでありましょう。﹂と答こたえました。
おじいさんは、大たい将しょうに、都みやこにゆく路みちをていねいに教おしえました。大たい将しょうは、今こん度どは、まちがいなく都みやこに帰かえられました。そして、高たかい位くらいに上のぼりましたが、大たい将しょうは、また一面めんにおいて人にん情じょうにも深ふかかった人ひとで、死しんだ人ひと々びとに同どう情じょうを寄よせられて、ついに大たい将しょうの職しょくを辞じして、隠いん居きょされたということであります。