すずめは、もう長ながい間あいだ、この花はなの国くににすんでいましたけれど、かつて、こんなに寒さむい冬ふゆの晩ばんに出であったことがありませんでした。 日ひが西にしに沈しずむ時じぶ分んは、赤あかく空そらが燃もえるようにみえましたが、日ひがまったく暮くれてしまうと、空そらの色いろは、青あお黒ぐろくさえて、寒さむさで音おとをたてて凍いて破われるかと思おもわれるほどでありました。どの木きのこずえも白しろく霜しもで光ひかっています。ものすごい月つきの光ひかりが一面めんに、黙だまった、広ひろい野のは原らを照てらしていたのでありました。 すずめは、一本ぽんの枝えだに止とまって、この気きみ味わ悪るい寒さむい夜よるを過すごそうとしていたのです。そのとき、ちょうど下したの枯かれた草くさ原はらを、おおかみが鼻はなを鳴ならしながら通とおってゆきました。 山やまにも、沢さわにも、もはや食たべるものがなかったので、おおかみはこうして飢ひもじい腹はらをして、あたりをあてなくうろついているのです。すずめはそれを毎まい夜よのように見みるのでした。おおかみも今こん夜やは寒さむいとみえて、ふっ、ふっと白しろい息いきを吐はいていました。そして、氷こおりの張はった水すい盤ばんのような月つきに向むかって、訴うったえるようにほえるのでありました。 すずめは、さすがのおおかみもやはり、今こん夜やはたまらないのだと思おもって、黙だまって下したを見みていますと、おおかみは、急きゅうに腹はらだたしそうに、もう一度ど高たかい声こえで叫さけびをあげると、荒あれ野のを一目もく散さんに、あちらへと駆かけていってしまったのです。すずめはしばらく、その後うしろ姿すがたを見みお送くっていましたが、いつかその姿すがたは、白しろいもやの中なかに消きえて見みえなくなりました。 すずめは、もうこれから、長ながい夜よをなんの影かげも、また声こえも聞きくことがないと思おもいました。どうか、今こん夜やを無ふ事じに過すごしたいものだと思おもって、じっとして目めを閉とじて眠ねむる用よう意いをしたのです。しかし、寒さむくて、いつものように、どうしてもすぐには眠ねつくことができませんでした。 そのうち、急きゅうにあたりがざわざわとしてきました。驚おどろいて目めを開あけて見みまわしますと、いままで、さえていた月つきの面おもてには、雲くもがかかって北ほく西せいの方ほうから、寒さむい風かぜが吹ふいてくるのでした。すずめは、いよいよ天てん気きが変かわると思おもいました。 北ほっ国こくには、こうして、掌てのひらの裏うらを返かえさないうちに、天てん気きの変かわることがあります。 このとき、ここに哀あわれな旅たび楽がく師しの群むれがありました。それは年とし寄よりの男おとこと、若わかい二ふた人りの男おとこと、一ひと人りの若わかい女おんならでありました。この人ひと々びとは、旅たびから、旅たびへ渡わたって歩あるいているのです。そして、この荒あれ野のを越こして山やまをあちらにまわれば、隣となりの国くにへ出でる近ちか道みちがあったのです。もうこちらの国くにも思おもわしくないとみえて、その人ひとたちは、隣となりの国くにへゆこうとしたのでしょう。そして、道みちを迷まよって、こんな時じぶ分んに、ようやくここを通とおるのでありました。 みんなは、うすい着きも物のしかきていません。また、それほどいろいろのものを持もっている道どう理りとてありません。まったく、貧まずしい人ひとたちでありました。 みんなはたがいに慰いたわり合あいながら、月つきの光ひかりを頼たよりに歩あるいてきましたが、このとき、ちら、ちら、と雪ゆきが降ふってくると、もはや、一歩ぽも前まえへは進すすめなかったのです。 ﹁ああ、とうとう雪ゆきになってしまった。﹂と、一ひと人りの男おとこが、ため息いきをもらしていいました。 ﹁私わたしたちは、今こん夜やは、野のじ宿ゅくをしなければならないでしょうね。﹂と、若わかい女おんなが、頼たよりなさそうにいいました。 ﹁野のじ宿ゅくをするにしても、この雪ゆきではねるところもないだろう。﹂と、ほかの男おとこがいいました。 四人にんのものは、転ころげるばかりに、疲つかれと、不ふあ安んとで、もはや前まえへ踏ふみ出だす勇ゆう気きもくじけていたのです。 雪ゆきは、ますます降ふってきました。そして、たちまちのうちに、木きを、丘おかを、林はやしを、野のは原ら一面めんを、真まっ白しろにしてしまいました。月つきの光ひかりは、おりおり雲くも間まから顔かおを出だして、下したの世せか界いを照てらしましたけれど、その光ひかりを頼たよりに歩あるいてゆくには、あたりが真まっ白しろで、方ほう角がくすらわからなかったのであります。 ﹁おじいさんは、あんなに疲つかれていなさる。﹂と、先さきになっていた一ひと人りがいって、振ふり向むいて立たち止どまりました。すると、ほかのものも等ひとしく立たち止どまって、みんなから遅おくれがちになって、とぼとぼと歩あるいていた年とし寄よりを待まつのでありました。 ﹁ああ、みんなのもの、もう急いそいだってしかたがない。何なに事ごとも運うん命めいだ。私わたしたちが道みちを迷まよったのも、またこうして雪ゆきが降ふってきたのも、みんな運うん命めいだとあきらめなければならない。この雪ゆきでは、夜よみ道ちもできないだろう。そして、いつおおかみや、くまに出であわないともかぎらない。せめて、ここにある酒さけでもみんなして飲のんで、唄うたい明あかそうじゃないか。﹂と、おじいさんはいいました。 ﹁ほんとうにおじいさんのいいなさるとおりだ。私わたしたちは、長ながい間あいだ、仲なかよくして、諸しょ国こくを歩あるきまわってきたのだ。最さい後ごまで、おもしろく、いっしょに死しのうじゃないか。﹂と、若わかい男おとこの一ひと人りがいいました。 ﹁わたしは、悲かなしい。しかし、いまはどうすることもできません。すべての希きぼ望うを捨すててしまいます。﹂と、女おんなは涙なみだながらにいいました。 ﹁ああ、泣なくでない。若わかい女おんなや、若わかい男おとこが、このまま死しんでどうするものか、きっとすぐに生うまれ変かわってくる。私わたしのいうことを疑うたがうじゃない!﹂と、おじいさんはいいました。 みんなは、背せな中かに負おっている荷にも物つを下おろしました。そして、雪ゆきの上うえに拡ひろげて、徳とく利りに入いれて下さげてきた酒さけをついで、めいめいが飲のみはじめました。みんなは、いくら寒さむくても、酒さけの力ちからで体からだがあたたまりました。すると、おじいさんは、 ﹁さあ、みんなで歌うたうだ! 弾ひくだ! この世よでのしおさめに、力ちからのかぎり出だしてやるのだ。そして、くまも、おおかみも、山やまも、谷たにも、野のは原らも、心こころあるものを、みんなびっくりさしてやれ!﹂と、みんなを励はげましていいました。 やがて、ときならぬいい音ねい色ろが、山やま奥おくのしかもさびしい野のは原らの上うえで起おこりました。笛ふえの音ね、胡こき弓ゅうの音おと、それに混まじって悲かなしい歌うたの節ふしは、ひっそりとした天てん地ちを驚おどろかせました。おじいさんは雪ゆきの上うえにすわって音おん頭どをとりました。若わかい女おんなと、若わかい一ひと人りの男おとこは立たって踊おどりました。一ひと人りの男おとこは、やはり、雪ゆきの上うえにすわって胡こき弓ゅうを弾ひいていました。女おんなはいい声こえで歌うたい、立たって踊おどっている男おとこは、片かた脚あしを上あげて、唇くちびるに笛ふえを当あてて吹ふいていました。 雪ゆきは、いつしかやんで、月つきの光ひかりが、この下したのときならぬ舞ぶと踏うか会いをたまげた顔かおをしてながめていますと、いままで隠かくれていた星ほしまでが、三つ、四つ、しだいにたくさん顔かおを出だして、空そらの遠えん方ぽうからこの有あり様さまをのぞいていたのです。 木きの枝えだに止とまって、すべてのことを知しりつくしていたすずめは、悲かなしくて悲かなしくて、たまらなくなって、熱あつい涙なみだが目めからあふれて出でました。しかし、そのときの寒さむさというものは一ひと通とおりでなくて、目めから出でた涙なみだは、すぐに凍こおって両りょ方うほうの目めはふさがってしまいました。すずめは足あしをあげて目めをぬぐおうとしましたが、このときは、はや両りょ方うほうの足あしが枝えだの上うえに縛しばりつけられたように、凍こおりついて離はなれませんでした。 すずめは、つくづく寒かん気きというものを情なさけなしな、冷れい酷こくなものだと思おもいました。月つきも、星ほしも、また雪ゆきまでも、ああして感かん心しんして哀あわれな歌うたをきき、音おん楽がくに耳みみを澄すましているのに、寒かん気きだけが用よう捨しゃなく募つのることを、すずめは腹はらだたしくも、またかぎりないうらめしいことにも思おもったのです。 そのうちに、どうしたことか、歌うたの声こえも、音おん楽がくのしらべも、だんだん小ちいさく、低ひくく、遠とおのいてゆくのを感かんじました。けれど、すずめは、ついに明あくる日ひの朝あさまで身みう動ごきもできず、目めを開あけることもかなわず、鋳いも物ののように木きの枝えだに止とまっていました。 太たい陽ようが照てらしたときに、すずめは、はじめてあたりのようすを知しることができたのです。 ﹁昨ゆう夜べのことは、みんな夢ゆめではなかったか、あの人ひとたちは、どうなったのだろう?﹂と、すずめは、小ちいさな頭あたまを傾かたむけて思おもいました。なぜなら、あたりは、雪ゆきが二尺しゃくも、三尺じゃくも積つもっていて、そのほかには、なにも目めの中なかに入はいらなかったからです。 それからは、長ながい間あいだ、すずめは、このことが不ふ思し議ぎでならなかったのです。すずめは毎まい日にち、雪ゆきの中なかを山やまのあちらへ、また、林はやしのこちらへと飛とびまわって、だれも通とおらない、さびしい雪ゆきの広ひろ野のを見みわ渡たして鳴ないていました。 そのうちに冬ふゆも老たけて、だんだん春はるに近ちかづいてまいりました。ある日ひのこと、西にし南みなみの空そらのすそが、雲くも切ぎれがして、そこから、なつかしいだいだい色いろの空そらが、顔かおを出だしていました。すずめは、木きの枝えだに止とまって、じっとその方ほうを見みてぼんやりとしていました。 暖あたたかな南みなみの風かぜが吹ふいてきました。それからというもの、毎まい日にちのように、南みなみの風かぜが吹ふき募つのって、雪ゆきはぐんぐんと消きえていきました。すずめは、もう冬ふゆも逝いってしまうのだと、体からだを円まるくして、心ここ地ちいい、暖あたたかな風かぜに羽はねを吹ふかれながら、いままで埋うもれていた山やまの林はやしや、また野のは原らの木こだ立ちが、だんだんと雪ゆきのなかに姿すがたを現あらわしてくるのを楽たのしみにしていたのです。 ﹁ああ、じきに花はなが咲さくころともなるだろう。そうすると、他たこ国くの方ほうから、名なの知しらないような美うつくしい鳥とりが飛とんできて、林はやしや森もりの中なかで唄うたをうたうであろう。それを聞きくのがたのしいことだ。﹂と、この山やまのふもとに生うまれて、この野のは原らと、林はやしとしかほかのところは知しらないすずめは、せめて他たこ国くの鳥とりの唄うたを聞きくことを幸こう福ふくに思おもっていたのです。 すると、ある暖あたたかな晩ばんに、すずめは野のは原らの中なかから、笛ふえの音ねと、胡こき弓ゅうの音おとと、悲かなしい唄うたの声こえを聞ききました。すずめは、それを聞きくとびっくりしました。いつかの哀あわれな旅たび楽がく師しを思おもい出だしたからです。 いままで、その野のは原らの中なかに凍こおっていた、それらの音ねい色ろが、南みなみの風かぜに解とけて、流ながれ出だしたものと思おもわれます。しかし、その人ひとたちの死しが骸いは、飢うえたおおかみやくまに食たべられたか、見みつかりませんでした。ただ、この物もの悲がなしい音ねい色ろは、風かぜに送おくられて、その後のち、幾いく夜よも、この広ひろ野のの空そらを漂ただよっていたのです。