年としちゃんの友ともだちの間あいだで、ハーモニカを吹ふくことが、はやりました。はじめ、だれか一ひと人りがハーモニカを持もつと、みんながほしくなって、つぎから、つぎへというふうに、買かったのであります。けれど、みんなは、それを吹ふき鳴ならすことを覚おぼえないうちに、やめてしまったけれど、年としちゃんだけは、べつに教おそわりもせずに、いろいろの歌うたを吹ふけるようになりました。 ﹁学がっ校こうのことが、そういうふうにできるといいのですけれどね。﹂と、お母かあさんが、おっしゃいました。 ﹁いや、なんだって、上じょ手うずになればいいさ。年とし坊ぼうは、音おん楽がく家かになるかな。﹂と、お父とうさんは、笑わらわれました。 しかし、学がっ校こうのことは、ハーモニカのようには、ゆきませんでした。それだけでなく、試しけ験んが近ちかづいてきても、年としちゃんは、遊あそんでばかりいるので、お母かあさんは心しん配ぱいなさいました。 ﹁そんなに遊あそんでいてもいいのですか？﹂ そうお母かあさんにいわれると、さすがに、年としちゃんも心しん配ぱいになるとみえて、ご本ほんを出だしたり、また、お姉ねえさんや、お兄にいさんから算さん術じゅつのわからないところをきいたりして、勉べん強きょうをしましたが、それも、そのときだけで、いつかまた遊あそんでしまったのです。 やがて、試しけ験んも終おわり、いよいよ今きょ日うは、通つう信しん簿ぼをもらうのでありました。 ﹁どんなお点てんをもらってくるでしょうか。﹂と、お母かあさんと、お姉ねえさんは、年としちゃんの帰かえるのを待まっていられました。 すると、なにか鼻はな唄うたをうたいながら、小ちいさなくつの足あし音おとがして、つぎに、ご門もんの戸とが開あきました。年としちゃんが、帰かえってきたのです。 ﹁ただいま。﹂と、いつものように、年としちゃんは、ごあいさつをしました。 ﹁どう？ 年としちゃん。﹂と顔かおを見みるや、お姉ねえさんが、おききになりました。 ﹁ガア、ガア、いう声こえがきこえた？﹂と、年としちゃんは、いいました。 ﹁なあに、ガア、ガア、って？﹂ ﹁僕ぼく、たくさん、あひるをもらってきたから。﹂と、年としちゃんは、朗ほがらかなものです。 ﹁まあ、乙おつばっかしなの？﹂と、こんどは、家うちじゅうが、大おお笑わらいになりました。 ﹁丙へいがなかっただけでも、ありがたいのですよ。さあ、この通つう信しん簿ぼをお仏ぶつ壇だんの前まえにおあげなさい。﹂と、お母かあさんが、おっしゃいました。 ﹁年としちゃん、きょうは、ラジオで、ハーモニカの上じょ手うずな方かたがなさるから、よくおききなさいね。﹂と、お姉ねえさんが、いわれました。 ﹁僕ぼく、きくよ。﹂ やがて、その時じか間んになると、年としちゃんは、上うわ衣ぎのかくしから、よごれたハンカチを出だして、自じぶ分んのハーモニカを拭ふいてちゃんとラジオの前まえにすわりました。みんなは、そのまじめなようすがおかしいので、くすくすと笑わらいました。 けれど、年としちゃんだけは、真しん剣けんでした。そのうち、ラジオのハーモニカが、はじまりました。名めい人じんだけあって、それはうまいもので、ピアノの音ねも出でれば、バイオリンの音ねも出でたのであります。 年としちゃんは、はじめは、それに合あわせるつもりでしたが、たちまち、その元げん気きはどこへやら消きえて、しまいには、ハーモニカを吹ふくのをやめて、ただ、石いしのように、だまったまま、下したを向むいてきいていました。 やっと、その、ハーモニカが、終おわると、お兄にいさんは、 ﹁うまいもんだな。どうだ、年としちゃん、問もん題だいにならないだろう。﹂と、いいました。 お姉ねえさんまでが、 ﹁どう？ 年としちゃん。﹂と、お笑わらいになりました。 なんといわれても、年としちゃんは、ただ、だまっていました。そのようすが、いかにもしおらしかったのです。 これをごらんになった、お母かあさんが、 ﹁ねえ、年としちゃんも、いんまには、ああいうように上じょ手うずに吹ふけますね。﹂と、おっしゃってくださいました。 これを聞きくと、年としちゃんは、急きゅうに、味みか方たを得えたというよりは、悲かなしくなったのでしょう。お母かあさんの胸むねにとびつくようにしてその顔かおをふところのあたりへ埋うめました。そして、目めから、ぽろぽろと涙なみだを出だしていました。 ﹁お母かあさんだけが、ほんとうに、自じぶ分んを知しっていてくださる。﹂と、年としちゃんは、強つよく心こころで叫さけんだのでした。 その後のち、お母かあさんが、 ﹁さあ、おさらいをしましょう。年としちゃんは、勉べん強きょうをすれば、よくできるんだから。﹂と、おっしゃいますと、年としちゃんは、ほんとうにそうだ。勉べん強きょうをして、自じぶ分んは、よくできるようにならなければならぬ、と思おもうのでありました。