ある村むらに人ひとのよいおばあさんがありました。あるとき、お宮みやの境けい内だいを通とおりかかって、たいへん、そのお宮みやがさびしく、荒あれてしまったのに心こころづきました。 むかし、まだおばあさんが、若わかい娘むすめの時じぶ分んには、そんなことはなかったのであります。盆ぼんには、この境けい内だいで、みんなと唄うたをうたって踊おどったこともありました。その時じぶ分んには、みんなが、よくお詣まいりにきたものです。 ﹁世よの中なかも末すえになったとみえる。神かみさまを大だい事じにしない。もったいないことだ……。﹂と、おばあさんは、思おもったのでした。 家いえに帰かえってからもおばあさんは、そのことを思おもっていました。 ﹁おばあさん、つるを折おっておくれよ。﹂と、孫まごたちが、色いろ紙がみを持もって、おばあさんのところへやってきました。 おばあさんは、つるを上じょ手うずに折おって、子こど供もたちによくわけてくれたからです。 ﹁よし、よし、折おってやるよ。﹂と、おばあさんはいいました。しなびた指ゆびさきで、目めをしょぼしょぼしながら、おばあさんは、赤あか・青あお・黄きの紙かみで、いくつも小ちいさなつるを折おっていました。そのとき、ふと、千羽ばづ鶴るを造つくって、お宮みやへ捧ささげたら、自じぶ分んだけは神かみさまをありがたく思おもっている志こころざしが通とおるだろうと考かんがえたのです。 おばあさんは、孫まごたちに、幾いくつも造つくってやった後あとで、念ねんをいれて、神かみさまに捧ささげるつるを造つくりました。それを糸いとでつないで、お宮みやの拝はい殿でんの扉とびらの格こう子しにつるしました。おばあさんは、手てを合あわせて、拝おがんで、 ﹁これで、すこしは、にぎやかになった。﹂といいました。さびしい神かみさまの目めを楽たのしませることができれば、自じぶ分んの願ねがいは達たっすると思おもったのであります。 おばあさんの造つくって、上あげた千羽ばづ鶴るは、寒さむい風かぜに吹ふかれてひらひらとしていました。その夜よ、おばあさんは、家うちにいて、お宮みやの扉とびらに下さがった、千羽ばづ鶴るがどうなったろうと思おもっていました。 寝ねてからのことであります。一羽わの白しろいつるが窓まどから飛とび込こんできて、おばあさんに向むかっていいました。 ﹁神かみさまからいいつかってきた、使つかいのものです。さあ、早はやく私わたしの脊せの上うえに乗のってください。いいところへ連つれていってあげますから。﹂と、白しろいつるはいいました。 ﹁おまえは、私わたしが造つくって、神かみさまに捧ささげた千羽ばづ鶴るの中なかの白しろいつるじゃないか?﹂と、おばあさんは、たずねました。 ﹁そうです。今きょ日うは、天てん気きがいいから、ひとおもいにあちらへ駆かけていかれます。﹂ おばあさんは、つるの脊せな中かに乗のりました。夜よるだと思おもったのが、いつか大おお空ぞらを駆かけると、空そらは青あお々あおとして澄すんで、日ひの光ひかりはいっぱいに輝かがやいて、じつにうららかな、いい天てん気きでありました。 そのうちに、つるは、海うみの上うえを渡わたって、広ひろ々びろとした野のは原らの上うえへ降おりたのであります。 ﹁さあ、ここが極ごく楽らくというところです。﹂と、つるは、いいました。 おばあさんは、話はなしに聞きいている極ごく楽らくとは、だいぶようすが変かわっているので、びっくりしました。べつにりっぱな御ごて殿んのようなものも、また絵えにある天てん人にんのようなものも見みなかったからです。ただ美うつくしい赤あかい花はなが一面めんに咲さき乱みだれて、それが、どこまでもつづいていました。そして、あちらは光ひかりの海うみのように、ゆけば、ゆくほど明あかるかったのでした。 このとき、あちらの道みちを子こど供もが、馬うまの上うえにまたがって通とおりかかりました。おばあさんは、よく見みると、子こど供もは、おばあさんが、お嫁よめにきてから、最さい初しょに生うまれた男おとこの子こで、五つになったとき、病びょ気うきで死しんだ、その子こでありました。おばあさんは、この年としになるまで、この子こど供ものことを忘わすれることができなかったのでありました。 馬うまは、またおばあさんの家うちで、長ながく働はたらいた、見みお覚ぼえのある馬うまでした。他たに人んの手てに渡わたってから、どうなったであろうと、つねに思おもっていた馬うまでありました。不ふ思し議ぎに、その馬うまに、子こど供もが乗のっていたのでありましたから、おばあさんは、大おお急いそぎで後あとを追おいかけました。子こど供もは、こちらを振ふり返かえって、にっこりと笑わらって、そのまま明あかるい、輝かがやかしい、あちらを指さして走はしっていってしまいました。 ﹁早はやく、私わたしを、あちらへ乗のせていっておくれ。﹂と、おばあさんは、つるに向むかっていいました。 白しろいつるは、おばあさんを脊せな中かに乗のせて、大おお空ぞらを飛とびました。 おばあさんは、高たかくなったり、低ひくくなったり、体からだが揺ゆられたかと思おもうと、いつしか夢ゆめからさめたのであります。 ﹁お宮みやへ捧ささげた千羽ばづ鶴るはどうなったろう。﹂と、おばあさんは思おもいました。 二、三日にちたってから、おばあさんは、お宮みやへいってみました。ちょうど拝はい殿でんの縁えんに、赤あかん坊ぼうをおぶった女おんなの乞こじ食きが、腰こしをかけて休やすんでいました。そして、赤あかん坊ぼうの手てには、おばあさんが折おって捧ささげた、千羽ばづ鶴るの中なかの一羽わが、大だい事じそうに握にぎられていました。 赤あかん坊ぼうは、それをどんなに喜よろこんでいたでしょう。母はは親おやが、いまどんなに疲つかれているか、また空くう腹ふくに悩なやんでいるか、そんなことも知しらずに、無むじ邪ゃ気きにつるを持もって笑わらっていました。 この有あり様さまを見みると、おばあさんは、深ふかく哀あわれを催もよおしたのです。自じぶ分んの神かみさまに捧ささげた千羽ばづ鶴るの一羽わを、神かみさまがこの赤あかん坊ぼうにくだされたのにちがいないと思おもいました。おばあさんは、神かみさまを喜よろこばしたばかりでなく、赤あかん坊ぼうを喜よろこばしたので、たいへんにいいことをしたと思おもいました。おばあさんは、ふところから財さい布ふを出だして、銭ぜにを女おんなの乞こじ食きにやりました。その乞こじ食きは、たいそう喜よろこびました。そして、幾いくつも頭あたまを下さげて、おばあさんのしんせつを感かん謝しゃしました。 おばあさんが、お宮みやの境けい内だいから出でてゆく後うしろ姿すがたを、乞こじ食きは、見みお送くっていましたが、やがて見みえなくなると、神かみさまに向むかって、おばあさんの身みの上うえにしあわせのあるようにと祈いのったのであります。 お宮みやの中なかは、しんとしていました。おばあさんの捧ささげた、千羽ばづ鶴るがひらひらと風かぜになびいていました。