1
眠りから覚めて目を開くまでの時間は、ごく短い。二秒ないだろう。 目を覚ましたぼくは、自分が寝ている場所の香りにあらためて気づき、いつもの自分の場所ではないところに自分が眠っていたことを認識しなおした。 ぼくは、目を開いた。天井が見えた。見なれない天井のたたずまいに、部屋の香りはよく似合っていた。香りというよりも、匂いだろうか。ベッドに違和感があった。なれた自分のベッドではなかった。 あおむけになっていた体を横にむけつつ、ぼくは上体を起こした。ベッドの縁にすわり、両足をフロアに降ろした。板張りのフロアの感触が、足の裏に新鮮だった。 すわっているぼくの正面に、窓があった。幅のせまい何枚ものガラスのブラインドが、おたがいに平行な段になって、水平にかさなりあっていた。そのブラインドがつくる、横に細いいくつものすきまから、外が見えた。 外には、午後まだ早い時間の、明るく強い陽ざしが充満していた。冬の東京から、ほんの数時間まえ、ぼくはこの島に来た。島は、北回帰線と北緯二〇度線とのちょうど中間に位置していた。 立ちあがったぼくは、Tシャツを脱いだ。ブラインドの外の陽ざしは強くて暑そうだが、眠っているあいだ着ていたTシャツは、汗を吸っていなかった。この感触は、久しぶりだ。 浴室へいき、ぼくはシャワーを浴びた。熱い湯を頭から浴び、顔を洗い体を洗っていくと、時差によって頭のなかがかすかにぼうっとした感じは、ほとんど消え去った。 島の空港に着いてすぐに、ぼくはこのアパートメントまで来て、この部屋の新たなる入居者となり、部屋でする最初の作業として、時差ぼけをとるための昼寝をした。このアパートメントは、部屋代がきわめて安い。そして、居心地は悪くない。ぼくは、気にいっている。昼寝から目覚めた場所が、観光客用の普通のホテルの部屋ではないことを、ぼくはうれしく思った。そのような部屋では、時差ぼけがとれにくいようにぼくは思う。 シャワーを終わり、体をタオルでぬぐった。タオルの香りに、懐かしさがあった。裸でキチンへいき、冷蔵庫を開き、缶ビールを一本、とり出した。プリモの12オンス缶だ。このビールは、かつてはこの島のアイエアで醸造されていたのだが、いまではカリフォルニア産だ。貴族の戦士を円形のなかに描いた下にあるリボンには、まだこの島のビールだった頃には、アイランド・ブリュード︵この島での醸造︶とうたってあった。いまでは、そのリボンのなかには、SINCE 1897と、創業の年号が記されているだけだ。そして、そのさらに下に、﹁この列島の偉大なる伝統をふまえて﹂という文句がそえてある。﹁この島での醸造﹂は、いつのまにか、﹁この列島の偉大なる伝統をふまえて﹂に、変わってしまった。2
プリモによって、時差ぼけのかすかな残りは、きれいに消えた。ぼくは、服を着た。十五年前のアロハ・シャツに、着古したリーヴァイス。それに、白いスニーカーだ。ぼくは、部屋を出た。一階まで降りていき、外の陽ざしへ出ていった。陽ざしは、暑くて心地よかった。バス・ストップまで歩き、やがてたいぎそうに走って来たザ・バスに乗り、ダウン・タウンまでいってみた。 これといったあてもなく、ぼくはダウン・タウンを歩いた。あのブックストア、このドラグ・ストアと、懐かしい道順をたどっていったぼくは、やがて、THE LEGARTと看板の出ている小さな店を目にとめた。ストアフロントのつくりや看板の出来ばえにひかれたぼくは、その店のまえに立ち、ディスプレー・ウインドーのなかを見た。 その店は、女性の脚線美をテーマにした写真を専門に扱っている店だということが、すぐにわかった。脚線美、という、見ただけですでに充分に美しい三つの漢字による言葉を思いうかべながら、ぼくはその店に入った。 奥にむかって細長い店の、左右の壁面いっぱいに、写真のディスプレーの棚がつくってあった。絵葉書をふたまわりほど大きくしたサイズの写真が、こまかく仕切った棚のなかに、びっしりと収納してあった。 何千点あるだろうか。脚線の美しさをあらわにして、ありとあらゆるポーズをとっている美女たちの写真が、いっせいにぼくにむかって飛びかかってくるようだった。写真はすべてモノクロームであり、そのために脚線美の人工的な印象は高い次元まで増幅されていた。 ほんのりと冷房のきいた店内に、客はぼくひとりだった。ぼくは、写真をひとつひとつながめた。一九三〇年代から現在にいたるまでのハリウッドが世に送り出した、有名無名のさまざまな美女たちの、脚線美ポーズ写真だ。そのなかで圧倒的に多いのは、一九四〇年代から一九六〇年代いっぱいの期間にかけて活躍した女優たちの写真だった。懐かしい顔と名前が、いくつもみつかった。 どの脚も、それぞれに、とび抜けてきれいだった。映画スターを専門に撮っていた優秀な写真家たちが、技術を駆使してものにした写真だから、彼女たちの脚線が美しいのは当然だろう。 選び抜いて一枚、ぼくは買った。 ﹁賢明に選んだね﹂ と、白人男性の店員が、言った。三十代前半の彼はたいへん真面目そうであり、鼻の下に髭をたくわえていた。真面目くさった顔に、ふいに微笑がにこっと浮かぶとき、彼はひどく気の弱そうな雰囲気になった。 ニュース・スタンドで波乗りの雑誌の最新号を買い、早めの夕食をすませ、ぼくは部屋に帰った。脚線美の写真を寝室の壁に、そして波乗りの雑誌から切り抜いたパイプラインの写真を居間の壁に、それぞれピンでとめて、アパートメントの部屋はたちまち自分のすみからしくなった。3
TVの画面には、そのシーフード・レストランの店内が映っていた。若い女性アナウンサーの声が、画面外から聞こえていた。その店の営業時間は十一時から十一時まで、そして﹁サーヴィス・イズ・コンティニュアス﹂つまり休み時間なしであり、店の場所はケワロ・ベイスンのむかい側、﹁アクロス・フラム・ケワロ・ベイスン﹂だそうだ。女性アナウンサーの声質と抑揚はあきらかに東洋系なのだが、彼女の気持ちは東洋から離れて、出来るだけアメリカに近づこうとしていた。 日本のビールのCMが、そのあとに続いた。それからクリーニング店の宣伝。そして、ばらの花の専門店のCMがあった。喋っているのは、完璧なカリフォルニアなまりの若い女性だった。その店の電話番号をひとつに続けて言うときの彼女の発音を、ぼくは面白半分に真似してみた。 次のCMがはじまり、声は中年の男性に変わった。ニール・ブライスデル・センターで、今年のニュー・モデルの展示会が三日間にわたって開かれるという。展示されるのは、フォルクスワーゲン、ニッサン、そしてルノーだ。入場は無料であり、毎日一台、抽選で入場者に新車が当たる。この島に住んでいる人で、無効になっていない運転免許証を持っている人であれば誰にでも資格があるのだそうだ。 新車展示会のCMが終わると、TVの画面には、天井でゆっくりとまわっている扇風機が映った。天井で回転する、クラシックなスタイルの扇風機を専門に扱っている店のCMが、はじまった。 ぼくは、ベッドにすわってヘッドボードに背をもたせかけ、TVの画面を見ていた。TVは、部屋のむかい側の壁によせたドレッサーの上にあった。部屋の明かりは、消してあった。カラーTVの画面だけが、鮮明にまばゆかった。 TVに映る絵は、つまらない。東京では、もっとつまらない。アナウンサーたちが言っていることも、おなじくつまらない。ぼくは両足をフロアに降ろして立ちあがり、部屋のむこうへ歩いた。そして、TVをオフにした。 ベッドまでひきかえし、ぼくはあおむけに横たわった。救急車のサイレンが、遠くに聞こえた。明日、ラジオを買おう、とぼくは思った。この部屋にラジオがあれば、ひとりで過ごす夜のこんな時間に、たとえばAM1420KHzのKCCN局を聴くことが出来る。 ラジオと、それからタイプライターも、買わなくてはいけない。タイプライターは、いまぼくがこの島に来ている目的のために、ぜひとも必要なものだ。4
あくる日の朝、まだ早い時間に、ぼくはアパートメントを出た。三ブロック歩いておもての大通りへ出ていき、朝刊を買った。 ウールワースのレストランでその朝刊を読みながら、ぼくは朝食をとった。つまらないことばかり書いてある朝刊だった。一面に出ている本日のジョークさえ、つまらなかった。 朝食を終わる頃には、その新聞にうんざりしてしまった。なんでもいいから、夢中になって読むことの出来るような文章を読みたい、とぼくは思った。 ウールワースを出たぼくは、ザ・バスに乗り、ショッピング・センターへいった。巨大なショッピング・センターのなかでスーパー・マーケットを二、三軒まわり、それからブックストアへいくと、自分の気持ちのなかのリズムは、急速にその町の持つリズムに同調していった。 一階にある大きなブックストアで、ぼくは時間をかけて本をさがした。ハード・カヴァーの本を一冊と、きわめて文芸的な同人雑誌を一冊、ぼくは買った。ハード・カヴァーの本は、この島で昔から肉体労働を続けてきた人たちを何人もインタヴューし、彼らの生活を彼ら自身の言葉によって語らせ、そのまま文章にして収録した、面白そうな本だった。 同人雑誌には、詩やエッセイ、そして短編小説が、おさめてあった。ワード・プロセサーで打ったものをそのまま印刷原稿にした、なんの愛想もない、簡潔なつくりの小さな雑誌だった。 ぼくは、公園まで歩いた。今日のように空がまっ青で陽ざしが強く、風がさわやかな日に、公園にむかって歩いていると、公園につくまではなんだかとてもきまり悪いことをしているような気になる。いまごろになって、のこのこと公園へ歩いていくとは。もっと早くに、とっくに、公園で草の上に横たわっていなくてはいけない。 大きな樹が草の上につくる影のなかに横たわり、ぼくは買ってきたばかりの同人雑誌を読んだ。三編ある小説のうち、いちばんはじめのひとつを、ぼくは読んだ。その物語には、﹃王子たちのための美しい波﹄という意味のタイトルが、ハワイ語でつけてあった。 ぼくがその物語を読んでいるあいだずっと、雑誌のページは、風を受けて小さくはためき続けた。物語は、たいへんに面白かった。的確な言葉づかいがいずれ必ず生み出す良質の叙情が、端正にくっきりと展開していくストーリーに、美しくよりそっていた。 島のなかにある山の描写から、物語はスタートしていた。描写はやがてその山のなかにある巨大な岩へと移り、その岩の側面に簡潔な線で描かれた壁画を、作者は自分の文章によって浮き立たせた。サーフボードで大波に乗っている若い男性を描いた壁画だった。 まだこの島に人が定住していなかった大昔に描かれた壁画であることが科学的に判定されていくプロセスが、その物語にとっての助走路となっていた。そしてそこから、小説的な想像力によって、まるで神話のように面白いストーリーが、展開してあった。5
現在のタヒチ、あるいは位置的にタヒチのごく近くに設定された架空の島に、王国が繁栄していた。南太平洋にヨーロッパから白人たちがやってくる遥か以前の時代だ。 その王国の王が、病気にかかる。病気は、なかなか治らない。一進一退の状態が、長いあいだ続く。王は、次第に弱っていく。僧侶や占い師、医師、魔法使いたちは、やがて、王の運命に関して、それぞれに判定を下す。王の病は不治であり、彼の寿命はすでに尽きている、と彼らは判断する。 王には、それぞれ腹ちがいの息子が、三人いる。その三人の息子を、王は病床の枕もとに呼びよせる。そして、彼ら三人に、王は次のように命令する。 双胴のカヌーをつくれ。そして、大海へ漕ぎ出せ。海の果てまでいくつもりで、何日も航海を続けよ。やがて、列島に到着するであろう。その列島のいちばん南にある島に上陸せよ。海に沿って右まわりに海岸線をいくと、ひとつの湾に出る。その湾には、これまで誰も見たことのないような巨大な波が出来る。その湾の波がもっとも大きくなるときを待ってその波を乗りこなし、しかるのち再びこの王国に帰ってこい。そして、その大波について、私に報告せよ。 命令を受けた三人の息子たちは、双胴のカヌーの建設にとりかかる。やがてカヌーは完成する。王の息子たちはそのカヌーに乗りこみ、大海原の果てにむけて航海をはじめる。 海は、荒れる。しかし、航海は続いていく。海とその波しか見えない日々が、続いていく。王が語っていた列島はほんとにあるのだろうかと三人が思いはじめる頃、行手に島影が見えてくる。 三人の青年たちは、いちばん南の島に上陸する。王の言葉どおり、海に沿って右まわりに島をまわっていくと、王が詳しく描写してくれたとおりの湾にたどりつく。湾そのものは、王が言っていたとおりだが、沖の海には波はまったくない。 青年たちは、湾のそばに小屋を建てる。日々を、そこで過ごしていく。季節は微妙に変化していき、やがて湾の沖には、大きく波が出来はじめる。 湾のすぐうしろに、深い谷を刻んでどっしりと横たわっている山なみと対比して、海にも波によって山が出来ていると表現してさしつかえないほどにその波が巨大となった日の朝、三人の青年たちは王国から持って来たサーフボードで、その大波に挑む。 三人のうちひとりは、サーフボードからほうり出されて大波の底にまきこまれ、怪我をする。しかし、青年たちは、その湾の沖に出来る大波を、一日がかりでそれぞれ見事に征服する。 そのことの証明として、彼らは、あくる日、湾から山にむかって渓谷をわけ入ったところにある滝の近くの大きな岩の側面に、大波に乗っている自分たちを、簡単な線画で描く。彼らはカヌーに乗り、自分たちの島をめざして帰っていく。 彼らが王国に帰ってみると、王はすでにこの世の人ではない。王の魂をこの世に呼びもどすための儀式が、おこなわれる。帰ってきた王の魂にむかって、三人の青年たちは、征服してきた大波のことを報告する。6
青年たちがカヌーに乗ってでかけていった島は、もちろん、この島だ。そして、大波が出来る湾は、いまもこの島にある。 同人雑誌にのっていたこの物語を面白く読んだぼくは、今日はこれからタイプライターを買おうと思い、公園を出ていった。ショッピング・センターのバス・ターミナルまで歩いていき、バスに乗った。途中でバスを乗り換え、大学までいった。 大学は、ぼくが通っていた頃と、ほとんどおなじだった。CO−OPのある建物までいき、タイプライターやワード・プロセサーなどを売っている場所をみつけた。 売場の主任らしい白人のおばさんに、どんなタイプライターをさがしているのか、ぼくは伝えた。 ﹁信頼のおけるアメリカ製の、最新モデルのタイプライターを一台、買いたいのです。原稿をかなり大量に書きますから、使い勝手がよくて、しかもこてんぱんに使えるのがいいです﹂ ぼくの言葉に彼女は自信を持ってうなずき、一台の電子タイプライターのところへ、ぼくを導いてくれた。 そのタイプライターをおばさんは示し、 ﹁これは店頭のデモンストレーション用だから、好きなだけさわってみてくれていいのよ﹂ と、言った。そして、電源コードをつなぎ、本体のうしろにあるスイッチをオンにしてくれた。 ﹁さあ、どうぞ﹂ 髪のつくりから化粧のしかた、半袖のブラウスに包みこまれた胸のふくらみ、腰のたくましさ、スカートのフレアのしかた、そして、はきやすそうな靴におさまった大きな足にいたるまで、実用的で陽気な活動性をフルにたたえた上品さを、その主任のおばさんは自分のものとして持っていた。 彼女がすすめてくれたそのタイプライターを、ぼくは気にいった。大学生が勉強のために使うものというよりも、どちらかと言えばオフィス・マシーンだろう。しかし、おおげさなところはどこにもなく、サイズも大きすぎない。実用に徹していながら、すっきりとぜんたいをまとめたデザインのしかたには、押しつけがましさがまったくなかった。長い時間にわたって目のまえに見続けても、いっこうに飽きないし、いやにならないだろう。キーのタッチは素晴らしく、印字するときの音も、ぼくの好みだった。リターンのスピードも、たいへんいい。 しばらくほかの客の応対をしていたおばさんは、やがてぼくのところにもどって来た。 ﹁どうかしら﹂ と、彼女はきいた。 ぼくは、うなずいた。 ﹁いいです。とても、いいです﹂ ﹁勉強する気がおきてくるようなタイプライターでしょう。本格的なマシーンよ﹂ ﹁そのとおりですね﹂ はじめに装填したタイプライター用紙は、すでにぼくの試し打ちでいっぱいになっていた。ぼくは、紙を交換した。あらためてタイプライターとむきあい、この店に入って来たときから静かに聞こえていた音楽に、ぼくは自分の気持ちを重ねあわせた。 電気ベースにリード・ギター、そしてリズム・ギターがふたりに、ウクレレがひとり。以上、五人のグループによるハワイ音楽だ。 ダブル・ストラミングでウクレレを弾いている女性が、このグループのリード・シンガーらしい。彼女のソプラノによるハワイ語の歌詞を、ぼくは頭のなかで追いかけてみた。 'Auhea wale 'oe ku'u lei nani Ho'i mai no kaua la e pili. Kou aloha Ka'u e hi'ipoi nei 'A kuikui 'eha i ko'u mana'o. 'Ano'ai ka pilina 'ole E lei 'a'i 'oe me ku'u lei. 聞きとることの出来た歌詞を、ぼくはタイプライターで紙の上に叩き出していった。東京に置いてあるぼくの古いタイプライターは手動式だが、いまぼくが叩いているこれは、電子タイプライターだ。キーに指さきをほんのすこしだけ力をこめて触れるだけで、気持ちのいい感触と音とともに、紙の上にくっきりと印字されていく。 ぼくのハワイ語の聞きとり能力には、明らかに限界があった。ほんの数行で、ぼくはソプラノに置きざりにされてしまった。 ぼくのかたわらに立って見おろしていたおばさんは、ぼくが打った文字を見て、何度もうなずいてくれた。 ﹁まちがってないわよ。そのとおりよ﹂ と、彼女は言った。 ﹁いまの歌は、これまでにいろんなところで何度も聞いたことのある歌です。なんというタイトルの歌でしたっけ﹂ 彼女を見上げて、ぼくはきいた。 ﹃レイ・ナニ﹄という歌だと、彼女は教えてくれた。レイ・ナニ。美しいレイ。 リード・シンガーのほかにもうひとりソプラノがいて、さらにアルトが加わる。女性トリオという伝統的なかたちを、男性によるリード・ギターと電気ベースとが支えていた。フラのための快適なテンポの歌を、トリオ・ワヒネは、堂々とうたった。 ﹁このタイプライターにします。これを、買います﹂ そう言いながら、ぼくは、女性トリオの三人たちの姿かたち、容貌、喋りかた、笑い声などを、ひとりずつ、想像のなかにつくってみた。7
五人とも、おそろいのアロハ・シャツを着ている。模様は、やはり花の模様がいい。ややシックな感じで、白抜きの花模様がいいだろう。地の色は、そう、グリーンだ。 グリーンの地に、花模様を白く抜いたおそろいのアロハ・シャツを、五人は着ている。そして、五人とも、下はスラックスにしよう。白いスラックスだ。男性たちふたりは白い靴をはき、三人の女性たちは白いサンダルだ。 彼らのLPのジャケットのために写真を撮影するなら、彼らを芝生の上に一列にならべて立たせると、平凡ではあるけれどうまくおさまるのではないだろうか。彼らのすぐうしろには、羊歯のような植物がうっそうと茂って、壁のように高くあるといい。三人の女性たちの両わきに、男性がひとりずつ立つ。 女性たちは、左から順に、リズム・ギター、もうひとりリズム・ギター、そして、ウクレレだ。いちばん左の女性は、その体に横幅と厚みがたっぷりとある、ポリネシアンだ。ストラップで肩からかけているギターが、ひとまわり小さく見えるほどの、堂々とした体格だ。表情も人としての雰囲気ぜんたいも、もの静かでしかも楽天的だ。度胸がすわっているような印象を受けるが、思いのほか涙もろい。 まんなかにいる、もうひとりのリズム・ギターの女性は、白人との混血であることがすぐにわかるような顔立ちと体つきであるといい。髪は濃い栗色で、彼女の表情も楽天的で人が善さそうだ。どちらかと言えば、という程度でいいから、美人であることが望ましい。 ウクレレの女性は、すこし小柄にすると、絵として面白い。彼女もポリネシア系だ。さまざまな血の重なりあいを感じさせてくれる顔だととてもいい、とぼくは思う。 いまも聞こえている音楽をつくり出している五人の姿かたちがぼくの想像のなかに出来あがったとき、売場の主任の彼女は、 ﹁そのタイプライターなら、猛勉強につきあってくれるわ﹂ と、言った。 彼女の言うとおりだ。ぼくは勉強をはじめるわけではないけれど、これからこのタイプライターを酷使しなくてはならない。 タイプライターと、箱に入った紙とを、ぼくは買った。タイプライターを片手にさげ、もういっぽうの腕で紙の入った箱をかかえると、相当に重かった。 さきほどまで聞こえていた音楽とは別の音楽が、聞こえはじめた。おなじくハワイ音楽だが、タイプは大きくちがっていた。その音楽も、ぼくの気持ちをとらえた。しばらく、ぼくは聞いていた。そして、 ﹁このグループは、新しいグループですか﹂ と、ぼくは、主任のおばさんにきいてみた。 おばさんはうなずき、 ﹁そうよ﹂ と、言った。 ﹁昔のグループが、いま生まれ変わったような音ですね﹂ ﹁一九三〇年代に実際に存在したグループの音を、現代に再現しようとしているグループなのよ﹂ と、彼女は説明してくれた。 二台のアクースティック・スティール・ギターのデュエットが、せつなく軽やかに美しかった。二台のスティール・ギターにウクレレとハープ・ギターが加わり、歌は四人による四パートだ。 ﹁ウクレレを弾いてうたってるのが、私の娘なの﹂ にっこりと、純粋に誇らしげな微笑を浮かべ、彼女は言った。8
居間の壁に寄せてあったライティング・テーブルを、ぼくは部屋の中央へ持って来た。デスクにしろテーブルにしろ、ぼくは部屋のまんなかに置くのが好きだ。 買ったばかりの電子タイプライターを、そのテーブルに乗せた。かたわらに、紙の入った箱を置いた。タイプライターの電源コードが、なにもない板張りのフロアの上を、部屋の片隅にむけてのびていた。そこにあるアウトレットに、コードはちょうど届く長さだった。 もうじき、午前十時だ。ぼくはライティング・デスクにむかってすわり、タイプライターのキーを打っている。新しいタイプライターに慣れる練習であると同時に、長いストーリーを書くための助走路のような短い文章を、ぼくはとりとめなく朝から書いている。 紙の入っている箱はタイプライターの右側にあり、文章を打った紙は、タイプライターの左側に、重ねて置いてある。三種類の短い文章を、ぼくは今朝からすでに書いた。いちばんはじめに書いたのは、次のようなものだ。タイトルは、﹃黒板のメニュー﹄と、つけておいた。9
どこでなにを食べようか、とぼくは考える。あちこちの店を、思い浮かべる。メニューにのっている料理のひとつひとつを、頭のなかのCRTスクリーンに呼び出していく。店の名や料理の名を、ぼくは頭のなかで声にしていく。言葉の響きが重なりあう様子は、ちょっとした詩のようだ。 リフエ・バーベキュー・イン。店主のミスタ・ササキは、元気だろうか。コンプリート・ディナーを食べても、代金はいまでも十ドル以内におさまる。ブロイルド・テリヤキ・バターフィッシュ。これにしようか。お茶が、いっしょに出てくる。緑茶の葉にパフド・ライスとポップコーンとを加えて入れたお茶だ。これが、たいへんいい。 ジュディーのオカズ・サイミン。この店は、リフエ・ショッピング・センターのなかにある。ビーフ・テリヤキ。フライド・マヒマヒ。シュリンプ・テンプラ。どれもみな、素晴らしい。どれを食べるとしても、マカロニ・サラダは欠かせない。 デアリー・クイーンのプレート・ランチ。あるいは、六十五セントのハンバーガー。ロジータという名前のメキシコ料理店の、メキシカン・サラダとサングリア。 夕方と言ってもまだ陽は高く、その光は充分に強い時間に、鯉の泳ぐ池のあるティー・ハウスで、ディナーはどうだろうか。ミソ・スープ。ポーク・トーフ。テリヤキ・ステーキ。タクワン。ライス・アンド・ティー。これは、ランチのメニューだ。庭には、燈籠がある。地元の英語では、ストーン・パゴーダだろうか。玉砂利を敷いた小径もある。ペブルド・パス、とでも言えばいいのか。 ハナマウル・レストラン・アンド・ティー・ハウスもいいけれど、卵と私、という名前の店でオムレツ・ランチ、という手もある。 この店があるのは、ライス・ストリートの4483。アクロス・フラム・リフエ・ショッピング・センター。十種類のオムレツが、メニューにのっている。卵をふたつ使ったオムレツをなんと言うか、知っているだろうか。トゥー・エッガー、とローカル・ピープルたちは呼んでいる。トゥー・エッガーには、ホット・ケーキが二枚、あるいはライス・ボールが、ついてくる。卵を三つ使ったオムレツが欲しいなら、それはスリー・エッガーだ。オムレツのなかみをなににするか、これが問題だ。ぼくの好みは、サウア・クリーム・アンド・チャイヴだ。普通にいきたければ、トマトにチーズが、すでに普遍の高みに到達している。 トゥー・エッグス・ウィズ・ハッシュド・ブラウンズ。かた仮名は、面白い。これにコーヒーとトーストを加えて、これは朝食だ。早朝からどしゃ降りの雨だといい。雨の午後には、マクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンのローカル・ブランチも、風情のようなものをなんとか獲得する。 ハイウエイ56。カパアのすぐ手前にある店。名前を思い出せない。ヴィールあるいはポークのカットレット。ハンバーガー・ステーキ。ビーフ・トマト。サラダと、フライズ、あるいはライスが、ついてくる。どれも、ハイウエイ56の風味だ。 ﹁シーフードを食べなさい﹂と提案している看板が、海を背景に出ている店。この店のシャーク・バーガーはどうだろう。シャーク・ミートのサンドイッチだ。親愛なるシャーク殿はソテーになっていて、グリルしたカイザー・ロールの上に乗っている。溶けたチーズ、レタス、トマトが重ねてある。マウイの玉ネギがつく。 窓辺のテーブルから、ナウィリウィリの港を見ることの出来る店。この店も、雨の日がいい。コースト・ガードの船をものうく見ながら、カントニーズ・ディナーがおすすめだ。アラスカン・スノー・クラブ・クロウズ。ブロイルド・ロブスター・テイル。キャッチ・オヴ・ザ・デイ。ナニニシマスカ。そうだ、それから、あれ。タートル・シェルズ・オン・ザ・ウォール。店の壁に、亀の甲が飾ってある。だからそれを指さして、ぼくは冗談を言ったのだ。10
ガラスのブラインドがつくる、横にせまい隙間から、外の明るい陽ざしが見える。ときたま、風が部屋のなかに入ってくる。その風を体に感じながら、ぼくは新品のタイプライターで、短い文章を書いている。二番めに書いた文章のタイトルは、﹃HANAのHANNA﹄とつけた。このタイトルを、ぼくは気にいっている。内容は、次のとおりだ。11
花子、という自分の名前を、彼女は嫌っていた。いい名前だとぼくは思うのだが、彼女は嫌いだと言う。花子さん。花子くん。花子ちゃん。花子。花。花ちゃん。お花。お花さん。どれもみな素敵なのに、彼女は、よして、よして、と言っていた。 旅さきからしばしばくれる絵葉書、そしてときたま書いてくれる長い手紙の署名には、HANNAという書きかたを、彼女は採択していた。ハナ、ではなく、ハンナ、なのだ。ンの字をまんなかにはさむことに、彼女はこだわっている。これはこれで結構だと、ぼくは思っていた。 その花子が、いや、ハンナが、マウイへいく、と言った。スケジュールをきいてみると、偶然にもぼくもいくことになっていたマウイでのスケジュールと、ほぼ一致するということがわかった。 せっかくだからマウイでの時間はふたりでいっしょに過ごしてみようということになり、ぼくはマウイのハナに、ホテルを予約した。ホテル・ハナ・マウイだ。 まずしばらくオアフ島で過ごす、と彼女は言っていた。ホノルルからマウイまで、どのような経路をとるにせよ、マウイにはハナ空港に降りるようにと、ぼくは彼女に言っておいた。 ハンナがマウイにいた二週間のうち、十日間、ぼくたちはいっしょに過ごした。 ハナ・ハイウエイを、まず思い出す。﹃ここからさき三十マイルは道幅せまくカーヴ多し﹄という標識の文句は、すこし長めの詩のタイトルにそのまま使えそうだ。 カフルイとワイルクへ遊びにいったときには、このハナ・ハイウエイを往復とも、果敢にもハンナが運転してくれた。このハイウエイは私と似てるわ、と彼女は言っていた。 ROAD TO HANA SURVIVORという文句をプリントした白いTシャツを買った。いまでもさがせばどこかにあるはずだ。買った店は、ハセガワ・ジェネラル・ストアだ。 この店では、買い物に来ていた日系の老人に、ハナの歴史を教えてもらった。ハナはハワイ島に近いという地理的な条件のため、カメハメハ・ザ・グレイトがハワイ王国を統一するまでは、敵に攻めこむための前線基地であり、敵から攻めこまれて戦う戦場でもあったのだ。征服したり征服されたりを、何度もくりかえした。 ハナ・ビーチ・パークのベンチで彼女といっしょに食べたボックス・ランチが、おいしかった。ピクニック用に箱につめてもらったあの店の名を、思い出さなくては。 港の桟橋で彼女の写真を撮ったのは、おなじ日だったと思う。﹃ハセガワ・ジェネラル・ストア﹄という歌の入ったLPを買ったのも、おなじ日のことだ。ストアをテーマにしたバンパー・スティッカーも買い、LPのジャケットのなかに入れておいた。入れたままだ、いま思い出した。 ある日、カプチーノが飲みたい、と突然、ハンナが言った。ぼくは、カプチーノの飲める店をみつけてあげた。この店では、別の日に、夕食を食べた。ラザニアとかカネロニとか、そのようなものを食べたと記憶している。 世界じゅうの島をめぐり歩き、その島について詩を書いているという詩人が、自作の詩の朗読を、その店でおこなっていた。彼のそのときの詩は、マウイ島の電話帳のイエロー・ページからひろい出したさまざまな固有名詞や文句を、リズムよろしく巧みにつなぎあわせたものだった。つなぎかたに、ぼくは感心した。 おなじ手口でぼくも詩をつくってみよう、と思った。たとえばレンタカー会社のパンフレットをたくさん集め、そのなかから拾った文句をつないでいけば、きっと詩になるにちがいないと、そのときのぼくは思った。12
いちばんはじめに食べものについての短い文章を書き、その次に、女性が登場する文章を、ぼくは書いた。次になにがいいだろうと考えていたら、鯨を思い出した。鯨について書くといい、とぼくは思い、書いてみた。13
﹃鯨が泳ぐ﹄ あの大きなバニアンの樹が、太陽の光をさえぎる。影が出来る。ほぼ円形だ。周囲は何メートルあるだろう。その円形の樹影のなかを、ぼくはいつも直径的に横切ることにしている。直径的にとは、つまり、樹影のなかを直線で、したがってもっとも長く歩いて横切る、ということだ。 樹影のなかは、地面も空気も、夏のどんなに暑いときでも、ひんやりとしている。どしゃ降りの雨の日は、どんなだろう。頭上におおいかぶさるようにして広がっている何本もの枝は、ラハイナの強い陽ざしを完全にさえぎってくれる。ぼくが歩いていく正面に、樹影を出たむこうの風景が見える。くっきりと陽に照らされたその風景は、地面と平行に細長く横たわっている。 ラハイナの港に出るときには、ぼくはいつもこのバニアンの樹の下を歩く。いつのまにか、くせになってしまった。くせは、いくつもある。たとえば、第二次大戦で戦死した、ラハイナ出身の日系青年たちの名前を刻んだ記念碑のまえに立ち、刻んである名前をひとつずつ読んでいくとか。 港の陽ざしは、きわめて明るく強い。係留してあるカーセジーニアン二世号が、ふと、ほんの一瞬、その透明にきらめく陽ざしのなかに溶解してしまいそうだ。 この船のなかにある鯨の博物館で、鯨に関する映画をはじめて観たときのことを、ぼくは思い出す。ラハイナのすぐ近くの海を堂々と泳いでいく鯨、ハンプバックの姿がスクリーンに登場したシーンを思い出すと、そのシーンは、双眼鏡をとおして現実のハンプバックを自分の目で見たときのシーンに、重なっていく。 四月のはじめ、午後のすこし遅い時間、高い丘の上にあがり、ぼくは双眼鏡で沖の海を観察した。この時間の海は、波が乱れている。しかし、岸のすぐ近くをとおる鯨がいるから、慣れてくれば鯨は肉眼でもみつけることが出来る。 双眼鏡の丸い視界のなかに、ぼくは一頭の鯨をとらえた。焦点が合ったその瞬間、鯨はその頭にあるブローホールから、高く潮を吹きあげた。空にむかって垂直にのびあがっていく、白く細い一本の潮の高さは、二十フィートもあっただろうか。 感動の瞬間、と言ってしまうとそのとたんに陳腐になるが、鯨が吹きあげる潮をはじめて見たときは、感激した。二十フィートもの高さに潮を吹くのは、大人のハンプバックだ。全長五十フィート。鯨としては小さいほうだ。体重は三十トン。 十一月から四月にかけて、鯨がハワイにやってくる。アラスカの海が冬になると、彼らは温かいハワイまで下って来る。そして、そこで子供を産む。ぼくがはじめて見たハンプバックは、北の海へ帰っていくときの彼らのうちの一頭だった。子供のハンプバックも見た。子供が吹きあげる潮は、見るからに小さく、可愛い。 モロカイやラナイからでも鯨を見ることが出来るし、ハワイ島のカワイハエ湾あたりからも、鯨のスポッティングは可能だ。 マウイがいちばんいい。西側なら、カアナパリからマアラエアにかけて、そして東側ならマアラエアからさらにマケナあたりまで、鯨を見るために有利な場所はいくらでもある。マクレガー・ポイントの展望台は、よく知られている。鯨のシーズンではないときでも、アメリカ本土からの観光客たちが、双眼鏡で沖の海を見ている。 鯨の泳ぎかたは、すさまじく優雅だ。あの巨体が、水面のすぐ下に浮きつかくれつ、なににもさまたげられることなく、完璧に自由に、流麗に泳ぐ。 体ぜんたいを空中に高くほうりなげ、あおむけに、あるいは横だおしに、海面に落下してきて巨大な爆発のような飛沫をあげるところを、カーセジーニアン二世号の博物館で、ぼくは映画で観た。14
99号線。というよりも、ぼくとしてはカメハメハ・ハイウエイと呼びたい。略してKAM。キャームだ。そのカメハメハ・ハイウエイを、中古で買ったフォード・グラナーダで走りながら、ぼくは次のようなことを考えた。 二万年ほどまえの今日にさかのぼるなら、当時のオアフ島はまだふたつに分かれていた。オアフ島は、海面上にようやく顔を出した、東西にならぶふたつの火山でしかなかった。だから、いまぼくがフォード・グラナーダで走っているこのあたりは、二万年まえの今日はまだ海のなかだ。 東西にならんでいたふたつの火山のうち、東側の火山は、いまのコオラウの山なみをつくった。そして、西側の火山は、ワイアナエの山なみとなった。二万年という時間は、太陽系の歴史のなかでさえ、ほんの一瞬と言っていいほどの短い時間だ。 ロード・マップには﹁二車線以上の道幅︵舗装ずみ︶﹂と出ている部分のカメハメハ・ハイウエイを、いまぼくは走っている。ワヒアワからは、中央分離帯のある、ディヴァイデッド・ハイウエイとなる。 頭のなかで二万年まえにさかのぼったぼくは、そこからハワイの歴史について、思いをめぐらせた。歴史の流れを順番におおまかにたどりつつ、その歴史の流れのなかで起こったあれやこれやに関して、それぞれ感銘をあらたにした。そして、ほどなく、現代まで戻って来た。 そのとたん、パラダイス、というひと言が、ぼくの頭のなかに残った。二万年まえのふたつの火山は、いまひとつにつながり、パラダイスとなっている。 頭のなかに残ったパラダイスのひと言から、アイディアがひとつ、ひらめいた。 パラダイス巡りをするといい、というアイディアだ。このオアフ島には、パラダイスという言葉を冠した店が、たとえばスーヴェニア。ショップとか洗濯屋とかカーペット張り替え見積り請け負い業とか、さまざまにたくさんあるにちがいない。電話帳のイエロー・ページに、すべて屋号として順番にならんでいるだろうから、ひとつひとつ訪ね歩いてはその店を写真に撮り、店主や従業員の話を聞き、取材とまではいかなくても感想メモくらいはとってみるときっと面白いはずだ、というアイディアだ。このアイディアがひらめいた次の瞬間、パイナップル畑を吹き渡る風が、窓をすべて降ろしてあるフォード・グラナーダのなかを抜けていった。 ワイパフに寄ってみよう、とぼくは思った。ワイパフにはなんの用もないが、寄ってみようと思ったのだ。午後三時のおやつをワイパフで食べることを、やがてぼくは思いついた。なんの用もなかったワイパフに、三時のおやつを食べる用がこうして出来た。 かんかん照りの駐車場にフォードを停めたぼくは、軽食堂をさがした。日系の名前のついている、ぼくの好みの食堂が、やがてみつかった。ぼくは、その店に入った。 奥のテーブル席に、失業者のような初老の男性たちが三人いた。三人は、コーヒーを飲んでいた。カウンターの席にすわったぼくは、コーヒーとドーナツを注文した。目尻の吊り上がった眼鏡をかけた日系のおばさんは、カウンターのなかで首を振った。コーヒーはいくらでもあるけれど、ドーナツはもうないよと、彼女は言った。ドーナツは、朝食の時間帯のなかで、すべて売りきれてしまったのだ。 ベイグルならあるから、それでサンドイッチをつくってあげることは出来るよ、とおばさんは言った。それをもらうことにした。サンドイッチの中身をなににするか、おばさんはぼくにきいた。 コーヒーはワイパフの味だった。ほんとうはなんの特色もないのだが、ワイパフの味と自分自身に言っておくと、そのことだけで、このコーヒーをかなり長い期間にわたって記憶しておくことが出来るように思える。 ベイグルのサンドイッチは、思いのほか想像力に富んでいた。形だけはドーナツに似たベイグルが、ほんとにきれいに、すっぱりと、上下に切り離してあった。あまりにもきれいに切ってあったので、これはどうやって切るのですかと、ぼくはおばさんにきいた。 ﹁カッターを使うのよ﹂ と、おばさんはこたえた。 ﹁カッターですか﹂ ﹁そうよ。見る?﹂ ﹁見せてください﹂ カウンターのむこうの端まで歩いていった彼女は、ベイグル・カッターを持ってぼくのまえまで戻って来た。そして、カッターをかかげて見せてくれた。 ﹁ここにベイグルをひとつ入れて、この溝に合わせてナイフで切るのね﹂ 彼女の言うとおりだった。ベイグルをひとつ、縦に差しこむくぼみが木のブロックのなかに掘ってあり、そのくぼみを中央でつらぬくように、細い溝がまっすぐにあった。ベイグルをくぼみに収めたなら、この溝にナイフを差しこんでベイグルを切ればそれでいいのだ。 ﹁ナイフがいつもシャープでないといけないのよ﹂ もとの場所にベイグル・カッターを持っていきながら、彼女は言った。 サンドイッチを食べ終わったぼくは、オアフの電話帳を貸してもらった。カウンターにその電話帳を開き、コーヒーを飲みながら、ぼくはパラダイスをさがしにとりかかった。 イエロー・ページのリスティングは業種別であり、パラダイスなんとかやパラダイスかんとかをさがすには、アルファベットによるリスティングのところを見なくてはいけないのだった。 パラダイスは、みつかった。ほぼ、ワン・コラムにわたって、さまざまなパラダイスが列挙してあった。 いちばんはじめに出ていたのは、南ベレタニア街にあるというパラダイス骨董美術品店という店だった。その次は、カラカウア・アヴェニューのパラダイス鞄店だった。 パラダイス床屋店。パラダイス飲料店。パラダイス衣料店。パラダイス金融店。パラダイス建具設備店。パラダイス花店。パラダイス建築店。パラダイス宝石店。パラダイス・ヘリコプター店。パラダイス八百屋店。 パラダイスだけでひとつの町を充分にまかなうことが出来そうなほどに、じつにさなざまなパラダイスが、電話帳のなかにあった。ひとつひとつ最後まで見ていき、ぼくは満足した。ほんとにアイディアに困ったなら、カメラとノートを持ち、パラダイス巡りをするといいのだと、ぼくは思った。いちばん最後に出ていたパラダイスは、パラダイス椅子張り替え室内装飾社というパラダイスだった。 電話帳を、ぼくはおばさんに返した。 ﹁さがしていたものは、みつかったの?﹂ と、おばさんは、きいた。 ﹁パラダイスをさがしてました﹂ ぼくは、こたえた。 ﹁パラダイスを﹂ ﹁そうです﹂ ﹁さがしてたの﹂ ﹁たくさんありましたよ﹂ ﹁たくさんのパラダイス﹂ 彼女は、ぼくの言葉をくりかえした。ぼくは、パラダイス巡りに関するぼくのアイディアのあらましを、彼女に説明した。 ﹁なんと不思議なアイディア﹂ と、彼女は言った。 ﹁的を射た写真と、ほんのりと情緒のある文章とで一冊の本にまとめたなら、この島の現状の一部分を興味深く提示することの出来る、面白い本になるとぼくは思うのです﹂ ﹁あなたは、ライターかなにかなの?﹂ おばさんは、きいた。 ﹁そうですね、そのようなものです﹂ ﹁私が十代の頃にパートタイムで働いていた店は、パラダイス・マーケットという名前だったわ﹂ ﹁いまでもありますか﹂ ﹁とっくにないわよ﹂ ﹁このワイパフには、パラダイスなんとかという店は、ありますか﹂ ﹁さあ、どうかしら。あまりにも見なれていて、自動的に見すごしてしまってるかもしれないけれど、急には思い出さないわ。自動車でひとまわりしてみるといいのよ﹂ ﹁パラダイス・クルーズですよ、それこそ﹂ ぼくのほんのちょとした冗談に、おばさんは笑った。 店を出たぼくは、駐車場まで歩いていった。強い陽ざしの降り注ぐアスファルトの駐車場のなかを、自分のフォードにむかって歩きながら、ぼくはハイビスカスの花を、なぜだか思い浮かべた。明るく強い陽ざしを受けとめている、赤いハイビスカスだ。カラー・フィルムがポピュラーになって以来、現在にいたるまで、この島において、ハイビスカスの花がいったい何度、写真に撮影されたことだろうか。もしほんとにパラダイス花店に取材にいけば、さらにもう一度、ハイビスカスの花を写真に撮ることになるのだろう。 フォード・グラナーダのドアを開き、熱くなっている空気が充満している車内に体を入れると、ぼくの頭のなかで、ハイビスカスは、頭のなかのスクリーンいっぱいに広がっていった。 ぼくは、フォード・グラナーダを駐車場から出した。しばらく走ると、室内に満ちていた熱い空気は、吹きこんでくる風によって、すべて追い払われた。 あなたはライターかなにかなの、とさきほどのおばさんは言った。そのようなものです、とぼくはこたえた。ぼくは、ストーリーを書く人だ。ひとつのストーリーを書くために、ぼくはこの島に来ている。一冊の本になるだけの長さを持ったストーリーを、この島にいるあいだに、完成させなくてはいけない。書くためには、材料をみつけなくてはならない。この島のなかでみつけた材料をもとにしてそのストーリーを書く、という制約のようなものが、いまのぼくの身の上にある。ぼくの興味を強く引くようなストーリーの材料をみつけることが出来れば、一冊の本になり得るほどの長さにわたってそのストーリーを書いていくことは可能だろう。15
この一帯の海岸ほどに財産価値の高い海岸は、世界じゅうをさがしても、そうざらにはない。その貴重なビーチのなかの、さらに一等地に、そのプールはこしらえてある。 海と平行に、縦の長さは一〇〇メートルある。横幅は、三十五メートルだ。その三十五メートルの横幅の中央に立ち、一〇〇メートル・プールのぜんたいを見渡すと、ゆったりとした気持ちになる。そのプールは、プールとしては大きい。 プールの左側、そのすぐ外には、海が広がっている。太平洋だ。プールの縁に立ち、海に目をむけ、太平洋ぜんたいの地図を頭のなかに描き出すと、いまの自分がどのような位置にいるのか、やがてはっきりと認識出来てくる。 太平洋のなかの、この島の位置は、とてつもない。あらゆる陸地から自らを完全に切り離すために、なんらためらうことなく選んだ位置が、きっとここだったのだろう。すさまじく広い海のまっただなかに、かろうじて頭を出している海底火山の小さな島の縁に海岸があり、その海岸の縁に、このプールがある。 夕陽の時間が、ほぼ終わったところだ。太陽は、すでに沈んでいる。太陽が沈んだ地点から西の空にむけて立ちあがり広がっている残光も、いまではほんのわずかだ。プールの縁にしゃがんで視線を低くすると、ワイキキに増殖をつづけるコンクリートの高層建築群の、いまはひとつにつながったシルエットとしてのスカイラインが、プールのよどんだ水に映る。 海の、途方もない広がりの彼方から、夕方の風がおだやかに吹いてくる。ふりかえると、ダイアモンド・ヘッドがすでにシルエットだ。そして正面には、ワイキキの海をへだてて、ワイキキのコンクリート・スカイライン。そのシルエットのなかに、無数と言っていい数の明かりが、おたがいに重なりあうようにして、その鮮やかさを深めつつある。 プールの右側には、プールの全長に沿って、石でつくったおだやかな傾斜の階段が十三段ある。これは、観客席だ。そしてその観客席のうしろに、アーチのある壁が立っている。中央にひとつ大きくアーチがあり、それをはさんで両わきに、小さなアーチがひとつずつある。 アーチのむこう側に立ち、アーチごしに夕陽を見ると、なかなかいい。アーチの上には、石から彫り出したイーグルがいる。首がなかったり、主翼の端が欠けていたりする。アーチのある壁ぜんたいも、そして階段のような観客席も、クラシックな雰囲気が漂うようにつくってある。クラシックなもののみが持ち得る、おおらかな感触を、そのプールぜんたいは、いまでも持っている。 プールもアーチもそして観客席も、第一次世界大戦でヨーロッパへおもむきそこで戦死した、ハワイ出身の兵士たちのためのメモリアルだ。完成して一般に披露されたのは、一九二九年八月二十四日のことだった。 無料のパブリック・プールとして、地元の子供たちの絶好の遊び場であったこのプールは、一九五〇年代にはまだ健在だった。 いまはすでにないが、当時はプールの縁に飛び込み台があった。台は四つあり、いちばん低いのは十フィートだった。そして、二十フィート、三十フィートと、順に高くなっていき、四番めの台は四十フィートを越えていた。 十フィートの台からは、プールのなかにむけて滑り台があった。頂上にあるレヴァーを押すと、鉄の滑り台の滑りをよくするために、水が出てくるしかけになっていた。プールの水は海水だったが、レヴァーによって出てくるこの水は、真水だった。このプールのことを思い出すたびに、滑り台の感触がよみがえる。 いまは、﹃危険につき立ち入り禁止﹄の標識があり、水は汚れてよどみ、観客席にはごみが散乱している。 このメモリアルが完成披露された日に、まず最初にプールに飛び込み、一〇〇メートルを鮮やかに泳いでみせたのは、デューク・カハナモクだった。彼とおなじくオリンピックのチャンピオン・スイマーであり、最高のターザン役者として知られていたジョニー・ワイズミュラが、デュークの次に泳いだ。16
今日は雨の日だ。午後一時近く、ぼくはカメハメハ・ハイウエイを北にむけて走っていた。いまは使用されていず、放置されたままとなっている小さな飛行場をひとりでながめたあと、ふたたびハイウエイにもどり、北にむかっていた。 雨は、それほど強くはなかった。腰をすえて降りつづけるといった気配の、安定した降りかたの雨だ。空は灰色であり、ハイウエイの右側の奥に海岸線に沿ってのびる山なみの頂上は、その灰色の空のなかにのみこまれていた。 正面のガラスが、雨滴を受けとめていた。ワイパーがそれをぬぐい、ワイパーのブレードが届かないところでは、雨滴はガラスの表面に薄くひきのばされ、たいていの場合、その薄い水の膜は横に流れた。 いまはもう操業していない砂糖の精製工場の煙突が、雨に煙るむこうに見えてきた。砂糖の出来るまでを観光客に見せる博物館のようなものに、この工場はすでに転身していた。 工場に入っていく道路のひとつ手まえのわき道へ、ぼくのフォード・グラナーダは入っていった。ほんのすこしだけ走ると、右側に木造平屋建ての長い建物があった。この建物の手まえ半分は、建築請け負い業を営んでいる人の事務所になっていた。そしてむこう半分は、バーと食堂だ。 バーと食堂とは、調理場を介してつながっていた。調理場からバーに入ってくると、壁に沿ってカウンターがあり、そのカウンターのすぐまえに、ビリアード・テーブルがひとつあった。天井からビリアード・テーブルの中央へ、ランプがひとつ、低く下がっていた。がらんと広い店のなかに、テーブルがいくつかあり、そろっていない椅子が、それぞれのテーブルを囲んでいた。店のいちばん奥に、もうひとつ、ビリアード・テーブルがあった。 食堂は、カウンターがL字の形にあるだけの、せまい店だ。調理場から出てくるとそこはカウンターのなかであり、カウンターを介して店のなかぜんたいを見渡すことが出来た。カウンターは、正面のドアから入って右側にあった。カウンターのうしろにあたるスペースは、本来は菓子類を売るためのガラス・ケースを置くためのものだが、いまは段ボール箱その他が雑然と重ねて置いてあった。そのむこうの壁には大きな窓があり、正面のドアの両側も、大きなガラスのはまった窓だ。 店のまえの駐車場には、古びたピックアップ・トラックが一台、停まっていた。白く仕切りの線が引いてあるスペースの外に、少人数の観光客を乗せて案内するための小型のバスが一台、斜めに停まって雨を受けていた。運転席のドアが開いていて、その開いたドアのすぐまえに、クライスラーのセダンが一台、バスと斜めにむきあうようにして、停まっていた。セダンのドアも、開いていた。助手席にいるポリネシア系の男性が、バスの運転席にいるおなじくポリネシア系の男性と、話をしていた。 ピックアップ・トラックから一台分だけスペースをとってフォード・グラナーダを停めたぼくは、自動車の外に出た。雨のなかを歩き、店のまえの階段をあがった。ドアを開き、店のなかに入った。 笑い声が最高点まで高まった瞬間だった。カウンターの席にならんですわっていた六人の白人中年女性たちが、全員いっせいに、大声で笑っていたのだ。 ほのかに微笑しながら、ぼくはカウンターの端の席にすわった。ぼくの右隣りには、小柄な白人の青年がいた。彼はぼくに顔をむけ、軽く会釈した。ぼくも、表情だけで、やあ、と言った。 六人の白人中年女性たちが、再び、いっせいに笑った。六人のうちのひとりが言ったことに、全員が大声で笑って反応したのだ。白人青年は、肩をすぼめてみせた。カウンターのなかの、むこうの端で、この簡易食堂の日系の店主がカウンターに両手をつき、六人の白人女性たちを静かに見ていた。 女性たちは、ストゥールを降りた。いまこの六人だけに通用している冗談に、六人がそれぞれに笑いながら、ドアにむかって歩いた。彼女たちは、ふりかえって店主に華やかに挨拶をした。奥の調理場のドアから出て来た日系の女性にも、手を振ったり笑いながら冗談を言った。店主の奥さんらしい年齢のその日系の女性は、おだやかな笑顔で白人の女性たちを見送った。 女性たちは、ぼくのうしろを一列になって歩いていった。彼女たちが着ている、それぞれに華やかで鮮明な色と柄の服が、ぼくの周辺視界のなかを正面のドアにむけて動いていった。彼女たちは、店を出た。 外にとまっていた小型の観光バスが、ドアのすぐまえまで、まわりこんで来ていた。女性たちは、雨のなかを、そのバスに乗りこんだ。全員が乗ってドアを閉じ、バスは発進した。ドライヴァーが、ぼくのほうを見ていた。ぼくは、手を振った。ドライヴァーは、退屈そうにウインクをしてみせた。 バスは窓ごしの視界から見えなくなり、そのあとを追って、クライスラーのセダンも、雨を受けとめながら、ゆっくりと走っていった。 店のなかは、静かになった。ぼくと白人青年とは、顔を見合わせた。どちらからともなく、苦笑した。店主が、その苦笑に加わった。 ﹁平和なにぎやかさというものも、なかなか捨てがたいけれど、平和な静かさというものも、やはりいいものだね﹂ と、白人の青年が言った。店主も含めて、ぼくたちは彼の意見に賛成だった。 店主が、ぼくのまえに来た。 ﹁こんな時間でも、ドーナツはありますか﹂ と、ぼくはきいた。 店主は、うなずいた。そして、 ﹁YEAH﹂ と、こたえた。四文字で出来ている平凡なひと言による返事だったが、ハワイに生まれて育った日系の二世の発音として、完璧だった。その完璧さのなかに、ぼくは懐かしさを覚えた。 ﹁それから、コーヒーと﹂ ﹁OK﹂ 店主はカウンターのなかをまっすぐむこうへ歩き、ドアから調理場に姿を消した。 肩ごしにふりかえって、ぼくは窓の外を見た。雨が降っていた。その雨を、ぼくは見た。しばらく雨を見てから、体のむきを変え、カウンターに両肘をついた。水の入っているグラスを持ち、アイス・ウォーターを飲んだ。 ﹁この雨は、なかなかのものだね﹂ と、白人青年が言った。 ぼくは、彼に顔をむけた。 ﹁雨は好きかい﹂ と、微笑しながらぼくはきいた。 青年は目を大きく見開き、 ﹁悪くないよ。まったく、悪くない﹂ と、こたえた。 ﹁ぼくは、雨の島から来たから、雨には慣れている﹂ ぼくがそう言うと、彼は、 ﹁タヒチのほうかい﹂ と、きいた。 ﹁日本だよ﹂ ﹁日本はぼくのお得意さんのひとつだ﹂ と、彼は言った。彼はサーフボードのシェイパーであり、名前はフレデリック・バーソロミューだと、教えてくれた。 ﹁フレッド、と呼んでくれたらいい。きみは、雨を見るほかに、なにをする人なんだ﹂ ﹁ストーリーをさがしてる﹂ ﹁ストーリーを﹂ ﹁そうだよ﹂ ﹁ストーリーをさがして、どうするんだい﹂ ﹁書くんだよ﹂ ﹁つまり、新聞とか雑誌の記事かい﹂ ﹁小説さ。一冊の本になるような、ちょっと長めの小説さ﹂ ﹁小説は、つくるのではないのかい﹂ 彼が、きいた。 ﹁最終的にはぼくがひとりでつくるのだけれど、そのためのヒントというかきっかけというか、要するに、最初のひと粒の種をさがしているんだ﹂ ﹁小説は読まんからなあ。しかし、かつて親しくつきあっていた女性が、小説をよく読んでいたよ。きみは、作家かい﹂ ﹁小説を書こうとしているときとか、書いているときとかは、作家だろうね﹂ ﹁彼女も、作家になりたがっていたんだ。パトリシア・リヴィングストンという名前だった。この名前の作家が書いた小説をみかけたことがあるかい﹂ ﹁すくなくともぼくの記憶には、ないね﹂ ﹁残念ながら、ぼくもないんだ。本を出すときには、本名で出すからと、彼女は言っていたんだがなあ﹂ ﹁ブックストアに入ったら、気をつけてみるよ﹂ 調理場から、店主が出て来た。ドーナツの乗った皿を、彼は持っていた。ぼくのまえまで来た彼は、紙ナプキンをとってぼくの手もとに置き、その上にナイフとフォークを並べた。ドーナツの皿を、ぼくのまえに置いた。店主の奥さんが、調理場から出て来た。ぼくのまえまで歩いて来て、コーヒーをドーナツの皿のわきに置いてくれた。そして、そのかたわらに、ジャムを入れるような小さな器を置いた。 店主はその器を示し、 ﹁蜂蜜だよ﹂ と、言った。 ﹁生のキアウェ・ハニーさ。コーヒーに入れてもいいし、ドーナツにもいい﹂ 店主に、ぼくは礼を言った。 バーソロミューが、次のように話をつづけた。 ﹁ぼくがかつてつきあっていたパトリシア・リヴィングストンは、いろんなことをぼくに語ってくれたなあ。頭のなかの構造というのかな、思考の回路かな、とにかくものの見かたやとらえかた、考えかたを作家的にするための訓練というやつを、彼女はやっていたっけ。頭のなかをまず作家的にしないことには、どんなに面白い素材にでっくわしても、それを自分の小説にしようという考えがまずひらめかないんだと、彼女は言っていた。きみは、どうなんだ﹂ ﹁ぼくは、かなりの経験を持っているから、だいじょうぶだ﹂ この店のドーナツは、よく出来ていた。そのドーナツに、キアウェ・ハニーは、この上なく調和していた。コーヒーが、その調和の仕上げをしてくれた。 ﹁頭のなかがいったん作家になってしまうと、ほどんどどんなことからでもストーリーをつくることが出来るようになるんだと、彼女は言っていた。たとえば、﹃居間のフロアに掃除機をかけていたとき、電話が鳴った﹄というような短いひとつの文章をきっかけにして、ストーリーをつくってしまうことが出来るようになるんだそうだ﹂ ナイフで切ったドーナツをフォークで突きさし、ぼくは口に入れた。ドーナツを噛みながら、ぼくはうなずいた。コーヒーで飲みくだしてから、 ﹁出来るよ。いまの短いワン・センテンスは、短編小説の書き出しの一行にぴったりだ﹂ ﹁そんなもんかい﹂ ﹁そうさ﹂ ﹁なぜ﹂ ﹁電話が、その人に、どんなことをもたらしても、不思議ではないからさ﹂ ﹁なるほど。どんな電話でもいいわけだ。ドラマの可能性をはらんでいるわけだ﹂ ﹁それに、ちょっとだけ不吉な感じがあるから、そういう方向での短編にむいている。書き出しの一行であると同時に、その短編を支えるアイディアのぜんたいでもあるんだ﹂ ﹁ぼくのつきあっていたパトリシアという女性は、短編のためのいろんなアイディアを考えていたよ。女ばかり十四人姉妹、というものをまず考えてね、この十四人がアメリカのあちこちにひとりずつ散らばって住んでいるのさ。いちばん下の妹が三十いくつかになったある年のこと、彼女にとって十三人の姉のうちのひとりが、死ぬのさ。彼女は、その姉の葬儀のために、姉が住んでいたところまで、飛行機で北アメリカ大陸を横切っていくんだ。明くる年に、またひとり、姉が死ぬ。そして、いちばん下の妹は、その姉の葬儀にも、飛行機ででかけていく。次の年にも、姉がひとり死ぬ。妹は葬儀にいく。こんなふうにして、毎年ひとりずつ、彼女の姉が死んでいくのさ。十三年後に、そのいちばん下の妹だけがひとり残るんだ。十三年間、次々と死ぬ姉の葬儀のために、毎年、あっちこっちと飛行機で飛びまわって過ごしてきたなあと、彼女は、一種の感慨にふけりつつ、いよいよ次は私だと、しみじみ思うのさ。こういうアイディアを、彼女はぼくに語ってくれたことがあった﹂ 彼の話に、ぼくは笑った。 ﹁アイディアだけでとまったのかい﹂ ぼくの問いに、彼は言葉を続けた。 ﹁短編に書いて、雑誌に送ったんだ。﹃ニューヨーカー﹄といったかな。不採用で原稿は戻って来たよ﹂ ﹁なるほど、そうか﹂ ﹁面白い話じゃないか。なぜ不採用になったか、きみにわかるかい﹂ ﹁なにかほかの短編のなかに、ちらっと出てくるジョークないしはエピソードとしては、たいへんに面白いけれど、このアイディアだけで、それをそのまま短編にしてしまうのは、感心しない﹂ ﹁長編のアイディアも、彼女は考えていたよ﹂ ﹁なにかひとつ、覚えているかい﹂ ぼくに促されて、彼は次のように喋った。 ﹁ここにひとりの中年の男性がいてね。もの静かな、目立たない、そしてどちらかと言えばさえない人なんだ。商売は、ライターなんだよ。ゴースト・ライター、というのかな。この人は、なにが嫌いと言って、旅行ほど嫌いなものはない、という性質の人なんだ。いつもおなじところにいて、毎日のルーティーンが、こまかなところまできっちりと決まっていて、そのルーティーンを、来る日も来る日も、いつもとおなじように守ることに、その人の生きがいがあるんだね。毎日がおなじであればあるほど、その人はうれしく、気持ちは充実するんだ。自分の部屋に閉じこもってゴースト・ライターをやっていて、なにのゴーストがいちばん多くてしかも彼の専門かというと、旅行ガイドの本なんだよ﹂ 今度も、ぼくは、笑った。 ﹁それは、肯定的な笑いかい﹂ と、彼がきいた。 ﹁もちろんさ。すぐれたアイディアだ。長編になるよ。彼女は、このアイディアをもとに、ぜひとも長編小説を書くべきだったね﹂ ﹁書いたかもしれない﹂ ﹁いいアイディアだよ、じつに﹂ ﹁きみは、いまはまだ、そういうアイディアをさがしている段階なのかい﹂ ﹁そうだね﹂ ﹁どんな話を書きたいんだ﹂ ﹁この島を舞台にして、主人公たちは日本人で、恋愛小説がいい﹂ ﹁きみがそう決めたのか﹂ ﹁ぼくに小説を依頼した人が、そう決めたんだ﹂ ﹁エディターだね﹂ ﹁素敵な女性でね。彼女に頼まれると、そんなの嫌ですよとも言えないんだ﹂ ﹁ビーチに寝そべって、ハーレクインをたくさん読んで、適当につきまぜてひとつのストーリーをでっちあげるというのはどうだい﹂ いたずらな少年のような目をして、彼が言った。 ﹁そうやって書こうと思えば、書くことは出来るさ。しかし、彼女に受けとってもらうことは出来ないね。素敵、という言葉のなかには、非常に厳しい、という意味も含まれているんだから﹂ ﹁困ったね﹂ ﹁べつに困ってはいない﹂ ﹁日本人ねえ。そう言えば、ぼくの友だちのひとりに、日本人のカメラマンがいるよ。この島の昔に強い興味を彼は持っていてね、昔といっても一九二〇年代から一九六〇年代の前半くらいまでの期間なんだ。この時代はとっくに過ぎ去ってしまって、もはやどこにもないのだけれど、彼は、まるで落穂ひろいみたいに、いまもこの島に残っている昔の雰囲気を、写真に撮っては、集めているよ。彼なんか、いろんなストーリーを持っているかもしれない。あるいは、モデルとしてヒントになるかもしれない﹂ ﹁写真家なのかい﹂ ﹁フォトグラファーだと、自分では言っている。いい写真を撮るよ。この島で出ているいくつかの雑誌に、彼の写真が載ったこともあるんだ﹂ ﹁いまもこの島に来ているのかい﹂ ﹁来ている、という電話があった。そのうち、訪ねてくるだろう﹂ ﹁会ってみたいね﹂ ﹁きみの電話番号を教えておいてくれ。ぼくのも教えておくから、彼が来たら連絡する﹂ ﹁彼は、この島の昔に、興味を持っているわけだ﹂ ぼくは、ドーナツを食べ終わった。調理場から店主の奥さんが出て来て、コーヒーを注ぎ足してくれた。 ﹁そうなんだ﹂ と、彼が言った。 ﹁昔というものに凝っているのかな﹂ ﹁好きなんだろうね。ぼくだって、この島の昔は、好きだよ。ほんとにこの島らしい、独特の雰囲気がいたるところにあったのだけど、いまでは、どんどん消えていきつつあるから。もう、ほとんど、ないよ﹂ ﹁ない、と言ってもいいだろうね﹂ ﹁彼が、いつだったか、面白いことを言ってたな。この島とそっくりおなじ形、おなじ地形の島が、飛行機で一時間ほどのところにあって、そこには、この島の昔が、昔のままにすべて残っていたら、なんと楽しいだろうと、彼は言うんだ。彼の気持ちは、ぼくもよくわかる。この島とそっくりな島がもうひとつあって、そこには昔がそのまま残っていたら、それは確かに楽しいさ﹂ ﹁彼は、写真を撮ることによってこの島の昔を拾って歩きながら、自分にとっての理想的な昔を、頭のなかで再構成しているのだと思うよ﹂ ﹁きっと、そうだ。頭のなかで、自分ひとりでタイム・スリップしてるんだ﹂ ﹁アイディアとしては、面白い﹂ ﹁小説になるかい﹂ ﹁一種のSFだね。こまかな取材を綿密におこなって、ほんとにこの島の昔が、そのもうひとつの島のなかに、言葉で再構成することが出来たなら、いい小説になるよ﹂ ﹁きみは、そういうのは、書かないのかい﹂ ﹁あたえられているテーマは、なにしろ、ロマンスだから﹂ ﹁SFのなかにだって、ロマンスはあり得るさ﹂ ﹁ぼくはぼくで、材料をさがすよ﹂ ﹁彼が連絡してきたら、きみにぼくが連絡するから、電話番号を教えてくれ。ぼくのも、教えるから﹂17
雲が動いている。雨の雲だ。広がっている雲の底辺の大きさは、たとえばメイジャー・リーグの野球のためのボール・パークの、五倍はあるだろうか。ぜんたいが、濃い灰色だ。青い空のかなり低いところを、山のむこうからその雲は動いて来た。 その雲は、やや東へそれつつ、南へむかって移動している。コオラウ山脈の南、尾根の南側の険しいスロープの上空に、その雲はある。地図で見ると、ホノルル・ウォーターシェッド・フォレスト・リザーヴと出ているスロープの上空だ。 雲は、アレワ・ハイツの上空にさしかかっている。パラマをかすめて南へ下っていき、パンチ・ボウルににわか雨を降らせつつ、ルナリロ・ハイウエイの上空を斜めに横切るだろう。雲が上空にあるあたりだけ、そのハイウエイには、ほんのしばらくのあいだ、雨が降る。雲はさらに南に下り、アラモアナ・パークのほぼぜんたいに雨を降らせながら、ワイキキの手まえで、海の上に出るだろう。ワイキキの西のはずれに、ほんのすこしだけ、雨が落ちるかもしれない。 いま南にむけて動いていく雲が降らせるような雨を、なに雨と言えばいいのだろうか。にわか雨の、もっと短いものだ。あるときさあっと降りはじめ、雲が移動してしまうと、あっさりととまってしまう。そのひとかたまりの雲だけが濃い灰色であり、そのほかは、完璧な晴天の、青く輝く空なのだ。見渡す空ぜんたいが雨の雲におおわれているなら、にわか雨と呼んでもいいと思う。しかし、ひとかたまりの雲の周囲はすべて晴天であり、その晴天がどちらの方向にも広く見えているのだから、いくら雨の雲が上空に来て、そのときいくら雨が降ろうとも、にわか雨とは呼びにくい。動いていく雲の下にだけ降る、ほんのちょっとした雨を言いあらわす言葉が、たとえばハワイ語にあるだろうか。 フォード・グラナーダで走っているぼくから、その雨の雲は、ぜんたいがはっきりと見えた。雲の動いていくスピードと方向、そしてぼくがむかっている方向とを考えあわせると、ぼくのフォード・グラナーダは、その雨雲の下をかいくぐることになりそうだ。まもなく、ぼくとその雲とは、交差する。 往復六車線の道路に、交差点があった。その交差点に入っていく自動車にとっての信号が、オレンジ色になっていた。ぼくは、グラナーダを減速させた。信号は、赤となった。 横断歩道のこちら側に、ぼくはグラナーダをとめた。そこにとまっている自動車は、ぼくのグラナーダだけだった。道路の左側から、若い女性がふたり、横断歩道を渡って来た。自動車にとって赤信号のその交差点の横断歩道を渡っていきつつあるのは、そのふたりの女性だけだった。明るく強い陽ざしのなかを、彼女たちは歩いた。ぼくのグラナーダのまえを通りすぎていった。 ふたりとも、白人の女性だった。オフィスで働いている人のような服装をしていた。ひとりが熱心になにか喋り、もうひとりは喉をいっぱいにのばして、空を仰いでいた。 グラナーダのまえを通りすぎ、道路の反対側にむかっていく彼女たちを見ながら、ぼくは、ヘッドライトを一度だけ、点滅させた。ストッキングにつつまれたふたりのふくらはぎが、ヘッドライトの光を受けて、一瞬、明るい陽ざしのなかで鈍く光った。 冬のデトロイトでおなじようなことをやってみたときのことを、ぼくは思い出した。あのときも、横断歩道のこちら側にとまって信号がグリーンに戻るのを待っていたのは、ぼくの自動車だけだった。そして、あのとき横断歩道を渡っていったのは、痩せて背の低いおばあさんだった。 おばあさんがぼくの自動車のまえを通りすぎてさらに二、三歩、彼女が歩いてから、ぼくは、ヘッドライトを一度だけ、点滅させてみた。なんの意味もなく、ただそうしてみただけだ。 道路のむこう側にむけて歩いていたそのおばあさんは、ヘッドライトの点滅に気づいた。くるっとむきを変えた彼女は、ぼくの自動車にむかってまっすぐに歩いてきた。右腕を大きくふり上げ、そしてふり降ろし、ぴんとのばした人さし指でぼくを差し示した。もう一度おなじ動作をくりかえしてぼくを人さし指で突き刺さんばかりに差し示した彼女は、 ﹁いま、なぜ、あなたは、あんなことをしたのか﹂ と、きわめて鋭い口調でぼくに詰問した。 運転席のドアの外に立ち、再び腕をふり上げ、ふり降ろし、しわだらけの人さし指でぼくの顔のまんなかを差し示し、 ﹁なぜ、いま、あなたは、あんなことをしたのか﹂ と、おばあさんは、おなじ言葉をくりかえした。おばあさんは、怒っているように見えた。 ﹁道を照らしてあげようかと思ったのです﹂ と、ぼくは、とっさの思いつきを言葉にした。デトロイトの冬、その日の午後は、うす暗かった。そのうす暗さに触発された、思いつきの返答だった。 ﹁道を照らすことの出来るのは、天上の神のみです﹂ と、おばあさんは、ぼくをにらんで厳しく言った。 ぼくは自分の軽率な言動を謝り、おばあさんは気持ちがおさまったのだろう、さきほどとおなじようにくるっとむきを変えると、なにごともなかったかのように、道路のむこう側にむけて歩いていった。 交差点の信号が、グリーンに戻った。ぼくは、フォード・グラナーダを発進させた。走りはじめてすぐに、正面のガラスに、左の縁から右の縁にむけて、さあっと、雨滴がいくつも降りかかった。雨滴は、ガラスの上に点々ととまった。その上にさらにもう一度、雨が降りかかった。雨の雲は、ぼくが走っている道路のほぼ上空に来ていた。やがて、ガラスぜんたいが雨滴で埋まっていった。 ぼくは、ワイパーを作動させた。ガラスを降ろしてある窓から、風が吹きこんだ。強い陽ざしに照らされていたアスファルトの道路に雨滴が当たりはじめたときの匂いが、その風のなかにあった。道路の匂いよりもさきに、ぼくは、フォード・グラナーダのエンジン・フードに雨が落ちて発生する匂いを、感じていた。フードが外から受けとめてたくわえる陽ざしの熱と、内側から受けとめるエンジンの熱とで、うかつに触れると火傷をしそうなほどに熱くなっているところへ雨滴が落ちて来て、ほこりとともにその雨滴が沸騰し蒸発していくときの匂いだ。 雨雲の中心部分が頭上の空にあるとき、ぼくはラジオのスイッチをオンにした。白人の中年男性の、深いバリトンの声が、説得力豊かに、電話会社のコマーシャルをおこなっていた。土曜日を除く毎日、夕方の五時から夜の十一時まで、ホノルルから近隣のどの島へ電話をかけても、通話料金は十分間で二ドル十八セントなのだという。土曜日は、夕方の五時までなら、もっと有利になる。五時までならいつ電話をかけても、十分間で一ドル三十四セントだ。日曜日は、午後五時までなら、土曜日とおなじ料金で電話をかけることが出来る。そして、曜日には関係なく、毎日、夜の十一時から朝の八時までの時間帯においても、やはりおなじ料金だ。月曜から金曜まで、朝の八時から夕方の五時までの料金がもっとも高く、十分間で三ドル三十五セントだ。 座席を予約する手間もいりません、飛行場へいく必要もありません、自宅の居間でお気に入りの椅子にすわり、電話機を引きよせ、受話器をとってダイアルすれば、近隣のどの島へも、格安で旅が出来ます、とそのコマーシャルは伝えていた。ハヴ・ア・ナイス・トリップ、とバリトンの声は結んだ。 つぎも、コマーシャルだった。ほどよく幅と厚みをたたえた、魅力的な低い声の白人女性が、フトンのファンタジーをあなたの現実にしてみませんか、と言った。 日本への観光旅行のコマーシャルだ。京都、奈良、そして湖の箱根で、魅惑的な旅館に宿泊し、畳の伝統に満ちた美しい部屋で布団の上に寝る、という旅行の楽しさを訴えかけるコマーシャルだった。熱い風呂で生きかえり、指圧のマッサージを受け、下にもおかぬもてなしのなか、布団に眠るそのパッケージ・ツアーは、ふたりの場合、ひとりが七千七百四十三ドルだという。四人そろうと、ひとりの料金は六千六百七十七ドルになる。往復の旅費は、この料金のなかに含まれていない。 ぼくのフォード・グラナーダは、雨雲の下を通過した。ガラスの上に落ちてくる雨滴の数が、急に減った。そして、降りはじめたときとおなじように、ある一瞬を境にして、雨は終わった。ぼくは、ワイパーをとめた。 雨雲の下を通り抜けると、再び強い陽ざしのなかに出た。雨に濡れたエンジン・フードが、ぼくの目のまえでまぶしく光った。 日本へいって旅館の布団で寝るという観光旅行のコマーシャルを聞いていて、ぼくは、もう何年もまえに読んだ一冊の本のことを思い出した。一九五〇年代の日本の田舎を旅してまわった、外国人女性による紀行文の本だ。タイトルは﹃草の枕﹄といった。この本のなかに、布団とベッドとのあいだにある決定的なちがいについて書いた部分があった。 その紀行文を書いた白人女性によると、布団は一夜明けるとたたんで押し入れに収納してしまうから、自分の過去を一夜ごとに捨てていくことが出来る、という。朝が来て目を覚まし、布団をたたんでしまえば、たとえば昨日の夜から今朝にかけてという、もっとも近い過去を、あっさりと捨てることが出来る。おなじようにして、一昨日の過去も、そのまたまえの日の過去も、順番にひとつずつ、捨てていける。 布団を毎朝たたむという行為によって、過去は蓄積していかないという保証を、人は手に入れる。眠れぬ夜の哀しみも悩みも、朝が来て布団をたたんでしまえば、それで終わりなのだ。しかし、ベッドでは、そうはいかない。ベッドは、いつも、自分の寝室のなかに存在している。百年まえ、二百年まえのベッドがいまも自分のベッドであるというようなことはすこしも珍しくはなく、したがってそのようなベッドに眠ることは、百年まえ、二百年まえの人たちがその心のなかにかかえて眠りについた無数の悩みや哀しみを、いまの自分が継承してしまうことを意味する。その上さらに、自分の悩みや哀しみが、そのベッドで眠る夜ごとに、ひとつひとつ、蓄積されていく。どんどん蓄積され加算され、経過する時間によってそれらは濃縮される。一台のベッドをめぐって、そのプロセスがいつまでも続いていく。畳の上の布団のように、夜明けとともにたたまれ、すべてがあっさりと帳消しになるというようなことは、ベッドでは絶対にあり得ない。 ﹃草の枕﹄のなかで、著者の女性は、美しい英語でそんなことを書いていた。18
巨大なスーパー・マーケットの東側の壁に沿って、雑誌の棚がつくってあった。棚は何段にもなっていて、全長は三十メートルほどあった。色とりどりの雑誌が、ぎっしりとその棚につまっていた。立ち読みをしながらひとわたり見てむこうの端までたどりつくのに、一時間以上かかりそうな感じがした。 雑誌の棚のむこうは、ペーパー・バックの棚だった。雑誌の棚に比べると、全長は二倍はあった。ペーパー・バックもやはり色とりどりであり、これだけたくさんあると、二、三冊を選ぶだけで、その選ぶという行為は、なんらかのスポーツ的な傾きを持った行為となるのではないだろうかと、ぼくはふと思った。下から五段めの棚にならんでいるペーパー・バックのタイトルを読みながら、ぼくは、棚のむこうにむかって歩いていった。 ペーパー・バックの棚のいちばん端のセクションは、ロマンスだった。さまざまなブランドのロマンスが、棚にならんでいた。表紙の絵は、あるひとつのテーマをいかにヴァリエーショん豊かに描くことが出来るかに関する、ちょっとした実験のようだった。 ロマンスの棚の中央に、ぼくは立ちどまった。棚のなかのロマンスに、ぼくはむきあった。目のまえにならんでいるのは、二度めの結婚をする美しい女性を主人公にしたロマンスのシリーズだった。そのシリーズは、ぜんぶで五十冊以上あった。 タイトルをひとつひとつ読み、そのタイトルに添えてある表紙絵をながめていくと、やがて、両足がフロアから数インチほど浮きあがったような気分となった。頭のなかはぼうっとして、顔はすこしだけほてっているような感触があった。 ショッピング・カートを押して、ひとりの女性がロマンスの棚のまえに来た。棚にならんでいるロマンスを見ながら、彼女はぼくのすぐ右隣りまで移動してきた。ぼくは、彼女のショッピング・カートを見た。 カートのいちばん底には、ボーラックスの箱がいくつか、横たえてあった。一番上には、ダンカン・ハインズのチョコレート・チップ・クッキー・ミックスの箱が乗っていた。ボーラックスの箱とチョコレート・チップ・クッキー・ミックスの箱とのあいだに、彼女の今日の買い物が、ぎっしりとつまっていた。透明なプラスティックの袋のなかに真空パックしたスモークド・ソーセージが見えた。赤いそのソーセージは長く一本につながっていて、袋のなかで何重にも楕円形となっていた。 ジマイマ伯母さんのワッフル・ミックスの箱も見えた。その箱の下には、ミラクル・ホイップ・サラダ・ドレッシングの太い瓶が横たわっていた。サラ・リーのクロワサンはハムとスイス・チーズ入りだ。キャット・フードの袋にはさまれて、米とスライスしたアーモンドとをいっしょに詰めあわせたものの箱が、上下さかさまとなっていた。 ショッピング・カートから彼女へ、ぼくは視線を移動させた。肥りぎみの、そしてこれからどんどん肥っていきそうな気配の濃厚にある体に、彼女はグリーンのショート・パンツに紫色の半袖のシャツを着ていた。ごく普通に可愛い、無難に整った顔に、彼女は丁寧な化粧をほどこしていた。 手をのばしたぼくは、棚のなかから一冊のロマンスを抜き出した。このロマンスの表紙でも、ひとりの美しい女性が、ハンサムな男性に斜めに抱きかかえられ、唇を半開きにしていた。絵をよくながめ、宣伝文句を読んでから、ぼくはそのペーパー・バックを棚にかえした。そして、ちがうところから別の一冊をとった。 ﹁それは、とてもいいわよ﹂ と、ショッピング・カートの彼女が言った。 ﹁お読みになったのですか﹂ ﹁そうよ﹂ ﹁どんなストーリーなのですか﹂ ﹁ふたりの女性が、ひとりの男性を愛するの﹂ ぼくは、表紙を見た。かたちどおりのハンサムな男性がたくましい胸をあらわにしていて、その両側に、女性がひとりずつ、描いてあった。ふたりの女性たちは、それぞれ、彼の裸の胸に顔を寄せようとしているかに見えた。髪のつくりはちがっているが、そのほかの点では、彼女たちふたりはそっくりだった。 ﹁ふたりの女性は、姉妹ですか﹂ ぼっくは、きいた。 ﹁ちがうのよ。ひとりはアメリカの女性で、もうひとりは、フランスの女性なの﹂ ﹁この表紙の絵だと、ふたりは姉妹のように見えますね﹂ 彼女は、ぼくが持っているそのロマンスの表紙に視線をむけた。首を傾けた彼女は、表紙のなかのふたりの女性を、じっと見た。 ﹁そう言えば、そうね﹂ と、彼女は言った。 ﹁双子の姉妹みたいに見えますよ﹂ ﹁そうね。その絵を描いた画家は、ふたりの女性のうちどちらかを先に描いたのね。そして、ふたりめを描くときには、はじめに描いたほうの女性の顔を、まったく見なかったのよ﹂ 彼女の冗談に、ぼくは微笑した。 ﹁あなたは、ロマンスをたくさんお読みになるのかしら﹂ 彼女が、ぼくにきいた。 ﹁読むのではなく、書くのです﹂ ﹁あら。これまでに、どんなのをお書きになったの?﹂ ﹁実績はまったくなくて、これから書こうとしているのです﹂ ﹁いいのを書くと、買って読んでくれる人はたくさんいるわよ﹂ ﹁やってみます﹂ ﹁幸運を祈るわ﹂ ロマンスの棚のまえで、ぼくと彼女とは、こうしてすれちがった。 とてもいいわよ、と彼女が言っていたそのロマンスを、ぼくは買った。タイトルは、﹃ある種の愛情にもとづいて﹄というのだった。ひょっとしたら、ぼくはこのロマンスを読むかもしれない。しかし、買った理由は、記念としてだ。ひらめいた記念だ。ぼくがこの島で書こうとしている小説の、基本となるアイディアが、まっ白くジグザグに走る一本の稲妻のようにぼくの頭の内部にひらめいた、そのことの記念だ。19
一冊の本になる分量で、ラヴ・ストーリーをひとつ書かなくてはいけないのだという基本的な命題は、この島に来たとき、すでにぼくの頭のなかにはっきりとあった。そのことについて意識して考えてはいなくても、これからぼくがひとりで書くラヴ・ストーリーのことは、いつもぼくの頭のどこかにある。考えているような、それでいてなにも考えていないような、微妙な状態で、基本的な命題は、ぼくをぼくの内側からいつも監視している。 この島にいるあいだにストーリーをひとつみつけ、そのストーリーを原稿に仕上げなくてはいけないという思いは常に心のなかにあるから、どこへいってなにをしていても、ぼくは心のどこかでいつもストーリーをさがしているのだと思う。そのストーリーを書くためにぼくはタイプライターを買ったし、新しいタイプライターに慣れる作業を兼ねて、ストーリー・ライティングのための助走路として、いくつかの短い文章を書いたりもした。 ほんのちょっとしたことでいいから、どこかにきっかけをみつけ、そのきっかけを手がかりにして、ストーリーをひとつ、みつけなくてはいけない、という基本的な心がまえは、すでに充分に出来ていた。 この基本的な心がまえの上に、サーフボードのシェイパーだというフレデリック・バーソロミューから聞かされた、日本人カメラマンの話が、たとえばフィルムの表面に一層だけ塗ったエマルジョンのように、定着していた。そしてそのエマルジョンの上に、ペーパー・バックのロマンスが、一定の光量として、投影された。ひとりの男性を愛するふたりの美しい女性。ふたりの女性たちは、まるで姉妹のようによく似た顔かたちで、ペーパー・バックの表紙に描いてあった。その彼女たちについて、ぼくは、まるで双子の姉妹のようですねと、なにげなく言った。ぼく自身が書くストーリーのためのアイディアがひらめいたのは、おそらくこの瞬間だったのだろう。 あのとき、ショッピング・カートを押しながらロマンスの棚のまえへやって来た、あの普通に可愛い女性には、感謝しなくてはいけない。彼女がぼくに語りかけてくれたからこそ、彼女とぼくとのやりとりがあったのであり、あのやりとりがあってはじめて、ぼくの頭のなかにアイディアがひらめいたのだから。彼女は、年齢や雰囲気から推測して、おそらく主婦だろう。今日も、この島のどこかで、家事のあいまにロマンスを読んでいるだろうか。 ひとりの男性を愛した、美しい双子の姉妹の話を、ぼくは書けばいい。舞台は、主としてこの島だ。気がむけば、日本もすこしだけ舞台として使おう。そして、主人公たち三人は、日本人だ。 美人の双子姉妹を思いつくための最初のきっかけは、フレデリック・バーソロミューがぼくにくれている。彼の友人の日本人カメラマンは、いまのこの島とは別に、そっくりおなじ形、おなじ地形の島がもうひとつあり、そこにはこの島の昔が、昔の良さのままに残っているという夢物語をつくり、バーソロミューがそれを間接的にぼくに伝えてくれた。現在の状態や内容はそれぞれ大きく異なってはいても、昔にむけてたどりなおしてみると、もとはひとつであるふたつのそっくりおなじ形をした島、というアイディアは、確かに面白い。その面白さがぼくの頭に残っているときに、まるで双子の姉妹のように見えるロマンスの表紙絵が、タイミングよく重なったのだ。 ひとりの男性を愛した、きわめて美しい双子の姉妹の物語。そう、ぼくはこれを書けばいい。彼ら三人のラヴ・ストーリーは、悲しい愛の物語だ。どんなふうに悲しいのか、そこをぼくがぼくなりに工夫すればそれでいい。20
聴いてくれている人たちを、たちまちにして過去へ連れ去ることを唯一の目的としている私たち、および私たちの局、といううたい文句のそのAM局は、今日、火曜日の午後二時すぎ、ジョニー・ホリデーという名前のついているDJが、リスナーたちを一九六四年へ連れもどそうとしていた。 一九二〇年代から一九七〇年代までの五十年間が、このAM局が扱う領域だ。この五十年間のなかからさまざまに時代をこまかく区切っては、その区切った期間のなかでのヒット・パレードを、出来るかぎり当時の雰囲気そのままに、DJが再現してみせる。あるいは、かつて北アメリカの各地で実際にラジオ局で放送されたDJ番組やヒット・パレード番組のテープを手に入れてきて、それをそのまま放送する。そのままと言ってもたとえば当時のコマーシャルは使用出来ないから、その部分は編集でとりのぞいてしまう。番組の途中に入ってくるアナウンスメントや短い臨時ニュースなどは、しかし、当時のままにしてある。権利関係や契約が複雑で、昔のオン・エア・テープをそのまま使うことが出来ない場合は、そのテープをもとに、当時のDJの雰囲気や喋りかたをうまく真似することの出来るDJが、当時をシミュレートしてテープを作っていく。そして、それを放送する。現在のアナウンスメントや現在のニュースを流すときには、その前後でアナウンサーがしつこくその旨、ことわっている。 一九六四年、オハイオ州クリーヴランドのWHKというAM局でDJとして活躍していたジョニー・ホリデーのヒット・パレード番組は、一九六四年に実際にオン・エアされたテープをそのまま使っての放送だという。 一九六四年。遠い昔だ。ほとんどなにも覚えていない。ときとして、ぼくたちは、あまりにも速やかに、さまざまなことを忘れてしまうようだ。 ジョニー・ホリデーのDJと、彼がつづっていくヒット・パレードを聴いていると、忘れていたさまざまなことをすこしは思い出すだろうか。かんかん照りの暑い日の昼寝にちょうどいい番組だが、ぼくはフォード・グラナーダでホノルルの一角を走っている。どこかへむかっているわけではない。グラナーダで走る目的は、なにもない。しいて目的をあげるなら、ひとつまえの第十九章でその発端だけをとりあえずぼくが書いたようなストーリーを、さて、どうやってふくらまし、どんなふうに構成し、登場人物たちをどのように造形し、ディテールをどんなふうに決めていけばいいのかというようなことに関して、フォード・グラナーダのなかでぼんやりと考えをめぐらすことだ。こんなふうになんの用もなしに自動車で走っているとき、ぼくはいいアイディアを思いつくことが多い。 一九六四年、オハイオ州クリーヴランドのWHK局、ジョニー・ホリデーのヒット・パレード番組では、ボブ・アンド・アールの﹃ハーレム・シャフル﹄が終わったところだ。この曲の名前は、何度も聞いたことがある。しかし、曲自体をはじめから終わりまでカー・ラジオで聴きとおしても、ぼくの内部では一九六四年とつながってはこなかった。 地元ウォーレンズヴィル・ハイツにある同名のハイスクールのバスケット・ボール・チームを讃える歌のあと、ステーション・ジングルに続いて、メリー・ウエルズの﹃マイ・ガイ﹄という歌が、はじまった。 この歌は、何度も聞いたことがある。ただし、聞いた回数のうち、メリー・ウエルズによるのが半分、そして残りの半分は、スモーキー・ロビンスンによるものだろう。 メリー・ウエルズの歌の、最後の音が消えかかると同時に、その音の上に、バドワイザーのコマーシャルが重なった。一九六四年といえば、偉大なる社会やトンキン湾事件をぼくでも思い出すが、そんなこととはまったく関係がないような、まるで反対の方向へ底抜けに徹底したようなコマーシャルだった。 WHK局のニュース番組のコマーシャルに続いて、歌はホンデルズの﹃リトル・ホンダ﹄だった。ホンダをもじって、ホンデルズなのだ。この歌のずっとむこうに、たとえば、一九六四年の夏、ハーレムで起こった黒人の暴動を、﹃タイム﹄や﹃ニューズウィーク﹄に掲載された何枚もの写真として、ぼくは思い出す。 ザ・デキシー・カップスの﹃愛の教会﹄をへて、一九六四年モデルのランブラーのコマーシャルを聞いたりすると、当時がようやくすこしだけ蘇ってくる。ランブラーのコマーシャルのなかでは歌が使用されていたが、この歌は一九五八年のヒット曲﹃ビープ・ビープ﹄に、コマーシャルとしての詞をつけなおしたものだ。 続いて、レニー・ウエルチの﹃きみに惚れて以後﹄という歌がかかった。きみに惚れて以来、せつなくて苦しくてかなわん、という内容の、とてもよく出来たメロディー・ラインを持ったバラッドだ。 バラッドのあとは、ソーセージのコマーシャルだった。地元クリーヴランドで一九六四年に人々の人気を集めていた、カーンズのウイーナ・ソーセージは赤いばらのマークだったという。カーンズのスペリングは、ケイ・エイ・エイチ・エヌ・アポストロフィ・エス。このカーンズのウイーナがいかに美味であるかを説得するために使用されるいくつもの言葉を、ひとつひとつ浮けとめていたら、ぼくはソーセージを食べたくなった。 ソーセージのコマーシャルと連続して、突然、小さな子供が口をきいた。やっと言葉を喋ることが出来るようになった年齢の子供が、 ﹁うちのママはWHKレイディオを聴いてます﹂ と、言った。WHK局の、プロモだ。大事なひと言を喋ったその小さな子供の性別は、見当がつかなかった。 ベティ・エヴェレットの﹃シュープ・シュープ・ソング﹄が続いた。タイトルには、記憶がある。しかし、歌った女性の名前、ベティ・エヴェレットをも思い出すことは、ぼくには出来ない。 二分十一秒のベティ・エヴェレットの歌の次は、コカコーラのコマーシャルだった。コカコーラがあるとものごとはうまくいく、というコピーが、歌になっていた。そして、その歌を、ライムライターズが歌っていた。このコマーシャルはアメリカに広くいきわたり、その結果として、ザ・ライムライターズのテナー、グレン・ヤーボロがグループを離れてソロになったとき、グレンは自分のレパートリーにこのコカコーラのコマーシャルを加えざるを得なかった。グレン・ヤーボロとこのコマーシャルとがあまりにも強く結びついていたので、グレンを聞きにきた人たちは、ついでにコカコーラのコマーシャルも聞かないと、承知しなかったのだ。 曲と曲とのあいだには、かならずアナウンスメントやコマーシャルがあった。今度は、WHK局が主催している、現金の当たるクイズについての案内だった。ジ・インプレッションズの﹃イッツ・オール・ライト﹄が、重なった。二分四十二秒。このグループのリード・シンガーだったカーティス・メイフィールドの声は、こうして歌を聴くと思い出す。 この歌が終わると、次はミス・ティーンエイジ・アメリカを選出するための予選である、ミス・クリーヴランドの選出大会の案内があった。その次は、アメリカ羊肉連盟のコマーシャルだった。連続TVドラマ﹃お父さんの言うとおり﹄に出演しているジェーン・ワイアットが、羊肉に関するコマーシャルを語った。ザ・シャングリ・ラーズの﹃砂の上を歩いたのを覚えていますか﹄という歌をあいだにはさみ、WHK局のバスケット・ボール・ティームが出場する試合についてのアナウンスメントがあった。そして、歌は、テリー・スタッフォードの﹃サスピション﹄だ。この﹃サスピション﹄は、エルヴィス・プレスリーの主演映画のなかの歌のひとつだ。一九六四年に出たエルヴィスのいくつかのシングル盤のうちのひとつのB面に入っていた。エルヴィスのこの歌はあまり評判にはならなかったが、テリー・スタッフォードがエルヴィスそっくりに歌ったシングル盤は、ヒット・チャートの第三位に登場するほどのヒットになった。 テリー・スタッフォードの﹃サスピション﹄を聴きながら、ぼくは左折した。左側にだけ並木の歩道がある、静かな通りだった。ふと見かけて気に入り、ただそれだけの理由で、ぼくはその道路に左折した。 歌が終わると、ジョニー・ホリデーではなく、ほかの男性アナウンサーが登場し、一九六四年のアメリカにどのような出来事があったかについて、社会ぜんたいを回想するかたちで語りはじめた。ウォーレン委員会の報告書についてまず彼は語り、そのあと、カリフォルニア州の人口がニューヨーク州を抜いてアメリカで第一位になったことについて、語っていった。 アナウンサーによるこの語りの部分には、リスナーたちからの投書も、数多く採用されていた。一九六四年なら一九六四年のなかでの、さまざまな人たちの小さな思い出を投書のなかから拾いあげ、語りのなかに織りこんでいくのだ。 ブルックリンとスターテン・アイランドとのあいだに、世界でもっとも長い吊り橋である、ヴェラザーノ・ナローズ・ブリッジが一九六四年に開通したことについてアナウンサーが語っているとき、前方からゆっくり自転車で走って来た中年の男性が、フォード・グラナーダのぼくにむかって片手をあげ、なにか合図をした。自転車は、ぼくから五十メートルほど前方だ。彼の合図は、ぼくに対してなにか注意をするような合図だった。ぼくは減速し、すぐにグラナーダを止めた。 自転車の男性は、ゆっくり走ってきてグラナーダの左側に止まった。屋根に手をかけようとした彼は、思いなおしてやめた。グラナーダの屋根は、火傷をするほどに熱くなっているはずだ。 路面に両足をつき、グラナーダの運転席にむけてかがみこんだ彼は、 ﹁この通りは、一方通行だよ﹂ と、静かに言った。 どうも変だと、ぼくは意識の遠い片隅で、さきほどから思ってはいた。そうか、やはりワン・ウエイだったか。 注意してくれたことに、ぼくは礼を述べた。その男性は、自転車でぼくのうしろへ走り去っていった。 ぼくは、前方を見た。そして、ミラーを介して、後方も見た。このまま走って一方通行が終わる地点までいってしまうよりも、リヴァースでもとのところまで戻ったほうが距離ははるかに短いことを知ったぼくは、セレクター・レヴァーをリヴァースになおした。そして、ゆっくりとリヴァースで発進した。 シートに腕をまわし、大きく体をひねって窓ごしにうしろを見ながら、リヴァース・ギアで走るのが、ぼくはなぜだか好きだ。こうしているときだけは、遊園地のなかで玩具の自動車に乗っているような気分になる。 リヴァースで走りきり、いったんそこで停止して、さらにぼくはリヴァースでグラナーダを外の道路へ出していった。車体が完全にその道路に出て再び停止し、セレクター・レヴァーをリヴァースからもとに戻した。ゆっくりと、前進した。交差点までそのまま徐行していき、赤信号で止まった。 一九六四年のアメリカについて語るアナウンサーのコメンタリーは、まだ続いていた。ぼんやりとそれを聴きながら、ぼくは、横断歩道を渡っていく人たちを見た。人々の姿が目には入っているけれど、ひとりひとりきちんと識別しているわけではない。渡っていく人たちは、ひとかたまりに人として見えているだけだ。 長い赤信号だった。人がひとしきり渡っても、まだ赤の状態が続いた。グラナーダの右側から、人がひとり、助手席ごしに運転席のぼくをのぞきこむのを、ぼくは視界の縁に感じた。ぼくは、顔を右にむけてみた。 ひとりの美しい女性が、体をかがめてのぞきこみ、ぼくを見ていた。彼女が誰であるかぼくの意識が正しく認識するまでに、ほんの一瞬、時間が必要だった。まったく予期していなかったことだから、その一瞬の手間が必要となったのだ。 ぼくは、笑顔になった。彼女も、にっこりと笑った。 ﹁入ってこいよ﹂ と、ぼくは、右側のシートを示した。 ﹁とにかく、入ってこいよ。話は、それからだ﹂ うなずいた彼女は、グラナーダの助手席のドアを開いた。きれいな身のこなしで、彼女は車内に入ってきた。シートにおさまってドアを閉じ、ぼくにむきなおり、 ﹁いったい、どうして?﹂ と、楽しさのあまり思わず叫んだ、というような口調で言った。 信号がグリーンに戻った。横断歩道に人が出てくる可能性がないことを確認してから、ぼくはグラナーダを発進させた。そして、横断歩道を越え、浅い角度で交差している道路へ右折した。そうするのがもっとも簡単だったから、そうした。 ﹁こんなとき、なぜ、ときくなよ﹂ ライト・ターンを終わってから、ぼくは彼女を見て言った。 ﹁横断歩道を渡りながら、ふと見たらあなただったので、びっくりしたわ﹂ ﹁ぼくだって、驚いた﹂ ﹁いったい、なぜ﹂ ﹁きみこそ﹂ ﹁私は休暇なのよ﹂ ﹁ひとりで?﹂ ﹁もちろん。あなたは?﹂ ﹁ぼくは、ぜんたいの十パーセントが、休暇といっていいかな。残りの九十パーセントは、仕事だ﹂ ﹁いまは、ここで仕事をしているの?﹂ ﹁完成させて東京へ持って帰る仕事を、ここでしているのさ﹂ ﹁びっくりしたわ﹂ ﹁ぼくも、充分に驚いた﹂ 彼女は、日本の女性だ。いつもは、東京に住み、そこで仕事をし、生活をしている。ぼくが数日前に新品のタイプライターで書いたいくつかの短い文章のうちのひとつ、﹃ハナのハンナ﹄のなかに登場したハンナこと花子さんは、じつは彼女だ。秋野花子という。彼女と会うのは、七か月ぶりだ。 ﹁仕事は、なになの?﹂ と、花子はきいた。 ﹁書くんだよ﹂ ﹁なにを?﹂ ﹁ストーリーを﹂ ﹁物語?﹂ ﹁おおげさに言えば、物語でもいい﹂ ﹁普通に言えば、なになの?﹂ ﹁ストーリーだね。ラヴ・ストーリー。この島にいるあいだに、ひとつのラヴ・ストーリーを、一冊の本になるほどの分量に書いてきちんと仕上げ、それを東京に持って帰らないといけない﹂ ﹁期限は?﹂ ﹁あるような、ないような。しかし、長びきすぎてもいけない。適当な期間のなかで、書きたいんだ﹂ ﹁どんなストーリーなの?﹂ ﹁ごく基本的なアイディアが、つい先日、出来たばかりだ﹂ ﹁どんなアイディアなの?﹂ 花子は、ぼくに顔をむけてきいた。優しさと情緒によってほどよく縁どりされた、明るい知的な興味を静かにたたえて、彼女は、いつもこんなふうにぼくと対応してくれる。 ﹁いまの段階だと、そのアイディアは、ほんとにひと言で言えてしまう﹂ ﹁言ってみて﹂ ﹁たいへんに美人の、中身もそれぞれに素晴らしい、双子の姉妹がいてね。そのふたりが、ひとりの男性を愛してしまうストーリーだよ﹂ ﹁まあ﹂ ﹁ほんとに、いまのところは、まあ、としか言いようがない﹂ ﹁いまはまだ、それだけしかないの?﹂ ﹁そうなんだよ﹂ ﹁これから、そのアイディアを、ふくらませていくのね﹂ ﹁そう﹂ ﹁大変だわ﹂ ﹁協力してくれると、ありがたい﹂ ﹁どんなふうに協力出来るかしら﹂ ﹁まず、会話をしよう﹂ ﹁そのアイディアをふくらませていくための会話ね﹂ ﹁そう﹂ ﹁楽しいわ﹂ 一九六四年に連れもどしてくれるラジオ番組では、男性のアナウンサーが、一九六四年のアメリカ合衆国のなかでどのような出来ごとがあったかについて、ひき続き語っていた。煙草は健康にとって有害であるという警告を、煙草のパッケージに印刷すべきであるという決定を、連邦商業委員会が発表したのが、一九六四年だったと、そのアナウンサーは言った。次の年、一九六五年から、アメリカの煙草のパッケージには、喫煙は健康にとって有害であるという警告表示が印刷されるようになった。ぼくは手をのばし、ラジオのスイッチをオフにした。 ﹁七か月ぶりに、この島でばったり会えるとは﹂ と、ぼくが言った。 ﹁うれしいわ﹂ ﹁ぼくも、うれしい﹂ ﹁元気そうね﹂ ﹁ごく普通に、元気だよ。きみは、いちだんと素敵だ。なぜ、いま、きみは休暇なんだ﹂ ﹁休暇に理由なんかないわ。自分のために自分で決めたのよ﹂ ﹁かつてマウイでいっしょに過ごしたことがあって、今度は、二度めだね﹂ ﹁あのときは、楽しかったわ﹂ ﹁もっと楽しいものにしよう﹂ ﹁大賛成よ﹂ 花子はいま一軒の家を借りてそこにひとりで住んでいるのだと、教えてくれた。その家は、ジョージ・ストリートにあるという。ジョージ・ストリートがどこにあるのか、花子は説明してくれた。ダイアモンド・ヘッドの北側だ。その自宅へこれから帰るところだったと、花子は言った。 ﹁では、自宅まで送るよ﹂ ﹁寄ってほしいわ。もしよかったら、お茶でも﹂ ﹁お茶を﹂ ﹁そして、ストーリーの話をしましょう﹂ ﹁ダイアモンド・ヘッドの南をぐるっとまわっていこうか﹂ ﹁そうしましょう﹂ 三十分後には、ぼくたちは、ダイアモンド・ヘッドの南側から東をまわり、北側に出ていた。北側のスロープには、短いストリートが何本も、規則的にならんでいる。西のカナナ・アヴェニュー、そして東のアロヘア・アヴェニューとのあいだにはさまれた短い何本ものストリートのうちのひとつが、ジョージ・ストリートだった。 彼女が借りている家は、小ぶりだがきっちりと端正に居ずまいを正した雰囲気のある、きれいな木造の家だった。前庭が広くあり、家は道路からずっとひっこんで建っていた。ドライヴ・ウエイが、道路から芝生のなかを斜めにのびていた。 フォード・グラナーダを、ぼくはそのドライヴ・ウエイのなかほどにとめた。彼女がドアを開いて外に出た。ぼくが、続いた。エンジン・フードのまえで彼女はぼくをふりかえって微笑し、家のポーチにむかって歩いた。彼女のうしろ姿を見ながら、ぼくも歩いた。彼女は、白い半袖のシャツに、カーキー色のハイキング用のショート・パンツをはいていた。くっきりときれいにのびた、しなやかに優しい線を持つ彼女の脚を、ぼくはうしろから見た。彼女は、ポーチの階段をあがっていった。一段ごとの彼女の脚の動きの美しさを、ぼくは暑い午後の日の陽ざしのなかに鑑賞した。21
外は陽ざしの強い、暑い午後だが、家のなかの空気は、ひんやりとしていた。設計が巧みだから、家のなかのどこにいても、適当な間隔を置いて、ふと風の動きを体に感じることが出来た。 家具や調度は、借りたときからこの家に付属していたものだと、花子は言った。住んでいるとは言っても、休暇を過ごしているだけだから、いつもの彼女の日常は、家のなかになかった。雑多になりがちな日常を、ごく単純なものへと気持ちよく削り落として残ったものだけが家のなかにあるという、すっきりとした快適さは、家のなかを案内してもらったぼくにとっても、快適だった。 暑い日のために、花子はハーブ・ティーをいれてくれた。居間で、ぼくたちはそのハーブ・ティーを飲んだ。ぼくは居間の片方のソファにすわり、彼女は居間のスペースの反対側にあるイージー・チェアにすわった。 ハーブ・ティーは、ミントの葉が基本となっていた。そのミントに、何種類ものハーブが複雑に微妙に混合されていた。ボーン・チャイナのカップのなかは、複雑な味と香りとの熱い充実だった。 外にある気温の高さや陽ざしの強さ、そしてそれに対比する家の内部のひんやりとした心地よさ。このふたつのあいだに、彼女がいれてくれたハーブ・ティーは、みごとに中立だった。このような本当の中立は、まったく異なったふたつのものをすんなりと結びつける機能を果たす。 ぼくは、そのハーブ・ティーを飲んだ。顔をあげてふと部屋のむこうを見ると、彼女もイージー・チェアに端正にすわり、おなじハーブ・ティーを飲んでいた。 居間の広いスペースをあいだに置いて、ぼくたちは微笑しあった。 ﹁あなたとここでこんなふうに出来るなんて、つい一時間ほどまえには、思ってもみなかったことだわ﹂ 花子が言った。 ﹁ぼくも、おなじ気持ちだ﹂ ﹁どうして、ここでストーリーを書くことになったの?﹂ この質問からはじまって一時間、ぼくと彼女とは、ぼくがこれから書こうとしているひとつのストーリーに関して、会話をおこなった。その会話だけをそのまま書いていくと、次のようになる。 ﹁ぼくのエディターに頼まれたのさ。しばらく場所を変えて、ついでに気分も変えてきますとぼくが彼女に言ったら、気分を変えたさらにそのついでに、ストーリーをひとつ書いてきてほしいと、依頼されたんだ。せっかくここへ来るのだから、この島を舞台にしてストリートがひとつ出来ないかしらと、彼女は言うんだ﹂ ﹁女性のエディターなのね﹂ ﹁素敵な人だよ。こんど、東京で紹介しよう﹂ ﹁依頼を引き受けたのね﹂ ﹁書けたら書いてみる、とだけ言ったのだけど、やはり書けませんでしたと、彼女に伝えるのはつらい。だから、書いてしまったほうがいい﹂ ﹁この島へ来て、どのくらいになるの?﹂ ﹁まだ二週間だよ﹂ ﹁そのあいだ、なにをしてたの?﹂ ﹁ストーリーを捜していた。それに、新しい利口なタイプライターを買ったし、そのタイプライターで、短い文章をいくつか書いた。練習さ。きみのことも、書いたよ﹂ ﹁私のなにについて書いたの?﹂ ﹁いつだったか、マウイのホテル・ハナ・マウイでいっしょだっただろう。あのときのことさ﹂ ﹁読みたいわ﹂ ﹁読ませてあげる。ぼくの部屋へ帰ると、その文章はタイプライター用紙の箱のなかに、まだなにも書いてない紙といっしょに入っている﹂ ﹁読みたいわ。ぜひとも﹂ ﹁ぜひとも、読んでくれ。きみ以外のことについて書いた文章も、よかったら読んでくれ。どれもみな、この島のことだ﹂ ﹁明日﹂ ﹁いいよ﹂ ﹁ストーリーそのものは、まだ、なんにも書いていないのね﹂ ﹁書いていない。さっきも言ったとおり、ひと言で言ってしまえるようなかたちのアイディアがひとつ、浮かんだばかりだから﹂ ﹁美人で素敵な双子の姉妹が、ひとりの男性を愛してしまう物語﹂ ﹁そうだね﹂ ﹁読むのは楽しくても、書くのは難しそうだわ﹂ ﹁だからこそ、書くのさ﹂ ﹁のさ﹂ ﹁そうなのさ﹂ ﹁ストーリの舞台は、この島なのね﹂ ﹁主として、この島。東京が出てきてもいいし、ほかのどこが出てきても構わないんだ﹂ ﹁美人の双子姉妹﹂ ﹁うん﹂ ﹁そっくりなのね﹂ ﹁すくなくとも、外見は、ほんとにそっくりで、しかも、たいへんに美しい﹂ ﹁どちらかが姉で、どちらかが妹ね﹂ ﹁そう﹂ ﹁年齢は?﹂ ﹁いまのきみとおなじでいいよ﹂ ﹁そのふたりが、ひとりの男性を愛してしまう。どんな男性なの?﹂ ﹁たとえば、ぼく。現実の男性に即して考えたほうが、考えやすいかもしれない﹂ ﹁だったら、私は、美人の双子姉妹の、姉のほうだわ﹂ ﹁ふたりはこの島で知り合う。そして、愛しあう﹂ ﹁簡単なのね﹂ ﹁プロセスは、あとから考えればいいんだ。まず、ストーリーの骨格をつくらないといけない﹂ ﹁ふたりは、愛しあう﹂ ﹁そうだよ﹂ ﹁ラヴ・ストーリーって、主役のふたりにとって、どこかになんらかの問題が生じなくてはいけないみたいね。ふたりの愛の行くてに立ちはだかる、なにか粋ではない、やっかいな現実問題﹂ ﹁ふたりがすんなりと愛しあうようになってしまうのはいいのだけど、その愛がそのまますんなりと続いていっては、ストーリーにならない、ということだね﹂ ﹁そうね。ふたりが愛しあったが故に、なにか困ったことが起こってこないと﹂ ﹁なにがいいだろう﹂ ﹁なにかしら。男性のほうは、どんな仕事をしているの?﹂ ﹁時間が自由になる男がいいね。ぼくのような職業﹂ ﹁あなたは、ストーリーを書くのが職業なの?﹂ ﹁これは趣味かな﹂ ﹁確かに、時間は自由になったほうがいいわね。素敵な女性エディターの依頼を受けて、この島へストーリーを書きに来ている、ひとりの男性。その男性が、双子姉妹の姉と、ある日、知りあう。ふたりは、愛しあうようになる。さて、そこから、どうなるの?﹂ ﹁さあ﹂ ﹁女性エディターの存在が、気になるわね﹂ ﹁彼女は、そのままにしておこう。ストーリーのなかに登場してくるとしても、後半になってからのほうがいいな﹂ ﹁では、そうしましょう。愛しあって、楽しい日々が続いて﹂ ﹁一年が経過していった、というのはどうだ﹂ ﹁いいわよ。でも、その一年間を、順序どおりずっと書いていくの?﹂ ﹁どうかな。構成は、あとで考えよう。ストーリーの基本的な種を、いまは考えよう﹂ ﹁ふたりには、すでに一年間という、素晴らしい愛の体験と蓄積がある。彼女はこの島にいて、彼は、そうね、この島と日本とを、往復しているといいのよ、きっと。一年のうちに、六度くらい、この島に来るの。小説を書こうとしていて、実際に書いていて、ここと日本とを、往復しているの﹂ ﹁ストーリーを書くのだったら、往復する必要はないんだ。むしろひとつの場所にずっといなくてはならないのだから、したがって、彼もこの島にいればいい﹂ ﹁だったら、そうしましょうよ。彼女も彼もここにいて。ふたりは、おなじ島にいるのね。いいことだわ。でも、たいへんな美人の双子姉妹、と聞かされると、私のまず最初の反応は、しとやかな、和服のよく似合う、清楚な、そして静かだけど強い情熱をほとんどいつも秘めたままにしている、どちらかといえば細身の、いかにも女らしい体の、優しい女性を連想してしまうわ﹂ ﹁ぼくは、べつにそうでもないけどなあ。それは、きみ自身の問題だ。でも、そうだね、いかにも女性らしい、しとやかな、和服の似合う、おとなしい感じという女性には、しないほうがいいとぼくは思う﹂ ﹁彼女は、なにをしている人なのかしら。仕事は、してるの?﹂ ﹁仕事は、あったほうがいいだろうね。普通の仕事ではなくて、なにか変わった仕事がいい。体でおこなうような仕事。そして、それは、彼女にとっては、ただ単なる仕事、というふうにはなかなか認識出来ないような﹂ ﹁シー・ライフ・パークで、イルカのプールのなかでイルカにまたがって泳いだりする女性がいるでしょう。あんな人は、どうかしら﹂ ﹁彼女は、きっと、海のことを研究している人だよ﹂ ﹁そうでしょうね。海の生物の研究とか。海洋物理学者なんか、どうかしら。この島には、ぴったりよ﹂ ﹁すこし出来すぎのような気がする﹂ ﹁出来すぎの話は、あなた、好きでしょう﹂ ﹁好きだけど、ここでは、もうすこしちがっていたほうがいい。彼女の内部にすべてはすでに存在していて、その存在するものをただ人に見せるだけで充分に成立するような、そんな職業﹂ ﹁ダンサー﹂ ﹁ちょっと、ちがうな。たとえば、空手のインストラクターとか。そうだ、それがいい。彼女は、空手の有段者なんだ。段位はとても高くて、優秀なのさ。この島で、彼女は空手を教えている。教えると言っても、一種のデモンストレーターのような、つまり、空手インストラクター兼空手モデルのような。それがいい。それにしよう﹂ ﹁面白いわ。たいへんに美しくて、ほっそりしていて、じつによくひきしまっていて、筋肉がきれいに浮きあがって、精悍なのだけど、どこかにきわめてエロティックというか、色気みないなものがあって、しかし静かで、清楚で、妙にうわついたところはまったくないけれど、ユーモアはちゃんとわかる。そんな女性。そんな女性が、優しいかどうか、疑問だわ。きっと、ほんとうは、優しくないのよ。厳しいの﹂ ﹁いいね。そういう女性がいい。それにしよう。ぴったりだ﹂ ﹁そうなってくると、彼がストーリーを書く人、つまり作家であるということが、どことなく釣り合わないような気もしてくるの﹂ ﹁ぼくも、そう思う。彼は、べつに作家でなくてもいいんだ。話をはじめやすくするためにも、たとえばぼくのような人、と仮定をしただけなのだから﹂ ﹁彼も、体で仕事をしているというか、現場主義みたいな、その現場に体を運んで仕事をするとか、そんな人がいいような気がするわ﹂ ﹁写真家﹂ ﹁そうね﹂ ﹁駄目かな﹂ ﹁出来すぎ?﹂ ﹁出来すぎではないな。写真屋にしようか。そうだ、彼は、写真家だ。二、三日まえ、島の北側で、日系の人が経営している食堂で、サーフボードのシェイパーだという白人の青年と知りあった。彼の友人に、日本人の写真家がいて、いまこの島に来ていて、昔のこの島の残り香を、写真に撮影しては、落ち穂拾いみたいに拾い集めている男性がいると言っていた。そのうち彼と会えることになっているから、その彼が、ひょっとしたらモデルのように使えるかもしれない。男性のほうは、写真家にしよう。この島に住んでいるのだけれど、一年のうち二度くらい、東京へ短期間、戻ったりしている﹂ ﹁あるひとつの仕事を、一年がかりくらいで進めているのね﹂ ﹁それがいい﹂ ﹁東京へいくと、彼にその仕事を依頼した女性エディターと会うのよ﹂ ﹁会ってもいい﹂ ﹁女性エディターの存在が、私は気になるわ﹂ ﹁彼女は、あとまわしでいいよ。ふたりのイメージは、かなり具体的になってきたね。彼は写真家で、彼女は空手のインストラクター兼デモンストレーター。とてもいい。とりあえず、これでアイディアを進めてみよう﹂ ﹁彼女は、エロティックなのよ﹂ ﹁しかし、自分では、そんなこと、あまり意識していないんだ﹂ ﹁そうね。意識されてしまったら、セクシーな部分が強くなりすぎたりするでしょうね﹂ ﹁さて、そのふたりは、知りあってから一年間、愛しあってきた。きわめて充実した一年間だった﹂ ﹁妹さんは、どうするの?﹂ ﹁そうだ、彼女には、妹がいたんだ。彼女とそっくりな妹。ただ単に双子だからそっくり、というような生やさしいものではなく、ほんとに、どこの誰が見ても、まったく見分けがつかないほどに、それこそちょっと気味が悪くなるほどに、ふたりはそっくり、という設定がいい﹂ ﹁なぜ?﹂ ﹁なぜでもないんだ。本能的に、ぼくはそう思う﹂ ﹁では、それでいきましょう。ほんとにそっくりな妹さんは、どこで登場するの?﹂ ﹁あまり意味もなしに、はじめからちらちらと登場しないほうがいいかもしれないね﹂ ﹁私も、その意見には賛成だわ。あるとき、突然、なんらかの衝撃をともなって、登場してほしいわ﹂ ﹁しかも、彼は、彼女をも、愛するようになるのだから﹂ ﹁まず先に姉がいて、そのあとに、妹が登場するの?﹂ ﹁さあ。どうなるかな。どうしたらいいだらう﹂ ﹁妹があとから登場するとして、彼は、そこから以後は、姉と妹を同時進行的に、平行に愛していくのかしら﹂ ﹁そうしたらいいかな。難しいとこだね。ふたりを同時に、というのは、やめたほうがいいような気もする﹂ ﹁そうね﹂ ﹁でも、外見的にほんとにそっくりで、内容的にもそっくりだったら、彼にとっては、どっちがどっちというような区別はなくなってしまう可能性もあるようにぼくは思う。ふたりが同時に彼の目のまえにいるときには、姉と妹、というよりも、おたがいにそっくりな女性がふたりいてどちらがどちらなのかわからずに彼は混乱してしまい、ひとりずつのときには、どちらが彼のまえにいようとも、彼にとってはふたりはひとりなんだ﹂ ﹁面白いわね﹂ ﹁ストーリーのなかに、先に姉が登場して、妹がしばらくあとから出てくる場合には、こんなふうになると面白いね、きっと。ふたりはそっくりで、どちらがどちらなのか彼にはまるで識別できなくて、目のまえに姉がいる場合は、これはこれでいいんだ。愛している彼女がそこにいるのだから、これはこれでいいのだけど、妹が目のめにいるときには、彼は混乱してしまう。なにしろそっくりなのだから、妹が自分の目のまえにいても、彼女のことを姉のほうだと彼が思えば、簡単にそう思えるんだ。愛する女性が、おたがいにそっっくりなふたりになってしまう奇妙さとか、妹のほうを姉と思いこもうとする自分の奇妙さとか、相当に変わったストーリーにしていくことは確かに可能だね﹂ ﹁最後は、どうなるの?﹂ ﹁どうなるのかまだぼくにもよくわからないけれど、すくなくともハッピー・エンディングではないね﹂ ﹁どうして?﹂ ﹁つまり、ふたりの女性は、結局、彼のまえから消えるのさ。別れてもう会わないとか、そんなことではなくて、まるで幻のように、消えるんだ。だから、アン・ハッピーとは言わないけれど、普通のハッピー・エンディングではないんだ﹂ ﹁書き手としては、そんなふうにしたいのね﹂ ﹁そうだね﹂ ﹁だったら、それで考えてみましょう﹂ ﹁姉のほうに対する彼の愛がもっとも高まったところで、彼のまえに妹が登場するとして、外見とか声、表情、身のこなしなどそっくりだから、彼にとってはどちらがどちらなのかわからなくて、混乱する。性格はかなりちがうけれども、たとえば妹のほうが意識的に姉の性格を真似して、しかもその真似がうまくいっているとしたら、彼はもっと混乱するね﹂ ﹁彼は困るでしょうね﹂ ﹁彼が困るのは、きっと面白いよ﹂ ﹁そういうストーリーを、私は読みたいわ﹂ ﹁きりっと鋭くて、どちらかと言えばダークなユーモアを適切に使用しながら書いていったら、書くほうとしても楽しめる﹂ ﹁姉に対する彼の愛が、すこしずつ妹のほうに移っていくとか﹂ ﹁あり得るだろうね。姉のほうを彼は愛していて、この愛はひとつだけしかないと彼は思っていたのに、いつのまにかふたつに分かれてしまっていることに、彼は気づく。彼は、苦悩する﹂ ﹁おなじ密度、おなじ高さ、おなじ質の愛が、結局はふたりの女性にむけて分裂せざるを得なくなるのね﹂ ﹁というストーリーは、面白いだろうか﹂ ﹁書く人の力量によるわ﹂ ﹁ぼくに書けるだろうか﹂ ﹁いろんな面白いシチュエーションを、たくさん考えればいいのよ﹂ ﹁そうだね﹂ ﹁書くのは、たいへんだわ﹂ ﹁あとから彼のまえに妹が登場して、都合ふたりになるというのは確かに面白いけれど、考えてみるとそれは視覚的な面白さだからね。文章でどこまでその面白さが出せるかどうか、すこし疑問になってきた。ぼくに書ける書けないの問題ではなくて、あるときからふたりが同時に存在するという設定の、プラスあるいはマイナスということだけど﹂ ﹁同時にはいないほうがいいかしら﹂ ﹁いくらそっくりでも、名前はちがうのだから、文章で書くと、ちがう名前のふたり、つまり、ふたりのちがう女性、ということになってしまう﹂ ﹁姉なのか、あるいは妹なのか、しつこくその都度説明しないといけないのだわ﹂ ﹁そのとおりだ。ふたりが同時に存在するという設定は、だから無理かもしれない。しかし、ぼくを主人公の立場に置いて、彼女たちふたりが同時に存在している状況を想像すると、楽しいけれどね﹂ ﹁その想像の場合も、視覚的な要素が、大きく入ってくるでしょう﹂ ﹁きっと、そうなんだ。書き手であるぼくは、すべて言葉でつくっていかなくてはならない。そっくりな女性がふたり、同時に存在するという設定は、文章のためには無理かもしれない。たとえば、ミステリーに双子が登場すると、相当に面白いストーリーでも、ふっと気持ちが遠のくことがよくある﹂ ﹁そうね。そのとおりだわ﹂ ﹁同時には存在しないとなると、入れちがいだね。はじめに姉がいて、その姉が消えると、彼女と入れちがいのようにして、姉となにからなにまでそっくりな妹が、彼のまえに登場する。うん、このほうがいいかもしれない﹂ ﹁姉は、あるとき、存在しなくなってしまうのよ。どこを捜しても決してみつかることのない、不帰の人になってしまうの。そして、そのあとへ、彼女がまるで生きかえったかのように、そっくりな妹が登場するの﹂ ﹁いいかもしれない﹂ ﹁きっと、こちらのほうだわ。このほうがいいと、私は思うわ﹂ ﹁愛する彼女が死んでしまって、彼は悲嘆にくれる。なんとか自分の気持ちを整理し、納得させ、落ち着かせたところへ、彼女の生まれかわりのような妹が登場する。うん、これは、いい。このほうがいい。このほうが、彼は、もっと困る﹂ ﹁困るでしょうね﹂ ﹁大変だよ。確かに死んだ彼女が、再び目のまえに存在するのだもの﹂ ﹁不帰の人となった姉に対する彼の愛は、そっくりな妹にむけて、再燃するかしら﹂ ﹁するよ。しかも、すこしだけ愛の質が変わって、いちだんと激しい愛になるはずだ。そうなったほうが、ストーリーとしては面白い﹂ ﹁では、そうしましょう﹂ ﹁妹は、なぜ、姉のあとに登場するのか。ここが問題だね﹂ ﹁彼が妹さんに会う機会がそれまで一度もなかったという設定は、しかし、不自然ではないわ﹂ ﹁不自然ではない、というだけでは足りないんだよ。すくなくとも、小説の場合は。彼の目のまえに登場するのが、奇しくも姉の死後になってしまった事実が、ストーリーの本質に即していなくてはいけない。なぜ彼女は、姉の死後、ストーリーの後半から登場するのか。自然にそうなった、というのでは困るんだ﹂ ﹁必然性のようなものがなくてはいけないのね﹂ ﹁そう。必然性と言うよりも、このストーリーは、そもそも、妹が後半から登場することによって成立しているんだ。はじめから、そう決まっているんだよ。自然にいくのだったら、姉が彼と過ごした一年間に、すくなくとも一度や二度は、ちらっとでもいいから彼と会うチャンスがあるほうが、より自然だとぼくは思う。ストーリーというものは不自然にいくのだから、姉が死んでから妹が登場するのは、最初から決まっていることなんだ﹂ ﹁彼の存在については、妹さんは、ずっと知っているのね﹂ ﹁知っている。仲のいい姉妹だから、姉は彼について、すべてを妹に語っているんだ。妹は、姉が語る彼についての言葉を、聞き続けている。そのあいだずっと、妹は、その彼には、会わないでいるんだ。一度も、会っていない。そのほうがいい。姉が死んで、はじめて、彼は、まるでいれちがいのように、彼女の妹に会う﹂ ﹁悲しみにくれる彼のまえに現れた妹さんは、姉に生きうつしなのね﹂ ﹁そう﹂ ﹁面白いわ。彼は、うんと困るといい﹂ ﹁困るよ。死んだ彼女が、生きかえったみたいだもの。とにかく、まったくそっくりなのさ。すくなくとも、外見はね﹂ ﹁姉といれちがいに、妹さんが登場する﹂ ﹁そこまでは、大変いい。よく出来ている﹂ ﹁そのときはじめて、妹さんは彼に会うのだけど、なぜ、そのときはじめてなのか、そこをうまく作る必要があるわね﹂ ﹁うん。そうなんだ﹂ ﹁偶然そうなったとか、たまたまそうなったというようなことではなくて、物語ぜんたいに対して必然性を持ったかたちで、そうならなくてはいけないと、さっきあなたは言ったわね﹂ ﹁そのとおりだ﹂ ﹁彼とお姉さんとは、一年間、素敵な恋愛関係が続いてくるのね。そして、その一年間ずっと、一度も彼は妹さんには会わない﹂ ﹁うん﹂ ﹁ということは、この島にも、妹さんは一度も来ないのかしら。ふたりがいるこの島に﹂ ﹁来てもいいのだけど、そのときには、彼はほかの島に行っていて、彼女とは会えないとか、そんなことにしなくてはいけない﹂ ﹁不自然ではないわね﹂ ﹁構わないと思う。一年遅れの入れちがいなんだ。問題は、なぜ妹のほうは一年遅れなのか、ということだね﹂ ﹁はじめから、姉と妹は、同時に彼に会ってしまうというのは、どうかしら﹂ ﹁彼に対して、ふたりの女性は、同時進行なのか﹂ ﹁彼は、姉ひとりのつもりだけど、妹が姉になりすまして彼と会っていて、彼のほうは気づいていないとか﹂ ﹁面白いと思うけれど、物語の質みたいなものが、そうなるとまるで異なってくるように思う。不帰の人となった姉と入れちがい、というのと、はじめから彼女たちは彼と会っているというのとでは、物語の質はちがってくる﹂ ﹁別な話になるわね﹂ ﹁やはり、入れちがいが、いいだろう。なぜ、入れちがいなのか。なぜ、一年遅れなのか﹂ ﹁妹さんは、性格はどうなのかしら。外見は、まったく見分けがつかないほどにお姉さんにそっくりだとして、内部は? 性格は、どうなの﹂ ﹁そうだ、性格のちがいによって、妹は、一年遅れになるんだ。いま、きみは、とてもいいことを言ったよ、ハンナ﹂ ﹁性格は大きくちがっていたほうが、面白いわ﹂ ﹁きみの言うとおりだ。姉は、さきほどぼくが言ったような性格だが、妹は、姉の反対とまではいかないにしても、かなりちがう性格なんだ。姉は、天才肌なんだ。なにごとも一足飛びに出来てしまうけれど、明後日の人であり、しかもほんとうはなにをやりたいのか、自分がなにをめざしているのか、よくわからないようなところがある。妹は、堅実で着実で、ひとつひとつ乗りこえていくタイプなんだ。姉が、きらっと鋭く射してくる強い一瞬の光だとすると、妹は、なにごともまんべんなく静かに照らし出す、落ち着いた、平凡と言えば平凡な光なんだ。だから、一年遅れになるんだ﹂ ﹁性格の対比は、充分に面白いわ﹂ ﹁妹は、姉を愛しているんだ。なにしろそっくりだし、双子の姉妹だし、要するに、妹にとって、姉は、あらゆる意味においてお手本なのさ。姉を愛することは自分を愛することであり、自分を作っていくにあたって、もっとも大事な手本は、姉なんだ。姉をAとして、妹をBとすると、BはもうひとりのAとしてのBなんだ﹂ ﹁彼女は姉のあとを追っているのね﹂ ﹁あとを追うけれども、決してそれは模倣ではないんだ。おなじことをやるとしても、やりかたはちがうだろうし、やがて到達するところもまた、当然、ちがってくる。しかし、妹は姉に自分を重ねて、自己形成をおこなっている﹂ ﹁妹さんも、空手なの?﹂ ﹁そうだ、それがいい。姉ほど一足飛びではないので、妹のほうが余計に時間がかかるのさ。だから、姉と入れちがいに彼のまえに登場するときの彼女は、すくなくとも空手に関しては、一年遅れで、姉とおなじ次元に達しているんだ。彼女の気持ちとしては、姉とおなじレヴェルにならないことには、彼のまえに出ていけないんだ。だから、それまでは一度も会わない﹂ ﹁なるほど﹂ ﹁思わずうなずいてしまうだろう﹂ ﹁うなずくわ﹂ ﹁一年遅れで妹は姉とおなじ次元に達した。そして、彼のまえに現れたときには、皮肉にも、姉は不帰の人となっていて、姉と入れちがいに、姉の代役のように、姉の生まれかわりのように、彼女は登場する﹂ ﹁いいわね﹂ ﹁面白い﹂22
ぼくがこれから書くストーリーの、これまでに作り得たアウトラインをひとつの円だとすると、その円は、おおまかではあるけれども誰の目にも円に見えるまでに、すでに成長している。ひとつの円形が、ぼくの手もとにある。 そのおおまかな円のうち、およそ半分は、ハンナとの会話で、内部を埋めることが出来た。残りの半分をぼくならぼくがひとりで作ると、円の内部はいちおう埋まる。そのことによって、おおまかな円は、さらにきれいな円になっていくだろう。ぜんたいの輪郭が出来たなら、円の内部のあちことにあるはずのたくさんの隙間を、ひとつずつ埋めていけば、やがて準備はすべて調う。 会話を適当なところで切りあげ、ぼくはハンナの家を出た。ポーチまで、彼女が見送ってくれた。今夜の夕食は、早めの時間にふたりでとることを、ぼくと彼女は約束した。待ち合わせの場所と時間とを、ぼくたちは決めた。 ハンナが借りている家のドライヴ・ウエイから道路へ、リヴァース・ギアでグラナーダを出していきながら、ぼくは庭ぜんたいの造りを観察した。たとえば夜遅くに自動車で帰って来たとして、その自動車を庭に停め、正面のポーチから家のなかに入るまで、その人には照明が当たり続けるような造りになっていた。そして、その人の姿は、いろんな方向から見とおすことが出来るし、その人から見て、不安や危険を感じる物影は、ひとつもなかった。よく出来たフロント・ヤードだ。 道路は、西陽の時間だった。西にまわって深く落ちはじめた太陽の光が、ウインド・シールドごしに、まっすぐにグラナーダの内部に射しこんできた。その西陽にむかって、ぼくはグラナーダを走らせた。 アラ・ワイのゴルフ・コース、H1、そしてカパフル・アヴェニューとカピオラニ・ブールヴァードとで囲まれ三角地帯のなかで、ぼくは道に迷った。おなじところをぐるぐるとまわったあげく、カイムキを捜しあて、逆にいきかけて気づいてひきかえし、ワイアラエ・アヴェニューから南ベレタニア・ストリートに入った。西陽の時間にこのベレタニア・ストリートをゆっくり西にむけて自動車で走るのが、ぼくは好きだ。 走りながら、ぼくは、ふと思いついた。西陽をうしろから受けとめつつ、順光でカラカウア・アヴェニューを走りたい、ということを思いついたのだ。なぜそんなことをしたくなるのか、自分でもよくわからない。ほとんどなんの理由もなく、ただ思いついた。 どこかで東にむけてUターンをしなくてはいけない。どこがいいだろうかと、ぼくは考えた。語感としては、ペンサコーラ・ストリートがいい。ベレタニア・ストリートは一方通行で西へむかう。そして、ペンサコーラ・ストリートは、これも一方通行で南へむかう。ペンサコーラを南へむかい、カピオラニ・ブールヴァード経由で、アラ・ワイ運河の西側からカラカウア・アヴェニューに入る。そんなルートを、ぼくは考えた。 運河を渡るとすぐに、観光のための虚構の街なみがはじまった。ワイキキのまんなかを、このアヴェニューは抜けていく。 うしろから西陽が射してくる。フォード・グラナーダから見えるすべてのものが、その西陽の、濃い光のなかにあった。年を追ってけたたましさの度合を高めていく、雑然としたワイキキも、この光のなかにあるときには、たいていのものが許せてしまう。冬の、淡い光と通り雨とが交錯する季節も悪くないが、もっとも基本的な状態は、この季節のこの西陽だ。 ウールワースのまえにある交差点の赤信号で、自動車の列は止められた。そして、そこで停止した瞬間、ひらめいた。なぜそんな時にひらめくのか、当事者であるぼくにもわからないが、一瞬のうちにすべてが解決するひらめきがあった。ハンナとの会話をとおして前半が出来たぼくのストーリーの、後半が、そのひらめきによって、あっけなく出来てしまった。 姉が不帰の人となったあとに、まるで姉と入れちがいのように、そして、生まれかわりのように、妹が彼のまえに登場する。 彼にとっては、愛してやまなかった姉が生きかえって再び自分のまえに現れたようであり、彼の心は動揺する。動揺は、やがて、傾斜へと変化する。妹への傾斜だ。外見はかつて自分が愛した女性と寸分たがわぬ妹に対して、彼の心は傾斜していく。姉との愛を、こんどは妹を相手に、もう一度、やりなおすような気持ちで、彼は妹へ傾斜していく。昨日よりも今日のほうが、そして、今日よりも明日のほうが、彼女への傾斜は急になる。 妹は、そのことをよく知っている。姉が愛した彼を、自分も、姉とおなじように愛してみたくなる。というよりも、彼にはじめて会うまえから、妹は、姉から聞かされていた彼を、愛していた。 妹は、彼に対して、姉の代役を務める。姉への思いがまだ強く残っている彼にとって、妹は、けなげにも、もうひとりの姉になろうとする。性格はちがっていても、妹は、その気になりさえすれば、ほぼ完璧に、姉を演じることが可能なのだ。そして、妹にとって、愛する男性のために愛する姉を演じるのは、うれしいことなのだ。 うまくいきそうに見えて、じつはやがてうまくいかなくなる。妹が姉の代役を演じてくれていることが、彼にはわかる。妹はじつに見事に姉であり、代役をそのまま受け入れていけばそれはそれで不思議に快適なのだが、彼はそうすることが出来ない。 姉の代役としての妹を自分が愛するのは、妹にとって悲しすぎる。そして、妹自身として彼女を愛するには、妹は姉にそっくりすぎる。そっくりすぎる事実を乗りこえたとしても、そして、妹を妹自身として愛したとしても、妹の心のどこかには、姉の代役の意識が残るはずだ。どちらの道をとっても、その道は悲しい。 だから彼は、妹を愛するのを、やめる。彼女は彼にとって大事な人であり、貴重な、かけがえのない女性ではあるけれど、愛の対象にはなり得ない。ものすごく貴重ではあるけれど、愛することは出来ないという二律背反のなかに、彼は自分をみつける。 島の青い空は、そのまっ青のまま、彼にとっては、まっ暗になる。彼女にとっても、空はその青さの彼方で、まっ暗だ。姉の代役であることを抜けて、妹は自分自身として彼を愛しはじめていたのに。 以上のように後半をまとめればいい、ということを、ウールワースのまえの交差点でグラナーダを止めた瞬間、ぼくは思いついた。これでいい。いざ書くとなったら大変ではあるだろうけれど、これでひとつの円は、完全に出来た。ストーリーは、完成した。これを土台にして、もう一度、はじめからきちんと作りなおせばいい。 夕食の席で、さっそくハンナに語ってみよう。ハンナは、なんと言うだろう。 ぼくは、ガラスを降ろしてある運転席の窓から、歩道を見た。新聞売りの少年がひとり、歩道の縁に立っていた。西陽に片手を額にかざしているその少年を、ぼくは呼んだ。そして、夕刊を一部、買った。ぼくのうしろに止まっているセダンのドライヴァーも、彼を呼んだ。彼は、グラナーダのうしろへ歩いていった。 買ったばかりの新品の新聞は、ほんとに新品らしくていい。買いたての﹃スター・ブレティン﹄ほどに新品らしさを持っている新品というものを、ほかにぼくは知らない。そして、その新品に、ひとりの人が細心の注意を払いつつ丁寧にページをくったとしても、いったん目をとおしてしまうと、そのとたんに、新品としての感触や雰囲気は、すっかりなくなってしまうから不思議だ。わずかひとりの人が、たいへんに注意深く扱ってページをくっても、それだけで新品の夕刊は新品ではなくなってしまう。 横断歩道の信号が、自動車のためのグリーンに変わった。自動車の列は、おもむろに発進していった。ぼくも、グラナーダを発進させた。 うしろから西陽に対して順光になっている光景をぼんやりと見ながら、ぼくは思った。いまのような西陽の時間は、ストーリーに至るインスピレーションの宝庫だ。ひとりの男性をめぐる双子の美人姉妹の愛、といういちばんはじめの大きな枠をぼくが手に入れたときも、光は西陽だった。 あのスーパー・マーケットの広い駐車場にグラナーダを停め、建物にむかって歩いていくぼくに対して、深く西から、強い陽が当たっていた。西へ顔をむけると、まぶしかった。駐車してある自動車の列がその光を浴びていた。自動車の屋根の縁やフェンダーの縁などが、鋭く輝いていた。 あらゆるものがひとつの方向からの光を受けとめているとき、日常的な世界は、ふと、非日常的な世界へと、ほんの一瞬、転換する。そのアンリアルな瞬間のなかに、さまざまなインスピレーションがあるにちがいない。23
そのホテルのプライベート・ビーチに接してすぐわきに、万能のダイニング・ルームがある。天蓋のような簡単な造りの屋根が、ホテルの建物からビーチにむけて、大きく張り出している。その天蓋の下にあるスペースのすべてが、ダイニング・ルームだ。 ここは、朝がいちばんいい。強く風が吹き、豪雨が降っている朝、ここで朝食を食べると、たいへんに気分がいい。横殴りの雨が、テーブルの上の朝食のすべてに降りかかる。朝食の時間は、正午近くまで続く。空はまっ青、そして陽ざしはことのほか強い正午に、ここで昼食をとるのも悪くない。ビーチのすぐわきに席をとる。海を見渡せるし、海からの風も、昼食のうちだ。 昼食の時間がおわってから夕方までの、あいまいな時間にここにひとりでいると、これはこれで快適だ。西からの光が、海面に対して平行になっていきつつある午後遅くのこの時間は、天蓋の外にあるテーブルが、ぼくのお気にいりだ。適当な距離をとって丸いテーブルがいくつか配してあり、そのテーブルのひとつひとつに、パラソルが立っている。 海を目のまえに見ながら、西陽を右斜めからフルに受けとめる位置のテーブルをぼくは希望し、受け持ちのウェイトレスはそのテーブルにぼくをすわらせてくれた。 新品の夕刊をテーブルの上に置き、ぼくは両腕をテーブルに乗せた。海を見た。海からの風を、顔に受けた。テーブルには、花と灰皿があった。灰皿は、すこし遠くから見ると、ピンクの球体のように見える。事実、それは球体であり、内部は中心の部分を芯のように円筒形に残し、そのほかはくり抜いてある。優雅な遠い昔、たとえば一九三〇年代を思わせる、懐かしい灰皿だ。その灰皿に西陽が当たるのを、ぼくは見た。 ふと顔をめぐらせ、ダイニング・ルームの入口を見ると、ウェイトレスやウェイターたちを統率する役割の日系のおばさんが、ぼくのほうを見ていた。ぼくは彼女に挨拶し、彼女はにっこりと微笑した。 ﹁奥さんはどうしたの?﹂ と、彼女は言った。 ぼくがひとりでここへ来ると、いつも決まって、彼女はこう言う。昔からそうだ。ぼくは彼女を、昔から知っている。 ﹁奥さんと言ってもいろいろいるから、番号で言ってくれないとわからないですよ﹂ 日本語にするとこんなに長くなるが、英語だとわずか二語ですむ冗談としての返答を、ぼくは彼女に返した。呆れてものも言えない、という表情をおおげさに作り、首を振り、彼女は自分の仕事に戻った。 ぼくのテーブルを受け持っているウェイトレスが、コーヒーを持って来てくれた。新顔のウェイトレスだ。ぼくとの短いやりとりから推測すると、彼女は東欧の人だ。東ヨーロッパを出てまだ間もない。 ぼくは、テーブルの上の夕刊を見た。新品の折りたたんだ夕刊に、西陽が当たっていた。美しい光景だ。この夕刊は、だいたいにおいて面白くもなんともないが、ときたま、たいへんいいストーリーが掲載してある。だからこそ夕刊なのだ。 斜め左のテーブルを、ぼくは見た。そのテーブルには、中年の白人女性が、ひとりでいた。きわめて淡い金髪の、ほっそりした体つきの女性だ。簡素だけれどよく身についた夏の薄いドレスを、彼女は着ていた。半袖から出ている腕のいたるところに、そばかすがあった。 彼女は、ほぼ正面から、西陽を受けとめていた。金髪のおくれ髪が、風に揺れていた。彼女は、手紙を書いていた。テーブルのむこうの端にバッグが横たえてあり、その手まえには、ノート、ペーパー・バックその他、こまごまとしたものが出ていた。 彼女は、ヒールのあるサンダルを、脱いでしまっていた。ストッキングに包まれた足を、心地良さそうに芝生の上に置いていた。彼女のサンダルの片方が、横むきに倒れていた。土踏まずからかかとにかけて、西陽がくっきりと照らしていた。 気持ちを集中させて、彼女は手紙を書いた。その様子を、ぼくは、見るともなく見た。彼女のような感じのいい中年の女性が、西陽のなかで一心に手紙を書いているのを見るのは、一種の快感だった。彼女のおくれ髪が風に小さくなびくその動きと、ぼくの顔に当たる風のリズムとが、同調していた。 バッグの手まえに出ている一冊のペーパー・バックに、ぼくは視線をむけた。しおりのかわりに、なにか小さなカードがはさんであった。彼女は、このペーパー・バックを、読みはじめたばかりだ。ペーパー・バックの背中が、こちらをむいていた。タイトルと著者名を、ぼくは読んだ。著者の名は、パトリシア・リヴィングストンだった。 パトリシア・リヴィングストン。どこかで聞いた名前だ、とぼくは思った。思った瞬間、あるいは、思い終わった瞬間、ぼくは思い出した。この島の北側の小さな食堂で知り合ったサーフボードのシェイパー、フレッド・バーソロミューから教えられた名前だ。彼がかつてつきあっていた、作家をめざしていた女性が、パトリシア・リヴィングストンという名前だった。 よくある名前だ。同一人物だろうか。テーブルの上で西陽を受けとめているそのペーパー・バックを身ながら、ぼくは、自分の心臓の鼓動がすこしだけ早くなっていくのを自覚した。西陽の当たるテーブルで、一冊のペーパー・バックの背中を身ながら、ぼくは心臓の鼓動を意識していた。 バーソロミューが言っていた、あのパトリシア・リヴィングストンだろうか。タイトルは、きわめて洒落ていて、なおかつ絶妙にひねりがきいている。パトリシア・リヴィングストンという名前は、平凡な名前だ。おなじ名前の人が何人もいて、そのうちのさらに何人かが、作家であったりあるいは作家をめざしていたりしても、すこしもおかしくはない。 しばらく、ぼくは、そのまま時間をやり過ごした。心臓の鼓動は、早くなったままだった。西陽はすこしも変わらずに明るく強く、風には海の香りがあり、金髪の彼女は真剣に手紙を書き続けた。 パトリシア・リヴィングストンという女性が著者になっているそのペーパー・バックは、どこでも手に入れることの出来る種類のペーパー・バックだった。ホノルルの書店でも、きっと手に入るだろう。 すぐにブックストアにいってみよう、とぼくは思った。ブックストアで、おなじペーパー・バックを捜してみよう。自分の手にとってみたその瞬間、バーソロミューが言っていたあのパトリシアかどうか、直感的にわかるにちがいないと、ぼくは勝手にそう結論づけた。 手紙を書きおえた彼女は、自分がいま書いたばかりの手紙を、最初から読んでいった。自分の言葉づかいをひとつひとつ確認するように、ゆっくりと、彼女は読んだ。ときたま、ほんのりと、彼女は微笑していた。親しい友人に宛てた手紙だろうか。 淡いブルーの、気持ちよく薄いレター・ペーパー五枚にわたって、その手紙は書かれていた。最後まで読んだ彼女は、五枚のレター・ペーパーを丁寧に重ねあわえ、三つに折った。そして、封筒に入れた。入れるときの指の動きを、ぼくは見た。 封筒のフラップにつけてある糊を舌で湿らせた彼女は、フラップを閉じた。彼女の舌の先に残っているはずの、糊の香りを、ぼくは想像した。 彼女は、封筒に宛名を書いた。小さな薄い手帳のあいだにはさんであった数枚の切手のなかから二枚を選び、再び舌で湿らせ、封筒の右肩に貼った。そして、ペーパー・バックの下に、その手紙を置いた。彼女は海を見た。飲み物を飲んだ。やがて再びペンをとり、次の手紙を書きはじめた。 こうして書いていく何通かの手紙を、彼女がやがて投函する姿を、ぼくは想像してみた。おもてのカラカウア・アヴェニューには、メイル・ボックスがいくつもある。そのひとつに手紙を投函する彼女に、西陽はきっと当たるだろう。メイル・ボックスにむけてのばした彼女の腕の、金髪の細いうぶ毛の一本一本に西陽が当たる様子を、ぼくは思った。 代金とチップを置いて、ぼくはテーブルを立った。ダイニング・ルームのウェイトレスやウェイターたちの監督である日系のおばさんに、夕食のためのテーブルをひとつ、ぼくは予約した。ハンナとともにとる夕食だ。 ぼくは、歩いてブックストアへいった。すぐ近くの、いつ来ても落ち着きのない建物の二階に、そのブックストアはあった。一階と二階とは、観光客たちのためのさまざまな店で占められていた。 ペーパー・バックの広い棚のまえに立ち、ぼくは端から丁寧に、パトリシア・リヴィングストンの名前を捜していった。ついさっき、彼女のテーブルの上に見たあのペーパー・バックの、あの背中の色のなかに白く抜いてあったパトリシア・リヴィングストンの名前を、ぼくは捜していった。 新刊の棚のほぼ中央で、ぼくはそれをみつけた。一冊、手にとってみた。表紙のデザインや質感を確認しつつ、表紙に印刷してある宣伝のための短い文句を、ぼくは読んでいった。 本文が終わった次のページに、著者についてのごく簡単な紹介文がのせてあった。その文章によると、彼女は、現在はバリ島に住んでいて、そのまえはオーストラリア、そしてそのまえがタヒチとその周辺、そしてさらにそのまえは、ぼくがいまいるこの島に、住んでいたという。バーソロミューが言っていたあのパトリシアだと断定して、まずまちがいないだろう。 ぼくの心臓の鼓動はとっくにおさまっていたのだが、パトリシア・リヴィングストンの本を買ったよと、バーソロミューに電話で伝えるときのことを思うと、再びぼくの胸は不思議にときめいた。 パトリシアのペーパー・バックを一冊買って、ぼくはそのブックストアを出た。その建物の一階で、ぼくは電話を捜した。ふたつみつけたが、どちらも故障していた。カラカウア・アヴェニューを歩いて電話を捜し、道路を海にむけて渡った。ビーチに立っている電話機をみつけた。その電話機は、正常に作動していた。 いつもぼくが持って歩いている分厚いスパイラル・バインディングのノートに、電話番号がいくつか書いてある。バーソロミューが教えてくれた彼の番号も、加えてある。その番号に、ぼくは電話をしてみた。 彼の妻だという、明らかにヨーロッパなまりの女性が、電話に出た。バーソロミューはでかけているという。夕方には帰ってくると、彼女は言った。夕方、ぼくのほうからかけなおすと言ったら、彼女は、 ﹁OK﹂ と、こたえた。24
ぼくはアパートメントに帰った。このアパートメントには、正面の玄関を入ったところに、小さな事務室がある。外と内側との、ふたつに分かれている。外には、壁を背にして三メートルほどの幅でカウンターがあり、そのカウンターのなかで、このアパートの管理人である、中年の白人男性が、いつもなにかやっている。椅子にすわっている彼のうしろの壁には、部屋ごとに小さく仕切った棚があり、それぞれの部屋宛ての郵便物その他が、仕分けして入れてある。 その棚のある壁の端にドアがあり、このドアは、ぼくが見るときはいつも半開きだ。ドアのなかはせまい部屋になっていて、そのスペースは、デスクや椅子、そしていくつかの棚で、ほぼいっぱいだ。 おだやかな好人物の管理人は、笑顔でぼくを迎えてくれた。椅子から立ちあがり、うしろの壁をふりかえり、ぼくの部屋の番号のついた棚のボックスから、手紙を一通とメッセージ用の淡いピンクの紙を二枚、彼は取り出した。そして、なにか大変なことのような手つきで、それをぼくに渡してくれた。 手紙は、東京にいるぼくの女性エディターからのものだった。ストーリーがうまく書けているかどうかに関する、優しい問い合わせの手紙にちがいない。メッセージは、一枚はフレッド・バーソロミューから、そしてもう一枚は、彼がいずれぼくに紹介すると言っていた日本人の写真家からのものだった。 ぼくは、エディターからの手紙の封筒のおもてを、管理人に見せた。彼はそれをじっと見た。そして、やがて、大きくうなずいた。 ﹁きれいだよ﹂ と、彼は言った。 ﹁完璧だね。封筒の大きさや縦と横のバランスが、まず素晴らしい。ヨーロッパ製の封筒だよ、きっと。差し出し人の名前と住所をタイプした部分と、宛名の部分との対比も、美しい。よく身についているタイプのしかただね。それから、切手がいい。封筒の色に、よく調和している。切手によって占められているスペースも、封筒ぜんたいのスペースに対して、よく比率がとれている。じつに美しい封書だ。手にとったときの感触も、素晴らしいものだった﹂ 心から対象に感心している人の喋りかたで、彼はぼくに以上のように言った。 東京にいる女性エディターからの手紙だと、ぼくは彼に言った。 ﹁原稿が書けているかどうか、さぐりを入れるための手紙なのさ。返事を書くにあたっては、原稿のことに触れざるを得ない﹂ ﹁ストーリーは、書けているのかい﹂ と、彼はきいた。 ﹁書くべきストーリーのぜんたいが、ようやくアイディアとして出来たところだよ﹂ ﹁いつも出かけていることが多いから、まだ書いてはいないのだなとは、ぼくも思っていたんだ﹂ ﹁あと二、三日したら、書きはじめるよ﹂ ﹁部屋にいることが多くなるね﹂ ﹁そうだと思う﹂ ﹁エディターは、手紙で催促するだけかい﹂ ﹁東京なら東京という、おなじ場所にいれば、頻繁に会うことも出来るけれど﹂ ﹁彼女もこの島に来ればいいじゃないか。そして、彼女は彼女で、この島で仕事をすればいいんだ﹂ ﹁手紙にそう書いておくよ。そして、封筒の出来ばえを絶賛している人がいるということも、つけ加えておこう﹂ ﹁ぜひともそうしてくれ﹂ 彼はにこにこと笑ってそう言い、大きな体を椅子に降ろした。 バーソロミューからのメッセージは、夕方からずっと自宅にいる、ということだけだった。日本人の写真家からのものは、明日の朝十時に自分は下記の場所の下記の電話番号のところにいるから、都合がつけば、そして気がむけば、電話をしてもらえるとありがたい、というメッセージだった。 部屋に戻ったぼくは、居間の中央にあるライティング・デスクに両足をあげてディレクターズ・チェアにすわり、パトリシア・リヴィングストンの小説を読みはじめた。 読みはじめてすぐに夢中になり、ふと気づくと、ハンナとの夕食のために出かけなくてはいけない時間になっていた。シャワーと着替えをすませ、ぼくは部屋を出た。一階のフロント・デスクの電話を借りて、ぼくはバーソロミューに電話をかけた。 彼は、自宅に帰っていた。 ﹁ぜひともきみに伝えたい、たいへんに興味深い話があるんだ﹂ と、電話のむこうで彼は言った。 ﹁ぼくにも、ぜひともきみに伝えたい、面白い話があるんだ﹂ と、ぼくは言った。 ﹁きみから先に、話してくれ﹂ ﹁パトリシアの本を、今日、ぼくは買ったよ。去年、ハード・カヴァーで出て、今年の春に、ペーパー・バックになったんだ﹂ ﹁ぼくは、今日、パトリシアから手紙をもらったよ﹂ と、バーソロミューが言った。 ﹁彼女は、もっとも最近は、バリ島に一年、住んでいたのだって﹂ ﹁きみが知っているのは、そこまでかい﹂ と、彼は言った。 ﹁バリ島以前のことなら、本にのっている著者の紹介文のなかに書いてある﹂ ﹁バリ島以後は?﹂ ﹁バリ島までだね﹂ ﹁バリのあと、彼女は京都にいたのだって﹂ と、バーソロミューは言った。 ﹁この島へ戻って来ると、彼女は手紙のなかに書いているんだ。到着する日を、彼女は書いている。来週だよ。彼女ときみとは、ふたりともストーリー・ライターだから、ぜひ会うといい﹂ ﹁楽しみにしている。彼女の本は、面白いよ﹂ ﹁小説かい﹂ ﹁そうだね。さっきまで、夢中になって読んでいたんだ﹂ ﹁きみが夢中になれるということが、ぼくにはうれしい。彼女の書いたものが、すくなくとも一定の基準をクリアしているということが、それによってわかるから﹂ ﹁明日、きみが言っていた日本人の写真家に会えそうだよ﹂ ﹁彼はぼくにも電話してきたよ。きみに電話すると言っていた。番号は、ぼくが教えておいたから﹂ ﹁明日、ぼくは彼と会う﹂ ﹁それはいい。君のストーリーは、どうなったんだ﹂ ﹁二、三日したら、書きはじめる。基本的なアイディアは、すべて出来たんだ﹂ ﹁こんど会ったら、聞かせてくれ﹂ ﹁双子の美人姉妹が、ひとりの男性を愛する物語だよ﹂ ﹁へえ﹂ と、彼は言った。呆れている気持ちがはっきりと出ている言いかただった。 ﹁ぼくがいま読んでいるパトリシアの小説を、きみもぜひ読むといい﹂ ﹁明日、図書館へいってみる﹂ と、バーソロミューはこたえた。そして、 ﹁きみは京都に、住んだことはあるのかい﹂ と、ぼくにきいた。 ﹁六か月ほどなら、いたことがある。住んだ、とは言いがたいがね﹂ ﹁なるほど﹂ ﹁近いうち、また会おう﹂ ﹁そうしよう﹂ ぼくたちの電話は、そこで終わった。25
次の日の朝、十時をすこし過ぎてから、ぼくは、日本人の写真家がメッセージのなかで指定していた番号のところに、電話をかけた。 日系の三世だと断言していい中年の女性が、電話に出た。 ﹁お店に、佐々木という人が来ているはずですけれど、呼んでいただけますか﹂ と、ぼくは言った。 ﹁ちょと待ってください﹂ 独特の英語で彼女は言い、受話器をなにかの台の上に置きながら、 ﹁マック、電話よ﹂ と、すこし離れたところにいる相手に、呼びかけた。彼女が受話器を置くときの彼女の腕の動きや、彼女からマックまでの距離などが、受話器から伝わってくる音だけで、はっきりとわかった。 男性の声が返事をするのが、かすかに聞こえた。やがて足音が受話器にむけて接近し、人の手が受話器を持ちあげるのが、気配でわかった。 ﹁マックです﹂ と、その男性は言った。 バーソロミューも、彼のことをマックと呼んでいた。なぜマックなのだろうかとぼんやり思いながら、ぼくは自分の名を告げた。 ﹁やあ、こんにちは﹂ と、彼は日本語にきりかえた。きさくな明るさが、彼にとって肯定的な力となっている声と抑揚で、マックは、 ﹁待ってました。いま、どこですか﹂ と、つけ加えた。 ぼくは、いま自分がいる場所を彼に伝えた。 ﹁ちょっと遠いですね﹂ マックが言った。 ﹁もう昼食ですか﹂ と、ぼくはきいた。 ﹁いやいや、これは朝めしです﹂ マックがこたえた。 いま彼がいる店を、ぼくはよく知っている。南ベレタニア・ストリートにある、宮島という屋号の食堂だ。 ﹁そうすると、お昼は、何時頃に食べるのですか﹂ ぼくの質問に、マックは笑った。 ﹁一時頃かな﹂ ﹁では、その時間に、ぼくはそこへいきますよ﹂ ﹁ここへ﹂ ﹁ええ﹂ ﹁知っていますか、ここを﹂ ﹁よく知ってます﹂ ﹁では、ここでいっしょに、お昼を食べましょう﹂ 小さな約束をひとつつくって、ぼくたちは電話を終わった。26
彼の名は、佐々木誠というのだった。誠を英語ふうに省略して言うと、マックがもっとも簡単だ。だから彼は、マックなのだ。 ぼくが約束の時間にその店へいくと、彼はすでに来ていた。一方の壁ぎわの、ブースになったテーブル席で、トマト・サラダを食べながら、彼はビールを飲んでいた。 テーブルをはさんでさしむかいにすわったぼくに、彼は、トマト・サラダを指さしてみせた。 ﹁ここのトマト・サラダは、いけますよ。ぼくが知っている限りでは、トマト・サラダはここが一番です﹂ 彼が指さすトマト・サラダは、おいしそうに見えた。 奥の調理場につながるドアのところに立ち、調理場のなかにいる人と話をしていた日系の女性を、彼は呼んだ。ふりかえった彼女に、トマト・サラダとビールを二本、彼は注文した。二年まえに、ぼくはこの店によく来ていた。そのときすでに、彼女は、ここのウェイトレスのひとりとして、働いていた。 ﹁バーソロミューから聞きましたよ。この島で小説を書いているのですって?﹂ マックが、ぼくにきいた。 ﹁これから書くんです。ようやく、アイディアが出来たとこです﹂ ﹁どんな話ですか﹂ 彼の質問に、ぼくは微笑した。 ﹁この島で、写真を撮っているのですって?﹂ ぼくが、きいた。 ﹁そうですよ﹂ ﹁どんな写真ですか﹂ ぼくの質問にうなずいた彼は、ベンチ・シートのかたわらに置いてあった茶色の大きな封筒を、取りあげた。ふたつのクラスプを開き、なかからカラー・ポジティヴのファイルを出した。ペーパー・マウントしたカラー・ポジティヴが、ファイル一枚ごとに二十点ずつ、おさめてあった。透明なプラスティックのファイルを、彼はぼくに差し出した。 ﹁たとえば、こういう写真を撮っています﹂ ファイルを受けとったぼくは、そのうちの一枚を、店の外の明るい陽ざしにかざした。ひとつひとつのポケットにおさめてあるカラー・ポジティヴを、ぼくは見た。 店の奥に背をむけているぼくは、店の入口を正面に見る位置にすわっていた。入口にドアはなく、ほんのりと暗い店内から見ると、外は晴天の日の午後一時の、強い明るさだった。 カラー・ポジティヴは、七十点あった。そのすべてが、波乗りを主題にした写真だった。波乗りは、写真の被写体として、きわめて適している。そのことを充分に心得たうえで、彼は、海とサーファーの美しい動きを、深みのある統一感をたたえた画面のなかに、個性豊かにとらえていた。どのショットも完成度は高く、静かな緊張感が、ひとこまごとに張りつめていた。 七十点のカラー・ポジティヴを見終わって、それをぼくは彼にかえした。 ﹁いいですね。たいへん気にいりました﹂ ﹁ありがとう﹂ 片手でビールを飲みながら、もう一方の手で彼はファイルを受けとり、シートの上に置いた。 ﹁バーソロミューの話によると、古き佳き時代のこの島の面影を、まるで落穂ひろいみたいに捜しては撮影しているということでしたよ﹂ ぼくが言った。彼は、うなずいた。 ﹁そういう写真も、撮ります。これから、ゆっくり、昼食にしましょう。そして、昼食が終わったら、ふたりですこしダウン・タウンを歩いてみませんか﹂ ﹁いいですよ﹂ ﹁この島を、いつ頃から知っているのですか﹂ トマトをほおばりながら、彼はぼくにきいた。 ﹁いちばん最初にぼくがこの島に来たのは、一九五四年です﹂ ぼくの言葉に、彼は目を閉じた。口のなかのトマトを噛むのをやめ、じっとなにかを考えた。やがて目を開き、静かにトマトを飲み下した。 ﹁ぼくは、人の体験や能力を、うらやましく思ったりすることがほとんどないのだけど、一九五四年からこの島を知っているということに関しては、明らかに嫉妬に似た気持ちを自覚するよ﹂ と、彼は言った。 ウェイトレスがトマト・サラダとビールとを、ぼくたちのテーブルに持ってきた。奥の壁にかけてある黒板に、今日のメニューが白いチョークでいっぱいに書いてあった。そのなかから選んで、ぼくたちは昼食を注文した。 注文をとるための小さなパッドに、左手に持ったボールポイントで書きこみながら、彼女はぼくを見た。 ﹁よく見た顔かしら﹂ と、彼女は言った。 ﹁二年まえに、ぼくはこの店によく来ていました﹂ と、ぼくは答えた。 ﹁思い出したわ。あのときは謎を追ってたのよね﹂ ﹁そうです﹂ ﹁あの謎は、どうなったの?﹂ ﹁ほぼ追いつめました﹂ ﹁解決したの?﹂ ﹁解決ではないですね。でも、その謎をめぐってひとつのストーリーを書くために必要な、細かなバックグラウンドは、充分に手に入れました﹂ ﹁よかったわ。ストーリーは、もう書いたの?﹂ ﹁まだです。もうじき、書きます﹂ ﹁英語で?﹂ ﹁ひょっとしたら﹂ ﹁出来たら、読ませて﹂ そのひと言とともに、彼女は、突然、にこっと微笑した。強いまっすぐな性格がそのまま出ている、はっきりとした顔立ちのなかに、その微笑は、人の良い屈託のなさをも、すくなくとも微笑が続いているあいだは、見せてくれた。 彼女が調理場へ入ってから、佐々木は、 ﹁謎とは、なんですか﹂ と、きいた。 ﹁アロハ・シャツの謎です﹂ ﹁ふむ﹂ ﹁アロハ・シャツというもの、そしてアロハ・シャツという名称が、いつ、どんなふうにして生まれてきたのか、その謎をぼくは二年まえに追究していたのです﹂ ﹁解決したのですか﹂ ﹁はっきりつきとめることは出来ないのですけれど、ストーリーを書くための材料としては、充分に追いつめました﹂ ﹁いまは、そのストーリーを書いているのですか﹂ ﹁いまは、別の話です﹂ ﹁なんの話ですか﹂ ﹁美人の話です﹂ ﹁ふむ﹂ ﹁ふたりの美人です﹂ ﹁ふむ﹂ ﹁双子なのです﹂ ﹁姉妹ですね﹂ ﹁そうです﹂ ﹁そのふたりだけの話ですか﹂ ﹁男性がひとり、関係します﹂ ﹁三角関係になるわけだ﹂ ﹁そうですね﹂ ﹁トライアングルだ﹂ 彼がいま使った、トライアングルという言葉をきっかけにして、ぼくは、アアラ・トライアングル・パークのことを思い出した。アアラ三角小公園だ。 この小さな公園は、いまぼくたちがいる宮島という食堂からベレタニア・ストリートをへだてたむかい側にある。北ベレタニア・ストリートと北キング・ストリートとが合流する地点が、その小さな三角形の頂点であり、底辺はヌアヌ川だ。 この公園は、いまでは、いかにも公園のように造りましたという印象の強い、したがってつまらない場所になっているが、そうなる以前は、モンキー・ポッドの樹に縁どりされた、芝生の生えたただの空き地のようなところだった。木製のがっしりとしたベンチが、まるで置き忘れたかのように、いくつか置いてあった。一九五四年、夏の日の夕方の、そのベンチのすわり心地を、ぼくは久しぶりに思い出した。27
パトリシア・リヴィングストンがこの島に戻ってくる日には、ぼくは空港で彼女を迎えることは出来なかった。写真家の佐々木といっしょに、ぼくはほかの島にいた。バーソロミューとハンナが、ふたりでパトリシアを空港で迎えた。この頃には、佐々木、ハンナ、バーソロミュー、そしてぼくは、すべて友人どうしとなっていた。 夕方の飛行機で帰ってきたぼくは、空港で佐々木と別れ、そこからまっすぐにハンナの家へむかった。住む場所をまだみつけていないパトリシアは、ハンナのところにいったん落ち着くことになっていた。 ハンナは、家にいた。ぼくを居間まで連れていき、すぐにパトリシアを呼んでくると言って姿を消した。ひとりがけのソファにすわって、ぼくは待った。 やがて、素足の足音が、居間の外の廊下に、かすかに聞こえた。足音は居間に接近し、パトリシアは顔だけ居間のなかに入れてぼくを見た。もうすこしで美人と言っていい顔立ちの、おっとりした表情の女性だった。背丈は六フィートを軽くこえているだろう。鼻柱を中心にそばかすが散っていた。やや古風な髪のつくりは、それを見る人に懐かしい気持ちを起こさせた。 ぼくの微笑に顎をあげて微笑した彼女は、 ﹁ハンナが言っていたストーリー・ライターね﹂ と、言った。ほどよく深みのある声で、学校の先生のように彼女は喋った。 ぼくは、ソファを立った。彼女は、居間に入ってきた。明らかに借りものとわかる、奇妙に丈の短いサンドレスを、彼女は着ていた。サンドレスの裾から居間のフロアにむけて、まっすぐな長い脚が、きれいにのびていた。 彼女は、両手に一足ずつ、靴を持っていた。ヒールの低い、はきやすそうな、しかし平凡な靴だった。一足は鮮やかなグリーン、そしてもう一足は、オレンジ色だった。居間の中央まで入ってきて、パトリシアは敷物の上にあぐらをかいてすわった。 ﹁あなたがこの島で書こうとしているストーリーについて、ハンナから聞いたわ﹂ ﹁きっと面白い話になると、ぼくは思うのです﹂ と、ぼくは言った。 パトリシアは、まっすぐにぼくの目を見た。純粋な熱意を満々とたたえて一直線にぼくの瞳を見る彼女の視線は、旧大陸を捨てて新大陸に渡ってきた開拓者のそれだった。 ﹁そうね。きっと、面白い話になると、私も思うわ﹂ ﹁ぼくは、最近は、東京に住んでいるのです﹂ ﹁ええ﹂ ﹁ひとつのラヴ・ストーリーを書くように、東京でぼくはぼくのエディターから依頼を受けたのです﹂ ﹁はい﹂ ﹁そのストーリーを書くために、ぼくはこの島に来たのです。ストーリーはこの島を舞台にすることになっていますので、この島でストーリーを捜そうと、ぼくは思ったのです﹂ ﹁ハンナから聞いたわ﹂ ﹁基本的なアイディアは、みつかったのです。そのアイディアをどんなふうにふくらませていくかについても、ハンナと話をして、まとめてあるのです﹂ ﹁そのアイディアをもとにして、ひとつのストーリーをつくろうとしているのね﹂ ﹁そうです﹂ 居間の入口に、ハンナが姿を見せた。 ﹁ここにいたの。捜してたのよ﹂ と、ハンナはパトリシアに言った。 パトリシアのかたわらに、ハンナは、正座してすわった。その姿をしげしげと見て、パトリシアは言った。 ﹁京都で過ごした一年間に、そのようなすわりかたを、私は何度も見たわ。そして、私自身も、出来るようになったのよ﹂ 長い脚をきゅうくつそうに折りたたみ、パトリシアは正座した。きれいに膝をそろえ、腰の位置を決め、背をまっすぐにのばし、顎を引いた。彼女自身がその姿勢で快適であるかどうかは別として、パトリシアの正座は、すくなくとも見た目には、完璧だった。28
ぼくのフォード・グラナーダをぼくが運転し、隣りの助手席には、バーソロミューがすわっていた。すぐうしろから、ハンナのクライスラーがついてきていた。ハンナが運転席にいて、隣りにはパトリシアがいた。そのクライスラーのさらにうしろから来るのは、佐々木誠の、四輪駆動のワゴンだ。このワゴンには、佐々木だけが乗っていた。 ハレイワからワイアルーアにむかう田舎道を、この三台の自動車は、走っていた。よく晴れた日の午後が夕方へと変化していく、長い西陽の時間の、はじまりの頃だ。 ﹁前方で道路が盛り上がっているだろう。あそこ﹂ と、バーソロミューは、片手をあげて示した。ごく短い登り坂のようなスロープが、前方にあった。 ﹁あれをむこうへ越えてすぐに、店があるはずなんだ。いまでもまだ、営業はしてるだろう。店のまえで停めてくれ﹂ 道路が盛りあがっている部分は、短い橋だった。その橋は、水路のように見えるけれども天然の、幅のせまい小川にかかっていた。 スロープをむこうへ下りると、道路の右側に、ジェネラル・ストアが一軒あった。建設されたのは、一九三〇年代だろう。板張りの平屋建てで、例によって正面にはフォルス・フロントがあった。 すっかり古くなったその建物は、土ぼこりを存分にかぶって、静かにさびれていた。大きく開いてドアのないストア・フロントに人の姿はなく、店のなかにはなにも商品は置いてないように見えた。徐行しつつ店のまえをとおり過ぎていくと、陳列ケースがいくつか、捨ててしまったもののように、店のなかにならんでいた。 店のまえをとおり過ぎ、自動車三台分のスペースをとって、僕はグラナーダを停めた。 ﹁ちょっと外に出てみよう﹂ と、バーソロミューは言った。ぼくは、グラナーダのエンジンを停止させた。ドアを開き、外に出た。 ぼくとバーソロミューは、店にむかって歩いた。店の手前で立ちどまった彼は、建物の側面の壁を示した。板壁には、それぞれ時間を置いて、何層にもペイントが塗ってあり、どの層のペイントも、ささくれ立っていた。その板壁のところどころに、長方形や円形に、ペイントがほかの部分ほどには傷んでいない個所がいくつかあった。雨と風と陽ざしとによって、存分にささくれ立ったほかの部分に比べると、傷んでいない個所は奇妙に裸の感じがあった。 ﹁年代物の古い広告看板が、とりつけてあったのさ。一九四〇年代のコカコーラの宣伝用の看板さ。おなじようなものを、見たことがあるだろう。クラシックな雰囲気で美しく美人が描いてあったりするやつさ。この店の、この壁にも、そんな看板がいくつかとりつけてあり、この店の壁の一部分としてずっと昔からそこにあり続けたのだけど、いまはもう、ないんだ﹂ バーソロミューの話を聞いていて、ぼくは、その話がどんなふうに進展していくのかについて、あるひとつの予感のようなものを持つことが出来た。あまりうれしい予感ではなかった。 パトリシアとハンナ、そして佐々木が、ぼくたちのかたわらに立った。彼らも、店の板壁をながめた。 ﹁ある日、ぴかぴかのBMWがこの店のまえに停まってね。ドアが開いて、東洋系のまだ若い男性がひとり、外に出てきたんだ。その男性は、店の外の壁を素早く点検し、そのあと、店のなかに入ってきた。品物はなにも買わず、店の主人とも口をきかず、店の壁にかけてある古い広告プレートや店の道具を、こまかく点検しはじめたのさ。そして、それが終わると、その男性は、店の主人に、コカコーラのロゴの入った看板や道具類を、すべて買いたいのだと、日本語で言ったんだ。外の壁にかかっていた看板一枚に対して、五百ドル払ってもいいと、その男性は言うんだ。店の主人はびっくりしてしまってね。その日は、話だけ聞いて、あくる日、また来てもらったんだ。そのときはすでに話が広まっていて、新聞社から記者が来ていたし、TV局からもカメラ・クルーを連れてリポーターが来ていた。彼らの取材を受けながら、その日本人男性は、この店にあったコカコーラに関係した品物すべてを、合計七千ドルで、買い取っていったんだ。TVのニュースで報道されたのを、ぼくは観たよ。店が丸裸にされてしまったように、ぼくは感じたね﹂ バーソロミューは、店の入口にむかって歩いた。ぼくをふりかえり、 ﹁そのときのことを、店の主人に聞いてみるかい﹂ と、彼は言った。 ぼくたちは、店のなかに入った。店には、誰もいなかった。店の建物は、道路のわきの崖のような部分の上に建っていて、店の奥のドアから崖の下へ、階段がつくってあった。崖の下は平らな土地で、民家が何軒かあった。 ﹁店の主人は、下の家に住んでいるんだ。いまに、ここへ上がってくるよ﹂ と、バーソロミューは言った。そしてぼくとパトリシアとを交互に見て、 ﹁こういう店のことが、ストーリーになるかい﹂ と、彼は言った。29
ぼくのフォード・グラナーダを、いまはバーソロミューが運転していた。彼は、田舎道に面した一軒の小さな木造の家のまえで、グラナーダを停めた。 エンジンを停止させた彼は、外にあるその家を示しながら、 ﹁近くをとおりかかると、ここへまわって車を停め、この家を見ながら、しばらく考えごとをするのが、ぼくは好きなんだ﹂ と、彼は言った。 その家は、この島の田舎ならどこにでもあるような、平凡な造りの家だった。道路からすこしだけ下がったところに建っていて、平屋建てだ。床は高く、ポーチにむけて幅の広い階段がつくってあった。部屋の数は、キチンを入れてもせいぜい四つだろう。床下にはがらくたが押しこんであり、庭にはマンゴーの樹が何本もあった。庭の奥には、コンクリートで作ってピンクに色を塗ったフラミンゴが三羽、あった。そのうちの一羽は、横倒しになっていた。 ポーチを上がったところにある正面のドア枠の上に、白い小さなプレートがとりつけてあった。そのプレートには、オリーヴ色の大文字で、マーサ・J・カウアカプウ・メモリアル、と書いてあった。 ﹁この家のことに関しては、パトリシアもよく知っている。マーサは、この家に住んでいたごく普通の主婦だった。亭主がろくでもない男でね。主として自分のフラストレーションのはけ口として、なにかと言えば、マーサを殴ったんだ。朝起きれば彼女を殴る、酒を飲めば彼女を蹴る、午後にふらっと帰ってきてまた彼女を殴る。近所の人たちの通報で、何度も警察が来たりしていたのだけど、その男は一度も逮捕されたりせずに、妻を殴り続けたんだ。マーサは、どこかへ逃げるように人から説得されていたけれど、私にはここしか自分の場所はないと言って、ここにとどまっていた。そして、ある日、夫に殴り殺されてしまった。妻にとって、夫から殴られるほど悲しいことはないんだ。その悲しみの記念として、この家は、メモリアルになっている。配偶者虐待に抵抗する団体がいまではこの島にも出来ていて、その抵抗運動をおこなっている人たちが、このメモリアルを管理している﹂ ぼくは、うしろを見た。グラナーダのうしろには、ハンナのクライスラーが停まっていた。ハンナとパトリシアが、車の外に出ていた。パトリシアの説明を、ハンナが聞いていた。かたわらで、佐々木も、説明を聞いていた。 ﹁たまにぼくはここに車を停め、マーサの悲しみに思いをはせるよ﹂ バーソロミューが、言った。 ﹁こういうのは、ストーリーになるかい﹂30
一軒の民家のまえの道路に、ぼくたちは自動車を停め、外に出ていた。パトリシアとハンナ、そして、ぼくと佐々木の四人に、バーソロミューが語っていた。 ﹁もう何年もまえのことになるのだけれど、この家に両親といっしょに住んでいた十八歳の青年が、ある夏の日、行方不明になったんだ。どこへいったのかまったくわからないまま、そして彼に関してほとんどなんの手がかりもないままに、事件は迷宮入りさ。いまでも、彼の行方不明事件は、未解決のままなんだ。両親たちはすでにふたりとも他界していてね、この家はすでに人手に渡っている。ペイントの色は昔とはちがっているし、奥のL字型になった部分は、あとからその人が建て増ししたものだ。庭のつくりも、ほとんどやりかえてある。しかし、あの自動車は、ずっとあのまま、あそこに置いてあるんだ﹂ バーソロミューは、庭の隣家との境界近くに置いてある一台の自動車を示した。一九七八年のポンティアック・ファイアバードだった。本来は鮮やかなスカイ・ブルーだが、車体のペイントはいまではすっかり色あせていた。クロームの部分には大きく錆が浮かび、タイアは四つとも平らにひしゃげていた。車体の周囲には丈の高い草が生えていて、ドアのなかばあたりまで、草が車体をかくしていた。 ﹁行方不明になったその青年の、その日の足どりを、警察は、綿密な聞きこみ調査によって、たどりなおしたんだ。夕方の四時に、彼は、あそこにあるファイアバードにひとりで乗って、外出した。友人たちに会う、とだけ言って、彼はこの家を出ていったんだ。いつもと変わった様子は、どこにもなかったと、両親は証言している。時間的に最後に彼ないしは彼らしい青年を見ているのは、日本人の観光客だった。パジェットのレンタカーに乗って、男性ふたりと女性ひとりの観光客が、この島の北側の道路を走っていたんだ。道路わきにセダンが停まっていて、そのわきに四人の地元の男性たちが立っていたのを、彼ら観光客たちは目撃している。四人とも若いポリネシア系の男たちで、そのうちのひとりが、行方不明になった青年らしいんだ。そのセダンのわきを走り抜けた彼らは、男たちが車に乗ろうとしていたところのように見えた、と証言している。その場所で四人は車に乗り、どこかへいったんだ。青年の足どりは、そこで最終的にぷっつりと切れるんだ。両親が私立探偵を雇って調査してみたのだけど、結果はおもわしくなかった。警察の調査以上のことは出来なかったんだ。彼が乗って出たあのファイアバードは、ダウン・タウンの駐車場で、発見された。両親の頼みを受け入れて、警察は、ファイアバードをずっとその駐車場の、おなじ場所に置き続けることに同意した。事件があってから三か月後に、そのファイアバードは、何者かによって駐車場から出され、青年の自宅のすぐ近くまで、移動されていた。駐車場で発見されたときには、キーはなかったのに、自宅近くでみつかったときには、キーがイグニションに入ったままだった。事件に関係している誰かが、かなりの危険を冒してファイアバードを駐車場から出し、青年の自宅の近くまで持ってきたのだね。目撃者は、まったくないんだ。この島には、こんなふうにある日いきなり、なんのまえぶれもなしに行方不明になってそれっきりという人の物語が、たくさんある﹂ ひとしきり語り終えて、バーソロミューは古びたファイアバードをみつめた。ぼくをふりかえり、 ﹁この事件を調べなおすと、悲しいストーリーがひとつ、書けるよ﹂ と、彼は言った。 ﹁彼の足どりが最終的にとだえるまで、小さな手かがりをもとに、驚くほどたんねんにひとつひとつ調査していくそのプロセスを、警察の友人から聞いたけれど、興味深いものだった﹂ ﹁日本人の旅行者へは、警察はどうやってたどりついたのだろう﹂ ぼくが、きいた。 ﹁彼らが四人の若い男性を目撃した地点で、ほかにさらに三人の、地元の人たちが、おなじ四人の男たちを目撃しているんだ。その現場から車で十五分ほどのところにリゾート・ホテルがあって、そのホテルで聞きこみをしているうちに、その日本人の旅行者にいきあたったのさ。四人の男たちはセダンに乗ろうとしていたけれど、私たちがホテルの敷地に入るわき道へ到着するまでは、車は一台も私たちを追い抜いてはいかなかった、という証言を、彼らはしていた。四人が乗ったセダンは、Uターンをしたのだね。そして、それっきりさ﹂31
島のいちばん北にむかって、ぼくはフォード・グラナーダで走っていた。西陽の時間だ。太平洋の遥か彼方から、太陽の光は、海沿いの道路に対してほぼ直角に、浅い角度で射してきていた。その西陽のなかを、ぼくのグラナーダは、北へむかった。 道路の左側は、わずかな陸地をへて、すぐに海だ。海岸が、長く続いていた。道路の端からその海岸へ、急なスロープで落ちていく。海は、おだやかだ。しかし、夕方の波が、そろそろ立ちはじめる。 道路の右側は、頑丈に木で造った柵をへだてて、草と灌木のまばらに生えた荒地が、むこうの山裾まで広がっていた。荒地のなかには、なにもなかった。 山裾がはじまるあたりの、まだ高さのそれほどない土地に、木造の建物がひとつ、建っていた。平屋建ての、細長い建物だ。規則的に窓がならんでいる。中央にポーチと入口が見えた。建物の壁は、くすんだピンクに塗ってあった。建物ぜんたいに、西陽が射していた。正面の入口は大きく開いていた。内部までは光が届かないから、四角い大きな入口は、陽ざしを受けとめているピンクの壁と対比すると、ぽっかりとあいた暗い空間のように見えた。 道路を北にむかって走りながら、ぼくはその建物を見た。その人は、今日も、おなじ場所にいた。ポーチの左側の壁に寄せて椅子をひとつ置き、その椅子に、まるで置物のように、その人はすわっていた。膝に両手を置き、まっすぐにその人は海のほうを見ていた。その人ぜんたいに、陽が当たっていた。 その人は、いつもとおなじように、大きくぽかんと、口を開いていた。丸く開いたままの口が、道路を自動車で走るぼくからでも、はっきりと見えた。細かなディテールをくっきりと浮き立たせる西陽のしわざだ。 椅子にすわったままじっと動かずにいるその人は、内部が完全に空洞であるように、ぼくには見えた。その暗いがらんどうの空間への入口が、ぽっかりと丸く開いたままの、暗い口腔の内部なのだ。 このピンクの建物は、収容施設であり、ポーチの上に出した椅子にすわって口を開いたままのその人は、ここに収容されている人たちのうちのひとりだ。夕方のこの時間、北へむかってここを自動車で走ると、かならず、この人の姿がポーチの上に見える。32
ユニフォームを着た駐車場の係の初老の男性にグラナーダのキーを渡し、ぼくはポーチの広い階段をあがった。ぼくのうしろから、西陽が明るく強く、射してきていた。
この建物は、かつての砂糖きび耕地の労働者キャンプの跡地に、当時の砂糖きび耕地の地主の母屋を模して建てたものだ。山裾をすこしだけあがった地点に建っていて、太平洋のむこうに沈む夕陽をながめつつ夕食をとることが出来るので知られたレストランだ。広いテラスが回廊のようになっていて、そのテラスにテーブルがならんでいる。
食事のまえに軽く酒を飲みながら談笑するための、ロビーのようなスペースに、ぼくは案内された。奥のソファに、バーソロミューたちがすでにすわっていた。彼と佐々木、そしてハンナにパトリシアだ。パトリシアはハンナの家に居候している。ふたりは、すでに、たいへんいい友人どうしだ。
バーソロミューとパトリシアとのあいだに、ぼくはすわった。このロビーにも、そのほぼぜんたいにわたって、西陽が入ってきていた。西陽の明るい縁は、ソファにすわっているぼくたちの足もとまで、届いていた。
ぼくは、パトリシアに顔をむけた。そして、
﹁昨日、ぼくは、東京にいるぼくのエディター宛てに、手紙を書いたよ﹂
と、言った。
﹁どんなことを書いたの?﹂
パトリシアがきいた。
﹁きみもすぐにこの島へ来るといい、と書いた﹂
﹁彼女には、私も会いたいわ﹂
﹁短編を書きためていると、きみは言っていたね﹂
﹁そうよ。ひとつひとつが、とても短い短編。すでにいくつも、あるわ﹂
﹁ぼくのエディターに読んでもらうといい。翻訳して日本で出版してもいいのだし﹂
﹁そうなると、うれしいわ﹂
﹁きっと、実現するよ﹂
限度を心得た、節度のある笑顔で、彼女はぼくを見た。
﹁彼女がこの島へ来ることは、ぼくがこれから書こうとしているストーリーにとって、たいへんに重要なんだ﹂
と、ぼくは言った。
﹁どんなふうに重要なのかしら﹂
﹁それぞれに興味深い人が、たくさん集まることが、重要なんだ。昨日、ひらめいたんだよ。ハンナといっしょにつくったあのストーリーを、あのストーリー単独で、ぼくがひとりで書いていくよりも、ぼくがこの島でストーリーのアイディアを手に入れたり、それをハンナといっしょにふくらませていったり、そこへさらに、もっといいアイディアが加わったりしていく様子ぜんたいをとりこんだ上で、それもストーリーの一部として書いていったほうがずっと面白い、ということがひらめいたんだ﹂
﹁ここにいる全員が、あなたのストーリーのなかに登場するのね﹂
﹁そう。きみも、ハンナも、バーソロミューも、マックも﹂
﹁面白いわ。楽しみだわ﹂
﹁あのストーリーを、あのストーリーだけとして書いていくのではなくて、あのストーリーを書こうとしているぼくとその周辺ぜんたいもまたストーリーなのだから、それを書いたほうがいい﹂
﹁そのためには、東京のエディターも、この場所に必要なのね﹂
佐々木が見せてくれた波乗りの写真も、ストーリーの一部分としてとりこみたいと、ぼくは思っている。エディターと相談しなければならないことのひとつだ。
明日から、ぼくは、このストーリーを書きはじめる。買ってまだ間もないあのタイプライターを使って、英語で書く。日本語に翻訳する作業まで、ぼくの美しい素敵なエディターはおこなってくれるだろうかと、ぼくは思った。