近頃では、アイスクリームなんてものは、年がら年中、どこででも売っている。そば屋にさえも、アイスクリームが、あるという。 私たちの子供のころは、アイスクリームなんてものは、むろん夏に限ったものだったし、そうやたらに売っているものではなかった。 中流以上の家庭には、いまの電気洗濯機がある程度に、アイスクリームをつくる機械があって、時に応じて、ガラガラとハンドルを廻して、つくったものである。 そのころのアイスクリームってもの、どういうものか、今のより、ずっと黄色かった。卵がうんと入っているように見せて、そんな色を着けたのかも知れない。 映画館の中売りが売って歩いたのは、正にその黄色で、牛乳も何も入っていない、名前も、アイスクリンだった。 アイスクリームよりも、もうちょっと安いのが、ミルクセーキ。 これはたいていの氷屋に、一種の運動機具のごとき機械があってこれも手廻しで、註文に応じて、つくった。 アイスクリームも、ミルクセーキも、その名は、そのまま今も残っているが、味は全く違ったものになった。昔のは、もっと原始的な味だったが、素朴でよかった。 硝ガラ子スの玉をつないだ、氷屋ののれんも、今はあんまり見られなくなったが、昔は、氷屋ののれんから夏が来たものだった。 大阪の氷屋と東京のと、どう違うか? 東京では、コップの底に、タネモノ︵シロップなり小豆なり︶を入れて、その上へ、氷をかいて積み上げる。 大阪では、︵小豆なんかは、やっぱり底にあったかな?︶氷をかいて山にして、その上からシロップをかける。 見た目は、赤や青で美しいが、私たちは、やっぱり東京流がいい。 大阪といえば、ミルキンというのがあるのを御存知かしら。ミルキンとは、ミルク金時の略。金時とは、東京でいう氷小豆だ。その氷小豆の上から、ミルク︵牛乳のところもあるが、コンデンスミルクを溶いたものが多い︶を、ジャブジャブと、かけたもの。 こいつは、くどいだろうと思ったが、ちょっと試みると、確かにくどいけれど、うまい。 でも、お代りしたら、きっと腹を下すだろうと思った。が、意地きたなしの僕は、お代りをした。そして、予想通り腹下しをした。 大阪の氷屋に、﹁すいと﹂と書いてあった。 ﹁すいと﹂とは何だろう。すいとんのことでもなさそうだし――と、きいてみたら、ところてんだった。 ところてんを、酢糸とは、シャレてる。