古川ロッパ昭和日記

昭和十五年

古川緑波




世の中が中々むづかしいのは、
悧巧者が居過ぎるからなら有がたいが、
実は馬鹿が多く居過ぎるためだからやりきれない。
八月二十日ふと思ふ。
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昭和十五年一月



一月一日(月曜)

 
 使


一月二日(火曜)

 


一月三日(水曜)

 



一月四日(木曜)

 十一時に出る。昼の部大満員。大西が病気だと言って休み、矢島といふ少し馴れたのが又休み、何も分らぬ研究生ばかりなので、ドマつき通し、人使ひが荒く、僕のとこへは居つかないとは定評だが、然し、こんなことで自分をおさへたりしては芸が縮む、「奴隷を使へる男」と上森が言ったことがあるが、さうであってもいゝのだ。昼の終り、演舞場へ曽我廼家五郎氏の楽屋へ年始に行く。大いに喜んで呉れた。西銀座の三直へ寄り、天ぷらを食ふ、油がいゝのでよろし、値段もよろしく、四円九十何銭。夜の部も大満員、「新婚」が、嫌でたまらない、「兵隊」が楽しみになった。ハネて、ハイデルベルヒへ行き、ウイ。汐見洋・丸山定夫と会ひ、飲む。


一月五日(金曜)

 十一時に家を出る。昼の部大入満員、二円八十銭に値上げしたのでアガリは一回三千八百円程度になるさうだ、随分今月は儲かるな。昼の「兵隊」の暗転中、道具が倒れ、悦ちゃんが顔を怪我した、大したことでなく、悦ちゃん曰く、「鼻が低かったから助かった。」昼の終り、又天ぷら食ひたくなり、三直へ行く。一人、六円ばかり食った。夜も大入満員、「新婚」辛し。「兵隊」絶対なり。ハネ九時四十分頃、国際の支配人となりし岩田至弘と会見のため、神田講武所といふ土地へ行き、幇間の獅子を見て新年気分となり、ウイを大分飲みたり。


一月六日(土曜)

 今日もマチネー、意外にも昼の部は補助椅子が出てゐない。楽屋のカレンダーに大入・大入と続いてたが、今日の昼の所へは、曰く「小入」。「新婚」は全く憂鬱、おはやしの傍で出を待ってゝ、おはやしの音がシャクにさはる位。昼の終り、菊田・上山と那波支配人のとこへ年始に行き、又、天ぷらが食ひたくなって、名物食堂のハゲ天、しこたま食って、三人で五円足らず、此処は安い。その代り後で少々胸やけ。夜の部大満員、古賀政男氏来楽、ちもとの豪華菓子届く。「兵隊」は、男が皆泣く。渡辺・ロクロー調子やり、セリフが通らぬ。杉寛、又例の病らしく、明日より休む、大庭が代る。「大放送」腹話術、声が苦しくて困る。ハネ九時三十何分、まっすぐ帰宅。


一月七日(日曜)

 今日までマチネーだ。米が、七分搗きになってから快便でない。昼は、大入満員、七草の日曜だから、当りまへだが。「新婚」やってゝ情けなくなる。「兵隊」は、昼でも気が入る。プロマイド封入、年賀状を書く。昼の終りに、滝村来る。一緒に出かけ、又もや天ぷら、銀座西の清月といふ店へ行った、あまりうまくない。コロムバンへ寄り、コーヒーを飲む、うまくない。三昧堂へ寄り、新刊を求め、座へ帰る。「新婚」又もやクサリ。「兵隊」ハリキって大きな声を出したので、又咽喉がいけない。吉田信夫夫妻、芦原英了来訪。「大放送」小勝のところ少々長くする。ハネ九時四十分頃、まっすぐ帰宅。葦原邦子の「葦笛」を読み出す。


一月八日(月曜)

 今日からマチネー無し。アンマとりながら、「葦笛」を読み終る。今年の分からスクラップを、自分で整理することゝし、正月公演に関する新聞切抜きを、切っては貼る、中々くたびれる。夕食パンにした。座へ出る。大入満員である。東日の朝刊に批評が出て、川上三太郎が「兵隊」を賞めてゐる。皆元気づく。岡庄五氏来る、ビクターをやめ(させられて)日活副社長となった。イタにつかず、元気なし。名古屋の小尾悦太郎老も来た。ハネ九時四十分。滝村来り、神田講武所の大和へ行き、二月映画の打合せから、飲みとなる。
 今年の冬は寒い。暑がりの寒がりの僕ではあるが、冬を寒いと思ふのは、此の頃だ。年齢、それもあるか。


一月九日(火曜)

 


一月十日(水曜)

 宿


一月十一日(木曜)

 十一時迄ぐっすり眠る。日暮里の高橋へ年始に行く、女房・清同行。三時頃、偕楽園が食ひたくなり、出かける。味のこまやかなる、軟かき、上品なる点に於て偕楽園ほどの支那料理は他にあるまい。座へ出る。大満員。藤山一郎・鈴木桂介・原田耕造など来る。志村道夫、応召だとて挨拶に来る。京極と松平直富伯(帰還)・三上孝子親子も来り賑か。「兵隊」熱演、調子外れの「年の始」を歌ふので、すぐ又調子をやる。ハネ九時三十何分。赤坂まへ川へ。古賀政男と藤山一郎を、仲直りさせる会を僕が開いた。古賀・藤山話し合ひの末握手する。折から、停電、帰る迄、ローソクで遊び、島原の炭屋をホーフツたらしむ。帰宅二時半。
 舞台で演ってゝ泣ける芝居も、大てい三四日たつと涙の出なくなるのが常だが、「ロッパと兵隊」三景で、年の始めを歌ふあたりは、十一日目の今日になっても、涙が出るのだ。これは、何ういふことか。


一月十二日(金曜)

 姿寿


一月十三日(土曜)

 
 


一月十四日(日曜)

 



一月十五日(月曜)

 
 


一月十六日(火曜)

 今日、又やぶいりとあって、マチネー。座へ出ると、昨昼よりはいゝが、補助は出ない。小笠原明峰、二千六百年の脚本の案を持って来た、うまいものであればいゝが。少々風邪気味。川口がホテ・グリへ来いと言ふので行く。悦ちゃんを御馳走してゐた、ポタアジュ、スクラムブルドエグ・ベーコン、ムサカと飯。「新婚」の時、若年部数名トチる、大声でカス食はせたので調子がいかん、それに夜の「兵隊」大ハリキリで又とても声いかん。夜は大満員、男客ばかりで受け方が凄い。ハネ後、京極と岡庄五に招かれて築地房田中へ。すきやきで、ブラック・ホワイト。


一月十七日(水曜)

 調
 調調 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)


一月十八日(木曜)

 
 


一月十九日(金曜)

 
 





一月二十日(土曜)

 鹿麿
 


一月二十一日(日曜)

 十一時迎へ来り、出かける。大満員だ。昼の終り、屋井が来て、風月へ食事に行く。コンソメ、ブフ・アラ・モドみなお軽少で腹が張らない。座へ帰り、新年会の打ち合せ、時節柄、夜おそく迄やる食べ物屋が無くて困る。夜の部、大満員、「新婚」やってる気持は、エノケンに近いやうだ。「兵隊」は、声出ず苦しかった。腹話術では、人形との小さい会話を多くする程、受けることを会得した。BKの奥屋能一郎「兵隊」に感激してた。ハネると、まっすぐ帰宅。


一月二十二日(月曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)


一月二十三日(火曜)

 
 姿


一月二十四日(水曜)

 
 


一月二十五日(木曜)

 西
 


一月二十六日(金曜)

 使西


一月二十七日(土曜)

 
 西


一月二十八日(日曜)

 昨夜あんなにオールドパアを飲んだのに、今朝は声がとてもいゝので驚いた。ウイのおかげで声が治ることもあるらしい。昼、大満員である。曽我廼家五郎夫妻が見物、これで又ハリキる。「兵隊」の終りに、部屋へ来て、大した賞められ方で恐縮する。大いに菊田を買ってゐた。一人で出て、三直で天ぷらを食ひ、フランコでコーヒーと菓子を食べて座へ帰る。夜亦大満員である。明日演技賞を出すので、文芸部投票させる。ロッパ賞は菊田に出すことに定めた。ハネて、映画の打合せがあったが、ごめんかうむり、馬鹿飲みしたくて、如月敏と石田守衛を連れ、銀座のバア二三軒、意味なく酔って面白し。


一月二十九日(月曜)

  
 稿
 

 
 
  
 

 
 
 
 

 

  
 姿


一月三十日(火曜)

 


一月三十一日(水曜)

 
 稿退
 鹿

 
 使西西()





二月一日(木曜)

 
 
 


二月二日(金曜)

 
 鹿
 


二月三日(土曜)

 
 
 


二月四日(日曜)

 
 


二月五日(月曜)

 熱海。
 よく寝て、十時半迄何も知らず、すぐ入湯、朝食――サービスはスロウで昼食になってしまったが、待望の味噌汁、カマボコ、肉が一皿、うまい/\。食後、宿のコーヒーをとる、わりに美味い。あゝこれこそ保養じゃ哩。アンマ榎本来り揉む、痛いがうまい、皮膚がピリ/\するよと言へば、「そいつはすみません、皮むきアンマは下の下です」と言ふ。読書「奇・珍・怪」、中々面白し。女房と海岸に出来た竹葉で食事、川口・三益が聚楽へ来てることを、小沢陸蔵にきく。小沢の経営、しるこやぼたんでしるこを食ひ、宿へ帰ってみると、東久雄が来てた、隣の隣り、そこで話し込み、ねたのは一時半。


二月六日(火曜)

 
 姿
 


二月七日(水曜)

 
 宿
 


二月八日(木曜)

 熱海。
 十一時近く迄よく眠る。入浴。朝食し、日劇へ電話する、昨日がロッパ青春部隊のアトラクション初日、大入満員の由。清と遊ぶこと数刻、アンマ榎本来り揉む。十日から撮影とあれば明日帰らねばならぬか――もっとのんびりのびてゐたい。気になるのは脚本、二千六百年、はて何としようぞ、案未だ無し。又入浴して、女房と散歩、熱海養鰐園を見物、竹葉で食事、小沢のチャラ陸さん来り、無理に御馳走されちまふ。熱海宝塚劇場へ行き、大満員で一ばん前へ座らされ、首の痛くなるのを我慢しつゝ「松下村塾」「白蘭の歌」の続編とを見た。

二月九日(金曜)

 熱海。
 十時半頃迄熟睡した。入浴、朝食、生卵かけた飯は美味い。当分洋食がいやだ――白いクロースにナイフ・フォークの置かれたテーブルが、思っても憂欝だ。洋行出来ないな、こんなことでは。アンマ榎本、二時から揉ませる。電話日劇へかける、堀井が出たので、すぐこっちへ来いと言ふ。又入浴、脚本は、あきらめて広津和郎の「青麦」読み出す。夜の九時すぎ堀井来り、鳥鍋を食ふ。滝村より電報、明日帰京と定める。清と入浴、泳がせる。十一時すぎ、花井が来る。皆で又入浴。東京電話申し込んだが此の宿感じ悪く、取次がず、通じず、怒る。


二月十日(土曜)

 熱海――帰京。
 八時起き、すぐ入浴、食事する。堀井と帰京十二時の汽車。清と別れを惜しむ。車中混雑。「オール読物」を読む、読切りが皆うまくなったな。ユーモア物は下手。品川二時十分。高槻の迎へ、砧村へ向ふ。滝村・斎藤と、三時から「駄々ッ子父ちゃん」の本読み、自分で読む。面白く、涙が出さうなところ多し。菊田の本が駄目で、伏見晃が書いたもの。撮影は、明後日ロケから始まる。日が少いので心配。上山と平野で紅白亭へ寄り夕食。日劇へ入り、ロッパ青春部隊の実演を見る。甚だ寒い気持になる。何たるパースナリティの貧弱さだ。山野と石田を誘ひ、久々で銀座バアを歩く、マクニッシュからハープ、ボルドまで行く。二時頃帰宅、寒々とひとり寝る。


二月十一日(日曜)

 寿


二月十二日(月曜)

 
 
 


二月十三日(火曜)

 
 宿


二月十四日(水曜)

 伊東。
 夜明しの麻雀、八時すぎにきりあげ、皆で入浴。腰の痛いこと、アイタゝゝゝと言ひつゝ座る。海が今日は蒼く、立ったやうに、つまり平面が横になってゐず立ってるやうに見えた。揃って朝食。上山から電話、一時十分の熱海発で伊東へ向へとのこと。清と別れを惜しみて、熱海駅へ。伊東行、三等に乗る。ところが、着いたものゝ、ピーカンなるにもかゝはらず、撮影は無しださうで、何だアといふ感じ。宿は大東館、部屋もまあ/\で、階下を見おろすと川、斎藤寅次郎としばし話す。六時に、昨日の服部哲雄が、こっちへ来り、暖香園から皆で来いとの招き、如何にも田舎々々した座敷で、これ亦相当なる料理、相当なる芸妓、僕ビールを飲み、日本酒を飲み、少々酔ふ。十時に宿へ帰りて、すぐ眠る。


二月十五日(木曜)

 伊東――ロケ、撮影第一日。
 七時、快晴なので、すぐ入浴――此の宿の湯は、ゼロだ。急いで朝食、わりにうまい味噌汁。ロケは伊東のステーションだ、「お父ちゃん」の時と同じ赤帽の姿。昼食、駅前の浅田屋といふのゝ二階。此んな所で、ニヨキのグラタンがあったのには驚いた。わりにいゝ。午後、曇って中々捗らず、もうこの商売にも馴れたから、あせらない。三時半迄、例の現場待機を続け、中止。食料品屋に、ブラック・ホワイトあり、きくと四十二円也。ウワー、中止。その代りに、トミー・モルトといふ明治屋製のウイを買ひ、ハインズのピーナツバターを発見、買って宿へ帰る。部屋で皆寄って飲み、とても悪いウイで、がっかりする。夜、街を歩く。新地といふ遊廓を通り、大庭・本田を置いて宿へ帰る。


二月十六日(金曜)

 伊東――帰京。
 八時近くに起きて入浴、急いで食事し、伊東駅へ。今日は快晴で、どん/″\進む。十二時半頃に終った。駅前の浅田屋で食事、蜜柑・生椎茸等土産を買ふ。宿へ帰り入浴、ごろりとなり、書生に揉ませる。四時に迎へが来て、伊東駅、熱海で沼津からの上り、二等の混雑相当。野上豊一郎「翻訳論」にかゝる、面白い。東京着六時四十何分。高槻の迎へ車で帰宅。玄関に女房、清を抱いて出てる、清、元気よし。食事して、入浴アンマをとる。馴れてゐるから、家のアンマが一ばんいゝ。女房より、有楽座の切符係りの無礼な話をきゝ癪にさはる。


二月十七日(土曜)

 セット第一日。
 今日からセット入り、八時前に起き、九時開始の筈だから、東発撮影所へ急ぐ。スタッフは集ってゐるが、子役の小高まさるがゐない、通知洩れとあって、あはてゝ迎へを出し、小学校で授業中のを連れて来ちまふ。昼食を早めにして、始める。古岡の家のセット、子役五人、壮観である。今日は明治座へ行くので早く切り上げて貰ふ。花柳等の新生新派である。菊田に会ったので、二千六百年の脚本は、とてももう駄目だから書いて貰ふことにした、これでのう/\した気持になり、九時すぎ迄見物し、屋井と大庭・堀井で銀座へ出て、ハイデルベルヒでジョニ赤を飲む。


二月十八日(日曜)

 調
 


二月十九日(月曜)

 


二月二十日(火曜)

 西
 


二月二十一日(水曜)

 



二月二十二日(木曜)

 使
 


二月二十三日(金曜)

 九時起き、出かける。砧の方。オープンが、撮影所の隅に出来てる、古岡の家の縁側と庭、渡辺篤とのカットが終ると、もう昼。代食といふんで、玉子丼といふ奴。夕方から昨日のセット入り。綴方食堂へ行って、ブリの焼いたのに、イクラで二杯飯を食ひ、おしるこ屋へ寄り田舎を食ふ。菊田来り、脚本のプラン立ったとて話をきく。二千六百年にはあまり関係無いが、まあ面白さう。セット七時すぎからかゝり、ワンカットでチョン。入浴して帰宅。床へ入り、「サンデー毎日」に頼まれた、「僕の映画月旦」十枚を書き、くたびれて寝る。


二月二十四日(土曜)

 


二月二十五日(日曜)

 鹿


二月二十六日(月曜)

 
 便尿便便


二月二十七日(火曜)


 
 


二月二十八日(水曜)

  
 宿
 姿


二月二十九日(木曜)

 
 宿 





三月一日(金曜)

 
 宿鹿鹿
 使


三月二日(土曜)

 宿


三月三日(日曜)

  


三月四日(月曜)

 
 


三月五日(火曜)

 綿宿
 


三月六日(水曜)

 
 


三月七日(木曜)

 宿
 


三月八日(金曜)

 今日は臨時マチネー。例年のニッサン石鹸の貸切で、石鹸一箱呉れた、それだけの礼でマチネーをやるつまらなさ。凡そつまらん客、女を二階へ男を階下に詰めたから笑ひがハデない、考へるべきことだ。腹話術のオッサン人形で「アノネニッサン」とやって世辞る。昼終り、新大阪へ、グリルで、ポタアジュ、ベーコンエグス、チキン何とか、うまかった。座へ帰る。補助椅子の出る大満員。昼と違ってバリ/\受ける客で嬉しい。ハネ十時。北の多幸平へ。大阪市の社会課の連中と会食、オサムイサービスで腹もろく/\張らず、帰りの車は無し、雨の中を地下鉄で宿へ帰る。つく/″\はかなき心地となる。


三月九日(土曜)

 便宿


三月十日(日曜)

 鹿西宿
 


三月十一日(月曜)

 


三月十二日(火曜)

 午前中、青年部の佐々木と岩井が来た。もう古株である自分たちをもっと役をつけてほしいといふ話、等きく。昼、二戸と東宝支社宣伝部の浅野秀治とを、つる市へ招待する。つる市の料理、うまいより何より高くとれるやうに出来てゐるといふ点を認めていゝ。たっぷり食った。彼等と別れ、南へ出る。浪花座のミス・ワカナをきく。ドンバルで軽く食事して座へ出る。大満員だ。声大変よくなり快演する。京都の今井泰蔵ドクトル夫妻来訪。眼は洗った方がいゝときゝ、洗眼器を買って洗ふ。ハネて、竹川で水たきを食ふ。


三月十三日(水曜)

 宿
 
 


三月十四日(木曜)

 宿宿
 


三月十五日(金曜)

 
 


三月十六日(土曜)

 宿


三月十七日(日曜)

 マチネーだ。大満員、よく笑ふので驚くほどだ。昼の終りに、川口・三益と重の家迄食ひに行く。此処も二度目は前ほどうまいと思へない。味が癖があるからだ。川口とお互に伜のことを話しつゝ楽屋へ帰ると、女房から手紙が届いてゐて、清元気の由、顔が見たくなる。東京へ帰りたい/\。夜の部は、中継の時間の都合で、「春の大放送」を半分に割り、「兵隊」がまん中にはさまる。中継と思ふので大緊張し、熱演。よく笑ひ、かけ声などもあり。ハネて、小笠原を、新町の吉田屋へ招待した、夕霧の部屋といふので、夕霧の文や衣裳を見せられる。グリンウッド・ウイスキーといふのを試みる、いかん。十二時半引きあげ。


三月十八日(月曜)

 ()()


三月十九日(火曜)

 十時起き、今日が又ツンマチ即ち、昼の部貸切り。まるで笑ひが少い、クサリつゝふざけてやる。昼の終り、三益を連れて、重の家迄歩く。魚ばかりで何うもうまくない。東京から「都」の人が来り、四月二十六日に奉納演芸のこと頼まれる。神戸のオザの話言ふ通り出すといふのでOKする。夜の部大満員、ワッサ/\。特賞は如何だらうと噂が出る。伊川みどり、急性盲腸炎で入院、他女の子三人ばかり倒れ、踊りが人数減って困る。ハネ十時。元松竹の福井福三郎に招かれ、新町の北松へ。ジョニ赤あり喜ぶ。のんで盛に喋り、愉快なり。


三月二十日(水曜)

 宿


三月二十一日(木曜)

 七時頃小便に起き、又床へ入ると、それから夢ばかり見る。コント風ないゝ夢十位も見た。又今日はマチネー、今昼は、貸切ではないから客種よく、よく笑ふ。が、どうもこっちに元気が無い。昼の部の終り、堀井・三益と梅田新道のとんかつろうじで飯。座へ帰り、一座からの出征者に慰問文を書く。ガスビルの永田氏、ガスビルまんじゅう持参で来訪。福島利通、薬品持参来訪。夜の部大満員、よく笑ひよく受ける。ハネて、石田と二人、ヘソで牛鍋とオムレツで食事し、十二時帰宿。
 コント風な夢といふのは例へば、支度して、燕尾を着て、白手袋を持って、エレベーターへ乗り、下りて見ると、手袋だと思ったのが、白い兵隊靴下だったので、カン/\に怒るところ。


三月二十二日(金曜)

 



三月二十三日(土曜)

 便宿宿
 


三月二十四日(日曜)

 姿


三月二十五日(月曜)

 
 宿
 
  
  
 


三月二十六日(火曜)

 
 


三月二十七日(水曜)

 寝台、寝られず、便所へ何度も行く。食物のせいか、ウルチカリヤの如く、腹など痒くて困る。七時半寝台を出て、吉岡社長と話してるうち東京着。自動車の中で、女房と清が待ってゐたので、びっくり喜び。帰宅。久々の味噌汁のうまいこと。高槻、十五日に結婚し、ハリキってゐる。文ビルへ十一時着、本読み一と通り。五時、東映本社森氏のところで話、森といふ人の頭のいゝこと、会ふ度に感じる。三昧堂へ寄り新刊二冊。帰宅夕食。清、元気よくレロ/\プー/\言ふ。風呂へ一緒に入り、眼鏡除ってたのでワー/\泣く、眼鏡かけたら安心してニコ/\。床へ入り、セリフ少しやりかけてすぐ眠くなる。


三月二十八日(木曜)

 宿


三月二十九日(金曜)

 
 


三月三十日(土曜)

 十時起き、文ビルへ一時に出る。「芝浜」の立ち稽古、セリフが入ってゐるからスラ/\と行く、皆びっくりしてる。山野と大庭を連れて、土橋のぶつ切牛、うつぼへ行く。ぶつ切の鍋で大いに食った。これは時勢なのか、此の店が因業なのか、お酒のまぬ客おことはり、一人の客、子供連れの客おことはり、実に変だ。東宝名人会をのぞく、此んなところも一杯だ。川口・三益とで徳川夢声を楽屋へ訪れたが来てない、柳好が来てゝ「芝浜」をやって貰ふ、もうけものだった。八時半に、一橋の光明学校の夕てのへ共立講堂。こゝで腹話術を一席やる。ミス・ワカナ・一郎の夫婦と赤坂まへ川へ。ワカナ肩のはる女なり。


三月三十一日(日曜)

 
 





四月一日(月曜)

 
 鹿
 


四月二日(火曜)

 


四月三日(水曜)

 


四月四日(木曜)

 


四月五日(金曜)

 


四月六日(土曜)

 
 


四月七日(日曜)

 


四月八日(月曜)

 
 


四月九日(火曜)

 稿


四月十日(水曜)

 十時半起き、顔の出きもの不快、ヒゲ剃りに苦労する。浜松町の上沼医院へ行く、出来ものは糖から出来る吹出ものではない、とのこと、糖尿検査して貰ふと、これは良くもなし悪くもない。血圧は百三十で、これは理想的。種痘をして貰ふ。それからすぐ有楽町の徳永医院へ電話で紹介して貰ひ、行く。診察の結果、トビヒの一種ださうで、早速股間に塗布、顔へは夜ねる時につけろと薬を貰って帰る。まだ時間たっぷりあり、全線座へ、「海の魂」といふのを見て、樋口とエスキーモで挽茶アイスクリームをのみ、金太郎で清の玩具を買って、ホテ・グリで食事し、座へ。入り九分弱か。「東京温泉」のみ、やりよし。ハネ九時四十分。母上見物、一緒に帰る。


四月十一日(木曜)

 


四月十二日(金曜)

 十時起き、顔のトビヒはよくならない、ザラッと撫ぜると嫌な触感、たまらない。股間の方は大分よくなりかゝった。十二時頃、大庭と白川が来り、紙競馬をしたり、雀をしたり、すしなど食って、四時に家を出る。徳永医院へ寄る、顔の方はまだ治らないので変った薬を呉れた。座へ出る、づっと機嫌が悪い。新聞の人など来るが皆断はる。銀座のマコなんてタカリも、ついでに追っ払っちまった。中村メイコが、お菓子を土産にたづねて来た。徳山が又お菓子持参。川口来り、「蛇姫様」のこと決定。入りは、やはり八分強位。ハネ九時三十五分頃。まっすぐ帰宅。さて又薬を塗る。
 国民と報知に評が出た、あまり好評ではないが、思った程でもない。


四月十三日(土曜)

 


四月十四日(日曜)

 九時半起き、顔のトビゝは頑強だ、今日はマチネーだから、六度も顔をしなければいかんわいと、ます/\元気なし。女房見物で一緒に出かける。座は、日曜故大満員だ。昼終っても、外出の元気なし、ふた葉の親子丼。三浦環や平井房人来訪、「座長微痣につき面会謝絶」と貼紙したので皆帰った。山野一郎、九度以上の熱で、日劇の高橋医師が来たついでに、トビゝを診せると、皮膚病ではなく、アルバジール連用のため副作用として、湿疹が出来たのであらうとの診断、これはとんだことだ! 兎に角明日京極に順天堂へ連れて行って貰ふことにした。夜も大満員、ハネ九時半より早し、まっすぐ帰宅、徳永医師の命じる方法は、やめた。
 新聞広告が、帝劇の新国劇、東宝劇場の少女歌劇ばかり出て、有楽座のが出ないので、新聞係りへ何故出さぬのか理由をすぐきかせろと、言ってやった。
(右は清宮東宝主任が予算をケチ/\するためと分った。)


四月十五日(月曜)

 


四月十六日(火曜)

 
 姿


四月十七日(水曜)

 
 


四月十八日(木曜)

 
 便
  


四月十九日(金曜)

 


四月二十日(土曜)

 


四月二十一日(日曜)

 


四月二十二日(月曜)

 十時起き、入浴せざること何日、早くズブリと湯に浸りたい。清も女房共々順天堂へ。清のお尻にデキものあり診て貰ふ、何でもないらしい。包帯し代へて、十二時半頃、橘の家へ行く。友田来り、夕刻迄雀遊す。ひたすら悪運と戦ひ、つたなくも敗る。六時半に座へ。服部良一来る、コロムビアとの調印は、京極が旅行から帰ってからしようと定める。渋沢会長より、ホワイトホース一本お見舞として貰ふ。大切に抱いて帰る。「東京温泉」のみやり、順天堂へ寄り、大分いゝので喜びつゝ帰宅。「耕土」を読み、今夜は一時前に眠る。


四月二十三日(火曜)

 十時迄、よく眠る。包帯をとってみるとすっかり赤味とれて跡も薄い、ヒゲが生えてるだけの感じ、此の分なら大丈夫。順天堂へ。包帯し代へて貰ひ、丸の内へ出る。銀座文洋堂で書類入れ、その他買ひものする。邦楽座へ入ってみる。「翼の人々」といふの、凡そつまらない。アトラクションのS・S・Kもつまらず、クサった。まだ四時すぎで早いが座へ。「東京温泉」のみ演る。山野一郎も今日より出た。入り一寸薄い。順天堂へ寄り明日入浴してもよからう、ヒゲも剃っていゝと言はれ嬉しい。中野実今朝帰還の由、早稲田の家へ寄る。中野大分心境変化したらしい。又来ることゝして辞し、十時半帰宅。床へ入って「耕土」を二時すぎ迄かゝって読了。


四月二十四日(水曜)

 起きると十時、すぐ入浴、久々の入浴の嬉しさ、待望のヒゲ剃り、ジョリ/″\と剃っちまふ。さっぱりとして、食事。順天堂へ行く。包帯する。そして又家へ引返した。堀井夫妻が、清の初節句にと、カブトを持って来る。雀を一荘、三時半頃揃って出かける。座へ、早いけど行っちまふ。木村千疋男来る。入りは、あんまり落ちてもゐない様子。「東京温泉」熱演して帰る。順天堂へ寄ると、眼も赤いから明日は眼科へも行けと言はれる。トビゝの方、どん/″\快方。帰宅、吉井勇の「洛北随筆」を半分ほど読む。今日月給出た。


四月二十五日(木曜)

 十時起き、左眼は眼蓋が重い。入浴は今日はやめた。順天堂へ。先へ眼科へ行く、左の眼蓋の裏が腫れてるといふので、電気で二十分間温める。それから皮膚科へ。包帯して、出る。神保町へ出る、招魂社のお祭りで大変な人出である。橘のとこへ行く。雀を夕刻迄。今日も不首尾。橘が、清への贈りものとして、古いオルゴールを買って来て呉れた。座へ行く、入り七分強位に見えたが。「東京温泉」今夜は出来悪し。女房同車、順天堂へ寄り、包帯して帰宅。東宝本社事務所連から初節句の祝ひに、金太郎の大人形来る。寺本熊俊から「お見舞」として、ジョニオーカーの黒二本来る、珍しいこと。左眼重し、されどやっぱり読まないわけには行かず、吉井勇「洛北随筆」を読み上げる。


四月二十六日(金曜)

 九時すぎ起き、左眼ものもらひ腫れ上り、弱った顔なり。入浴し、ヒゲを剃る、顔の方は殆んど全快。軍人会館へ、都新聞の奉納演芸。僕は三益と漫才をやる。これが終ると、順天堂へ行き、眼科へ寄る、二十分間電気で温め、アルバジールの注射をされる。それから、麹町の垣見八郎右衛門氏の家へ寄り、一寸上り込み話し、今度は青山の青年館で、これは東宝の奉納演芸で、又三益と漫才をやり、本社へ寄り、清の祝の礼を言ひ、平野とホテ・グリへ久々寄り、ガランティンとムサヤと飯。座へ出る。入り八分弱位か。「東京温泉」熱演。斎藤寅さん来訪。帰りに順天堂へ寄る、今度は皮膚科。応接でレコードきいて、床へ入り「閑話休題」読みつゝ寝る。


四月二十七日(土曜)

 十時起き、今日も入浴せず。もう顔は殆んどいゝ、左眼のものもらひ、まだ眼の上皮がたるんだやうになってゐる。順天堂へ。先に眼科、又、アルバジールの注射をして、二十分電熱し、皮膚科へ寄る。丸善へ寄り、レターペーパーや封筒など買はうと思ったが、もういゝ品は少しもない。一時に芝の増上寺前、花岳院てとこの二階広間で、五月の本読みをやる。菊田が「蛇姫様」の出来たゞけ半分ばかり読み、つゞいて斎藤が「支那の夜」僕が「明日は晴れ」を読む。三時すぎに銀座へ出て、山野と支那グリル一番でシウマイ、中華丼を食ひ、早く座へ出て、五月の絵看板の下絵や、歌ひ文句を書く。入り七分強か。順天堂へ寄って帰宅。宇野浩二「閑話休題」を読了。


四月二十八日(日曜)

 マチネーだが、一本しか出てゐないの故、ゆっくり出だ。入浴、ヒゲ剃り、今日は順天堂へは寄らない。座へ出ると、入りは八分強ぐらゐ。昼が終ると、雨だが、外出しようとすると又、高槻が不在、おくれてやって来た、思ひきり怒鳴りつける。浩養軒へ行き、服部良一と会って、食事して座へ帰る。夜も入り、わりによし。渡辺とサトウに代役の礼として、五十円宛やる、又代りの石田・大庭に十円宛やる。中野実、「東京温泉」を見物、済むと一緒に出て、ルパン。久々で中野と乾杯する。中野は、人情家だ、しみ/″\する。心境変化し、再演物一切止めると言ってゐる。服部良一来り、長谷川へ行ったが、どうもダレて、十一時すぎに出る。


四月二十九日(月曜)

 有楽座千秋楽。
 九時頃眼がさめる、入浴、顔はすっかりいゝ。十二時家を出て座へ。小笠原兄弟・悦ちゃん・稲葉に林寛・斉藤紫香等今日は色々な人の来る日。エノケンに脚本書いてやる話をしたのが、実現しさうになって来た、此の休み中に書いてやらうか。屋井が、喜多村緑郎筆の「ロッパと兵隊を見てうまいと思ひながらあるく冬の夜の街」といふのを表装させて呉れて持参。夜の「東京温泉」終ると、照明室から「ロッパと将軍」を見物、渡辺篤の大熱演面白し。ハネて、服部哲雄、ジョン・ヘイグ一本持参、九段へ行く。
四月興行技芸賞
○屋井賞
杉山彪(四の兵卒)
○H賞
原秀子(二の小女)
吉岡勇(四の番兵)
○ロッパ賞
高杉妙子(二の春子) 技芸進境著し
竹村千左子(二の仕出し) 此ウイフ役ヲ生カシタコトハ賞メラレテイゝ

藤リエ子(二の夕刊売) 毎度変ラヌ努力ヲ



四月三十日(火曜)

 
 調





五月一日(水曜)

 
 
 宿


五月二日(木曜)

 
 宿宿
 


五月三日(金曜)

 
 宿
 


五月四日(土曜)

 十時入浴、今日は一日何も纏まった用は無い。十一時に出かける。小松へ寄って理髪、バッタリ坂本に逢ひ、珍しや八洲亭でポタアジュ、ハムエグス、タンシチュウ、コロッケ。此ういふ味は銀座の表通りになし。ビーマンへ寄り、コーヒーを飲む。こゝだけほんものゝコーヒー。有楽座へ寄り、無声映画の興行をのぞく。今さら此ういふものもイヤだ。アトラクションに二代目天勝が出てる。初代と芝居したいことを伝へて呉れと言っとく。東久雄来り、雨の中を浅草へのして、久々生駒等と安いとこ豪遊して、十一時半帰宅。
 日本のそれは、西洋料理と言ふより洋食だ、と谷崎潤一郎が言ってゐるが、その洋食って味で、うまいのが、八洲亭、渋谷の石川亭、一寸変ったところで煉瓦亭といふわけだ、パンよりもごはんのおかずによろしいといふ味、これも亦たのしい。


五月五日(日曜)

 清 初節句。
 九時に眼がさめる。入浴、菖蒲湯。清の初節句で親類集まる。座敷の床の間に、五月人形、諸方から貰ったのを飾ったのが賑か。十二時、雑司ヶ谷祖母上・近藤・榊叔母、金子姉等来り、おこわ等食ふ。主人公清、とても元気でダア/″\チャッチャッと言ふ。一時半に出て、今日から稽古、帝劇の裏の稽古場である。文ビルのよりづっといゝ。「蛇姫様」の読み合せ。それから「明日は晴れ」を立たせる、セリフを皆入れさせてあるので、すら/\行く。夕方終る。それから、清の顔見たくなり、約束を断はってまっすぐ帰宅。


五月六日(月曜)

 


五月七日(火曜)

 


五月八日(水曜)

 コロムビアと契約――有楽座舞台稽古。
 十一時に東拓ビルのコロムビア本社へ行く。武藤・松村立会ひの上、契約調印する。五月一日より二年間の約束だ。それから東映本社へ行き、森氏と五月末からの撮影につき相談し、「ロッパ五人娘」といふことになる。有楽座へ行く。「明日は晴れ」の演出。一々ダメを出し、四時すぎになる。藤山一郎夫妻とホテ・グリで食事、又有楽座へ引返す、「支那の夜」の舞台稽古、これは関係ないから気楽に客席の見物、半分ばかり見て、銀座へ出る。屋井・服部・山野・大庭で、牛込迄のして、大分酔って帰宅、大声で清を起してしまった。


五月九日(木曜)

 服部良一の家迄迎へに車をやり、応接で、ビクター時代のレコードを数枚きいて貰ふ。服部の曰く、演歌調を狙ひ過ぎてゐる、又、テンポの早いのが多すぎる、と蓋し名評と思ふ。十二時半頃出る。服部同道有楽座へ。二時すぎから「兵隊」を通す。来合せた樋口大祐・山野と陶々亭で食事、今日のは美味かった。屋井が喜多村緑郎よりの薬品持参、オゾノールとかいふ水薬。「蛇姫」のかゝり六時がらみ、これがその長きこと蛇の如く、午前三時半頃迄かゝる。顔が白粉落すと又荒れる、喜多村の水薬つける、いゝやうだ。菊田の娘が死亡。いろ/\と物要りなり。稽古済んで、帰宅。


五月十日(金曜)

 
 鹿


五月十一日(土曜)

 
 


五月十二日(日曜)

 


五月十三日(月曜)

 十時起き、清・女房を市ヶ谷の室橋医院迄送り、東映本社へ、平尾・坂本と話し、坂本と八洲亭へ食事しに行く。二度目の今日は美味いと思へなかった。ゾンネに寄ってコーヒーを飲む、これがひどく不味し。眼科中泉へ寄り、洗眼、血膜炎らしい。銀座を歩いて、文洋堂でレターペーパーや原稿紙を買ふ、此んなものも、どん/″\無くなるらしい。東宝本社へ行き、秦専務と、名古屋の出しものについて色々相談、「蛇姫」を引込めて「愛染かつら」にする。五時、座へ出る。入り漸く本イキとなり、補助満員なり。「ロッパと兵隊」も、今夜は確り受けたし、「蛇姫」もいゝ。ハネ十時二分前。喜多村氏推薦の薬タップリ買はせた。まっすぐ帰宅し、高見順の「如何なる星の下に」を読みつゝ寝る。


五月十四日(火曜)

 十時起き、食事せず、十時半に車来り、日本橋偕楽園へ行く。「日の出」の座談会で、五郎・エノケンと三人の筈、ところが行ってみると二人共都合悪く不参、馬鹿な話、一人で支那料理食べ乍ら、喋らされる。料理もこれじゃうまくなし。それから邦楽座へ入り、「貿易風」ってのを見る、つまらない。眼科へ寄り、洗眼。ホテ・グリで一人、フィレソールとシャムピニオンのオムレツでバタライス。座へ出る、補助出切りの大満員である。「蛇姫」長いのでカットしたい。古賀政男・滝村等来楽。滝の本城、築地秀仲へ。古賀と、いろ/\メロディー話。酔って帰り、又、清を起しちまった。


五月十五日(水曜)

 


五月十六日(木曜)

 調


五月十七日(金曜)

 調
 


五月十八日(土曜)

 ※(「弓+享」、第3水準1-84-22)


五月十九日(日曜)

 マチネーである、母上と同車座へ出る。入りよろし、大入補助沢山。何としても昼は気がのらない。母上観後の評がいゝ、「蛇姫は笑ってはゐるが、ふざけ過ぎるよ。」と、全く。ホテ・グリへ一人で行き、大急ぎで、サリズベリ・ステーキとバタライスに、スチュウ・コーン。冷コーヒーに、ロイヤル・プディング。急がしい思ひをして外へ出るのは辛いが、気が変るので、これが必要なのだ。夜の部、ぎっちり大満員。「蛇」の芝居中、後の板ツキが、しゃべり通しなのに業を煮やし、青年部一同集めて誰が喋ったと言っても白状せず、青年部と絶交を宣して帰る。ロンシャンに、中野実と会ひ、談じつ飲みつして一時すぎ帰宅。


五月二十日(月曜)

 宿
 


五月二十一日(火曜)

 


五月二十二日(水曜)

 十時に起きて、入浴、頭髪を洗ひ、いゝ気持。だが今日の暑さは何事であらう、ムン/\と真夏の如し。中野実夫妻、清へ玩具の犬を持って来る。中野は、帰還兵らしく、ことごとく戦争の影響を受け、日本の女は戦争が分らなすぎると怒ってゐる。三時半に出て、銀座へ、エスキーモでカツ飯を食って、座へ。中野は見物。入り大満員。中野見物が利いて「兵隊」久々の快演。三益、旅へ行かぬことハッキリ申し出る。川口と将来のことは打合せることにする。ハネて、フロリダへ行き中野と落合ひ、神楽坂松ヶ枝へ上り込み、ウイ(ジョニ赤)を飲み、中野盛に又帰還兵を発揮する。
 暑さ突然来り、日中の温度実に八十八度あった、まるで真夏なり。


五月二十三日(木曜)

 十時起き。今日は本所の寿座へ、珍しい古い歌舞伎を見に行かうと、山野と市川光男を誘ったのだが、東宝本社へ三時に来てくれとの電話で予定変更。松竹座へ、新興演芸部の漫才きゝに行く。ハットボンボンスといふのをきゝたかったが、見損ふ、ワカナ・一郎その他の漫才貧弱。二時に出て来々軒へ行き、中華丼とシュマイを食ひ、三時に本社へ。六月の名古屋のこと、三益の始末から、七月東宝のこと、いろ/\と話がはづむ。座へ出ると、補助は出てるが、二階空席あり、暑さのせいもあらう。三亀松と二戸儚秋来楽。ハネ十時十五分前。まっすぐ帰宅。


五月二十四日(金曜)

 
 鹿


五月二十五日(土曜)

 
 


五月二十六日(日曜)

 ()()


五月二十七日(月曜)

 
 
  
  
 


五月二十八日(火曜)

 
 


五月二十九日(水曜)

 
 使


五月三十日(木曜)

 使
 


五月三十一日(金曜)

 姿宿





六月一日(土曜)

 
 


六月二日(日曜)

 ()()便


六月三日(月曜)

 


六月四日(火曜)

 西


六月五日(水曜)

 十時半に家を出て、中泉眼科へ。大分快いと言はれる。それから東宝本社へ。八月を僕、休めさうなので勢ひ込んでゐたが、那波氏は何うしても働いて貰はないと困ると云ふ、がっかりする。銀座へ出て、三昧堂で新刊二三。橘の家へ行く。友田来り、例によって雀、支那グリル一番へ使をやり、シュウマイその他とらせ食べる。暑い、ムン/\する、裸でガメる。五荘やり、少々勝ち。


六月六日(木曜)

 
 


六月七日(金曜)

 


六月八日(土曜)

 十時起き、十二時に眼科へ。それから東映本社へ森氏を訪れ、一寸立話。帝劇へ、「愛染かつら」名古屋行の立稽古、藤田房子が三益のアナを行く、反ってよさゝうである。三時少しすぎに、コロムビアへ。古賀曲の「ネクタイ屋の娘」吹込み。ビクターより、倍以上速いのがいゝ。京極・古賀と揃って、山田耕筰家の稲荷祭といふのへ顔を出す、おそいので、すしもやきとりも無し、サインをさせられたゞけで五時に引き揚げ、有楽座のエノケン見物。母上と二人。「らくだの馬さん」大変面白し。「電撃社長」てのを見て、母上とホテ・グリで食事して帰宅。清、八度九分の熱、心配。


六月九日(日曜)

 


六月十日(月曜)

 
 西宿
 


六月十一日(火曜)

 此の旅館、雨戸無し。早くから明るくなっちまふのは困る。入浴、風呂の感じその他すべていゝが二階全部、前の住友ビルから見下ろされてるが欠点。朝食、乙の上。小尾悦太郎老より電話、今夜だけしか暇が無いからと、御馳走をせびる、六時半から御納屋で、と定まる。十二時半かゝりで、「明日は晴れ」を一と通り通し、「愛染かつら」となる。三益と比べると藤田ヴォリュームで負ける。終ったのが七時近し。渡辺・サトウと三人で御納屋へ。小尾老他敷島パンの森田氏、朝日の佐々木氏等、僕は持参のジョニ黒をやり、いゝ心持になって、久しぶり声色なんぞをやってしまった。


六月十二日(水曜)

 
 宿宿


六月十三日(木曜)

 宿


六月十四日(金曜)

 九時、明るくなるので何うしても眼がさめる。十二時近くに宿を出て、メーンストリートを歩き、丸善でスキメールの封筒を買ひ、三ツ星デパートで珍しい洋酒を求め、ぶらり/″\と大須の方へ。名劇へ入って中根龍太郎が「一本刀土俵入」をやってるのをのぞき、大須の宝生座で、盲人俳優林長之助の「三十三間堂」を見る、盲優の名技にすっかりたんのうした。そこへヒゲ武者がヒョッコリ来り、往年の日本太郎だと名乗り、五円の喜捨をさせられた。タキシを漸と拾ひ、朝日ビル迄。アラスカで夕食、ブレゼー・ブーフとコロッケ満腹。座へ出る、入り八九分。暑さ驚くべし、げんなりしちまふ。ハネ十時十分。女房と清、宿へ着いてた。


六月十五日(土曜)

 


六月十六日(日曜)

 十時迄眠る、今日はマチネーだ。十二時に座へ出る。昼の部、いゝ入り。冷房がきいて来て、苦しくなかった。滝村と鈴木静一来る。昼が終ると、朝日ビル地下の天ぷら屋へ皆で行く。大きなかき揚げを平げ、すしの方へ行き、喫茶で冷コーヒーとみつ豆と菓子。夜の部は、「兵隊」七時四十五分より中継なので大ハリキリ。手もよく来たし、掛声(これはサクラらしい)多し。ハネ十時十分頃。滝村と鈴木宿へ来り、中央亭の洋食を食ひ、一時近く迄「弥次喜多」相談。雨なり。梅田娯楽新聞に、七枚書く。


六月十七日(月曜)

 宿便
 


   3,766.51
   3,788.51
 
     7,555.02


 


六月十八日(火曜)

 宿


六月十九日(水曜)

 
 宿宿


六月二十日(木曜)

 昨夜床に腹ん這って、「膝栗毛」の金比羅並に宮島詣を読み終り、二時迄かゝって十枚ばかり書き上げた。入浴のみ。榎並商店へ、礼三氏の弟戦死の霊にお参りのため、女房と行く。すぐ辞し、鶴舞公園で一座と吉本ショウとの野球試合あり、一寸行く。負けてるのですぐ引返して、赤門の不二アイスでトマトスープとハンバーク、オムレツ等食ひ、又盲役者林長之助を宝生座で見物し、広小路へ出て買もの、テク/\と歩いて朝日ビル、暑い/\。地下のすしとおでん食って座へ。今夜も大満員、「兵隊」暑し、受け方パッとせず。ハネ九時四十五分。帰宿。食事して、腹ん這ひになり、「弥次喜多」四時迄かゝって四十枚迄書く。


六月二十一日(金曜)

 
 宿
 


六月二十二日(土曜)

 名古屋より下呂温泉へ。
「歌ふ弥次喜多」金比羅道中記、昨夜十一時頃から、つひに床の上へ腹這ったまゝ徹宵、手首が痛くて眠くって、此う骨の折れたのは珍しい。六十七枚書くのに午前八時迄、一休みもせず書き上げてしまった。今日午前十時四十八分で下呂へ立つので、眠ることもならず、十時すぎ宿を出る。女房・清・乳母荒井の四人で、岐阜乗りかへ下呂へ向ふ。岐阜からのガタ汽車の窓から見る渓流の美しさ。二時七分下呂着、湯の島館へ、こゝは先年母上と来たことあり。春慶の間といふのへおさまる。風呂も専用のいゝのがついてるし、夕飯は日本食だが中々よかった。まだ九時といふのに、床へ入る。


六月二十三日(日曜)

 下呂。
 今朝九時半まで、ぐっすり寝通した。入浴して、いゝ心持、清が元気でボチャ/\やる、朝食、味噌汁は薄くてまづいが、上の部。食後、枕を出して一寸眠る、昼食はトースト。さて、何の用もなし、さしあたり、読みたい本のないのも反って助かる。たゞ涼しいと思ってたのに一向涼しくなく、名古屋あたりと同然なのが、がっかりさせる。夕刻迄、絵葉書を書き、野沢富美子の「煉瓦女工」を読んでしまふ。又入浴、夕飯はこってりとしたものうんとゝ言っといたので、豚の角煮のくどい奴を山程持って来た、たっぷり三杯食ひ、又入浴して十二時頃寝る。


六月二十四日(月曜)

 
 宿宿退


六月二十五日(火曜)

 使


六月二十六日(水曜)

 
 


六月二十七日(木曜)

 退


六月二十八日(金曜)

 ※(「弓+享」、第3水準1-84-22)


六月二十九日(土曜)

 


六月三十日(日曜)

 





七月一日(月曜)

 
 
 鹿


七月二日(火曜)

 


七月三日(水曜)

 
 宿


七月四日(木曜)

 
 


七月五日(金曜)

 
 鹿
 


七月六日(土曜)

 使
 


七月七日(日曜)

 マチネーあり、十一時に出て眼科へ寄り座へ出る。昼は「弥次喜多」も「曲芸団」もめちゃにカットしたので芝居してゝも嘘みたいになり、受け方も半滅で、すっかりクサる。二と三の間に、支那事変紀念日の挨拶をした、宮城遙拝、皇軍戦没将士への黙祷、万歳三唱と。カットのおかげで四時十分にハネたので、ホテ・グリへ菊田と上山で行き食事、コール・コンソメにポークビーンズ、スチュウ・コーンといふ変り方。座へ戻る。昼は九分の入り、夜は満員だ。夜の部は「弥次喜多」も、腹話術復活、「曲芸団」も大分復活したので、受け方もグツとよくなって来た。今夜あたりから芸といふものも考へて演るやうに少しは余裕が出来た。ハネ十時きっちり、やれ/\と安心した。帰宅、パン食。
 あんまり広い劇場だ、これは演劇工場といふ感じだ。


七月八日(月曜)

 十時起き、裸で清を乳母車に乗せて庭で遊ぶ。入浴食事、宇野浩二の「文芸三昧」を読み、「東宝」へ盲優のことを書き出したが、二時迎へが来たので出かける。本社へ、那波のとこへ、八月の京都の出し物相談、七月分よりの昇給者についても話した。平野と出て中泉眼科へ寄り、三直で天ぷらを食って座へ出る。小笠原一家見物で、子爵よりと毛抜ずし沢山。入りは頗るよく、殆んど満員の由。中村メイコ発熱し、出られぬとの報せに面喰ひ、急拠「弥次喜多」五景をカット。頭痛がして、やってゝ気分悪し。ハネ十時十分前。帰宅パン食。夜に入って雨、心地よろし。曽我廼家五九郎死去、団福郎を使者に香典三十円持たせてやる。


七月九日(火曜)

 稿


七月十日(水曜)

 


七月十一日(木曜)

 十二時半に家を出て、東宝本社へ。会議室で、菊田・斎藤・平野・上山と揃って、八月の京都の出しもの決定、どうもうまい具合に行かない、結局「雛妓」を菊田が脚色封切し、「蛇姫」をトリに使ふことゝなる。滝村より申出の、エノケンの映画に渡辺篤を貸すことOK。その代り藤原釜足改め鶏太を借りることゝなる。川口松太郎来り、三益問題を話す、川口も仕方がないから三益はやめさせると言ふ、それもよからん。四時半、中泉眼科へ寄り、東宝グリルでロールキャベツを食って座へ出ると、今日亦補助椅子を売切る大満員。三益病気休演、やめると定ったらすぐ休むでは仕方ない。ハネ十時十分前。中野実・西川光にスッポカされ、銀座ロンシャンで飲み。
 文洋堂で原稿用紙四千枚買った、何と四十円也。


七月十二日(金曜)

 十時起き、「主婦之友」から写真班が来り、清を抱いてるところ数枚撮る。宇井無愁の「きつね馬」を読み出す、わりにいゝ。三時に道子同道、中泉眼科へ寄り、いんごう家へ行く。ビフテキはいゝが、ライスカレーは、米も悪いし、食へたものではない。座へ。京都の小田進康来り、三日を初日と定める。三益今日も休み。入りは又驚異的、補助出し切り。他座皆悪いといふのに、恵まれたるかな。「弥次喜多」先づ/″\。「曲芸団」段々要領が分り、此の大劇場をマスターしかゝる。ハネ十時十五分前、女房見物でホテ・グリへ。十一時半帰宅。


七月十三日(土曜)

 調


七月十四日(日曜)

 十一時に出て、京極の家へ寄る、三浦環門下の栗山道子といふ歌手を紹介された、一座へ入れるつもり、小柄でパッとしないが歌は京極が保証する由。十二時に辞して楽屋入り。昼も大満員。楽屋来訪、樋口大祐・吉田信・コロの高山・志村等。昼の終り、ホテ・グリへ行き、樋口と食事する。夜の部、大満員。「歌ふ弥次喜多」の七・八日に録音したのゝ放送をきく、気味が悪い。「曲芸団」の一景で、ダンスチームの子らが、つまらぬことで吹き出したので怒る。ハネ十時十分前。ホテ・グリで武藤・古賀・京極で食事、古賀が全然藤山を容れず、九月藤山特出なら作曲しないと言ふ、武藤もこれには弱って、何とか仲直りさせたいと話しつゝ帰る。


七月十五日(月曜)

 十一時に家を出て、中泉眼科へ寄り、銀座三丁目銀二ビル三階の大日本俳優協会事務所へ、俳優協会へわれ/\も皆入ることの協議会、市村羽左衛門・英太郎・柳・三升・三津五郎、後から幸四郎・河合・花柳も新国劇の小川・野村も来、警視庁から寺沢他一名来り、今日のところは何のこともなしに、時間なので辞した。此の日、羽左衛門のよきこと。座へ出る。お盆の特別マチネーで、「渡洋」と「爆笑名人会」「弥次喜多」の三本を一円均一で見せた、大変な入り。「名人会」で久々歌の声帯模写をやる。終ると、三直で天ぷらを食ひ、すぐ又引返す。夜亦大満員。先っきやったばかりの「弥次喜多」又やるのが気の抜けること。こゝの大道具は口笛を吹いたりするので主任に大いに文句言った。ハネ十時十分前。まっすぐ帰宅。藤山より電話、昨夜の古賀の件、明日昼ホテ・グリで会ふ約束す。


七月十六日(火曜)

 


七月十七日(水曜)

 九時起き、朝から大変な風。部屋で「きつね馬」を読んでしまふ。まだ眼が本当でないから読書は、よくないのだらうが、読まずには居られない。花柳章太郎随筆集「菜種河豚」にかゝる。四時近く出て、中泉眼科へ寄り、本社へ。七月分よりの昇給者の願ひを出す、三益の善後策について話す。座へ出る、今日も大満員、補助が少々残ってる程度、何しろ五百もあるのだから。「曲芸団」長し。よく受けるが。ハネて(十時十分前)ルパンへ、中野実と会ふ、牛込松ヶ枝へ行く。中野の思想荒れてゐて、すっかり軍人なのは困る。


七月十八日(木曜)

 十一時半に出て、中野実宅へ寄る、どうも話が悲憤になるので困る。ニットーコーナハウスで京極と会ひ、コロムビアへ行く。松村と会ひ、九月は藤山・松平と古賀氏を借りるからと、二十四日に古賀・藤山の仲直りがある由だが、面倒なことなり。それから眼科へ寄り、銀座の松島でクルックスの光線除けの眼鏡を明日迄との約束で誂へる。文藝春秋社へ、久々菊池氏を訪れる。レインボーで軽く食事、座へ出る。今日、今年第一の暑さの由。入りは今夜も頗る良く補助が大分出てゐる。ハネ十時十分前。まっすぐ帰宅。


七月十九日(金曜)

 扇島海水浴場行。
 十時すぎに出ると中泉眼科へ寄り、松島眼鏡屋で光線除けのグラスを買って、十一時東宝前集合。ハイヤで川崎迄、鉄工場の傍から蒸汽に乗り、日日新聞の海水浴場扇島へ。一方は成程海だが一方は鉄工場が並んでゐるのだから殺風景、葭簀張りの屋台で挨拶、まとまらぬことを言ひ、写真など撮り、二時半に辞す。同行の渋沢会長と銀座へ出て冷たいものを飲み、麹町の三浦環さんの家のお茶の会。瀬戸口藤吉氏がゐて、僕のためにロッパ節を作曲して呉れる由、これは有がたい。座へ。入りは補助売切とは行かぬが沢山出てゐる。ハネ十時なり。服部良一・古賀政男・京極と築地秀仲へ。


七月二十日(土曜)

 西××××調
 


七月二十一日(日曜)

 
 


七月二十二日(月曜)

 宿
 


七月二十三日(火曜)

 十二時に俳優協会の集りあり、十一時に出る。小林一三邸へ寄り、商工大臣のお祝ひに名刺を置いて来る。歌舞伎座別館四階で又俳優協会の会、羽左・幸四郎・河合その他に、生駒も来り、卓を囲み、一向ハヤわけも分らぬことを言ひ合ってる。又三十日の午前十時から集るんだと、やれ/\。コロムビア本社へ寄る。時間がないので東宝グリルでロールキャベツとカレーライス。座へ出る、今日も大満員なり。斉田愛子、楽屋へ、カミン・スロ・ザ・ライの正しい歌詞を教へに来て呉れた。わざ/″\暑いのにと感謝する。ハネ九時四十五分。上森と田川(勝太郎の待合)へ行く。


七月二十四日(水曜)

 稿 


七月二十五日(木曜)

 ××


七月二十六日(金曜)

 ××
 


七月二十七日(土曜)

 下二母上・成之夫妻来訪、参与官の自動車も政変で、今日限りとなり、その使ひおさめに来られたとのこと。折角だが時間なので出かけ、中泉眼科へ寄り、東宝本社へ。三階の重役室へ入るや、秦豊吉の曰く、「今月は特賞無しだぜ」と、クサらされた。座へ。昼は、荒鷲の母の会の貸切で、「弥次喜多」と、声帯模写のみ。徳山とホテ・グリ。スクラムルエグ・ベーコンとソルズベリ。バゞロアが美味いので二つ食った。夜の部、入り七分強か、どうも俄然悪くなっちまったので面喰ふ。ハネるとまっすぐ帰宅。又もや「歌は××」にこだはる。
 秦といふ人もひどい人だ、今度の「曲芸団」でカットのため使用しなかった大道具が八千円だから、特賞など出せないと言ふが、彼が勝手に注文し、カットとなった道具だし、その上、日劇で使ってゐるんだから、考へようでは、そんな大道具をわざと造らせておいて、日劇の方の費用を助けたやうなもの、一杯食ったかたち。(日劇の衣裳費三万円といふ。これも大した一杯食ひ方だ。八月記)


七月二十八日(日曜)

 2西


七月二十九日(月曜)

 
 西西××
 
 
 
 
 
   


七月三十日(火曜)

 西


七月三十一日(水曜)

 
 





八月一日(木曜)

 
 


八月二日(金曜)

 
 宿宿


八月三日(土曜)

 京宝初日。
 今朝はラヂオ攻めで八時に起されてしまった、国民歌謡であらうか、愚劣な歌が聞え、寝てゐられない。入浴。宿の朝食の情なさ、ボソ/″\の外米を口に含む味、あゝこれでは芸が落ちてしまふと泣きたい心持。鍋井克之の「富貴の人」を読み、小一時間昼寝する。ダッシー八田氏来訪。三時座へ出る。結局、六分強の入り。「雛妓」は大いに受ける。「夏の大放送」ネクタイ屋の娘を歌ひ、腹話術をやる、これもよく受ける。「蛇姫」で尻つぼまりの感じ。ハネは、十時近し。白粉落して、ギルビイへ行く、南僑・山伸・山野。


八月四日(日曜)

 今朝は少々暑くなり、汗が出て眼が覚めた、九時起き。入浴、そして悲しき朝食。手紙、家へ書く。今日はマチネーだ、大したことはないと分ってるので元気がない。VANに寄り冷コーヒーのみて出る。昼の入り七分強位か。然しよく受け、「雛妓」は泣いてゐる、こっちも身が入る。腹話術などといふものは京の土地柄気に入るらしい。昼「蛇姫」大カット、時間急ぎで眼の廻るやう。昼終ると、南僑と近くの四海楼といふチャチ支那料理へ入ったら、玉木潤一郎がビールのんでた。一緒になりリプトンでコーヒー。京都にはまだコーヒーが方々にあるのは嬉しい。夜は、八分強位、「雛妓」大いに泣かす。池永浩久楽屋来訪。ハネ十時二分前、京宝の小田を誘ってギルビイへ。滝村にひょっこり逢ふ、明夜を約して別れ、小田の先斗町末の家といふのへ一寸寄り、一時頃帰宿。


八月五日(月曜)

 八時に国民歌謡のラヂオで、それが終る迄起こされたが又寝て、十時に起きて、入浴。鳥政の筑前煮きといふのを食ったが、まあいける。足はすっかりいゝし、眼もいゝ方だが、今回は又右の歯が腫れた、先月の「弥次喜多」で、歯抜きの金比羅様などゝ言った罰かと思ふ。昼すぎに京極へ出かける。一座のものやその他に逢ふ。菊田夫妻(?)に逢ひ、八百文で冷たいもの飲み、漫歩して、三時アラスカへ。菊田・斎藤・上山・平野・久我と集り、九月の狂言決定。劇団新体制について語り、幹部もどん/″\仕出しをつとめることその他を決定した。座へ出ると、七分弱の入り。楽屋へ吉岡社長・滝村・服部良一・松平晃等大賑か。ハネて、又ギルビイ。滝村・服部・松平。歯が腫れてる故飲まず、宿へ帰って冷して寝る。


八月六日(火曜)

 
 宿


八月七日(水曜)

 九時半起き、涼しい。山田伸吉「歌へば天国」の装置打合せに来る。今日より此の宿へ泊る松平晃、南僑と四人で、先日池永浩久氏に紹介された、水青楼へ出かける。白米を食はせるといふのである。三階の河添ひの室、風が吹き通して涼しい。鶏のすき焼をする。白米の飯――久しぶりに見れば、彼奴め肥って艶々としてゐた。町へ出ようと思ったら、夕立――VANへ入りコーヒーのむ、夕立長く一時間半もとぢ込められた。座へ出る、八田氏よりニッカ・ウイスキー二本贈られる、芝居は入り七分弱、どうも困ったもの。「雛妓」気持よくやる。ハネて、松平・南僑で鳴瀬へ、鶏の足とみやまあげを肴に、ニッカウイを試飲する、これはうまし。


八月八日(木曜)

 宿宿西


八月九日(金曜)

 九時起き、十二時半に大阪で藤山一郎と会ふ約束なので十一時に出て、京都駅から省線で大阪へ。北野の重役室へ寺本支配人を訪れる、感じ悪い奴だが今日は頗る機嫌よく、色々話す、ロッパ映画が内務省あたりで評判よき話をきゝ嬉しい。話は専ら娯楽の統制のこと。それから阪急デパートへ買ものに行く。女房のヘヤネットを買ひ、特選売場を見たがいゝものなし。省線で帰る。座へ。入り七分弱か。那波氏より手紙、先月赤字の由、クサる。ハネて、石田とギルビイ、少々のウイ、宿へ早く帰ってニギリ飯を食ひ、十二時半に寝る。


八月十日(土曜)

 鹿西宿


八月十一日(日曜)

 


八月十二日(月曜)

 京宝千秋楽。
 十時起き、いさゝか宿酔の気味。入浴、山野迎へに来り、十一時に今井泰蔵家へ行く。お名残に白米をタップリ食べていたゞきたいといふので。今日は、すき焼、いゝ肉たっぷり、うまい/\でげんなりする程食べた、腹が張って/\眠くなり、ソファでえらい恰好になる。一時に西陣織物屋が来る約束なので宿へ帰る。七・七禁令で禁じられた金ピカの縫ひの衣物など捨て価のものを二三買ふ。楽屋へ今井氏より白米の炊いたの差し入れあり。芝居は急行、「雛妓」はまともにやったが、「蛇姫」の千太郎は、アホでやり、言ひたいこと言って皆を困らせる。JOAKより、十八日より三日間国民歌謡を頼まれた、やりたいが休養日なので断はる。ハネてシャン/\。小田・渡辺に玉木潤を誘ひてギルビイから先斗町へ。


八月十三日(火曜)

 
 宿宿寿宿


八月十四日(水曜)

 
 寿


八月十五日(木曜)

 
 稿 


八月十六日(金曜)

 
 ()寿


八月十七日(土曜)

 
 西


八月十八日(日曜)

 大仁。
 書き上った「歌へば天国」に目を通してゐると、昼近く上山雅輔・山田伸吉両人。一緒に本館の大風呂へ入り、昼食、僕はパン。それから、「歌へば天国」を両人に読む、一と通り読み、装置の打ち合せ、音楽の註文。それから宣伝文句、作者の言葉その他事務一切を片付けてしまふ。女房はその間に、山の下迄行き、煙草・鑵詰・唐もろこしなんぞを買って来た、汗だくの姿に驚く。夜は、花火をして遊ぶ。名月皎々、煙火の邪魔をする。


八月十九日(月曜)

 
 宿退


八月二十日(火曜)

 
 


八月二十一日(水曜)

 
 調


八月二十二日(木曜)

 強羅。
 蠅が一匹さんざ此奴に悩まされて七時頃から起きちまふ。入浴――浴場が遠いので、部屋へ帰ると又汗だ。食堂で朝食、日本食と洋食と両方食ってやった、雷鳴とゞろき雨盛なり。部屋へ帰ってアンマをよぶ、これが当りで約一時間いゝ心持。昼食は、一人で食堂へ。どうもうまくないのでつまらん顔をして食べた。岸田国士の「現代風俗」を読み、小一時間寝る。夕方、バスで宮ノ下へ行く。富士屋ホテル。喜多村緑郎氏滞在中とあって、呼びかける、すぐ出て来り、カクテルなど飲み、母上・道子も共々話す。八時半食堂へ、流石此処のはうまい、オルドヴルからアントレー二皿その他色々コーヒー迄一と通りコースを辿ったが何となく堪能しなかった。喜多村氏と語る数刻。十一時近く強羅迄ハイヤ。清もうとっくに寝てた。


八月二十三日(金曜)

 
 


八月二十四日(土曜)

 強羅――帰京。
 七時起き、相当辛い。入浴、食堂へ、コーヒーが大いに飲めるのが嬉しい。それから支度して、電車で小田原へ、僕一人先へ東京へ。小田原あたりから、ムーッと暑くなる。列車中、芹沢光治良の「命ある日」を読む、又眼が少し赤い。一時五分東京駅着。直ぐ帝劇稽古場へ。一同集合、劇団の新体制について談じる。特別出演の松平・山根を紹介、山野の改めて専属となりしを発表、文芸部に久我通、竹柴昇作の新加入を紹介。「歌へば天国」の本読みにかゝる。かなり長いのでくたびれる。古賀政男氏来り、音楽の打ち合せ。白川道太郎応召、市川光男退座、花井淳子病休と、いろ/\のところへ、藤山から松平との一日交替をかんべんして呉れとの伝言、大てい参っちまふ。五時半、コロムビアへ行き、今回のコロの態度甚だ不満なる旨言って置く。京極もゐて、二人を三直へよび、天ぷらしこたま食べる(二十五円也)、銀座へ出て別れ、八時十分東京駅へ、女房・清を迎へに行き、帰宅。母上は熱海へ廻られた。


八月二十五日(日曜)

 久々わが家の床に寝て快眠、八時に起きる、入浴。食事、味噌汁・納豆うまいこと、十一時に出るので、それ迄に、旅中の新聞雑誌の切抜きをスクラップブックに貼り込む。迎へ来り、四谷の眼鏡屋へ寄り、光線除眼鏡を直させ、中泉眼科へ寄り、手当して貰ふ。耕一路へ寄り、コーヒーを飲む、公定価格になり、上等な飲物一切なし。帝劇稽古場へ。五時にニットーで滝村と会ふ、要件いろ/\。平野をして、花井の代役を三益に当らせる、二十七日に確答するとのこと。滝村に言って、清川虹子にも足止めさして貰ふ。有楽座の金語楼劇団を千秋楽なので見る、客が笑ひに飢え切ってるのを感じ、自信つく。滝村・服部良一と銀座へ出て飲み、つく/″\つまらず、家へ帰った方がよかった/\と言ひつゝクサる。十二時半帰宅。


八月二十六日(月曜)

 九時起き、入浴、食事パン、家の畑に出来た唐もろこしを食ふ。十時に家を出て、警視庁へ。俳優証を授与される日なので。行くと何百人の人が並んでゐるので、保安課興行課の寺沢氏のとこへ寄り、俳優協会のことなど話してお茶を濁し、代人でいゝことにして貰ひ、東宝本社へ。那波・渋沢氏といろ/\話す。東宝系は三円五十銭以上の芝居をやらないことにした由。一時半、帝劇けい古場へ。藤山一郎帰京、権八を一日代りのこと何うしてもOKせず、勝手にしろと思ふ。古賀氏の曲どん/″\出来て来る、愉快。平野と三直で天ぷら、汗かき乍らうんと食った。耕一路へ寄り、コーヒー飲み、橘の家へ、女房・清も行ってた、さて時節柄雀をすることも出来ず、闘球盤など一寸やってみたが、つく/″\つまらん。つまらん/\と言って、九時頃、嵐の中を帰る。今日より九月の前売開始、まだ成績きかないが、心配。
 コロの宣伝部が昨日のことで、平野にひたすら謝った由。


八月二十七日(火曜)

 


八月二十八日(水曜)

 西


八月二十九日(木曜)

 十時起き、入浴食事。十二時半に家を出る、一時帝劇稽古場へ。帝劇が突如内閣情報部となることになったので、今日で名残りだ。四時迄やる。古賀政男氏来観、一緒にニュウグランドへ。ポタアジュとスパゲティ・ミートボール、冷チキン。稽古場へ帰り、「幡随院」に入らんとしたが、菊田が荒れかゝり、実に無礼な態度。彼奴つけ上ってるな、此ういふインテリ男でも芝居者には白い歯は見せられないと思ふ。八時近く迄ゐて、放送会館へ。「当世三人兄弟」の第一夜、どうもパッとしないもので、はりあひなし。終って、第二夜の読み合せ。菊田の態度甚だ無礼、何とかする考へ。放送局提供のおいなりさんを食べて、十二時すぎ迄、第二夜の分を二度テストした。


八月三十日(金曜)

 鹿


八月三十一日(土曜)

 眼科へ寄り、座へ出る。十一時頃から、「歌へば天国」の稽古、藤山がまるでセリフ覚えてゐないので「シャレに書いてるんじゃない、チャンと覚えて呉れ」と度々怒鳴った。古賀政男も来て、終り迄つきあって呉れた。何遍もやり返し、かなり丁寧にやった。松平晃が今日迄、浅草と掛持ち、その待ちや、米食時間でないと食事が出来ないので、大分無駄があったが、僕はふた葉のそぼろ丼ですませ、夜の九時頃には終ると思ったのが、十二時迄かゝってしまった。次の「幡随院」迄休み、部屋でセリフをやり、一時すぎから「幡随院」にかゝる。夜も更けて、眠りこけてる青年部の奴を菊田がなぐることなどあって、午前七時頃漸く終った。僕は元気だ、皆、そっと寝込んじまふ中に、二十時間を殆んど立ったまゝゐるのに、ちっとも労れず、声もいゝ。七時、帰宅。
[#改段]

昭和十五年九月



九月一日(日曜)

 
 


九月二日(月曜)

 暑いので四時頃眼が覚めたが又寝て、十時迄。入浴、秋の抜毛だ、生へ際が少し薄くなったやうで心細い。高橋の姉とおばあさん来る。一時半に家を出て、東宝グリルへ。「歌へば天国」のスタッフ集まり、ダメ出しの会。丁寧にやってたので開演の四時が迫り、ロールキャベツを食べて座へ。二日目で四時開演。入りは、防空演習の影響もあるだらうが、七分弱といふところ、がっかりする。「幡随院」は一寸二日目ダレ。「雛妓」は、幕切れ、よく手が来る。「歌へば天国」は纏まったし、ダメが利いたからよくなったが、セリフが入ってないのでトン/\行かなくて困る。ハネて、中野実来り、一緒にホテ・グリでウイを飲み、辷り込みで赤坂へ、中野の考へ方が益々堅く頑なのでクサった。


九月三日(火曜)

 
 


九月四日(水曜)

 


九月五日(木曜)

 西


九月六日(金曜)

 


九月七日(土曜)

 西
 便


九月八日(日曜)

 今日はマチネー、女房見物同道。客殺到してゐる、満員。防空演習のことで昼となるとワッと押し寄せるのだ。「雛妓」客大いに泣く、ます/\やることクサクなる。客のせいで仕方がない。「歌へば天国」も、まあ/\。昼の終り、外出して、空襲にぶつかってはと、ふた葉の親子丼をとりて食べる。洋服屋が国防服の仮縫ひに来た。夜の部、大分招待も出てゐるだらうが、大体満員である。稲葉実が遊びに来た、昨日も上野勝教にタップやダンスの仕事がやりにくゝはないかときいたが、彼等自身は一向感じてゐないらしい。ハネて、まっ暗な中を帰宅。今夜、友田純一郎楽屋へ金二十円借りに来た、旬報が不安な気がする。


九月九日(月曜)

 十時起き、よく寝た。雨で涼しいので一時半頃から昼寝、いゝ心持に三時半迄眠った。軽く食事して出る。久々ビーコンへコーヒー飲みに入る、此処も十五銭になった、「あゝ此処も駄目か」とつぶやきつゝ出る。座へ「幡随院」すっかり幸四郎でやってるのに、「高麗屋ッ」と一声ぐらゐかゝりさうなものだが、もう此ういふシャレは一切通じなくなった。「雛妓」客の泣き方も段々激しい。「歌へば天国」も、トン/\行く。何か一つ力強いものが不足してる脚本だ。スマートなことでは成功。ハネ九時三十五分、今夜は家の方は夜中に避難のさわぎがあるとのことで、岩井を連れて帰り、オールドオークニーを飲み、いゝ心持になり、二階で寝ちまふ。


九月十日(火曜)

 夜中に女中たちは避難訓練で近くの小学校迄逃げさせられたり、女房も朝迄起きてゐた、そのさわぎの中をオールドオークニーの酔心地、朝一度、便所に起きたが、又ねて、十二時半迄ねてしまった。高橋の姉遊びに来り、紙競馬などして遊ぶ、清元気よし。四時に出かけ、眼科へ寄り、ニットウコーナハウスで紅茶を飲み、座へ。今夜防空の最後の夜。明日から市中は明るくなる、元気一杯の客がワッと押し寄せるだらう、明夜の活気がたのしみ。「歌へば天国」も明日から終りのヴァラを一部復活することゝした。帰ると、東日に劇評書いた川上三太郎から返事が来て、これが大ファンで妥協的手紙、一寸気抜け。


九月十一日(水曜)

 今日もよく寝た。十一時半に迎へが来り、眼科へ行き、日本橋の三越本店へ行く。闘球盤を買ふつもりが、小さいのしかないので、止めて、四階の新を呼んで食堂で冷コーヒー、伊東屋へ寄って、カルムを買って、本社へ行く。十月の大阪を決定の筈で文芸部が集まった、葦原邦子が母親の反対で出演出来なくなり、古賀政男のみ出演、さて、その出しもの今日は決定出来ず、平野・菊田・斎藤を連れて三直で天ぷら、飯が出ないから栄ずしへ寄って、すしをつまんで座へ。防空明けでワーッと来ると思ってたが、七分強位の入りであらうか。何うにもしめってゝカラ/\ッと笑はない客である。防空などでいぢめ抜かれて活気を失ったのか。


九月十二日(木曜)

 


九月十三日(金曜)

 
 
 
 
 
 
 


九月十四日(土曜)

 


九月十五日(日曜)

 
 


九月十六日(月曜)

 十一時迄、よく眠る。咽喉少々悪く昨夜ルゴールつけたが、咳少しまだ出る。入浴食事、さあ今日から絵を描くのだ、庭へ下りて絵になりさうなところを探す、葉鶏頭の一群と定め、裸で清の麦わら帽子をかぶって、庭へ出る。色々な絵具を溶いて、色を出すのが嬉しい。葉鶏頭を描いてゐると雨、チェッと家へ上り、清の寝てるのをスケッチする。やたらに絵を描くのが嬉しい。四時に簡単に食事、迎へ来り眼科へ寄る。座へ出ると、今日はデパート休みのせいか、九分の入り。団体もあるかして、少し笑ひの程度は低いが。「長兵衛」で、「高麗屋!」と一声かゝった。「雛妓」よく泣くこと。「歌へば」は今日の客には少し高し。ハネる頃、田中三郎・木村千疋男約束で来る。築地のとき本へ。上森・山野も同道。ジョニ黒持参、プランタンの洋食で飲み、語り、久々で面白かりし。一時すぎに出る、満月の下に、屋台の支那そばを食ふ。これが一ばんうまかった。


九月十七日(火曜)

 九時半頃起きる、入浴食事、味噌汁うまし。一時に出るのだが、又絵が描きたくなり清の玩具を写生する、子供みたいだ。一時に出ると、日比谷の陶々亭へ、「エス・エス」主催の座談会、情報部の黒田軍人さん・岩田豊雄・遠藤慎悟・徳田純宏・権田保之助に僕といふ顔ぶれで、新体制の演芸といふ話、かなり言ひたいことを喋った。支那食は二円半と限られても、まあ割に食へる、代用食として、饅頭登場はいゝ。座へ出る。入りは七分強といふところ。客席の活気が又不足だ。どうも客が、此ういふ所へ来るのが既に贅沢なのだと思ひ乍ら来るらしいので、その気分が中々抜けないらしい。


九月十八日(水曜)

 殿 
 殿


九月十九日(木曜)

 


九月二十日(金曜)

 十一時半丸ビルへ京極を迎へに寄り、麻布今井町の瀬戸口藤吉翁の家へ。翁と、早川弥左衛門両所と京極とで晩翠軒へ。雑談しつゝ食べたが、二円半の定食はてんで足りないので、早川氏帰ったあと三人で、三直へ、天ぷらを又各二円半食って、翁を家へ送り、まだ夕方迄大分あるので、一旦京極家へ寄って、近くの原信子氏の邸を訪れる、歌ふ女の人で有望なの二三あるとのこと、近々会ってみることゝし、コーヒーのうまいのを馳走になり、邸内を見せて貰ふ、とても豪華で一寸類が無い。三浦さんとは大した違ひだ。座へ出る。吉岡社長来り、宝塚で男性加入オペラを作ることについて相談。入り八分位か、今夜の客は実によく笑ふ。


九月二十一日(土曜)

 11姿西


九月二十二日(日曜)

 


九月二十三日(月曜)

 入浴食事して十一時に出る。眼科へ。ニットウへ寄りグレープジュースを飲み、座へ出る。祭日マチネーだが、八分弱か。昼の終りに、小佐川観之丞来り、幡随院のコーチ礼として三直の天ぷらを食はせることゝし、平野同道行く。天ぷら食ってると、樋口大祐が、アメリカから数日前着のニュウカアに試乗して呉れとて車を持って来た、それで銀座を一巡する。フォード・デ・ラックスといふ四十年のパリ/\だ。が、これもあと何日かでダメになるのだらうと気の毒だ。夜の入り九分と迄行かず。でもよく笑ふ。正岡容来訪。「歌へば天国」の終り頃、徳山※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)来る、引っぱり出してしまふ、客、気がつかぬ感じ。


九月二十四日(火曜)

 宿使


九月二十五日(水曜)

 宿


九月二十六日(木曜)

 十時半起き。軽く食事、昼食の約束があるのだが二円半では、とても応へまいと下拵へしたわけ。眼科へ寄り、京極を市政会館へ迎へに行き、銀座裏のりどといふグリル、順天堂の佐藤清一郎(外科)博士が、田沢千代子を紹介するといふ席。田沢は役者をやってみたい希望あり、面白いから正月あたりから入れることにしようと話す。二時頃迄色々話し、偕楽園へ、これも京極と共に行く。りどでビフテキ定食食った後こゝで又二円半の支那定食、一寸呆れた。早目に座へ。銀座の中村誠が兎の置物を抵当に百円貸せと言って来る。入り悪し。


九月二十七日(金曜)

 
  
   
   
  


九月二十八日(土曜)

 朝方便所に二度起きる、ラキサトール利いて腹具合少しいゝ。軽く食事して、下二番町へ。母上・成之兄夫妻皆在宅で賑かに話すこと一時間余。二時コロムビアへ、文芸部へ寄り、来月吹込みのことを定める。サトウハチロー詞・服部良一曲。本社へ行くと、五分五厘ダテ位にしたので、不入りにもかゝはらず黒字といふので、小さいが特賞が出たのは意外の喜びだった。座員にも明日大入袋が出る。久米には会長賞が出ることゝ定る。眼科へ寄り、座へ。今日は土曜だが、七分の入り。原田盛治来訪。宝塚映画は、準備不足でヘンなものになると不可故断はることゝする。


九月二十九日(日曜)

 
 使
 
 

 

  
 
  
  

 

 


九月三十日(月曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)





十月一日(火曜)

 便


十月二日(水曜)

 


十月三日(木曜)

 


十月四日(金曜)

 


十月五日(土曜)

 
 宿
 


十月六日(日曜)

 宿
 


十月七日(月曜)

 十時に起きると、入浴。食事は抜きにして、十二時阪急梅田で、上山・堀井等と落ち合ってガスビルへ、永田氏に地下グリルを馳走になる。味が、此処も落ちた。喫茶部でお茶を飲み、堀井と八階の理髪屋へ行き、理髪する。さっぱりした。それから心斉橋をブラつかうと、タクシーで南へ。丸善へ寄り、歩く/\、どうもまだ夏の如く暑いので汗。ドンバルでコーヒーのむ、渡辺篤と逢ひ又歩く。歩くことに段々馴れさうだ、有がたい。足といふもの、久しぶりで新な役をつけられ少々面喰ひの態である。浪花座の前で、あきれたぼういずが出てゐるので、呼び出し、ニューパレスでソーダ水を飲み、木の実でやきうどんなど食って劇場へ。入りは七分。「雛妓」が、つひに大阪ではピンと来ないと定った。


十月八日(火曜)

 昨日も随分歩いて運動が足りたせいだらう、十一時迄寝てゐた。よく歩くことで身体は益々丈夫になりさうだ。昨日は本を読みすぎた、眼が又赤い。十二時に出る、電車中本は読まぬことゝした。堀井・山野と落ち合って、嘉納さんのとこへ。神戸の大島秀吉といふ親分が来て一杯やってるとこ、まあこっちへ上って一杯やれと、ヘネシーのブランディーを開けて、のまされ、又洋食など馳走になり、帰らうとしても中々離さないので弱った。前科十何犯の、大島親分の話が面白かった。三時すぎに辞して神戸へ。元町を歩く、ブランディーの酔がまだ抜けない。五時の電車。座は今日も七分。ハネ十時一寸前。南のバアへ行かうとしたが、タキシは無いし、結局バスで行き、中野実と約束で飲み、一時の電車で帰宝。


十月九日(水曜)

 十時に起きて、入浴食事、十一時からといふ約束に大分おくれて、宝塚ホテルへ行く。十一月狂言の打合せと、新体制の相談で、菊田・上山・平野・久我と集まる。大阪へ出たのは四時近い、腹が又空いたので上山と南進して、リキーの大雅へ集まり、二皿ばかり食って座へ出る。昼はタキシがあるからいゝ。入りは九分九厘、といふのが七百人からの団体があるので。保険屋さんの団体、これのつまらんこと、全く受けるところが変り、すっかりクサる。森岩雄より電報で、十二日こっちへ来る由、女房より手紙十五日に来る由。


十月十日(木曜)

 十時起き、入浴、少々鼻風邪だ。食事して、日記し、手紙二三書く。平野が来り、一緒に少女歌劇学校へ行く。白井氏不在で、生徒をこっちへ貰ふことなど話すが、全然不得要領、駄目だ。改めて白井氏に話すことにしよう。元町へ、サノヘでネクタイ二本、輸入物だが停止価格で三円九十銭といふ安さ、籐のステッキを――これから大いに歩かねばならぬことで――買ふ、これも十五円ウィンナ製。中華第一楼で食事。阪急の本屋で夢声の「天鬼将軍」を買ひ、まだとても早いが、阪急、大阪へ。劇場へ入り、揉ませる。入り、今夜は八分を越えてゐる、尻っぱねかな。芝居皆によく受ける。ハネは十時一寸前だ。大雅へ直行して、ブラックホワイト、渡辺篤同道。明日十時から試写なので、久々竹川へ泊ることゝして行く。高橋の兄貴がゐて相変ず飲んでゐた。


十月十一日(金曜)

 竹川旅館の朝、入浴して食事、白味噌の汁うまし、こゝの朝食は松楽館より大分ましなり。九時に出て、梅田地下劇場へ、「日本映画史」の試写を見る。小一時間で終る、面白くはなかった。一ったん宝塚へ帰る。宿へ帰ると書生の山本、昨日より腹痛、苦しんでゐる。医者に診せると擬似赤痢とのこと、弱ったもの。手紙二三書いて、宝塚ホテルのグリルへ寄り、又同じメニューのスープとチキンパイを食べて、阪急で梅田へ。座。楽屋へ放送局員来り、明日の放送の稽古をする。今夜も入りはよろしく、八分を超えてゐる。ハネ十時十分前、高橋兄貴より招待され、新町の吉花へ、大庭・石田を連れて行く。高橋いゝのどをきかす。十二時竹川へ一緒に帰り泊る。


十月十二日(土曜)

 竹川へ昨夜から石田守衛も泊り、一緒に起きる、入浴食事して、タクシで放送局へ。どうも鼻風邪が抜けないので、調子も出ず、時々嚔が出る。テスト一回やり、「興亜のぞき眼鏡」上山雅輔作のモダン小咄を放送。それから、高杉・久米・轟・原・藤と石田も共に川口町の天華クラブへ食ひに行く、中々うまいし安い。時間があるので、南へ出て、心斉橋を歩く、大丸で清の玩具を買ひ、そごうで海軍帽を買った。座へ出ると、書生山本は真性赤痢と定ったさうで、松楽館は大消毒、とてもクサい由、又他の書生や僕迄同宿の故に検便されることゝなった、これではとても松楽館へは帰れない、又、清や女房の来るのにも心配故、今夜から竹川へ泊ることゝする。座は入り七分強ぐらゐ。「活動のロッパ」相当受ける、調子大分悪し。


十月十三日(日曜)

 調宿宿


十月十四日(月曜)

 宿


十月十五日(火曜)

 


十月十六日(水曜)

 宿


十月十七日(木曜)

 


十月十八日(金曜)

 
 退尿


十月十九日(土曜)

 一日旅館にシンギンしてゐた。若い看護婦が昨日からついてゐる、これが感じ悪く、何となく逆ひたい奴。(ノートによる)おや/\こいつは可笑しいぞ、ふと気がついてみれば高熱ももう一週間つゞいてる、のんきにたゞ苦しい/\と熱の下りることばかり希ってゐるが、これは所謂危篤、少くとも重態らしいぞ。ところが人間あさましいもので熱がこれだけあるし頭もホットになり、あまり喜怒哀楽が無いやうだ。のんびり、死の恐怖に対しても、のんびりとしか感じない。これで身体の苦しみがないと頭の苦しみが強くて死ぬのは辛からう、何となくノンキだが今さう思った。○ハタは何う見てゐるか僕自身では一向危険とは思ってゐないらしい、さもなければ遺言ぐらゐしたくなる筈である。それがまるでない。然し此ういふ半夢幻的状態の中に若し死ねるなら理想的だらう。夢が熱があると、いろ/\変化する、ヘイこれがお目にとまりますればお次何事、といふ風に時間制で次の夢が来るのだ。母上東京より夜着、新大阪ホテルに泊られる。


十月二十日(日曜)

 
 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)姿尿便


十月二十一日(月曜)

 何が何だか記憶が無い。皆の言ふところと、ノートをたよりに形だけ日記して置く。朝、京都の今井氏が来診、色々な医者が入れ代り立ち代り、耳をヘンなものでピーン/\とはぢいて、血をとったり、注射したり、寝台車のまゝエレヴェーターで下りて、レントゲン室へ入り、何だか紫色のものが、ぼーッと被さって――つまり色々と病気の名をつけようと探られたらしい。結局チブスの疑ひもなし肺炎も無し、単に風邪といふより無いといふことに落着いたらしい。で、此の日、四階の別館の室に移されたのである。藤山が来たやうだった。夜近くの病室で、ヒステリ女が泣き叫ぶ声が、これは幻覚ではなく、実際だったらしい。何だか曽ても[#「曽ても」はママ]こんなことがあったやうな錯覚を起したり、寝苦しき一夜であった。


十月二十二日(火曜)

 二十二日のノート、熱高きため、とりとめがない。ノートをそのまゝ写す。○寝てゐるかさもなくば何処か一方を見てゐなくてはならない、といふのはやりきれん。部屋の中の線の一つでもいゝのがあるわけがない。いゝ色があるわけがない。こゝが人間の辛いところと分った。○自分は今、木かと疑ひもする。手を見ても足をそっと見ても、一夜のうちに、お伽噺の昔の神の祟りをそのまゝ木となり果てゝゐる。のではないか、木となり果てた身は致し方もないが、それを看護してゐる母上や女房子の姿は何である。大きな材木の胸にすがればトゲも生えてゐよう。○みんなわしを此の部屋に置いて何処へ行って何をしてるか。此の病院の秘密娯楽ホールがあり、そこで昇れ/\といふ棒のぼりのゲームを皆してゐるやうな気がする。○そこで蜜柑が無料のやうだと言って食ってゐるか。さう言へば、皆口を拭って入って来る。
 全く記憶が無くなってゐたが、此の日堀井英一、わざ/″\東京より見舞に来りし由。


十月二十三日(水曜)


 
 
 
 
 
 
 


十月二十四日(木曜)

 


十月二十五日(金曜)

 昨夜の夢は、吉田何三とかいふ文楽の太夫の映画を撮る――これは「浪花女」の影響だらう――そのラヂオ放送もやる、その主役は、何とエドワード・エヴァレット・ホートンだと言ふ、それで何か揉めごとがあり、僕が大阪弁でタンカを切ってるところがあった。朝、本来なら今日で大阪千秋楽の、明日から東京で稽古だな、と思ふ。熱全く無し、五度何分。午前中、成之兄上、わざ/″\東京から見舞に来て下さったのだ。キャメラに、僕のヒゲ顔二三おさめられる。昼食、成之兄も病院の食事、僕はパン、卵、メロン。夕食は、オムレツ、パン、他メロン、果汁。成之兄帰られ、母上も新大阪へ帰られ、さて寝るといふことになると、どうも感じ出ず、弱る。全快したら――と考へてみても、まだ感じが出ない。


十月二十六日(土曜)

 尿便便西便
 


十月二十七日(日曜)

 寿


十月二十八日(月曜)

 夜中に小便数回、大便は出ずガスのみ盛。七時半眼がさめる、熱は五度九分だ。昨日は日曜で回診が無かった。今日は、それが楽しみだ。新聞が来たので拡げると、パリ/\パリと、下手なトーキーの録音みたいな音がする。弱ってるらしい。やせた、足など骨がクッキリ分る。手首も一と廻り一握り。回診、ちと起き上ってみてもいゝと言はれる。早速起上ってみる、フラ/\頭が定かでない。真山青果全集第一巻「元禄忠臣蔵」が来た、読み出す、すばらしい。午後林文三郎夫妻(新婚)が来り、しばらく話して行く。昼は、パンとアスパラガス他。滝村和男と小国英雄来る、十二月一杯は休むと言ったので「家光と彦左」の撮影出来ぬかと困ってゐた。その後、あきれたぼういずの四人来り、これが帰ると大分人に会ったので労れた。早く寝る。


十月二十九日(火曜)

 便退


十月三十日(水曜)

 七時半に眼がさめる。口を洗ひ、日本間へ行って朝食。パンと卵。まだ頭がふらつき確りとは歩けない。大毎と大朝が入るので読むが、こっちの新聞は読むとこがない。「都」が来て、ほッとする。回診、沢井先生。糖が出てるから注意。糖分一切排撃しようと決心する。朝日ビルから「少女シリア」と「幸福な家族」を買って来て貰ったので安心して、「元禄忠臣蔵」を読み終る。力作であった。大辻司郎が新興の浪花座へ出るので、藤尾純・柏正子・森健二等と見舞に来た。大辻、すべて間違ったことしか言はず。新大阪の近藤来る、いろ/\世話になる。母上、今朝橿原神宮へお参りされ、帰られた。六時ベッドにつかまりウンコ。夜、武者小路の「幸福な家族」を、光線悪いのに、無理して読んでしまふ。労れた。


十月三十一日(木曜)

 姿姿
 





十一月一日(金曜)

 便尿調


十一月二日(土曜)

 調尿


十一月三日(日曜)

 調調調調
 


十一月四日(月曜)

 調


十一月五日(火曜)

 調退
 


十一月六日(水曜)

 調尿
 
 
 
 
             


十一月七日(木曜)

 何となく疲れてゐる。昨日手紙を書き過ぎたのと外出が応へたか。何とヤワな身体となったものだ。嘉納健治氏令嬢見舞、先生より見舞金百円。手紙七通書く。九日退院だ、九日の中座の新派の切符、十日の文楽と買はせる。入浴。「夢ありし日」を読み上げ「レベッカ」にかゝる、翻訳物は「少女シリア」でこりたが、これは少し面白さうだ。ビクターの青砥道雄、高橋兄貴来る。夕食は久しぶりで飯が出た、鯛のさしみとしたし等、飯を丼に一杯食った。夜、加藤弘三夫妻、近藤泰来る。泰は銀行づとめの愚痴をこぼして十時頃迄居た。さて寝よう。今日の回診、京大の真下先生といふ人の診察だった。夜、目方計ると、十九貫一寸に復活してゐた。
 発信控
沢田由己 水の江滝子 阿部玉枝 山根寿子 寺木定芳 月野宮子 斎藤豊吉


十一月八日(金曜)

 使退
 
 
             


十一月九日(土曜)

 退
 退退尿


十一月十日(日曜)

 


十一月十一日(月曜)

 
 退


十一月十二日(火曜)

 八時に眼がさめる、まだ風呂が沸かないので床へ入って待つ。九時入浴、快適だ。朝食味噌汁で飯、サッカリンで大根を煮たら甘すぎて食へず。お薄を飲む。アンマ来り、揉む。一時半に昼食、パン、紅茶サッカリン入り。机辺の整理してると、橘夫妻と友田純一郎が、全快祝ひにやって来た。橘より花を貰ふ。ところへ下二母上が、一人でゐらした。橘等帰って、下二母上と暫く話す。三時、省線で渋谷へ。中井駅から。あゝ自動車の無い辛さ。マスクをしてるのであまり人には気がつかれなかったが、押し合ったり、身体がすれ/\になるのがかなり辛かった。渋谷の東横へ。今日千秋楽で、ロッパ軽喜劇隊のアトラクション「母と兵隊」を見に。楽屋に皆ゐるので行く。病院の話などで暫くは喋る。六時からのアトラクションを見る、一寸面白かった。歩いて石川亭へ。洋食たっぷり食ふ。タクシを拾い、小滝橋まで三円で帰る。「文楽の研究」読みつゝ十一時半頃寝た。


十一月十三日(水曜)

 入浴、朝食は抜き、十時に出かける。省線、中井から有楽町まで、小一時間かゝる。省線の中で読書出来るが、周囲の不潔さには参る。移転した東宝本社、(又もとの日劇五階)那波・秦・渋沢とゐて、礼を言ひ色々話す。十二時に、菊田・斎藤・平野・上山と揃って呉服橋の井上へ。正月の出し物決定。丸善へ寄り、バスで銀座へ、バスも実に辛い。三昧堂で新刊四五冊。東映本社へ、森岩雄・滝村和男両名ゐて、話は色々とはずむ。滝村が、僕の最近の酒は体にさはる筈だ、つまらん/\と言ひつゝ怒ってのんでるから。と言ったがこれは当ってるかも知れない。四時近く迄ゐて、銀座でメイタクを拾ひ、帰宅。どうもまだ身体本復しないか、ヘンに疲れたりする。「文楽の研究」読了。
正月の四狂言

一、母と兵隊 佐々木邦作
二、嫁取りアルバム
三、ロッパの開拓者
四、日本の姿



十一月十四日(木曜)

 九時半起き、入浴、朝食して十時半に出る。内幸町へ出てコロムビア本社へ、武藤・松村共に留守なので辞し、文藝春秋社菊池氏に置き手紙。築地明石町の市川猿之助邸へ、電報で見舞を呉れた礼に行く、旅へ出て留守、段四郎夫人もとの高杉早苗が出て来たので礼を述べ、今度は明舟町の市村羽左衛門邸へ、これが又留守、名刺を置いて来た。永田町の橘のとこで車を返す。橘に新体制の愚痴をきく。女房や清も後から来り、今夏大仁のホテルで橘が撮った八ミリを見せて貰ふ。清の風呂場の活躍が見ものだ。夕飯は、渋谷の石川亭へ橘夫妻を連れて行く。うまいのと安いので驚いてゐた。又橘家へ帰り、二十一を九時半迄やり、タクシーで送られて帰る。床に入って「キネマ旬報」廃刊号へ四枚書く。


十一月十五日(金曜)

 


十一月十六日(土曜)

 十時起き、入浴、朝食、金子姉近処へ引越したので来てゐた。日劇五階の事務所へ行く。会議室で、正月公演の狂言決定の会議、第二に据えた「嫁取アルバム」農村物なので、その代りのものを相談、仮に「新婚アルバム」として、もっと練ることにした。上山と二人で、思ひ立って二時すぎに、新橋演舞場へ、ターキーを見に行く。これを見てゝ正月の僕の書くヴァラについて、やっぱり甘いものをまぜなくてはと感じた。ターキーの人気盛。日劇の新しく出来た第一食堂へ行き、ロシヤスチウを食ふ。それから有楽座へ。僕休みのために、金語楼劇団が出てる、うちの渡辺・高杉・杉を貸してるので、楽屋へ一寸寄り、それから彼等の芝居を見て、ホテ・グリへ寄り、軽く食事し、メイタクで帰る。有楽座の金語楼劇団を見て、まだまだレヴェルを下げねばうちは高級になりすぎてゐると思った。「すゐかづら」読了、「レベッカ」下巻五十頁読みて寝る。


十一月十七日(日曜)

 今朝は十一時迄ぐっすり。入浴。金子恭夫妻が来てゐるので、少し朝食をのばし、一緒に昼食にする。ブラック・エンド・ホワイトを金子兄と三四杯宛傾ける。ゆっくり食事し、清の遊ぶ態を見て皆で笑ふ。金子夫妻が帰ったのが三時近く。「レベッカ」を読み出す。金子姉も、先日渋沢秀雄も近頃こんな面白いものは無かったと言ってゐる、それ程とも思はぬが、まあ面白い。六時すぎ入浴、食事。部屋へ帰り、「レベッカ」にかゝる。面白いので、九時近くに読み終る。それから菊田一夫が満洲へ出発するのを送りに九時半すぎ家を出る。省線で読書しつゝ行く。菊田を十一時の汽車で送る、高松宮様も旅立ち、お辞儀してたら、前を通って笑はれた。十二時に帰宅。


十一月十八日(月曜)

 鹿


十一月十九日(火曜)

 


十一月二十日(水曜)

 
 



十一月二十一日(木曜)

 宿


十一月二十二日(金曜)

 


十一月二十三日(土曜)

 姿宿


十一月二十四日(日曜)

 宿調
 
 宿


十一月二十五日(月曜)

 西
 
 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)


十一月二十六日(火曜)

 


十一月二十七日(水曜)

宿
 
おけらの虫は
うじゃこい虫で
雨さへふれば
もぢゃ/″\/″\
といふのである。


十一月二十八日(木曜)

 伊豆山――熱海。
 清と入浴、荷物を片付け、勘定を済ませる、八日間三百五拾四円余、ちと高い。此う不味いものばかりで、これは高い。二時頃、熱海市西山俵山荘へ着く。別荘内は俵叔母上の在世当時通りにしてあるのが床しい。先づ入浴する、此処の風呂は家庭的でいゝ。時間制といふのは嘘か、湯どん/″\出てる。タオルで鼻の穴を掃除しても、少しも黒くならない。これだけでも保養になるわけだ。二階の机の前へ座り、荷物を配置し、落ちつく。伊豆山と違って、ひどく仕事向きだ。階下の火燵で「風流記」を読み、清を遊ばせる。飛行機/\と蒲団にのせて女房と二人で持って歩き草疲れる。夕食、久々で家の食事、漸っと人間らしい気持になる。七時頃、加藤弘三夫妻川奈の帰りだとて寄り、重箱から鰻とり、食って風呂へ入って八時半帰った。十二月一日入営の由。明日平野来ると電報あり。


十一月二十九日(金曜)

 


十一月三十日(土曜)

 稿使
わたしやおまえに
ホーレン草
早くおよめに
干し大根。
 
 
        





十二月一日(日曜)

 九時半起き、入浴してると、玉久旅館から使ひ、僕が午前中に行く筈のを、中止して呉れとのこと、新社長・専務等集まって、新体制会議と見える。朝食パン。二階へ上り画材を探すが、此の画家外へ出ないで居所ばかりで探すので、もういゝ所が無い。昼すぎ、母上・女房・清で来宮駅から熱海へ出る、熱海駅長に一寸敬意を表しに寄り、バスで一休庵迄行く、その混み合ふこと、漸っと辿り着くと、一日は定休。おかみさんやなじみの女中が出て来て気の毒がる。仕方ないので、山王ホテルで、ポタアジュ、オムレツ、ビフテキ。銀座通りで買いものして、山荘へ帰ったら、湯が出ない、がっかり。伊豆山での清のスケッチを絵葉書に描く。夕食後、町で買った夢声の「閑散無双」を読み、片耳にラヂオをきゝ、毎日愚劣なものばかりなので腹が立つ。殊に牧野周一の漫談不可。「閑散無双」読了。


十二月二日(月曜)

 
 
    


十二月三日(火曜)

 鹿
 姿


十二月四日(水曜)

 姿


十二月五日(木曜)

 九時起き、入浴して、食事。パンを食ひ、納豆が母上から来たので飯も一杯。清、お膳を引掻き廻すので叱られ通し。滝村、今日来るかな、と待つまいと思ってゝも気になる。中野実へ「香港」の感想を書き、「映画之友」へ五枚、書く。今日中に「日本の姿」を書く約束なんだが、その気になれない。又絵を描き始める、これもうまく行かん。二時すぎに、女房と二人、町へ出る、ダラ/″\と坂道を下り、銀座へ出て、買もの二三、駅迄バスで出て又仲店で買もの、タクシで伊豆山相模屋迄。女房、清の食べる白米を分けて貰ふため、僕はまっすぐ喫茶ホールへ行き、コーヒーを飲む。熱海ホテル迄車、夕食、すぐ車で帰る。つひに滝村来ず。入浴して床へ入ると、「日本の姿」のプランを練り出し、十二時すぎ、一時頃迄かゝって大体見通しをつけた。
 橘から電報、明日来ると言って来た。明日は上山・山田も来る筈だ。


十二月六日(金曜)

 今日は客があるからと楽しみである。十一時頃、上山と山田伸吉。昨夜プラン立ったので、入浴させると、二階で読みにかゝる、新体制ヴァラエティ「日本の姿」。これで上山に渡し、兎に角脚本の型にすることにした。昼食皆揃って食ひ、又二階で、山田伸吉から色々と絵の描き方について学ぶ。写実を離れてデフォルマシヨンを勉強のことだ、スケッチブックに二三描いて貰ふ。橘弘一路夫妻が、そこへ来り、上山・山田は入れ代りに帰った。弘一路と二人、雑誌新体制の結末の話から、その他のプライヴェート話をする。揃って夕食。ウイスキー、ホットにして飲む。ほろ酔ふ、清ハリキリ、あんよは上手と大いに歩く。


十二月七日(土曜)

 鹿西


十二月八日(日曜)

 朝八時すぎ、清ビー/″\泣き騒ぐので目がさめてしまふ。入浴、食事。家からの鮭がうまい。ひょっくり、ドクトル寺木が訪ねて来た、近くに別荘があるとのこと。土産に貰った田楽堂の田楽餅を皆で食べる。橘夫妻が戻って来た。そこへ又、清水荘平が来訪、すぐ下の別荘へ来たとて。日曜なので皆来るのだ。皆揃ったところで先日熱海の町で買った小さい玩具を福引する、清に一本ひかせたのが一等。三時近く皆で山を下り、来宮へ参詣し、銀座へ出る、内田水中亭、渡辺はま子夫妻に逢ふ。ワニ園へ行き、それから竹葉でまづい天ぷらを食って、タクシで帰る。入浴後隣りの清水の別荘へ行き一時間ばかり喋って帰ると、レコードかけて清大ハシャギ。カレーパン食ひ、ピョン/\して十二時に寝る。


十二月九日(月曜)

 西使
 


十二月十日(火曜)

 九時すぎ起き、斎藤も起きて入浴、朝食する。斎藤は仕事、僕は、下駄をつっかけ、画材を探しに歩く、二三スケッチして帰り、早速絵具を出す、たしかにコツを習ってから絵が生きて来たと思ふ。ところへ岩井達夫夫妻、(妻手塚久子と一昨日新婚)あらはれる。間もなくヌーッと如月敏夫妻あらはれ、又々賑かになる。昼食。女房身体悪しとて不機嫌なので怒る。いやな気持、しばらく。夕刻、敏持参の新ピョン/\。夜食前、ふと下痢し始める。何か食ひものが悪かったのか。でも夜食には、ブラックホワイトの残りを飲んでしまふ。レコード「隣り組」をかけると清大いに喜び踊る。


十二月十一日(水曜)

 西
 


十二月十二日(木曜)

 西西西


十二月十三日(金曜)

 九時に起きる。昨日でお客は絶えたかと思ったら、川村秀治が来たので今朝の食事も賑かだ、だが、秀ちゃんのやうなシムプルな正直なまっ当な青年といふものは、何を話していゝか話題が無い。遊びを知らない、無駄のない生活をしてる彼の如きは、然し他人に退屈をしか与へない。山野・大庭は、十五日すぎに来ると言って来たが、客が多すぎるからと断はった。然し、あいつらは、少くとも清潔でない代り退屈はしないな。七時頃、彼帰りて、何となくホッとする。入浴。小説の筋を一つ考へた。それは某といふ男が人生を二度くり返してゐる――即ち前に一度これと同じ人生をすませたことがあるのだ。だからその人生での過ちを今度の人生では一切避け、色々なことを予言する。そして成功するうち、前の人生で逢ったことのない恋愛にぶつかって、神通力を失ふといふのだ。鳴海碧子の「結婚教育」を読み、十一時すぎ読了る。


十二月十四日(土曜)

 九時起き入浴、久々客のない朝食、食後二階へ上り、絵を描きにかゝる。二階からの表と裏の眺め、定ったものばかり何遍も描くので大分うまくなったやうな気がする。母上東京より来られ、清大喜び。「チーチーパッパ」のレコードお土産で、すぐかける。僕へのお土産カレーパンで昼食。京極から今日の六時三分に来ノ宮へ着くといふ手紙だったので、六時近く、ドテラの上にハンテン、その上に又羽織を着て、それでは裾がからむので尻をまくり、大したいでたちで、夜道を迎へに行った。月夜で明るい。来宮駅迄行ったが、待ちぼけ。又、テク/\帰る、汗びっしょり、すぐ入浴して食事。昨夜ふと、女房からきかされたのだが、十月の病気の悪いさかりには大便などタレ流しでおしめをあてゝゐたのださうだ、そんなことは一切知らなかった。母上と一家揃って、清はしゃぐ。たゞ清を見て夜を更かす。大江賢次の「希望の灯」を読み出す。


十二月十五日(日曜)

 九時すぎ起き、入浴。女房は東京へ。高橋の兄が、癌と診断され癌研究所へ入院したのでその見舞に行った。斎藤から脚本上ったと電報あり、「スグコイ」と返電する。寺木ドクトルからハムを届けられた。昨日すっぽかしの京極より今夕着との電報あり。夕暮、間宮茂輔の「柘榴の花」を読み出す。六時頃、斎藤豊吉脚本持ってやって来た、早速読む。「新婚隣り組」。わりによく出来たので安心した。京極が六時半に来た。入浴して皆で食事。明日上山・山田・松本等来る筈。


十二月十六日(月曜)

 姿姿


十二月十七日(火曜)

 西


十二月十八日(水曜)

 殿
 


十二月十九日(木曜)

 姿尿


十二月二十日(金曜)

 
 西退西
 


十二月二十一日(土曜)

 姿


十二月二十二日(日曜)

 九時、電話で起される、他の電話じゃ機嫌悪いが、谷崎潤一郎氏から。頼みたいことがあるから会ひたいとのこと、明夕会ふことにした。入浴し、食事。延寿太夫の真似してたら清に又真似されて驚く。アメリカの堀井からの手紙に返事。ウォタマンの細いのを買って来てくれ、他。橘の家へ行く。原画を沢山貰って一時に花岳院へ。夕刻、大庭・石田の赤鬼青鬼を引き連れ銀座へ出る。新日記を探すが売切れ。近藤書店へ注文して置く。新田へ、放っといた仮縫ひに寄り、正月十日頃出来とのこと。づぼんつりを求め、煉瓦亭へ寄ってみる、おめあてのロールキャベツ無く、ホワイトシチュー、バアへ二三寄り、西条軍之助に逢って十二時帰宅。


十二月二十三日(月曜)

 姿


十二月二十四日(火曜)

 十一時に東映本社。白井鉄造と李香蘭に逢ふ。森氏に京極のこと話す。平野迎へに来り、ニットー紅茶へ寄って話さうとするが満員、ホテ・グリが又満員、此ういふところの満員さ加減、未曽有である。世間の景気、よっぽどいゝのか。一時稽古場へ。五時半に、清水荘平が迎への車をよこすといふので、待つ。葭町の百尺へ。清水盛に吹くので中々話がむづかしい。料理は量が不足だし、うまくない。昨夜の志保原がよっぽどよかった。芸妓も料理屋も馬鹿な急しさで、てんで落ち着かない。十時頃か、切り上げて帰宅。稽古場へ南部僑一郎・鈴木桂介来る、お歳暮やる。


十二月二十五日(水曜)

 十一時に迎へ来る、(高槻の円タク)高橋の兄貴の入院してる癌研究所へ見舞。理髪屋が来てた、大分元気が無い、少時ゐて辞し、神田へ廻って、新刊三冊と、新日記を漸く発見、少々汚れてるが仕方なし、買って文ビルへ。「開拓者」の立ち。大詰のところ中々泣かせる。二時にアガリ、ホテ・グリへ。世が世ならクリスマスだが、ターキー一つ無し。ゲーム・パイなど食ふ。放送会館へ明日より三日間放送の「大望」読み合せやる。東童の子供たちが出る、そのうまいこと、菊田も思はず、「大人の人よくきいてゝくれよ。」と言ふ。五時すぎ明治座へ屋井が呉れた切符、橘夫妻を誘った。入り悪く寒々としてるし、芝居皆淋し。九時十五分にハネ、高槻の迎へで帰宅。月給日。


十二月二十六日(木曜)

 七時半起き。寒い、とても。入浴ブル/″\。食事して、支度。いゝ塩梅に、福島屋のハイヤーが迎へに来た。これが来なけりゃバスか電車と覚悟してゐたところ。放送会館へ。「大望」第一夜のテスト。本来なら夜のところ、自動車不足から此うなったわけ。それから文ビルへ芝居の稽古。夕方、銀座へ出る。大した人込み、何だか景気はいゝらしい。さう言へば、有楽座のうちの前売り昨日売出して、一万円を突破といふから、春の景気もよさゝうだ。支那グリル一番で、いろ/\食ひ、清の玩具を探し、チョコレートショップへ寄り、又歩き歩いて、八時前に放送会館へ。鶴見祐輔作・菊田脚色の「大望」第一夜。しまひの方で、くさくなり自分でも可笑しかった。すむと、残って第二夜のテスト。これで十一時すぎ迄。いゝあん梅にAKの車で送って呉れた。


十二月二十七日(金曜)

 


十二月二十八日(土曜)

 姿西西


十二月二十九日(日曜)

 姿


十二月三十日(月曜)

 
 姿


十二月三十一日(火曜)

 舞台稽古終って午前六時入浴、有楽座からハイヤで帰宅。そのハイヤも二円別に祝儀を出して拝むやうにして漸っと来たもの。町々がまだ眠ってゐる。門松がお粗末なのだが並んでゐる以外は、何処にも大晦日の気分は無い。お正月の来る感じは少しも無い。味気ない世の中だ。七時に床へ入る。頭が労れてゝ反って眠れない、寒い/\。午後一時に起きる。入浴して、頭髪を洗ふ。食事。火燵で日記。セリフを入れにかゝる。「開拓者」一と通り入った。二階で手紙などの整理。五時半に、高槻迎へに来り、母上・女房・清と揃って出かける。何を食べようかと色々考へた末、呉服橋の末広中店へとりを食べに行く。冷い部屋に「火鉢はお一つと定ってます」と、寒いこと。スープ煮で他にすゐ鍋、七輪持って来て練炭で焚くといふ「殺風景で済みません」と全くだ。でも食べると少し暖まる。出て、母上と日劇で「熱砂の誓」を前後篇見る。母上と二人で京橋から銀座へ、夜店を見乍ら歩き歩く。エスキーモでアイスクリームをのみ、十一時十五分に高槻と銀座で待ち合せ、明治神宮へ向ふ。荘厳なる心持で、お詣りして、今度は靖国神社へお詣りし、一時すぎに帰宅。
[#改段]

昭和十五年のメモランダム



忘れぬ為に

(六月二十三日 下呂にて)

 綿
 
 便
 
 
 綿
 
 調
 鹿

 
 稿便
 
 
 
 
 
 
 
 

神通力を失ふ。

(七月六日記)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

市村羽左衛門讃

(七月十五日)

 
 
 
 
 
 

 
 
 
  
 
 

時局と娯楽の問題

(七月三十一日記)

 
  Amusement as Usual 

 
 
 
 
 

 鹿
 
 
 

 
 
 

七月東宝劇場赤字なりしと聞きて

(八月九日)

 
 
 鹿
 
 使
 
 
 
  
 
 


時局と娯楽の問題の完

(八月二十日記)

 
 
 
 鹿使
 
 
 
 姿
 
 
 
 
 
 

世情セッパ詰る。

(九月十五日)

 
 
 
 
 
 鹿
 

芸人に指導的であれといふことに対して。

(九月十八日)

 
 
 
 

続忘れぬ為に

(十一月十四日)

 
 







省線に乗りて

(十一月十七日)

 西
 西宿  西 

食べる人生(又ハ食欲自叙伝)

(十一月伊豆山にて)

 
 宿宿尿
 
 
 使
 
 西
 西
 西
 

 





 

 
 
西
1




×



 
 
 使
 西廿
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 西
 
 
 
 
 
 
 西
 
 
 
 
 
 西
 
 
 
 
 
 
 西
 鹿
 
 
 
  

補遺
 





︿ 
   200719210
5-86



20141013

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●表記について


●図書カード