古川ロッパ昭和日記

昭和九年

古川緑波




前年記


 
 

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昭和九年一月



一月一日(月曜)

 


一月二日(火曜)

 松の内は九時半着到十時開演。寝坊ちっとも出来ず。「凸凹世界漫遊」は漸くスピードも出て来て、及第点の出来。二回目、三回目はギッシリ大入りで漸く正月らしく、三階の客悲鳴をあげて、「五十銭出してるんだからよく見せてくれ」「押すな痛い/\」それにかまはずドン/″\走って芝居する気分、之が浅草の正月らしい。又々ギャングみたいな奴来り、「先生おめでたうござい、エヘゝゝ」と二円持って行く。之もお正月らしいと笑って置くか。
 正月の客は、つまらぬことでもワッワと笑ふ。いつもなら手の来べきところで来なかったり――兎に角正月の出し物は他愛なくあれ。


一月三日(水曜)

 


一月四日(木曜)

 今日よりマル三回で三十分おくれて開演。座へ行くと、徳川夢声胃病で休み故、「女なりゃこそ」の野呂平といふ役を一回だけやってくれと言はれ、仕方なく引受ける。本日から、マル三回の時は八時前にからだがあく、さて此う早く終っても困ったもの――って気持。伊馬鵜平・長谷川修二等年始に来た。大入つく。此の分なら七日までは確実。ハネまで事務所で次狂言「坊ちゃん」の脚本を読み、川口・東・生駒と共に、大支へ行きいろ/\話す。


一月五日(金曜)

 
  


一月六日(土曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)使



一月七日(日曜)

 今日は七草の日曜書入れで早出。竹久又欠勤、渡辺篤も一回目来らず昨日通りの代役でやる。しょがないな。若宮美子も、昨日のモメの余燼だらう、欠勤。しょがないな。七草とはいへあまり活気づかず、客席のざはめきが大したことなし、二回終って、上海亭へ東と行き、夕食する。三回目の「凸凹」のすんだのが七時すぎ、もう身体があいてしまった。今日、元日のアダヨの仲直り手打をするから云々で、又もや部屋で十円いかれた。


一月八日(月曜)

 


一月九日(火曜)

 


一月十日(水曜)

 



一月十一日(木曜)

 


一月十二日(金曜)

 西


一月十三日(土曜)

   稿


一月十四日(日曜)

 


一月十五日(月曜)

 


一月十六日(火曜)

 


一月十七日(水曜)

 
 姿


一月十八日(木曜)

 Duck Soop  


一月十九日(金曜)

 


一月二十日(土曜)

 


一月二十一日(日曜)

 稿


一月二十二日(月曜)

 早起きして、邦楽座へ、「会議は踊る」“Der Kongress Tants”の試写会へ行く。早起きした甲斐ある、よきもの。歌は、白井鉄造が「ブケダムール」に使ったもの、よき主題歌。ウイリー・フリッチの芸に感心した。済んでサトウハチローに逢ひ、此の主題歌をハチローの訳したものを二月下旬ヴァラエティーでやらうと話す。座へ来て次狂言の1・2の脚本読む、共に感心せず。明日配役、それまでに又二本読まねばならず。バカに入りがいゝ。「いえ今日は河岸の公休で」なんて、何うしても川口、我らのせいで入るとは言はぬ。


一月二十三日(火曜)

 ()()()()


一月二十四日(水曜)

 午前中、東宝事務所へ行くと、今日から日比谷映画劇場の三階に移ったとあり、そっちへ行き秦豊吉氏と三月のことを話す、「あなたは高いといふ評判で弱ってる」などゝ言ってたが、値のことは兎に角出たいと直サイに言っとく。一回済ませて、生駒と二人で明治座へ行き、名を名乗って二階席へ入れて貰ふ。明治座第二「新家庭双六」から見る。こっちでやれるものかと思って見に行ったのだが、本もつまらず、田之助あまりにまづくて驚いた。第三「魚河岸の朝」金子洋文の作、新派代表物。井上と水谷の第二の「大尉の娘」だ。二十分の休憩に食事して帰り、二回目をやる。稽古は明後日から。


一月二十五日(木曜)

 西


一月二十六日(金曜)

 


一月二十七日(土曜)

 本日渡辺篤休み、大辻司郎に格さんを演らせる、やっぱり渡辺の味がいゝといふことを思ふ。どうも客は笑はぬ。本社の大久保氏に呼ばれて行く、正月の奮闘に対し、座員の慰労として金一封出る。川口・東に相談して適当に分配する。一回終って東と、松喜で食事。本日は「銀界に踊る」の立稽古、渡辺と島と春日が休みで困る。踊りと歌が主のもの故、まあ何うにか見られるものにはなりさう。


一月二十八日(日曜)

 鹿


一月二十九日(月曜)

 


一月三十日(火曜)

 City Lights


一月三十一日(水曜)

 
 





二月一日(木曜)

 


二月二日(金曜)

 朝雨、しょぼ。ひるの終り頃は階下満員。ひるの「人生勉強」横尾がトチって穴があいたり、暗転がのびたり、実に気持よく行かなかった。「金剛五郎」は全く僕の役は書けてゐないのでやりやうがない。ひるの終る頃から、食事何にしようかと迷ふ。蒸しずしを食ふ。その後でシチュウとフランスパンを食った。夜の部。「人生」は当り芸と、評判よし。「金剛」は、たゞ衣裳が豪華なだけ、何うにも長すぎるらしい。菊田にカットをたのむ。ハネ後、銀座かもめへ、東宝の樋口来り、三月はカケ持でやることを話すため、月曜に東宝事務所へ行くことゝする。


二月三日(土曜)

 尿


二月四日(日曜)

 午前中医院へ寄って出る。ひるの部の「人生」段々手に入って来るのでうける。「金剛」も昨日より一景カット、他セリフをうんと刈り込んだのでスピードが出てよくなった。「銀界に踊る」も好評だ。夜の部の「金剛五郎」の終ったのが七時四十分。熱七度三分、早く帰って寝たいと思ふが、夜更し癖がついてゐるので帰るのが辛い。
「金剛五郎」の最中、コーラス連をサトウがノシちまったといふ事件が起った。カーテン前の芝居をしてる時、次景のために待ってゐた娘の子達がガヤ/″\しゃべって芝居の邪魔になる。ロクローが注意したが、今日もガヤ/″\しゃべったので娘子の引込みを待って順々に、ロクローがゲンコツで頭をノシた。ノサれた中にはおとなしくしてた子もゐるのでシク/\泣き出し、田島辰夫の妹、港鶴子などは、兄に訴へる、田島は怒り、サトウと争ふといふさわぎがあった。その後始末を少しして帰る。

二月五日(月曜)

 鹿


二月六日(火曜)

 


二月七日(水曜)

 


二月八日(木曜)

 


二月九日(金曜)

 


二月十日(土曜)

 病院へ寄り、座へ出る。渡辺篤とサトウロクローの二人が休んじまった、「人生勉強」も代役が多くて弱ったが、「金剛五郎」と来ては全くひどいことになった、渡辺の役を横尾泥海男、サトウの役を田島がやり、しどろもどろで何うやら終った。土曜で客もいゝのに弱ったもの。一回終って、中西のソボロ。今日はハネ後カケ持あり、朝日講堂へ、西村小楽天・渡辺遊声の兄弟会といふのへ、遊声は生駒の弟子なので義理で行く。トリ二十分やる(20)。


二月十一日(日曜)

 


二月十二日(月曜)

 50


二月十三日(火曜)

 25


二月十四日(水曜)

 


二月十五日(木曜)

 


二月十六日(金曜)

 


二月十七日(土曜)

 宿Too much Harmony
 稿稿


二月十八日(日曜)

 


二月十九日(月曜)

 


二月二十日(火曜)

 


二月二十一日(水曜)

 
 


二月二十二日(木曜)

 稿


二月二十三日(金曜)

 


二月二十四日(土曜)

 1


二月二十五日(日曜)

 宿25
 
     
 
 



二月二十六日(月曜)

 西


二月二十七日(火曜)

 


二月二十八日(水曜)

 





三月一日(木曜)

 鹿


三月二日(金曜)

 
 


三月三日(土曜)

 


三月四日(日曜)

 


三月五日(月曜)

 観音様へ参詣し、本屋へ吉川英治の「金忠輔」を注文して、座へ来ると、今日サトウロクロー休み、「サクラ日本」の役は堀井が代る。誰がやっても同じやうな役、僕も九日には一回休んでマーカス・ショウを川口と見に行く約束になってゐる。入りは何うもパッとしない。中川(山春)に五円、又いろ/\なアダヨ来り憂鬱である。一回終って、ワンタンめんと蒸しずしを食ひ、堀井英一を呼んで次のヴァラエティーの相談する、書くと引受けはしたものゝハヤ苦しい。夜の部、大辻ます/\邪演す。ハネ後鈴木重三郎来り、山野・渡辺・生駒等にて甲子郎おでんへ行く。のんでしまっては今夜は書けない。


三月六日(火曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)


三月七日(水曜)

 
 


三月八日(木曜)

 西
 稿


三月九日(金曜)

 


三月十日(土曜)

 今日第一回を休演、川口・東と鏑木とで日本劇場へ、マーカス・ショオを見に行く。人数沢山で賑かではあるが同じやうなものゝ繰返しばかりだ。感心するものなし。終って川口等とオリンピックへ寄り、栄ずしでひらめ食って浅草へ。夜の部だけ出る。一回でも休むと気が抜ける。報知へ四枚半、やつつけ乍らニュース漫談を書いた。ハネるとすぐ円タクで日本青年館へ行く。「名犬ハチ公の夕」で、トリに漫談る。昨夜あたりより咳が出る。


三月十一日(日曜)

 


三月十二日(月曜)

 


三月十三日(火曜)

 


三月十四日(水曜)

 西西


三月十五日(木曜)

 


三月十六日(金曜)

 西宿


三月十七日(土曜)

 調西調


三月十八日(日曜)

 


三月十九日(月曜)

 50西20


三月二十日(火曜)

 ()()15


三月二十一日(水曜)

 °45


三月二十二日(木曜)

 


三月二十三日(金曜)

 70殿15


三月二十四日(土曜)

 40


三月二十五日(日曜)

 30  


三月二十六日(月曜)

 廿


三月二十七日(火曜)

 30


三月二十八日(水曜)

 稿


三月二十九日(木曜)

 


三月三十日(金曜)

 


三月三十一日(土曜)

 





四月一日(日曜)

 殿鹿
 


四月二日(月曜)

 ひるの部の「芝居」で、若宮とロクローがトチリ、「鍋島」で大辻がトチった、始末書をすぐとられる。「芝居」の五景―六景の、芝居と現実の差を出すことに於て、会得するところあり。四時に一回終った。すぐ紺野を連れて生駒の家へピアノを借りて歌を習ひに行く。五日吹込みのポリドール、サトウハチロー作詞、竹岡信幸曲の「お嫁を選べば」っての。五六回ひいて貰って、引揚げる。夜の部の客とてもよく、「芝居の世の中」のウケること頻り、すっかり気をよくした。「鍋島」の方は何うでもいゝってもの。ハネ後、コーラス娘三人つれて、銀座へ出た。


四月三日(火曜)

 調


四月四日(水曜)

 


四月五日(木曜)

 


四月六日(金曜)

 使鹿


四月七日(土曜)

 調


四月八日(日曜)

 


四月九日(月曜)

 


四月十日(火曜)

 50


四月十一日(水曜)

 調調


四月十二日(木曜)

 


四月十三日(金曜)

 殿


四月十四日(土曜)

 


四月十五日(日曜)

 十一時すぎ家を出て、深川の八名川小学校てのへ行き、一席やる(30)。近頃の小学校は凄い、ちゃんとフットライトの設備ある舞台あり。座へ来ると、浅草の人出は正月以上だ。松竹座の前など通れない程の人。うちは人は立ってないが、中にはギッシリ詰ってゐる。山野とは依然無言。ひるの「人気者」大汗熱演。「大番頭」は大したことないがラクにやれる。ひる終って大辻に山野のことを話し、「部屋から出してしまふから、生駒・大辻両人で引受けて呉れ」と言っておく。夜は此の分じゃ又十一時になりはせぬかと心配。何しろ終るとすぐ、十時五十五分で出発のつもりなので。「大番頭」終ったのが十時十分、急いで東京駅へかけつけ、十時五十五分に乗った。


四月十六日(月曜)

 


四月十七日(火曜)

 


四月十八日(水曜)

 今日から「凸凹守備隊」が一回になり、「人気者」も「大番」も二回宛やらされる。「人気者」の三・四景は大熱演、大受け。「大番」も思った程つまらなくなし、写実の芸てものは、らくで気持がいゝ。旬報の脚本募集一等当選が無いので、僕のストーリーで菊田に書かせたのを当選としたので、百円来た。之を東に十円、菊田三十、友田三十、僕三十と分ける。夜の部、大いに客来る。やっぱりハデな出しものゝ方がいゝらしい。会田少年三日間休む。此の間からちょく/\休むが、もうつとめ切れなくなったものらしい。将来の二枚目としてほしいものなのだが――。


四月十九日(木曜)

 


四月二十日(金曜)

 退


四月二十一日(土曜)

 
 稿


四月二十二日(日曜)

 日曜日、突かけよろし。ひるの部終ったのが四時すぎ。「人気者」で熱演するので知らぬ間に、ひざのとこへ痣が二つも三つも出来てるのは驚く。三枚目ってのはむづかしくなくって面白い。楽屋に三益・柏・香山等が遊びに来たので、ポテトパイを買はせて食ひ、いろ/\話す。終ったのは十時二十分だ。昔の喜劇弁士小川紫友が、うらぶれて来た、みや古で一杯飲ませ、生駒も呼んで話す、小川は入座希望、之はいゝかも知れない。


四月二十三日(月曜)

 


四月二十四日(火躍)

 


四月二十五日(水曜)

 今日は、不意にサトウロクロー休みで、堀井英一が代役。でも大胆によくやるものだ。花井淳子と夫婦でラヴシーンをやるとこは一寸やりにくさうだった。今日は日が悪いのか色々事故あり、大庭六郎は生駒との立廻りで右眼を突かれて怪我。若宮の上へドロップが落ちかゝって頭をヅーンとやられた。ひる終ってすぐ天野雉彦の夫人の天野家庭塾春宵の集ひての幸楽へ行き、上品なる令嬢ばかりの前で一席(30)。山野も連れてってやらせる。東京駅地下室荘司でホットサンド食って座へ帰る。


四月二十六日(木曜)

 30


四月二十七日(金曜)

 調30宿


四月二十八日(土曜)

 宿40


四月二十九日(日曜)

 


四月三十日(月曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)





五月一日(火曜)

 宿


五月二日(水曜)

 


五月三日(木曜)

 


五月四日(金曜)




五月五日(土曜)

 3030


五月六日(日曜)

 


五月七日(月曜)

 


五月八日(火曜)

 姿姿


五月九日(水曜)

 


五月十日(木曜)

 30


五月十一日(金曜)

 


五月十二日(土曜)

 40


五月十三日(日曜)

 3030


五月十四日(月曜)

 退()()


五月十五日(火曜)

 


五月十六日(水曜)

 


五月十七日(木曜)

 使


五月十八日(金曜)

 十時起き。座へ早く出ると、今朝山野大トチリ、四十分も開演をおくらした由。お祭の神輿かついで廻ってたと言ふ、「いつもお祭よりバカなまねしてるんだ、今更みこしかつぐこたあるまい」と毒づく。山野の下司さは全くアイソがつきる。ひるの部万才も「金色」も出来がよくなかった。ひる済んで、森永のカツライスを食ひ、水上に一時間位按摩して貰った。先日来、部屋に元弁士の小川紫友がゐる、これがノッソリとして、一向に役に立たず腹が立って弱る。少年を一人見つけたし。夜の部大汗流し、入浴して、放送局へ行く。二時半までかゝってテストしたが、女の子も僕らも歌が入ってないので醜態なり。


五月十九日(土曜)

 西


五月二十日(日曜)

 40西


五月二十一日(月曜)

 


五月二十二日(火曜)

 宿西


五月二十三日(水曜)

 


五月二十四日(木曜)

 


五月二十五日(金曜)

 


五月二十六日(土曜)

 


五月二十七日(日曜)

 


五月二十八日(月曜)

 稿


五月二十九日(火曜)

 今日で千秋楽だ。ひるの「金色」は、客が妙に甘くて、すぐ拍手して弱った。大阪屋のポタアジュとトースト、ハッシュライスを食ひ、又大西・会田に揉ませる。「健康時代」の婦人記者来り、三十一日までには何うしても書いて呉れと言ふ。一円なので嫌なせいばかりでなく、何も書く気が出なくて困る。夜の部、「寄席」の、ラストへ出る大辻がショッパナへ出て、くだらんことを色々言ったので、一体に受けなくなっちまった。「金色」では、熱海で踊ってやったり、「宮さん/\」と言って「お馬の前にヒラ/\するのは何じゃいナ」と面白くやり、ハネ後、「水戸黄門」を立つ。まるでつまらないらしい。


五月三十日(水曜)

 


五月三十一日(木曜)

 





六月一日(金曜)

 出がけに鋭五を三楽病院に見舞ふ。座へ来て、川口に「水戸黄門」あまりに辛いから出場をカットして貰ひたいと言っとく。今日はひるから大した入りだ。エノケン悪く、新宿のグランルヴィウも悪いといふに、こんなつまらぬ狂言でワンサの入りとは分らない。ひるの一回終って、先づビックリの氷結アイスと、福仙の天ぷら五個とにぎりめし、そこへ又久ずし来り五六個行きおまけに五目ワンタン食ったのは一寸驚いた。夜の部、ひるより一寸客は減った感じ。でも先づ一杯の入りだ。


六月二日(土曜)

 


六月三日(日曜)

 出がけに母上と三楽病院へ鋭五氏を見舞ひ、物日故早く座へ出る。今日は二回と三までだと思ひ、早く体があくと喜んでゐたところ、三回目は序カットで四まで出すてんでガッカリ。尤もこれでトリまでつかまらないと気が済まないってとこもあるんだから妙だ。第一回からえらい満員。一回すんで、食ひ物で悩む、結局、中華丼に野菜スープ、久ずしのすし三四個食ふ。二回すんで、ねころぶ。夜の部三回目をやる。「愚弟」ワッワと受ける。意外である。うちの客は此ういふものが大分好きらしい。友田・上山・池田一夫とみやこで十一時半までのみ、いろ/\芸談す。


六月四日(月曜)

 


六月五日(火曜)

 本日東郷さんの葬儀で市内大劇場は皆休みであるが、浅草はアクどい。午前は休み、二時開演、それも一・二をカットして三から始まるんだから、ナニちっともいつもと変りはない。午前中鋭五を見舞に寄る。もう大丈夫らしい。二時半に座へ出る。一杯だ、やっぱり此ういふ日は浅草の書入れになるんだ、休まないのも無理はない。「愚弟」大いに受ける。「黄門」くさる。ウテナの伊藤って人と逢ふ、八月に若し此っちを休むならぜひ来てくれと言ふ話だ。森永でオムレツ、中西でビフカツと飯。金なくていやな気持なり。表へ又借りたしと言っとく。夜すんで森永でアイスクリームのむ。


六月六日(水曜)

 30


六月七日(木曜)

 沿4030


六月八日(金曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)


六月九日(土曜)

 


六月十日(日曜)

 日曜だから早い。今夜は八時前に終るから、東劇へ六代目を見に行くことにし、渡辺と二人で円タクで東劇へかけつける。菊五郎の日本俳優学校生徒第一回公演で、六代目は「鏡獅子」と長谷川伸の「暗闇の丑松」だけに出てゐる。丁度「鏡獅子」が終って、「丑松」があいたところ。脚本を読んでみないと六代目の演出について詳しいことは分らぬが、兎に角、写実以上の写実演出、やっぱり唸らせる。にくい。こんな芝居を見るのは、参考になるより、やっぱりたのしみだ。


六月十一日(月曜)

 


六月十二日(火曜)

 ()()宿


六月十三日(水曜)

 早く出て寺木ドクトルへ。入歯の具合を見て貰ふ、もう一とつ造って呉れる由、此のまゝ一寸持たせとかうと、ゴムでハめて呉れた。座へ出る。どうもダレてる感じ。一つに表のやり方である、川口・東ってものゝ誠意なき点、仕事に熱のないことで、この興行師を信頼することは実にいやになって来た。ひるの部、渡辺、セリフを突如ボケて忘れた。ひる終って趣きを変へて、須田町食堂のオムレツと飯、大森のお千代のおみやげのシュクリーム食ってたら又前歯ガクンと、とれた。グラ/″\のまゝさし込んでおく。夜の「水戸」横尾が休む。ハネ後、コーラスの稽古で二時半近くになった。


六月十四日(木曜)

 


六月十五日(金曜)

 使


六月十六日(土曜)

 


六月十七日(日曜)

 日曜だから早い。座へ出ると、もう満員だ。どうも「チョコレート」の方はくさりだ。「夏の日」何ういふものか、てんで下手くなっちまったやうな気がした。セリフが入ってないとこへプロンプタがきこへないので、間が狂っちまったのだ。くさった。一回終って、次狂言の相談したが、五に据へるべきいゝ案がない。菊田・友田と共に、松喜へ行き、食事。どうも考へが浮ばない。一つには、表にアイソつかしたゝめもあるが。夜の部終ったのが九時、今日は二ドリである。神田神保町の夜店を、上山雅輔と共に歩き、「江戸小咄研究」と「楽屋風呂」を求めた。


六月十八日(月曜)

 
 


六月十九日(火曜)

 20


六月二十日(水曜)

 


六月二十一日(木曜)

 昨夜から殆んど夜明ししたから眠い。一時、座へ出ると渡辺が休みとあり、あはてゝ代役を立てる。「チョコレート」は堀井がやる、もと/\メチャ劇のとこへ又わけの分らぬことになり、とても気持悪し。「夏の日」の方は、斉藤紫香が演ったが、ピッチがまるで上らぬ男なので何うにもならない。ひる終って表へ行き、連名の書き代へをやる。女優の方は三益を書き出しにして、神田を二枚目に据へる。夜の部も代役なので全く気が入らず。大汗。浴して天野喜久代のバーキクヨへ寄る。歌手を一人世話して呉れるやうたのむ、ラヂオで二人掛合をやる相談などし、すしやへ寄って帰る。人形町の都ずしのうまかったこと。鯛よし殊に海老よし。


六月二十二日(金曜)

 


六月二十三日(土曜)

 


六月二十四日(日曜)

 40


六月二十五日(月曜)

 10


六月二十六日(火曜)

 


六月二十七日(水曜)

 鹿


六月二十八日(木曜)

 寺木へ寄る、前歯をすっかりセメントで完成させ、右の奥へ入歯した、明日完成する。座へ出る。今日も暑い/\。ひるの部が済むと、上森健一郎来る、金を三十円程貸せと言ふのだ。先日は没落の玉村が五十円貸せと言ふので、昔のこともあるから貸した。今度又没落人上森だ、一寸泣けちゃう。ねころんでアイスクリームをのみ、大阪ずしを食ふ。夜の部汗大変だ。神田はその後口をきかず、生意気なバカである。ハネ後、「祇園祭」の立稽古。どうも面白くないらしい。明日の稽古は、五から逆にやることにした。


六月二十九日(金曜)

 


六月三十日(土曜)

 
 





七月一日(日曜)

 今日は日曜だから早目に出る。座内の暑さは殺人的だ、じっとしてるのが一ばん辛い。狂言「かっぽれ」は、クサリくさった揚句、司会者役を買って出て、芸は何もしない。「祇園」に至っては何とも拙劣な脚本で、僕の役など性根がまるで書けてゐない。何てハンマで、下手な役者だ! と思はれるようで出てるのが辛い。一回終って、外へ出る元気もなく、食事は大阪屋のクリームドチキンとカレーライス。二回目終ったのが八時。さて早く終るのも困ったものだ。生駒、津田秀水と共に、神楽坂演芸場へ行く。小勝・小南・小さん・三亀松等にて中々よかりし。


七月二日(月曜)

 先日来、山野が策動して、松竹座の岩田の旗下に一旗あげようとしてゐることを探知してゐたが、昨夜新宿で夢声に逢ひ、夢声・翠声へも勧誘ありしこときいて、座へ来るとすぐ川口・東に此の事を発表、山野への処分については後に話さうと言っとく。ひる、割に客よし。ひる終ってすぐ、新宿のほてい屋デパートへ。三福でビフテキとすしを御馳走になり、屋上で浴衣の写真をとり、マイクを通して店内に一言やり、帰る。夜の部、凡そ熱し。神田千鶴子、全然無言、生意気なり。早くオヤヂを呼べと言ふ。


七月三日(火曜)

 


七月四日(水曜)

「かっぽれ」も嫌だし「祇園」は更に殺人的に嫌だ。全く今週の辛さはない。ひる終って入浴、表へ行ってお盆狂言の相談、蒲田から与太者組の、阿部正三郎・磯野秋雄と小桜葉子が来ることになり、「次郎長日記大政小政」が僕の次郎長で出る。山野の話は、もう明日あたり首を申し渡すのだと言ってゐる。上海亭で一人でやきそばなど食ひ、座へ帰る。


七月五日(木曜)

 鹿
 


七月六日(金曜)

 暑い。全く殺人的だ。座へ出ると川口と話す、山野一面可哀さうではあるが、己れを知らぬ奴は結局此ういふ目に遭ふのが当然であらう。ひるの部終ると、日日の記者来り、声帯模写につき色々話させ、写真を撮って帰る。表で配役する。蒲田のヨタ者の来演に応援して「海と与太者」に出づっぱりの、「大政小政」に次郎長で出づっぱりと来た、いやはや。上山雅輔が宣伝部として入ることになった。夜の部、相も変らずクサリクサって演ず。全く辛し。


七月七日(土曜)

 鹿()()


七月八日(日曜)

 


七月九日(月曜)

 九時起きで、内幸町大阪ビル、メトロ試写室へ、「虹の都へ」Going Hollywood を見に行く、西洋の声帯模写があるとの話だったが、ちょぼッとだけ、メリオン・デヴィス、ビング・クロスビーで、愚にもつかぬ愚劇なりし。二戸・大黒・上山とでマーブルへ行き、食事して座へ。大辻が八・九と出て、十月頃洋行したいと言ふ。新京へ神田の父親が来てるので、神田も傍に置いて、よく言ひきかせる、父もよろしくたのむと言ふので、今後も預ってやることゝする。たゞ困ったのは川口の求愛(といふよりもっと露骨なもの)物凄く、あんまりつけ廻されるので恐がり、休ませたい位だと言ふ、放ってもおけないので夜は大西にでも送らしてやることにする。


七月十日(火曜)

 Toto


七月十一日(水曜)

 


七月十二日(木曜)

 雨、馬鹿に涼しい、十二時朝日新聞へ集合で、与太者二人と小桜葉子を連れ、生駒・大辻・渡辺に東と、各新聞を廻る。マーブルへ寄り食事して座へ出ると、千秋楽といふのに満員。エノケンの方は初日で大したことないらしく、可笑しなもの。ひる終って、森永でランチを食ったが、不味くて食へない。アラスカ・マーブルなんどを愛用し出したので、不味くて困る。夜の部終って、ホッとする、こんなムザン芝居を休みもせずよくも演ったよ。神田昨日より休み、次狂言も休むと申出たら川口は、あはてたと見え、菊田に明朝神田の家へ寄ってくれとたのみし由。


七月十三日(金曜)

 


七月十四日(土曜)

 


七月十五日(日曜)

 


七月十六日(月曜)

 調稿


七月十七日(火曜)

 アダリン六錠がきいて午後二時までねちまった。まだまるで声の無い状態だ。床をとったまゝ、ラヂオの「一人トーキー」の原稿書く。東が鏑木と一緒に見舞に来た。病気じゃないから元気だ、いろ/\愚談する。昨夜山野が来て、「半月分給金を貰ってない」と言ひ出した話などして東帰り、一人で夕食して、蚊帳の中で松竹座八月用の「海・山・東京」の案を立てる。アダリン四錠のんでねる。


七月十八日(水曜)

 調調30


七月十九日(木曜)

  30


七月二十日(金曜)

 


七月二十一日(土曜)

 昨夜は早く帰り、八月松竹座用の脚本、レヴィウ「海・山・東京」を三時までかゝって書き上げた。アダリン三錠のんでねた。新宿駅楼上で森岩雄氏と逢ふ約束なので八時起き、その辛さったら。九時、森氏と逢ふ。神田を八月からP・C・Lへたのむ、よろしいと引受けて呉れた。川口のことも色々話した、結局森氏の言によってよく考へてから戦ふことゝする。座へ来ると、今日から「次郎長」が先になる。「バルコン」の婦人記者、「婦人子供報知」の記者等、談話をとりに来る。本日になって、八月松竹座の興行には、蒲田から城多二郎・井上雪子・竜田静枝他もっとくだらないとこが沢山加入するときゝ、大くさり。


七月二十二日(日曜)

 調調使


七月二十三日(月曜)

 宿


七月二十四日(火曜)

 鹿使


七月二十五日(水曜)

 ひるの部終って事務所で配役。何しろ次の狂言は、役が少い上に、蒲田軍の来演てことになったので何うにも役が足りない、蒲田軍てものが既に忘れられた人々ばっかり、スターが竜田静枝のヅー/″\と来てるから何うにもハヤ。で結局、僕の「海・山・東京」には井上雪子だけを使ふことゝした。「弥次喜多」は渡辺と二人で行くつもりだったのに、大辻とやることになった、之には全くクサった。その他自分のヴァラエティーで声色屋ともう一つ気のいゝのをやる。夜の部終って牛込をブラつき、田原屋へ。


七月二十六日(木曜)

「次郎長」は中日位から伊井張りでやってるんだが、小道具の春ちゃんてのが「向島でやってますね」と言ったきり、あんまり近頃の客には分らぬらしい、「歯が抜けてるやうだ」と言った奴があるのは困った。ひる終ると川口が今夜皆でのみませうと言ふ、一寸気味が悪い。部屋で、大阪屋のランチとハムエグス。夜の部終ってすぐ、川口に連れられて公園裏昇鯉へ行く。渡辺・生駒と東が一緒。松竹座へハリ切って行きたいために一杯のんで戴きたいと言ふんだが、渡辺が役のことを話しても、僕が楽屋風呂がこはれてゝ困るて話してもちっとも受けつけない。ちっとも愉快にならず。


七月二十七日(金曜)

 座へ来ると、渡辺が次の「新婚旅行」の役が嫌だとモメてゐる、結局ふり代へておさまったが、何しろ配役を川口が自分の考へばかりで、定めちまふからミスキャストが尽きないのである。ひるの部終って、渡辺が親子丼を食ってるんで、会田に「ミツバ抜きで」と命じたら、ミツバが入って来ちまった、会田が言ふのを忘れたと言ふ、腹が立ったがもう一つ改めて言はせる、今度は向ふが間違へてミツバを入れて来た、之は大辻が引受けて食った、「バカ!」もう腹の立つことしきり。結局大阪ずしで胡麻化す。夜、みやこで代役した連中を奢る。


七月二十八日(土曜)

 


七月二十九日(日曜)

 昨夜から本格的に暑くなって来たから、お客は正直、海へとられて此の日曜は、昨日より悪い位。いろ/\腹の立つこと多く、汗流しつゝ全く不機嫌である。要するに川口の支配下にある「笑の王国」は意味なしといふことになるのだ。次の転期への準備である。一回終って、卵をかけて飯を食ひ、コブ茶をのみ、ミルクコーヒーをのんで、吸入をかける。夜の部の「次郎長」に至って又々声嗄れ、全く苦しくなってしまった。ハネ後、三階で「弥次喜多」の稽古をする。全く声出ず、くさる。
 今日、川口全然顔を見せず。


七月三十日(月曜)

 アダリン三錠のんだのでグッスリ眠れたが、声はいけない。とてもやれさうもない状態なので、中根に次郎長の方だけ代って貰ふことゝした。「海と与太者」の方だけ演る。もういろ/\くさりがあるから全く投げた芝居をする。投げた後は気持が悪いことは分ってるが、投げたい気持になることはあるもの。夜の部も「次郎長」は出なかった。ハネ後、音楽合せで総員残り、一時になった。


七月三十一日(火曜)

 午前中、山王ホテルへ池永浩久に逢ひに行く。J・Oトーキーで、九月頃何うだといふやうな話。三益が川口に何か又くだらぬことを言はれたらしい。川口が三益に自分を売り込み、僕から離さうとするやうなことを言ったらしいので、腹が立って/\もう顔がホてって来た。川口を呼ばせて、「何をつまらぬことを三益に言ふのです」とキツ問した、答によっては、許さぬつもりだったが、川口て奴は全く敵はない奴だ、脚本配役、僕に全部任せることゝ、値上についても、何とかするから何卒まあ辛抱せよといふことで、結局又丸め込まれた形だった。九時、「海・山・東京」の舞台稽古にかゝって驚いた。装置は松竹座の村上なんだが、手を抜いちまって、まるで画が描いてない。之が、背景に頼ったものだけにもう演出も気を抜いちまった。次が「弥次喜多」。静御前に扮し、吉野山の一席は先づ自分乍らアサマシヤと思った。何と、稽古終ったのが午前二時。「弥次喜多」稽古中、菊田又例のカンシャクを起し、台本を以て、女の子の頭をポカ/\なぐった。弱ったものだ。すぐ帰ってねる。
[#改段]

昭和九年八月



八月一日(水曜)

 初日松竹座。客席を覗くと大満員だ。今日が又大変な涼しさなので先づ恵まれた。何しろ五本の出物が皆一時間以上なので、「海・山・東京」が開いたのはもう夕方だ。何しろバックに頼ったのが駄目になったので、気乗りせず。声帯模写はまだ声が治り切らないので源之助と大辻だけやる、之は受けた。「弥次喜多」は、芝居のとこまで大受け。あとはダレである。「弥次喜多」が終ったのが六時半近い。夜の部は一、二、三でトリ。四と五のわれらはもう帰れる。金龍の事務所で川口と話し、一人でマーブルへ寄り定食とスパゲティ食って帰る。


八月二日(木曜)

 今日二日目、十時あき。松竹座は楽屋も天井が高くて住心地ぐっとよろし。「海・山・東京」は、声色屋受けるが、まだ調子が出なくて具合がわるい。「弥次喜多」は、初日よりグッと落ちた。大辻・横尾と来たらアガっちまって何するか分らない、くさる。蒲田から来た、島田・押本が又見てられない。ひる終って入浴。インキンと、又少しオデキが出来かゝって弱る。金龍の事務所で狂言のプラン。大分前に常盤座で出した「かごや大納言」を、先頃出た「めをと大学」を前にくっつけて五に据へ、四はヴァラエティー、三には「結婚適齢記」と定まる。大辻には「あるぷす大将」を出させる。


八月三日(金曜)

 声具合悪し、今日は「海・山・東京」の声色のとこをカットした。「弥次喜多」つく/″\又憂鬱。大辻って奴はまるきりセリフが分らない、それに一人で受けよう/\とあせる。こんな奴と年中つきあってたら人気が落ちてしまふ。全く、くさった。ひる終って、常盤の洋弁と、福仙のサツマアゲ等食堂で食ひ、ねころぶ。大西、勤務中床屋へ行く。何うして此うバカばかり揃ふか、非常識漢多きかを嘆く。


八月四日(土曜)

  Fashions of 1934 


八月五日(日曜)

 


八月六日(月曜)

 


八月七日(火曜)

 


八月八日(水曜)

 鹿


八月九日(木曜)

 


八月十日(金曜)

 暑さ、いくらかよろし。座へ出て、少し早いので森永でコゝアをのむ。「弥次喜多」相変らず大辻を困ったものと思ひつゝ演る。ひる済んで、中華丼食ひ、旬報の、五日に書いたのを又三枚足して書直す。夜の部終って入浴。三階で「結婚適齢記」の立稽古あり。僕の役は大阪弁で、よくはないがまあ儲け役。済んで、階段下りて来ると、先日芸妓に売られそこなった渡辺の弟子三井銀子がゐて、話をきくと可哀さう、何とかしてやらうと話す。


八月十一日(土曜)

 調


八月十二日(日曜)

 


八月十三日(月曜)

 


八月十四日(火曜)

 十一時から稽古だが、かなり早く浅草迄来てしまひ、大勝館へ入る、「夜間飛行」の後半、オールスターキャストだ、ジョンバリが肥ったのは驚く。マーナ・ロイも見違へるばかりの肥り方だ。一時半座へ来て、「結婚適齢記」の準備、之が又三時頃からで終って六時すぎ。九時になって漸く「かごや大納言」が始まる、十九景といふ大作で、鬘は重いし、昨夜の睡眠不足もあって全く辛し。フラ/\しながらやる汗の化物。終ったのが一時、くた/\のくた。これ毎日やらされたら何うなるんや!


八月十五日(水曜)

 宿


八月十六日(木曜)

 二日目、今日から三を間へ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)むので、「かごや」からである。今日から四景ばかりカットしたので昨日より大分らくである。夏場は白塗りや殿様はつく/″\やるもんじゃない、扇も使へず汗も拭けないのはたまらない。入浴して、ねころび、カシオペアのランチを食って、さて又ねころぶ。夜は「かごや」一本だから楽なやうなものゝ全く此の汗は泣ける。堀井夫妻・菊田・鏑木等と銀座へ出る、オデオンへ行ったら、放送局の小林徳次郎に逢ひ、「金色」放送の話から、放送用の僕のプランいろ/\話すと、ぜひやって呉れと言ふ。


八月十七日(金曜)

 You can not buy Everything


八月十八日(土曜)

 調
 


八月十九日(日曜)

 


八月二十日(月曜)

 便


八月二十一日(火曜)

 廿


八月二十二日(水曜)

 便西


八月二十三日(木曜)

 調


八月二十四日(金曜)

 宿


八月二十五日(土曜)

 


八月二十六日(日曜)

 


八月二十七日(月曜)

 30


八月二十八日(火曜)

 西


八月二十九日(水曜)

 西


八月三十日(木曜)

 西


八月三十一日(金曜)

 鹿





九月一日(土曜)

 西鹿


九月二日(日曜)

 もう之がほんとの涼しさか知ら? レンコート着て出る。日曜だから、一時すぎに、もう表は客を止めてゐる。「次男坊」相当受ける、大新派だけにくさくやればくさくやる程いゝらしい。一回終って、涼しさを味はひつゝ菊田と森永へ行き食事。座へ帰ると、友田来てゐて、旬報十五周年号が出来たと見せる。九時前に体があいたので、生駒・渡辺と一緒に、エノケンを松竹座へ見に行く。「インチキ太閤記」を半分ばかり見る。やっぱりよくやってゐる。友田・鈴木桂介・山下三郎とでみや古へ。本日の上り、松竹座三五〇〇・金龍二七〇〇の由。


九月三日(月曜)

 調調


九月四日(火曜)

 It happend one night


九月五日(水曜)

 午前九時に起きて、メトロの試写室へ、“Men in white”の試写を見る。苦しい重い圧力のあるストーリー、全くストーリー本位で、監督の影も薄い。だが、クラーク・ゲイブルって役者はいゝ役者だ。テーマに押された後、パッとしたくなり、マーブルへ行き、定食とスパゲティを食ふ。座へ来て、次のヴァラエティーの本を書く。「笑の王国ニュースレヴィウ」。ひるの部、声全くいかん、又禁酒しようと思ふ。徳川夢声妻、死去、去月三十一日、もう葬式も済んだ由、今夜皆で顔を出すことにした。大阪屋のハヤシライスとトースト。ハネ後、荻窪まで急行する。


九月六日(木曜)

 十一時までねた。今日も早く出たから何か見ようと、常盤座の蒲田トーキー「新婚旅行」を少し見た、小桜葉子を高く買ふ。座へ出る。声又々いかん、くさり演。大辻セリフをトチって、こっちのせいにしようとする、舞台じゃ負けてゐられない食ってかゝってやる。ひる終って、松竹座のエノケン「世界与太者全集」のおしまひの方見る、感心するとこはなし。大勝館でチャプリンの古典、エッサネイ頃の「伯爵」って奴、チャプリンは十何年前にエノケンをやってゐた。その映画の中でスパゲティを食ふとこで急に気がつき、マーブルへ急行、ポタアジュとスパと犢を食った。座へ帰って「次男」やり、鏑木・森八等と銀座へ出る。


九月七日(金曜)

 


九月八日(土曜)

 退


九月九日(日曜)

 
 


九月十日(月曜)

 


九月十一日(火曜)

 稿


九月十二日(水曜)

 調退


九月十三日(木曜)

 Murder at the Vanities10


九月十四日(金曜)

  退


九月十五日(土曜)

 退Wonder Bar


九月十六日(日曜)

 


九月十七日(月曜)

  退


九月十八日(火曜)

 退


九月十九日(水曜)

 


九月二十日(木曜)

 
 


九月二十一日(金曜)

  


九月二十二日(土曜)

 宿退


九月二十三日(日曜)

 西
 


九月二十四日(月曜)

 


九月二十五日(火曜)

 座へ早目に出る、と、渡辺病気休演とある。やれ/\昨日の問題がとう/\彼をして此う出さしめたか。今迄の僕の絶対の好意に対して此ういふ礼を欠いたやり方をするならよし! と思った。此処二三日千秋楽まで休んで、次の初日から出る気だらう、さうなったらこっちがおさまらぬぞ。ひるの部、「ニュース」の方は大辻、「旗本」の方は、鈴木桂介に代らせる。この桂介の珍演には舞台で吹き通しだった。東宝の樋口来り、みやこの奥で逢ひ、話す。樋口は今度は東宝小劇場の主任になった由。小林さんと逢ふ話等して別れる。夜済んで、表三階で「ガラマサ」の立稽古と、「海賊」の読合せと立つゞけにやって一時すぎた。


九月二十六日(水曜)

 


九月二十七日(木曜)

 調


九月二十八日(金曜)

 調鹿調


九月二十九日(土曜)

 60


九月三十日(日曜)

 歿調60駿





十月一日(月曜)

 Tarzan and his mate宿使宿


十月二日(火曜)

 ひるから相当入りよろし。「ガラマサ」済むと、まだ一時だ。エノケン見物に、松竹座へ行く。「武家商法」といふ、落語レヴィウと銘打ったもの、和田五雄作、愚や及ぶべからざるムザン物。エノケンも労して効なし。次のライトコンサート「ポピュラーソング」は、まだいゝが、菊谷栄作、連続レヴィウの二、世界与太者全集の中ロシア篇「イワンとペーペル」極めてつまらず、菊谷といふ作者も、此ういふものになるとまるでダメ。レヴィウながら歌貧弱、振付鹿島光滋ゼロで、エノケンも活躍の余地無し。夜の部「ガラマサ」幕の内外、評判よろし。すんでから、大庭を連れてオペラ館をのぞく。此処は又別天地だ、「――チャン/\/\」「何チャン」のかけ声頗る盛、中々満員。みや古へ寄る。


十月三日(水曜)

 Little Women


十月四日(木曜)

 


十月五日(金曜)

 


十月六日(土曜)

 調西I Was a Spy
 


十月七日(日曜)

 1010


十月八日(月曜)

 
 


十月九日(火曜)

 使


十月十日(水曜)

 西使 


十月十一日(木曜)

 調


十月十二日(金曜)

 


十月十三日(土曜)

 


十月十四日(日曜)

 調


十月十五日(月曜)

 九時起き、帝劇へ東和商事の試写会「今宵こそは」を見に行く。ジャンキープラといふ本格歌手を生かした、音楽映画だが、何うも買へない。第一に下司だ、アレンヂも、脚色もいかん。すむとすぐ座へ。入りがよくない。昨夕の毎夕に、古川緑波・生駒雷遊、恋の争奪って見出しで、スキャンダルが出てる。全然意味なく二枚目になってるとこが受けた。が、いやな感じ。川口も毎夕で神田の件、さんざんにやられてるのでくさってた。そして曰く、「お互に自重しませうな」と。苦笑ものだ。夜熱七度四分半となる。反対療法してみるつもりで、みや古でウイスキーをのむ。


十月十六日(火曜)

 4035


十月十七日(水曜)

 鹿1535


十月十八日(木曜)

 


十月十九日(金曜)

 西


十月二十日(土曜)

 


十月二十一日(日曜)

 


十月二十二日(月曜)

 昨夜の夢で霊感を得たロッパ節は、これだけで立派に一代の芸術家になれるものだといふ気がする。「弥次喜多」「サトウハチローの失恋大福帳」など、すぐにかゝってみたいと思ふ。座へ出る、会田が又休み、此う休まれると嫌になる。鏑木も夕方漸く出て来た。貧乏でたのしみ少し。毎日十円位宛表から借りる始末。とんかつ喜太八から串を買って食ふ。大辻司郎明後日出発、外遊と言って来る。小学校の友畑郁三郎「莨」って雑誌の原稿を依頼に来る。夜、佐藤節・山野とみやこ。酔って向島の梅島のうちをたゝいたが、留守。


十月二十三日(火曜)

 


十月二十四日(水曜)

 


十月二十五日(木曜)

 座へ出ると、サトウロクローが今日は中耳炎のやうな具合で休むと言って来た由、「二つのネクタイ」は斉藤紫香が代役した。「青春」の少し前、青い顔してロクロー来り、「オヤヂ打ちどこが悪かったよ」と、耳をおさへてゐる。さう言はれてみればしようのないこと、そいつぁ悪かったなと言ふ。次の配役。常盤座へ移って十一月一日からの分。僕は「凸凹ロマンス」の一役と、「世直し大明神」は、ド三枚目を一つ貰ふ。かくて夜まで食事の間もなく腹ペコで演ず、女形で大向ふが「水谷八重子そっくり」のかけ声には気をよくした。次狂言の序幕が、警視庁の役人の道楽劇で、序幕につかまりの連中くさり。


十月二十六日(金曜)

 西


十月二十七日(土曜)

 鹿宿


十月二十八日(日曜)

 稿婿


十月二十九日(月曜)

 


十月三十日(火曜)

 


十月三十一日(水曜)

 





十一月一日(木曜)

 調


十一月二日(金曜)

 40調


十一月三日(土曜)

 


十一月四日(日曜)

 30


十一月五日(月曜)

 


十一月六日(火曜)

 座へ出ると、間もなく「凸凹」だ、随分長く演ったものだけど、之は倦きない、何しろ受けるから。「世直し」の方はダレて来る。受けるのだが、自分として、あんまり面白くもない。今日こそ「週刊朝日」を書かうと思ってたんだが、根気がなくなり、電話であやまらしてしまひ、訪れた、藤原義江の支配人長尾克と松喜へ肉を食ひに行く。それから帝国ホテルへ聖橋の女学校の会てのへ。夜の部終って、昨日の問題以後気になってるので、中根・斎藤・青木・生駒をかもめに招いて、話をきく。クビ問題から段々と、文芸部がオヤかってるから大いに僕もしまってオヤかるから――と又色々ホヨ話などする。


十一月七日(水曜)

 歿


十一月八日(木曜)

 調鹿


十一月九日(金曜)

 


十一月十日(土曜)

 稿


十一月十一日(日曜)

 日曜だから早く出る。大した入りではない。今日は山野一郎休演、しょうがないので今日は両方渡辺がやる。「凸凹」も「世直し」も、これで元へ戻った。やっぱり、役者が違ふ。ひるの部終って地下室の売店へ、しるこやおいなりさん、うんと食って十七銭。プロの投書は予期したより沢山来たが、初日二日あたりに見たといふ投書はムチモーマイが多く、段々とよくなって来るのは不しぎだ。夜の部は大分入りよし。ハネ後、「フーピー」の稽古だ。立ってみるとバカ/″\しくてとても出来ない、之は返す気だ。声を悪くしたのが八月の十五日、それから、十月一杯、ずーっとやりっ放しだったが、十一月一日から、すっかり治ってしまった、之は或意味で、ふっ切ったやうでもある、地声が確かに太くなった。声帯模写は相変らず、チャンと出来る。


十一月十二日(月曜)

 
 


十一月十三日(火曜)

 


十一月十四日(水曜)

 今日は舞台げい古、「忠臣」にかゝったのが二時頃で、これが又トン/\と行かず、去年四月初演当時と同じやうに、台本が完備してないためにいろ/\支障あり、勘平の終ったのがもう七時近く。で、東宝の「ヂャブヂャブコント」を見に、堀井・川村と鏑木を連れて行く、まるで入りがない。二十七景は何としても長すぎた。幻燈使ったのや二三いゝ演出があったが、寸劇風のもの皆いけず、凡作だ。太田屋へ寄ってすきやきを食ふ。十二時頃座へ帰り、歌をやり、一時すぎ帰る。


十一月十五日(木曜)

 


十一月十六日(金曜)

 稿


十一月十七日(土曜)

 昨夜書いた「坊ちゃん」を鏑木に放送局へ持たしてやる。九時に起きて、大阪ビルのパラマウントへ「クレオパトラ」の試写見に行く。次の替りは、僕のクレオパトラと定ったので、菊田・堀井・川村・貴島とで見る。デミルはやっぱり、大物をやっても小味にまとめるところが偉い。クレオパトラの現代訳だ。終って、マーブルへ四人を連れて行って、スパゲティを食はせる。座へ出ると、とっくに届いてる筈の放送局から台本の催促しきりだ。鏑木、省線の中へ忘れて、東神奈川まで取りに行ったのだと、呆れたものだ、何うして此う皆仕事を大切に思はないのか情けなくなる。ひる終ると山縣七郎来り、ポンチ軒へ、カツとシチュー。紅屋で菓子を食って座へ戻る。夜終ってまっすぐ。


十一月十八日(日曜)

 


十一月十九日(月曜)

 宿※(「弓+享」、第3水準1-84-22)


十一月二十日(火曜)

 


十一月二十一日(水曜)

 便西


十一月二十二日(木曜)

 今日は放送のため狂言順を入れかへ、「忠臣蔵」を三に据へたので早く出る。勘平ます/\不機嫌、早く「クレオパトラ」をやりたい。サトウロクローの名、今日の都に新宿歌舞伎座出演と出てゐる、又、斉藤紫香にもさそひをかけたりしたことがハッキリした以上、早く処置したい。ひる終ると山一・桂介を連れて森永で食事。夜の「忠臣」すませると朝日講堂へかけつけ、明大ハモニカの会で一席やり、放送局へ急ぎ、八時四十五分からラヂオ小説「坊ちゃん」をやる。わりにトン/\と行き、メリハリにも独自の境を示したつもり、急拵への音楽もキチンとはまって出来はよかったつもりだ。山からまっすぐ。


十一月二十三日(金曜)

 新嘗祭で早い。入り相当よし。クサリ演で「忠臣蔵」を終ると、銀座へ出た。千吉で、すき焼を食ふ、やっぱりうまくはない。座へ帰ると、梅島昇が又酔っぱらって「やあ古川緑波ゐた/\」と、部屋へ来た。それから客席へ廻ったらしく、道行の時しきりに声がかゝった。済んで入浴したところへ、すしや横町の久の家てふ座敷天ぷらにゐるからと、梅島から迎へで、行った。日本酒は苦手だが大分飲み、天ぷら中々いけるので大分食ひ、梅島と又芸談数刻、花柳と喧嘩してるらしいのはいかん、と言ったら、僕が間へ入るなら逢ってもいゝと言ふ。よく念を押すと、大丈夫だとしきりに言ってゐた。


十一月二十四日(土曜)

 


十一月二十五日(日曜)

 鹿30


十一月二十六日(月曜)

 2030


十一月二十七日(火曜)

 宿


十一月二十八日(水曜)

 鹿


十一月二十九日(木曜)

 ひる終って入浴、部屋で「自然解」を読みつゝ大西に揉ませる。山野からの手紙に対し、いろ/\考へ今夜にも暇あらば話してやる気。大阪屋のシチュウとトースト。ふとそんな気になってツナシマへ理髪に行く。チャキ/\といふはさみの音をきゝ乍ら、うと/\眠った。座へ帰り、くさりの勘平のらくだ。道行はいつもの通りだが、六段目では、狸角を渡辺篤が買って出て、与市兵衛の屍にわざ/″\桃色のサックをふくらましてキン玉まで造ってかついで来る。こっちは腹へ、ヘソを口にして舌を赤でかき、足の裏へも顔をかいて出て、しきりに笑はせるので、めちゃくちゃになっちまった。済んでから日記、又揉ませる。


十一月三十日(金曜)

 宿宿50





十二月一日(土曜)

 今朝十時起き。「女夫鎹」だけはうす/\入ったが「クレオパトラ」は行く道の円タクの中で覚える始末。三の「女夫鎹」が開く。長谷川伸の涙をさそふセリフは、口にする時涙がわい/\出て、いゝ心持だ。先づ、気をよくした。評判もいゝ筈。「クレオパトラ」は全然くさり、僕が女になっちまふので客は笑はない、作者がドラマツルギを知らないから、てんで役どこてものが分ってないので此うなる。作者等部屋へ来て、何うしよう/\とさわいでるが、土台書けてない脚本じゃ芝居は出来ない。ハネが十時。


十二月二日(日曜)

 調


十二月三日(月曜)

 調


十二月四日(火曜)

 


十二月五日(水曜)

 雪が降った。朝はあがったが、稍々白し。座へ出ると、「三益がチゝキトクの電報で帰阪したので休み」とある、実は中野が御乱行とかで泣いたり、ヤケ酒のんだりしてたさうで、そのための偽電だらうとの説、イヤハヤ女子と小人養ひがたし、折角ハコに入って来た「女夫鎹」が今日は正木代役、之も役どこは嵌ってたが、三益程のモダニズムに欠けてゐるのでさっぱり。ひる終って家から持参の茸飯を、豚汁とって食った。夜の部、正木も少し手に入って来たが、三益の方がやっぱりいゝ。「クレオ」は今日寒さ身に浸みた。幕切の馬鹿々々しさ、やってゝも実にいやだ。ハネて入浴し、誰か一杯飲ましてやらうと思って探したが鈴木桂介しかゐず、甲子郎で意味なくのむ。


十二月六日(木曜)

 


十二月七日(金曜)

 
 


十二月八日(土曜)

 


十二月九日(日曜)

 昨夜はのまず。鏑木、診断書をよこして曰く、もう十日位休みと。座へ出る、「女夫」は日曜の客向きじゃないとみえ、ワッとは来ない。「クレオ」でくさって、ひる終ると配役。次週は「坊ちゃん」とヴァラエティだけに出る。夜の部終ったら六代目見に行くことゝして、「クレオ」を走ることゝする。東劇へかけつけると丁度「金子市之丞」の前の幕間。二幕六場、まる/\見られた、六代目三役早替り、結局凝っては思案といふ感じ。「くらやみの丑松」の方がずっとよかった。渡辺篤とのむ。


十二月十日(月曜)

 使稿使


十二月十一日(火曜)

 宿


十二月十二日(水曜)

 


十二月十三日(木曜)

 


十二月十四日(金曜)

 Hollywood Party
 


十二月十五日(土曜)

 二日目、出がけに軍人会館へ寄る、横浜の女学校の会で一席。トップで客がザワ/″\入って来る時は全くやりにくい。座へ出て、ひるの部、「坊ちゃん」も大丈夫。ひる終って外出せず、部屋で、正月のヴァラエティーの案を練ったり、ねころんで揉ませたり、そのうちとろ/\と眠った。夜の部、「坊ちゃん」のウケ方てものは大したものである。之は、やってゝも楽だし、当り狂言の一つであらう。ハネて入浴し、大庭を連れて森永へ。


十二月十六日(日曜)

 


十二月十七日(月曜)

 調


十二月十八日(火曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)


十二月十九日(水曜)

 鹿


十二月二十日(木曜)

 


十二月二十一日(金曜)

 Son of King Kong西


十二月二十二日(土曜)

 西
 


十二月二十三日(日曜)

 西


十二月二十四日(月曜)

 


十二月二十五日(火曜)

 


十二月二十六日(水曜)

 宿稿


十二月二十七日(木曜)

 


十二月二十八日(金曜)

 調160


十二月二十九日(土曜)

 稿


十二月三十日(日曜)

(なし)


十二月三十一日(月曜)

 使






 

 

 

 ()

 ※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)

 






︿ 
   200719210
5-86


20111223

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