古川ロッパ昭和日記

昭和十一年

古川緑波




前年記



 
 
 
  
 
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昭和十一年一月



一月一日(水曜)

 
 宿宿宿
 


一月二日(木曜)

 調宿


一月三日(金曜)

 宿


一月四日(土曜)

 今日は実に神経を使った。昼の部の「弥次喜多」で廻り舞台のモーターがこはれて廻らなくなり、暗転がやたらにのびる。大道具が素人ばかりなのでガタンピシン大きな音をたてるし、もう一々世話がやける。漸く昼が終ると、土地の親分が来て、たってのたのみで、意味なき奴らの前で、一席喋らされ、くさってすぐ戻り、デリケッセンで食事し、楽屋へ入ると、秦豊吉から「ニチゲキノキヤクホンドウナツタ」と電報、人の気も知らないで、畜生何言ってる。今日も昼夜共満員なり。咽喉本当の調子が出て来た。


一月五日(日曜)

 昨夜は宿で麻雀したので四時近くねた。朝食、グジの味噌漬など。今日も昼夜売切れ。吉岡専務来京、「ターキーの南座は満員にならないさうだ、こっちはいゝね」とホク/\だ、日劇の脚本は、八日一杯位に書き上げてしまふと約束する。毎日々々頭の中をそれが往来してゐてとても辛い。「ガラマサ」で、火鉢に火箸が無くて、芝居が出来ず、小道具にカス。毎日決してエラー無しのことがない、いやんなる。楽屋中風邪ひき大流行り。一回の終りに十五銭のむしずしを食った。ハネ後、をきなで、すきやきを食ふ。徳山・岸井と、三月の芝居の話に花を咲かした。


一月六日(月曜)

 西調


一月七日(火曜)

 宿調調宿
 宿


一月八日(水曜)

 調稿


一月九日(木曜)

 昨夜はそれでも十枚ばかり書いた、ねたのは四時近い、今夜徹宵で書き上げる気だ。十一時に起きる、トーストとハムエグスをとり、すぐ出かける。座は今日も昼夜満員、千秋楽迄売切ったらしい。一回終りに菊池氏にきいた祇園の十二段家って料理屋へ行く。一人で鴨なべ、鯛さしみ、白出し、鴨ロースに幕の内と、たんのうする程食った。今日、轟と島、二人の踊り子丸トチリしたので楽屋へ一時間立たせろと言っておく。徳山・三益・岸井と四人で四海楼の支那料理食って、ホテルへ帰り、今一時近く、之より仕事。


一月十日(金曜)

 昨夜、ベッドの傍へ机をよせて、日劇用の脚本を書き出した、辛いと思った、二回芝居をやりながら――それも健康状態でない時なんぞ、やっぱりスラ/\と書けない、隣室に橋本啓一が寝てゐて出来次第東京へ持って帰らうといふのだが、ついに音をあげちまひ、橋本の室へ行き、書けないから、「女優と詩人」でもやることにしようと話し、五時にねた。十二時に起き、グリルへ下りて食事し、座へ出る。今日も昼夜満員、全く売切。調子は又いけない。耳鼻科の亀谷といふ医者に往診して貰ふ。夜は、きん鍋て家へ、松竹少女歌劇の連中などゝ行った。ウイスキー初のみ。


一月十一日(土曜)

 昨夜ウイスキーをのんだが、咽喉さほど悪い状態ではない、きこえる程度には行く。グリルで朝食、ポタージュにフライと玉子のグラタン、それにオレンヂ・ジュースをふんだんに飲んだ。座へ出る、昼の部満員だが、何うもダレちまった。一回終ると、ビクターの招待でちもとへ一寸顔を出す、間に、昨日の医者来た。ホテルの洋食弁当を食べた。夜の部、長尾新輔や中学同窓の岡村・川野来訪、「ガラマサ」ハリ切ってやった。今夜はホテルで、ゆっくりしたいと思ってゐたが、J・Oトーキーの池永浩久・大沢両氏の招待で、木屋町の玉房へ。帰りに舞妓など連れて、三養軒へ行き、色々食ふ。日劇「大番頭」にしないかとの電報、よからうと言ってやる。


一月十二日(日曜)

 
 調
 調使 


一月十三日(月曜)

 
 
 


一月十四日(火曜)

 スチームがカチャン/\と音を立てるので三時すぎ迄ねられなかった。十二時に起きる。東京から川島順平が来たので、下の食堂で「大番頭小番頭」日劇アトラクションの準備。そこへ昨夜の小尾老人が迎へに来り、河文といふ料亭へ。名古屋新聞の森一兵・井口等を招いての会食、皆小尾老人の骨折、料理は関西とも関東ともつかず、つまり名古屋式か。あんまりうまくはなし。帰りに大毎支局へ挨拶に寄る。当地では他の各新聞とは喧嘩してゝ挨拶に廻る必要なき由。ホテルへ帰ると、P・C・Lの岡田敬・佐々木能理男が、「弥次喜多」撮影の打合せに来てた。座へ出ると、夜一回だが、凡そ大満員で、補助椅子も出て、ギッシリ。声は昨日よりは少々いゝ。然しよく受ける。「弥次喜多」は、岸井を休ませ、九重が代役、ハリ切ってやってゐるが、これはぐっとつまらなくなってゐる。岸井はウンスー言って、ホテルでねてゐる、何うも大げさで我まゝで好意が持てない。ハネると、小尾老人が又来て呉れて、入江町のやよひといふ家へ連れてってくれた、酒のまず、かしわのすきやき、きしめんに、ぜんざい。一時すぎ辞してホテルで吸入。徳山と又話し込んで、ねたのは三時。
 京都ホテルのモダンで、事務的な感じにひきかへて、名古屋ホテルは古風で非事務的だ。廊下や階段は大した時代物で、徳山が「何うも連れ込みの感じだネ」と、全く少々その気あり。


一月十五日(水曜)

 調


一月十六日(木曜)

 十二時起きる。徳山と一緒にアラスカで食事。昼の部は、小尾老人の骨折で廓連、盛栄連の連中あり、賑か。尤も満員にはならない、名古屋って昼の利かないとこださうで、これなら上の上って入りださうだ。調子昨日より稍々楽だった。一回終ると又、徳山とアラスカへ、徳山は美食したことがないので、あんまりうまいもの食ふと酔ふさうだ。夜の部は大満員、義太夫の時、声が大分出た、出るといつもの倍受けた、だから調子やってるのは辛いてんだ。


一月十七日(金曜)

 調
 


一月十八日(土曜)

 調調
 調調調


一月十九日(日曜)

 
 


一月二十日(月曜)

 


一月二十一日(火曜)

 
 


一月二十二日(水曜)

 西


一月二十三日(木曜)

 Music Land


一月二十四日(金曜)

 


一月二十五日(土曜)

 
 


一月二十六日(日曜)

 昨夜麻雀の支度が出来たのが十一時。溪流の音のきこへるところでテーブルを前にした時は、わく/\する程嬉しかった。久しぶりで、夜明し。いくら負けてもタマのことなり、それもよし/\といふ気持。午前十一時に、床へ入り、一時迄ねると、それッと又始まる。つひに終日今日も麻雀で明し、夕食を食ひ、之より又明朝迄やり、明日は熱海へ向ひ、勉強する予定。夜の三時迄やってるうち一万七千も負けた、もうやめよう/\と風呂へ入ってねた、アンマをよんで。


一月二十七日(月曜)

 二十何時間も打通しに麻雀をやり、背中の骨が痛み、爺さんのやうに腰が痛い、昨夜もうやめてくれと弱音を吐いて、風呂に入り、サトリをひらいた、今年からこんな時間潰しは一切やめろとの神の教へに違ひない、こんなにダラシなく二万点近くも負けるってのは。朝、十二時迄ねた。咽喉が痛い。困る。何うして此う弱くなったかな。環翠楼を出たのが二時半。熱海延寿旅館へ。すぐ入浴して、ねる。夜食牛肉すきやき食って又入浴し、又ねる。こゝは静かで充分ねられさうだ。


一月二十八日(火曜)

 鹿寿


一月二十九日(水曜)

 宿


一月三十日(木曜)

 


一月三十一日(金曜)

 
 





二月一日(土曜)

 ()


二月二日(日曜)

 去年は八・十・十二の三ヶ月、歩の悪い月ばかり貰ひ、四月は大丈夫と思ってゐたのが五月迄待てと言はれた。これでは折角人気のついた僕一座が人気を失ふことになる。日劇は本興行にするならば、ハリ切ってやるが。今日は一日それを考へ、結局嘆願書を専務・支配人宛に書いてみた。夜、ラヂオの寄席中継をきく、金語楼がダンゼン他を圧してゐる。十時、新宿ベルハウスでウイをのみ、家へ電話をかけてみたら明日八時より撮影ときいて、のむ元気なくなり、すぐ帰る。


二月三日(月曜)

 宿宿


二月四日(火曜)

 
 鹿


二月五日(水曜)

 
 


二月六日(木曜)

 
 


二月七日(金曜)

 西
 


二月八日(土曜)

 稿宿
 


二月九日(日曜)

 徳山が、僕も鼾は相当なものだ、と言って、昨夜ねたら、さあいけない、プープーと吹いたり、グーグーと言ったり、これですっかりねそびれて弱った。今朝一番手の桂介等は六時から出かけたらしいが、陽が出ないので、僕が起きた十時半にはまだ一カットも撮ってないといふ。到頭三時頃駄目と定ったので、又麻雀を二回。まるで無駄な幾日、気が気ではないがお天気相手じゃ喧嘩にもならない。あゝやれ/\。夕方、罐詰買はして食事し、「オール」に約束の原稿八枚書いた。明日は一番手で六時起きといふことで十二時床につく。


二月十日(月曜)

 60


二月十一日(火曜)

 宿
 宿


二月十二日(水曜)

 宿姿


二月十三日(木曜)

 
 


二月十四日(金曜)

 
 


二月十五日(土曜)

 今日は九時開始と電話があった由、何うせほんとに始まるのは十時すぎだと多寡をくゝって、円タクで砧へ。結局十一時近くセットに入る。日本橋出立の巻で、同時録音で、やり出す。セットの地が砂を敷いてあるのでほこりのひどいことたまったものでなく、含嗽をやたらにやりながらやる。監督が二人ゐて、何っちも別のことを言ふし、土台の脚本が気に入らないので、単に俳優的にのみはり切ってやる。漸く午後十時終り、入浴し、さて之からプレスコで、二三歌をやるってとこで今度は楽師が揉めたとかで又のび、今、十一時、食堂でポツンと待ってる有様。終ったのがもう一時すぎ。
 いやはやもう映画ってものゝやり切れなさには悲鳴以上である。神よこれは何うしたらいゝのでせうか。


二月十六日(日曜)

 10
 


 
 
 


二月十八日(火曜)

 八時に起きる、今日は着くとすぐ開始、セット赤坂並木で、狐火が燃えたり、狐の侍女が出て来たりするところ、トン/\行って、十何カット夕方迄に済んだ。徳山が義理で横浜迄、選挙の応援演説に行かなければならないと気を揉んでゐる。六時半、撮影の合間に徳山は横浜迄すっ飛んだ。暇が出来たので、「モダン日本」の「自伝」のつゞき八九枚書いた。使に渡してホッとした。結局徳山が帰って来たのは十時すぎ、皆大迷惑、おかげで予定のセット一つ残り、二時アダリンのんでねる。


二月十九日(水曜)

 七時半に起きると徳山の迎へで砧へ。然し、徳山が昨日ちゃんとゐて呉れゝば今日の分は済んで、のんびりと寝てゐられたものを、何うも徳山にも時々困らせられる。結局十時すぎ開始、でも十二時半チョン。円タクで徳山とヤング軒へ行き、理髪しながらコクリ/\。ニューグランドへ行き、オルドヴルとポタアジュ(これがとても美味かった)犢脚の煮込、スパゲティ附。満腹して、ビクターへ寄り、中山晋平氏に「東京ちょんきな」を習ふ。もう一二度やればと自信つく。四時半、歌舞伎座へ新派を見に行く。「結婚の条件」よし。


二月二十日(木曜)

 


二月二十一日(金曜)

 鹿


二月二十二日(土曜)

 鹿
 


二月二十三日(日曜)

 便


二月二十四日(月曜)

 稿 西



二月二十五日(火曜)

 昨夜は結局四景を書直して、まあ/\気のすむものとなり、四時近くにそこで止めてねた。十一時迄ねる。P・C・Lへ電話してみると、今日は二時でいゝとの話、二時ってば三時だが、まあ一時すぎハイヤで家を出た。今日から三島の宿だが、やっぱりはかどらず、四時頃から声だけ一寸入れて、夕食して待つこと一二時間、こんな暇に書くといゝんだが、そいつは無理だ、何時呼ばれるかと待ち乍らでは、ストーヴにあたって愚談してるよりない。八時、プレスコで篭の鳥とストトンをやると、それでチョン。馬鹿々々しくって、つく/″\いやになる。九時四谷へ。


二月二十六日(水曜)

 宿宿調


二月二十七日(木曜)

 
    
 


二月二十八日(金曜)

 U+96F1149--3
 宿宿宿


二月二十九日(土曜)

 
 





三月一日(日曜)

 宿


三月二日(月曜)

 


三月三日(火曜)

 


三月四日(水曜)

 


三月五日(木曜)

 十時半に起きて昨日の新国劇見物をノートに書き、伊藤松雄の家へ寄る。二時ハイヤで東宝小劇場へ出る。「さらば」を立つ。藤山も渡辺も熱心だが、セリフは一骨だ。十景全部立つとげんなりした。しばらく休む。五時半から小劇場楽屋で「凸凹放送局」今日は読合せだけ。銀座へ出る。篠原で、靴を買った。それから浅草へ向ふ。みや古で池田一夫のコロムビア映画社入りを祝ふ会があるので、行くと大満員だ、会費の他十円寄附した。生駒が来てオリエントへ行ってウイのみ、橘弘一路や太田黄鳥その他とへんな新券の待合へ一寸一時間ばかりつきあった。P・C・Lより「歌ふ弥次喜多」の出演料追加五百円今日受取る。


三月六日(金曜)

 
 


三月七日(土曜)

 


三月八日(日曜)

 昨夜又のんだ、体の調子は極くいゝが、どうものみすぎるな。注意。もうセリフを覚えなきゃならんし、大切な興行を控へてゐるのだ、注意。十一時半迄ねた。又雪がちら/\。驚いたな。一時から「ガラマサ」を立つ、此れは京・名古屋の配役だから世話なし、二時から「さらば」を立つ、藤山も渡辺も熱心だから少し宛よくなる。八時、藤山等と一緒に「ミュジックアルバム」を見に、東宝劇場へ行く。白井鉄造ならではの、すばらしいものである、あまり技巧沢山で甘さがなくなってゐるのがいけない。帰りに松喜へ寄り牛肉食ふ。こゝはわりにうまし。学生客サインを求めて襲来、何処行っても落つかない。四谷。


三月九日(月曜)

 


三月十日(火曜)

 


三月十一日(水曜)

 


三月十二日(木曜)

 昨日の夜が一寸悪かったので家を出ながらいさゝか心配、日劇へ着いてみると、もう大半満員ときいて一安心。一回目の「凸凹」は、大分受けた。「ガラマサ」は四場からやったので受けない。島公靖っての、装置は全然成ってゐない、しようがないから大改革して、ワリドン前を利用し、夜からは出揃ふやうにした。「さらば」は益々受ける、学生向きらしく学生のセリフ一々受ける。夜もぎっしり満員である。ハネは十時半。ビクターの岡氏見物、新橋房田中で御馳走になる。岡氏「さらば青春」をとてもいゝと賞める。ウイスキー大分のみ、岡・藤山を相手に気焔をあげる。


三月十三日(金曜)

 昨夜つひのみすぎたが声具合よろし、安心。十二時に家を出て、座へ行くと、もう満員である。「凸凹」の石田守衛の踊りの引込みもかたまり、「ガラマサ」も道具を簡略にして、トン/\運ぶやうになったら、ぐっと受け出して、漸く本当になって来た。「さらば」は予期以上受けるし、見た目もスマートだし、自分でもすっかり気に入った。此の方の装置横川信幸はいゝ。夜の部、昨日より又凄く、完全な満員、三階迄人が立ってゐる。樋口、那波と二人で喜んでゐる。これが当らないと顔が潰れた連中だ、彼等のためにも、ほんとによかった。ハネ後入浴し、みや古へのしてのむ。今夜はひかへ目に。
 秦支配人は、此の日劇興行に反対で、何うにかして止めさせたい位の腹でゐたらしいが、それだけに全然楽屋へ顔を見せない。


三月十四日(土曜)

 調
 


三月十五日(日曜)

 
 


三月十六日(月曜)

 調調


三月十七日(火曜)

 今朝は十一時半迄ねたのだが、起きた途端の声は昨日よりいけない位である、いやんなる。一時に出て、座へ。又もや大満員である。何と恵まれたりな此の興行。「凸凹」は井口に代って貰ひ、「ガラマサ」から出る、「只今病院からかけつけました」なんて場内放送しておいて、出る。まるで浪花節の声、義太夫なんぞ自分でもきいたことのないやうな声が出る、然しよく受けた。「さらば」も先生の方は浪花節、片っ方は地声、これが全くひどくてかすれてゝ殆んどきこへなさゝうだ。樋口のすゝめで、まるやのスッポンの血とスープをのむ。部屋でオゾン発生機をかけたり吸入したり色々するが中々さうは治らぬ、夜も苦しい声でやって、ハネるとすぐ帰宅。「モダン日本」自伝の二を、クサリ乍ら書いて、アダリンのんで二時半ねる。


三月十八日(水曜)

 


三月十九日(木曜)

 都新聞の文芸欄に久板栄二郎といふ男の、「演劇と民衆」といふ題で、小見出し「忠臣蔵ロッパ他」といふのが目について読んでみると、丸の内某大劇場を十重廿重にとりかこむ民衆を見ると、国辱的名物だと思ふ、と書いてゐる。腹の立つことしきりである。座へ出る。今日は大分声が出るので、「凸凹」から相つとめる。「ガラマサ」の四景で、石田の顔を見ちゃあ「嫌だねえ」と言ふと、ワッと客に受ける。妙なもんで、客も同感して笑ふらしい。入りは相変らずの大満員。ハネると、海老沢が来てゝ浅草へ誘はれる。もう明日一日だし、さう/\禁酒もしてゐられない。生駒を呼んで、ウイをのむ。


三月二十日(金曜)

 姿


三月二十一日(土曜)

 調40



三月二十二日(日曜)

 宿


三月二十三日(月曜)

 修善寺新井旅館の朝。又芝居の夢を見て寝言を言ひ、眼がさめる。十一時に起きてすぐ入浴する。光琳風呂といふのが古風で、如何にも温泉らしくていゝ。按摩をとる、こゝでは八十銭と言ふ。一円やりたくなる、食事もおうかゞひ式でよろしい。夕方散歩する、怪しき射的屋街あり、カフェーの名前よろし、「夜叉王」と来た。お参りして、宿へ帰り又入浴。東京が少し恋しい。家へ電話したら東宝の橋本から電話ありし由、横浜へ出さうとしてるのではあるまいか。芝居をするのは嬉しいが、横浜はいやだな。


三月二十四日(火曜)

 三時に修善寺を出て、自動車で沼津へ出る。沼津発の準急で、横浜迄。支那街のヘイ珍楼へ行く。うまし。量が多いのでいろ/\食へないのは残念。八宝全鴨や掛炉焼鴨を、次の機会前注文で食はせろと言っとく。円タク拾って帰宅。九時近く。いろ/\用もあることなればじっと家にゐればいゝのだが、又々その車で「笑の王国」へ遊びに行く。生駒や泉天、佐藤節や東を連れてみや古でのむ。旅から帰ると必ず浅草へ来たくなるのは何ういふものか。生駒がやっぱり話面白く、帰宅が三時。何うやら東京を一挙に満喫した感じ。


三月二十五日(水曜)

 


三月二十六日(木曜)

 


三月二十七日(金曜)

 九時半頃眼がさめた、母上と十一時頃出かけて、銀座で本を二三冊買って――何とよき本の少き。フロリダ・キチンで食事をし、新橋を一時の汽車で鎌倉へ。旅行ってことは、読書出来るだけでもいゝに違ない。鎌倉の加藤伯父上の家へ。夕食は、家出来の豚の角煮と、支那料理屋から掛炉焼鴨をとって下さり、げんなりする程たらふく食べた。八時の汽車で、熱海行。延寿旅館へ。柳・大庭等待ってゐた。五月の有楽座のプラン頭の中で色々渦巻く。


三月二十八日(土曜)

 寿寿


三月二十九日(日曜)

 鹿11


三月三十日(月曜)

 


三月三十一日(火曜)

 宿宿





四月一日(水曜)

 十時起き。一時、東宝へ。有楽座は昨日の案通りにやることゝ決定。JOAKから五日にラヂオ風景を、たのみたいと言ふ。本を一と通り読んだ、前川千帆作、ひどいものでお話にならぬ。AK迄行き、北村寿夫に事情を話し、僕は出ず、一座の者だけでやらせることに定めた。日劇ボックスで、「ロイドの牛乳屋」を見る、一寸いゝ。PCLの滝村に逢ひ、「日本の恋人」をやるについて天勝に会はして貰ふこと、借金したきこと等々。友田純一郎・斎藤豊吉来り、銀座裏関西料理錦潟へ行く。腹境の変化、近頃脂っこいものより日本食を求める傾向あり。年であらうか。久々で橘弘一路のとこへ麻雀をやりに行く。面白いのでうか/\と徹宵てことになる。


四月二日(木曜)

 


四月三日(金曜)

 50 鹿


四月四日(土曜)

 


四月五日(日曜)

 西


四月六日(月曜)

 


四月七日(火曜)

 昨夜又意味なくガブ/″\のんだので、今朝は充分にグロッキー、いかん。十一時起き、伊藤松雄訪問、「東京ちょんきな」のヴァラエティ台本を引受けて貰ふ。小劇場けい古場、人の集りが悪く、「さらば」も「凸凹」も碌に出来なかった。小劇場楽屋でアンマをとる。谷幹一の斡センで屋井乾電池の屋井に呼ばれた。どうせ馳走になるならと、注文を出して、日本橋偕楽園の支那料理。これはちとひねりすぎてうまくなかった。サロン春へ廻ったが一向面白くなし。向島へのし、山野等を呼び、大さわぎ。谷幹一人酔ひ、皆にからみ、中々面白し。ねたのが三時。


四月八日(水曜)

 昨夜は大して飲まなかったから今朝は苦しくなかった。一時からけい古である。徳山がけい古場へ遊びに来た。月末に、勝太郎・小林千代子の三人で満洲へ行く由。ビクターへ行く。「東京ちょんきな」のテスト盤きいた、失望した。声が太い、勝太郎の歌ひっぷりとは格段のまづさである。くさっちまった。鈴木静一が「僕のホームラン」の曲が出来たからと、ひいて呉れた。こいつはいゝ、僕に向いてゐると思ふ。この方は一つ、太くない声を出して歌ふ練習をしよう。石田守衛とフロリダキチンで食事して、浅草へ。「笑の王国」の「弥次喜多」のめちゃ/\な皆で楽しく遊んでるやうなのが寧ろよかった。浪花節の音羽座を見た。銀座ルパン。生駒・徳山・佐藤節その他大ぜい、のむ。


四月九日(木曜)

鹿
 


四月十日(金曜)

  


四月十一日(土曜)

 四谷。サトウハチロー作「青春音頭」を読終ってがっかりした。作もつまらないし、歌や音楽のあしらひやうもなし、自分で書く元気が出なくなった。で、旬報へ電話して、友田純一郎を煩はし、菊田にでも書かさうと、七時にランチルームで逢ふことにした。友田に会ふと、菊田より穂積を使って呉れ、責任持ってやらせるからと言ふので、友田の顔を立てることゝした。日劇ボックスで「歌ふ弥次喜多」見物、大した満員ではない、やっぱり地方向なのだらう。ルパンでのむ。女もつまらず、酒もつまらぬ、よき条件の下に仕事をすることこそである。
「さらば青春」P・C・L映画化原作料、五百円と定り、昨日残りの二百円を呉れた。


四月十二日(日曜)

 


四月十三日(月曜)

 宿
 調


四月十四日(火曜)

 名宝初日。
 舞台けい古、済んだのは、朝の六時。ホテルへ帰るとハムエグストースト紅茶。明るくなって、ベッドと来ては大苦手だ、まるでねられず入浴して、「東京ちょんきな」の手入れをしてゐると、川島が「大久保彦左衛門」の本が出来たからと、来り、本読みをして呉れた。ひどく大芝居である、悪い出来ではないがトリには困る感じ。四時、藤山等とアラスカへ。マロボンといふのを食ふ、にはとりのトサカの料理が出た。レタスとパイとコーヒー。座へ出る、初日。大入満員。今日は夜一回。「凸凹ロマンス」久しぶりなので大ハリキリ、熱演大受け。「大番頭」もよく受ける。「さらば青春」も予期以上大受けで安心、此の分なら大丈夫だ。ハネ十一時半。ホテルへ帰り、ウイスキーを一人で。


四月十五日(水曜)

 


四月十六日(木曜)

 調使
 


四月十七日(金曜)

 昨夜又アダリン五つのんで、今朝十一時迄ね通した。十二時、名宝食堂で朝食。調子やりの状態、憂鬱。昼の部が七分近い入りになって来た。いゝ客で、受けるところをチャンと知ってる。気持よく昼の部を終ると、アラスカで夕食。ポークチャップの馬鹿でかい奴を食ってるところへ、JOCKから迎へ。一緒にゐた藤山が、伴奏を引受けて呉れ、JOCKへ行き、六時二十五分から三十分、「歌・歌・歌」ってのを座談的に、うんとくだけてやってみた、藤山もよく伴奏を入れて呉れ、之は又面白い一分野が拓けさうである。座へ帰って夜の部。又、時計屋の貸切のひどい客、全然カンドコを外されるので一同大くさり。ハネてダンスチームの宿、小西旅館へ、藤山と行って夜食し、一時半ホテルへ帰り、吸入。


四月十八日(土曜)

 西宿調


四月十九日(日曜)

 十一時起き。部屋でトースト、ハムエグス紅茶。それから名宝食堂へ行ってコーヒー。今日は日曜で、昼が又貸切。愛知時計店といふのゝ連中、ちっとも手応へがなく、皆ほと/\くさる。一回の終り、又アラスカへ一人で行き、今日は、ポタアジュに、トルネード、椎茸のオムレツ。マロンシャンティリークリーム。座へ帰り、夜の部。声はがさ/″\でくさりであるが、今晩こそ本当の客、補助椅子の出る満員で、ぎっしり、気持よく受ける。そろ/\暑くなり、汗しきりである。藤山の知ってる五月といふ料理店へ行き、鳥なべとおさしみを食ふ。旅てものも、実につまらん。宝塚・京都はまだいゝが、名古屋と来ちゃ全く助からない。東京が恋しい。ホテルへ一時半帰り、吸入する。
 一昨日、小林社長は、大阪へ着いた。さあそろ/\思ふ事が通りさうになって来た。


四月二十日(月曜)

 十時半起き、藤山・三益と三人で富士アイス迄食事しに行く。ベコンエグスとオートミール。ホテルの味気ない生活がつく/″\嫌だ。年のせいか、いろ/\なことがつまらなくなり、仕事のみ面白し。昼の部、五分の入り、お花見日和なので、客もノビてゐるし、舞台もダレた。一回終ると五月の宣伝用写真を撮る。おかげでアラスカへも行けず、弁当とって食ふ。夜の部が又貸切で、ひどい客、子供が芝居最中にエプロンステージを散歩してるのには吹いちまった。いけないことだが、大分ふざけたり手を抜いたりした。ハネ後一引といふおでんやでおでんを食ひ、ダンスチームの宿へ遊びに行き、アンダースタンディングと、人物当てをやって遊び二時に切り上げてホテルへ帰る。
 日本宿もいけないがホテルは沙漠だ。日本宿を松竹にたとへ、ホテルを東宝にたとへようか。茶代廃止のチップ制もいゝが、そこに色気ってものがないと、人間がひからびてしまふ。


四月二十一日(火曜)

 
 宿宿


四月二十二日(水曜)

 
 120


四月二十三日(木曜)

 
 100


四月二十四日(金曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)


四月二十五日(土曜)

 使


四月二十六日(日曜)

 


四月二十七日(月曜)

 


四月二十八日(火曜)

 50


四月二十九日(水曜)

 鹿


四月三十日(木曜)

 





五月一日(金曜)

 


五月二日(土曜)

 


五月三日(日曜)

 


五月四日(月曜)

 


五月五日(火曜)

 一時に社長室へといふ達しがあったので、早目に日劇四階の新装社長室へ行く。集るもの支配人、専務、東宝劇団の幹部連、所が寿美蔵と簑助が十五分遅刻して入って来る、社長「君達は古い習慣で時間を守らなくていかん」と一喝あり。社長の話は、東宝劇団は現状のまゝやる、僕の一座は、東宝ヴァラエティといふ称を廃して単に古川緑波一座でやり、演出家や役者も充実させろとの事、もう一組日劇アトラクション隊と、此の三つでやって行かう、各々の劇団に文芸部長を定めて、そのOKのみで運ぶことにする。とあった。その他、留守中の秦・吉岡のだらしなさを非難し、「緑波に脚本料を払はぬとか、之は間違ってゐる。」など痛快。もう此の人がゐれば大丈夫と思はせた。夕五時、森岩雄とホテル・ニューグリルで会食。連鎖劇の計画する。捕鯨船を扱った、仮題「大洋の寵児」。六時楽屋入り、マダムを終へ、「ちょんきな」済み、「大久保」でくさる。終って、ルパンへ。今日芦原英了の紹介で若き作家佐藤邦夫来る、有望らし。


五月六日(水曜)

 


五月七日(木曜)

 四谷で、社長宛に、一、文芸部総長を坪内士行とし、その麾下に東宝劇団、古川一座、アトラクションの三部長を属せしめよ、古川一座は古川を文芸部長にするよりなし、一、今年はづーっと昼夜二回ばかりで労れてゐるから六月一日からの日劇は僕抜きにしてほしい事等を書く。夕刻出て、座へ。京都の高井再来、マチネーなしにするからと言ふ、そんならとO・Kする。六月十八日より三十日迄京宝と定る。「青春」大受け、「大久保」でくさり。ハネて、伊馬鵜平・斎藤豊吉・穂積純太郎を連れて、浅草みや古。斎藤を文芸部に入れようと思ふ。七・八月のことで相当頭をなやます。二時ねる。


五月八日(金曜)

 


五月九日(土曜)




五月十日(日曜)

 


五月十一日(月曜)

 


五月十二日(火曜)

 


五月十三日(水曜)

 昨夜はのまないので床へ入ってから仕事のことばかり頭に浮び、又眠られなくなって弱った。昨夜、馬鹿に腹が減って、丼を二つもかっ込んだので腹が悪いらし。昼の部、腐演して入浴。松喜へ飯食ひに行く。ヒレしかないので反って並ロースの方がよからうと、食ふ。うまい。タレが松喜第一だ。五時に、会議室へ。専務が一同を集めてよろしくやらうといふ話だけ。僕、専属オーケストラでない迄もコンダクターだけは一人定めてほしいと言った。座へ帰り、夜の部。昼が悪いから夜のやりいゝこと。ハネると慾も得もなく、くたびれちまった、ルパンへ寄り一寸のみ、すしをつまみ帰る。


五月十四日(木曜)

 西


五月十五日(金曜)

 西西使


五月十六日(土曜)

 


五月十七日(日曜)

 


五月十八日(月曜)

 昨夜は二時半にねた。九時起きは、とてもの辛さ。円タク拾って出る。二つともふざける。終ると、ねむくてたまらず、楽屋でねてみたが、電話がうるさくて、起きてしまふ。ホテルのニューグリルへ出かける。オルドヴルに、ポタアジュ――これは相不変不味し。ビフステーキ・シャリアピン。キャビネット・プディング。座へ帰り、夜の部。月曜としては大出来の入り、九分と云ふところ。熱演する。くたびれ。これで漸っと、昼夜興行の中日である。夜、方々から誘はれたが、草臥れてるので、まっすぐ帰る。


五月十九日(火曜)

 雨、四谷より座へ。「中央公論」に杉山平助が僕のことを感じの悪い筆で書いてゐるので不快。そこへ以て来て昨夜、柳が轟のファンを(中学生なので)叱って追いかへしたのへ三益がギャア/″\言ふし、女の子がトチったりとても感じ悪く一回が終った。日劇四階へ。新支配人那波氏と話し、PCL森氏に逢ふ、九月に又撮影になったらしい。渡辺篤の母が死んだといふので花環を送らせる。日劇地下食堂で支那物二三、金ずしですし五つばかり。夜の部今日も八九分。三益・柳とふくれ合って以来、感じ悪し、女子と小人は養ひがたし。ハネ頃、佐藤チャカ来り、ルパンへ行く。のむ程に、さくばく。つまらん。千成ですしをつまむ。


五月二十日(水曜)

 


五月二十一日(木曜)

 


五月二十二日(金曜)

 


五月二十三日(土曜)

 ※(「弓+享」、第3水準1-84-22)


五月二十四日(日曜)

 40


五月二十五日(月曜)

 


五月二十六日(火曜)

 


五月二十七日(水曜)

 10


五月二十八日(木曜)

 宿便
 


五月二十九日(金曜)

 
  


五月三十日(土曜)

 一時起き。四谷の朝。二時頃出て、江戸橋の、オリムピックキチンてのへ行ってみる、まことにまづし、ボーイの大声放談、すべて心持よからず。浅草へ。日本館へ入る。映画の見物記は勉強日記に記すが、アイデアのつまった時は外国映画を見るに限る。雨になったので三十銭の傘を買って、日劇へ。日劇アトラクション「東京ちょんきな」の舞台けい古である。今日は演出だけ故気は楽だ。十二時からマイクを使って演出、先づ一同に五月はダレたが一つ大いにハリキレの訓辞。四時すぎ迄。明日は雨らしい、たのしみにしてゐた豊島園のロッパ運動会は中止らしいな。


五月三十一日(日曜)

 宿





六月一日(月曜)

 鹿


六月二日(火曜)

 調
 


六月三日(水曜)

 


六月四日(木曜)

 今日は何と能率をあげたことか。一時ビクターへ行く。「ハリキリボーイ」の吹込みである、昨日の声より悪いと言はれ、牛乳のんだりして、漸く二時半頃終る。PCLの永見来り、「大洋の寵児」について打合せ、放送局の小林氏来り、十六日は書き卸しをといふ注文、「ハリキリボーイ」と「まんざら悪くない」を入れてオペレットを書く約束した。四時、日劇へ寄って留守中ダレないやう注意して、五時、レインボーへ、東宝新雑誌「エス・エス」の菊池寛氏に芝居をきく座談会へ出席、まづい定食食ひつゝ六時半迄ゐて、本二三求め、七時十分発で修善寺へ向ふ。


六月五日(金曜)

 宿


六月六日(土曜)

 姿姿


六月七日(日曜)

 


六月八日(月曜)

 


六月九日(火曜)

 


六月十日(水曜)

 又早く目がさめる、九時すぎ、床の中で日記の溜ってたのを整理。都の小林勇から電話、十二時ビクターへ。食堂で勇に逢ふ、新宗教に凝ってるさうだが、その話をと言ふ、そりゃ何かの間違ひだよで、話は終り。一時から「まんざら悪くない」の吹込直しをやる、今日のは気分よく行った。三時から陶々亭で「講談雑誌」の座談会、伊藤松雄司会で、市丸・勝太郎・徳山・山野に僕。座談会も此う続くと、いゝネタはない、陶々亭あんまりうまくなし。六時、非凡閣加藤・中野英治とポーカーの約束。パラマント田村の大森の家でやる。十二時四十何分まで、大いに自重してやる、結局僕のヒット、然し大したことでもなし。千成ずしですしをほゝばり、帰宅。


六月十一日(木曜)

 宿


六月十二日(金曜)

 


六月十三日(土曜)

 
 


六月十四日(日曜)

 
 宿()()


六月十五日(月曜)

 運動会の提灯競争に迄若返って加はり、夜はオールドパーを二本、何人かで空けちまったので、さあくたびれたの何のって、四谷で一日ごろっちゃらしてゐた。夕刻四谷を出て、久々晩翠軒で食事、何うもこいつはひどくうまくなかった。夏は支那料理は駄目なのかな。八時半に飛島と逢ひ、ラヂオは七月四日に「大番頭小番頭」をやらうといふことに妥協する、考へれば考へる程腹が立つのだが、泣く子と地頭で我まんする。大丸の内をのぞくと、島村・一木・藤尾等ゐるので、三荘やる。二千プ負けてたのを一回の満槓で取戻す、安く上げた哩。


六月十六日(火曜)

 


六月十七日(水曜)

 西西宿宿


六月十八日(木曜)

 
 宿
 稿


六月十九日(金曜)

 宿
 使


六月二十日(土曜)

 十二時近く起き、朝は宿に命じて冷紅茶とトースト。マチネーで座へ出る。いゝ入りである。結局一ばん喜ぶのは「大番頭」らしい、あっさりしたスマートなものより油っこいものを心がけねばならぬ。一回終り、宿の弁当と、リプトンからトーストサンドをとって食ひ、放送局から二十六日に藤山・三益とで放送するものゝプランを急がれてゐるのでそれを書く。夜の部も大満員、「凸凹」の受け方一と通りでない。然しやっぱり一ばん「大番頭」がやりよかった。ハネて入浴、浴衣がけで、昨夜の鳴瀬へ行き、鳥の足二本食ひ、他いろ/\。昨夜程の感激はなかった。宿へ帰り、堀井・多和・谷と三時迄二荘やる。


六月二十一日(日曜)

 


六月二十二日(月曜)

 宿


六月二十三日(火曜)

 宿


六月二十四日(水曜)

 調宿


六月二十五日(木曜)

 昨夜は水枕のおかげでよくねられた。十一時半起き。明日の放送のコンティユニティーを出せと言はれるので、上山雅輔に速記させ、三十分のものを作った。一時半、大朝の根本といふ人と、ライカのキャメラ氏と三人で、撮影所めぐりをさせられる。下加茂へ行き、高田浩吉・小笠原章二郎等とスナップを撮り、第一映画へ行き、伊藤大輔・水島道代と撮り、日活へ行ったが誰もゐないので、新興へ、鈴木澄子と並び、宿へ帰ると、皆手ぐすねひいて待ってゝ麻雀一回。座は今日も補助椅子満員。ハネ後すぐ宿へ帰り、用がワンサとあるのに又麻雀。今日月給出た、今月より上った。他の座員も申出た分は皆上ったので元気だった。麻雀はつひに午前四時半迄。今夜も成績よかりし。


六月二十六日(金曜)

 朝十一時に起きる、京都放送局へ。十二時五分から藤山・三益と三人で「朗らかなトリオ」を放送する、起き立てなので声がいけなかった。宿へ帰ると、PCLの氷室、「大洋の寵児」のシナリオ持参来洛、一読してまるで狙いが外れてゐるのでくさる、あゝ暇さへあれば、コンティユニティ迄書いてやりたい。注文を出し書直して貰ふことにする。それから「人生学校」又二三枚書いた。一人でアラスカへ。アテチョクなんかの出る豪華オルドヴルに、マロボントースト、ポタアジュに小さい魚肉フライの入ったもの、で満腹しちまふ。座へ出る、今夜も補助椅子が出た。高田浩吉が見物してると皆大さわぎ。川島順平「かごや大納言」の脚本持って来洛、一と通り読む、大丈夫である。宿へ帰ると、二荘、三時半まで。


六月二十七日(土曜)

 宿


六月二十八日(日曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)
 


六月二十九日(月曜)

 昨夜はハネてから一旦宿へ帰り、「人生学校」を何うやら纏めてしまった。十二時半頃からロッパガールスの宿、美登里館といふのへ行く、勝太郎に貰ったもなかを土産に。此の甘泉堂の菓子といふもの中々よろし。宿へ帰り、谷・高井・多和とで夜あかし麻雀。七時半からトロ/\と二時間ねた、起きるとすぐ仕度して、京都駅へ。一同揃って帰京、ねむくて/\、寝台車の方乗ると、グーグー眠る。兵隊さんにねてるのを起してサインさせられたのは腹が立った。十一時四十二分東京着、専務支配人樋口以下揃ってお迎へには恐入った、ルパンでのみ、スコットの洋食三品食ひ、くた/\にねむくなり、帰る。


六月三十日(火曜)

 





七月一日(水曜)

 西宿


七月二日(木曜)

 


七月三日(金曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)


七月四日(土曜)

 807040


七月五日(日曜)

 


七月六日(月曜)

 宿※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)鹿40


七月七日(火曜)

 


七月八日(水曜)

 十二時に雨の中をハイヤで出る。日劇へ行くと、川島の演出では時間がのびるからといふ理由で、僕が、カットしておいた台本で演出する。もう川島って奴には演出はさせまい。一と通り通したが役者の活気が出たし、大丈夫のものになったやうである。それから又々麻雀にひっかゝってしまひ、大丸の内で、チャシウメンやオムライスで安く腹ごしらへし乍ら、しきりにガメって、しきりに負けた。ルパンへ多和・一木を連れて、のむ。ウイスキーものみすぎるし、ちと考へがなさすぎるな、反省。


七月九日(木曜)

 


七月十日(金曜)

 鹿


七月十一日(土曜)

 


七月十二日(日曜)

 


七月十三日(月曜)

  


七月十四日(火曜)

 


七月十五日(水曜)

 調
 
 


七月十六日(木曜)

 


七月十七日(金曜)

 


七月十八日(土曜)

 


七月十九日(日曜)

 鹿


七月二十日(月曜)

 
 調寿


七月二十一日(火曜)

 
 西 西
   


七月二十二日(水曜)

 
 西宿宿


七月二十三日(木曜)

 
 


七月二十四日(金曜)

 


七月二十五日(土曜)

 


七月二十六日(日曜)

 八時起き。伊豆山相模屋の朝、十時五分の汽車で逗子へ向ふ。逗子海岸の森永キャムプストアへ行くのだが、気がきかず迎へが出てゐない、エゝイとばかり人力車へ久々で乗り、養神亭裏まで。ヨットへ乗せられ、女軍水泳の図を日日の写真班がポカ/\撮り、十銭お買上げの方にサイン紙一枚進呈でやたらサインをさせられる、こんな約束じゃなかったのでふくれる。バスで鎌倉山の高島氏の別荘てのへ行く。一行二十名、そこで料理いろ/\出る、大いに食ひ、満腹苦しい程。バスで東京迄、ゆられ/\て、二時間。もう欲にも得にもねむくなり、家途をさして急ぎけり。


七月二十七日(月曜)

 先日来、からだ具合がおかしいので、折笠医院へ寄った、熱を計ってみると、六度八九分ある、少し通へと言はれる、少しと言へば先づ一と月、えゝまゝよ一番じっくり治すか。一時にけい古場へ出る。熱っぽくていやな気持になり、四谷へ帰り、ねる。が、徳山に東劇の少女歌劇の切符を貰ったので、七時半頃から出かけてみた、「夏のをどり」と「忘れな草」と。ターキーの馬鹿な人気には驚いた。未だ曾て、舞台の役者でこんな華かな拍手と歓声に乗って登場したのは見たことがない。


七月二十八日(火曜)

 


七月二十九日(水曜)

 
 


七月三十日(木曜)

 30


七月三十一日(金曜)

 
 





八月一日(土曜)

 有楽座初日。
 十時起き。オリムピック四年後東京に開催とのニュース、新聞に出てる。丁度「東京オリムピック」を出したのはよかった。二階に床しいて、セリフを覚え始める、ねころんでやってるとトロ/\とねむくなり、つひにねちまふ。四時に家を出て、医者へ寄り、座へ。初日、補助椅子ジャン/″\出て、有楽座の初日としては未曽有なり。六時開幕、二「昇給酒合戦」セリフが入ってないので、全くひどかった。帽子と靴がなくて、花道からハダシで出るの醜態を演じた。「オリムピック」は徳山に東京開催の挨拶をさせ大受け。「弥次喜多」は先づ大成功らしく、評判よろし。ハネ十一時半。まるやへ寄る、芦原・佐藤邦夫・堀井・樋口で。のまず。帰って熱を計ると、ちとあるので不快。三時。


八月二日(日曜)

 


八月三日(月曜)

 昨夜の夕立以来、がらりと涼しくなり、寝心地満点、十二時近く迄ねてしまった。岡崎の借家賃滞納の件、結局田中三郎の厄介になるよりなしと今夜有楽座へ来て貰ふことゝする。夕方、医者へ寄り、座へ出る。入口に満員の札。こいつは又々大当りだ、既に補助椅子がワンサと出てゐる。「昇給」は壺がやっと掴めた、要するにハタが悪いので芝居が出来ないのだ。高尾光子はよくやってゐる。「弥次喜多」の声色のところは大した拍手である。やっぱり芝居くさい程僕にはやりいゝ。田中三郎来てその話、大丈夫と引受けて呉れたので一安心する。ルパンへ一寸、金兵衛へ一寸寄り、一時半帰宅。


八月四日(火曜)

 十二時近く出て、日劇見物。アトラクション「白鳥」なるもの愚かし。「歩く死骸」の中で往年の大二枚目ケネスハーランを発見、なつかしかった。「これは失礼」は愚作。四時頃医者へ行き、名物食堂のスエヒロで食事し、座へ出る。既に満員である。つまらながって演ってる「昇給酒合戦」が中々面白いといふ噂、分らぬものである。「弥次喜多」も芦原・田村道美などは、前のよりづっと面白いといふ説。兎に角此の興行大当りである。ハネて徳山・奥村とルパンへ寄る。奥村も、狂言皆面白いと言ってゐる。出し物次第だな、しみ/″\さう思ふ。


八月五日(水曜)

 鹿


八月六日(木曜)

 
 


八月七日(金曜)

 昨夜来又暑くて寝苦しく、汗びっしょり。右の咽喉痛む。上の左端の歯も具合悪し。食後二階で、舞踊新潮へ四枚、講談倶楽部へ一枚、東宝宣伝部へ一枚半。責をはたす。大変な夕立、ザーッと来て雷鳴入り。出られもしないので、川口の「三味線やくざ」を読む。四時すぎ出て医者へ寄り、六時に日比谷音楽堂へ、毎夕の名流の夕のトップを切る、終ってすぐ座へ。今日も赤の大入札が出てゐる、中外商業に足立忠の評が出た。大入続きなので皆緊張してゐて活気づいてゐる。ハネ後松若へ行き、タンシチュー、マルヤへ寄る。一滴ものまず。


八月八日(土曜)

 


八月九日(日曜)

 


八月十日(月曜)

 


八月十一日(火曜)

 


八月十二日(水曜)

 


八月十三日(木曜)

 


八月十四日(金曜)

 稿


八月十五日(土曜)

 四谷。九時半起き、昨宵より涼しかりし。医者へ。又四谷へ引返し、「東宝」へ「ナヤマシ会の思出」なるもの四五枚書く。まことにつまらん稿なり。夕刻より、赤坂あかねへ初めて行く。座敷はいゝが、食ひものは平凡、器を一々取りかへるのも反って面倒。五円の定食、安くなし。座へ出ると、今日は満員にあらず。十四日間満員、一日土がついた。杉寛又休み、大庭今日はセリフが入っていくらかまし。芦原英了、塩入亀輔来訪、帰りにマルヤへ寄り、塩入に「緑波の発声は自然でよろし」と賞められる、のまず。オリムピック放送をきく、水泳日本勝つ。


八月十六日(日曜)

 


八月十七日(月曜)

 九時半に起きる。都新聞から写真班来り、庭と応接で写して行く。家を出て医者へ、熱がひかないのが気になる。久々でビクターへ寄る、岡氏夜見物に来ると。小林千代子と十月出て貰ふことで話す。一時ニューグランドで大辻と逢ふ、こっちへ出たい意向、きゝ流す。二時、日劇五階でガールスの声楽試験を徳山にやって貰ふ。三人ばかりいゝのが出た。それから、那波と社長のとこへ渡辺篤のことを相談に行く。万事僕に任せるから、よろしくやれとのことに勢を得る。名物食堂の四階レストランデンツーの招待日で、ポタアジュ、ブフアラモド、冷鶏とシャベット。うまかりし。座へ出る、今日は満員。ハネ後、のまず、まるやで時を潰す。


八月十八日(火曜)

 朝医者へ。一時に浅草で石田・大庭と待合せて、何か見る約束。花月劇場の金語楼の「弥次喜多」を見る、ひどいもの。広養軒へ寄り、食事して、丸の内へ。那波・樋口と、われらのプランをきくと、九月は休み、十月が有楽座、十一月が宝塚と横浜(おや/\)十二月有楽座の一月が京・名古屋と定ったらしい。二月が又有楽座で、三月PCLの弥次喜多撮影である。六時座へ出ると、今日も満員である。渡辺篤が、松竹の方に知れたらしいと言って来た由、策略かも知れないからうっかりするな、と言っとく。ルパンへ。


八月十九日(水曜)

 鹿


八月二十日(木曜)

 


八月二十一日(金曜)

 ※(「弓+享」、第3水準1-84-22)


八月二十二日(土曜)

 


八月二十三日(日曜)

 食事してると井上三枝、支那料理持参で来り、鶏のまる煮を食ふ。医者へ寄る、経過いゝらしい。座へ出る、ひるの部既に満員である、ひるは一寸気を抜く。一回終り、徳山、高尾を誘ってニューグランドへ。ポタージュ相不変うまい。ミクスグリルを食った、こいつはあんまりどっとしなかった。メロンのうまいのと、アイスクリーム。夜の部随分客を帰したらしい、そのアブレで小劇場が珍しく満員だったさうな。花柳章太郎など見てるといふのでハリ切る。ハネてから、小林千代子・能勢・徳山でルパンへ行ったが、さて一向酒のむ気にもならず、プランタンのサンドウィッチと、すしを食ひ、無事に帰る。


八月二十四日(月曜)

 医者へ寄り、間があるので日比谷映画へ入る、結局冷房のあるところへ行きたくなる。今年の夏の興行は冷房の勝利だと新聞で書いてゐた。見物してると何処から探し出したか、樋口から電話、社長出席の会議をやるから四時から出席しろとある。会議室へ行く。劇場の支配人――主事がたよりないから更迭を断行する、田中良を舞台課長とし、大いに前進しようって話、田中良って人ハッキリ物を言ふ。六時、地下室でまづいシウマイと中華丼を食って、座へ行く。満員である。夕方になると、気分が悪いが、何ういふものかな。六時から八時ってとこがいけない。芝居終って久々来訪した丸山夢路と話す、うちへ入りたい由、マルヤへ。


八月二十五日(火曜)

 


八月二十六日(水曜)

 


八月二十七日(木曜)

 


八月二十八日(金曜)

 新聞で、昨夜PCLの宇留木浩が、心臓狭心症で倒れたとのニュースを見て、面食ってたら、徳山から電話で「とう/\死んださうだ」とのこと。お互に同い年のこと故、心配なり。医者へ寄り、ビクターへ、「僕のホームラン」の吹込直しのつもりで行ったが、誰にも通ってゐないらしい。徳山が来たので一緒に出て、日劇へ涼みに入り、「オリムピックニュース」にたんのうし、「大洋の寵児」を一寸見て憂鬱――宇留木がそこに生きてゐるので。山水楼で食事、かにの巻あげとテッパーチーカイ。座へ出る、何かにつけて宇留木を思ひ出して弱った、デブ君大恐慌である、飲むまい/\と言ふ。ハネると、山野・只野が来たので、サロン春へ行ってみたが、つまらないので、とりしげへ行き、すし屋へ寄って、帰る。


八月二十九日(土曜)

 


八月三十日(日曜)

 
 


八月三十一日(月曜)

 調
 姿





九月一日(火曜)

 


九月二日(水曜)

 


九月三日(木曜)

 


九月四日(金曜)

 


九月五日(土曜)

 西
 


九月六日(日曜)

 西


九月七日(月曜)

 
 


九月八日(火曜)

 
  


九月九日(水曜)

 


九月十日(木曜)

 宿


九月十一日(金曜)

 


九月十二日(土曜)

 
 宿


九月十三日(日曜)

 
 300
 


九月十四日(月曜)

 
 宿宿


九月十五日(火曜)

 


九月十六日(水曜)

 
 


九月十七日(木曜)

 昨夜からうんと涼しくなったのでよくねられた。雨――仕事によろし。十一時、鏑木来訪、職を失ったと言ふ、仕方なし十円やる。主婦之友の婦人記者来り、何のことか要領を得ぬ奴で弱った。十二時頃から「ハリキリボーイ」を書きにかゝる、大体プランを立ってゐたので、すら/\行く。その間方々から電話かゝり、下へ下りるのに、左足の水虫が痛くて弱った。夜十時近く、六十何枚か書き上げた。樋口の電話、杉狂児十月出ると言ふ。準備してないので困る。十一時に、柳橋の吟松へ。都新聞に出すべき曽我廼家五郎と一問一答で行く、初対面頗る感じよし。つひに夜も三時迄話した。


九月十八日(金曜)

 


九月十九日(土曜)

 


九月二十日(日曜)

 


九月二十一日(月曜)

 


九月二十二日(火曜)

 


九月二十三日(水曜)

 医者へ寄ってけい古場へ。けい古終ると柳と東劇へ。新派井上・水谷・梅島を見る。前から二列目。岡田嘉子が発見して手紙を持たしてよこした。徳山夫妻に偶然逢ふ。徳山は初めて梅島を見たので、何だか梅島が僕の声色使ってるやうな気がするといふ、梅島もたまらん。食堂の洋定食のまづさや甚し。四谷へ。


九月二十四日(木曜)

 宿


九月二十五日(金曜)

 稿


九月二十六日(土曜)

 


九月二十七日(日曜)

 


九月二十八日(月曜)

 ビクター実演大会 東劇。
 伊藤松雄から電話、ビクター大さわぎの報。新聞見ると、渡辺はま子・小野巡・静ときわ・児玉好雄等がビクター脱退、今日の大会へ出ないと出てた。イタにかけて居直るなど全くド素人めいたいやなやり方。すぐ柳をビクターへやり、あはてちゃいかん、役者はいくらでも貸すからと言ってやる。日劇五階で「河内山」を通し、終って一人ニューグランドへ。ポタージュはオニオングラタン。イタリ料理のラヴィオリ・ニュアスとてもよろし。東京劇場へ。十周年記念の会。ハリキリボーイを歌ふ、受ける。即製の「歌ふ弥次喜多」の一頁も充分受けた。脱退組の中、渡辺はま子はビクターへ泣を入れたがこっちで断はり、器量を下げて帰った。サロン春からおでんや銀七へ。


九月二十九日(火曜)

  
 退


九月三十日(水曜)

 
 
 鹿





十月一日(木曜)

 豊島園野外劇場で漫談(100)、座へ出る。四時からフィナレの歌のけい古、ホテルへ行き、チキンブロスと舌平目、コーヒーのむ。六時。既に満員。序終って、二の「ハリキリボーイ」狙ひどこが、いろんな手違ひで外れた、第一音楽がひどい、まるで小さな音しか出ない。道具やキッカケトチリ多く、がっかりした。三の「彼女」は支度のため見られず、四の「河内山」は又トチリ続出で、いやはや浅草の初日を思ひ出した。セリフが入ってないのでトン/\行かなかったが、玄関は大丈夫、大庭もわりにいゝ。「あゝ役者はやめられねえ」のサゲも利いてゐる。十一時四十二分ハネ。ダメは明日三時集合で出すとして、今日のところは帰る。杉狂児その他大ぜいで新宿まるやへ。


十月二日(金曜)

 調
 


十月三日(土曜)

 鹿鹿


十月四日(日曜)

 宿
 


十月五日(月曜)

 医者へ寄り、ビクターへ行く。「東京オリムピック」と「僕のホームラン」のテスト盤をきく、まあ両方ともきかれる程度には入ってゐる。二時三益来り、岡庄五の室で話し、ビクターの人間となること決定。で、早速、伊藤松雄の「アホかいナ」の歌詞を見せて貰ったがとてもアカンので書直して貰ふことゝした。ビクターの地下で食事して座へ出る。今日も満員である。何となく労れてハリキれない、毎日のむのでいかんらしい。気候がよくなると飲まないわけにもゆかんて。今日は然し、ハネ後一路四谷へ。そして、健康なる眠りであった。


十月六日(火曜)

 たっぷりねて、のんびりと「新青年」など読みまして、四時に出て医者、そして座へ。伊藤松雄から手紙で森英治郎が、色々不満だからやめると言ってたから、そのつもりでゐてほしいとのこと。充分対遇してやってるのに、そんな気なら、何時でもお止しないだ。役者は己惚れの強いものとは定ってゐるが、度を越してるのは馬鹿である。今日も満員だ。今回は、出し物は強くないのだが、並べ方で成功したらしい、プロデューサー・ロッパの成功である。(此の日ハネ後の事は間違へて四日のとこへ書いちまった。)


十月七日(水曜)

 今日から三日間マチネーあり、朝日新聞従業員の慰安会である。団体貸切となると子供連の多いこと、何をやってもこたへがない。ひる終ると、リキー宮川と杉狂児を誘って、日本橋の井上へすきやき食ひに行く。女中連サインブックを持ってつめかける、やっぱり映画の方が人気あり、藤山一郎より杉狂がモテる。井上の女中が「ハリキリボーイ」の歌を絶讃する。帰って夜の部、一々ひると対照するからピン/\と受けると一層気持がいゝ。海老沢・屋井等の旦那連かち合って来訪、海老沢とサロン春地下から又のす。


十月八日(木曜)

 


十月九日(金曜)

 調


十月十日(土曜)

  


十月十一日(日曜)

 
 


十月十二日(月曜)

 青山で、十一時起き、宝塚のプログラムに刷る文章「センチメンタルロッパ」を四枚と、「ヒット」に、レコード歌手中心のゴシップみたいな小咄を書く。医者へ寄り、ホテルニューグリルで食事。オルドヴルに、ポタアジュ、舌平目洋酒蒸。アイスクリームフルーツ。座へ出る、今日も補助椅子ベッタリ。「ハリキリ」の一景から二景あたり快い笑を誘ふらしい、とてもよく笑ふ。「河内山」落ちついて来たので、からだの恰好がつくやうになった。玄関以外は凡そ、やってるってだけのもの。ハネて、屋井の招待で、又のんだりさわいだり、いやはや。


十月十三日(火曜)

 


十月十四日(水曜)

 


十月十五日(木曜)

 昨夜二時、今朝十一時だからたっぷりねた。伊藤松雄訪問、レコードの案いろ/\立てる。それから中野実のとこへ。著書三冊貰って、銀座のヤングへ行き理髪する。四時、ビクターへ行ったが吹込室がノびてゐるので、大洋食堂で、ポークチャップとオムレツに、チキンクリーム煮を平げて「軽い食事を終った」と言ったら、鈴木静一がトタンにくさった。「アホかいな」のオケ合せ終って六時に有楽座へ。今日は西川ふとん店の、おとくゐ招待の貸切で、いつも笑はぬとこで笑ってみたり、肝腎のとこはスカしたりされるので一と通りならず、面喰ふ。中野実と山野一郎でハネ後、サロン春の地下から赤坂へのす。


十月十六日(金曜)

 


十月十七日(土曜)

 


十月十八日(日曜)

 鹿調調


十月十九日(月曜)

 青山の朝、十一時迄ねる。昨夜からずーっとドサ降りである。二時にビクターへ出る。僕の作詞を見せる、佐伯孝夫の意見で、折角の面白いのをつまらなくされちまった。佐伯としても印税の関係上、何うしても自作にしたいのである。題は「ロッパ狂燥曲」を止して「明るい日曜日」とする。医者へ行く。糖を診て貰ったら、大分出てると言はれ、近頃の不快がこゝにあったなと思ふ。憂鬱になり、ホテルニューグリルで、オニオングラタンに、オルドヴル、コールビーフで食事し座へ出る。満員、雨の中をよくこそのお運びである。ハネ頃山野来り、相変らずの調子で入座希望。そろ/\いゝかと思ふ。


十月二十日(火曜)

 


十月二十一日(水曜)

 


十月二十二日(木曜)

 


十月二十三日(金曜)

 姿


十月二十四日(土曜)

 ※(「王+二点しんにょうの連」、第3水準1-88-24)50


十月二十五日(日曜)

 
 


十月二十六日(月曜)

 宿便便


十月二十七日(火曜)

 40


十月二十八日(水曜)

 十時起き、午前中に長尾新輔を案内に長谷川伸氏を訪れる約束なので、急いで食事してると、谷幹一がコロムバンの菓子を一折持って、入座させて呉れと来る、くさる、が可哀さうでもあり一と通り話をきく。十一時高輪の長谷川邸――と云ひたい立派な――へ。先づ「女夫鎹」の許可を得た、相手役すゐせんをたのみ、それから色んな芸談になったら、中々尽きず、ビクターへあせり心地でかけつけたのが二時。すまん/\と、スタディオに入り、佐々木俊一のクサリ「明るい日曜日」と、能勢との「恋のカレンダー」を吹込む。声いさゝか力なし。終って医者へ寄り、旅用の薬を貰ひ、ニューグランドで一人食事、カレースープに、松茸と舌平目のピラフ、ローストビーフ、プディング。ルパンへ一人で行き、カフェへ。


十月二十九日(木曜)

 


十月三十日(金曜)

 七時半彦根あたりで起きちまった。咽喉いさゝか悪きを感ず。食堂ハムエグストーストのみ。九時大阪着、座員大ぜいと宝塚の人出迎。阪急で宝塚へ。昔なつかしき松楽館に落つき、入浴、日記。十二時きっちりに中劇場へ行く。先づ「昇給」の道具調べに近い舞台けい古。続いて「弥次喜多」、これもトン/\運ぶから早い。終ったのが八時。松楽館へ、まっすぐ帰る。板前は気を利かして、天ぷらにかしわと松茸の煮たのってふ風に脂こいものを出して呉れるが、白米を食はなくてはならないのが辛い。林寛・多和・穂積来り、九時から二荘やる。二千プの負。


十月三十一日(土曜)

 宝塚初日。
 昨夜宝塚少女歌劇学校備付けの電気吸入器で吸入をしてねたのだが、十時に起きてみると、いくらか調子がいゝやうなのでホッとした。一時に大阪へ出る。徳山・高尾・三益も一緒で、国民会館でライオン歯磨主催の名流芸術の会へ昼夜出る。五時半に大急ぎで宝塚へ引返す、入りは九分。ところがこの小屋としては九分の初日なんてのは珍しいらしくひどく喜んでゐる。「昇給」は東京通りに受ける、歌がないと調子やってない位らくに出る、次の「人生学校」で歌ったら、大分いけなかった。「弥次喜多」は、役者が労れてる感じ、東京の三分の二位しか受けない。十時二十五分ハネ。まっすぐ帰って、松楽館の祝って呉れた鯛を食ひ、昨夜のメムバーで麻雀し又々負けた。
[#改段]

昭和十一年十一月



十一月一日(日曜)

 


十一月二日(月曜)

 
 宿鹿


十一月三日(火曜)

 十時半迄ねた。渡辺はま子(大阪出演中)から徳山・三益・能勢・高尾と僕の名宛で、阪急デパートの羊かんとカステラ何う見ても皆で一円のものを送って来た、一同大笑ひ。間違ひ出すと何処迄も脱線するもの。十一時開演「昇給」大受け。徳山・高尾を誘ってホテルへ行き、グリルで、ポタアジュとサワラのフライに、ミニツステーキ、これはうまくなかりし。昼も満員だったが、夜はワンサ/\補助が出てゐる。先づ今日迄は亀の踊り、明日からの勝負である。「昇給」も「弥次」もよく笑ふ。調子大てい元の通りになった、此処数日のまないで、吸入してたから違ふ。代りに徳山が調子やり、えらい声を出してゐる。九時半ハネ、昨日のメムバー来り、麻雀、又勝負なし程度。


十一月四日(水曜)

 宿宿


十一月五日(木曜)

 退宿


十一月六日(金曜)

 十一時頃食事終り、轟以下ダンスチームの数名を連れて神戸へ行く。神戸は今港まつり、ワイ/\さわぎである。新開地を歩いて、湊座の剣劇をのぞく、これが中々面白かった。何とか館で日活の「昇給酒合戦」をやってるので見る、全然つまらず、われ/\の芝居の方が遙かに面白い。夕刻、南京町へ出て、第一楼で食事、八宝全鴨が去年ほどうまくなし。元町をブラついて、ビーハイヴでお茶をのみ、宝塚へ帰る。入りはザッと七分かな。「昇給」気のりせず、「弥次喜多」ハリ切った、徳山の声も出出して快演してゐる。夜に入りて雨、今日は麻雀やめ、ウイを二三杯のむ。雨の音きゝつゝ何となくしてゐた。


十一月七日(土曜)

 ()()殿鹿


十一月八日(日曜)

 マチネーありだから十時半に起きる。満員である、今日は一ばんよく入った。「昇給」と「弥次」では骨が折れなくて、受けてはゐるが面白くない。昼の部終ると、ホテルのグリルへ行く。ポタアジュはトマトクリーム、ニューイングランドボイルディナがうまかった、珍しく徳山の奢り。夜の部終ると、今日は宝塚会館で古川緑波一座交驩の夕てのがあり行く。ダンスホールなるもの相変ず苦手で、たゞバーでのんでふらつく。大庭が度胸で歌ふ、これがそんなにまづくない。徳山が、一人で芝居をした、マイクがこはれて、途中から声が出るところ、こいつがとてもまづかったので、安心して、僕も二三歌った。川万へ寄り一荘やり又負けた。


十一月九日(月曜)

 


十一月十日(火曜)

 鹿宿


十一月十一日(水曜)

 十時起き、今日は大阪へ、角座の関西新派を見ようと揃って出かける。道頓堀へ出て角座の様子をきくと今日は貸切だとあって、止むなく、新世界へ。第二朝日劇場てのへ入って、恐るべき新派と剣劇を見た。然し役者が一生けん命やってゐるのが嬉しい。序幕へ出てる柏等を帰して、堀井・三益・高尾とで本みやけへ行き、すき焼する、いろ/\のザクうまし。おそくなりあはてゝ阪急でかけつける。今日は少女歌劇の総見もあり、八分の入りだ。吉岡専務来楽。


十一月十二日(木曜)

 十一時までねた。徳山来り、昨日細君宝塚ホテルへ泊り、今朝早く帰京した由、一緒に朝食する、ホテルへ泊っても食事して来ないところ、此の男貯金あるに違なし。宝塚ホテルの宝塚女子青年会てのへ徳山・三益・高尾と揃って出かける。大ぜいと並んで記念撮影をさせられ、座談会をやり、例によって徳山が一人ではしゃぐ。終って十二月興行の「歌ふ金色夜叉」の宣伝写真を数枚撮る。支那食堂で食事して、座へ。今日も八分強の入り。「弥次喜多」で又、益田がキッカケをトチリ、楽士がボックスで喋ったりめちゃくちゃにされて腹を立てる。今日から川万へ移ったので橋を渡って帰る。此の宿もわりに感じいゝ。堀井の部屋で麻雀を始め、久しぶりの当り、つひに五時迄。


十一月十三日(金曜)

 十一時に眼がさめ、もっと眠らうかと思ったが、起きてしまふ。神戸へ出かける。ダンスチームの子三人連れて。新開地へ出て金井修一座の多聞座へ。一幕だけ見て、南京町の第一楼へ。支那料理を食ふ、やっぱり此処は美味し。座へ出ると今日も八分弱の入り(七分?)「昇給」何となくハシャいじまった。宿へ帰ると、柳から手紙で、例の岡崎の件、いよ/\払はなくてはならないことになりさうである。いやんなっちまふ。社長に会って借金の件を話さなければならない。宿で牛肉すき。又堀井の部屋で麻雀、二荘やって、又負けた。旅ってものは仕事が出来ないなとつく/″\思ふ。つまり旅はノンビリ遊ぶたてまへで来べきものだ。


十一月十四日(土曜)

 50鹿宿


十一月十五日(日曜)

 


十一月十六日(月曜)

 


十一月十七日(火曜)

 宿
 


十一月十八日(水曜)

 四時半にねて、十時半起きは辛かった。たっぷり睡眠をモットオとしながら、つひ/\おそくなる。今日は、阪急の佐藤新社長の招待、大阪へ出る、徳山・三益・高尾・能勢・柏と揃って、北の本みやけへ。本みやけは、肉より野菜や豆腐や所謂ザクが美味い。佐藤社長からお土産を貰ふ、本べっ甲のシガレットケース、女にはコムパクト。小林さんとは違ひ、ハデな人らしい。それから大劇へ「ベラエスパニヤ」を見に行く。宝塚の真似で、とても及ばず、大つまらず物。宝塚へ帰る。今日は入りよく、八九分入ってゐる。夜、又例の如く麻雀を始め、又々払暁となる。いけません。


十一月十九日(木曜)

 起きたのは一時半。これでもまだねむい。二時頃神戸へ一人で出かける。サノヘイで、ネクタイ掛けを買ひ、ぶら/″\してると座員数名に逢ひ、本庄でお茶をのみ、宝塚へ帰る。今日は入りが悪い、六分ってとこか。然し、平均今日迄九分に行ってるといふ話だ。大分儲けさせたらしい。「昇給」の時、客席に酔漢がゐて、何かどなったりするので、注意させる。そのためかつひにしまひ迄乗せそこなっちまった。芝居なんて思へば、随分モロいものだ。今日はPCLの井関がポカをやりに来るやうな話だったので心待ちしてゐたが、すっぽかされたらしい。草疲れてるから早寝ってことにして、按摩を命じた。こいつがまづくて、書生に揉ませ直してねた。


十一月二十日(金曜)

 稿
 


十一月二十一日(土曜)

 鹿鹿鹿


十一月二十二日(日曜)

 宿宿宿


十一月二十三日(月曜)

 
 
 


十一月二十四日(火曜)

 
  


十一月二十五日(水曜)

 西


十一月二十六日(木曜)

 宿


十一月二十七日(金曜)

 


十一月二十八日(土曜)

 鹿鹿


十一月二十九日(日曜)

 


十一月三十日(月曜)

 本日仕事は一切休んだ。
 記念すべき日、結婚。
[#改段]

昭和十一年十二月



十二月一日(火曜)

 昨夜早くねたので、九時半頃眼がさめる。日劇五階へ。十二時から「女夫鎹」を通してみる、大丈夫のやうな気がする。日劇のアトラクション、ワイントラウブジャズの二の替りのぞく。東京音頭が愛嬌だが、前回程感心しなかった。四時に「金色夜叉」の音楽入り通しけい古。ごみ/″\してゝとても空気悪く、早くちゃんとしたけい古場が出来ねば困る。徳山が声楽指導して呉れるので合唱などづっとよくなって来た、嬉しい。ビクターの岡氏来り、ホテルのニューグリルへ、白葡萄酒を冷し、ぜいたくな夜食をする。オルドヴル、クリームスープ、ビフテキシャリアピン、それにパンケーキスゼット。満腹で、帰ったのが十一時半、これよりセリフをやる。


十二月二日(水曜)

 


十二月三日(木曜)

 
 


十二月四日(金曜)

 先日来の例の岡崎の件で、執達吏が仮さし押へに来り、洋室の戸棚などへペタ/\とやって行った。岡崎なんて悪い奴を友にしてゐた、己の馬鹿さを思ひ、腹が立つ。夕刻、座へ出る。今日は満員、然し十月の時みたいな馬鹿景気ではない。「女夫鎹」手に入り、今日は出来よかりしも、幕切の手が少かったので気にし色々研究する。「恋のカレンダー」のあと、日日ののし餅・義金デーのため一言挨拶する。「金色」歌をトチっちまひ、熱海などいけなかった。演出家穂積・樋口・菊田に舞台課の畑で、浅草のみや古へのし、酒ものまず一時半近く迄、明日からのカットの打合せ、たゞやたらに食った。


十二月五日(土曜)

 宿調
 


十二月六日(日曜)

 


十二月七日(月曜)

 十時半起き、十二時から山水楼で「講談倶楽部」の座談会あり。高田稔・山路ふみ子・辰野九紫その他だが一向爆笑にならなかった。二時から又山水楼で、今度は「エス・エス」の古川緑波をめぐる放談会があり、三島草道・坪内士行・伊藤松雄・川口松太郎・中野実・徳川夢声といふメムバー。夢声結局第一、伊東松雄が僕との知遇をちと売りすぎるので参った。柳、今日裁判所へ行き、先日来の件、六百円近くの金を払はされることに決定、やれ/\仕方なし。「女夫鎹」熱演、今日は社長夫妻、三宅周太郎見物の由でハリキリ、大いに泣かした。何うも調子やったらしい。終って、ホテルニューグリルへ、樋口と吉本と提携興行の件につき語りつゝ、ミネストロンとハムエグス、メリンゲパイ。十二時半にねる。


十二月八日(火曜)

 調
 


十二月九日(水曜)

 調退


十二月十日(木曜)

 10050()


十二月十一日(金曜)

 十時半起き、日劇へ。「メリークリスマス」てふアトラクションの初日。やたら金をかけてゐるが、ギャグは一つもピンと来ない。金語楼映画の愚劣さ。も一つのW・B「Gガン」ての面白かりし。ニューグリルでオルドヴルとグラタンとソール洋酒煮とプディング。座へ出ると今日も満員である。声は「女夫」の時は、やっぱりいけないと思ったが、段々出て来たやうなので嬉しい。PCLの滝村来り、三月の撮影は「歌ふ弥次喜多」よりも「ハリキリボーイ」にしたい由。その方がフレッシュで野心的なものが出来ると思ふ。その脚本料たのんでおく。


十二月十二日(土曜)

 


十二月十三日(日曜)

 


十二月十四日(月曜)

 宿


十二月十五日(火曜)

 鹿


十二月十六日(水曜)

 


十二月十七日(木曜)

 


十二月十八日(金曜)

 調
 
楽天公子
嘘クラブ
 の二つはいゝと思ふが、時代のトリものがなくて苦心又苦心。


十二月十九日(土曜)

 調


十二月二十日(日曜)

 


十二月二十一日(月曜)

 


十二月二十二日(火曜)

 


十二月二十三日(水曜)

 


十二月二十四日(木曜)

(なし)


十二月二十五日(金曜)

 今日が祭日で此処んとこ三日マチネーあり、気が重い、ほんとの掉尾的大奮闘である。今日はわりに咽喉の調子もいゝので嬉しい。昼の部から満員である、やっぱり祭日と来ると昼から景気がいゝ。ひるが済むと、ニューグリルへ。グラタンと何を食ったっけか(二十九日夜記、忘れた)夜の部も大満員、大いに熱演し、ハネ後銀座だったらう。


十二月二十六日(土曜)

 使


十二月二十七日(日曜)

 
 100


十二月二十八日(月曜)

 十一時に起きると、ビクターへ。途端に一大事、徳山が肋膜らしく、入院せねばならず、名古屋は駄目と定ったのである、あはてゝ代役を立てることにし、久富吉晴を喜多八に、小林千代子も十日間たのむってことに決定、両名共承諾したのでホッとした。そのため吹込の方は、明日と延びた。五時に、洗足の猪熊弦一郎といふ画伯の家へ門司の子供会あり、余興拝見の辛さを浸々味はひつゝ九時辞して、銀座で中野実・英治や村山知義・PCLの矢倉等々合流し、さて又飲みにけらしな。


十二月二十九日(火曜)

 


十二月三十日(水曜)

 名古屋へ向ふ日である、十時二十分発で、座員殆んど揃って出発、昼の汽車は退屈、金語楼の新作落語集を読んでみたり、眠らうとしてみたり、お好み弁当てのを食ったり、――そのうち四時五十何分、名古屋着。劇場に近い福富って宿に落つき、入浴して、サッパリしたところ、女優志願の洋装女が乗込んだりして、又落つきそこなふ。夕食しに、アラスカ迄行ってみたら何のこったい今日は休業とあって、くさり、宿へ帰ってはかない夕食を一人で食ふ。夕食後、淋しく家へ手紙書いてゐると、麻雀のメンツが揃ひ、二時半まで四荘やる。今日は強くて三千ばかり勝った。


十二月三十一日(木曜)

 
 宿宿





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   200719210
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2013828

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