勝しょ負うぶの壇だん
正成は弓杖をつき、すこし跛びっこをひいていた。 もっとも、千早の城兵はいま、五体満足なのはほとんど少ない。将たちもみなどこかには、怪我か手傷を負おッていた。 でなければ病人である。 ﹁……が、了りょ現うげん﹂ いま、その病びょ棟うとうを見舞って出てきた正成は、うしろの、安間了現をふりむいて、 ﹁意外にみな元気だな。山上にもやっと木の芽や草が萌もえてきたし、もう病人に与える青い食も物のにも事欠くまい﹂ と、梢の色や地の力を見まわして、それも味方と恃たのむように言った。 ﹁はい。士気は病者といえあの通りさかんなものです。けれど貯備の食糧がそろそろ底をつきかけておりまするで﹂ ﹁穀類か、まず﹂ ﹁稗ひえ、粟、米、どれもいくらの余裕もありませぬが、わけて塩倉の塩もはや……﹂ ﹁調べたのか﹂ ﹁は﹂ と、了現はさっそく、ふところ覚えを、よろいの袖から取り出して、およその数量を正成へいていた。ここでの、孤立持久の籠城は、正成がはじめから一貫してきた方針である。 その方針を破ッて、当初、天王寺、堺あたりまで少数の兵でしばしばムリな奇襲を敢行したのも、敵の首があてではなく、塩、粟、干魚、海草などを帰りに運んでくるのが主要な作戦目的であったのだ。 もちろん、それいぜんから、山上にはあらゆる貯備に努めてはいた。 焼米、道明寺糒ほしい。 河内名物のドロ芋。 その茎くきを干したずいき。 また梅漬け、干柿、栗、およそ保存にたえるものは、なんでも糧倉へみたしていたが、しかし城兵一日の糧を、かりに米六合とみれば、千人で日に六石、古法の三斗五升俵にして十七俵強の容積である。それに副食物を加えた物が夜さえ明ければなくなってゆくわけだ。 もちろん合戦のすきにも、葛かつ城らぎの尾根や、間道をたどって、外部から蟻ありが穴へ持ち込むようなことはしつづけていたが、山伏の背や、忍び隊の搬入などは、およそたかのしれた量でしかない。――安間了現が、ふところ覚えを繰くるたび眉をくもらすのは当然だった。 ﹁……む。……むむ。……だいぶ乏しくなって来たな。だがこれからは木の芽も食える、草も食える。虫、鳥、獣、何でも食おう。そして一日ここの籠城をささえれば、一日の勝ちだ。十日持てば十日の勝ちとしてよかろう。もしあと百日保たもてば、おそらく北条勢の寄手のうちに、大きな自壊がおこるに相違ない﹂ 正成は言った。 けれど正成のこの言も、いささか安間了現には聞き馴れていて、いまとなっては、鼓舞をおぼえないばかりでなく﹁……またおなじ仰せ言か﹂と、心ぼそくさえなってくる。 ﹁お、正まさ季すえだな﹂ そのとき、正成は立ちどまって、千早谷の下で雄おた叫けびする谷こだまをふとのぞきこんだ。 正成は不きげんになった。 ﹁了現。あれはまたぞろ正季が、無断で敵へ突いて出た武者声であるまいか﹂ ﹁さようかもしれませぬ﹂ ﹁こまッたものだ﹂ と、舌うちして、 ﹁たれかいないか﹂ と、彼方の根小屋の一つへ手をあげ、そこから宇佐美弥次郎が駈けて来る姿へ。 ﹁弥次郎、ひがし谷へ降りて、正季を呼んで来い。すぐ引きあげろと命じるのだ﹂ ﹁はっ﹂ 弥次郎は、勝負ノ壇へとび降りて、さらに崖の肌をすべるように、谷底へ消えて行った。 勝負ノ壇は、崖から谷のなだれへむかって、凸字形に築つき出だしてある武者足場の、小さい堡ほう塁るいなのである。 それは何十ヵ所とある。 敵軍が三面の崖を、その人海戦術で埋めつくして来るばあい、勝負ノ壇には、七、八人が一ト組となって初めに防ぐ。 まず、よじ登って来る目ぼしい敵を狙い打ちに射とめ、近づく敵は、刺しころす。――が、それでもなお後から後から屍をこえてしがみついて来る敵を充分にひきよせると、初めて本塁の上から、岩や大石の弾丸を投げるのだった。――しかしなお崖の肌にペタとくッついたまま怯ひるまない敵もある。それをも余さないためには、次に巨大な材木を横ざまにころがして落す。 楠木勢の戦術は、今日までおおむね、これをくり返して来たのである。 関東武者の長技は、馬と弓だが、その二つともここでは用をなさなかった。 また楠木方に何百倍する大兵もこの隘地では活かしようがない。ときには、大軍なるがゆえの不利さえ多い。――これまで仕懸けた数度の総攻撃にみても、寄手の死傷は城兵の比でなかった。例による太平記調ではあるが、
――四方ノ坂ヨリ転 ビ落チ、落チ重ナツテ死スル者、一日ガウチ五、六千人ニモ及ベリ
軍奉行、長崎四郎左衛門ノ尉 、実検シケルニ、執筆十二人ニテ、昼夜三日ノ間モ、筆ヲ措 カズ、死者ノ名ヲ注 セリトゾ
軍奉行、長崎四郎左衛門ノ
と、誇張にはしろ言っているほどである。そしてそんな戦の後ではまた、はるか東坂下の荼だび毘し所ょで、日々夜々、誦ずき経ょうが聞え、死者の屍を焼くけむりが、千早からも毎日望まれるほどだった。
で、度々の失敗にこりた寄手は、そのご、めったに無謀は仕懸けて来なくなった。軍令さえ出して、
﹁無断ノ動キアルベカラズ﹂
と禁じ、
﹁奇功ハ功ニ数カゾヘズ、先駆ケハ厳罰ニ附ス﹂
と、かたく持じしているふうであると、さぐりの者は城中へ告げて来ている。
正成はかえって惧おそれた。
次に来るものを思うのだった。また一日の兵糧を一日むなしく食いつぶしていることが辛かった。
とくに、籠城心理には、退屈がなにより恐こわい。
すでに弟の正季は、それに耐えきれず、われから寄手のわなへかかってゆく者と彼には見えた。――まもなく、その正季は谷底から彼の前へ上がって来た。
﹁兄あに者じゃ﹂
正季はすぐ我から言った。
﹁何かご懸念のよしですが、仰せまでもなく、兵はすぐ谷から引きあげさせました。ご心配なされますな﹂
﹁つつしめ﹂
と、正成は叱ッて。
﹁ここはただ持久を計れ、堅く守って討ッて出るなとしてあるに、副将のそちみずからなぜ軍ぐん律りつをやぶるか﹂
﹁いや、挑戦はいたしませぬ。が、先頃からしばしば敵の小勢が、ひがし谷の峡かいふかく入り込み、しきりに味方の水ノ手を探るらしい様子ゆえ、追っ払ッていただけに過ぎません﹂
﹁なんの一、二ヵ所は断たれても、城中の飲み水が尽きるような惧れはない。むしろ今は一名の兵だに失うことのほうがよほど惧れだ。およそな敵の小うごきなどは、放って見ておれ﹂
﹁ところが今日は、下の沢道に、雑兵だけでなく、馬に乗った敵が二人ほど見えました。で、その馬が欲しさに、つい私までも駈けくだり、馬を射止めて帰ったわけでございまする﹂
﹁馬の屍かばねを﹂
﹁はい。肉をほぐし、塩漬けとして、兵糧の足しにしようというのです。――なにせい、弓はあっても、矢ダネは尽きて、弓も泣いている始末。――多少の線は冒おかしても、敵方の給与を少々こちらへも廻してもらうしかありません。どうか今日のところはお見のがしを。……はははは﹂
正季の冗談まじりな弁解には、正成もかえって、じんと瞼を熱くしたような面おももちだった。
﹁それもそうか﹂
と、うなずき、
﹁は、は、は、は﹂
と、共に笑った。
そういう考え方は正成もしたことがある。
一例だが、寄手の猛攻が昼夜もなかった一ト頃には、よく藁わら人にん形ぎょうを用いて、敵の矢を稼かせぎ取ッたものだった。
無数のワラ人形を作って、武者姿に似せ、それを夜のうちに崖の“勝負ノ壇”やら随所の足場に立てておく。
山の朝まだきは、狭さぎ霧りが多いので、敵はワラ人形と知らず、射浴びせてくる。――これでどれほど矢ダネを稼いだかしれないのである。折れ矢まで拾ッてその矢ジリを生なま篠しのにスゲ替えて使っていたほどだから、ワラ人形の軍功も生ける人間並だった。
けれど寄手も、やがては、一杯食ッていたと知り、もう近頃ではそんな児じ戯ぎにひとしい計略には乗ッても来ない。いや矢ダネ、食糧だけでなく、人間の精神力の限界にも来ていることの是認を、正成も今は否いなみなくされていた。それがふと正季と共に、いまの乾からびた笑いに出たのであった。
するとそこへ、頂上の転法輪寺から伝令があった。寺中にいる四しじ条ょう隆たか資すけが、正成へ、すぐ来てほしい、とのことだった。
﹁正季。ここをたのむぞ。行って来る﹂
正成は、安間了現と二、三の郎党を連れたのみですぐそこへ向っていた。
千早の本ほん曲ぐる輪わから金剛山の最頂上へ出るには、一たん道を下りて途中のせまい地ちけ頸い部ぶを越え、そしてまた嶮しい山坂を登りつめて行くのである。すると蒼そう古こたる転法輪寺の大屋根と、一旒りゅうの錦旗が見え、それから上は峰もない。
四条隆資は、法ほっ体たいだった。
この頭は、おととし笠かさ置ぎ落おちの後に、まろめたのである。
あのとき後醍醐以下、公卿あらましは捕虜となったが、彼のみは土民のうちにかくれて頭をソリ容貌まで変え、ややほとぼりがさめてから、楠木城へ入って、ただ一人の公卿大将の位置についていたものだった。
﹁おう、兵ひょ衛うえノ尉じょうか﹂
待ッていたとして隆資は、転法輪寺の内門に張りめぐらされた陣幕のうちへ彼を迎えて。
﹁さ。床しょ几うぎへつかれい﹂
﹁いただきます﹂と、正成はそれに腰かけ――﹁して。何の御用でございまするな﹂
﹁ほかでもないが、たんだ今、阿あ波わ勝浦ノ庄から密使が入った﹂
﹁阿波から?﹂
﹁其そ許こも知っていよう。かの海賊岩松経家の手の者が、経家の密書をこれへもたらしてみえたのじゃ。それによれば﹂
隆資は声をのんだ。
公卿ともみえぬ皮膚の焦やけと闘志であった。武装している片方の肩を、ぐっと前へ折り屈かがめて。
﹁隠岐のみかどには、早や隠岐ノ島にはおわさぬらしい。同所の宮方や海賊衆にまもられ、かねて藤房卿がよろしくしておかれた播はり磨ま伯ほう耆きの大だい山せん寺じをおたのみあって、ご脱島のこと、まちがいなし、と書面にみゆる﹂
﹁ほ。それは近ごろの吉報ですが、して首尾のほどは﹂
﹁まだ、ご安着か否か、本土での消息は分っておらぬ。しかし二便、三便、ひきつづいての吉報がまいるであろう。のう……兵衛、長い籠城だったが、これで曙光が見えてきたの﹂
﹁まことに﹂
正成の胸にも、痞こみあげてくるような何かはあった。が、それは公卿の隆資が手ばなしで歓喜しているようなものではない。むしろ逆なものだった。
このところ、寄よせ手ての十と重え、二は十た重えも、かろがろしくなく、城兵の疲れを待つふうだが、もし、みかどの脱島が成功したとすれば、関東の令は、この千早一城に、こんな大兵を釘くぎ付づけにされている状態を一日もゆるしておくことではあるまい。それこそどんな犠牲を払っても、
﹁無二無三踏みつぶせ﹂
とする大号令をいらだたせ、先にもまさる総攻撃をくり返してくるにちがいない。正成には、それに耐える最後の死守のほうがすぐ骨身へのしかかッてくる思いだった。
﹁ところで、この吉報を、さっそく大塔ノ宮へもお告げ申したいが、宮は吉野落ちの後、高こう野やとばかりで、その御在所も連絡が来ておらぬ。……たれか心ききたる者はおるまいか﹂
﹁その儀は、正成におまかせおきくだされませ﹂
﹁したが生なまじな使いでは不安であるぞ。久しい飢きか渇つにおかれた人間が、ふと里へ出れば、見る物、食う物、無性な欲にそそられることだろう。ふと心変りなどするような者ではの﹂
﹁お案じなされますな。しかと吟味して、頼みある男をつかわしまする﹂
宮への一書をあずかって、ほどなく彼は外げも門んを出て来た。――と、その姿を待ちわびていたらしい中年の一武者があり、正成はその者に呼ばれると、何やらはっとべつな顔をした。
遠慮がちにだが、その武士は、正成へ頼んでいた。
﹁軍務、お急ぎのところではございましょうが、ちょっとあちらの一坊までお立寄りいただけますまいか﹂
﹁お。治郎左だな﹂
そういっただけで、だまっている正成に、武士は、いちばい哀訴をこめて。
﹁決して、奥方のおいいつけなどではございませぬ。したが、さいぜんから多たも聞んま丸るさまが、父君が転法輪寺の内へ入った、父君が来たと、みなへ言いふれ、お帰りには立寄ってくださるものと、独り極めに嬉き々きとしておられまする。……で、寸時なとお顔を見せて上げていただけたらと、爺じいの左近も申しますゆえ、差出がましいことながら、こうお願いに参さんじました﹂
﹁…………﹂
正成は迷うらしい。
眼では彼方の一院の方をながめていた。
彼の妻子がおかれていた千早村も敵の占領下に入ったので、急遽、山頂の寺へ移されていたのである。日常妻子と会ってないことは、他の将士とも同様だった。
が、今はふと、
﹁会って行こうか﹂
と考え直したふうである。
必然な寄手の総がかりが始まるとすれば、あるいは、今日が今日かぎりの機会になるかもしれないと思う。そこで従者たちを、転法輪寺の前に残しておき、迎えの治郎左と共に、彼は朝原寺の一坊のほうへ歩いて行った。
途々の正成は、初めて個人的な親しみをその迎えの者にみせて、
﹁治郎左。卯うつ木ぎは妊みお娠もだと聞いていたが、この陣中暮らし、体のほうはどうなのか﹂
と、訊いたりしていた。
﹁は、まめにうごいておりまする。何もできはしませんが、少しでも姉ぎみのお力になれればと、幼いお子の守も役りなど引きうけて、まあ、御合戦もよそ事みたいに﹂
﹁それはいい﹂
正成は、うなずいて、
﹁それでいいのだ﹂
と、また呟いた。
冬ごろから伊賀の国中も平穏でなく、服部治郎左衛門と卯木の夫婦も、正成を義あ兄にに持つ者といわれて、小こ馬ま田たノ庄にも居られなくなり、おなじことならと、金剛山のとりでへ落ちて来たのである。――そして正成の陣中の家庭にいて、爺じいの恩智左近や南江正忠などと共に、搦から手めての一員ともなっていたのだった。
﹁あっ、父上だ﹂
どこに遊んでいたのか、目ばやく父の姿を見つけた多聞丸︵後の正まさ行つら︶は、小さい弟と一しょに、もう迅い後ろ姿をみせて、彼方の寺房のぬれ縁へ大声を放ちながら駈けて行った。
﹁お母あさま。父上が来ましたよ。お待ちしていた父上が﹂
しかし、内には母の声もしないので、そこの角から庫く裡りの方へ、またも同じ叫びをくり返していた。
すると、井の辺りで、喰べられる雑草を選よりわけたり、それを交ぜて稗ひえ餅もちについていた女衆の間から、あわてて久子だけが抜けて寺房の厨くりやへ隠れた。その久子も、ほかの侍女たち同様、百姓女房そのままな姿に見えた。
久子は、うす暗い厨のすみへ駈け込むと、いそいで裳もを下ろし、たすきを外はずし、肩や袂たもとのチリを払ッていた。
外では、多聞丸が、
﹁お母あさま、早く来て﹂
と、小さい地だんだを見せながら言っている。
﹁もう、服部の小父さまが連れて、あちらまで来てますよ。何してるの、お母あさまは﹂
﹁すぐ行きますから﹂
と、久子はやっと子に答えた。
﹁多聞は先にあちらへ行って、お父さまに、ごあいさつをしていらっしゃい﹂
それからも、彼女は、もいちど手を洗ッたり、髪を濡らして、櫛など入れ、なお小部屋の蔭では、紅、白粉をさっと顔につかっていた。
籠城も百日余である。武者はもとより女子供も、骨と皮ばかりな“餓が鬼きノ館やかた”となっている。それだけになお彼女は自分の中の“女性”を久しぶりの良人へは浅ましいものに見せたくない。少なくも女の匂いを失わず、ほほ笑みを持って、迎えようとするのらしい。
さっきから、爺の左近や、服部治郎左が、
﹁曲げてお連れ申して来よう﹂
と、蔭で相談していても、久子はわざと知らない振りでいた。――軍務のことで、ついそこまで来たからといって、ついでに妻子の陣を、覗きに立寄るような良ひ人とではないからだ。
下しも千ちは早やへ敵が迫ッて、そこの避難所もあぶないとなり、幼い子らを負ッたり手を引いたり、矢たけびを後に、逃げのぼったあの日でさえ、正成は妻子へ姿を見せてもいなかった。――いやあれから七十日、ただのいちども、ここへ声すらかけにきたためしはないのだ。
爺の左近にいわせれば、お気もちは察するに難かたくない。ひとつ籠城に在あるほかの兵や将も、みな可愛い妻子やとしよりを、遠くにやって、生き別れの涙に耐えていること。﹁……それを、わが身ばかりが、妻子をそばにおき、妻子と睦むつみあうなどは、とてもあの御方として、お苦しいのでおざりましょう﹂というのが、爺の解釈であった。また久子にもわかり過ぎていることでもある。
それだけに彼女も、正成の室などという甘え方は捨て、子づれの女兵とも自分を思って、女で出来る仕事をさがした。大手搦から手めてから運ばれてくる傷病兵の看護から、喰べられる草そう根こんを摘つみ集めたり、夜は夜で、侍女たちと共に針をもって、将士の着るつづれを縫うなど、女には女の籠城があった。そして着のみ着のまま子を抱いて寝るクタクタなつかの間には良人の夢さえ、夢が忘れてしまったようだった。
――が、その良人がいま、はからずこれへ来たと聞くと、彼女は新妻のようなほてりを体におぼえた。なお、それにもまして、良人が自分たち妻子へ姿をみせに来たことの裏には何か﹁……今こん生じょうのこともこれきりだぞ﹂としているものがありそうな気がして、恐こわいそぞろな予感に、わけもなく胸をしめつけられもするのであった。
彼女はやっと起った。
走り出してもゆくべきを、なぜか恐ろしかったのだ。そして濡れ縁を曲がってゆくと、すぐ良人の姿が眼に入った。多聞や三郎丸を抱きよせて、正成はまだ外に立っていたのである。
たまたま会った父の手には、子供の身にもたまらない厚みと親しみと、そして頼もしさをも感じるらしい。
﹁お父さま﹂
ただそう呼べるだけでもうれしいのか、多聞丸も三郎丸も、正成の手をつかまえて離さなかった。その手を自分の頬へ当ててみたり、肩へぶら下がったり、親鶏を途方に暮れさせている姿なのである。
遠くにひざまずいていた爺の恩智左近、南江正忠、ほかの兵らも、しゅんと、眼を熱くした。各が、自分らの妻子も重ねて、それを眺めていたといえよう。
﹁さ、さ。……和子さまたちは、ちゃっとこちらへ寄っておわしませ﹂
爺は、寄って来て、多聞と三郎丸とを、両の手に預かった。そして正成へ、
﹁まず、お内うち方かたへ﹂
と、うながした。
眸だけを見交わして、久子はすぐ式台の方へ廻りかけた。しかし﹁いや﹂と、それをよび返して、正成はそのまま濡れ縁へ寄って来て腰をおろした。そして、
﹁内へ通っている暇はない。ここでいい。久子、ここでいい﹂
と、はや仮のくつろぎを見せはじめた。
﹁どうだな﹂
妻のやつれを皮膚の下まで見ているような眼まなざしで。
﹁えらかろう。しかし、各の体をよく持っていることが籠城なのだ。そなたもほかの女たちも、みな変りないか﹂
﹁はい。……ここの暮らしは、お案じくださいますな。和子たちもあのようでございますから﹂
﹁子供は強いなあ。子供にはかなわんよ。大人どもはつい妄想だけでも疲れはてる。……子といえば、卯うつ木ぎは妊みご娠もっているということだが﹂
﹁でも、お元気でございます。末の幼いのを預かってくれますので、私までが大助かりをしておりまする﹂
﹁そなたは幾人も生み育てたが、卯木はこれまで二人も亡くしているそうだ。大事にしてやってくれい﹂
その卯木の良人服部治郎左衛門は、ほかの者と共にやや離れた所にひざまずいていたが、そう聞くと、あからめていた顔に一そうな充血を見せて、その面へ曲げた肱ひじを当てていた。
﹁ここの旗、ここの砦とりで、何は失うとも、守りぬかねばならぬ第一は子どもだからな。大人どもはついこんな乱らん麻まを世に起してしまったが、さりとて、これぎりの世でもない。戦も、次の生いの命ちの芽ぶきに望みをかけていればこそ戦えるようなものだ。……多聞丸、三郎丸、みなその芽ぶきだ﹂
なにかもっとお夫ふた婦りだけの深い話もあるにちがいない。と察して、爺の左近は、そこらの者へ眼くばせした。そして、そっと一同でほかへ去った。
ただ二人きりになると、久子は急に胸のなだれを覚えた。良人のそばへ無意識にずり寄って、板縁についている良人の手のうえに、自分の手をそっとかさねて唾をのんだ。良人のそれは革の籠こ手てだし、彼女のも百姓女房のように荒れている手ではあったが、あたたかな手頸の脈と脈が結んでいた。……そしてしばらくは、彼女も正成も、眸をよそに、小鳥の声の中にいた。
ほどなく。久子の声で、
﹁お帰りです﹂
という触れがそこで聞えた。
爺をはじめ、人々は、
﹁もうか?﹂
と、あっけなく思ったほどらしい。遠くの陣幕の袖から、わらわらとそこへ出て来た。
草履をはいて、ついそこらまで、良人を見送るべく、外へついて来た久子のまぶたには、はっきり泣いたあとがみえた。意識的に人々は眼をそらして、つい正成の顔へも、かたどおりな礼儀しかなしえなかった。
﹁はや、御陣座へおもどりでございますか。せっかくお久しぶりでしたのに﹂
﹁いや、短くはない﹂
と、薄く笑って。
﹁今こん生じょうの思いをとげた気がしたよ。妻子の顔を見るなどは、ここでは、ぜいたくなことだった。皆には何かすまないのう﹂
﹁めっそうもない。正直、われらまでがうれしいことでございました。わけて和子さまたちのおよろこびを見るにつけ﹂
﹁多たも聞ん、ここへ来い﹂
と、正成はもいちど、多聞丸と三郎丸を、両脇にかかえ寄せて。
﹁多聞は幾ツになったかの﹂
﹁十﹂
仰向いていうその頭つむりへ父の手を与えながら、じっと愛らしい顔を見ていると、多聞の瞼もじいんと紅く応こたえていた。
﹁いい子になれよ。弟を可愛がってやるんだぞ﹂
﹁はい﹂
﹁母上のそばへ行け﹂
じつは自分を突き放していたのである。正成はのめるように足を早めだしたのだった。
すると、もう一棟むねの別院の内から、あたまに繃帯した者やら、樽のような脚をして、やっと歩けるようなのがまろび出て来て彼の前に立ちふさがった。
﹁おやかた。お供をねがいまする! ご陣中へお連れねがいまする!﹂
﹁や、おまえらは﹂
﹁佐さび備まさ正や安すです﹂
それについて、口々に。
﹁矢尾常正にござります﹂
﹁鷺平九郎の弟、十郎です﹂
﹁八尾ノ新介です﹂
正成は叱るようにさえぎった。
﹁待て待て。おまえらはみな重傷者ではないか。はやく体を癒いやせ﹂
﹁いや、今日、転法輪寺へお見えの上、ご家族ともお会いなされたのは、すわや最後のお覚悟だと、あれなるほかの者もみな言いあっておりまする﹂
指さすところを見ると、一堂のうちには、まだ数十人が枕をならべ、そしてこっちを見ている様子だった。
﹁だから連れて行けと申すのか。覚悟の日だと申すのか。何をいうのだ。いまさらのように﹂
正成は、なだめるのに骨を折った。
﹁さいごの覚悟などは毎日のことだった。またおそらく近日には、これまでに見ぬ寄手の総がかりもあるだろう。したがここも搦から手めての要所だ。大手は案じるな、達者なものが大勢いる。正成、正季もおることだ。搦手に敵をみるまでは、一日でも療養を大切に寝ているがいい。子供のような世話は焼かすな﹂
それから彼はすぐ、供の兵と安間了現の名を大きく呼んで、元の下り道へ急いでしまった。けれどその彼自身、弓杖ついて、痛む歩行をこらえてゆく姿であった。
二の丸、本丸。そういう称よびかたは、当時まだしていない。
城という語はあっても、あの様式ができたのはずっと後世のことである。
しかし、一千の守兵が、十と重え二は十た重えの大軍に抗しながら、山上の厳冬にも耐えてきたのは、とてもそれまでにあった武門の旧知識や習慣だけでは、まにあわなかったに相違ない。
そこで新しい智恵が求められ、いわゆる楠木式築城の原始型なるものが、必要から生じたかとおもわれる。
槍なども筑つく紫しの菊池千本槍が使用の始めともいわれるが、宋そう朝ちょ水うす滸いこ伝でんには槍の達人がさかんにみえるし、日本の“後三年絵巻”にも早や槍らしき武器はつかわれていた。――で、千早城の防ぎにも、当然、弓に次ぐ新武器となっていたろうし、さらに石や大木までが、かほど有効な爆弾として大量に敵の頭上につかわれたことも前例がない。
すべて、食うか食われるかが生み出す智恵だった。もちろん、寄手方でも智をしぼッて、あらゆる策はやりつくした。このところ短気な猛攻はやんでいるが、数日前から城の向い陣に当る一勢のうちでは、おびただしい土民と工兵の群が、千早谷の一角のすそを掘りだしていた。
﹁なにを、し始めたか?﹂
城方では、敵の意図に判断もつきかねている。
あとでは分ってきた計だが、これは千早の大おお手てや櫓ぐらの下へ向って、隧とん道ねるを掘りすすめていたのである。坑道を穿うがッて、城兵の致命的な地点へ抜け出で、大手櫓を攻めつぶそうという行動の下地だった。
こんな大がかりな作戦までしていたことは﹁和田文書﹂の内にある注進状の一ツにみても証拠だてられる。
和泉国の御家人
和田修理ノ亮 助家
茅破屋 (千早)の大手矢倉下の岸を掘るの時、
その若党新三郎顕宗 、腰骨をすこし右へ寄り
て射られ終んぬ
注進如件 定兼(判)
和田修理ノ
その若党新三郎
て射られ終んぬ
このほか。
寄手は夜になると、間断なく、どこからともなく、火ひ箭やを城内へ射込んでいた。
矢ジリの尖さきを籠かご目めとした火ほ舎やの中に、油ゆ脂しをつめた物である。その鏑かぶ矢らやに似たものを、強弓の達者が放つと、矢は笛のような叫びと火のツバサを曳いて、闇夜を翔かけ、城のやぐら、兵の根小屋、どこへでも火ダネを落す。雨のすくない乾いた山林だと山火事もおこしかねない。
これは、所きらわず、夜どおしなので、油断もすきもならなかった。そして毎晩城兵をおちおち眠らせないことと、山上の少ない貯水量を消火につかわせてしまうのが、火箭の狙うところであった。
﹁たれだっ﹂
正成は、本ほん曲ぐる輪わの荒壁仕切りの一つの内で、うとうと、横になっていたが、火箭の叫びに、眠れてはいなかった。
﹁正季です、正季にござりまする﹂
と、外の暗い所で聞える。
﹁近くに、火箭が落ちたのか﹂
﹁は。それはいま消しとめましたが、忍おしノ大だい蔵ぞうがやって来て、深夜ながらお目にかかりたいといっておりますが﹂
﹁なに、大蔵が?﹂
大蔵は、連れの権三と共に、城内の中なか木き戸どのそばにたたずんでいた。
まもなく、兵の声が、
﹁大蔵、通れ﹂
と、暗闇のうちで聞えた。
﹁へい﹂と、答えておいて。﹁権三、てめえはここで待っていろ﹂
﹁親分、そして、どうしたらいいんで?﹂
﹁途々、言った通りだよ。おれが呼んだら駈けて来い。もし都合が変ったらおれの方から戻って来る﹂
言い残して、彼一人、兵の影に従ついて奥おく曲ぐる輪わの路地を曲がって行った。
荒土で塗りたたいた埴はに生ゅうの小屋みたいな穴口が幾つもあった。上は夜空へ高い櫓やぐ組らぐみとなっている。
その土小屋の一つへはいると、短たん檠けいの灯があって、荒むしろの上に、正成の姿がみえ、横に正季が坐っていた。
﹁大蔵、達者か﹂
﹁ありがとうございます。おふた方にも、まずはお変りもなくて﹂
﹁いや大変りさ﹂
と、正季が言った。
﹁城兵みな骨と皮ばかりになりかけている。しかもいよいよ気きは魄くだけは旺さかんなのが不思議なくらいだ。が、きさまは、よくこんな重囲の中をここへ来られたな﹂
﹁てまえの前身が前身ゆえ、こ奴、怪しいなと、ご用心の意味なんで?﹂
﹁ばかをいえ﹂
正季は、一笑をくれた。
﹁怪しむくらいならここへ通しはせん。わしが尊敬しておかぬ加賀田の隠いん者じゃに説かれて、きさまも料りょ簡うけんを入れかえたと聞き、いまでは味方と信じておるのだ。して加賀田の先生は?﹂
﹁あいかわらず、机に坐って、金剛の山絵図やら兵書をひろげ、毎日、首っ引きでございますよ﹂
﹁では、先生のお使いか﹂
﹁へい。じつはそれ以前に、吉野へ出向いていましたが、ついに吉野は落城です。そこでひとまず舞い戻って来たところ、その由、事つぶさに、楠木殿へおつたえしろと、隠者から申しつかり、さっそくこれへやって来たわけでございまする﹂
﹁大儀だった﹂
正成が代って。
﹁では、そちは吉野落城のてんまつやら、宮の落ち行かれた様子などにも詳しいの﹂
﹁へえ、あらまし、この眼で見届けもし、耳袋へも聞き集めてまいりました﹂
﹁それ、聞きたい﹂
と、正成がいうと、大蔵は黙って、それとはべつな内ぶところをさぐり始めた。そして権三から取り上げた例の敵方の手になる“水ノ手調べ”の書類を正季の前へさし出して。
﹁まず、こちらから御覧くださいまし。いささかお土産になるつもりで、途中手に入れた物でございますが﹂
正季は、繰りひろげていたが、その詳密なのに驚いた容子であった。もしこれが城下の敵将に渡っていたら? と呟きながら兄へも見せた。
正成は、それと大蔵の眼まなざしを見くらべては、また見ていたが、やがて心もち頭ずをさげて言った。
﹁かたじけない、大蔵、礼をいうぞ﹂
大蔵は、苦労のしがいがあったと思う。
正成の面上には、ことばだけでない感謝が見える。それだけで、彼は充分、満足だった。
――世上、この人の首には、丹後船井ノ庄で一郡という懸賞がひろく言いふらされている。
その首は彼の前にあった。
しかし元々、正成の首を狙うなどは、大蔵の本心でもなかったし、また出来ないことは知っていた。
以前の彼は、六波羅の猟犬だったが、兵学者時親に飼われてからは、予言者の咒じゅ文もんに指さされた人間のように、くるりと宮方へ転身してしまったのである。あの隠者なら、こういう男の向きを変えるなど、たやすいことだったにちがいない。けれど彼自身は、急に新鮮な働きがいを感じていた。古い権力への反抗は何かいさぎよいし、弱い陣をたすけ、正義を胸に持つなども、すべて彼の単純な侠気に合致するものだった。
﹁お役に立って﹂
と、功に誇る武者とは違って、その上、しごく謙遜しながら彼はいう。
﹁思わぬ途中の拾い物が、そんなおよろこびをいただくとは、てまえも飛んだ面目でございました﹂
﹁が大蔵。敵にとっては大事な秘図、味方にとっては致命的なものだ。どうしてこれが、きさまの手になど入ったのか﹂
正季の問いに、大蔵は旧部下の権三と出会ったことや、高こう札さつの一件などを、里ばなしに交ぜて、おかしく話しだした。
﹁ほう﹂
正成は、垢あかに埋うずんで皮膚も見えない顔に眼めじ皺わを描いて、にこにこ言った。
﹁のう正季。わしの首一つに、丹後一郡の賞がかけられたとは、誉ほまれであるぞ。お汝ことの首には何も賭けられていないそうな﹂
これが天下の反宮方から、あれほどに狙われている首の持主なのか。大蔵には、その人が、何かふしぎな者に見えた。
豪傑というのだろうか。いやそんな強げな大将でないし、智者ともみえない。あの加賀田の隠者のほうが、よほど学問もありそうで眼もするどい。
では何だろう、この人は。
こう対していても、べつに人を圧する威厳があるわけでもなく、いっかな無口で、茫洋としていて、彼にはつかみどころがなかった。けれど何か一いっしょにいると、あたたかだった。おそろしい飢えと敵の重囲の中にある気はせず、つつみ隠しもいらない穏やかで正直な人とただ夜を共にしている感だけがあって何もなかった。――あらゆる種類の人間を猜さい疑ぎし、また嗅ぎつけてきた大蔵なので、その直感だけには自信がもてる。
﹁正季さま。ちょっと中座させていただきますが﹂
﹁どこへ行くのか﹂
﹁いま申しあげた権三めを、先にかたづけてまいりますから﹂
﹁かたづける?﹂
﹁かわいそうですが、背に腹はかえられません﹂
﹁よせ、手にかけるのは﹂
正成が止めた。
﹁放免の一人ぐらい、逃げたところで大事はない。それよりはまず聞こう。大塔ノ宮の御消息をはなしてくれい﹂
吉野城落つ
という悲報は、しばしば、寄手方の宣伝につかわれていた。
敵はそれの矢やぶ文みを、孤こる塁いの兵に射込み、それには、
﹁ここの城も命めい旦たん夕せき﹂
﹁たれのために死ぬのか﹂
﹁家郷の妻子は泣いていよう﹂
﹁降伏してこい﹂
﹁降兵には、充分な食を給与し、それぞれ、元の郷里へ帰してやるぞ﹂
など、さまざまな文句で誘っていた。
けれど千早からは、ほとんど一兵の降人も出なかった。脱走するほどな者はとうにふるい落されていたのである。それに“吉野落つ”と聞えても、味方による確報ではなく、吉野からの落おち人ゅうどはまだ一人も、ここへはたどりついていなかった。
それも当然で、裏金剛から葛かつ城らぎの間かん道どうすべて遮断されている実状なのだ。――そんな中をも忍おしノ大だい蔵ぞうなればこそ、首尾よくここまで来られたものといえよう。
以下は。
大蔵の報告である。正成、正季も、吉野方面のことをその陣にいた者からじかに聞くのは初めてだった。
× ×
大塔ノ宮の名は、敵にも味方にも、なにか雲うん表ぴょうの震しん雷らいみたいな畏怖と神秘感をもたれ、そのうごきには関東方など、神経質にまでなっている。
おととし、笠かさ置ぎのあといらい。宮のありかは、熊野、伊勢、十津川の奥、高こう野やの上、さまざまに沙汰されていたが、去年の夏ごろから、吉野築城の事実が関東方にも、やっと、はっきりつかめていた。
宮の抱負は予想外に遠大なものらしい。
十津川の郷士竹原八郎一族を帷いば幕くに加えて、熊野三山から高野、根ねご来ろの衆徒をひきいれ、大峰山脈の一帯をとりでと見なして、外洋では伊勢、熊野の海賊をつかい、また前衛には、楠木の金剛山をあてておく、という大構想であるようだ。
しかし、宮の理想どおりにならないのもぜひがない。
なるほど熊野、高野、いずこも朝廷との縁はあさくないが、衆徒の衆論はまちまちである。分裂、さぐりあい、中立主義、ここも世間のそとではないのだ。――正成とのしめしあわせでそれは進められていたものの、吉野築城はそうした危ない輿論のうえに敢行されたもので、そもそもムリな作戦だった。
しかし宮は、吉野を宮方の総本城とし、ご自身、全土の総司令官をもって任じ、いわゆる“大塔ノ宮令りょ旨うじ”の檄げきを海からも陸からも天下に発し――隠岐の父ちち皇ぎみのうばい返しまでを――画策していたのである。
けれど、ひとたび、関東の大兵にせまられると、あまりにもその落城は早かった。
守兵は、郷士山僧などの混成で、ほぼ千早城と同数ぐらいはいたのであるが、すべてその用兵から作戦まで、正成のようにはゆかない。
かつ、吉野城そのものは、吉野の愛あい染ぜん宝ほう塔とうを軍ぐん寨さい化かして、衆徒の輿論もふんぷんのなかに築かれたものだけに、たちまち内部の裏切り者が、その序戦から寄手に通じていたのであった。
吉野山も嶮である。
ふもとの吉野川から山上の愛染宝塔のとりでまでの間には、いくたの防塁もあったことだし、寄手の大兵も七、八日はいたるところで苦戦だった。
ところが。
山中の新熊野院の首座、岩菊丸という僧が、反大塔ノ宮の衆徒をかたらい、寄手に通じて山案内を買ッて出た。
むかし、文治の頃。
源ノ義経が吉野へのがれて来たときにも、妙覚院の主僧、横川ノ覚かく範はんが、鎌倉の恩賞に欲心をおこして、義経を追いおとしたことがある。
それと似たものが岩菊丸であった。守兵の内情には通じているし、地理にもくわしい。――彼の手びきで、寄手の潜兵は、峰の奥深くへ廻って、ふいに愛染宝塔の虚きょをつき、うしろの高たか城しろ、詰つめ城じろまで焼きはらった。
宮は、前線の蔵王堂に陣座していたが、後方、はるかな本塁の黒けむりをみて、
﹁これまでか﹂
と、自身、打物取って、敵中へ駈け入った。
丈じょ六うろ平くだいらや薬師堂の辺は、第二の防禦陣地だったが、そこもはや潰ついえている。寄手はもう勝手明神の境内へ突破して来て、﹁宮はどこ?﹂と、血まなこだった。宮の御首には、楠木以上な恩賞がかかっている。
宮は一たん、蔵王堂へひっ返して、蔵王桜に張りめぐらした大幕の蔭へ入り﹁別れの宴だ﹂と、有り合う杯をとって左右の武者と、三献こんまで酒をくみ交わした。そのさい武者のひとり木寺相模は﹁おさかなに﹂と血の糊りのついた太刀で“つるぎの舞”を舞ったという。何せいすでにお覚悟のていだった。
時に。――宮方の一将村上彦四郎義光が来て、切に、ご短慮をいさめ、宮を初めわが子義隆をも、たって南谷から天河方面へ落ちのびさせた。
そして彼は、二天門の上にのぼった。
落ちてゆく、宮やわが子の先せん途どを、義光の眼がさがしていた。同時に自分の死所に安心したふうでもあった。犠牲の心に燃え、それに美化された一個の武者姿はふと人間の巷にはありえないものにみえた。そのうえ彼は宮のよろいを着、薄化粧までして﹁――大塔ノ宮一品ぽんの兵ひょ部うぶ卿きょ尊うた仁かひとはわれぞ﹂と呼ばわったので、楼門の下にむらがりよッた敵は、たれひとり疑わなかった。それを引きつけ、引きつけ、さんざんに戦った果て、義光は自刃した。
後日、寄手の大将二にか階いど堂うど道うう蘊んが、その首を六波羅まで送り届けてから、
﹁宮ではない﹂
とわかり、大不首尾をかったというのは、巷間の噂で、真相ではない。
村上義光は、四十を出ていた人である。大塔ノ宮が二十六歳の青年であることはかくれもなかった。偽首だ、身代りだった、とはすぐ知れていただろう。
一方、落ちのびた宮も、搦から手めて軍に追撃されて、いくたびか危うかった。――彦四郎義光の子義隆も、この途上で、父のあとを追うように討死した。――残った供は幾人もない。そして幾昼夜を逃げさまよい、吉野から高野まで、徒歩二日路の山間を、七日余りもついやして、やっと高野へたどりついた。
高野山そのものは、表面かたく中立をとっていた。
千早、金剛の戦雲もよそに、法門の徒は、一切軍事にあずからずとして、さきに大塔ノ宮から令旨をもって、
﹁吉野城へはせ参さんぜよ﹂
と、さいそくがあっても、
﹁僧家なれば﹂
と、その召しにも応じないでいたのである。
が、今日では事情がちがう。――宮は無力な落おち人ゅうどにすぎない。身一ツ高こう野やを恃たのんで来られたのだ。これを扶たすけぬのは仏心にそむく。――一山の衆議はすぐきまって、宮は、大塔とよぶ大だい伽がら藍んの天てん井じょ裏ううらに匿かくまわれた。
宮を追ッてきた東国兵は、はやチラチラ山上へ影を見せはじめる。二階堂道蘊みずからも、全兵力をひッさげて登山してきた。しかも大塔の地内にその本陣をおき、満山満寺の捜査にかかり出したのだった。
その間かん、大塔の本堂では、老僧以下あまたな僧が護ご摩まの壇をめぐッて、日々、未明から暮ぼ夜やまで、交代に読経の座を占めたまま、うごかなかった。﹁高野春秋﹂によれば、その折、一山はまったく協力同心して、一心不乱に“摩まり利して支んお天んぎ隠ょう形ほ法う”を修していたものといわれている。
法力の功徳か、宮の御運がよかったものか。総大将の道蘊は、とどまること三日ほどで、むなしげに、
﹁かほど捜しても見えぬからには、宮はほかか﹂
と、下山を令して、引きあげて行った。
宮は大塔の梁りょ上うじょうから蜘蛛のように下りてきて人々の恩を謝した。そのときの宮の態度がいかにもよかった。卑屈もなく、おどおどしたようなご容子もみじん見えない。それいらい﹁さすがは違う﹂﹁やはり後醍醐の御み子こよ﹂と、急に心をうごかされて、宮への随身を思い出した若僧が少なからずあったという。そして、宮はまもなく、その者たちを扈こじ従ゅうに加えて、高野を去った。
それからの宮のお姿は、またもや雲か霞かのようで、その在るところは、どうもよくわかっていない。
しかし、以後の大和の宇う智ち郡や南葛城地方には、しばしば、えたいの知れない郷軍の活躍が目だって来ている。
つまり正面の金剛山でない裏金剛にあたる所。――そこの紀き伊い見み越ごえ、行ぎょ者うじ杉ゃす越ぎごえ、千早峠、久く留る野の越ごえ、高たか天ま越ごえなどの裏道をふさいでいる関東勢の陣を奇襲しては、たちまち雲くも霧きりのように消え去ッてしまう乱らっ波ぱ︵第五列︶的な土軍の出没が近ごろになっていちじるしい。
おそらく、大塔ノ宮はいま、その中にあって、土どこ寇う作戦の指揮をとってでもいるのではないか。
そして、陰いんに千早の孤塁をたすけ、何とか突破口を見いだして、金剛山との合流をはかっておられるのではなかろうか。
× ×
忍おしノ大だい蔵ぞうは、正成と正季をまえに、以上、見聞のあらましを語り終った。
﹁よくしらせてくれた﹂
正成は、とじていた半眼をひらいて。
﹁大蔵、その上にまたさっそくだが、そちならではの急務がある。すぐ行ってくれまいか﹂
あくる日、大蔵はもう千早の内にいなかった。
裏金剛を抜け、どこへともなく去ッて行った。正成から託された四条隆資の一状を持って、大塔ノ宮のご所在をさがし求めに向ったもののようである。
静かで無事な籠城が二、三日つづいた。
敵味方に一人の死者も出ない日が、ここでは妙にうつろな日となっている。
正成は、やぐらの床几に腰かけて、ゆったり、思案にふけッていた。
ここではあまり遠くまでの展望はきかない。
ひがしの北山、前面の肩かた衝つき山やま、ほか幾ツもの小さい嶂しょ巒うらんや峰が、ふところの襟もとをなしていて、麓からの中津原道、観心寺道、ほか一道の三ツを峡門の口で括くびッているのである。
﹁あのあたりで、鈴ヶ滝の水を堰せき止とめ、機をはかって堰を切れば、城下の敵勢は一挙に水びたしともなしえようが?﹂
それを考えているらしかった。
けれどそれには、城じょ崖うがいすぐ下の敵兵からまず先に一掃しなければならず、それも、
﹁是ぜか、非ひか﹂
と考えられる。
城の守兵は、すでに千を欠いていた。残り少ない兵をさらに一兵でも失うのは良策でない。また堰工事をするとみれば、敵とて、あらゆる妨害はするだろう。
﹁……ま、それよりは、やはり持久か﹂
正成は、しきりにうずき出る智恵を、そばから自身否定し去っていた。籠城はただ頑愚なほどの辛抱にあるとおもう。ここの地勢は天険なのだが、妄想はそれに不安を感じさせてくる。そしてややもすれば、みずから破れのいとぐちを作りたがる。
﹁妄想スル勿ナカレ。たれかが言ったことだ﹂
――今日も、ここにいると、折々妙な地ひびきがズンと体につたわってくる。敵の土もぐ龍ら作戦がだいぶ進んでいるのらしい。
だが、敵のそんな悠長な戦法も、ここ数日中には、変るだろう。――隠岐のみかどが首尾よく本土脱出に成功したその日に――その早飛脚が鎌倉、六波羅をおどろかせたとたんに、がぜん、大だい咆ほう哮こうをあげだすにちがいない。
﹁そうだ﹂
彼はうしろを見て、
﹁祐ゆう筆ひつ、筆をとれ﹂
と命じ、安間了現に、一文を口述した。そして、それを廻覧板に清書して、諸所の堡ほう塁るいへ廻せといいつけた。
了現は、信じられぬ顔つきで。
﹁この御文言では、隠岐のみかどが、はや本土へ御ごか還んこ幸うあったと読まれますが、これでよいのでございまするか﹂
﹁む、確報はまだ不明だが、敵の総がかりを見てからでは間にあわぬ。それいぜんに、一ばい士気をたかめておく要がある。すぐ触れを廻せ﹂
﹁こころえました﹂
やぐらの下で、了現がその主命のもんくを板に清書していたときだった。
城兵が“敵見山”とよんでいる北山へ今朝から出ばッていた正季が駈けて来て、ちらと了現の筆へ眼をくれたが、すぐ﹁兄者は上か﹂と、やぐら梯ばし子ごの上を望んで登っていた。
﹁兄あに者じゃっ。ご警戒を要しまするぞ﹂
﹁正季か。何を見た?﹂
﹁今こん朝ちょ来うらい、敵見山にのぼって、展望に注意しておりましたところ、今日はしきりに敵の移動がみられまする﹂
﹁ふム。どの方面に﹂
﹁長野、観心寺、中津原口、三さん道どうともにうごいていますし、遠くの東条、石川の空にまで、黄こう塵じんが立ち舞っているなど、ただごとではありません﹂
﹁そうか﹂
﹁敵のうちで新手の参加やら陣がえがおこなわれ、これまでにない猛攻撃を起そうとしているのではありますまいか﹂
﹁ならば、正季、吉きっ兆ちょうだよ。よろこぶべきことかもしれぬ﹂
﹁とは、どういうご判断でございますな﹂
﹁後醍醐のきみの御脱出が、虚伝でないことを証あかしている。――また、その御脱島は、首尾よく運ばれたものと観ていいだろう﹂
﹁そうでしょうか﹂
﹁海賊岩松の密報だけでは、まだ、よろこぶには早いと思っていたが、敵にそんな色が現われたのは、鎌倉六波羅共に、それの衝撃をうけ、ここの寄手を叱咤してきたことにちがいない﹂
﹁なるほど﹂
﹁お汝ことは、遠くの黄こう塵じんを、新手の参加と見たというが、それも違う﹂
﹁では何ですか?﹂
﹁その逆だ。おそらく、長陣の寄手のうちから、ぞくぞく、所領の自国へさして立帰る地方武者が出ておるものと思われる。なぜならば﹂
と、正成があとを言いかけたときである。ふいに地震のような地鳴りが、ズ、ズ、ズっ……と、ここの櫓やぐら全体をゆすぶッた。
﹁土もぐ龍らどもめ!﹂
正季は、やぐら組の横木から、下の断崖をのぞきこんで。
﹁兄者。敵の坑あ道な掘ほりも、いつのまにか、山のような土を谷あいに運び出していますゆえ、もう櫓の下近くまで掘りすすんで来たのかもしれませぬ﹂
﹁敵ながら根気がよい﹂
正成は笑った。そして、
﹁寄手の苦計も、いよいよあの手この手と、足あ掻がくだろう。……そこでいま申したことだが、後醍醐のきみが、伯ほう耆きあたりに御安着とすれば、それは播磨、伯耆の二つの大だい山せん寺じによって守られ、ただちに勅の檄げきは四方へ飛ぶ。それにこたえて、今日まで雌しふ伏くしていた九州、四国、中国の宮方どもも一せいにふるい起つ。――で、当然なのは、各地でおこる土地の斬り奪りや、さまざまな抗争だ﹂
﹁わかりました。ここ千早の城下へ寄せている鎌倉勢は、みな去年から年をこえての長陣となっている地方武者。中には、九州、四国、中国などの武門もだいぶおりますから﹂
﹁それらは、留守の国元を案じ出して、気が気でなく、みな何らかの口実をもうけて、自国へ急ぐに相違ない。……が、正季﹂
﹁はっ﹂
﹁とばかり楽観してもおられまいぞ。いよいよ、一城の死力はしぼりつくされるだろう。また最後の決戦もいなみようなくされるだろう。よいな覚悟は﹂
兄の口から“決戦”という語を聞いたのは初めてである。正季は体の中を何かに吹き抜けられる気がした。
不ふえ壊こん金ご剛う
寄手がたの各陣所は、どこも狭きょ隘うあいな足場に立ってごッた返しの状だった。平地といっては、ところどころに、手のひらほどしかない山腹に、すくなくとも三万からの兵が長陣に倦うみながら、食って寝て糞して戦っていたのである。人いきれ、馬いきれ、世間のどんな所よりもきたなかった。どの顔も目ばかりぎょろつかせ、各自の尾びて骨いこつが、ふたたび人間の原始を発達させてきたようにみえる。そしてその持場持場を全山にわたる旗と陣幕とで区切りあっていた。 ﹁ならんッ﹂ いくさ奉行の長崎悪四郎ノ尉じょう高たか真ざねは、おもてに朱しゅをそそいで、どこかの使つか番いばんの武士へ、どなりつけていた。 ﹁病なら、陣にいて癒なおせ。かりにも武門が、病気だからとて、いちいち戦場を退いていいのか。恥を知らんのか、恥を﹂ ﹁いや……﹂と、使番の武士は、まッ青になって、主人のために釈明しぬく風だった。 ﹁元々、わが殿には、瘧おこりと申すご持病があったのです。とは申せ、鎌倉どののお下げ知じでした。そのムリを押してのご出陣でしたので、この山間の冷えやら湿しつやらの不養生には耐え難く﹂ ﹁だまれ﹂ ﹁はっ﹂ ﹁不養生とは何事だ。この艱苦は全軍すべてがしている艱苦だ。みな、累るい代だいの御恩にこたえんとする今日の戦いだわ。しかるに、やれ病気の、やれ国元の変事のと、浮腰を言い出すなどはあきれ果てる。言語道断、人へも恥じろ﹂ ﹁では、おゆるしの儀、相なりませんか﹂ ﹁ならん﹂ と、手にしていた彼の主人の帰国願書を、捻ねじ縒よッて、 ﹁こんな物は、いくさ奉行として聞きとどけ難い。持って帰れ﹂ と、使番へ突っ返した。 これは今暁のことだった。 けれど、その前日にも、同様なことをいって来た武族がある。口こう実じつはさまざまだが、帰きするところみな国元不安の動揺だった。――はやくも、先帝の隠岐脱出、各地の宮方蜂起――などのことが、誰からともなくつたわっていたらしい。 ﹁この悪例は、新にっ田ためがひらいたものだ。新田の帰国もゆるすではなかった﹂ いまとなってから、長崎は後悔していた。 上こう野ずけノ国の住人、新田小太郎義貞も、ここの寄手に加わっていたが、つい八日ほど前、家老の船田入道義昌をここへよこして、持病の脚気が重るばかりで、とうてい戦務にたえぬゆえ、と帰国を届け出て来たので、ついそれはみとめて、公然な退陣を見過ごしていたのである。 だが、あとで思えば、義貞のも仮けび病ょうだったにちがいない。そこで、きのう今日の虫のいい願いなどは、一切相ならんときめていたわけだが、しかし、いくさ奉行まで、そう届けてくるのは、まだ廉れん恥ちのある方だった。――その朝は千早をうしろに、無断退陣してゆく帰国組が方々から聞え出していた。 それに憤激して、いちいち告げてくる伝令へ、長崎は唾つばするように言った。 ﹁……なに、追い討ちかけて、引き止めようと申すのか。待て待て、それでは同士討ちの喧嘩になろう。捨てておけ。人間はこんなにいる。腰抜けどもが去れば、ここはかえッて強くなるというものだ﹂ 喧嘩は多い。それもただの日の喧嘩でない。陣中喧嘩だ。すぐ血をながす。 やれオレの主人を嘲わらったの、こっちの部下を撲なぐったのと、小さい殺傷沙汰はひッきりなしだし、それぞれの大将間でも、陣地割りの不平やら、糧米配分の苦情やらで、味方同士反目のたえまはなかった。そして寄手数万がただ、 ﹁われこそ﹂ の自負だけで、全く統一には欠けている。 いくさ奉行長崎四郎左衛門ノ尉も、これには手をやくだけだった。彼は、鎌倉の内うち管かん領りょう、長崎円喜の子で、北条氏の族親ではない。 ところがここの陣々にある阿あ曾そ、名越、大仏、佐介、金沢、塩田などの諸将はみな北条の一族やら譜ふだ代いだ大いみ名ょうなので、ともすれば、 ﹁なにを、円喜の子が﹂ と、その軍令なども軽んじられる風だった。 たとえば、この長陣中には、ひそかに江口、神崎あたりから遊女の群れを連れて来て、陣とば幕りのうちにかくしている将もあり、囲碁、連歌、闘茶の娯楽などは公然な風だったので、長崎は、たびたび、 ﹁鎌倉の聞えもある。遊宴は相ならず﹂ と、それの禁令も出したことだが、おこなわれたためしはないのだ。 その弊へい害がいたるや、はなはだしいもので、こんな事件さえおこしている。 名越遠江ノ入道と、甥おいの兵庫助とが、遊女のうちの美人を賭けて双すご六ろくをやり、賽さいの目めの論争から、ついに叔父甥で刃を抜き、双方、ひん死の重傷を負ったのみならず、その家来と家来も入りみだれての大喧嘩を演じるなどの醜事件もあったりした。 一事が万事というならば、こんな一例でみても、その無秩序ぶりはわかるが、しかし、これが決してすべてでもない。――なおかつての、鎌倉武士の武士らしさを、こんな中でも失わず、日やま本とご心ころを甲かっ冑ちゅうに誇っていた者もある。 赤坂攻めにかかる前か。 四天王寺の大鳥居の左の柱には、たれの業わざか墨すみ匂におわしく﹁花咲かぬ老い木のさくら朽くちぬとも、その名は苔こけの下にかくれじ﹂とみえ、わきには、
武蔵ノ国の住人、人見四郎恩阿 、生年七十三歳
正慶二年(北朝年号)二月二日、赤坂城へ向つて、武恩に報ぜんがため、討死仕 つり畢 んぬ
正慶二年(北朝年号)二月二日、赤坂城へ向つて、武恩に報ぜんがため、討死
という遺書があった。そしてまた、右方の柱にも﹁待てしばし子を思ふ闇に迷ふらん、六つのちまたの道しるべせん﹂と書いて、同筆で、
相模ノ国の住人
本間九郎資貞 が子、源内兵衛 資忠、生年十八歳
正慶二年仲春 二日
父が死骸を枕にして
同じ戦場にて命をとどめ畢 んぬ
本間九郎
正慶二年
父が死骸を枕にして
同じ戦場にて命をとどめ
と、書きのこされた文字があった。墨は以後の風雨にも、なお消えてはいなかった。
思うに。こうした武士は、鎌倉勢のうちにも、まだまだ少なからずいたにはちがいない。けれど、そうした生命ほど、可あた惜ら、散るのを散り急いでいたのだろうか。
なにしても、鎌倉表からの大軍令がここへ着いたのは三月下旬にちかく、事態としては、どうにも遅かったうらみがある。
近日、先帝ノ動座ヲ謳ウタヒ、山陰一円、騒乱ノ聞エ頻ヒン々ピンタルアリ。
旁カタ。西国各地ニテモ、賊徒ノ蜂ホウ起キヲ見ル。
スベテ一日モ、弛ユルガセアルベカラザルニ、千早金剛ノ膠カウ着チヤク久シキコト、ソレ無策カ、過クワ怠タイカ。
即刻、死力ヲ惜マズ、賊ゾク寨サイヲ粉砕シテ、ソノ機キホ鋒ウヲ、山陰中国ノ変ニ転ゼシメヨ。
いかにも、幕府部内のあわてぶりやら、またここの長陣にしびれを切らしている執しっ権けん高時の周囲なども眼にみえるような督戦の令だった。
﹁やはりほんとだったのか﹂
長崎は一驚した。
先帝脱出のことは、この公報より寄手のうちの中国武士などのほうが、およそ早耳であったのだ。――彼らの動揺はそれぞれな国元から直報があったためで、遠く鎌倉を迂回してきた情報より早かったのは当然で、長崎も今やあわてずにはいられなかった。
副将の阿あそ曾だん弾じょ正う、大おさ仏らぎ貞さだ直なお、淡おご河うう右きょ京うの亮すけ、二にか階いど堂うど道うう蘊ん、ほか十二大将が、一つ陣とば幕りのうちに首をあつめたのは、鎌倉の大令がここへとどいた直後であり、同日の午後にはまた、六波羅から、
﹁宇都宮治部大輔公きん綱つなでおざる。公綱、ご加勢に参陣!﹂
と触れて、彼の千余騎がここへ着くし、そのほか新手の加勢も、ぞくぞく、千早城下へこみ入ってきた。
もちろんこれは鎌倉直命でやって来た督戦部隊ともいうべきもので、現地軍のダレを刺戟し、あえて味方同士の恥や功名心を競きそわせるためなのはあきらかだった。――就なか中んずく、宇都宮公綱といえば、東国随一の剛ごうの者で、かつて渡辺橋の合戦では、楠木勢に挑いどみかけ、つね日ごろにも、
﹁正成、何者ぞ﹂
と、豪語を払い、楠木とは年来の宿敵、好敵手と、みずから称している者だった。
﹁なるほど﹂
公綱は、千早を望んで嘯うそぶいた。
﹁これが寄手数万を、百日の余もひきつけて、不落をほこっているという千早の城か﹂
そして、なお何か嘲わらいたげであったが、ただちに、自陣の地形をえらんで、
﹁こう真まッ向こうの先陣は、公きん綱つなが受け持った。千早一番乗りは公綱がつかまつれば、この手はおまかせねがいたい﹂
とばかり、陣割りもまたず、中津原口から千早の北谷をのぞむ最短距離のところに、新手一千余騎と、自分の陣座をきめてしまった。
﹁人もなげな公綱﹂
﹁新手の加勢に、鼻をあかせられるな﹂
軍議も早々、総軍はわれがちに谷へせまった。尺地もみえないほど、千早の下を兵で埋めつくした。
新手の軍は、すべて千早の苛烈な抵抗を舐なめていない。
公綱も知らないのだ。
﹁こよいは休め﹂
その晩は兵を憩いこわせていたが、明けるやいな、彼の一隊は率先して、千早城のひがし寄り北谷︵金剛谷ともよぶ︶の断崖へ胸をあてていた。
この城、東西深く切れて、人の登るべきやうもなし、南北は金剛山につづきて峰そばだち……
とあるとおり、井の底から空を仰ぐ思いがある。大手の千早谷、うしろの風呂谷、南がわの妙見谷、みなそうだった。どこも七、八百尺の切り崖ぎしや急きゅ峻うしゅんをなしており、上の台地は、さらに三段階となって、根小屋、高やぐら、一から四までの土どる塁いぐ曲る輪わを形成している。
公綱と共に、きのう着いたばかりの新手の友軍は、
﹁宇都宮ひとりに手柄をほこらすな﹂
と、これまた、ほかの絶壁へ取りついた。けれど、従来からいる現地軍は、
﹁公綱の一勢で陥せるほどなら、味方数万がこんな難攻はしていない﹂
と、冷ひややかに見物していた。
公綱にはそれも小癪だし、日ごろの大言のてまえもある。
﹁怯ひるむな﹂
断崖の途中から、下へむかって、部下を督した。
﹁おれすらこうだ。おれのさきによじ登って行くやつはいないのか﹂
﹁なんの!﹂
一族の若い三河守とその旗本六、七人が彼の横を越えて這いあがって行くのが見える。
が、どうしたのだろう。うちの一人がとつぜん断崖の肌から宙へ弾はじき飛ばされたせつなに、あたりは暗い砂塵にけむっていた。ど、ど、ど……と大石のなだれを感じたのは耳からでなく無意識に抱きついていた山肌からのものだった。
﹁…………﹂
公綱が眼をひらいてみると、もう自分の上には一人の味方もいなかった。彼は自分の笠となっていた岩盤の一つへ手をかけ、その上に躍り立った。そして味方も見ろ、敵も聞けとばかり、わが剛胆をほこって言った。
﹁楠木はどこにいる。なぜ正成は姿を見せぬ。これは去年、渡辺橋から四天王寺へかけて楠木を取り逃がした宇都宮公綱だ。東国一の剛ごう公綱があらためて見げん参ざんを申しいれる。卑怯者と笑われたくなくば、名のりあえ。一騎と一騎の勝負をいたせ﹂
すると、どっと笑う声がとりでのうちにわいた。彼の古風な武者名のりが、孤塁の兵にはなにか場違いな平和の歌の文句みたいに聞えたのかもしれなかった。たちまち一本の、いや幾すじものふとい麻縄が上から彼のすがたへむかって投げられ、
﹁珍ちん重ちょう、珍重﹂
また、ほかの諸もろ声ごえで、
﹁いざ登られよ﹂
﹁登って来い、公綱﹂
と、言い騒いだ。
公綱はその一つを引っぱッてみた。たしかである。次の足がかりまで、十尺ほど攀よじて行った。大丈夫らしい。で、なおも、よじ登ること数十尺とみえたとき、上でぷつンと縄が切られた。あッ。――もちろん彼の体は谷底まで、一箇の木の実が落下する小ささに似ていた。
公綱の大剛もここでは敵味方の物笑いをかったにすぎず、ただその日からの総攻撃の口火となッたにすぎなかった。
公綱も考えたろう。
戦争もすでに今日の戦争で東北武者の彼の夢にあるような、源平華やかなりし時代のそれではない。孤塁の守兵は、木の根や野鼠も喰べていよう。しかもその不落のとりでの上にうす黒くなっている雨ざらしの菊水の旗は、荘厳ですらあった。それが寄手側には、なんとも理解できず、なんでこんなに強いのか。死を恐れない者ばかりかたまったものか。内心、驚異の的まとだった。
﹁第一には、火ひ箭やを射込め﹂
﹁ただの矢も射あびせろ﹂
﹁そして城兵が、消火にうろたえているすきに、一軍は坑あな道みちを通って、やぐらの下へ抜けて出ろ﹂
﹁坑あな道みちは早や掘り抜けている。あの高やぐらさえ踏ンまえれば、しめたもの﹂
﹁同時に、別軍は千早谷を全面にわたって這いのぼれ﹂
﹁妙見谷、北谷、風呂谷、一せいに進撃する。たとえ親が討たれても振り向くな。子が仆れても、ふみこえろ。屍に屍を積んで、今夕までには、千早城を踏み潰つぶすことだ﹂
いくさ奉行長崎や各軍の大将たちは、鎌倉表からの軍令奉書をまえにこう誓いあった。――またそのぐるりには、おもなる全軍の部将も立ちならび、主脳たちの作戦のしめしあわせに硬こわばッた聞き耳をすましていた。
﹁わかったな﹂
﹁わかりました﹂
﹁部署につけ﹂
﹁おうっ﹂
それぞれの持ち場へ、各軍の大将、各隊の部将、木の葉のように駈けちらかった。
朝がたには、宇都宮公綱の先さき駆がけを、なすがままさせておいて、それみたかと心で囃はやしていた者どもなのだ。そのてまえもあり、大きくは鎌倉の急令、全軍の猛気は、きのうまでの比でなかった。
千早城の大手、千早谷をへだてて赤滝山がある。
そのあたりには、ここかしこ、丸太組みの塔が林立していた。なるべく敵のとりでに接し、またなるべく小高い岩頭などをえらんで組んであるので、矢を射こむには、至近距離をなしている。
まもなく虚こく空うは矢さけびの道になった。
たちまち、敵の上から、小さい煙が、幾ヵ所となくたちのぼる。
一柱ちゅうの煙をみるたび、谷が吠えるような喊かん声せいである。火の雨の下にある城兵の混乱ぶりを想像しての快かい哉さいなのだ。だが、矢ごろには限界がある。火の矢はとりでの深くやそう遠くまではとどいていない。
﹁坑あな道みちを取ろう﹂
﹁いや、崖がけを行け﹂
千早谷をうずめた兵、北谷へ向った数千、すべて三方からとりでに詰寄った軍勢は、万に近い数だった。そのうしろで、押し太鼓のバチは狂気のような乱打をつづけ、陣じん鉦がねは山をふるわせた。春闌たけてから、山にも雨が少なく、苔や下草まで乾いていたが、天も眼をおおわずにいられぬものか、この日、徐々に雲が下りていた。
或る一距離は、一気に、
わああっ……
と怒濤になって、前進をみせたものの、それからさきは、うごかなかった。――死の壁だった。兵はみな、びょうぶのような崖のすそにへばりつき、地肌の凹凸をえらんで匍ほふ匐くしたきり前には出ない。
部将の号令は声をからす。
一とき、陣じん鉦がねや押し太鼓の乱打も、効はなかった。どんないのしし武者も、死の壁と自分とが一つになるには、長短の秒差はあるが、体じゅうの毛穴から、体のなかのものすべてが失われてゆくだけの時間はかかる。
だが、ひとしく長くはない。やがて谷をうずめ、断崖のすそを染めた甲かっ冑ちゅうと肉塊の色は、雲の這うみたいに徐々と上へ這いすすんではいた。いや進むのでなく、おなじ業ごうを持った人間の車輪にうしろから押し出されていたのである。――そうして頭上を通ッてゆく味方からの掩えん護ごの火ひ箭やや矢叫びも、もう聞えず、あらゆる音震にも皮膚が無知覚になったとき、一つ一つの兵の顔は人間を脱して、眼と爪だけのものに変っていた。おそらく一人一人の家郷にある妻子が夢にでも見たら悲鳴のうちに夢醒めて哭なかずにいられないものだった。しかし、彼らは攀よじてゆく死の壁から振向きもできなかった。崖肌の窪みをつたい、岩蔭をさがし、たえず亀首をすくめながら、ただ衆の中で衆を恃たのみに這っていた。
すると、ふいに。
だ、だ、だ、だッ……
ど、ど、どっ……
と、千早谷から金剛谷にわたる連壁が鳴り出した。
﹁しゃッ﹂
﹁来たっ﹂
せつなには、人間の声が一切しなくなる。
兵も将も途中の断崖に抱きついた。怒りに震ふるう山肌は土をとおして彼らの五臓六腑に、もンどり打たす。上からころがッてくる無数な岩や大石が、みるまにあたりの戦友を奪い去って行った。そして薄くなった地面のあとに、血しぶきが光を持ち、血は碧あおい虫みたいに、流れてうごいた。
﹁くそっ﹂
﹁畜生﹂
﹁死んでたまるか﹂
彼らは、憎む敵の顔も知らないのだ。ただ乱岩飛石の暴状にむかッて叫ぶ。
そして生き残りがまた這い出した。そのすきまを後続部隊が埋めてゆく。けれどたちまち、次の石弾が降っていた。一瞬、土けむりに交じる灌木の飛片や小石は、ただ黒い飛沫にすぎず、それに捲かれてなだれ落ちてゆく人間の土砂は声もなく、また余りに脆もろすぎて、ただの物質としか思えない。
﹁いかに楠木でも﹂
一人の指揮将は、半顔を血みどろにして、亡霊みたいに叫んでいた。
﹁天魔鬼神ではあるまい。たかのしれた城兵の数だ。おれを楯にしてつづいて来い﹂
彼は勇猛だった。さすが鎌倉武士を思わせるものがあり、彼につづく七、八人もまた見えた。そしてその一群は、ほとんど、とりでの上に近い勝負ノ壇までしがみつき、上からの槍、長柄など物ともせず、敵中の武者足場へ跳びあがったようである。しかし、そこでは必殺を期していた楠木勢の乱刃に会い、すべてたちどころに殲せん滅めつされたかのようだった。
そこ一ヵ所ではない。とりでの外輪の全面に、阿あし修ゅ羅らの吠えは迫ッている。
千早谷の右端の、はるか上のあたりにも、一団の人ひと旋つむ風じが忽こつ然ねんと現われて、
﹁奪とッた﹂
﹁先陣の道をひらいたぞ﹂
﹁これは大仏陸奥守の軍﹂
﹁小笠原彦九郎の一手﹂
﹁千葉大介の一勢﹂
﹁敵のやぐら下へせまって、ここの一高地をわが手におさめた。つづいてこい、味方の衆﹂
と口々なさけびを、また、もっと大きな鬨ときの声にくるんでは、なんどとなく、谺こだまを雲にくりかえしていた。
かねて、おびただしい人力と日数をかけて掘りすすめていた例の坑道を突破口として、蟻ありのごとく断崖の八、九合目へあらわれたものだった。
これはたしかに寄手の一成功にちがいなかった。
従来、どんな犠牲をはらっても近づきえなかった高さに達して、そこの小さい小台地を占領したことであるから、彼らが狂舞して誇ったのもむりはない。
たちまち、そのへんには、東国武者の旗じるしが、競うようにひるがえった。後日の軍功の証しるしにもなることだった。そして一つの突破口をそこに見ると、谷にみちていたほかの軍勢もぞくぞく地下の蟻あり道みちをつづいて行った。いや、こうと見ては、ひとに功名を誇らせてはいられない。崖の地表もまた這いよじる兵の色で塗りつぶされた。ゆるやかに地面が逆に巻きのぼってゆくような錯さく視しがおこる。――まさに千早の危機はいまかと見えた。
が、城中はしいんとしていた。
たったいま正成から、
﹁あわてるな。指揮をくだすまで、それぞれの部署にいて、勝手にうごくな﹂
と、やぐらの上から声があったばかりである。
﹁いいのですか?﹂
やぐら武者のひとり恩おん智ちみ満つか一ずが唾を呑むような声で、正成の横顔へ言った。満一は、爺の左近の子なのである。
﹁敵の顔一ツ一ツがよく見えます。そして断崖は土も見えません。全面、敵兵ばかりです。かまいませんか。おやかた﹂
﹁…………﹂
正成ものぞいている。
満一への返辞はなかった。
びゅッと、油くさい煙の尾がそばをかすめた。水をふくんだ縄ばたきを持った兵が近くに落ちた火ひ箭やをすぐたたき消している。正成は歩いて、ひがし足場の松尾季すえ綱つなと、西足場の神じん宮ぐう寺じま正さも師ろ、そのほかの塁るいへむかって、初めてこう号令した。
﹁火ひさ雨めをあびせろ!﹂
それは火箭のような生やさしい物ではない。油ボロを芯しんに枯れ葉などを仕込んだ竹編みの火焔玉やら、投げ松たい明まつの類だった。たちまち、火を噴く活火山のように寄手の上へ降りそそぐ。
叫喚が起った。焦熱のうめきに山が揺れた。しかし猪突の敵は、体に煙を持ちながらでも迫ッてくる。城兵は、矢を射あびせ、もっと近い敵には、槍を投げた。それもただ鋭利な刃ものを棒のさきに植えた銛もりのようなものだった。
﹁樋ひの堰せきを切れ﹂
正成の第二の令がつたわると、次には、敵の坑道の上あたりから、どうどうと、数条の滝水が落ちてきた。
水は、籠城兵にとれば、生命の水だから、拝おがんで使っているほどだった。それをもいまは、あらんかぎりな埋うめ樋どいの水路を切って、一挙に敵の坑道口へむかって吐き捨てた。
また日ごろ蓄えておいた火焔玉も、ほかの崖全面の敵兵へぶり撒いた。総じて、この日の防戦には、千早の守りもその最終的な死力を出しつくしていたかにみえる。
けれど、正成の指揮ぶりには、その日も何らさしせまったふうはなかった。おそらくは、晩雲の冷風に、
﹁雨、近し﹂
と察して、さいご的な戦法をとったものと思われる。
それはともかく、地下坑道に充満していた敵のうろたえは想像もつかない惨状だったとおもわれる。坑道内の傾斜を泥の濁流が一いっ瀉しゃ千里にながれて行ったことだろう。さらに坑あな口ぐちの一台地にいた軍勢も、投石や投木に打ちひしがれ、そこもほとんど全滅的な酸さん鼻びだった。
また、どこかでは、わあっと、絶え間なしに、逃げ足がなだれ打ッて行く。いつか谷には薄暮がこめ、北谷の奥までも、断崖という断崖すべてもうもうと煙っていた。火焔玉はなかなか燃えつきない。その火が、あたりの灌木を焼いて、鬼火地獄の観を呈しているのでもある。
もう絶壁の肌に、うごめく兵影は見あたらなかった。でも折々には大石の地ひびきが崖から奈落をゆすッてくる。谷が埋まるほど、石が積まれ、兵の死骸が、その間にはさまっていた。雲がいよいよ低く垂れ、どっぷりと夜が濡れてゆく。――やっと、そのころになって、諸所の陣から退ひき鉦がねがひびいていたが、ほとんど、東国勢はすでにどこかへ散ったあとだった。そして、うごけない手負いか死者のほかはない寂せきとした死しこ谷くの闇に、やがて白い冷たい雨が降って来た。
雨は四、五日降りつづいた。
その間、火ひ箭や防ぎの心配はない。しかし城兵は休めなかった。次に備えて石やら大木を補充しておく労働がある。また埋うめ樋どいを修理して城中数十の貯水槽に、生命の水を蓄めこんでおく急務もあった。しかも彼らの筋肉は渋皮みたいに営養を失っていた。
﹁了りょ現うげん、あと幾日の糧かてをのこしておるか﹂
﹁十日とて保もてませぬ﹂
﹁いや、木の芽や草もある﹂
それを思うと正成は胸が痛む。隠岐のみかどの脱島を知っていらい、城兵は新しい勇気をもち直していたが、それにせよ限界がみえる。
しかし、関東の大兵を千早の下にひきつけて、時をかせぐを目的としていた正成の計はかりは、半ば達していたといっていい。ひそかに正成も、それにはほくそ笑みを持っていた。この上もし生き抜くことができたら、それは人力でない天の恵みか奇蹟というものであろうと思う。
さて、天気がよくなると。
寄手はまたも、次の苦計を編み出していた。後に“雲うん梯ていノ計けい”とよばれたものである。各所に巨大な井せい楼ろうを組んで、崖へ梯はし子ごを架けわたし、谷を踏まずに迫ろうとするのらしい。
正成は笑って見ていた。
すると孤こる塁いの裏側から、意外な援けが入ってきた。さきに使いに行った忍ノ大蔵の案内で、大塔ノ宮の部下、高間行秀、快全の兄弟のひきいる食糧輸送の一隊が、大和方面から関屋口の敵を突破して、これへ着いたことだった。
吐とう雲んさ斎い
﹁ばば、出てみい。たれか門かどで訪おとのうらしいぞ﹂ 山荘のあるじは言った。 毛利時親だ。加賀田川の渓谷の彼方、千早からは西方二里余の山中である。 胴服に山ばかまの姿を机によせ、今日も独坐の恰好だった。近ごろは、集会の若者たちもとんと見えず、婆は耳が遠かった。しきりと書斎の声なのに、表ではなお耳ざわりな、 ﹁たのもう!﹂ の声が、つづいていた。 ﹁ちッ﹂ 時親は自分で立った。矮わい小しょうで骨ばッた老人なのに、ひどく力のある足ぶみで、あらあらと玄関に顔を出した。 ﹁や﹂ あるじと見て、急にうやうやしく腰をまげた武将がそこにあった。うしろの遠くには一小隊の兵をひかえさせている。 ﹁何だね、御用は﹂ ﹁は。てまえは千早攻めのいくさ奉行長崎四郎左衛門ノ尉殿の旗もとで、足立源五と申す者にござりまするが﹂ ﹁こないだも来たな、岩切勘左衛門とかいうものが﹂ ﹁は﹂ ﹁なにしに来るのだえ? そうたびたび﹂ ﹁主命をうけまして﹂ ﹁へえ﹂ ﹁毛利時親さまは、あなたさまで﹂ ﹁ちがうよ﹂ ﹁え?﹂ ﹁ちがう、ちがう﹂ ﹁では、大江時親さまで﹂ ﹁どっちでもない﹂ ﹁お戯たわむれを﹂ ﹁ほんとだ、そこの軒のき桁げたを仰ぐがいい。わたしは吐とう雲んさ斎いだ、吐とう雲ん居こ士じという山家おやじにすぎんのだ﹂ なるほど軒の木額には、 吐とう雲んく窟つ の三字が読まれる。 だが足立源五は、さきにここへ使いして追払われた同僚から、あいては稀代な偏へん窟くつ者ものだぞと、あらかじめ脅おどされてきたことである。翻弄にあまんじる用意は顔にできていた。 ﹁でも、ご老体は、この家のおあるじにちがいありませぬ﹂ ﹁あたりまえだ。召使ではない﹂ ﹁それでけっこうです。主君長崎どののお旨むねをうけて参上つかまつッた。寸時、ご談合いただけますまいか﹂ ﹁うるさいな、再三﹂ だまって奥へ引っこんでしまった。それきりである。しかし時親は、やはり表が気になるとみえ、机きへ辺んの書物やら山絵図のごとき物を、ひとりごそごそと、かたづけていた。 そこへ婆が、贈り物の目録をもって来て、彼にみせた。兵の手で厨くりやへ届けられたものだという。この戦時下では手に入らない品々がならべてある。﹁取ッておけ﹂と言ってから、時親はまた、 ﹁しかたがない、一人だけここへ通せ﹂ と、いいつけた。 こんな練ねれている侍もあるものか、ずいぶん居づらいはずの書斎だが、足立源五はよくねばりこんでいた。そして、あるじの風向きをうかがいながら言いだした。 ﹁いかがでしょうか。主人長崎殿から、さきにもお願い申してあることですが﹂ ﹁わしにかい﹂ ﹁されば、いちど陣中にお越しを仰いで、種々ご意見を伺いたいと、切に望んでおられますので﹂ 時親は、そっぽを向いた。客嫌いな老人のよく見せる癖である。が、ぜひなげに、 ﹁いやだよ﹂ と、やっと口をきき出した。 ﹁じたい、長崎殿の陣中へ出向いて、わしに兵法の講義をしろとは、まるではなしが、あべこべじゃなかろうか。そちらは実戦の専門家じゃろ。こちらは書物の蠧む魚しに過ぎん﹂ ﹁いや、ご謙けん遜そんで﹂ ﹁待ってもらおう。おまえさんに謙遜するいわれはない﹂ ﹁ですが、大おお江えま匡さふ房さの家書家統を継ついで、六りく韜とうの奥おう義ぎを究きわめられたとか。ご高名は、この地方でも隠れはありません﹂ 足立源五は、口をきわめて、老人のごきげんを取り結ぼうと努めるのだった。けれど時親のおもてには、てんで何の反応も見えてはいない。 ﹁おやおや、そんなに有名かね。めいわく至極だ﹂ ﹁世間では、加賀田の隠者と申しあげているよしですから、ごめいわくは察しられますが、まげてひとつ、主君のご懇望に、おききいれを給わりたいので﹂ ﹁行ったところで、山中の一老ろう爺やに、何も教えるほどなものはない﹂ ﹁しかし里びとの話では、楠木多聞兵衛正成も、幼少のころ、ここへ通い、また弟の正季やら近郷の武士どもも、つねに山荘に集まって、ご講義をうけたものとききおよびますが﹂ ﹁それはあったね、閑ひま人じんとみて、みんな茶ばなしに寄ってくるんだな。そのなかに、はや、むかしだが、水みく分まりの多たも聞んま丸る︵正成の幼名︶とかいうのもいたね。かんのわるい子だったよ、物覚えものろかった。夜道にころんで、崖のソギ竹で片目をわるくしたような鈍どんな子だった。それがいまは、関東の大兵を苦しめている千早の大将と聞いて、いやはや、隔世の感だ。ただ驚き入っていたところだ﹂ ﹁その正成に、とくべつ師弟のご慈愛はないのでおざるか﹂ ﹁ないね。以来十数年も、正成はここへ見えたことはない。正季だけはよくやって来たが、あれは滅法な血気者、ここらに多い山家武者の若者と変らんしな﹂ ﹁それだけで?﹂ ﹁ま、そんなところだ﹂ ﹁ならば、鎌倉どののために、寄手の陣中へ臨のぞんで、秘策をおさずけ下されても、情じょうに悖もとることはないでしょう。今日は足立源五、主命にちかって参ったのです。かくのごとく三さん顧この礼れいに倣ならってお願いをかさねまする﹂ ﹁はははは﹂ 時親は、喉のどぼとけを転ころがした。 ﹁諸しょ葛かつ孔こう明めいはこんな爺ではなかったろう。それにさ、数万の兵を擁ようしながら千早一つが陥せんとは、あまりに能のうがなさすぎよう。そんな所へ出向くのはまあ真ッ平だな﹂ ﹁ではどうしても﹂ ﹁む、帰ってもらおう﹂ ﹁隠者っ﹂ ﹁なんだ! その眼は﹂ ﹁しからば訊ねるが﹂ ﹁脅おどしか﹂ ﹁脅しでない。腰の刀ものにかけて申す。老体は隠者めかしてとぼけているが、じつは諜ちょ者うじゃをつかって、寄手のうごきをさぐり、ひそかに千早の正成をここで助けているのであろうが。隠してもだめだ、こちらには確証がある﹂ はなしも最後とみたからであろう。足立源五は切り札を出してしまった。 数日前である。 いくさ奉行の陣所へ、一人の放免が駈け込み訴えに出た。忍ノ権三であったのだ。 その権三の取調べから、忍ノ大蔵のこともわかった。権三は千早の内から逃げ出して来たのである。眼に見てきた城中のもようを告げ、また、大蔵と隠者との関係などもしゃべりちらした。 もっとも、それいぜんから、 ﹁加賀田の山奥に、えたいの知れぬ兵学者がいる﹂ との噂は入っている。 またその者は、正成、正季の兵法の師で、戦前には近郷の若い郷さと武むし者ゃらが、よくそこの山荘に出入りしていたなどということもわかっていた。 ﹁いちど、その人物をたしかめておく要がある﹂ いくさ奉行長崎は、迂うかつではなかったのである。ひょっとしたら、千早を陥すいい智恵を持ちあわせている者かもしれず、ばあいによっては、軍師とあがめて利用してもいい。ともあれ、口実はどうでもいいから連れて来いと、家臣岩切勘左衛門にいいつけた。 けれど、初めの使者は失敗した。とても生やさしいおやじではないといって、その偏へん窟くつぶりを勘左衛門からいろいろ聞かされたことだった。で、長崎も苦笑に終り、いつか陣務の忙しさに、それは忘れていたのである。 ところが権三の訴えで、千早と加賀田のあいだに、今もなにか気脈のあるらしいことが分ったので、彼はふたたび、 ﹁奇っ怪な隠者だ。どうあっても、こんどは連れてまいれ﹂ と、足立源五を二度目の使いにさしむけたわけなのだ。――だから源五としては、初めは処女のようでも、居直ッてしまったからには、時親の首に縄を付けてでも連れ帰る料りょ簡うけんなのはいうまでもないのであった。 ﹁隠者、恐れ入ったか﹂ 以上。源五は事実をならべて、きめつけた。 ﹁……いちいち、それらの申し開きが出来ぬとすれば、隠者も敵方の一人とみとめる。ま、いずれにしろ、陣地まで同道してもらおう。さあ立て﹂ ﹁いや、ことわる﹂ ﹁なに﹂ ﹁めいわく至極だ﹂ てこでもうごく時親の容子ではなかった。その異相、俗に杓しゃ子くし面づらというしゃくれ顔の低い鼻から唇のへんに、何ものとの妥協も知らぬ隠いん棲せい者しゃ独得な孤高のほこりと皮肉にみちた小こじ皺わをたたえて、嘯うそぶきすましているのである。 ﹁む、ぜひがない﹂ 源五はこらえているつもりだが、語気は充分にもう感情と威圧であった。 ﹁兵に命じて、しょッ引かせよう。老人にいたい目はさせたくないと思ったが﹂ ﹁まあ待て。そこまでの思慮があるなら、もう一考したらどうだ﹂ ﹁一考の余地はあるまい﹂ ﹁ないことはない﹂ ﹁では神妙にまいると申すか﹂ ﹁いや、さほどわしに会いたくば、いくさ奉行の長崎自身、ここへ足を運んで来るのが、いちばん話が早分りじゃろう。長崎に来いと申せ﹂ ﹁ば、ばかな﹂ ﹁何ンでかね?﹂ ﹁たわ言ごともほどにしろ﹂ 足立源五は、もう、がまんのならない顔で、そこの縁から表の兵へ、 ﹁者どもっ、この老いぼれめを引き出して、馬の背にひッくくれ﹂ と、どなった。 土足の兵がこみ入ッてきた。が、時親はその老い骨を猫背に一そうぺしゃんと腰をすえて、琥こは珀くい色ろのひとみでキラキラ見ているだけだった。 ﹁うぬ、まだ立たんな﹂ 源五は、火になって。 ﹁世にうとい老学者と、手加減をみせておけばよい気になりおる。それっ、ひきずり出せ。この食わせ者を﹂ ﹁源五、そこらの兵どもも、下にいろ。あとで後悔せぬがいいぞ﹂ ﹁なにを、白々と﹂ ﹁逆上するな。言いたくはないが、いまはしかたがない、申さずばなるまい﹂ ﹁その申し開きは、長崎殿の御陣へ行って、申しあげろ﹂ ﹁なんの、ゆるし乞いなどする気はない。かりにもわしは長崎四郎左衛門ノ尉には、目上の血縁にあたる者だ﹂ ﹁こいつが、くるしまぎれに狂人を装う気か?﹂ ﹁狂語と聞くなら、狂語と聞け。だが、わしの亡妻は、さきの鎌倉の執しっ権けん代だいの長崎高資の兄、泰やす綱つなのむすめじゃった。内うち管かん領りょうの円喜入道とも、浅からぬ肉親にあたる﹂ ﹁…………﹂ ﹁とだけでは、まだのみこめまい。それよ、わしがまだ六波羅評定衆の一員として、都にいたころに取り交わした、高資や泰綱などの書簡の古ふる束たばねがここにある。……これを持ち帰って、長崎へ見せるがいい。思い出すことだろう﹂ 時親は書斎の一隅をかきまわして、一ト束の古手紙を源五の足もとに抛ほうり出した。源五はその二つ三つをせわしげに検あらためていたが、どうにも不ざまな驚きをかくせなかった。中には彼の主筋の名や北条氏眷けん属ぞくのゆゆしい人々の名も見えたからだった。 ﹁で、では﹂ この場の収拾もつかない態ていで足立源五は、もいちど、もとのかたちに返った。 ﹁あなたさまの御出身地は?﹂ ﹁相模愛甲郡毛利の出﹂ ﹁そして、もとは北条家の﹂ ﹁そうだ、守護のひとり、越後の任地から、京都へ移り、しばらくは六波羅につとめていた﹂ ﹁それがなんでこのような河内の山深くに﹂ ﹁ここは、わが家の飛び領だ。そればかりでなく、人に会いたくなくなった。それも二十余年も前になる。円喜の子、四郎左衛門ノ尉などが、わしを知らんのもむりはないな。……しかし毛利時親といわず、大江時親といえば、寄手の大将、阿曾弾正、二階堂道蘊なども、うすうすはまだ覚えておろう。ともあれこの老体、こちらから出向くのは億おっ劫くうでならん。……そういっていたとつたえてくれい﹂ あり得ないことも世にはある。源五はなおも預けられた古書簡を見ていたが、がぜん、おののきを覚えたらしい。極端から極端へ態度をかえ、早々に兵を追い出して、 ﹁いずれあらためて﹂ と、ばかり逃げ去るようにここの山荘を立ち去った。 山荘の裏は段々畑で、かなりな耕地がひらけていた。 南むきの山やま蔭かげに七、八軒の長屋がある。時親に代って飛び領の百姓を差配している山武士の家族と牛や馬の小屋だが、同日の午ひるさがり、上の山荘から耳の遠い婆ばばがここへ来て、 ﹁甚内さん、およびだよ﹂ と、告げていた。 やがて実直そうな半農半武士といえるような山着姿の老人が、段々畑のあぜをのぼって行く。そして山荘の内庭へ入り、そこで焚たき火びしながら独り腰かけていたあるじを見て、 ﹁隠者さま。御用で﹂ と、遠くにひざまずいた。 ﹁お、甚内か。……ついでに彼方の縁にある古ふる反ほ古ごをみんなこれへ運んで来て、燃やしてくれんか﹂ ﹁あれを﹂ ﹁反ほ古ご焚たきだ。二十年の古巣、かなりあるな﹂ 甚内は、あるじの命のまま、書斎のぬれ縁に出ていた反古の山を何度にも抱えて来ては、焚火の上に積みかさねた。中には古手紙やら絵図古書などの類もある。時親は惜しげもなく棒のさきで落葉の下に突ッつき交ぜた。 まっすぐに黄いろい煙が立ちのぼる。 ……ほどなく、白い灰のチリが、雪のように二人の肩に降りてきて、地の物はしずかな焔になっていた。 ﹁甚内、ここの山家暮らしも、長いことだったが、ちと身の都合で、わしは居所をかえねばならん。そこでここの飛び領は、地券と共に、おまえらに譲ってやる。おまえらは従来どおり山畑を耕して食ってゆくがいい﹂ ﹁や。そしておあるじには、どちらへ?﹂ ﹁都の身寄りへと思っているが、この戦乱だ、そこも身をおく場所でなかったら、洛外の寺へでもひとまず隠れる﹂ そう言って、時親はまた、 ﹁しかし、捨て難いのは、大江家伝襲の兵学の書物だ。兵書はわしの子のようなものだからの。といって持ち歩くわけにもゆかぬ。一トまとめにして書斎のうちに残してあるから、おまえらの手で或る時期まで、人目につかんように洞穴の内へでも匿かくしておいてくれい﹂ と、いいつけた。 ﹁急なことになりましたな﹂ それ以上を甚内はたずねなかった。近郷一帯の戦場化を見て、おあるじの身の危なッかしさは、いつとも知れぬと、彼らも案じていたからだった。 あくる朝、時親は、甚内の息子の番作に牛を曳かせ、牛の背にのって、 ﹁あとは、たのむ﹂ とだけで加賀田の渓谷から人里の方へ降りて行った。もう帰らないつもりだろうか、いつかはまた帰るつもりなのか。その姿を見送っていた甚内にも、わからなかった。 いくさ奉行長崎の名みょ代うだい、長崎与三種長が、ここへ見えたのは翌日だった。すでに隠者はいないと聞いて、彼らは大きな怪しみをあらたに持ち、家捜しなどを行ったうえ、甚内を拉らっして陣へひきあげていった。 すると、その騒ぎと入れちがいに、忍おしノ大だい蔵ぞうがもどって来た。大蔵にはこんな事も予想のうちにあったのだろうか。べつに驚きもしなかった。そしてすぐ彼も山から姿を消した。 一方。――牛の背に乗って牛の歩みまかせに、人里へ降りて行った毛利時親は、まだ高野街道の途中にいた。 しょせん、金剛のすそから石川平野は、関東勢の陣じん圏けん内ないであろうから、通行もやっかいにちがいないとみて、わざわざ西へ避けたわけだが、つまらぬ廻り道だった。およそどんな山間の田舎でも、軍の駐ちゅ屯うとんと、そして兵糧徴発の輸送隊が道をうずめてないところはない。 ﹁えらいこっちゃな﹂ 時親は牛の背で世間を見物顔していた。いたるところの非常時騒ぎが、彼には苦笑ものらしい。 千早一つを陥すのに。 また、大塔ノ宮ただ一人を捕えるために。 彼にすればこの大げさな動員や輸送のほこりも滑稽なる狼狽か無策の拙つたなさに見えるらしかった。戸板や牛ぐるまに載せられた重傷者のうめきが後方へ運ばれてゆくのをみても、彼の眉には、それらを傷いたむ思いやりはみえなかった。ただ兵学者の批判的な数の読みと、敗者への嘲侮をひとみが持つだけだった。 ﹁おや、いけねえ﹂ ふと、牛を止めて、甚内の息子の番作が、牛の背へ言った。 ﹁隠者さま、また兵隊の屯たむろですぜ。むこうの木戸で往来調べをやってるらしい﹂ ﹁恐れんでもいい﹂ ﹁ようございますか﹂ ﹁だが番作﹂ ﹁へえ﹂ ﹁隠者と呼んだり、時親さまといったりする口癖は気をつけろ。……吐とう雲んさ斎いと呼べ、吐雲斎と。よろしいか﹂ これまでの訊問にも、彼は医くす師しの吐雲斎で通って来たのである。どこの屯たむろでも、その風貌からみて、彼を医師に非ずと見破った者はない。 道は、狭さや山まノ池のくびりで半田の部落をのぞいている。そこの木戸でも、おなじ偽称で難なく通りぬけた。 ところが、しばらく行くと、宙を飛んで追ッかけて来た武者がある。さっと牛の前へ廻って、正視してから、こう言った。 ﹁これは加賀田の老先生、どちらへおいでになりますか﹂ ﹁ちがう﹂ 時親は顔を振った。 ﹁わしは吐雲斎と申すもの﹂ ﹁吐雲斎? それは御書斎のお名でしょう﹂ ﹁はははは、そこまで知られていたんでは、しかたがないな﹂ ﹁主人と共に、二度ほど山居へお伺いしたことがありまする﹂ ﹁ご主人とは﹂ ﹁石川殿で﹂ ﹁お。散さん所じょノ太たゆ夫うか﹂ ﹁近くに御陣しておられます。ぜひお呼びしてもどれとのこと。おいそぎでなくば﹂ ﹁いや、急ぐのだが﹂ ﹁でも、まげて、ご休息でも﹂ ﹁そうするか?﹂ あまり逃げ腰なのもいい智恵ではない。時親はすぐ分別する。番作に何か耳打ちして、牛と彼とを路傍にのこし、ひとりその武者について行った。 散所ノ太夫義辰というのは、石川豊麻呂の父である。子の豊麻呂は、楠木正季らの若い仲間のひとりで、戦前には加賀田の山荘にもまま顔をみせていた冠者だった。――行ってみると、義辰は派手な鎧よろ直いひ垂たたれに巨躯を飾って、陣門の前で待っていた。 ﹁おう、やはり加賀田の老先生でござったな﹂ 散所ノ太夫義辰は、自身、陣とば幕りのうちへ迎え入れて、 ﹁山の隠者が、おめずらしく、今日はどこへお出かけで?﹂ さっそくに、いぶかり顔をしてみせた。 ﹁山といっても……﹂と、時親は上唇をそらして、笑うのかと思うと、笑うのでもなく真面目くさって。 ﹁近ごろ、鳥とり獣けものもいなくなった。生き物は人間だけの山になった。ぜひなく、合戦のないほかの山へ退散の途中でおざるよ﹂ ﹁では、千早の孤城も、まだ陥ちぬとのお見通しですか﹂ ﹁わからんな。それは、さて、わしにもわからん﹂ ﹁兵学から観て?﹂ ﹁兵学では、あてはまらぬのだ。従来の兵理なら千早はとうに陥ちているはず。理や術ではない。何か千早はべつなものだな﹂ ﹁何でしょうか、それは﹂ ﹁わしもそれが知りたい、と思って、加賀田にこらえていたが、このぶんではいつ大戦が果てるともみえん。かたがた、寄手のいくさ奉行などに、不審をかけられ出したので、退去に如しくなしと、足もとの明るいうちに逃にげ退のいてきた……という次第じゃ。は、は、は、は﹂ 聞く方の義辰は、肥ふとった体を、もてあますように、床几でたびたび腹を反そらした。そして、ことばもかえ。 ﹁いかがでしょう。こよいはここの寺院に御一泊くださるまいか。陣中ながら粗餐なと差上げたいが﹂ ﹁いや、それよりは、お願いがある。木戸の訊問で、いちいち迷惑して参ッた。――医くす師し吐雲斎として、通行手形を下さるまいか﹂ ﹁おやすいことだ﹂と、すぐのみこんで﹁――どこまでの通行手形を?﹂ ﹁道は廻りだが、都へ入りたい﹂ ﹁よろしゅうござる。が、その代りに、それがしの悩みのためにも、一言、底意なき御意見を、おもらし給わるまいか﹂ ﹁お悩みごととは﹂ ﹁じつは﹂ と、義辰は、家来を遠ざけて打明けた。 彼の嫡子、石川豊麻呂についてであった。豊麻呂は、楠木正季らと共に、同志的な誓いを践ふみ、親の義辰にもそむいて、はやくから千早城の内にはいっている。 ために、親の義辰は、寄手の諸大将から異端視され、鎌倉幕府の聞えも、もちろん、かんばしくない。本拠の石川城をすら外はずされて、こんな後方陣地に引きさげられているのも、そのせいだと嘆くのである。 しかも、千早が亡ぶか、寄手の長陣崩れに終るか、それの如いか何んによっては、自策もきめておかねばならない。――ここ隠者の兵学眼からは、宮方か鎌倉幕府か、いずれに軍配を上げますかと、その日和見主義と子への盲愛に晦くらんだ親は意中の悩みをおくめんもなくさらけ出して訊たずねるのだった。 ﹁……さあて?﹂時親は返辞に窮した。﹁……わしも神ならぬ身﹂ 寄手の兵数には、こんな分子も交じっていたのだ。それから答えを引き出せば、或る仮定は出せないこともない。けれど彼はただ顔を斜しゃに向けて威儀だけをつくろッていた。自分は神でないとだけしかいわなかった。 時親は、まもなくまた牛の背で、元の街道の一行人になっていた。 ﹁ぜひ、一夜は﹂ と、ひきとめられた散所ノ太夫義辰の陣を、逃げるように辞し去って来たのである。 何か、ほっとした気もちで、 ﹁番作、なるべく急げよ﹂ と、そこで言った。 番作は笹のムチで、折々、牛の尻をたたいた。 時親のあたまの中にはまだ義辰が溶け消えていない。やはり人里だ。人里に降りるとさすが人間臭い人間にさっそく出会うものだとおもう。 ――子は千早の内にあり、親の自分は寄手にいて、人なみ以上、この大乱の渦中にある身でありながら﹁どっちへ本腰を入れたらいいのか?﹂と、迷っている凡将の煩ぼん悩のうな訴えにせまられて、その方針を求められるなどは、逃げ出す以外、この老兵学者にも、手がなかったにちがいない。 だが、何となく、彼の後味の悪さは拭ぬぐいきれない顔つきだった。 二ふた股また武者、その日和見主義、そんな風潮は彼だって知っている。不愉快になった原因は、自分にあった。 ﹁わしも神ではないからな﹂ といって逃げたあのことばである。 なんと、いやなまずいことを言ったものだろう。加賀田の隠者時親は、長いこと兵法の神のごとく山では思われていたものだ。そして自分も自分のもとに集まってくる若い郷さと武ぶ士したちに神仙のような態ていで兵学を講じたり時運を論じたりしていたのである。二十年の余も山中にいられたのは、花鳥風月のおもしろさでなく、ひとえにそんな境地や兵学の論究が愉しかったからだ。 そしてまた、ひそかにこう思っていたのは事実である。﹁――戦争よ起れ。ほんとの戦争が起れば、わしの兵学が実験できる。机の上の兵理をこの眼で地上に見られもする。わしの大江兵学に一だんの考究を加え、日本流の孫そん子しを時親の名で著あらわすことができるだろう﹂と。 果然、時代はこの山中の老学者の夢をよろこばせてきた。彼の予言じみたものが、世上の時相となってくるにつれ、その山荘には、いよいよ若い崇拝者を増し、彼らは彼を神仙視して﹁お師﹂と、あがめ合っていた。 義辰の子、石川豊麻呂も、楠木正季らと共に、そのころの門輩のひとりだった。南河内に兵火があがるやいな、赤坂、千早の一員となって、親にも反そむき去ッたのは当然である。そのほか加賀田の山荘にかよっていたいくたの若者らはすべてといっていいくらい今は孤城千早にたてこもってしまったろう。――その﹁お師﹂たるものが、加賀田を古巣として捨て去り、また戦乱の帰結も﹁神でもない身には分らぬ﹂と、逃げて来たのだから、時親のどこかにはある正直さが、ふと自己嫌厭を催もよおしてきたのも道理であった。 ﹁吐雲斎さま﹂ 番作が、その浮かない顔へはなしかけた。 ﹁そろそろ、百も舌ず鳥の野でございますが﹂ ﹁やっと百舌鳥野か﹂ ﹁堺へ出ますか。それとも﹂ 言いかけたとき、後ろの方で呼ぶ者があった。時親は、またかと言いたげに振返った。 ﹁おや、大蔵らしいな﹂ 時親は、そばめていた眼に安心をみせた。 やがて追ッついて来た男は、牛の背のそばへ来て、 ﹁おう、御無事で﹂ と、汗をぬぐった。忍おしノ大だい蔵ぞうだったのだ。 ﹁大蔵、よくわかったな﹂ ﹁万一、都に行くばあいは、この家かこの寺かと、いつか伺っておりましたから﹂ ﹁その日が来たのだ。いくさ奉行長崎に体を持って行かれてはたまらんからな﹂ ﹁いろんなご報告がございます。どこかでご休息でも﹂ ﹁いやいや、路傍で密語などしていると、かえって道行く兵に怪しまれる。歩きながら聞かしてもらおう。番作は離れて来い﹂ 番作に代って、牛のムチを持ちながら、大蔵は歩き歩き話し出した。 多くは、千早の状況で、正成、正季ら以下、城中の士気やら食糧の状やら、また、その戦略ぶりなどだった。 ﹁ふム、ではまだ持ちこらえるかな。奇蹟だな。驚嘆にあたいする。して、おまえはあれいらいずっと千早の内におったのか﹂ ﹁そんなひまはありません。すぐ楠木どののお使いとなって、裏金剛から大和へ脱け、大塔ノ宮さまの御本拠と千早との連絡に働いておりましたんで……。へい、それで首尾よく裏金剛から千早のうちへ、かなりな兵糧を運びこむことも出来たようなわけで﹂ ﹁それは殊勲だ、よくやった。するとなにか、宮にもそれと同時に、裏金剛から千早へ合流なされたのか﹂ ﹁いや、宮さまのご所在だけはこの大蔵にもとんとつかむところがございません。宮の党は大和にあって、金剛山の裏から楠木勢を扶たすけているが、宮ご自身は、もう叡山へ入って、ほかの策にかかっているなんどと部下の者は言っていましたが﹂ ﹁叡山に?﹂ 時親はうめいた。 傍観者の彼の胸に描いている戦図のうえで、大塔ノ宮のうごきは、彼の兵学観からいって、もっとも興味ぶかいものの一つと観ているらしいのだ。――宮が千早に入ろうとせず、叡山に入ったということがほんととすれば、その意図は、叡山の大衆をつかって、直接、六波羅を奇襲し、洛中そのものを、関東勢力から宮方の軍治下に、奪いとってしまおうとする兆きざしなのではあるまいか。 ﹁おもしろい﹂ 油ゆう然ぜんと兵法的な課題の興にそそられたように、 ﹁ひょっとしたら都では、眼まのあたり、それが見られるかもしれんな。宮らしい考え方だ。その策が成功するや否やは、ま、もすこし観みてゆかねば判じられぬが﹂ と、時親は灰みたいな老いの中に異常な熱をふと持ったようだった。 ﹁……さて、日暮れも近そうだな、大蔵﹂ ﹁今夜はどこに塒ねぐらのおつもりなんで?﹂ ﹁四天王寺と思うているが﹂ ﹁じょうだんを仰っしゃってはいけませんぜ﹂ ﹁なぜかい﹂ ﹁堺や天王寺辺は、関東勢で、うっかり野のじ宿ゅくも出来はしません。安全なのは、平野をすぎて淀へ出ちまうことですね﹂ ﹁なるほど﹂ 参ったという顔をする。 世の大乱も掌てに載のせて観ているような自負にみちたこの老兵学者だが、世間へ降りて来ては、とんと、自分の足もとにさえ晦くらいことをみとめずにいられなかった。寝泊りのこと一つでも、世間にあかるい大蔵の用心ぶかさにはおよばない。 ﹁大蔵、まかせる。都へ入りさえすればいいのだ。道すじなどはどうでもな﹂ ﹁ですが身を寄せる先の、おこころあては﹂ ﹁大江匡まさ房ふさの裔すえが、壬み生ぶにおる。いまでも居るとおもう。ひとまずそこへ送ってくれい﹂ 番作は途中で加賀田へ帰してやり、あくる日の二人は、淀の堤を北へあるいていた。 淀へ出たのは、舟を求めるつもりだったが、これは大蔵の目算はずれで、糧米の輸送船や警兵の小舟はあっても、ただの淀川舟などは見かけもされなかった。 ﹁これもよからん﹂ 負けおしみでなく時親はそう呟く。そして牛の背からの世間見物にむしろ満足顔だった。 けれど次の日はもう彼もそんな傍観者ぶりではあるけなかった。夕ちかく、道は八幡のへんにかかっていたが、対岸の美み豆ずや山崎あたりの空はまっ赤だし、川面には兵舟の往来がしげく、どうも予定していた鳥羽までは行けそうもない。 ﹁なんじゃろう?﹂ 赤い煙を遠くに望んで、時親は思慮にあぐねたさまだった。するといつのまにか牛のそばから消えていた忍ノ大蔵がどこからかもどって来て。 ﹁赤松勢だそうですよ。播はり磨まの赤松円心が、六波羅軍にやぶれて、山崎へ退き、再度、洛内へ攻め入る支度であんなに気勢をあげているんだそうで﹂ ﹁ふム。さかんなものだな﹂ ﹁前の月には、その赤松勢のほうが勝ち色で、一時は桂川、東とう寺じの線をつき破り、大宮、猪いの隈くま、堀川、油小路いちめん、火の海だったそうですよ。都のすがたもまるで変っているらしい﹂ ﹁たれに訊いた?﹂ ﹁そこらの者の噂です。てまえも久しく都は見てないので﹂ ﹁したが、赤松勢も山崎まで撃退されているのじゃから、都にはいれぬことはあるまい﹂ ﹁それや、どんなことしても入れぬことはありませんがね、夜道はやめましょう﹂ ﹁あやうきには近寄らずだ。なにも夜道を行くことはない。だが泊るところはあるか﹂ ﹁いい寝床を見つけておきましたよ。このさきの漁小屋でさ。子づれの女が住んでいましたが銭をやってほかへ追い払っておきましたから火の気もあるし糧かてもある。よろしいじゃございませんか﹂ そこは。 堤の蔭に倚よったほっ立て小屋で、芦をすかして大河の水が光ってみえる。 牛をつなぎ、身をいれるばかりな小屋のむしろに坐って、ふたりはゴロ寝ときめた。だが夜は長すぎる。山崎ばかりでなく、鳥羽、伏見、あっちこっちの空も赤い。大蔵はどこからか酒を買って来て、 ﹁どうです、おひとつ﹂ と、時親にすすめた。彼もまた欠け茶碗へ手酌で飲むことしきりだった。そしてなにか言いたそうなふうでもある。時親はにがりきった。酒茶碗には手も出さない。 ﹁先生﹂と、大蔵は唇をゆがめた。これは彼が酔に達した証拠である。﹁いちど腹を割ッたところを伺ッてみてえもんだと、かねがね思っていたことですがね﹂ ﹁なんじゃ?﹂ ﹁いったい、先生って者は、宮方なんですかそれとも幕府方なんですか﹂ ﹁いずれでもない﹂ ﹁どっちでもねえんですかい。ふうム? ……﹂ ただ酒がからんでいる風でもなく、あぐらに首を突ッこむような恰好で大蔵は考えこんだ。 ﹁じゃ、もひとつ訊きますがねえ先生。……どうしてこんどは山を降りちまったんですえ﹂ ﹁大蔵﹂ ﹁おや、なにか気に食いませんか﹂ ﹁きさまの一命はわしに助けられたものだったな。酒もつつしみ、一切の命に服し、生涯をわしにくれるという約束だったな﹂ ﹁ということでしたかね﹂ ﹁なんだその態ていは。それが約束どおりか﹂ ﹁こん夜だけは、ということでまあ今の返辞を聞かせておくんなさい﹂ ﹁途々も聞かせたろうがの﹂ ﹁あれだけですか。身の素姓が知れたので寄手の大将が迎えにきた。寄手の陣に迎えられれば自分は元来北条氏の一族だから北条方につかねばならん。それだけですかい﹂ ﹁栄達はのぞまんのだ﹂ ﹁それはいつも伺ってたから、さすが、おえらい隠者だ、おえらい学者だと、すっかり心服していたんですがね﹂ ﹁なにが不服でそんなことをば今夜にかぎッて言い出すか﹂ ﹁腑ふにおちねえのさ。この大蔵には気にくわねえことが一つある。何ンでしょう、おまえさんは楠木正季さまやらあの近郷の若武士たちにはずいぶん崇あがめられて、そして戦いくさになる前から戦をしろと常々けしかけておいでなすったンでございましょ﹂ ﹁たわけ者、兵学は兵学だ、戦を起せということじゃない。当代のこの大乱は必然におこったものだ。時親一個がけしかけたところで始まるものではない﹂ ﹁ですがさ、そんな風にこち徒とには受けとれまさあね。また血の気の多いまっ正直な衆は、どう取ったかしれますまい。先生にだって責任はありましょうぜ﹂ ﹁だから寄手の迎えにも行きはせん。たとえわしを軍師とあがめると申しても﹂ ﹁そこが分らないじゃありませんか。てまえがあなたなら、大蔵は軍師として立つね。侍だもの。自分が北条一族なら一族のためにはっきり立つな。それもりっぱだ﹂ ﹁大蔵、寝ろ。うるさい﹂ ﹁もすこしいわしておくんなさい。てまえも生いの命ちギリギリなところでこうやって生きているんだ。失礼だがおまえさまは偽者じゃないのかな。どうもあっしには少し信用できなくなった﹂ ﹁こやつ﹂ ﹁怒ッちゃいけませんよ、あんたほどな大人物が。――あっしの不服とするところは、なぜあくまで先生も山にいて下さらないかというこってすよ。あなたにすれば教え子だ。それが千早にたてこもって、木の根や野鼠を食ってるンだ。それを見捨てて山を逃げ出しちまう“お師匠さん”なんてものがありますかい﹂ どうやら大蔵の言いぐさが酒の上でもないようだとみると、時親は、ほんとに怒って坐り直した。 ﹁きさま、本性か﹂ ﹁本性ですとも﹂ ﹁では何事も、きさま、承知のはずではないか﹂ ﹁でしょうか?﹂ ﹁わしには宮方も北条方もない、ただ兵学あるのみだと、きさまにだけは申してある﹂ ﹁む、ききましたね﹂ ﹁時世観、宇宙観、そんなことは、きさまにいっても分らぬからいわん。けれどわしの願望は、たまたま身にうけ継ついだ大江家伝来の兵学書をもととして、それに時親独自の工夫を加えた一流を編あんで大成しておくにあるということは﹂ ﹁うかがいましたよ﹂ ﹁ならばなぜ、しちくどく、こん夜にかぎって、それをへんにごねおるのか﹂ ﹁あっしは元々、伊賀生れの忍おしの人間だ﹂ ﹁しれたこと﹂ ﹁すぐ学がくを振りまわしなさるが、学ばかりで割りきれる世間じゃあるまい。人間と人間との話でゆこう﹂ ﹁まだ、もんくがあるのか﹂ ﹁言いたいねえ﹂ ﹁いってみろ﹂ ﹁と、出られると、こっちは学がねえんだから、このもやもやを巧くは口に出せねえが、ざっくばらんにいって、おれは忍おしの仁おき義てを信じている﹂ ﹁それが﹂ ﹁忍の仲間じゃ第一に二た股者は人間とは見ていねえ。仲間同士のほかは密みつ事じは命にかけて守る。そのかわり忍一党はどんなばあいも助け合う。仕事のために仆れたやつはその女房子までみんなでみてゆく。恥しらず、涙のねえやつ、卑劣なやつ、恩しらず、そんなのは犬畜生とみて卑いやしむ﹂ ﹁単純だな﹂ ﹁だが先生。そいつがあればこそ、あっしは、おまえさんに助けられた恩を恩とかんじて、いいなり気なり、御用をつとめて来たッてものじゃありませんか﹂ ﹁かねもふんだんに費つかわせておいたであろうが﹂ ﹁けっ。かねだといやがる。これでもいぜんは六波羅の放免がしらだ。そんなものに目がくらむ俺か。恩にひかれて、ついおまえさんを買いかぶったまでのことだよ。……ところが、二度三度、千早のとりでに入ってみて、こいつはと、正直考え直したのだ。正季どのはいまだにお師といえば敬うやまってるが、さすが多聞兵衛正成どのは、とうにおまえさんを見破ってるよ。……のみならずさ、あっしは千早にたてこもっている兵士をみて、つくづく心を打たれてしまった。あのすがたにはもんくなしにあたまを下げずにいられない。どうせ妙な隠者に飼われるほどならこの生命も菊水の旗の下に捨ててやりたいとさえ思って来たね﹂ ﹁あわれなやつだ﹂ ﹁どっちがですえ﹂ ﹁おのれというおろか者がだ。まだ酒癖が直らんな。これ大蔵、一ト晩寝てよく考えろ。おのれはどうかしてるぞ﹂ 老獪である。時親はやっぱり腹を立てなかった。下郎のたわ言、いわせておけと、木枕をとって、うしろ向きに寝てしまった。 眼がさめた。もう朝らしい。ひばりか、よしきりの声か、川面の霧がうッすら陽の色をさまたげている。 いつかしら、大蔵の姿は小屋に見えなかった。 時親は何かぶつぶつ言っていたが、あきらめたふうである。やがて、むしろを立って、河原の葦の下へ行き、口をすすぎ、顔など洗って、ゆうべつないでおいた牛のそばへ歩み寄った。 すると、堤の蔭に腰かけこんでいた大蔵が牛の向う側から、のっそり立って。 ﹁先生、おはようございます﹂ ﹁なんだ、いたのか﹂ ﹁へ、へ、へ﹂ ﹁きさま、あれからよそへ行って、よそで寝たな﹂ ﹁じつは酒を買いに行ったとき見た女があるんで、それと約束しといたもんですから﹂ ﹁よく約束を忘れぬほど性根があったな。さんざんわしに毒づきおった。おぼえておるか﹂ ﹁どうも、その﹂ 面目なげに、大蔵はあたまを掻いた。それも指の先で横びんを掻くようなのでなく、大きく腕であたまを抱え込んで見せ。 ﹁何か先生へたんかを切ったんでございましょう﹂ ﹁きさま、なかなか油断はならん。生酔い本性たがわずだ﹂ ﹁いえね先生、ここんとこ、変にイラついていた自分が自分でもよく分っていたんでございますよ。なにしろ長いこと獣けものじみた戦場ばかり飛び歩いていましたので、女の肌などは半年以上もふれてやしません。そこへもって来て人里を嗅かぎ、空き腹に茶碗酒と来たんですからムリはない﹂ ﹁自分で申すわ。あきれたやつだ﹂ ﹁もう、ご心配はおかけしません。今朝はあたまがスウとして気も柔らかになりました。ついでに、ゆうべの女に朝飯を持って来るようにいっておきましたから、ま、もいちど小屋へもどって﹂ と、大蔵は湯など沸わかして、山荘にいるときのような忠実ぶりを見せるのだった。 そこへこの辺の売ばい女ただろうか、粳うるちの粉をまだらに顔へこすったような、しどけない身なりの女が来て、大蔵に何かを渡し、もういいといっても帰らずに、大蔵にいちゃつきながら一しょに時親の食事を支度したり、弁当までをこしらえる。 ﹁しようがねえな、ほれ﹂ と大蔵は、なにがしかの銭ぜにをまたやって、やっとこの深情けな女を追いやり、やがて昨日のごとく、時親を牛の背に乗せて、淀の堤を、京の方へあるいていた。 ﹁だいぶ今日は武者に会うな﹂ ﹁いますね、ずいぶん﹂ ﹁対岸の赤松勢を牽けん制せいしているのだろう。もし赤松勢が京へ進むなら、こなたは河を渡って、後ろを突くぞという姿勢だ﹂ ﹁桂川か、七条辺か、あっちではもう合戦じゃありませんか。今朝もまっ黒に煙っている﹂ ﹁むずかしいな、だいぶ。これや京へ入るのは一ト骨だろう﹂ ﹁むりはよしましょうぜ。遠くても深草へ抜けてみたら﹂ ﹁そうだな、大和口には煙もみえん。大蔵、いずれ木戸の調べもあろうが、医くす師し吐とう雲んさ斎いと答えるのを忘れるな﹂ ﹁ぬかりはございません。そして、てまえは薬持ちの下げろ郎うとでも申しますから、先生も下郎の前身をうッかりばらしてはいけませんぜ﹂ 洛内はもう鼻のさきに来ていたが、深草を過ぎたころからやたらに兵馬の駐ちゅ屯うとんや行軍にあい、避よければよけて行くさきが、 往来止め の制札だった。 やっと、時親と大蔵が、京の大和大路の口、極楽寺へんにたどりついたのは、また一ト晩を、木賃に寝ての翌日となっている。――しかしその日、法勝寺一ノ橋二ノ橋なども、遠くから見てさえ陣気もうもうの様子である。二人はおそれをなして、ここでも道をわざわざ月つきノ輪わへとり、まどろいことだが、山ふところを縫って、東山の下へでも出ようかという思案らしい。 ﹁大蔵、鳥とり部べ野のへ出るな、こうまいると﹂ ﹁さようで﹂ ﹁このあたりは?﹂ ﹁羅らせ刹つだ谷にとかいいますよ﹂ ﹁羅刹谷﹂ ﹁名は不気味ですが、ながめは佳いい。洛内はひと目ですから﹂ ﹁ちょっと降りよう﹂ ﹁また、鞍くら尻じりがお痛くなって来ましたか﹂ ﹁なにせい、年をとると、尻の肉がうすくなってな、怺こらえがないわ﹂ 自嘲しながら、時親はもう牛の背から降りていた。 岩つつじの間に、二人は腰をおろした。しばらくは眼を、西の京から東の京へ、また加茂川や丹波ざかいの山波へまでさまよわせる。 ﹁なるほど、都の顔は、焼けあとだらけだ。いちど赤松勢が攻め入って、六波羅もあぶなかったという噂は噂以上だわえ﹂ 大蔵はつぶやいた。けれど、黙りこくっている時親の横顔をちらとのぞいて、彼もそれきり黙りこんだ。 途々にも聞いている―― 桂川をやぶって赤松勢がなだれこんだ合戦の日には、洛内数十ヵ所から兵火がもえあがり、新帝︵光厳天皇︶の宮みや居いもあやうくみえたほどなので、後ごほ堀りか川わの大納言、三条の源大納言、鷲ノ尾中納言、坊城の宰さい相しょうら、おびただしい月げっ卿けい雲うん客かくのあわてふためきが、主上をみくるまにお乗せして、黒煙のちまたを六波羅へと移しまいらせ、つづいては、院、法皇、東宮、みきさき、女房たちから梶井の二にほ品んし親んの王うまでの――持明院統のかたがたすべても――りくぞくとして六波羅へ避難してきた。そのため六波羅では北殿から界かい隈わいいちめんの武家やしきまでをそれの収容にあてて、いまもかりの皇居はそこにおかれたままで内だい裏りへはいつお還かえりになるともみえぬ状態にあるのである――と。 ﹁大蔵﹂ ﹁へ﹂ ﹁どうもわしの訪ねる壬み生ぶのあたりも心もとないな﹂ ﹁焼けているかもしれませんね。いや家は残っていても、おそらく人は住んでおりますまい﹂ ﹁さてどういたそう?﹂ ﹁ほかにお心あては﹂ ﹁壬生がだめだとすれば、嵯さ峨がの寺だが﹂ ﹁寺ならなにも﹂――と大蔵は立って、急に近くの阿弥陀ヶ峰や東山を見まわして言った。﹁このあたりだって、寺はいくらもありますぜ。それに、てまえが存じ寄りの寺もある。ひとつ、お気らくな当座のおちつき場所を、てまえが行って、諸所問い合せてみましょうか﹂ しばらく考えていたが、時親は。 ﹁では、さがしてもらおうか。身さえおける所なら、壬生ともかぎらぬ。嵯さ峨がともかぎらぬ﹂ ﹁寺ならいいんでございましょ﹂ ﹁が、なるべくは、武者などのたちよらぬ、静かな寺院の一室なと借りうけたい﹂ ﹁お案じなさいますな﹂と、大蔵はこころえ顔に﹁――小寺ですが、てまえが六波羅にいたじぶん親しくしていた和尚がいまも鳥部野にいるはずです。もし、そこがだめでも二、三ヵ寺はめあてもないではございません﹂ ﹁たのむ﹂ ﹁じゃあ、ここでお待ちくださいますか﹂ ﹁待っておる﹂ ﹁ちょっと、ひまはかかるかもしれませんが、先生、ここをうごいてはいけませんぜ﹂ ﹁うごくまい﹂ ﹁迷い子になると、てまえが捜すに苦労しますからね﹂と、大蔵はそこらの岩へ、牛の手綱をぐるぐるまわして、 ﹁やい、てめえも、草でも喰べながら、おれのもどるまで、おとなしくここで待っているんだぞ﹂ と、いいきかせ、やがてすたすた瓦坂の方へ降りて行った。 しかしこれが何と、行ったきりで、待てどくらせど、なかなか帰って来なかったのだ。 時親は次第にいらつきはじめていた。おとといの晩のこともある。また酒か女にでもかまッているのであるまいか。下郎根性はぬけないものとみえる。きのう今日は、あんなに酒の上を悔やんで神妙ぶッて見せながら――と、すこぶる腹がたって来て、どうにもたまらないらしい渋じゅ面うめんだった。 すると、案のほか。 忍ノ大蔵はいかにも懸命らしく、やがて坂下のほうに姿をみせた。そして、やや息ぜわしげに登って来ると、時親のまえに立って言った。 ﹁どうも、お待ちどおさま。先生いいところが見つかりましたぜ﹂ ﹁あったか﹂ ﹁ありました﹂ ﹁ご苦労、ご苦労﹂ 時親はすぐ機げんをよくして。 ﹁して、何と申す寺か﹂ ﹁寺ではありませんがね﹂ ﹁寺院でない? それではどんな家か﹂ ﹁六波羅です﹂ ﹁六波羅のどの辺?﹂ ﹁庁ちょうの検断所のおとなりですよ。六波羅牢といいましてね、あれなら先生、何年でもいられるし、おしずかでいいでしょう﹂ ﹁な、な、なんじゃと﹂ ﹁おどろくのかい、兵学の大先生がよ。偉えらそうに学がくを振りまわしていた加賀田の隠者がさ。ざまアみやがれ、杓しゃ子くし面づらめ﹂ ﹁かっ﹂と、時親は刀に手をやって﹁大蔵ッ、気が狂ったか﹂ ﹁そちらさまでしょう、気がちがいそうなのは。こちらはかくの如く、たいへん正気でございますがね﹂ ﹁う、うぬっ、何を考えて﹂ ﹁雑ぞう言ごんするかというんですかえ。それはおとといの晩、酒の上で、腸はらわたの洗濯に、ぞんぶん吐いて見せた通りでさ。いやあれも酒の上じゃあない、忍ノ大蔵の本心だ。――あっしはこれから、千早の城へ一目散に帰るつもりだ﹂ ﹁ち、千早へ﹂ ﹁おおよ! てめえのような摩ま訶か不ふ思し議ぎな爺イに下郎仕えするくらいなら、木の根を食っても、千早へ行く! いやおれはとっくに千早の一兵でいるつもりなんだよ﹂ どうみても、今日の大蔵には酒の気はない。乱心でもない。しかも語気は、おとといの晩よりすさまじい。 時親は、かあっと、赫怒を、肩の息にあらわしてきた。 ﹁下郎っ﹂ はったと、にらんで。 ﹁わかった、きさまの豹ひょ変うへんは、正成にたぶらかされたものだろう。ことば巧みに、正成に魅せられ、出世の夢でもみているか﹂ ﹁言いなさんな。正成どのは、おまえさんのことなんざ、悪くもいわず、よくもいわずだ。ましてこの大蔵の去きょ就しゅうなどに目もくれてはいない。また千早には、大将から兵のはしまで、出世を考えているようなのは、ただのひとりもいねえンだよ。そんな娑しゃ婆ばッ気けで居たたまれる城じゃあない。そこらが、おまえさんの学じゃあ割りきれねえとこなんだろう﹂ ﹁…………﹂ ﹁だが、おれは見た。人間もほんとに信じあって一つにかたまると、こうも強く美しくなるもんかっていうことをね。人間を見直したよ。やくざな俺までがあの籠城には手をかしてやりたくなるんだ。千早の中へはいったのが身の因いん果がか何かは知らぬが﹂ ﹁それが正成の魔力だわ。這しゃ奴つは、わしの兵学をも盗みおった。目をさませ、大蔵﹂ ﹁ごめんだ。あっしは千早へ舞いもどる。おまえさんは、あっしがいいおちつき場所をきめておいたから、六波羅の内へ入って、せいぜい、鼻毛の毛抜きと虫むし蝕くい本でもそばにおいて、独りでおうたくらな熱でも吹いているがいい﹂ ﹁だ、だまれっ﹂ ﹁だまるさ。もう、おさらばだ。長居はしていられねえ﹂ ﹁待て﹂ ﹁まだ用か﹂ ﹁きさま、わしをここにおき去りにして、しんじつ、千早へ走る気か﹂ ﹁くどいな。さすがおまえさんも山を出るとまるで木から落ちた猿だったね。さっきから、足もとも見ていねえンでしょ。下の道をごらん、山すそを覗いてごらん。もうお迎えが来てるんだぜ﹂ ﹁なに、なんじゃと?﹂ ﹁おれはどこまで親切者さ。じつは六波羅の検断所へ、かくかくの人物がここにおりますと、密訴しに行っていたんだよ。すぐこの下まで、六波羅兵を案内して来ているのさ。呼んでやろう。――爺さん、逃げてもおそいぜ﹂ あまりのことに、ただあやしみにとらわれて、時親は、嘘かと思ったほどである。が、大蔵はひらと一だん高いところへ駈けあがって、下をのぞみ、大声で何ものをか呼んでいた。そしてもいちど、時親の頭上へ悪罵をあびせかけるやいな、一散になお上へむかって逃げ走ってしまった。 ﹁しゃッ。この外げど道う﹂ 時親は、狼狽した。 大蔵の悪口雑言は決してそれだけのものではなかったのだ。事実、眼の下からは、数十人の兵がわっと道もえらばず駈けあがって来たのである。時親は髪さか立ててそれへ呶鳴ッた。さすがその叱しっ咤たと形ぎょ相うそうは、毛利時親のべつなめんを現わしていた。 ﹁待てッ。わしは逃げん! わしは逃げんからまず忍ノ大蔵をさきに引ッ捕えろ。這しゃ奴つこそ曲者だ。六波羅を売ッて生きている犬だ。その大蔵めを逃がしては各の落度になろうぞ﹂弱い者たち
冬じゅうにはなかった。春になって、それもつい先月頃からのことである。
ときどき、羅らせ刹つだ谷にの奥まったところで、平家琵琶のかなでを独りほしいままにして、都の焦土も、千早金剛のあらしも、いや春はる闌たけて来た山の色の移りも知らぬかのような者がいた。
ここは、洛東の三十六峰もずっと南端れの、世間からいえばほとんど世間外な山寺や古別荘ばかりな所なので、たれはばかることもいらないせいだろうか。その撥ばち音おとは、かの琵びわ琶こ行うの詩句をかりていうなら――
小
々切々 錯雑シテ
と、いったようなおもむきがあって、およそそのあいだは、天地のものみな息をのんで、おのがじし小さい生いの命ちのまたたきに謙虚な涙をせぐられて来るかと思われるばかりであった。
こん夜も、崖がけにのぞんだ高たか床ゆかの廂ひさしのうちには、ポチと小さい明りがすだれ越しに見え、室にはうつつなく平家を弾だんじている一法師の影がある。
法師は盲めくらなのであった。
からだつき小さく弱々しいが、年のころは二十一、二か。
﹁…………﹂
いま一曲を弾き終ったが、なにか自分では、とんと不満であるらしい。
軸じくをしめ、またやや戻もどし、軽けい弄ろう、漫まん撚ねんと絃いとのしらべにしきりと首をかしげているのを見て、ふと、おなじ部屋の片すみから、法師の母の尼が、小机ごしに、眸だけで、
﹁……?﹂
そのさまを見つめていた。
やがて。尼がたずねた。
﹁覚一、どうかしたの?﹂
﹁ええ﹂
琵琶を膝に立てて。
﹁へんです。こん夜は﹂
﹁そんなことないでしょう。ここで聴きいていましたが、私の好きな“忠ただ度のり都みや落こおち”のくだりのせいか、どこといって﹂
﹁いえ、お母あさんにはそうでしょうが、覚一には何だかいつものようでないんです。琵琶のせいでもないらしい﹂
﹁では、もういちど、弾ひいてごらんなさい。母はさっきからここで、さるお方へ手紙をかきかけていましたけれど、こんどは、そのつもりで聴きますから﹂
草そう心しん尼には、筆をおく。
そのかすかな音にうなずいて、覚一はふたたび、忠度都落ちの一節を弾だんじ直した。そしてこんどは心ゆくまで気が乗ッていた容よう子すのようであったが――“さざ波や志賀のみやこは荒れにしを、むかしながらの山桜かな”と語りかけたあたりへ来ると、とつぜん、舌打ちするように四しげ絃んを一ツぴしゃッと撥はらッて、
﹁ああ、やはりいけない!﹂
﹁どうしてなの、覚一﹂
﹁お母あさん。……どこかに人の気配がしませんか﹂
﹁いいえ、たれも﹂
﹁床下だ。私のいるこの部屋の下にちがいない。人間がいる﹂
﹁えっ?﹂
草心尼は血のけをひいた。
――ここの床下にたれか人間がひそんでいる?
思うだけでも、ぞーと、草心尼は肌がさむくなった。
﹁まさか﹂
しかし、この子のかんは時によりびっくりするほどよく中あたる。もう二十歳をすぎた覚一なのだが、いまだに母の彼女には、いちいち﹁この子は。この子が﹂であった。手をひいて都の空へのぼって来たあのころも今も、それはちっとも変っていない。
﹁……検あらためてみましょう﹂
やがて覚一が、膝の琵琶を、そっと横へおきだしたので、彼女はあわてて。
﹁およしっ。覚一﹂
﹁でも、気にかかるではありませんか。気味がわるい﹂
﹁ですから、怪我でもするといけないもの。ひょっと盗人でもあったら……﹂
﹁盗賊ならなお心配はいりません。欲しい物を持って行かせればいいのです。お母あさん、紙しし燭ょくをともしてください。そして私の手に持たせてください﹂
﹁だって、そなたは盲めしいなのに﹂
﹁私には無用ですが、床下に潜んでいる者が不覚な狼狽をせぬように明りをみせてやるのです。ご心配なされますな﹂
覚一はまもなく、小さい紙燭の灯を片手に、廊の簾すの外へ、足さぐりで出て行った。
朽くちかけた欄干の下は、ほそ谷川の水音だった。覚一のつま先と片手の指は、やがてつきあたりの杉戸に触れた。
とたんに、その明りのゆらめきを下で破って、カサッと、生き物でも刎はね飛ぶような音と共に、何か黒いものが、勢いよく崖をよぎって、どこかへ消えてなくなっていた。
﹁……? ア、逃げた﹂
覚一はほっと四しざ山んの冷気に顔を撫でられた。すぐ後ろへ、尼も寄りそって来ていたのである。動どう悸きのしずまるのを母ふた子りはひとつに聴きすましていた。
いったい何者だったのだろう。
恐こわい、と思いだしたら居たたまれぬようなものがある。ここは名からして羅刹谷であり、多くの死者が眠っている鳥とり部べ野のもほど近い。
すぐる年には、足利高氏の一勢が、しばらく住んでいたことのある古ふる館だちだが、それは武者大勢してのことだった。いまは母一人、子一人ぼっち。
でも覚一は、ここが気に入っていた。――ついこの間までいた小松谷の探題北条仲時の邸よりは、山静かだし、武者出入りもなし、何よりはまた、琵琶を弾くにも歌うにも、たれに気がねもいらないのが好ましく、
﹁いつまで居たい﹂
と、いっているほどなのだ。
これも先月の赤松勢の洛内乱入のせいだった。――新帝以下、すべて六波羅へ疎開され、そのおびただしい方々のお住居には、探題邸をも明けねばならないことであった。――草心尼母子が他へ移されたのもそのためで、またそれほど都のまもりがいまは危険にひんして来たことでもあった。
﹁おやっ。か、覚一﹂
﹁どうしましたお母あさん﹂
﹁なんであろ。また松ま明つのあかりが彼方から見えてくる﹂
﹁え。こちらへ向って﹂
﹁おお、大勢で﹂
怪しむまもなく、たちまち六波羅兵の十数人が、手の松たい明まつをかざして、欄の下に近づき、
﹁この家のお人か﹂
と、上へ誰すい何かした。
草心尼が﹁そうです﹂と答えると、仲間同士で何かささやきあっていた兵は、ふたたび、
﹁では、探題殿の懸かか人りゅうどの……琵琶法師とかいう母おや子このお方か﹂
と、かさねてきいた。
﹁はい。先の月、小松谷からここへ移って来たものですが﹂
﹁それは﹂と、兵の中のかしら立った者がちょっと礼を見せて、
﹁お驚かせして、相すまんことでおざった﹂
﹁何かあったのですか。こん夜﹂
﹁たそがれこの近くで、一人の曲しれ者ものを捕り逃がし、それを狩りたてていたわけなので﹂
﹁盗賊でも﹂
﹁いや以前、六波羅で放免がしらをしていた忍の者でおざる。それだけに素ばしッこい。今もこの古ふる館だちのへんで見たとの知らせに、すぐ駈けつけて来たのでおざるが﹂
兵のかしらは、そう話してから、高床の床下を覗きこんだり、ほそ谷川のあなたこなたへ、松明を振らせてしきりに騒ぎぬいたすえ、やがて高こう欄らんの簾すのうちを見上げて、
﹁どうもお騒がせ申した﹂
と、わび、
﹁もしまた、明日にでもあれ、怪しき男がこのへんを徘徊していたら、おそれいるが、お下しも部べでも走らせて、ちょっと月ノ輪の屯たむろまでお知らせくださるまいか。念のため、申しおくならば、その曲しれ者ものは三十六、七の眼のするどい雑ぞう人にん態ていの男でおざる﹂
と、いいおいて立去った。
母おや子こはとうに部屋の簾すを垂れて、その声にも姿をみせず、また返辞の要もないので、去り行く足音だけを黙って聞いていたのであった。
――ふと、こんな小さ夜よのあらしは過ぎたものの、覚一は何か索さく然ぜんとしたここちで、もう琵琶を取りあげる気にもなれないでいた。
﹁……お母あさん﹂
﹁なあに﹂
﹁まだお手紙のつづきを書いていらっしゃるのですか﹂
﹁もう終りました、やっと﹂
﹁ずいぶん長くかかっていらっしゃいましたね。鎌倉の伯お母ば︵高氏の母、草心尼の姉︶さまへですか﹂
﹁いいえ﹂
﹁では……。ああわかった﹂
﹁あててごらん﹂
﹁三河の一いっ色しき村むらにいるお方でしょう。あの、藤夜叉と仰っしゃるおひとへ書いたんではありませんか﹂
﹁そうですの。よくわかるのね、そんなことまで﹂
﹁だって、この春その藤夜叉さんから大そう長い長いお便りがあったのに、ご返事も書けずにいると、日ごろお母あさんも苦にしていたではありませぬか﹂
﹁そう。やっとそれをこん夜書いたのだけど、文字というものは、不便なものね﹂
﹁けれど恋歌などは、わずかな字かずで、どんな思いも思う人につたえるではありませんか﹂
﹁ま。この子が﹂
と、母の眼は驚きをもった。
﹁いつか恋歌なども知っているのね。ところが、藤夜叉さんの持つ悩みは、そんなきれいな、やさしい悩みではないらしいのよ﹂
﹁悩み?﹂
覚一は、小首をかしげる。
﹁……藤夜叉さんは、それをお母あさんに訴えて来たんですか。いつかの長いお手紙で﹂
﹁ええ、あのおひとの以前は、人も知るように近江の田でん楽がく女ひめ。……ですから、文字は子どものような稚拙で、文ふみのつづりもたどたどしいのだけれど、よほど思いつめて書いたのでしょ。ほかには、打明ける人もないといって﹂
﹁どんなことを﹂
﹁それがね﹂
と、草心尼は何事にもかくしへだてのない子の覚一にさえ、ちょっと言いにくそうな言い濁りをかすめて。
﹁なにしろ、そんなお文ふみなので、文字の裏から察しるしかないのだけれど、どうも去年の春のことらしいの﹂
﹁去年の春?﹂
﹁高氏さまが、一時この羅刹谷を御宿所としていた頃がおありだったでしょ﹂
﹁あ、そのころ、藤夜叉さんが、お子の不いさ知や哉ま丸るさまを連れて、一色村から都へ出てきたことがありましたね。そして私たちのいる小松谷のおやしきに、しばらく滞在しておいでだった﹂
﹁ところが、かわいそうに、高氏さまはすげなく鎌倉へおひきあげになってしもうた……。そしてそれからのことでしたろ﹂
﹁そうそう、あれは後醍醐のきみが、隠岐へおうつしされるというので、洛中洛外、大へんな雑ざっ鬧とうの日でしたね。藤夜叉さん母おや子こも、三河へ帰るといって、小松谷のおやしきを出て行ったが﹂
﹁その夕のこと。東寺のへんで不知哉丸さまがお一人で、迷子になって泣いていたと、検け非び違い使しの者から小松谷へ知らせがあり、仲時殿はじめ、私たちも、仰天したけれど、かいもくその当時は、母はは御ごの藤夜叉さんの方は分らずじまいでした……。それからも私たちには、一体何事が起っていたのか、ただ不審で過ぎてしまっていたのだけれど﹂
﹁でも、そのごは一色村へ帰って、お子の不知哉丸さまと一しょにお暮しなんでしょうに﹂
﹁そうなの……そうなんだけれどね、そこにあのひとの、何かの悩みが今もって、心の深いきず痕あとになっているらしいのね﹂
﹁だから、それは何なんです﹂
﹁書いてないんです、はっきりとは﹂
﹁書いてなくては、慰めて上げようもないではありませんか﹂
﹁けれど女の私には、そんなときの女の身にどんなことが起っていたか、分らなくもない﹂
﹁へ。わかるんですか﹂
﹁きれいな女のひとにはね﹂
彼女は、それだけをいって、ふと黙った。
もう遠い以前だが、足利ノ庄にいたじぶん、姉の使いで、隣国の新田義貞のもとへゆき、その晩、義貞にせまられて、恐ろしい桜吹雪のやみを跣はだ足しで逃げ走ったことなども――かつてまだ子の覚一にはおくびにも話してはないのである。
藤夜叉の手紙とても、決して男の名とか、佐々木道誉への恨みなどを、あらわに書いているのではなかったが、女の秘密といい、心身のくるしみと言ってあれば、もうそれだけで、尼の身の彼女にも、或る察しと、思いやりはつくのであった。
﹁そして? ……﹂覚一はなお訊きほじって。﹁お母あさんは一体、どういうご返事を藤夜叉さんへ書いたんですか﹂
﹁いつの世でも、女の道はけわしいもの、と﹂
﹁それはお母あさんの、ご自分の身の上も言っているのでしょ﹂
﹁そうなの。私には、おまえというものがあるので、どんなむごい月日に会っても、これきりだの、もう駄目だのと思ったことはありません。……おなじことは、藤夜叉さんにもいえるでしょう。あのお方も親一人子一人のようなものですからね﹂
﹁それに、高氏さまというお方も、いらっしゃる﹂
﹁でも、いろんなご事情から、高氏さまはまだ、不知哉丸さまとは、ご父子のご対面もなされていないし、藤夜叉さんも日蔭のひとでしかないんですよ﹂
﹁…………﹂
﹁だから女とすれば、あれこれ悩むのもむりはない。そのうえ藤夜叉さん自身にも、何か、ふくざつな事情があって、去年一色村へ帰ってからも、日夜、そのことで苦しんでいるらしいんです。……ですから、ひたすら和わ子このお育ちのみを愉たのしみに、ご信心でもなされたがいいと、私の地じぞ蔵うぼ菩さ薩つのお影えい像ぞうを手紙のうちに入れて上げようかと思っているの﹂
﹁地蔵尊のお絵をですか﹂
﹁ええ。……私たちが都へのぼる日、お餞せん別べつにと、鎌倉の姉ぎみ︵高氏の母︶が、ご自分で画いた千日供養の地蔵のお絵を下すったでしょ﹂
﹁それなら藤夜叉さんも持っていますよ。高氏さまからいただいたものだといって、地蔵菩薩のお守りを、いつも肌身に持っておいででした﹂
﹁では、あのひとにも、信仰はあるのかしら﹂
﹁いえ、お母あさんとは違います。地蔵菩薩のお守りも、藤夜叉さんのは、信仰で抱いているのではありません。男の愛のかたみとして、始終、涙に濡らしていらっしゃるのではございませんか﹂
彼女は覚一のませたことばに眼をあらためた。まアこの子は、と言いたげな眸ひとみであった。いつかしら二十歳をこえて、男臭くなっているわが子が草心尼にはふとおぞましく、うらがなしくも見えていた。
あくる日のことである。彼女は日課の法華経も誦よみおえ、それから覚一と机をはさんで、覚一のために、詩経の素読をさずけていた。崖の山藤が這い伸びて、欄の角すみ柱ばしらからひさしに花のすだれを見せ、そのつよい匂いに飽いた蜂が、時折、母ふた子りの机をおびやかした。
﹁覚一。ちょっと待って﹂
彼女はふと耳をすました。そして机を立ち、
﹁ゆうべの衆が、またなにか、騒いでいるような﹂
と、廊へ出て行った。
近くには何も見えない。彼女はつき当りの杉戸をあけて、低い階だんを降り、また廊を行って、山やま館だちづくりの階をいくつも降りた。
すると、眼に入った者がある。
大太刀をさしたわらじ穿ばきの男が、前せん栽ざいの破やれ垣がきをたてとして、後ろ向きにつッ立っていたのであった。――何者だろうか。――それを逃がさじとして、ゆうべの六波羅兵たちが、男の前や横から迫ッている様子なのだ。
﹁人違いするなっ﹂
男は、どなっていたが、取りかこんだ六波羅兵は、耳もかすふうではなかった。
﹁それっ﹂
彼らは、まちがいないものと、まったく思いこんでいる。すでに男は、太刀に手をかけていたが、なおも、
﹁人違いだっ。おれは、そのほうらの申す忍おしノ大だい蔵ぞうなどではない﹂
と、言いつづけた。
こなたの廊の端へ来た草心尼は、びッくりして、いちどは下しも部べのいる下しも屋やへと走りかけたが、そんな処置の間にあわないのを見ると、われを忘れて。
﹁あぶないッ。待ってください。そのお人は、私のよく知っている者です。足利殿の御家来です﹂
このきれいな一ト声は、男の百言よりも、すぐ兵の反省を突いたらしく、遠くから兵の頭が、尼の顔をさがして言った。
﹁おっ、昨夜の尼あま前ぜか﹂
﹁止めて給われ﹂
﹁あなたも、まちがいだと仰っしゃるか﹂
﹁まちがいです﹂
﹁ではその者は、誰だ?﹂
すると、ひるみかけた兵をしり目に、男自身がこう名のった。
﹁足利どのから御勘当の身、旧主のおん名にはかかわりはない。浪人一色右馬介ともうす者だ﹂
﹁相違ないのか、尼あま前ぜ﹂
﹁相違ありませぬ﹂
﹁が、念のためだ。待ってもらおう﹂
打ッた釘のように、兵の頭はこの配置をくずさなかった。しかしまもなくここへ来た三、四人の放免たちによる“面めん通とおし”で彼らも男が大蔵でないことを口々に証言した。――で、兵の頭も、まが悪そうに、粗そこ忽つをわびて、
﹁申しわけない。当とうの忍ノ大蔵は、はやこの附近でないとみえる。われわれも退散いたそう。いやお騒がせつかまつッた﹂
と早々、麓のほうへ散って行った。
やがて、一室へ通された右馬介も、深く詫びて。
﹁草心尼さま。……おかわりものうて、まず何よりでございまする。覚一さまには﹂
﹁ただもう琵琶の励みに一念でございますが、あなたはどうして不意にここへ﹂
﹁久しく、具足師の柳斎となったり、また洛内にひそんで、直ただ義よし︵高氏の弟︶さまのため蔭の働きをしておりましたが、多年の隠おん密みつづとめも、一切、御用ずみと相なって来ましたので﹂
﹁鎌倉へお帰りか﹂
﹁いえ、まだ表面のご勘当は免ゆりたわけではございませぬ。ひとまず一色村へまいりまする﹂
﹁三河へ?﹂
﹁はい﹂
﹁それは……﹂と彼女は息をかえた。すぐ藤夜叉への好こう便びんを胸に思っていたが、それはまだ仕舞っておいて﹁――何ぞ足利殿のお内に変り事でもおこったのでございましょうか﹂
﹁いやべつに﹂
右馬介はかろく打消しながら、またなにか思い直した風でもあった。
﹁いずれお分りになりましょう。戦は大きくなるばかりです。したがって、高氏さまの御出陣もまぬかれますまい。あるいは急な実現となるような気もいたしまする。そこで折入って今日は、ちとお願いがあるのですが﹂
きいてみると、右馬介の頼みというのは、今夜、この古ふる館だちの奥を一ト晩貸してほしい、というのであった。
﹁おやすいことです﹂
尼は言った。
おもてむき勘当とはいわれているが、右馬介と高氏の仲、右馬介のおびている密命など、尼も薄々は知っていた。否む理由はなにもなかった。
それにしろ右馬介のあらわれは、尼にも唐突に思われたし、またなんのために、この古ふる館だちをつかうのかと怪しまれたが、やがて晩にはそれも解けた。
その夜、羅刹谷の一亭へ右馬介を訪ねてきた七、八名の侍がある。つまり密談の集合所にあてるためだったのだ。
しかも侍はみな、阿波の海賊岩松経家の部下で、なかには経家の実弟、岩松吉よし致むねもみえた。
この吉致は、かつて隠岐の島へ潜入して、後醍醐の脱出をたすけ、また綸りん旨じをもたまわって、そのごは族党の宗そう家け新田義貞へたいして、しきりに何かの画策をすすめていた者。
いま思うと。
千早の寄手に加わっていた新田義貞が﹁――病のために﹂と触れて、いつはやく自領上こう野ずけノ国へ引きあげ去ったのも、この吉致が、ひそかに彼を陣地に訪うていた結果と見られぬこともない。
また、それだけでなく、――吉致はなおこの上にどうしても、いちど足利殿︵高氏︶にお会いせねばならぬ、しかも緊急に――と言っている。
ところが、新田足利の両家は、多年、人も知る犬けん猿えんの仲だ。
いまもって、国もとの隣国間では“新田とんぼ”と一方でさげすめば、一方もまた“足利案か山か子し”と応酬して、決して、どっちも下くだる風ではない。
それゆえ、そんな確かく執しつのなかでは足利殿に内々の会見をうるなども容易でないし、よしお会いできても、事の不成功に終るのは見えすいている。﹁……なんぞ一色殿によい御工夫はないか﹂。それがその夜の集合と密談のかなめであった。
密会の目的がこうだとすれば、なるほど、現下の洛内ではめったに、こんな集合は危険で出来まい。――右馬介がここを選んだことにもうなずかれる。
そして彼が、吉致にどんな示し唆さを与え、また、いかなる細目までを計り合ったかはしれないが、夜が明けると、いつのまにか、昨夜の集客はみな、羅刹谷からその姿を消し去っていた。
朝は、盲めしいの覚一にも、心が濡れるほど美しい。
﹁…………﹂
きまって、朝の一ときを、彼は高床の欄のほとりに坐って、独り耳を洗っている。
あらゆるものが音楽であった。ほそ谷川も鳥の音も、雲の歩み、木々のさみどりまでが、彼には、楽譜となって、見えもするし、聴えもする。
﹁覚一さま、ここにおいででしたか﹂
﹁お。右馬どのですね﹂
﹁昨夜はさぞ、ご迷惑でしたでしょう﹂
﹁いいえ、なにも﹂
﹁いや、おさまたげしたにちがいない。しかし、さっそく今朝は拙者も退散いたしまする﹂
﹁お帰りですか﹂
﹁は。三河へ﹂
﹁三河とは、一色村でございましょうな。右馬どのの故郷ですね﹂
﹁さようです﹂
﹁母が、藤夜叉さんへのお手紙を、おたのみしたいと言っておりました。もすこしここでお待ちくださいまし。持仏堂で朝のおつとめをしておりますから﹂
﹁それや、ちょうどよい。藤夜叉さまには何よりのおみやげと申すもの﹂
﹁右馬どの……﹂と、覚一は両手の指を揉み合うように膝のうえでもじもじしながら、
﹁……よくは存じませんが、藤夜叉さんは、何か大きな悩みでも常におもちなのですか﹂
﹁さ﹂
はたと、返辞に窮したように。
﹁おありかもしれません。なんといっても女にょ性しょうですから、不知哉丸さまのお行く末などにもつい……﹂
﹁高氏さまのお子なんでしょ﹂
﹁は﹂
﹁なぜ、ご一しょに、お暮しもないのでしょうね﹂
﹁さまざまな、ご事情と察しられます。もひとつ、いけないのは、この乱世です﹂
﹁乱世なればこそ、なおさら、せめて愛いとしい者同士ぐらいは﹂
﹁いや、それがです﹂
右馬介には、彼の一語一語が自分を責めるように聞えて何とも辛かった。そのためである。しいて、話をほかへ外そらした。
﹁この大戦では、なかなかそうもまいりますまい。それに、たとえば、ここのお住居ですが、こことて、いつ恐ろしい武者嵐に掻きみだされぬ限りもありませぬで﹂
﹁かくごしています。母ともいつも言いあっています。けれど、母と私は、いま持っているこの倖せを、どんな浅ましい巷ちまたでも決して離しはいたしません﹂
﹁おうらやましいことだ﹂
右馬介は腹から言った。自分の身にもくらべて言ったことだったが。
﹁藤夜叉さまには、もっと、うらやましいことでしょう。しかしあのお方の位置は、あなたがたお母ふた子りのおかれた所とちがって、時乱と風雲の眼の中にいるのです。女の道も、お子との愛情も、あらしの外にいるわけにゆきません。……ところで、せっかくこうお静かなおふた方へ、不吉な予感をもうすようですが、万一ここに不慮な変事がおこったさいは、昨夜ここへみえた岩松党の者が、かならずお救いに駈けつけますゆえ、ご心配ないように﹂
﹁なにかそんな変事が近々に起りそうなのですか﹂
﹁いや、まだ﹂
ぷつんといって、右馬介は急に口をとじた。
けれど盲めしいの直感には、まっ暗な秘密の淵ふちが、右馬介のことばの先にある気がされた。――それは訊いてもよくないことだろうし、あきらかに教えもしまい。――そう得心したように覚一もまた黙った。
遠くの持仏堂から洩れていたすずやかな朝のおつとめの声がやむと、まもなく草心尼もここへ姿をみせ、藤夜叉への手紙を、右馬介の手へ託した。
﹁きっとお預かりいたしました﹂
と右馬介は、それを肌におさめてから、
﹁では、ごきげんよろしゅう。いずれ夏ともならぬうち、またかならずお目にかかれましょう﹂
と、まもなく、羅刹谷を早い足で降りて行った。
右馬介は、ひとまず七条魚うおノ棚たなへ急いで帰った。
洛内の民家はあらかた軍に徴用されて“赤松焼き”と人の呼ぶ焼け跡だらけであり、無事な繁昌をみせている辻はおおむねが売女の巣か、軍の食糧調達所と化している市場か、さもなければ、右馬介が隠れ家を置いている職人町のごとき一劃に過ぎなかった。
鍛冶、弓師、馬具師のたぐいが黒い軒を接しあい、もうもうと煙のなかに住む矢ジリ鍛冶の小屋だけでも何十軒という数だった。そして始終、六波羅武士がやって来ては、諸職のものを督促したり、また、ばか話をしちらしていた。
しぜん、そんな間には、幕府がたの機微などもまま聞かれた。――先帝の隠岐脱出によるいろんな噂も、ここにはどこより早くひろがっていた。
また、ちかく第四次の鎌倉軍が上洛するだろうという噂もたかい。
しかし、いったい都の内では、一時といえ、どこにそんな将士を容いれる余地があるのか。いやいや、いまは新帝以下の公卿女院もみな六波羅の北に御疎開なのだから、御所のあとにもぞくぞく入るにちがいない。戦はもう日本中の戦なのだから都も何もあったものか。と不景気知らずみたいに言っているのが職人町の明け暮れだった。
事実、千早城さえ持て余して、一面では赤松勢に山陽道ののどくびをしめられたまま、あがきを失っている六波羅の窮状をみると、右馬介にも、第四次の関東軍の増派はまちがいないものと信じられた。――しかもこんどこそは、足利家にもいやおうなしの出兵令がくだるであろう。――そしてこのことは、彼の推測だけでなく、もし増援のばあいは、その大将には、名越殿の一族人か、佐々木道誉か、さもなくば、足利又太郎高氏のほかあるまいと、一般の下馬評もすでに言っているのであった。
﹁時は来た﹂
と思い、彼はここのところ、体がいくつあっても足りない気がした。――つい数日まえには、丹波の篠しの村むらへ行き、そこの飛び領の代官や引田妙源などと会い、きたるべき日の打合せも内々すまし、魚ノ棚へ帰ってくると、追っかけにすぐまた篠村の使いが来た。それが岩松吉致からのあの申し入れであったのだ。
やっと今日は、それもすまして、
﹁帰ったよ﹂
と、わが隠れ家へちょっとだけ顔をみせたのである。
ここには、あいかわらず彼の手下の具足師が七、八人で小ぜまい男世帯の仕事場をもっていた。それも住吉の時代とちがい、みな一色村から呼びよせた腹心の者であり、具足師をおもてにじつは終始一貫、彼の持つ秘密な使命をはたしていたものだったのはいうまでのこともない。
﹁おや、お帰んなさい﹂
雑然たるそこの仕事場に迎えられて坐りこむと、右馬介は居合せた手下の者へ、ゆうべの会合のもようをざっと告げ、自分はこれからすぐ一色村へ立つが、やがて近い或る時機をみたら、一同はすばやくここの世帯をたたんで、丹波の篠村に結集していろと、あとの策をさずけていた。そして、
﹁まずは、ここもこれでよし﹂
と右馬介はまもなくまた、魚ノ棚を出て行ったが、しかし彼はなお、その日には京を立っていなかった。
朝廷すらも六波羅へ御疎開となった情勢では、一般市民がみな家もすてて山野へのがれたのはむりもない。
だから洛内は荒こう涼りょうだが、洛外へ行くほど逆に人さわがしい変則な奇景をいまは呈している。――それも桂川から丹波ざかいはあぶないので、嵯峨から北、衣きぬ笠がさからひがし、いたるところの山野には疎開小屋がみえ、農家には同居人があふれ、中には穴住居しているような家族もあった。
右馬介は、そんなあわれな者たちを見あきるほど見て、やがて仁和寺附近の尼長屋を曲がっていた。元々は一院の尼寺に附属して尼衆や後家ばかりの住んでいる所だったが、いまはそんな風儀にかまいなく疎開の男女がそれぞれ有うえ縁んの軒に込み入っていた。その一つの破れ門をくぐって、子供の泥足のあとが見える小式台の入口をうかがいながら、
﹁ごめんください。どなたか、おいでございませぬか﹂
と、右馬介はそっと奥へおとずれていた。
﹁おう、これは﹂
顔見知りらしい老ろう家けい司しがやがて彼のまえに手をついた。しかしだいぶ外に待たされた後、奥の女あるじの居間に通された。
むっちりと肥えた四よ十そ路じがらみのひとだった。幼子を抱いて、色いろ褪あせた衣服もよけい着くずしている容かたちだが、どこかには上流婦人らしい大おお容ような風もある。そして七ツぐらいな女めの童わらわが肩にからみついて母と客の話をしきりに横から邪魔しぬく。
右馬介は、たずねた。
﹁阿くま新わかどのは、お元気ですか﹂
そのことばで、ここの親子が何者か、素姓も分るというものだろう。日野の中納言資すけ朝とも卿きょうの後家なのだ。
阿新丸とは、佐渡ヶ島へ渡って、父の資朝に会おうとして会えずに帰ったあの少年なのである。
﹁……あの子はもうここにおりません。隠岐の先みか帝どが、山陰の大だい山せんに拠って、み旗の兵をお集めと聞くやいな、菊王をかたらって、一しょに大山へ奔はしってしまいました﹂
こう語るのも憂わしそうな母親だった。――日野家の領は、木こば幡たの北にあるが、とうにそこは没収されている。あげくに良人の資朝は、討幕の元兇とあって佐渡ヶ島で斬られ、その遺わす児れがたみ四人をかかえて、ここに落ちぶれ果てている親子なのだった。しかも子供らの生命すらも決して安心なのではなかった。
右馬介は、佐渡で会った阿新丸との縁で、そのごもしげしげここを見舞っていた。――また去年――高氏が羅刹谷から鎌倉へ帰る折には、日野俊とし基もとの美しい若後家、小右京の身を高氏から預かって、ここへ連れて来、ひそかに、彼女の身もこの家に頼んでおいてあるのだった。
﹁そうですか。阿新どのも、はや十六、七におなりですな﹂
﹁なにしろ、きかない子ですし、それによく小右京さまを訪うて来る菊王という者と、いつも血気なことばかり話しあっていたようですから﹂
﹁無理もありません。父ぎみやら俊基朝あそ臣んなどの非業な死を、まのあたりに見た少年の御血気としては。……して今日は、小右京さまには?﹂
資朝の後家は、背にまとい付いている子の頬へ、頬ズリを与えるようにいた。
﹁小お母ばさまはもうお帰りか。裏のお家うちへ行って見ていらっしゃい﹂
女めの童わらわはすぐ庭向うの離れへ駈けて行ったが、やがてまた縁の外から、
﹁いない﹂
と、その幼おさ顔ながおを振っていた。
﹁……でも、じきにお帰りになりましょう﹂と、資朝の後家は、右馬介の方へ。﹁今朝ほど、双ならびヶ岡おかへ行くと仰っしゃって、早くにお出かけでしたから﹂
﹁ほ。双ヶ岡へ何のご用で?﹂
﹁ご存知でございましょうが。兼好法師という、おかしげなお人を﹂
﹁吉田山の法師ですか﹂
﹁そうですの。その吉田山も六波羅兵の陣場になってしまいましたので、先頃から双ヶ岡へ、庵いおりを移しておられます。……小右京さまとは、いぜんからお親しい仲とみえ、ままここへもお顔を見せますし、小右京さまもお歌の詠えい草そうなど持って、何かとよう行き来しておられまする﹂
こう聞くと右馬介はかえって安心した容子であった。彼女の無事さえ知れば用は足りていたのである。
がしかし、多少の不安が滲にじまぬでもない。いまは佐々木道誉が都にいないからいいようなものの、何しろ彼女の美貌は人目につく。それに疎開生活の世間というものは一ばい人の心もすさんでいる。女の外出などはくれぐれ気をつけねば物騒である。――と、いうような四よも方や山まばなしなどのすえ、しばらくは小右京の帰宅を待っていたが、
﹁いや、お目にかからずとも、ご無事とさえ分ればよいこと。おもどりになったらよろしくおつたえおき下さい。いずれまたすぐ、上洛のときは、さっそくお目にかかりますれば﹂
と、言いのこして、まもなく彼の姿は、先を急ぐように、御おむ室ろみ道ちをひがしへ、足の迅い一個の旅人となっていた。
彼の旅は寸陰のまも惜しんで、ほどなく海道の名古屋、岡崎から幡はず豆ごお郡りへはいり、故郷三河の一色村へついていた。
あらためていうまでもなく、この地方は足利家の支族のものが古くから郷主として、また開拓者として、根をおろしてきた村々だった。吉き良ら、今川、仁にっ木き、乙川、西尾の諸党、みなそれである。わけて一色党の一色刑部はなかでも重きをなしていた。
だからこの郷さとの里子のかたちで、これらのひとに哺ほい育くされてきた不知哉丸は、たとえそれが主君高氏の隠し子であるにせよ、よしまたその生母が、卑賤な田でん楽がく女ひめであろうとも、やがては、宗家の世つぎにもなるべきおん曹ぞう司しにはちがいないとして、
郷党の珠
のごとき愛いつくしみと守りをささげられながら、ことし早や十一となっていたのであった。
といっても、半農半武士的な野性の中ではあるし、不知哉丸もとかく、ひよわい質だったので、なるべく陽なた臭くと、野馬や田いな舎かわ童っぱの群れのなかで、育てられてきていたのであった。けれど去年いらいは、一切、一色家の門の外へは遊びにも出さなかった。――この事情は一色家の当主と、藤夜叉と右馬介だけが知っていて、人は知らない。もちろん藤夜叉は、以来この家の奥に籠こもったきりだった。
﹁いつも村はのどかですな﹂
右馬介は、わらじを脱ぐとすぐ、生家の大きな炉ろノ間まへ通った。そして太い黒光りのしている柱やら天井をなつかしげに見まわした。
めったに帰郷することはなく、稀れに帰って、老父の刑部にまみえるときは、いつもこうするのが癖のようであった。
﹁いや、ここらもそろそろ、のどかではなくなったわえ﹂
刑部は眉さえ白い老齢だが、体はすこぶる頑強であった。すぐ自分の居間へ右馬介をいざない入れて、
﹁どうだな、上方は?﹂
と、水入らずの仲になる。
﹁待てば海路とやら、諸しょ相そう、いよいよ幕府の終しゅ焉うえんをあらわしてまいりました。御ごそ宗う家けからここへも、何かとはや、密々のおさしずが?﹂
﹁む。ご舎弟直義さまの名で、そして諸事の奉行には、高こうノ師もろ直なおがあたって、いろいろなお支度を、この地でととのえおけとの御内命だ﹂
﹁馬匹、食糧、兵具、何かと大量にのぼりましょうな。足利ノ庄のご軍備は知れたもの。大蔵のおやしきには、なおさら、かたちばかりの用意しかございませぬで﹂
﹁さ……それで若い者から長屋侍も毎日みな出払っておる。わしを留守番役の恰好でな﹂
なるほど、くぬぎの防風林と石いし築つい土じにかこまれたここの中には、いつもたくさんいる若党や雑人たちの影もなかった。右馬介の兄や甥やらも見えない。厨くりやの女たちの声と鳥の音だけがしずかだった。
それだけに、父子の密談はかえってゆっくりできた。とくに中央の情況を刑部は熱心にききほじった。そしてなんども大きくうなずいた。
﹁そうか、それでは六波羅もさらに援軍を求めずにいられぬな。そして高氏さまの御出兵もこんどはまちがいあるまい。幕府も任命の大将を選よりごのみしていられぬだろう﹂
﹁されば、次の大将は足利殿であろうと、京でも、もっぱらな下馬評です。いまおはなし申しあげた岩松党の輩やからもそう観ていました﹂
﹁では右馬介、そちはもう都へは引っ返さぬ気か﹂
﹁はい。ここにいて、殿の御上洛の途とをお待ちするつもりでございますが――﹂と言って、急に、庭ごしに渡りの廊の彼方へ眼をやりながら、
﹁藤夜叉さまにはまだ私の帰家を御存知ないようですな﹂
﹁ム。まだ告げてない﹂
﹁さっそく、あのお方にも、お目にかかり、不知哉丸さまの御無事も拝したいとおもいますが﹂
﹁おう、去年のことがあっていらい、人に会うのも厭いとうておいでだが、おまえが見えたとあればおよろこびだろう。そっと見舞うてあげるがいい﹂
﹁では﹂
と、彼はやがて、老父をのこして、ひとり渡りの廊をすすんで行った。北の遣やり戸どを閉しめ、南の簾すだけを掲かかげた所にすぐ少年の声が聞かれた。しかしそれは、きイんと癇かん性しょうをおびた駄々ッ子声で、双すご六ろくの駒をくずす音と一いっしょに聞えたのである。右馬介は、藤夜叉の裳もの端をチラと見たが、遠慮して、しばらく遠くにひかえていた。
藤夜叉と不知哉丸とは、じつの母子ではあっても、あまりに藤夜叉がまだ若くてきれいなせいか、よそ目には、姉と弟のようだった。
それに一色家以下郷党のすべても、不知哉丸へたいしては、
おん曹司
あるいは、
わか君
と、君くん仕じしているが、生母の藤夜叉をみる目には、前身の田でん楽がく女ひめといういやしみが、たれの潜在意識にも多かれ少なかれあった。そして、しぜん不知哉丸までが、母の彼女を、
﹁藤夜叉、藤夜叉﹂
として、呼びすてにしてかえりみないふうだった。
このこと一つでも、かの草心尼母おや子ことは、おなじ母子でも在あり方がちがっていた。それと藤夜叉には道誉という魔の男の爪つめ痕あとが深いいたでになっている。わが子にさえ、彼女の心の裏がわでは、たえずそんな体の母であることが、みずから責められ、それがかたちの上でも卑ひ下げになって、ついわれからも乳母か侍女かのような侍かしずきになりがちだった。
だから、なにも知らず十一にもなった不知哉丸は、わがままいッぱいで、恐こわいもの知らずな小暴君の性さがをいよいよつのらせていたのである。――それに体は、ひよわいので、周囲はなおハラハラばかりさせられていた。――いまも何か気に入らないで、その小さい手がふいに蒔まき絵えの双すご六ろく盤ばんをひッくり返し、賽さいも駒もガチャガチャにしてしまったらしく、右馬介がふと耳にしたのはそれだった。
﹁ばかっ、藤夜叉のばかっ﹂
つづいて、一そう甲かんだかく、
﹁狡ずるいや! もう止めだよ。藤夜叉! こんな物、あっちへ持って行ッちまえ﹂
と、不知哉丸の足のさきが、なお双六の駒を、けちらしているのであった。そのため右馬介は、顔を出すのも控ひかえられて、しばらくは廊の遠くに畏かしこまっているほかなかった。
﹁…………﹂
藤夜叉はまだ、右馬介の方にはなにも気づいていなかった。ただ胸がいっぱいな容子であった。この小暴君の暴君ぶりも、可愛くてたまらないのに、そのことと、母のじぶんの負ひけ目めとが悲しくからみあってしまうのだった。――そして、かつて道誉の魔手をのがれて、京の高野川へ身をなげた夜に作った左の瞼のうす青い痣あざのあたりまでも、涙の怺こらえにほのあかく耐えている横顔だった。
……が。やっと言った。
﹁ごめんなさい、若さま﹂
﹁知らない!﹂
﹁そんなこと仰っしゃらないで。……さ、やり直しましょう﹂
﹁ひとりでおやり! やりたいなら﹂
﹁だって、双六遊びはひとりでするものじゃないでしょ。ね、ごきげんを直して﹂
﹁そんならなぜおまえは、一人でするみたいなことをするのさ。ばかっ﹂
﹁ほんとに、ばかでしたわ。こんどは、気をつけましょうね﹂
縁へ飛んだ駒の一つを拾うために、彼女はなにげなく体の向きを変えて、手を伸ばした。そして、さっきから遠くにひかえていた右馬介の眸に出会うと、とたんに、その瞼は涙の怺こらえを失って、ほろほろと珠をこぼした。
それをしおに、右馬介はわざと陽気に声をかけた。そして膝をも前へおしすすめた。
﹁や、せっかく、双六遊びの、お愉しいところを﹂
藤夜叉も、あわてて涙をかくしながら、座をゆずって。
﹁……ま、いつのまに右馬どのには。……若さま、右馬介がみえました。また、おもしろい都ばなしがおありでしょうに﹂
﹁若ぎみには、いよいよ御成人でいらっしゃいますな﹂
﹁――右馬!﹂と、不知哉丸はまだほんとには、機げんも直りきッていない顔つきで﹁いつ来たの? おまえ﹂
﹁たった今しがたでございまする。はい、このたびは、火急な用でくだりましたので、若ぎみへは、何の都土産もございませぬが﹂
﹁いらないよ﹂
不知哉丸は、ぷいと立って。
﹁右馬! 藤夜叉は狡ずるいぞ。この前のときのお土産だけど、双六なんかもういらないよ﹂
﹁は、は、は。若ぎみは負けずぎらいでいらっしゃる。武将のお子だ。それはけっこうですけれど、負けて怒ったりなされてはいけませんね﹂
﹁だって、藤夜叉のは、いつも人をだますからさ。ただの勝ち方ならいいんだけれど﹂
﹁晩にはひとつ、この右馬がお相手つかまつりましょう。右馬を負かしたら、若ぎみもおえらいがな﹂
﹁きっとかい﹂
﹁はい﹂
﹁じゃあ、何を賭ける﹂
﹁何でもお賭けいたしまする﹂
﹁よし。藤夜叉なんかおもしろくない。右馬めを、きゅうきゅういわせるぞ﹂
﹁腕をさすって、晩の勝負をお待ちしましょう。ですから﹂
﹁ですから何だい?﹂
﹁少々、藤夜叉さまとここでおはなしがあるのです。若ぎみにも、大人のはなしなどはおもしろくありますまい﹂
﹁そうだ、弓の時刻だ。このごろは若党たちがちっとも的まと場ばに見えないけれど、わしひとりで弓の稽古をしていよう﹂
﹁おう、それはご立派なお心がけだ。右馬介もあとからお的場へ伺いまする。そして若ぎみの御習練ぶりを一つ拝見させていただきましょう﹂
﹁来る? きっとだね﹂
不知哉丸は、ひと間のうちへ入って、弓袋を解き、美しい弓を片手にすぐ庭へ駈けおりていた。そして北庭の的場の方へ走って行くその紫むら濃ご染ぞめの小こば袴かまが遠くなるまで、ここの大人ふたりは、長い月日の感慨を胸の下地においてながめていた。
﹁藤夜叉さま﹂
右馬介は、われに返って。
﹁さぞお可愛いでしょうな。憎まれざかりで、お手を焼くこともままでしょうが﹂
﹁ええ……﹂と、藤夜叉のおもては、母である以外のなにものでもなく﹁仰っしゃるまでもございません。……ただいつになったら、あの和子が、晴れて父てて御ごに、ご対面できるのか。会わせて上げる日が来るのか。愛いとしいと思うにつけてそれだけが﹂
﹁いや、遠い日ではございませぬぞ。ようやくその日は近づきました。およろこびなされませ﹂
﹁えっ、ほんとによろこんでもよいのですか﹂
藤夜叉は胸がさわいだ。父子の対面の日は近いという。もしそれがかなえば不知哉丸も、
隠し子
ではなくなるのだ。自分もまたその日からは、“日蔭の女”ではない。思うだけでも、体のうちにあけぼのがさして来る。
彼女という悲母の悲願は、それ一つにかかっていた。自分は元々、田でん楽がく村むらの無教養な女、野性の女としているのに、いつとはなく、わが子は、足利家の嫡男でなければならない――そうなければ、世にも不運不幸な子であるような――一念についなっていた。またここの郷さとでは、周囲もみなそういって、それが郷党の未来夢でもあるように不知哉丸への君くん仕じをはげんでいるのであった。
﹁……右馬どの。もすこし詳しくおきかせ下さいませぬか。どうしてその日が近いと分るのでございますか﹂
﹁じつはです﹂
と、右馬介も彼女の真剣さに気押されて、たんなる慰め言ではすましていられなくなった。
﹁ほぼ、殿のご上洛が、実現になりそうなのです﹂
﹁上方への御出馬が?﹂
﹁はい﹂
﹁いつですか﹂
﹁いやまだ、幕府の任命は出ておりません。けれど、確実なところから洩れた取り沙汰です﹂
﹁でも、風説ならこれまでにも、幾たびとなく同様なことが、海東でも言い囃はやされたことでしたが﹂
﹁さ。それは幕府内に、殿を視る眼の揣しま摩おく憶そ測くがさまざまにあるからでしょう。しかし昨今の事態は、そんなためらいなど、はやゆるしてはおけません。このたびこそは、相違なく、幕命がくだる。そして殿には即日、ご軍勢をととのえて、ここの海道を馳せのぼられることでしょう﹂
﹁途中、この一色村へもお立寄りになられますか﹂
﹁いや三河路はお通りになっても、道をまげて、一色村までは、いかがでしょうか。そこは予想しかねますが、この近傍にて、馬匹、食糧などの装備を加え、また幡は豆ず七郷のお味方をも合せて、一路上洛のご用意をととのえるには、少なくも両三日のおとどまりは、まずたしかであろうと思われまする﹂
﹁……右馬どの!﹂と、すり寄ッて。﹁それならまたとない吉よいお門かど出で、その折には、藤夜叉が一生のお願いを、どうぞおかなえ下さいませ﹂
﹁時は近い、と申したのはそのことです。かならず、あなた様と若ぎみのお手をひいて、殿の御陣所へうかがい、右馬介が十年の労と一命に替えても、ご父子の対面を、お願いつかまつる所存でおります﹂
﹁ご恩は忘れませぬ。ああ、うれしい。けれど、なろうならば、その上に﹂
﹁なお、まだ何か?﹂
﹁殿へおすがり申してみてください。和子もはや十一です。しかも父高氏さまにとっては一代の御出陣。いっそ合戦にもお連れあそばして、そのよい日を不知哉丸さまの初うい陣じんともしていただきとうぞんじまする﹂
﹁なるほど﹂――右馬介は感動した。しかしこれは不知哉丸を擁している郷党たちの意見もきいてみねばならず、彼にもひきうけられる自信はなかった。
﹁そうそう、つもるおはなしで、つい申しおくれましたが﹂
右馬介は、急にふところをさぐりだした。そして、
﹁これは、草心尼さまからおあずかりしてきたお手紙でございまする。なにやらあなたさまのことを深くお案じのようで﹂
と、藤夜叉の前にさしおいた。
藤夜叉はそれをすぐにはひらいて見なかった。なつかしさやら、また自分のくるしみをどう解いてくれたやら、すぐにも見たいのは山々だったが、行こう成ぜい風ふうの美しいそして余りに上手な尼の仮かな名ぶ文みは彼女の力ではいつも判読に骨が折れて、まどろいかなしみを味わうのだった。
で、さりげなく、
﹁さだめし、おふた方はいつもお倖せでいるのでしょうね。覚一さんも日ごと琵琶のお師の門へお通いになったりして﹂
﹁どうして、都の内も昨今は、それどころではありませぬ。みかども公卿も六波羅へご疎開の騒ぎですし、草心尼さま母子も、羅刹谷のおくへ移されたような心細い有様ですから﹂
﹁でも、あのおふたりを思うといつも羨ましい。なんのご苦労さえないようにみえる。それにひきかえ、和子と私は、よほど業ごうの深い生れつきなんでしょうね﹂
﹁いやいや、やがては、晴れてよいご身分になるはずです。ただこの大戦がおさまるまでのご辛抱だ。それはしかし、やさしいご辛抱ではありませぬが﹂
そこへ、不知哉丸がまた、駈けもどって来た。小袖の片肌をぬぎ、弓をかかえて庭もから、
﹁藤夜叉﹂
と、昂奮した声で、
﹁右馬介も行ってごらん。いまね、鎌倉のお使いが速はや舟ぶねで浜へ着いたのだって。そして、いよいよみんな戦いくさに出るのだとさ。みんな浜へ駈け出して行ったぞ。爺の刑部まで駈けて行ったぞ﹂
﹁えっ、ほんと﹂
﹁ほんとだとも﹂と、四股こを踏んで﹁――的まと場ばの仲ちゅ間うげんまで、わし一人おいて、行ってしまったよ。右馬介、行ってみようよ﹂
﹁ま、お待ちなされませ。大おお蔵くら︵鎌倉の邸︶の御ごそ宗う家けからきたお使いならやがてここへ見えましょう。若ぎみがお迎えに出るなどはいけません。若ぎみはここのおん大将なのですから﹂
﹁右馬、わしもみなと一しょに弓を持って戦に行くのだ。藤夜叉は女だから行けないね﹂
そのとき、浜の方で貝の音が鳴り出していた。
郷党の野や家へ、集合を告げているのであろう。すでに七郷の足利党は、西に戦雲をながめ、ひがしに鎌倉の空を見て、
﹁令は、いつか﹂
と、出動を待ちぬいていたことだった。とくにこの地方は、足利家の穀倉でもある。営々と半農半武士の黒い汗と代をかさねて、武具や馬匹を蓄備してきた財源の地でもあり、すべては、
﹁今日のために﹂
と、言わずかたらずな誓いが、畑にも野にもみちていた郷さとである。
――やがて藤夜叉と右馬介とは、不知哉丸に引かれて、庭山の小高い所にのぼっていた。そして遠くはない浦の方を眺め合った。――渥あつ美みノ海はあくまで碧あおく、なぎさは白い弧こを描いており、馬やら人やらで熱風を渦まいていた。そしてそのなかに、いま船からおりたばかりの宗家の使いと、白髯の一色刑部とが会見の礼を交わしているのが見えた。
釘くぎ
幕府の第四次の召集令は、鎌倉近傍だけでなく、遠くは房総から、甲信の方面にまでわたっていた。それも、
一々参府 ニ及バズ、各、領国ヨリ即日、出兵セヨ
という急命で、宗むね徒との大小名二十一家が狩りもよおされ、現地での結集総兵力は、ほぼ二万をこえようと見られていた。
そして、それの総帥には、北条一族中での大族、
名越尾張守高家
が任ぜられ、べつに、副将とはいわず、からめ手の総大将として、
足利又太郎高氏
が、あげられていた。
高氏は郷里足利ノ庄に居ず、去年、京の羅らせ刹つだ谷にをひきあげたのちも、ずっと鎌倉表にいた。だから彼の出陣は鎌倉から立たねばならない。ところがその高氏すら腰を上げないうちに、いちはやくもその日――その日というのは三月下旬の二十六日――佐々木入道道誉が、二階堂のわがやしきを引払って、第一番に西上の途とについた。
大おお蔵くらの足利屋敷ではみな、
﹁はて?﹂
とそれを怪しんだ。
こんどの出兵令をうけた二十一藩のうちに、近江の佐々木道誉の名は編成の中になかったはずだからである。
それもあるし?
道誉といえば、たれも知るように、執しっ権けん高時のそばには、何につけ欠くべからざるお気に入りの近侍人といっていい。その道誉が君くん侍じをはなれて現地へ征ゆくとはどういうわけか。どうして高時が手ばなしたのか。
﹁ありえぬことだが﹂
と、いぶかる足利家の家中であったが、
﹁いや、ありえなくはない。ありそうなことでもあるわ﹂
と、ひとり頷うなずき顔がおでいたのは、例の家中でのきけ者、高こうノ師もろ直なおだけだった。
幕命がくだったのは、おとといだったが、ゆうべの夜半までは、高氏、直ただ義よしをかこむ評議に過ぎ、かたく門もん扉ぴをしめたまま、なんのうごきもしていない足利家だった。
その間かん、幕府からは、再々の使いがあり、足利家からも、弟の直義が幕府に出むいて、
﹁兄高氏事、このところ、病気のため﹂
と、釈明につとめたのだが、二度めにはことわるに辞もなくなって、
﹁ここ数日の、ご猶ゆう予よを﹂
と、願い出ている。
しかし柳りゅ営うえいがわでは、仮病とみて、あくまで即日発向を強しい、遷せん延えんをゆるさぬのみか、こんどにかぎっては、いたく強硬なのである。
で、お受けのほかなく、今朝は高氏自身が、
﹁病を押して﹂
という前ぶれのもとに、執権のやかたへ伺候していたが、事はそのあとなのだった。
なんの発令も聞かない道誉の俄な出陣と聞いて、直義も意外な念にうたれていると、その一室へ師直が姿をみせて、彼一流の献策をささやいた。
﹁いやなに、道誉への不審なら、てまえ一存の儀に、おまかせくだされい。――出陣の列もつい今しがた、二階堂の門を出たばかりとか。追ッかけて、あの若入道を途にとらえ、腹をさぐってまいりまする﹂
昨今、鎌倉は軍都でしかない。しかし北条九代、とくに今の高時の代では、一面熟うれきッた文化の府でもあった。
十じっ橋きょうの柳は老い、四境の内は、まるでこの世の浄じょ土うど曼まん陀だ羅らだった。ことしは閏うるうで二月が二度かさなっていたから、いまの三月末は、例年の四月下旬の気候である。町の男女のあいだにはもう薄はく暑しょが蒸むれ合い、白びゃ檀くだんの唐から扇おうぎを匂わす垂たれ衣ぎぬの女もあった。
﹁さぞ、見ものであろうよ﹂
と、辻々は見物人で賑わっていた。武者の出征や行列などは、ただの往来人のように見あきている鎌倉の住民なのだが、
﹁道誉どのが﹂
と聞くと、格別な興をそそられてくるのらしい。あの婆ば娑さ羅らどのだ、軍装も図ば抜けているだろうと思うのである。
その佐々木道誉の陣立ちは、さしてたくさんな兵ではなかった。多くは近江伊吹の国元においてあるからであろう。二百たらずの小勢であった。けれど二階堂のやしきから貝の音にしたがって歩武堂々と町なかも意識して粛しゅ々くしゅくとながれて来た。期待のとおり装いも見事であった。
馬上の道誉は、黄の縅おどしのよろいに、四ツ目結ゆいの紋を打った陣笠をかぶっていた。彼は、くわ形の大かぶとだの大えぼしなどは嫌いとみえ、自分の考案で作らせた狩かり猟が笠さに似たのをこの日も用いていた。人はそれを呼んで、
道誉笠
と、いったりした。
旗さし物は、黄に白抜きである。旗本十二人のいでたちも、兵の笠じるしも、荷駄の足あし軽がる脚きゃ絆はんまでが、総じて黄色と白のだんだらだった。“山吹備え”“山吹一揆き”とこれは都でも人目をそばだてた特徴なのだ。
﹁とまれ﹂
という令に、鶴ヶ岡の大鳥居の前で、ややしばらくの停頓をみせていた。
道誉の姿が、そこで下馬して、森のうちへすすんで行くのが小さく見えた。社前に祈誓をこめて行くのだろう。いかにも神妙な大将におもわれた。
さらに彼は、若宮大路の執権邸の前でも下馬して、柳営内の桟さじ敷きのほうへむかって、うやうやしく一礼していた。これは彼にかぎらず、出征の将士はいつもこうして行く。そこで桟敷から閲兵を与えている高時も、ばあいによると、主将だけを邸内へ入れて、太刀や酒を賜うことなどあるが、千早金剛の急いらい、そういう古式も略されていた。道誉もそれに倣ならって外げも門んの礼だけですぐ立った。そして大町口から稲村ヶ崎、金洗い坂と、やがて府内との関門も後ろの遠くにしたと思うと、彼方の砂丘を割っているきれいな川を後ろに、しきりとこなたへ手を振って待つ男があった。
﹁や、何者だろう、あれは﹂
道誉の不審に、
﹁はて見たこともない?﹂
と、旗もとたちも、眼をこらしあった。
しかし、そのまま駒波をすすめて行くうち、道誉がまず驚いたような口調で言った。
﹁あっ、這しゃ奴つだわえ!﹂
左右の士はなおいぶかった。
﹁ご存知の者ですか﹂
﹁知らいでか。足利家の国家老、高ノ師直という男だ。……あの師直めが、さて何しに?﹂
先廻りしてここに彼を待っていた師直は、列が近づくやいな、
﹁おそれいりますが、しばらくのおとどまりを﹂
と、道誉の馬前にひざまずいて心からな辞儀を作った。
﹁なにやつだ﹂
わざと空とぼけて、道誉は。
﹁遊ゆぎ行ょうの途とではない。出陣の道であるぞ。旗本に蹴ちらされるな﹂
﹁お見忘れでございましょうか、足利殿の内の者、高ノ師直と申しまするが﹂
﹁あの狒ひ々ひか﹂
﹁は。その陪臣で﹂
﹁かかる途上へ何のために﹂
﹁御発向とうかがったのも今朝がたのことで、ぜひなく﹂
﹁して、何だ?﹂
﹁ご出陣のお祝いを述べに﹂
﹁お祝いに?﹂
﹁それと、一度は深くおわびごとも申し上げねば相なりません﹂
﹁あれ、覚えているのか﹂
﹁重々申しわけなく存じております。あれはつい百日ほど前の、左様左様、年の瀬もおしつまった年く暮れのことでございました﹂
﹁よくこの道誉を、したたかな目にあわせたな﹂
﹁それが、あとでは、まったく何の記おぼ憶えもないのでございまする。白龍の家の者や白しら拍びょ子うしどもから、後日、しさいを聞かせられ、ただ慚ざん愧きのみで、どう無礼をお詫びしたものかと、今日まで、苦慮に解かれたことはございません﹂
﹁ばからしい。そんな酒乱の尻ぬぐいを、この出陣のさいに聞いていられるか﹂
﹁わきまえてはおりまする。しかし、おたがい武門は、かく続々と前後して戦場に出で立つ折。いささかな悔いも残しておきたくありませぬ﹂
﹁勝手に詫びろ。また足利家でも、いやおうなく、今明日には出陣だろう。どっちから祝いに出むくこともあるまい﹂
﹁いや。これへ参ったのは、師直が一存にすぎず。なにとぞ、過ぐる日の無礼は水にお流しあって、師直が心ばかりな、とっさのお門かど祝いわいを、寸時、お酌くみ上げ願いとう存じまする﹂
ねばることでは、道誉はとうてい彼の比ではなかった。師直の主人高氏は、道誉をひどくニガ手としているが、師直は何らそうした風ではない。いつかの初対面のときからして、彼は彼を呑んでいた。
師直は急に、浜のなぎさの方を振りむいた。そしてこう大声で呼ばわった。
﹁おうい、なにしておるか。はようせんか、はよう﹂
さっきから浜には一そうの花見幕をめぐらした屋形船がついていたが、声とともに鳥籠のフタでもあけたように女たちがこぼれ出て来た。鎌倉一流の白拍子たちである。西せい施し、小観音、おだまき、箱根、小槌、獅子丸などどれひとり道誉と馴じみ少ないものはない。わけて白拍子茶屋の白龍は極ごく道どうな道誉をウラのウラまで知りつくしているおかみであった。彼女は師直にたのまれて、海上からこれへ来ていたものにちがいない。この脂しふ粉んぐ軍んの大将には道誉もかなわなかったものとみえた。
――やがて行軍の部下は砂丘のあたりで休息を命ぜられ、道誉もいつのまにか、彼女らのとりことなって、屋形船の内にいた。
勝かち栗ぐりやら、昆こん布ぶやら、折おし敷きにはめでたいものが盛ってあった。
彼女らは征途にのぼる武将の歓送には馴れきっている。
――それなのにと、彼女らはいう。そのわたしたちに黙って立つ法はない。そうはさせるもんですか。さあわたしたちの出陣祝いをおうけなさい。わたしたちの千人針を持たないで征いったひとは、みな千早とやら金剛山とやらで死んでおりますよ。――と。囀さえずりぬく。
﹁ま、待ってくれい﹂
道誉は応酬に狼狽した。
﹁ま、待て。どうして知ったのだ、きさまらは﹂
﹁じゃの道はへびですもの﹂
﹁師直めに教えられたな﹂
﹁ご恩にかんじておりますわ。師直さまを﹂
﹁ふざけたやつだ﹂
﹁どちらがですえ、箒ほうきノ頭かみさま。わたしたちが知らずにいたら、そのまま御出陣のおつもりだったんでしょ。まあ憎い﹂
道誉は閉口した。さすが兵に気がねもあるのである。女たちのさす杯を片ッ端からみな干して、さっそく錦の巾きん着ちゃくを中の金ぐるみ祝は儀なとして投げ与え、
﹁めでたく凱旋したらまた会おう。留守中あまり浮気するな﹂
と、戯れながらやっと振り切って女たちの中から立った。
すると師直が船の外で言った。
﹁白龍。なぜあちらの大勢にも餞はな別むけせんのだ。早く一献ずつでも祝ってあげろ﹂
﹁はいはい。ただいま﹂
白龍は、舟か夫この手をかりて、二荷かの酒さか桶おけをおろしていた。そして女のすべても連れて行って、砂丘のほとりに休んでいる将士に酒をすすめ廻った。或る者は、柄ひし杓ゃく飲みに、或る者は土かわ器らけで、たちまちそこもにぎやかな武者の声と嬌笑だった。
そのあいだを、師直は巧みにこなたでとらえていた。――先を急ぐ道誉の身の寸間をである。――道誉は屋形船の花見幕から体をあらわしたが、なぎさの浜に師直がひざまずいていたのを見、彼もそのまま船べりに腰かけた。
﹁師直﹂
﹁は﹂
﹁つまらぬ洒落だな。これが道誉への出陣祝いというつもりか﹂
﹁いささか御一興になろうかとぞんじまして﹂
﹁うそをつけ。そちはわしの腹を知りたいのだろう。女どもをつかってさぐりに来たのだ。わかっておる﹂
﹁さすがは御明察……﹂と、師直は悪びれもせず、その不遜な体躯をすこし崩くずして、
﹁まったくは、その通りです。何ゆえの俄な御発向か、主人のため、お伺いにまいりました。――このたび大命をうけた出陣の簿には、佐々木家のおん名はみえておりません。しかるに、第一番の御発向とは﹂
﹁そのことか。つら構えに似げなく、主家を思うらしい料簡にめでて教えてつかわす﹂
﹁はっ。ねがわくば﹂
﹁わが行く先は戦場ではない。とかくお味方中にも、二心疑わしき不心得者があるため、それの監察にまいるのだ。すなわち、執権高時公のお目めが代わりを仰せつかって、近江の要よう衝しょうに堅陣を布しき、それらの不審を見まもるために西上するのだ。おてまえの御主人にも、ようそのむねを申しておくがよろしいのう……﹂
一本釘くぎを打ッた言い方だった。そして相手の反応を愉たのしむような眼が、道誉の顔のなかの黒ほく子ろと一しょに、にんまりする。
が、師直もさるものだ。陪臣の低姿勢を、くそまじめなほど守ッているが言辞はどこか、ぬけぬけしていた。
﹁ははあ、つまり三軍の“後ろ目付”でございますな。二た股者くさい大将は黒ひょ表うに上げて、鎌倉へご内報におよぶわけでございまするか。なるほど、なるほど﹂
﹁にくまれ役だ、こいつはな。しかし高時公の台命なればぜひもない﹂
﹁いや、なかなか。さすがお目のつけ所は大きい。おそらくあなた様のご献策と人は拝察いたしましょう﹂
﹁ばかなことを﹂と、道誉はちょっと目かどを立てて﹁柳営には、政まん所どころもある、評定衆もおる。一個道誉のおすすめなどで左右されるものではない﹂
﹁さようかも知れませぬが、しかし当今での御人物は、近江殿とたれも評しております。主人高氏なども日頃さように申し上げておりまする。されば高時公のお目からみても……﹂
師直はここでにゅっと笑ってみせた。毛ぶかい木像蟹が腹の裏がわをチラと覗かせたような白い歯だった。言外に相手の急所をくすぐッているのである。いつか白龍の家では、酒の上だがそれを口に出したこともある彼だ。――足利家の者も盲ではないという意味をである。――そして一体、道誉自体の二ふた心ごころは誰がこれの目めつ付けとなって高時へ教えてやるのかと、師直とすれば、ここで一言いってやりたいところだったに相違ない。
﹁…………﹂
ふたりの眼と眼が戦った。
道誉の方にも或る覚えと警戒があることは否めなかった。それなのに、高圧的な先手を取ッて釘を打つような言を弄ろうしてきたので、師直もまた主家のため一本打ち返しておいたものだろう。――だが陪臣師直は、決してそれ以上には頭ずを上げなかった。
﹁ま、どちらにいたせ、晴れの御出馬、大慶この上もございませぬ。さっそく立ち帰って、直義さまへ、仔細、おつたえ申しおきまする﹂
﹁ご舎しゃ弟ていなのか。これへ、そのほうを差し向けてよこしたのは﹂
﹁何せい、今朝は殿もお留守のさいに、俄な佐々木どのの御出陣と伺い、いや意外な噂におどろきまして﹂
﹁狼狽したか。はははは、御仮病でいたなら、さもあろう﹂
﹁なんの、それに虚構はおざりませぬ。切に御自重をねがっていたのは、われら家臣どもで、殿にはムリなお体をおして、はや今日は、執権邸へおいとま乞いに参上なされておられます﹂
﹁当然だろう。……いやいずれ御西上の途中では、いやでもわが領国近江路でお目にかからぬわけにゆくまい。くれぐれ、このたびは心して近江を越えよと、高氏どのに言っておけ﹂
あきらかに挑戦的な口吻だ。ふくむところ歴々である。言いすてるやいな、師直ごときは眼のすみにもないように道誉は待たせてある山吹揃いの一軍をひきいてすぐ進発し出した。けれど、そんな道誉も、砂丘にのぼッて見送る女たちの白い手にたいしては、馬上から振向いて、金扇を開き、ひらひら愛あい想そよくこたえながら次第に西へ遠ざかった。
難題
柳営、執権御所内の石ノ庭に面した控えの一室は、 石せっ澗かんの間ま と称されている。 北びさしの冷んやりと陽に遠い夏向きな用部屋だった。相さが模みに入ゅう道どう︵高時︶どのに召されて、ここへ通されたときは、おおむね長時間待たされて、御前の首尾もよろしくない場合が多いという定評から、御家人諸大名のあいだでは、 ﹁石澗の間は、折せっ檻かんの間まだ﹂ などといわれたりしている所でもあった。 もう二ふた刻ときにちかくなる。 高氏は、公式の大だい紋もん烏え帽ぼ子しすがたを、ぽつねんと、ひとりそこにおかれたままでいた。 だが、彼は退屈そうに倦うんではいない。 石ノ庭と話していた。 白砂の石のほか、一木一草もつかっていない庭なのだ。初めのほどは﹁なるほどこの庭の造意は、石を観せるところにあるのだな﹂と見ていたのだが、一つ一つの石をその心ぐみで観賞していると、どうも合がて点んのゆかないふしがある。 さして、名石らしい名石はないのであった。どれも頑愚な凡石か、添そい屈かがまっている駄石ばかりだ。石にたいして深い観賞眼があるわけでない彼にしても自然見飽きずにはいられない。 では、この庭は何をみせようとしているのか。 たしかこれが造庭には、円覚寺のうちのえらい坊主があたって、庭師とのあいだに、こんなばからしい庭をと、大論議があったものとか聞いている。そしていずれをとるかは、執権のご裁さい可かに待とうとなったところ、何事によれ奇を好む高時のことなので、一も二もなく﹁変り庭もおもしろい﹂と、これが採り上げられたものであったという。 変っている、ただそれだけの庭だろうか? 高氏は、やっと見つけた。いや彼の禅の師、疎そせ石きお和しょ尚うの眼をかりてただちにうなずき得たのであった。 空くう それをこの庭は提唱していた。 見るべきものの何一つ置いてないのは、人の心を空くうに直面させようための造庭者の深い図はからいにちがいない。そう気がついたことだった。つまりこの庭は白紙なのだ。観る者の画くにまかせてある白紙の庭なのである。 とまれ高氏は膝の冷えもわすれていた。そのうちに静かな眸をうごかした。はるかな橋廊下を渡るとどろな足音がふと耳に入ったからである。きらやかな群臣の中に高時のすがたも見えてすぐ奥殿へ消えて行った。 ﹁足利どの﹂ やっと、うしろに声がした。高時の側近のひとり桜さく田らだ治じぶ部のた大ゆ夫うだった。 ﹁いざどうぞ、ご謁えっ見けんの方へ﹂ ﹁お取次、恐れいる﹂ ﹁あなたこそ、ご病中とかを﹂ ﹁いやさして大事でもございませぬ。して今しがた、お表から奥へお成りのようでしたがあれは?﹂ ﹁お桟さじ敷きへ出て、佐々木道誉どのの御出勢にお見送りを与えられたのでございました。佐々木殿も今暁急なお沙汰を拝しまして﹂ ﹁ほ。立たれましたか﹂ ほとんど無表情にちかい高氏のつぶやきだった。 つやつやしい直線の大廊下をつきあたると、そこから奥おく殿でんの階きざはしになる。左右の境の坪には、甲かっ冑ちゅうの衛兵がみえた。高時のいるところもいまは鎌倉大本営のかたちなのだ。 ﹁足利か﹂ ﹁はっ﹂ 高氏は、台下に平伏した。 謁えっ見けんの間まいッぱい、ゆゆしい顔が居ながれていた。長崎円えん喜き、金沢ノ大たゆ夫う宗そう顕けん、佐さか介いノ前ぜん司じ宗むね直なお、小町の中なか務つかさ、秋あき田た城じょうノ介すけ、越後守有あり時とき、右う馬まノ頭かみ茂しげ時とき、相さが模みの高たか基もと、刈かっ田たし式き部ぶ、武蔵の左さこ近んし将ょう監げんなど、ひと目に余る。 まん中が台座のお人だ。 その高時は久しぶりに見る高氏であり、高氏もまた、ここは不沙汰なここちであった。おととしは父を亡くし、去年の春にわたっては征地に暮れ、帰陣いらいは、病をとなえてひきこもったまま、今日にいたっていたのである。 だが。 その病中と称していた高氏の血色よりは、高時のほうがどう見ても顔いろが悪かった。白いといっても、こんにゃく色でつやがなく、お出で額この下のかなつぼまなこも、かつてのような遊びをもたず、寝不足か、々けいけいと不気味な視線で、舐なめずるように、高氏の姿をいつまでにらまえていた。 そして、とつぜん、 ﹁こらっ﹂ と、大喝が出たので、人々はひやりとした。 ﹁高氏っ、どうしたのだ、儂みが再三の使いにもかかわらず!﹂ ﹁は。そのため、押して今日まかり出ました。家中一同、病を案じてくれますなれど、天下の大変、一身をかえりみている場合でもございませぬゆえ﹂ ﹁どこがわるいのだ。こう打見たところ、どこがどうとも見えはせん﹂ ﹁いや、ふと折には忘れますが、また俄に左の半身が萎なえ痺しびれてくるような奇病にござりまして﹂ ﹁瘧おこりか﹂ ﹁さようかもしれませぬ。医師もわからぬと申しまする。まじないしてくれた祈祷師は、犬神のたたりだろうと申しますが﹂ ﹁犬神の﹂ ﹁されば、遠いいぜん、犬に噛まれた歯形の痣あざが、いまも左の手首に消えていませぬ。恐ろしいものでございまする﹂ ﹁犬神はこの高時の守護神だ。高時に不忠をなしたやつにはかならず祟たたる。高氏、思いあたることもなくはないな﹂ ﹁は﹂ ﹁それだわえ! いやそれなら仮病ではなかったかも知れんぞ。足利のひきこもりは仮病なりと、もっぱら、そこらでは蔭口しておったが﹂ 左右の側近輩はぎょッと顔から顔へ波なみ騒ざいをよびおこした。明らかなうろたえが表に出た。高氏はしかし、 ﹁不徳のいたすところです﹂ と言っただけであった。かさねて平伏していた。そして天下多端のときに、この遅れは申しわけないと詫び、さっそく台命を拝受して、武門の当然をつくし、年来の汚名をすすぎますると、今日の主旨たる奉答をした。 ﹁……ウむ。ウむ。……うむ﹂ 高時はなんどもこっくりして聞きすました。そしてやおら、聞き終るとあらたまって。 ﹁よくいった。それでこそ赤橋の婿むこ、又太郎高氏だろう。申し付ける。明日中にきっと出陣せい﹂ ﹁こころえましてござりまする﹂ ﹁だが、条件があるぞ高氏﹂ 高時はだまった。あとは長崎円喜にいわせようとするのらしい。が、老獪な円喜はすましていた。常とき葉わの範りさ貞だ、金沢ノ大夫なども同様である。張りつめたままな空間に高時の眼だけがあった。 ﹁ご条件とは?﹂ ついに高氏から言って出た。 悪びれまいと自分へいってきかせる姿で、一いちばい低く、 ﹁何事にございましょうか﹂ と、かさねて訊いた。 やはり自分から申し渡すのかと、高時は、調法者の道誉を、うつろな中に思っていた。 ﹁足利、ほかではないがの﹂ ﹁は﹂ ﹁そちの妻子の問題だ。登とう子こと、そして子供らのことだが﹂ ﹁はっ﹂ ﹁子は二人か﹂ ﹁さようです﹂ ﹁幾つと、幾つ?﹂ ﹁庶しょ子し竹たけ若わか七歳と、実子千せん寿じゅ王おうと申す四歳がございまする﹂ ﹁ほかには﹂ ﹁…………﹂ 高氏はやや間をおいてから、 ﹁ございませぬ﹂ と、明答した。 すると高時は、ク、ク、クと噛みころし切れない笑いを白い歯にもらした。側近諸大名みな、緊張していた氷のような空気にひびいて、それは王者の彼の笑いとも聞えなかった。謁見ノ間の天井裏かどこかで、べつな妖あやしの物がふと奇声を立てたかとおもわれた。 ﹁やい、高氏﹂ がぜん、高時の調子も、するどく変って来て。 ﹁犬猫ではあるまいに、じぶんが産ませた子を忘れているやつがあろうか。……道誉から儂みは聞いておる。そちにはもうひとりの男の子があるはずだ﹂ ﹁あ、いや﹂ ﹁ないというのか﹂ ﹁まこと、よそには本年十一と相なる不いさ知や哉ま丸ると申すのが、あるにはあるのでございますが﹂ ﹁それみい!﹂ と、したり顔に。 ﹁年順でいえば、しかも長男ではないか﹂ ﹁が、仔細なございまして、庶しょ子しともせず、家にも入れておりませぬ﹂ ﹁どこにおいてあるのだ、その隠し子は﹂ 高氏は冷たい肌を這う油のような汗を覚えた。あの道誉が、そもどんなことを高時の耳に入れていたのか。燃え得ない、憤怒がいぶる。 ﹁じつは、お耳をけがすまでもないかと存じてはぶきましたが、その一子は生れながらの病弱者とて、しょせん、武門の子たるにはおぼつかなく、三河一色の郷さとに、幼時からあずけたままで、父子の名のりもしてはおりません。さような者にござりまする﹂ ﹁ふ、ふ﹂ 高時はその兎のような両耳をそらして。 ﹁まあよい。それで子の数は三名なりとみとめられる。そこでだな、足利﹂ ﹁はっ﹂ ﹁このたび足利が出陣なさば、かならず彼は、妻子すべてを伴ともなッて出勢するにちがいないとの風説がもっぱら営中に高いのだ。これはどうも、おかしな取沙汰ではないか。ついては、はっきり申しつけるぞ。かまえてさような身勝手は相ならん。そちの妻子四人は、凱旋の日まで、この高時が預かっておくであろう﹂ 出陣は、即刻に。 妻子はおいて行けという。 つまり高時が求めているのは人質なのだ。 いやこれは高時の権威をかりていわせた幕府一部の者の底意だろう。わかっている、と高氏は腹でうなずく。覚悟のまえの今日の伺しこ候うなのである。 ほんとなら出陣命は、とうに今日を待たず、足利家へも当然降くだっている筈だった。 それがそのことなく、つい今日に至っていたのは、幕府内の一部に、高氏を危険視して﹁虎を野に放つようなものだ﹂とさえいっている声があったからにほかならない。またそれと高氏のひきこもりとも、無関係ではなかったろう。 しかし幕府もいまは、出軍につぐ出軍で、四次の大将として派す適格な人物というと、はや持チ駒もとぼしくなっていた。といって鎌倉府営の守りはこれまた、手薄にも出来ず、大釜の底もつきかけてきたかたちなのである。で、やむなくここに、 足利登用 となったわけだったが、同時に、佐々木道誉をして、近江の後ろ備えにやり、さらに総軍の後方目付を任じるなどの用意を見ても、いかに幕府の一部が高氏を戦場へ放つことに気をつかっていたかがわかる。 ﹁異存ないか、高氏﹂ 高時に念をおされて、高氏はふと、なにもまだ答えていなかった空虚にはっと気がついた。 ﹁仰せつけ、かしこまってござりまする﹂ ﹁よいな﹂ ﹁はい﹂ ﹁では、出陣前に、登とう子こは実さ家との赤橋へあずけて行け。そして子二人は、大おお蔵くらへのこしておくか﹂ ﹁は﹂ ﹁まだいたな。いちばん上の不知哉丸とか、これも鎌倉へまとめておこう。そうだ。儂みの侍臣三、四名を三河一色村へさしつかわす。そちが上洛の途中でよい。高時の使いの者へ、不知哉丸の身をわたしてよこせ﹂ ﹁承知いたしました﹂ ﹁よし、それで第一の条件はすんだ。が、まだあるぞ﹂ ﹁まだ、なにか﹂ ﹁誓せい書しょを出せ﹂ 高時は声を大にした。 ﹁わが祖そび廟ょう、北条氏にたいして、ちかって異心をはさみ奉らずというむねを、熊くま野のご牛お王うの誓紙にしたためて差出せい﹂ これはいやだといえる筋あいのものではない。けれど侮辱ではある。出征の大将すべての慣例ではないからだ。高氏が憤然とするかどうか。諸大名はみな、彼の鬢びんの毛のふるえも見おとすまいとしているような凝視だった。 ﹁なにかとおもえば﹂ 高氏は硬めていた体をほぐして胸を上げた。そして面には微笑に似たものをもって、はじめて、高時を正視した。というよりは、あわれむような深い眼まなざしをじっと凝こらして、 ﹁何のむずかしいことでもございません。さっそく帰邸のうえ、沐もく浴よくして神しん文もんを相したため、明朝、鎌倉表出発のみぎり、自身、台下へささげ奉りましょう﹂ と、明めい晰せきにこたえ、 ﹁諸般の支度も、これからでございますゆえ、恐れながらこれにてはやおいとまを﹂ と、さいごの拝をした。そして高時のうなずきを見るなりすぐ座をすべった。 供がしらの侍が、 ﹁お帰りいっ﹂ と大きく奥へふれこんだ声は、大蔵の足利屋敷のうちを、異様なまでにどよめかせた。 ﹁ご帰館だ﹂ ﹁いよいよか﹂ 家中たちの足音にはもう戦場へつながっているひびきがある。 おおぜいの一家か眷けん属ぞくにかこまれて、おくへ入った高氏のおもてには、かつての“ぶらり駒”の人ともみえぬ悽せい愴そうな色があった。じきに夏ではあるが汗さえひたいに光っていた。 ﹁暑いのだ、先に着がえる﹂ 声のするあたりで、登子は侍女のさしずをしながら、共に自分も忙しげにしていた。 ﹁ご首尾、どうあったかと、みなもお案じいたしておりました﹂ ﹁なにがよ﹂ ﹁あまりに遅い御退出なので﹂ ﹁えらかったわえ。じつは病人のはずだからな﹂ 高氏は廊へ出てもろ肌をぬぎ、熱い湯のしぼりで、顔をふき、背を拭わせた。それから一ト間のうちで、着がえをすますやいな、 ﹁直義、いたか﹂ ﹁ここにおります﹂ ﹁こっちへ入ってくれい﹂ ﹁兄あに者じゃ、ご苦労にぞんじまする﹂ ﹁これしきは何でもない﹂ ﹁御ごぜ前ん、いかがでございましたな﹂ ﹁まずは、おぬしも察していたようなものだったよ。ただ二つの難題だけでな﹂ ﹁いかなる御難題を﹂ ﹁あとではなす。――とりあえず、陣ぶれしておけ﹂ ﹁では、ご決定で﹂ ﹁む、きまった。明朝辰たつノ刻こくここを発足する。諸事はかねがねすすめておいた運びどおりでよい﹂ ﹁こころえました。……兄者﹂ ﹁弟﹂ ﹁ついに来ましたな﹂ ﹁ああ!﹂ ﹁では、さっそく、公おおやけに、表かたの家臣どもへ申し触れましょう﹂ ﹁師直は﹂ ﹁はや立帰るかとおもわれますが﹂ ﹁どこへ行ったのか﹂ ﹁じつは、出しゅ陣つじ表んひょうの上に名もみえぬ佐々木道誉が、急に、一番となって発向いたしましたゆえ﹂ ﹁さぐりにか﹂ ﹁そうです。事ただならずと、師直も憂慮して、道誉の途中を待ち、這しゃ奴つのこころを観みて帰らんと申してまいりました﹂ ﹁いらぬことだったな﹂ ﹁そうでしょうか﹂ ﹁佐々木のことは、殿でん中ちゅうでも沙汰をきいた。たれが何を策し、どう動こうとも。……おおそれよりは、家中かたずをのんでいよう。はやく表へ申しわたしてやれ﹂ 直義は兄をおいて、そこをさがった。兄高氏にも蔽おおいえないものが今日はみえるが、彼の方はもっと若い、またもっと正直に昂奮していた。家中二百六、七十人という数は厩うま仲やち間ゅうげんから若党、童わっぱの端までをいれた大蔵屋敷の総人員であった。それを邸内の馬出しの広場にあつめて、 ﹁あす辰たつノ刻こく発向だぞ﹂ と、公式に発表した。 しずかな布告だった。あらかじめ内々のしたくはすでにすすんでいたことがわかる。老臣、侍頭、旗奉行などから一言の答えを呈し、そしてそれぞれな長屋や武具倉へ別れ別れに群れをくずした。昼の澄んだ空に、鎌倉山は森しんとしていた。黒い大きな鎌倉蝶も飛ぶ季節である。 まもなく、高ノ師直は帰って来た。扇おうぎヶ谷やつの上杉憲房もかけつけてくる。 それらの腹心に、老臣の紀ノ五左衛門、弟の直義、みなそろったところで、高氏は初めて乾いた唇から営中のもようを話した。 ﹁仰せには、出陣と共に妻子を質として鎌倉へのこして行け。また、誓せい書しょの神文を出せと、こう、二ヵ条のおいい渡しであったわえ﹂ ﹁…………﹂ ぐっと、みな息をつめ、そしてどの顔にも、青味が走った。 が、ひとり直義は、兄の沈んでいる苦悶のいろを、烈しい鞭むちのような眼つきでにらんだ。兄の一面のもろいところを彼は知り抜いていたからだろう。高氏の意志のくずれを惧おそれたのだ。 ちらと、高氏も眼のすみで弟のそれを射返した。小こし癪ゃくなと、すこし不快にとったようだった。 ﹁もちろん、わしはお受けして退出してきた。ほっとしたよ。ありがたいことだったのだ。なぜならば……﹂ と、高氏は言いつづける。 ﹁妻子をのこせとの御ごじ諚ょうではあったが、あの高時公、ふとお忘れか、母をも質とするとは仰せられなんだ。……かしこまって、ひれ伏したわしのあたまに、そのとき地蔵菩薩のおすがたがあった気がする。母の日ごろの信心がの。……肌はひそかなあぶら汗だったが、ありがたくおうけ申したわけだ。そこでな伯父上﹂ と、上杉憲房を見て。 ﹁母はは者じゃのお身は、ひとつ、兄のあなたへお願いしておく﹂ ﹁こころえ申した。たしかな者を添えて、一時扇ヶ谷へ匿かくまい、お国元の足利ノ庄へ送らせましょう。ご安心あるがよい﹂ ﹁たのむ﹂ ﹁御みだ台いさまは﹂ ﹁登子へは、よくわけをはなして、すでに得心させてある。千寿のことも﹂ ﹁ご得心なされましたか﹂ ﹁まずはの﹂ 多くはいわない。それだけに人の腸はらわたをかきむしる。直義もいまは辛つらそうだったが、そのとき、表方の武者が来て、なにか彼へささやいた。直義はそれをしおに、座を去った。 こんなあいだも明朝の出陣支度に沸く武者声やら物音は、まるで屋や鳴なりのようなとどろきだった。この屋敷、この大おお蔵くらヶ谷やつ、はじめての活気なのだ。――家祖家時の“鑁ばん阿な寺じノ置おき文ぶみ”も高氏の胸のふかいところで呼吸していたのではあるまいか。 ﹁五左衛門﹂ ﹁は﹂ ﹁老臣役だ、そちは当家の庶しょ子し竹若と、千寿王のふたりについて、この大蔵の留守をいたせ、よいか﹂ ﹁お供のならぬのは残念にござりますが、ご違いは背いはつかまつりませぬ﹂ ﹁幼おさ子なごらは、何も知らないのだ。母とも一つには住めぬことになる。留守中、泣かぬように遊び相手になってくれい。そうだ今のうちに、子供らへも、父からひと言こと﹂ やがて高氏は、いちど私室へひきとった。どこかで遊んでいた千寿王︵後ノ足利義よし詮あきら︶と、めかけ腹の竹若が、そこへ呼ばれて入って行った。……しかしまたすぐ、さきに表方へ立っていた直義が、事ありげに、兄高氏の姿をそこらでさがしていた。 お居間 と聞いたのだが、直義はふと、そこへ来るなりためらった。 兄の声はせず、すすり泣きがする。幼い者二人らしい。 そっとのぞいてみると実子の千寿王と竹若を前におき、高氏が何か言いきかせているのであった。理解力のある大人へでもするような容かたちで、その高氏も瞼を赤らめているのである。 ﹁……ち﹂ 直義は唇を鳴らした。なんたることだ、このさいに、と。 子供との別れにさえこれである。嫂あによめの登子とはどうだろうか。これからまだ綿めん々めんの情じょうを夫婦の室で惜しみ合うことであるのだろう。見てはいられない。これが兄の高氏だ。ふだんの兄の裏がわが今日はおおいえないのか。 ﹁兄あに者じゃ﹂ ﹁……。直義か﹂ ﹁そうです、ご休息で﹂ ﹁いや、かまわん、何だ﹂ ﹁ちと﹂ わざと外に控えたままでいた。すると、高氏になだめられつつ、眼を泣きはらした千寿王と竹若が、廊へ出てきて、中の坪の向うへ渡って行った。 直義は、それに眼もくれず、すぐ兄の前へすり寄った。 ﹁ときもとき、妙な男が、天から降って来たように御門前へまいりましたが﹂ たれか? と高氏がきくと、直義はともかくこれを先にと、その男が持参した一状をまず見せた。――一色右馬介の筆で、名宛ては直義になっている。 ﹁…………﹂ 高氏は熟読して、弟へ返した。 ﹁ひとりか﹂ ﹁ひとりです﹂ ﹁岩松経家の実弟吉よし致むねというのだな。それでみれば﹂ ﹁はい。一見ただの旅商人にすぎませんが、ちょっと話してみても尋常な骨こつ柄がらでないことはすぐ分りました。なにせい、隠岐のご配所まで忍んで渡ったと申すほどな男ですから﹂ ﹁もう、訊いてみたのか、用むきは﹂ ﹁いやいや、身素姓と、右馬介のことなどを、ことば少なく申しただけで、密々な大事の儀は、足利殿直じき々じきならではと、かたく口を守っておりまする﹂ ﹁どれ、もういちどそれを﹂ と、高氏は再度、右馬介の手紙を仔細に見て、やっと信をおいたようだった。――となると、密使吉致と会う場所には、とくに注意が要される。 そこは裏山だが、大蔵やしきの庭つづきだ。四あず阿ま亭やがある。 高氏はさきに行って待っていた。やがて直義が一個の男をつれて行く。男は笠売りか何ぞのような身なりだった。が一ト目で高氏にも信じられた。 どんな密談がおこなわれたかは、余人たれとて知るものはない。 ただこれも偶然や無理な結合でない自然なうごきの一つであったことは、後日おのずとわかってくる。なぜなら岩松党は元々、足利家の祖を父系とし、新田を母系として生じた一支族であるからだ。 ﹁では早々、新田殿とも打合せ、共に前途のよい御武運と吉きっ左そ右う、お待ちしております﹂ 吉致はこう別れをつげ、まもなく大蔵ヶ谷を立去った。その足で彼は飛ぶごとく、新田義貞の領地上こう野ずけへ急いでいたのであった。矢やは作ぎノ陣じん
長いあいだ、不遇に閉じ、先主の喪もに閉じ、また時局をよそに閉じていたここの門も、今朝、八文字にひらかれた。 馬までが出陣を感知するのか。馬つなぎではバリバリとまぐさを噛みあう音がすさまじい。それほど邸内の一いっ刻ときは今しんとして、広場は勢揃いの弓きゅ箭うせんにかがやき、高氏のすがたを遅しと待ちながら、中門の打水もしずかな朝雲を映していた。 ﹁……まいる途中、時ほと鳥とぎすを聞きましたな。ことしの初時鳥、しかも朝時鳥を﹂ 早暁の客は言った。 登子の実兄、北条守時、あの赤橋殿なのである。 彼の許へも、高時の令がつたえられていたにちがいない。 ﹁台命により、妹の身をうけ取りに参上した﹂と、いま書院に坐ったばかりであった。 高氏は、卯ノ花に縅おどした黒革のつやつやしい具足、よろいを着込み、 ﹁おそれ入る﹂ と、何度も詫びてはその人へ自嘲をみせた。 ﹁おわらい下さい。妻を質に出さねば出陣も出来ません。世にこんな良人がありましょうか﹂ ﹁いや、なくはない﹂ 守時は静かに笑む。いつもこのような人ではあるが、今朝も事なげな姿であった。 ﹁治承の世にも、木曾殿︵義仲︶がそうでしたろ。頼朝公に質ち子しを求められ、巴とも御えご前ぜとの仲の一子を鎌倉へ送って、都入りを果たされた﹂ ﹁…………﹂ 高氏は守時の唇もとを見まもった。見ているだけでもおそろしかった。 ふとしたらこの人は、たれよりも深く、この高氏の胸を覗き知っているのではあるまいか。 もし、そうだとしたら? 高氏は畏敬と辛つらい同情をついこの人に禁じえない。妹の登子を自分へ嫁がせてよこした当初から、世評周囲のいろんなわずらわしさによく守時は耐えてくれた。いちども愚痴めかしたことなどなかった。 ﹁だのに、自分は﹂ と高氏は身に責められる。自分はこの義兄をあざむいて来たにひとしい。いまもまた、だまして立つのだ。 北条一族中でも、もっとも北条血液の濃い正しい赤橋家である。あくまで守時は祖そび廟ょうを守り抜くだろう。しょせん、明日は敵味方とわかれる人だ。高氏は残して立つ妻以上に、守時に同情した。なろうならこの人だけには何もかも打明けて、あやまりたいような理性の中の妄想にとり憑つかれた。 ﹁殿……﹂ 声に気がつくと、あたりは銀ぎん屏びょうの映はえより明るい朝になっていて、登子が両手をつかえていた。もし瞼の腫はれさえなければ花嫁の朝ともみえる朝化粧の襟が白かった。 ﹁はや、お時刻のよしでみな揃うておりますが﹂ ﹁むむ﹂ と、守時の方を見て。 ﹁では、赤橋どの、出陣の式の大床から、すぐそのまま立ち出でます。よろしく留守の事どもを。またおわずらいでも、彼あ女れの身を﹂ 明けがた、母の清子と共に持仏堂へぬかずいたとき、高氏は祖先への報告も、母との別れも、すましていた。 すでに出陣の式だが、いまは言いおくこともない。土かわ器らけの神み酒きに唇をぬらしただけですぐ起った。その良人について、登子は、千寿王の手をひき、留守役の紀ノ五左衛門らと共に、中門へ出て見送りにたたずんだ。 こうして一族は、戦場へ。 妻は、実さと家あ預ずけに。 また子は子で、幕府の監視下におかれ、祖母はひそかに足利ノ庄へ落ち行くなど、三方四方への別離であったが、たれも泣いてはいなかった。もう泣くなどという平常心は誰の顔にも遠くになっていたのである。 ﹁おねがいする﹂ 高氏はここでまた、赤橋守時へ心からな頭ずを下げた。そして留守役の紀ノ五左衛門へも、 ﹁たのむぞ﹂ と、かさねて言った。 馬出しの広場では、はや貝が鳴っている。高氏、直義のそばへも馬が曳きよせられた。高氏のは、螺らで鈿んの鞍くらに朱しゅ総ぶさかざりをした黒駒だったが、出門まぎわに荒れ狂ってひどく郎党たちの手をやかせた。そのあいだも、高氏は駒の背から二度三度、妻子のほうをふりかえった。彼は、えぼしをかぶって、かぶとは背に負い、旗もとたちの騎馬にかこまれてすぐ兵列のうちに没し去った。その良人の背のかぶとは、どんなに重たかろうぞと、妻には見えた。 この日、路傍の見物も少なくはなかったが、さきの佐々木道誉が出勢の華やかさとは、比かくにならぬ地味で黒っぽい陣装いであり、町の眼も歓呼に弾むことはなかった。ただ黙々と流れゆく具足、馬蹄の音に、声なき辻が後にされるだけだった。 ﹁下馬!﹂ 声の下に、高氏も降りた。 鶴ヶ岡八幡の下だった。高氏は、山上まですすんで参拝をとげた。そして柳営の前では、ふたたび横隊の整列を令し、 ﹁台命によりただいま出発いたします﹂ と、高時のいる桟さじ敷きのほうへ拝はいをした。 もちろん、高時は桟敷にあって、この朝の閲兵にはかくべつ眼をこらしていた。柳営の門は、高氏へ開かれて、 ﹁すぐ、台下へ﹂ と、彼一人を、内へ通した。 高時は、きのうの人とは見えぬほど、今日はきげんもよく、愛想もよかった。自分の強しいた難題もすべて高氏が素直にうけ入れたことを多として、大いに嘉よみしているのであろう。そのうえ高氏から約束の誓書をも差出したので、 ﹁心底、確しかとわかった﹂ として賜しし酒ゅの儀を取りおこない、さらに、源家重代の白旗をとり出させて、 ﹁これは頼朝公の後室、二位ノ禅ぜん尼に︵政子︶からわが家に伝わるものだが、出陣のはなむけに、其そ許こへとらせる。この旗をかかげて、一日も早く兇徒を退治いたせ﹂ と、高氏へ与えた。 このほかなお、乗りかえ馬一頭に、こがね造りの太刀一振りを餞せん別べつして、 ﹁また会おう。手柄して来い。妻子のことは心配すな。この高時が預かっておれば、心配すな﹂ と、この“うつつなき人”は再三くり返して、高氏を励ましながら、自身も朝の微酒に頬を赤く染めたのであった。 上々な首尾だった。 錦のふくろに入れた拝領の“白旗”を胸にかけ、また併あわせて拝領した太刀をも押しいただいて、 ﹁では、ご威勢を負って行ってまいりまする﹂ と、高氏は退出した。 そして柳営の外においた将士の前へ帰って、拝領の品々をしめし、 ﹁一同しておこたえせよ﹂ と、勝かち鬨どきをめいじた。 将士二百八十騎は、その整列をただしたうえ、柳営の桟敷へむかって高らかに、 おうっっ おうっッ…… 三たびの万歳を唱となえ、終ると、ただちに馬首を西へめぐらしはじめた。 このとき、高時以下、重臣もみな立って、桟敷からこれを見送っていた。執権とすれば、これは最上な大将にのみ与える最上な歓送の意であった。 戛かつ、戛、戛 駒波は、若宮大路から大町を小駈けに駈けた。高氏の駒、直義の駒、上杉の駒、師直の駒、どれも悍かん気きりんりんな毛づやの映えを見せ、それぞれのタテ髪を鎌倉のさくら若葉が吹きなでていた。 ほどなくこの一勢の影は、金洗い坂の府門を出て、稲村ヶ崎もすぎ、ようやく、七里ヶ浜のへんでは、その歩調もすこしゆるやかだった。 ﹁兄あに者じゃ﹂ 直義はふりかえって。 ﹁ごらんなされませ、鎌倉の府もはや遠くになりました﹂ ﹁むむ。思い出はいろいろ多いな。よくぞ、きょうまで住まわせてくれた鎌倉だった﹂ ﹁もはやお還りにはならぬお覚悟で?﹂ ﹁わからぬ。あしたのことなどは﹂ ﹁それはそうだ、身の一命すらあしたの先は。しかし今日の幸さい先さきは上首尾でございましたな。時も時、源家重代の白旗が授かるなどは﹂ ﹁それこそは﹂ と師直が、とっさに、ことばをさしはさんだ。 ﹁神意とか吉兆とか申すものでございましょうぞ。なんとなれば、源家の白旗は、ほんらい平氏の北条家にあるよりは、源氏の家につたわって来るはずのもの。はからず、それが今日のご出陣にお手に入るとは、偶然ではござりませぬ﹂ ﹁む、偶然ではない!﹂ 直義も言った。 また高氏もうなずいた。そして胸にかけていた旗ぶくろの緒おを解いて、 ﹁掲かかげて行け﹂ と、それを、旗手の武者へわたした。 ふるびてはいるが、まだ生きていたかのような灰白色の一旒りゅうが、旗竿のさきにたかくひるがえった。――高氏はひとみをあげてその流動に見とれた。十年の思いがいま虚空に呼吸をえている姿にみえる。また、日ごろ崇拝していた頼朝の加勢をいま証あかしに見たかともおもった。 ここでも、七里ヶ浜の波に交ぜて、誰からともない鬨の声がどっとあがった。執権邸の前でしたそれとはことなる本心からの唱和だった。これでみても、すでに将士のあいだでも、足利家のうちに鬱うつ々うつとこもっていた長年月が、なんとはなく今日という日を待って、いまや爆発寸前の異常をおびていたもののようだった。 三日め、行軍は箱根越えにかかっていた。高氏は、 ﹁箱根権現に戦勝の祈願をこめん﹂ といって、ここでまたまる一日を費ついやした。 しかし、じつはほかの予定もあったことらしい。その日、下しも野つけから国元の人数およそ百五十騎が追ッついて来た。そのうえ高氏は彼らのうちから、つらだましいのすぐれた侍二十人を別にえらび出して、 ﹁そちたちは参陣におよばん。べつな大事に差し向ける。いかなる任務かは、師直によう申してある。師直より聞くがいい﹂ と、いいわたした。 師直はその二十名を、近くの山林のうちへ連れて行った。そしてどんな密命が言いふくめられたのか、ほかの兵にはわからなかった。――後日には、あのときすでに、そんなご用意であったのか――と高氏の遠謀をみな思い合せたことではあるが、そのさいはただ、 ﹁ふしぎな御配慮を﹂ と、あやしんだのみだった。 えらばれた二十名は昨日今日の家士でなく、みなたしかな侍ばかりだったのも、いかに重い使命であったか察しられる。 ﹁では﹂ と、彼らは、師直がいうところをよくのみこんで、 ﹁こんなとき、先を駈けて、御馬前ではたらけぬのは残念ですが、しかし御命とあれば﹂ と、みなかしこまった。 彼らはその場ですぐ甲かっ冑ちゅうを脱ぎすて、師直が用意させておいた雑多な小袖や雑ぞう人にん支度にそれぞれ着かえた。そして百姓姿となり旅商人となり、また街道の荷持のような風態にやつして、箱根をさかいに、もとの方へ、引っ返して行ったのだった。 師直は、高氏の前へ出て、 ﹁仰せのこと、しかと、いたしておきました﹂ と、報告し、 ﹁いずれも、ぬかりない者ども。あとの御懸念はもう、ご一掃あってしかるびょう存じまする﹂ と、つけ加えた。 すると高氏のおもてには、はた眼にもわかるほど、後こう顧この或る憂いが、拭われていた。こんなことに触れるにつけ、師直は、主人高氏の弱い心の裏を、覗いたように知るのであった。 行軍はつづけられる。 兵は五百とふえていた。野営、宿営をかさねつつ、それからは、ひたいそぎに海道を馳せのぼった。そして三河の矢やは作ぎが川わのほとり矢作ノ宿しゅくについたのは、四月四日の夕だった。 ﹁おう御本軍だ﹂ ﹁御宗家の殿だ﹂ 駅うま路やじの口は、出迎えの軍勢でうずまっていた。すべてこれ三河足利党の兵馬であった。――高氏にすればみな自分を宗家とあがめている同族にほかならないので、鎌倉の府とちがい、わが家の領土へ入ったようなあたたかさだった。 ﹁一同、一日千秋の思いでお待ちしておりました。まずは、み気色もうるわしく﹂ さっそく、一色刑部が郷党を代表して、馬前の色しき代たい︵あいさつ︶を高氏のまえにした。 矢作ノ宿はそのころ海道きっての大駅だった。無数な民家の平原は川の西岸にのぞまれ、夕ゆう茜あかねの下に煙っていた。 ﹁たれとも久しぶりよ。しかしここでは、いちいちの色しき代たいに会えし釈ゃくもならぬ。後あとで、後で﹂ 高氏はしきりにいう。 そこで三河足利党の出迎えにまもられながら、高氏以下、矢作の大橋を西へとどろに渡りはじめた。 ひとしきり町じゅう喧噪の渦となったが、灯をみる頃にはひそまり返り、そして本陣にあてられた柳堂の一劃だけがいつまで夜の闇をかがり火にこばんでいた。 軍需も兵も、ほとんど三河在国の足利党の手で、この地に用意されていたのである。その晩、高氏が親しく面接した者には、 吉良 今川 仁にっ木き 一色 などの当主から、斯し波ば、高こう、石堂、畠山、高こう力りき、関口、木田、入野、西条など十数家の同族におよび、やがて宴となり、宴も終ると、 ﹁こんな盛観は、分流の家々にとっても、初めてのことだ。ご先祖の意にもとづく、ふしぎな会同ではあるまいか﹂ と、みな言いあった。 それはそのまま高氏の気もちでもあったろう。同族十数家の最上座におかれた彼の複雑で多感な意中は想像に難くない。 ﹁刑部﹂と、やがて一色刑部へ。 ﹁ざっと、心得おきたいが、家々によって集められた兵数はほぼどれほどか﹂ 刑部は郷党中での、最年長者であった。だが、 ﹁兵の奉行は、今川、吉良の両名が勤めまいた。何とぞ両名へ、おたずねのほどを﹂ と答えをゆずる。同時に、今いま川がわ範のり氏うじと吉良貞義のふたりが前へすすみ出て、 ﹁その儀も、お力づよくおぼしめし下されましょう﹂ と、まず言った。 そして各、簿ぼを見ながら、今川の奉行下に千七百余人、また吉良の動員によって千四百人と告げ、 ﹁あわせて、三千一百騎を、すべてここの矢やは作ぎにあつめ、馬かず兵糧も充分にそろえて、今日をお待ち申しておりました﹂ と、述べ終った。 ﹁いやまだある﹂と、高氏は相あい拍びょ子うしを打つように。﹁――わが手に五百、総勢は三千六百騎だ。……充分充分﹂ ﹁が、ただひとつ、遺憾がございまする﹂ ﹁何が不足か﹂ ﹁まだ細川がここに会しておりませぬ。細ほそ川かわ和かず氏うじ、弟頼春、掃かも部んの助すけら、いいあわせたように見えませぬ﹂ ﹁駈け遅れか。いまに見えよう﹂ ﹁いや、異心ではないかと、日頃の態ていからみても怪しまれまする。万一にも、さようなときは、われら郷党の手で血まつりにいたす所存でございますが﹂ ﹁はて、気短な﹂と高氏は笑って見せた。﹁わしにまかせろ。そんなことは、わしの分別に預けておけ﹂ あくる日、高氏は伯父の上杉憲房を、矢作の上流二里ほどな額ぬか田だご郡おり細川村へ使いにやった。 同族の一家細川和氏の郷土である。もちろん不参の意をさぐらせるためだったが、高氏は、 ﹁たとえ、我は宗家であろうと、平常なんらの扶ふ持ちを与えてきた者ではない。辞をひくくして参陣をすすめるがいい。たやすく事に与くみさぬこそ、じつは頼もしい者かもしれぬ﹂ と、憲房の老熟な思慮にくれぐれ善処を依いし嘱ょくした。 三河足利党は十九家もある。だがその一家といえ、ここで会同の陣に欠けることは、彼の門出としては一大蹉さて跌つだ。郷党ばらのいう血まつりなどはもってのほかで、あくまでこの誤算は政治的な処理によらねばならぬ。 政治的に。 高氏はべつに自分を曲げてもいない。穏便にこしたことはないと考えるだけだった。われから下しタ手てに出るなどは宗家の威を損ずるなどとは思ってもみず、ただ温厚な老人が行けば、下へ手たな破はた綻んはして来まいと、憲房に嘱したあとはもう忘れ顔なのである。 ﹁殿﹂ ﹁師直か﹂ ﹁ご舎弟のおことばで、なるほどと感じたことにございますが﹂ ﹁とは?﹂ ﹁おゆるしを﹂ と、師直はずっと、高氏のしとねのそばへ寄って来て声をひそめた。 この男が、直義の名をかりて、何か献策に出るときは、じつはおおむね自分のやりたいことなのである。直義へ話すのは、高氏へ申し出るまえの一種の瀬ブミに過ぎないのだ、ということは高氏も見ぬいている。けれど往々、聞くべきものが多かった。自分にない才略をこの男はもっている。事態の進展につれ、高氏は知らず知らず師直を重用していた。 ﹁ほかでもございませぬが。細川の一例に見ましても﹂ 師直は、主君のそばへ、狛こま犬いぬのようにすり寄りかがまって。 ﹁いっそ、矢作御滞陣のまに、ここで同族一統の連判をおとりになっておかれたほうが、万、上策でなかろうかと、ご舎弟さまのご意見にございますが﹂ ﹁うちあけるのか、高氏の腹を﹂ ﹁さようで﹂ ﹁さて。いまはどうかの?﹂ ﹁いまを措おいてはございませぬ。なんとなれば﹂ と、師直は、はっきり自分の意見を吐いた。 従来、大望のことは、足利家内部でもごく少数にしか洩らされていない。この三河在国の分家間でも、うすうす感づいているか否かの程度である。つまり暗あん々あん裡りのかたちにすぎず、それでは心もとないと彼は言って、 ﹁一歩都に入れば、はや現地の戦況やら流言やら、またお味方の駈引きとて、容易ではありません。鉄は熱いうちにとか、矢作の御陣は、絶好なその固めのときかと存じられますが﹂ と、切にその必要と急を説いた。 高氏には、連判というようなものも深くは信は持てなかった。むかしは知らず、いまの時世だと思う。現げんに自分さえ高時へ、心にもない起きし請ょう文もんをさし出している。 そんなもので人を結束しうるほど生やさしい世情でない実例は、いやというほど社会全面で観て知っていた。けれど直義も師直も、切にそれをすすめ、そしていまをおいてはその好機はないというままに、 ﹁まかせる﹂ と、彼はあっさり同意した。そしてすぐそれも忘れ顔だった。 なにしろまた、柳堂の本陣は、それほどに忙しくもあった。たえず、三河武者の訪れや早馬の到着を見、高氏のまわりには、もう軍事でない遠いさきの政略まで始まっている。 上野国の新田からも早馬の密使が来た。これはさきに鎌倉で別れた岩松吉致がもたらした何らかの諜しめし合せであったらしいが、高氏はその返答を、 ﹁師直、書け﹂ と、師直に口述して、執筆させた。 また上方方面からの情報も、ひっきりなしにとどいた。六波羅のもよう、赤松勢の進退、千早金剛の戦況、伯ほう耆き大だい山せん以後の後醍醐軍のうごきなどまで、ほぼ、把握していた高氏だった。 ﹁兄あに者じゃ、連判の用意がととのいました。子ねノ刻こく集合の布ふ令れ、よろしゅうございましょうか﹂ 直義から念をおしてきた。 ﹁よし﹂ との、ゆるしをえた直義は、師直からそのむねを、すぐおもなる将にふれさせた。 子ねノ刻こく︵深夜十二時︶密々に柳堂の御本陣へあつまれという令である。何事かとみな顔をそろえた。 ――場所は、日ごろ時じし宗ゅうの信徒が大勢寄って念仏講をするがらんとした大床の板かべ板じきで、阿弥陀像の壇にだけ、あかりが灯っていた。見ると壇には、足利家先祖の仮位牌と、またとくに、高氏の祖父にあたる七代の人――鑁ばん阿な寺じに謎の置おき文ぶみをのこして憤死した――例の家時の位牌がべつにまつられていた。 その“家時公ノ置文”の由来から説いて、高氏はこの夜はじめて、大望の本心を一同にうちあけた。 一瞬はみな無限の感に氷りつめた座であった。けれどやがて、ほーっと大きな吐息を聞きあった。それは熱い息吹きだった。一人として狼狽してはいず、意外とはしていなかったのである。連判は即座に書かれ、書いた者の順から、家時の霊に焼香して座へもどった。 ――そして皮肉にも、執権高時から贈られた源家重代の白旗は壇の香華のように香煙のわきに垂れさがっていたのである。終ると一同声を和して、高氏へ誓った。 ﹁祝着にぞんじまする﹂ 連判の巻かんは巻かれた。 けれど翌朝、もう一家の名が加判された。 細川和氏であった。和氏もまた弟の頼春、掃かも部んの助すけなどつれて、その朝、上杉憲房とともにこれへ臨み、幕府顛てん覆ぷくの大謀にも異議なく加盟したのであった。藤とう蔭いん秘ひ事じ
明けて六日の昼。 高氏が陣座する柳堂の一房は簾すを垂れこめ、どこかでは鶯が啼いていた。 ﹁今日中にも出発か﹂ と、全軍は矢やは作ぎの宿で令を待ちかまえていたが、それもなくて、午ひるはやや過ぎかけている。 ゆうべは、深夜の謀議だった。今朝は、連判に欠けるかと不安視されていた細川兄弟も着陣した。それやこれで高氏は眠っていない。おそらく彼は午睡中か。柳堂の内といい鶯の声――余りに静かな陽ざしである。 するといま柳の間を縫って、直ただ義よしの姿が池むこうの陣とば幕りのほうへ歩いて行くのがみえた。堂をめぐって、幕舎は幾つもあるが、そこの一つの蔭には、艶あでに粧った子づれの女性と、平服の侍が一人その側にひかえていた。 ﹁右う馬ま﹂ と、直義は、それへ言った。 ﹁まだお目ざめにならんようだ。兄あに者じゃときてはどんなときでも、よう眠るおひとだからな。……ま、もすこし待つがいい﹂ ﹁は。いや幾いく刻ときでも﹂ 男は、一色右馬介だった。うしろを見て。 ﹁若ぎみ。さぞ、ごたいくつでございましょうな﹂ 不いさ知や哉ま丸るは答えもせず、さっきからもう、つまらなくて堪らない顔つきなのだ。そばのひとの袂を引っぱッて俄にせがんだ。 ﹁藤夜叉、あの大橋を渡ってみたい。行こうよ。町へ行こうよ﹂ ﹁ま、おききわけのない﹂ 藤夜叉は眼で叱った。 ﹁一色村をお出になるとき、あんなにようお話し申しておいたでしょう。そしてようおわかりだったではございませぬか。お父ぎみと初めての御対面をなさるのです。もう村の童わっぱみたいな駄々を仰っしゃってはいけません﹂ ﹁…………﹂ 父とはどんな人か。彼の童心にもそれは異常な好奇心とも恐さともつかないものを抱かせていた。なつかしさといっては何も知らないのである。顔も見ていず、ただ自分にも父はあると、かねがね聞かされていただけなのだ。 だから子の彼よりは、今日の機会を待ちに待ったのは、いうまでもなく母藤夜叉なのである。藤夜叉のどこかには死の影すらみえないではない。一心であったし、ことによれば、死まで考えているのではないか。青いほどな唇の臙べ脂にや化粧の翳かげにはそんな容子もうかがわれる。 ﹁お、刑ぎょ部うぶが来る﹂ 直義が池のほとりでつぶやいた。 一切は、刑部から直義へはなして、直義のとりなしを力に運ばれていたのであった。直義は同情をこえて、兄の非情に義憤すらおぼえていた。きっと会わせてやる! そう言って励ましていたのである。 刑部の白い眉は明るかった。せかせかとこれへ来て。 ﹁いましがた、殿はお目ざめでおざる。そして、かような御ぎょ意いでおざった﹂ と、高氏の言そのままを、直義へつたえた。 ﹁――すぐ会おう、右馬介なら待ちかねていた、久しぶりな右馬介よと、ありがたい仰せにござりまする﹂ ﹁藤夜叉のことは﹂ ﹁てまえからはまだ何も申しあげておりませぬ。そのことは、ご舎弟さまのお口添えもなくてはかなわずと存じますので﹂ 昼寝のあとのせいか、すこし顔は青味をたたえていた。しかし高氏は、右馬介を前にみると、 ﹁やあ﹂ と、いかにも爽快らしくわれから言った。ほとんど主従のへだてなど取り除のけている。 ﹁右馬介、ついに待望の日を持ったな。世間ていの勘当も今は無用、晴れて帰参してくれい﹂ ﹁もったいない仰せです﹂ ﹁いや真情だ。傅も人りとして、少年の日から世話をやかせ、あげくに十年、縁の下の辛苦をさせた。げに、そちならではだ﹂ 高氏は、一領の鎧よろいをそばにおいていた。用意しておいたものとみえ、 ﹁帰参のしるしぞ﹂ と、彼に与えた。そしてなお、 ﹁高氏はまだ上洛途上で、大望の成る成らぬは、一に天運にあるが、もし、こころざしを遂げえたあかつきには、右馬介、まず第一にそちの功をあげるであろうぞ﹂ とも誓った。 すると。右馬介は﹁いえ……﹂と、それへつよく固辞を見せた。その眉と、高氏の眼まなざしとの間にふと、音の発しるような感情が露出していた。 高氏には、薄々わかっていたのである。――午睡に入るまえ、近侍の者からふと耳にしていたことなのだ。――美しい垂たれ衣ぎぬの女性が、一少年をつれて、柳堂の陣門をみちびかれ、直義の陣とば幕りのうちへ入って行った、と――。 ﹁おねがいがございまする﹂と、右馬介は言いつづけていた。 ﹁――もし私の寸功でもおぼしめし下さるなら、それに代えて﹂ ﹁なんだ、言ってみい﹂ ﹁このさい、晴れて御父子のご対面を仰ぎとう存じまして﹂ ﹁連れてきたのか、不いさ知や哉ま丸るを﹂ ﹁はいっ﹂ ﹁たぶんそれであろうと思うていたよ。予感は中あたった﹂ ﹁それとまた、もうお一ト方にも﹂ ﹁藤夜叉にもだと?﹂ ﹁なんのお迷いでしょうか。時節がきたら、父子の対面もしてやる、いつまで日蔭者ではおかぬ、藤夜叉もきっと高氏の室に入れてつかわすと、かつて鎌倉の小壺ノ浦で、殿はかたいお約束をつがえておいでなされます﹂ ﹁責めるのか、右馬﹂ ﹁いえ、さような儀ではございませぬが﹂ ﹁忘れてはいない﹂ ﹁ならば﹂ ﹁まあ聞け。わしとてわが子の成人ぶりはみたい。まして不知哉丸は初めての子だ。したが何たる薄縁か﹂ ﹁ぜひもございませぬ、今日までのご事情では﹂ ﹁ところが、薄縁はなおどこまでも薄縁だ。道誉めの告げ口で、相模入道︵高時︶どのへ人質に上げねばならん。とすれば、なまじ相見ぬほうが、父子いずれにも、いッそましではあるまいか。そこを迷うのだ、右馬﹂ すると、廊ろうノ間まのほのぐらい簾すの外に、人影がさした。ひとりは直義で﹁――兄あに者じゃ﹂と呼びかけるなり内へ入って、彼一人だけ遠くに坐った。 ﹁兄者はあまり煩ぼん悩のうすぎる。お叱りは覚悟のもとに一存で連れまいりました。……ささ、不知哉丸こなたへ入れ。藤夜叉も入ってお会い申しあげたがよいわ﹂ ﹁ならんっ、入れるな﹂ 高氏は、とっさの大声で。 ﹁いらざる扱いをするな直義、会うていいほどなら、何もそちの扱いには待たぬ﹂ ﹁でも、藤夜叉といい、和子といい、余りに不びんではございませぬか﹂ ﹁ふびん? わしの絆きずなだ、そちにいわれるまではない。何はあれ、そこの簾すをさかいに、廊より内へ二人を入れるな。しいて対面を求めるなら、高氏は座を立つぞ﹂ ﹁こは兄あに者じゃらしくもない﹂ と、直義はなお遠くで抗弁の肩を張った。いや後ろへ連れてきた母ふた子りに代り、非情な父、非情な男の、仕打ちを責めるかのようだ。 ﹁今日にも、鎌倉の使いがあれば、質ち子しとして、引渡さねばならぬよしは、直義もさきに伺ってはおりまする。が、だからといって、父子の対面をせぬ方がいいとは、わけがわかりませぬ。いくら親でもお身勝手というものだ。ひと目会っておあげなされませ﹂ それに力をえて、右馬介も、 ﹁まげておきき届けを﹂ と、声をしぼって、 ﹁それはまた、年来、一色党はじめ三河在国一同の、切なる望みにもございますれば﹂ と、高氏へすがった。 不知哉丸の成長に、三河諸党の愛護があったことは高氏にも否めない。高氏は隠し子とみても、彼らは宗家の嫡子として奉じてきたのだ。 ふと彼は思慮に返って、しばらくは沈黙していた。そして一とき直義へみせた感情も、次のことばにはなくなっていた。 ﹁いや、直義、思い直した。悪かった。不知哉丸をここへ連れてきてくれい﹂ ﹁えっ、ご対面くださいますか﹂ ﹁子だけに﹂ ﹁藤夜叉どのへは﹂ ﹁女には会いたくない﹂ ﹁これはまた、いかなるお隔へだてか。長の年月、仰せつけを守って、日蔭に耐えてきた哀れな女にょ性しょうでもございませぬか﹂ ﹁斟しん酌しゃくはありがたいが、弟、また右馬介にもいっておく。これはただの男と女のもつれと申すものだわえ。両名のとりなしも、じつは迷惑というものだ。ほうッておいてもらいたい﹂ ﹁…………﹂ 廊の簾すの外であった。袂を噛みやぶるような嗚おえ咽つが聞えた。藤夜叉の烈しいこらえ泣きであったのだ。直義はふりむいて見るにもたえない。背でそれを感じていた。と思うまに、後ろの咽むせびは、咽び声のままでさけんでいた。 ﹁あ、ありがとうございまする! ……。うれしゅうございます! ……。わ、わ子様さえ、じつの父てて御ごのお膝へおわたしすれば、藤夜叉は、この藤夜叉などは、もう、どうなってもいといません。和子っ、そなたの父御は、あの高氏さま。さ、高氏さまのおそばへいらっしゃい。もう母はお目にかかりませぬ﹂ 押しやられたのか、不知哉丸もまたそこでわっと泣いた。その子をおいて、狂おしげな姿は、その悲泣を袂につつんだまま、さッと、廊をどこへともなく走り去った。 ﹁藤夜叉どの。藤夜叉どの﹂ 捨ててはおけず、右馬介はすぐ起って、彼女を追った。 暗い所へまろび入るなり、藤夜叉は体じゅうで泣いた。泣くによい小部屋であった。 つーんと、あたまのしんが、冷たいうつろになったとき、もう涙もなく、平易な行為のように指は帯のあいだをまさぐっていた。塗りの懐剣なのである。唇に仏のみ名も出なかった。 ﹁あっ、なにを﹂ そのとき、おどり込んできた人の声に、彼女の手は急いだが、 ﹁ばかな﹂ とばかり、右馬介の手にもぎ取られていた。そしてその短い白刃が、自分から届かぬ所へ投げやられた音を聞くと、 ﹁なぜ止めるんです!﹂ 藤夜叉は、食ってかかるような形相をふりみだした。 ﹁死なしてください。いいえ、そなたこそは、殿と私とのこうなった初めのことから、今日までのこと、何もかも知りつくしているくせに﹂ ﹁ま、おしずまりなされ。死んでは何もありませぬ﹂ ﹁何もない、だからこそ私は死にたい。……そなたは一体、私のこんな苦しみをいつまで見ていようとする気かえ﹂ ﹁めッそうもない﹂ ﹁でも、そうではないか。時節を時節をと、そなたがいうにまかせて今日までも﹂ ﹁まったく、ようお忍びくださいました。けれど、ここ十年の足利家は、じつに危ない中にあったのです。殿のお立場のむずかしさは、なかなか、女にょ性しょうにはお分りにもなりますまいが﹂ ﹁嘘、嘘、嘘。いまとなれば、私はそなたにていよく騙だまされていただけのこと。殿にとっては、そなたは無二の忠義者でも、私には恨めしいお人でしかない。その上、なお私を生かして、なにをおもしろがろうとするぞえ﹂ ﹁おもしろがる? ……。情けない、ああ、そのお口走りは、どうかしていらっしゃる﹂ ﹁なんの狂気していよう。ただこの身を、どうしてよいのやら分らぬことが狂おしい。殿やそなたばかりを恨まれもせぬ。……わが身にも深い科とがはある。それだけでも、死なねばならぬわけがある﹂ ﹁去年の。……あの、高野川へお身を投げたそれ以前の?﹂ ﹁訊いて給もるな﹂ とつぜん、彼女はまた、その泣き顔を深く埋めて。 ﹁いえません。たれにもそれは話せません。ただ死ねば何事も白しら露つゆと消えましょう。そして身も白骨になりさえすれば、どんな悪魔にも負けはしまい。あざ笑ってやれるでしょう。……でも、死ぬ前にはどうしても、いちど殿にこの胸の真実だけは訴えて知ッておいていただきたい。殿だって、会うぐらいは会ってくだすってもよいと思う。伊吹の春の……遠いむかし、初めて殿にお会いしたときのことを、殿もおわすれのはずはない﹂ めんめんと、糸のような恨みそのものが、彼女自身をなぐさめているようだった。が、そのとき障子の外で、誰かエヘンと二度ほど咳せきばらいしたと思うと、がたと、そこが開きかけていた。 ﹁一色どの。内か﹂ ﹁お、どなたで﹂ ﹁師もろ直なおじゃ。あちらで、殿がお召しだ。直義さまもさがしておられる。開けてよいかの﹂ ﹁あ。少々の間、ご猶予を﹂ ﹁いや藤夜叉どののことなら、お案じあるな。師直がようなだめて進ぜる﹂ 右馬介が倉そう皇こうと立去ったあと、入れかわりに、師直はのッそり藤夜叉のそばへ来て、むざんな、白い襟あしの俯っ伏せを見おろしていた。 ﹁…………﹂ そして遠くに放ッてある懐剣の白刃を拾い、それを鞘さやに、いちど外へ出て行った。 廊の端はずれにひかえていた郎党に何か耳打ちして、どこかへ走らせ、元の小部屋へ返ってくると、こんどは、おっとり坐りこんだ。その分厚な体温を馴れ馴れとずり寄せて、彼女の背をなでるのだった。 ﹁さ……藤どの。ここはひとまず退さがんなさい。お身さまにとって、この師直は、たれよりもよい御相談相手かと、うぬぼれておる。悪いようには計らわぬ﹂ ﹁……どうぞ、もう﹂ ﹁はははは。放っておけとか。だがお身さまはいま何とここで咽むせびくやんでおられたか。殿との高氏さまへ、この胸が、この真実が、とどかずには死ぬにも死にきれぬと、取り乱していたであろうがの﹂ ﹁…………﹂ ﹁ごもっともだ! そのお口惜しさはようわかる。殿とのお契ちぎりも、十一年のむかしといえば、お身さまもまだ十五、六か。世の何かも知らぬきれいな乙女の頃でおわしたろ。それからのご苦労じゃな。殿も罪な! もし殿とのお知り染めさえなくば、こうも茨いばらの道はなかったろうによ﹂ ﹁…………﹂ ﹁が、それも宿すく世せ浅からぬ御縁とすれば、ま、生き耐えて、どこまでもお身さまのその真実を、想う男の殿へささげて見せたらどんなものか。そうはせいで、死んでみせてやる! ……これや世間ざらにある女おな子ごのすること﹂ ﹁…………﹂ ﹁のう、師直めにまかせられい。このほうもいささか苦労人のつもりではある。さいぜんも物蔭で聞いておれば、お身さまには、誰にも話せぬことがあるという。さ……それだわ! 藤どのをこう悩ませているわけも、殿が会わぬというご猜さい疑ぎも﹂ ﹁え、殿がなにを?﹂ 彼女は、つき上げられたように胸をおこした。霊りょ女うのおんなの仮め面んより白い顔だった。 師直はそのとき見た。彼女のひだりの瞼の、うす青い痣あざが涙に洗われている。 ﹁いやなに﹂ 師直は笑いにごして。 ﹁殿もくわしくは、ご存知あるまい。よしお耳になされても、何をいうやら知れぬ道誉のこと、お取上げにもなるまいが﹂ ﹁あの、道誉が何を﹂ ﹁じつは、師直も聞かされておりまする。鎌倉での酒の座でな。たくさんな白拍子のなかでおざった。さも自慢げに、道誉がかたる女ばなし。ふとそのなかでお身さまのことも言いおった。まるで藤どのは自分のものでもあるように﹂ そのまま窒ちっ息そくしそうな彼女の身のふるえを、師直は見のがしていなかった。推察は中あたっているなと冷酷にうなずいたかのようだった。そして彼は、眼のまえの無残なものを、ぽいと措おいて、また廊の外へ立って行った。誰か人の来ていた気配をとうに背中で知っていたのである。 ﹁来てくれたか、師もろ泰やす﹂ 師直は、声をひくめて、寄って行った。 ﹁兄あに者じゃなにごとで?﹂ ﹁耳をかせ﹂ 高こうノ師直、師泰の兄弟は、顔と顔をよせあった。よく似ているのでおかしいほどだ。ただ弟にはヒゲがなく、あくまですすどい人相だった。 ﹁では、あの女にょ性しょうを﹂ ﹁ム、きさま、預かっておけ﹂ ﹁陣中に。いや弱りましたな﹂ ﹁何の、兵をつけて、民家へでもおけばよい。困ることがあるものか﹂ ﹁御ごぜ前んていは﹂ ﹁おそらく、殿からはお訊ねあるまい。ご舎弟や右馬介は、もてあましているのだ。師直がその才覚を背負ってあげれば、よろこばれる﹂ 師泰はにやにやした。好色な兄のこと、あるいはまた例の病気かもしれぬと。 ﹁そして都まで連れて行き、戦陣のひまには、お通いになるおつもりなんで?﹂ ﹁ばかな。戯ざれ口ぐちもほどにいたせ﹂ 師直は、声をころし、眉の真ッ向こうで弟を叱った。 ﹁かりそめにもまだ、主君のお持ちものだ。拾えと仰っしゃったわけではない。それにの、いくら腹は借りものでも不知哉丸さまのご生母でもある﹂ ﹁とすれば、ちとご酔狂なお世話ではおざるまいか﹂ ﹁まあ、みておれ。おれが藤どのを有効につかってみせる。およそ大望のおん大事には、あまたな贄にえが――人ひと柱ばしらというものが――要いるものだ。すでに殿のご正室やお子たちすらも、鎌倉表に幕府の質ちとされておる﹂ ﹁お。鎌倉の質ちといえば﹂ 師泰は、俄に、おもい出したふうでいった。 ﹁つい今、矢やは作ぎが川わの橋口の兵から、執権のお使い工藤孫市、皆みな吉ぎ七郎兵衛の両名が、不いさ知や哉ま丸るさまのお身を受取りのため、この地へ着いたとの知らせでございましたぞ﹂ ﹁いよいよ、みえたか﹂ 予定されていたことではあるが、それにしてもの一問題だ。また新たな屈辱感が誰にも燃えいぶることだろう。わけて不知哉丸を珠と守り育ててきた三河諸党の者が、やすやすそれを渡すかどうか。 ﹁こうしてはいられぬ﹂ 師直は、つぶやいた。 ﹁ともあれ師泰、申しつけたぞ。藤どのの身は、きさまに預ける。もし万一などあらば、兵のおこたりとはいわさん。科とがはきさまだ、よろしいか﹂ ﹁これはきついご命令だが、かしこまってござるわ﹂ 不承不承のようだが、足利家という野望の廂ひさしにいて、私わたくしの野望をひそかに燃やしている点では、主人以上な、似たもの兄弟なのである。師直は弟の舌打ちなど苦にもしていない。 彼は足を戻して、小部屋の内の藤夜叉へ、なにか気がるな声をかけた。そしてすぐ、せかせか急ぎ去ったが、もいちど、廊の曲がりで振向いた。 そのとき、師泰の連れてきた十名ほどな兵は、はや彼女の体を攫さらッてでも行くようにかこんで柳堂の外へ連れ出していた。――とばかり見えて藤夜叉の顔も袂も見えなかった。 一室でいま、高氏は不知哉丸を見た。そばへよんで、しげしげとながめていた。 初めて見るのだ。 親として、十一年目に。 が、この子の父とはおもっても、実感にはなって来ない。 子の方でもまたそうなのだった。藤夜叉の姿が見えなくなったので、一時は泣いたが、なだめられ、いまはかえって、きょとんとしている。 父ぎみとの御対面のときにはこうと、おそらく、稽古さえしていたのだろう。答えることもちゃんとしていた。行儀よく日頃の小暴君ともみえない。 ﹁……似ている﹂ 高氏はじっと見入る。藤夜叉の乙女のころとそっくりなのだ。ひよわそうな、どこか、神経質らしい眸だけは、まったくちがう。 ﹁なんになりたい﹂ 高氏がきいた。 ﹁武者に﹂ と、答えてから、 ﹁大将に﹂と、いい直し、 ﹁弓も上手です﹂ と、訊かれもしないうちに、不知哉丸は自分から言った。 ﹁ふ、ふ﹂ 高氏はニコとしてみせた。 想像していたよりも、これはなかなかいい子だとおもったのである。すこし、おれの子だなという感じがわく。同時に、ひどくいじらしくなって来た。 座には、直義、右馬介、そして一色刑部もいた。刑部は、白い眉を皺しわめて、瞼に指をあて通しだった。いつか嗚おえ咽つすらもらしている。 こんな所へ、外げじ陣んの伝令があったのだった。 約束どおり、不知哉丸を質ち子しとして使者に渡せ――という高時の下状をたずさえた鎌倉の二使が、 ﹁ただいま、矢やは作ぎの御宿所に入られました﹂ と、聞えたのである。 高氏は、はっとした。なぜだろうか。柳営で高時から難題を出された日も、また出陣の朝、千寿王を質ちとして残してきたときも、こうまで情愛のうろたえは覚えなかった。 ﹁刑部、知っての通りだ﹂ ﹁はっ﹂ ﹁ぜひもない、そちは上使の宿所へまいって、使者の工藤、皆みな吉ぎの両名に、ぞんぶん、歓待を与えておいてくれ。高氏はあした会おう﹂ ﹁さ。……てまえはちと﹂ ﹁何か障さわりか﹂ すると直義が横から言った。 ﹁兄者。使者の饗応役には、私が当りましょう﹂ ﹁おぬしなら、なおよいが﹂ ﹁刑部がいなくなっては、不知哉丸も淋しがります。また、一色党から三河諸党の間には、不平の結果、多少不穏なことが起るやもしれません﹂ ﹁そんな兆きざしがあるのか﹂ ﹁あります。ここの者どもは鎌倉表にあるのとちがい、屈辱に忍ぶことなど考えておりません。わけて一統の連判もおこなわれたこと。気がたっています。刑部が行っては、おさまりがつかないでしょう。直義がまいりまする﹂ 彼が立ってゆくのを、高氏は黙ってみていた。そしてその眼はまた、自分の前の不知哉の顔へもどっていた。不ふ破わやぶり
約束によって。
と、不知哉丸の身を受けとりに下くだって来た工藤孫市、皆吉七郎兵衛の二使が入った宿所は、古い長者屋敷のあとだった。
長者の子孫はもう住んでいない。けれど矢作の宿には、牛若と浄じょ瑠うる璃りひ姫めの伝説だの、古来幾多な旅人の恋物語や、合戦ばなしなども、まだ昨日のように生きていて、いまなお“橋はし女ひめ”と称する辻君から町遊女の群れは、夜々の男を霧の灯の中にとらえて、荒らくれな武者どもをさえ手玉にとって悩まし抜くとか。
長居せそ 心してゐよ
あづさ弓
矢はぎの川の鷺 のひとむら
あづさ弓
矢はぎの川の
これは﹁新六帖﹂にみえる行家の歌である。この歌ぬしもまた、この地にかかって、ぜひなく歓喜往生を遂げた旅の一人であったのだろう。
﹁いやどうも、征途のお途中、何かとせわしい御陣中へ伺って﹂
と、鎌倉の二使は、恐縮のていだった。
が、恐縮と、歓待に甘えるのとは、べつらしい。好意をよろこぶのは人の礼で、自然、宴に浮かれるのは旅情であるとしているような両使だった。
﹁では、はや深更にもなり、旅のお疲れもございましょうゆえ﹂
と、彼らの接待に臨んでいた直義はいとまをつげて。
﹁あらためて兄高氏もいずれ上命を拝しますが、何せいまだ、三河の手勢も揃わず、軍備混雑のさいでございますれば、明日も何とぞなおごゆるりと﹂
﹁お、ごもっとも。当方はお使いの役さえ果たせばよろしいこと。ご都合で一両日はいかようにもお待ち申す﹂
と、工藤は杯を洗って、もひとつと、直義へさし、直義はうけて、その返杯をさいごに起ちかけた。
﹁だいぶそれがしも酩めい酊ていしました。しからばおやすみを﹂
﹁あ、ここにみえるたくさんな女たちは﹂
﹁郎党どもではお世話の儀もとどきかねましょう。止めおきますゆえ、どうぞお気ままに﹂
彼も酔っていた。夕方からの饗応役で、夜半にちかい。しかしそこの門を辞すやいな、直義は柳堂へ馬をとばした。本陣柳堂までには一里余もある。
陣門を入って、柳堂の宿との直いの武者に、
﹁殿は﹂と、訊くと、つい今しがたまでは、今川、細川、吉良、その他の諸将と、何やらご評定に更ふけていたが、はや、ご就寝のようです、という答え。
直義はすぐ池のほうへ歩いた。そこから野や木こだ立ちへかけて、各部隊の陣のとばりが、何かの花の群落みたいにほの白い。
﹁……?﹂
案のじょう、一色党の幕舎だけが、かがり火、人影、ただならない気色にみえる。彼はそれへ駈けた。彼の姿をみると、槍長柄で外をかためあっていた武者ばらも、
﹁おっ、直義さまだ。ご舎弟さまが見えられたぞ﹂
と活気だち、その声は、とばりの内で、夜半の野評定をひらいていた車座の輪へひびいて、そこの人々の顔を一せいに振り向かせた。
車座は燃えていた。かがり火もその激昂をたすけ、どの顔の隈くまもみな赤い。
一色をはじめ、吉良、今川、石堂など三河党の将はあらましいたが、宗家の将では、高ノ師直、師もろ泰やすがみえるだけだった。
﹁おう、よい折へ﹂
みな目礼で直義を迎えた。
野評定だから上座もなにもない。直義は輪の中へ割って入って無造作にあぐらをくみ、急に押し黙った面々を見まわして、
﹁揉もめているのか﹂
と彼から、訊ねた。
﹁さればで﹂
刑部が受けて、深刻そうに、
﹁ちと難しく相なッておりまする。まず誰か、事のいきさつを、ご舎弟へおはなし申し上げないか﹂
と、他へうながした。
仁木義勝が説明にあたって出た。――そのいうところをきけば、こうである。
三河党としては、若ぎみのお身は、なんとあろうと、渡しかねる。断じて鎌倉へは差出さぬ。
すでに、庶しょ子しの竹若君から、ご実子の千寿王さままで、幕府の質ち子しに取られていること。今となれば、ここの不いさ知や哉ま丸るさまは、取っておきの一ひト粒つぶだねだ。おめおめ渡してたまろうか。殿のお立場にしろ、鎌倉の内なら知らず、もう上洛途上の野ッ原である。執権との一約などに、しばられている必要はない。
﹁使者などは追ッ返せ﹂
﹁いや斬ってしまえ﹂
これがこの宵からの、輿論だった。そして三河者の血気な一団は、言いあわせて、不知哉丸の身を他へ隠すなどの騒ぎを生んでいたのである。
柳堂の高氏も、おそらくこれには困惑したろう。あいにく上杉、細川の二老は、その日、或る秘命をおびて、どこへか出発していたあとなので、高ノ師もろ直なおがなだめ役を申しつかり、ここへ臨んでいたわけだった。とはいえ三河党大部分は、耳もかすことではなく、
﹁殿は、大望大事として、お胸をころしておられようが、かかる屈辱にわれらは耐えぬ。またこのさき、いつまでそんな偽装をかまえてはいられぬ﹂
と、異いく口どう同お音んな哮たけりで。
﹁一味連判のうえは、大望は殿おひとりのものではない。殿にはどこか弱気もある。それらの支障は、われらの捨身で、一難一難、押し切らいでなるものか﹂
とも揚言し、また、
﹁何、不知哉丸さまを、どこへ隠したとな? 知るものか、若党ばらが血気一存でしたことだ。われらは何処とも存じていない﹂
こう嘯うそぶいて、師直の取りしずめなど、てんで受けつけない始末であった。――以上、仁木義勝の言に、師直も呶ど々どと、直義に訴えたことであった。――で、直義はここにおいて、硬軟両論の、
いずれをえらぶか?
を、迫られた形となり、さすが腕ぐみの中にじっといつまでその眉をうずめていた。
まだ大望途上の、その一歩に。
はやくもここでは、未来の足利将軍家をなすその基盤に、むずかしい分子を孕はらんでいた一兆候を見せていたといってよい。――やがて直義は、烈しい眉を上げると共にこういった。
﹁よしっ、やろう!﹂
﹁えっ、やろうとは?﹂
問い返す師直を、直義はしり眼において。
﹁三河衆一同の言い分はもっともだ。元来、石橋をたたいて渡るようなのが、殿のすぐれたところでもあるが、弟のおれにも、時にはその優柔不断もどうかと思われることがままある。やろう! 不知哉丸を渡さぬことに、この直義も同意なるぞ﹂
聞くと、車座の三河党はみな、この若大将の断に﹁おうっ﹂と、高いどよめきを示した。元から三河在国の面々は、宗家との交渉も、不知哉丸の身についても、高氏よりは、このご舎弟のほうに、より直接に、親しんでいたことでもあった。
が、師直としては立場もなく。
﹁やあ、ご舎弟までが、火に油をそそぐようなおことばでは、いよいよもって、殿は御困難のほかおざるまい。そも、いかなる策をお持ちで鎌倉の二使にたいするお考えでございますな﹂
﹁師直もおれに従え﹂
﹁よくば従いまする﹂
﹁ではただちに、柳堂の御本陣をすすめ、一路、都へ軍をいそげ。おれは殿しん軍がりしてすぐあとを駈ける﹂
﹁さようなこと、殿がご承知ありますまい。ご立腹はあきらかなこと﹂
﹁詫びはあとで直義がいたす。――こんなさいにも、殿は柳堂でしんと寝所に臥ふせっているありさまだ。何事によれ、そういう風に、無事をたのんで、迷いを能のうとしておいでになる。日ごろは知らず、今はそんな無難をえらんでいられようか﹂
﹁ご一理とも存じます。しかしまだ都にも臨まぬうち、足利家の異心をみせては、前途の難、どうありましょうか?﹂
﹁ここは鎌倉と都との、ちょうど海道のまん中にあたる。鎌倉へ知れる頃には、軍ぐん旅りょ、ましぐらに、われらは早や都のうちだ﹂
﹁いやいや、途中には、近江の関がありまする﹂
﹁近江の関?﹂
﹁お忘れあってはなりますまいがの。佐々木道誉はなんのために、ひとあし早く帰国を命じられていたでしょうか﹂
﹁む、もしあの若入道めが、阻はばむならば、伊吹の城も蹴やぶって通るまでだ﹂
﹁それまでのお覚悟ならば﹂
﹁この四千余騎。佐々木ごときが何であろう。むしろ伊吹を攻めて、あの要害と地の利を占しめ、そこにおいて、家祖八幡殿からのわが足利家が、本来の源家の棟とう梁りょうにたちかえり、多年の悪北条を討ちほろぼして、時の宮方にお味方したてまつると、天下へ公おおやけにしたならば、伊勢、美濃、飛騨にわたる不平どもも、争ッて馳はせ参じるは疑いもない﹂
直義は誇った。自分のことばにだんだん魅せられていたのでもある。
そのうえ三河党はみな、彼への心服をみせて彼のさしずを仰いだので、直義はその場で一切の指揮をとった。
すなわち仁木義勝、石堂綱丸、畠山大伍らの各隊は、すぐ鎌倉の二使が泊っている宿所へと駈け向ッて、ふいに夜討の火を放ち、一方、他の三河党はすべて、本陣柳堂の外に軍勢をそろえて、ほとんど強請的に、
﹁殿、ご発向をねがいまする。すぐさまこの地をお立出で願わしゅう存じます﹂
と、声々に呼ばわり合った。
﹁師直っ、師直っ﹂
すぐ寝所を出ていた高氏は、寝まき姿ではなかった。はや物もの具のぐ着つけていたのである。
﹁殿﹂
走りよって、師直は早口に云しか々じかと、事のわけを告げた。とは聞け、高氏は驚愕に打たれた風でもない。ただ、柳堂の周囲いっぱい、すでに発足準備もすましている軍勢の波打つ闇に、少々あきれ顔ではあった。
﹁直義は﹂
その問いに、師直が答えるまも措おかず、縁の階下から、兵をかき分けて、
﹁これにおります﹂と、姿を見せ、
﹁兄者、おわびはいずれ、先の途上にてつかまつります。ともあれ、おいそぎを﹂
﹁いやあわてるにもおよぶまい。どうしたことだ、おぬしこそ先ずここへ上がれ﹂
﹁土足、おゆるしを﹂
直義は階を上ってひざまずいた。
﹁寝耳に水のお驚きでございましょうが、いま師直が申しあげたごとく、三河在国のやからは、かたく一致して、おことばもきき入れませぬ﹂
﹁そのうえ、そちも同意では、しずまるはずもない﹂
﹁事ここに及びましては﹂
﹁ぜひもない、世は下げこ剋くじ上ょうだ、高氏も荒駒の背だ、下手な手綱では振り落されよう。だが、使者の宿所へ一軍さし向けたとか。どんな指揮をとらせたのか﹂
﹁工藤、皆みな吉ぎの二使以下、供のすべても一人あまさず、討って取れといいやりました﹂
﹁下策、下策﹂
高氏は、はじめて叱った。
﹁無力同然な使者の一行、そうまでせずとも、われらが洛中へ入る日まで、幡は豆ずのどこかに牢舎させておけばすもうに﹂
﹁事このばあい、さような手ぬるい手段はとっておられませぬ。……おお、はや彼方に火の手があがりました﹂
﹁あの火の手がそれか﹂
﹁されば、使者どもは半夜をこえた深酒のあげく、遊女を抱いてうつつを抜かしおりましょう。そこを不意に、仁木、畠山の夜討に襲われ、火をあびせかけられたこと。供の一人も逃げ落ちは出来ますまい。いざ兄上、あの焔を、吉運の門かど篝かがりと見て﹂
﹁不知哉丸は﹂
﹁お案じなされますな。斯しば波たか高つ経ねの郎党百人ほどが守って、もう先の八やつ橋はしノ宿しゅくまで行っておりまする﹂
一とき、高氏は何もいわなかった。師直、直義らに打ちかこまれてやがて馬上の人となった。
いまは下剋上の世風だと彼はいった。幾多の例を、日ごろの世上や他家に見聞きしていたからだが、ひとごとではない、地方の小分党の上に立つ足利家も、時勢の外の組織ではなかったのだ。よくよく心して衆の荒駒に乗る覚悟でなくば、天下の事を成すなどは、夢の夢でしかありえまい。そのことを高氏は、よほどきもに銘じたようだった。
高氏は黙々と、前途へ馬をいそがせた。つづく全軍もくろぐろと流れ出す。が、直義はなお殿しん軍がりして、あくる朝、仁木、畠山が目的をはたしたのを見とどけてから先の本軍を追っかけた。
本軍の高氏軍は、鳴なる海みで野営したが、未明にはもうそこを立って、兵馬の朝あさ糧がては熱田に着いてとらせている。
直義はここで追いついた。
矢やは作ぎの後始末を、ざっと、兄へ報じて、
﹁使者鏖おう殺さつの変が、鎌倉へ知れるまでには、なお数日のまがありましょう。よしまた、ご謀むほ反んが公おおやけになったところで、ここには精鋭四千騎が、殿を上にいただいて、火の玉の意気を張りつめていること。ご憂慮にはおよびませぬ﹂
と、すでに残虐な血まつりの血を舐なめてきた彼は、ひどく昂たかぶッた語調で兄を励ました。
高氏は、うすら笑いに、
﹁そうか﹂と、聞いただけだった。
弟にはこの兄が、決断に欠け、どこか臆していて、依然“ぶらり駒”の大将に見えてならないのかもしれぬ。
が、高氏からみると、やや心もとない。直義はじめ幕僚すべて、大望、むほん、それだけで、もうまったく、ほかは見えなくなっている。
火の玉の意気も大事だが、破はち竹くの軍だけが何をなそう。高氏には、遠くの困難がみえていた。
そこですでに。
矢作を立つまえに、上杉憲房と細川和かず氏うじは、彼のそばからその姿を消していた。ふたりは高氏の何らかの意をおびて、京へと、先に急いでいたのであった。
それやこれや、彼の胸算用は人知れぬ忙しい疾はや風ての中だったろう。またその行軍も、熱田から以西は、夜を日につぐの急だった。
軍日誌によると、一ノ宮、大垣、垂井の間をほとんど四日たらずで行軍しており、あげくに墨すの股またでは、むりな雨中渡とし渉ょうまでおこなっている。
だが、関ヶ原を見つつ、野のが上みノ宿までくると、
﹁ただ事でない﹂
と、先を駈けていた物見組がひっ返してきて、あわただしく中軍へ知らせた。
﹁このさきの松尾山から不破ノ関の高地には、不審な大軍が望まれまする。常備の関所兵とちがい、物々しく陣をかまえ、一戦いつでもと、こなたへ挑いどむかのような備えにござりまする﹂
このため、高氏の兵馬は一時、野上のあたりに停頓をよぎなくされた。
﹁伊吹の兵か﹂
﹁それよ、佐々木勢だ﹂
と、殺気にそよがれた全軍は、一とき、声をのんで行くてを睨んだ。が、高氏は、休息を布ふ令れて、自身は、野上の観音堂に駒をつないだ。
直義はすぐ、三河党の諸将をうしろに、高氏の床几の前へせまってきた。佐々木との一ひト揉もめは、かねて予期されていたことではある。そのうえ、矢やは作ぎの出来事も、海道の要衝にいる道誉のことだ、早耳ならすでにつかんでいるかもしれない。
﹁いずれにせよ﹂
と、直義はここでもまた、兄を激励するような語気だった。
﹁お覚悟までもありますまいが、かねがね、われらの挙きょを疑っていたらしい佐々木道誉、ただちに対戦のご命令を、また即座にご軍議をば﹂
すると、高氏はきき返した。
﹁なんのためにだ?﹂
腹が立った。直義の顔はおおいえない色である。
﹁何のためにとは、兄者、あなたこそ目前の危急を、何と見ておられまするな﹂
﹁危急というほどなことはあるまい﹂
﹁ご悠長な。あの佐々木道誉めの布陣は、あきらかに、われらへむかって、ござンなれと誇っているのに﹂
﹁だからといって、道誉と戦わねばならんという法がどこにある﹂
﹁しゃッ、まだそんなぬるいお考えでおいでるのか﹂
﹁直義﹂
高氏はちょっと眸をつよめて。
﹁すこしおちつけ。そちを弟として幼少からよく知っていたつもりだが、鎌倉をはなれていらい、どうもおぬしは少しいぜんの直義とは、ちがって来ておる﹂
﹁ちがってなどおりません﹂
﹁いや大事に立ちむかうと、自分も知らぬ自分が出てくる。ここでいっておくがの﹂
﹁なにをです﹂
﹁矢やは作ぎでやったような、下策な暴挙は、以後つつしめ。気が短うては事を破る﹂
﹁気長になれと仰っしゃるのですか。いま、このような難関を前にしても﹂
﹁気長にとはいわん。ただ望みをとげようためには、何事も忍び、また遠くも思わねば﹂
﹁したが、ぐずぐずしていれば、道誉は気負う、後ろから鎌倉の討手がかかる。われらはここで立ち往生だ。自滅のほかはありますまいが﹂
﹁なんの﹂
頬を和なごんで見せながら。
﹁わしと道誉とは十年の交わりだ。その間、互いのもつれはしばしばだったが、要するにみな些さじ事しょ小う事じ、意趣遺恨とするには足らん。されば今日まで、ほんとには、彼を敵と視みたことはない。道誉もまたおそらく高氏を終生の敵にまわす腹ではあるまい﹂
﹁ああ、兄者の眼は、誤ッていらっしゃる﹂
﹁誤っているかどうか。それが今こそはっきりしよう。これまではまあ男と男の戯ざれ事ごとに似たようなもの。したがここは土壇場の対決だ。高氏にしろ彼にしろ、生涯の勝負のきめどころよ﹂
﹁それゆえ彼も、不破の道を断ッて、わが足利勢に思い知らせ、鎌倉への忠義だてを、誇っているのでございましょうに。……ともあれ、ここでは地勢も不利だ。とりあえず陣地をほかのよい所へ﹂
﹁無用無用、むしろ半里ほど遠くへ退さげろ﹂
﹁退くのですか﹂
﹁そうだ、そのまに高氏自身、伊吹の城へ行くとする﹂
﹁えっ﹂
愕がくとして。
﹁なにしにです﹂
﹁あいさつに﹂
﹁道誉へ﹂
﹁さればさ﹂
﹁……?﹂
直義はあきれて口がきけなかった。首かど途でいらい、兄は、この自分を変ってきたといっていたが、兄のほうこそ、どうかしている。いまのは正気の言であろうか。
彼のみでなく、居あわせた諸将も茫然のていだったが、高氏はさっさと、小姓武者に手つだわせて、大よろいをぬぎ、腹巻と陣座羽織の軽装に着かえ、また湯漬けを掻っこんで、終るとすぐ、観音堂のぬれ縁へ、高ノ師直を召し寄せていた。
なにを命じられたのか。
師直はひどく驚愕した容子で、やがてあたふたと、高氏の前から退がって来た。そして、
﹁ご舎弟さま! 殿が再度およびでございますぞ﹂
と、附近の馬混みのあいだへ、どなった。
﹁おう師直、そちも殿より聞いて来たか﹂
﹁うかがいました﹂
﹁どう思う﹂
﹁どうもこうも、ご真意のほど、相わかりませぬ。殿ご自身が、伊吹へまいって、道誉と話し合わんなどは、火中の栗を拾うに似たもの。むしろ、この師直をおつかわしあって、と愚存を申しあげてみましたなれど﹂
﹁だめか﹂
﹁お取上げなく、はや観音堂の縁でお身支度もすまされ、供も小人数でよい、供頭は桃もも井のい直なお常つねに申しつける、とあるばかりか、不いさ知やま哉る丸お母や子このものも連れて行く、すぐ輿こしに乗せて、供のうちへ加えおけ、との仰せ出しにござりまするわ﹂
﹁なに、不知哉丸をも連れて行くと。……いや不知哉丸母子とたしかにいわれたのか﹂
﹁てまえも耳を疑い、つい訊き返すと、にがりきったおん眉で再度、そうだ……とばかり、きっぱりと﹂
﹁はて、兄あに者じゃはどうかしたわえ。これしきの難に思慮を失う兄とは日ごろ思わなかったが﹂
﹁いや、意外にお目の細かい所もある。藤夜叉どのの身を、弟師もろ泰やすが軍中にかくして連れまいったことなどは、どうしてか、いつのまかご存知でもある?﹂
立ちばなしの二人の姿が、観音堂の方から見えていたか、小姓武者が駈けて来て、
﹁直義さま、お召しです。師直もなぜ早くせぬかと、ご立腹でございますぞ﹂
と、大声でいった。
﹁おっ、ただいま﹂
急に二人は左右へわかれ、一方の師直は、宿場端れに馬立ちしていた斯しば波たか高つ経ねの隊へ来て、
﹁若ぎみを輿こしにお乗せして、すぐさま、桃井の御供組へ加わるように﹂
と、高氏の命をつたえ、またその足で、弟の師泰に会い、仔細を語って、
﹁女にょ性しょうの藤どの、おそらく行く先を疑ッて、さまざま、わけも訊こうし、身化粧にもひまどるだろうが、殿にはすでにお待ちかねだ。またその殿のお胸ときては、ご舎弟にもわしにも分らぬ。ただただ火急な命だ。早くいたせ﹂
と、せきたてた。
師泰には一そうわけもわからず唐突だった。しかし主命と聞き、これもあたふた、一民家の門内へ駈けこんで行った。そしてまもなく、つい今、兵にいたわられながら休息に入ったばかりの藤夜叉を、ふたたび輿へのせて、往来へ出て来た。
そのころ、高氏は観音堂の森をはなれて、桃井直常を供頭に、わずか四、五十人を連れたのみで、もう街道を不破ノ関のほうへゆるやかにあるいていた。馬上は彼と供の侍、数騎だけである。――追いついた師直は、藤夜叉の輿を、桃井の人数へわたした。も一つの不知哉丸の輿も、さきに列へ加わっていた。
高氏は振向いた。後ろに二つの輿が揃ったのを知ったとみえる。同時にその駒脚はやや小刻みな弾はずみをみせて不破へ急いだ。
直義、師直、師泰、多くの顔も、どうしようなく、ただ遠ざかる列を見送っていた。
﹁…………﹂
﹁…………﹂
ほっと、吐とい息きが流れたとき、はや列は小さくなり、高氏のすがたも見えなくなっている。
われに返って、師直は。
﹁ぜひもおざりませぬわ! この上は全軍を一だん退さげて、ただただ殿の無事なお帰りを待つほかはありますまい﹂
﹁ばかな﹂
直義は耳を朱にした。
ついに、なんと諫いさめてもきかないで、おめおめ伊吹の道誉へ、その相手からは、下風に降くだって来たとも受け取られかねない装いで出向いてしまった兄の弱さが、彼にはくやしくてならなかった。
﹁師直。軍を退げろとは、わしにも言いおかれていたが、わしはいやだ。兄あに者じゃはそもそも、佐々木道誉をあまく見ている。いや恐れている! ばかな骨こっ頂ちょうだ!﹂
﹁とは申せ、手のほどこしようもございませぬ。この師直めがおいさめも、今日ばかりはお耳をかすことではなかった﹂
﹁ともあれ、陣を退くなど、もってのほかだぞ。むしろ前へ出ろ。そして四千余騎、街道をまん中に三手に備え、いつでも、不破、伊吹など一ト揉みの気勢を示せ。神だのみするよりは、そのほうが、はるか兄者の強味となろう﹂
野のが上みから不破のあいだ、わずか一里余でしかない。
直義の指揮下に、全軍は前へ押しすすめられ、佐々木方の旗き幟しも兵の影も望まれる松尾山、不破の真下へと迫りかける。
こうしたあいだに。高氏は後のうごきも知るはずなく、山と山とにせばめられた不破ノ関の隘あい路ろ、大木戸坂へかかって、供頭の桃井直常へ、
﹁直常、木戸のうちへ物申せ﹂
と、いいつけていた。
直常はただ一騎で柵のそばまで進み、これは足利又太郎高氏ご自身であること、そして、佐々木殿へお会いしたいという由を、声たからかに言い入れた。
佐々木方では、とうに、遠望しあっていたが、供は少なく、二つの輿も? と怪しんで、鳴りをひそめていたものらしい。
すぐ柵門のそばの関屋から、一人の武将があらわれた。そして直常と、二、三応答のすえ、
﹁しばしお待ちを﹂
と、馬へとび乗って、どこへともなく駈け去った。
よほど意外だったらしい。武将のあわて振りにもわかる。まさかとみていたのが、まぎれない足利殿とわかって、仰天したものとおもわれる。
時に、佐々木道誉はどこにいたろう。
いや彼の床几はどこにしろ、彼もまたその伝令には、一いっ驚きょうを喫きっしたことにちがいない。武将は柵門へ引っ返して来た。そして高氏をいんぎんに迎え入れた。
﹁いざどうぞ。……わが殿には、伊吹のお館の方ですが、さっそくそこへ伝令いたしおきましたゆえ、どうぞ伊吹の御門の方へ﹂
伊吹の城は、なお不破から北へ、一里余の奥にある。高氏は道の辺べの木々にも、仰ぐ伊吹にも、思い出が深かった。ここを通るのは十一年目であった。――あれは都見物に上った十八歳の春。その帰国の途で、忘れがたい一夜をすごした伊吹の城だ。
こぼれ針
その陣羽織は、銀ぎん摺ずりに雪ゆき南なん天てんの朱あかい実みをちりばめた燦さん々さんたるもの。そして、かぶとは用いず、彼が好みの道誉笠だ。 ﹁大おお弥や太た、近道をとれ。間道を抜けて行け﹂ ﹁沢にはまだ、雪が消え残っている所もままありますが﹂ ﹁かまわぬ、かまわぬ﹂ 道誉の馬はあとだった。 先を飛ぶ田た子ご大弥太の一騎はその影を逆さかにして沢道の疎そり林んのうちへ沈んで行く。 早川主しゅ膳ぜん、民たみ谷やげ玄ん蕃ばなどの侍臣はかなり離されて主人のすがたを追っかけていた。 道は、不ふ破わノ柵さくから北国街道をさしている方向だが、その本道はいま、足利高氏の主従一列のものが、不破から伊吹の城へ向っている。 道誉もあわてたのである。 彼は藤川の高地に床しょ几うぎをすえ、この日、情報によってすでに知っていた足利軍を、はるかな眼下に見つつ、ひそかに嗜しぎ虐ゃく的てきな笑みをふくんでいたのだが、ほとんど、予期していた対たい峙じも見ない電瞬のまに﹁高氏自身、単騎同様な小勢でこれへ来ました﹂との知らせに、 ﹁えっ、ほんとか?﹂ と、意外なあまり声を放ったほどだった。 いかに高氏が困惑しまた逆上しても、ここで盲目的な攻撃にはよも出られまい。おそらく弟直ただ義よしか師もろ直なおかを使者として、なにか申し入れて来るだろう。道誉のおもわくはそのときにあったのだ。翻ほん弄ろうも自由、生せい殺さつ与よだ奪つもわが手にある。心中にそう驕おごって、未来の計を思い、彼は彼なりに期するところのあった布陣なのである。 ﹁自身来るとは、あくまで、野放図もないやつだ。さらに二つの輿を列に連れていると申すが、誰なのか?﹂ そこで道誉は、高氏の先を越して、伊吹の館で、彼を待つつもりらしいが、その行動も意図も依然、彼は鵺ぬえそのものといってよい。一面めん恫どう喝かつ、一面柔軟、いつも対高氏の段になると一そう見得張る心理にかられるのもじつに妙なほどである。 ﹁まだ見えんな﹂ 伊吹の館たちをみると、道誉は駒をゆるめ、深い林に入る外そと曲ぐる輪わの口から北国街道の方をふり向いた。 ﹁大弥太。そちはここにいて、迎え役に立て。兵をならべ、槍ぶすまで迎えるのだ﹂ ﹁こころえました﹂ ﹁また民谷玄蕃は、二の曲くる輪わの矢倉門で高氏を待ち、供びとはみな離して、彼一名のみを本丸の大書院へ通せ﹂ いちいち、手順までいいつけてから、道誉は館たちの奥へ消えこんだ。――東海、鎌倉はもう薄はく暑しょの候だが、伊吹の裾すそはようやく春はる闌たけた早さみどりの深みに駒鳥の高たか音ねがやや肌さむいほどだった。 ﹁主膳、主膳っ﹂ 道誉は自室から呼び立てて、 ﹁いそいで酒を一﹂ と命じ、そのまに侍女の手で大よろいを脱ぎ、常の華かし奢ゃす姿がたにかえた。そして銀ぎん一杯の酒をぐうっと飲みほすと、脇息を枕に、 ﹁やがて、足利と申す客が来よう。まいったら、おあるじは今、お昼寝中と、待たせておけ﹂ と、侍女たちへ命じ、顔へ扇子をあててしまった。 疲れてもいたらしいが、ほんとに眠る意志ではないにきまっている。横たわった道誉の顔は、扇子の下で、考えている。 彼にも、彼の描いている“天下図”はもちろんあった。風雲の渦中にある一身も、位置する近江伊吹の重要さも知りつくしており、それの腐心経営は、人後に落ちるものではない。いやこんな時代の来ることは、たれより早く敏感に時流を観ていた彼でもある。 ﹁いよいよ天下分け目のその日がきた。この道誉にとっても、ここは生涯の分かれ目か﹂ 彼が、いよいよと察知したのは、つい二日前である。 上杉憲房と、細川和氏とが、従者わずかを連れ、急ぎに急ぐふうで、不破ノ関を西へ越えて行った。 ﹁怪しい?﹂ と見、それには目はしのきいた家士をして尾行させ、何の目的で、どこへ行くかを、突きとめて来いと、追わせてある。 ところが、今暁におよんでは、明々白々な足利の叛証が、彼の耳へとどいてきた。かねがね、海道の宿駅に撒いておいた諜者から、矢やは作ぎにおける使者鏖おう殺さつの件を、云しか々じかと、早馬で知らせてきたのである。 ﹁ついに、やったか﹂ 彼は驚かない。ただちに、不破ノ柵を閉じさせて、国境の険をかためた。鎌倉方とすればこれは当然な措置である。執権高時への忠節に見事こたえたものとして、これは四隣の眼にも不思議ではない。 なお彼の眼はぬかりなく、べつな見通しも持っていたようだ。――すなわち高氏と同時に、幕府から第四次の総大将に任命された名越尾張守高家の手勢は、まだ西へ越えてはいないことだった。 その名越軍は、高氏より数日おくれて、鎌倉を立つべき予定となっている。――とすれば、高氏がもし一戦覚悟で不破ノ柵へかかって来ても、たちまち背後からは、名越尾張守の軍勢が着く。高氏は自滅に落ちいる。 そうなれば、それは高氏に運のないこと。自分は、 ﹁はやくも、足利のむほんを、その出ばなに討ったる者﹂ と、功を鎌倉にほこり、なおしばらく天下の情勢を見ていよう。道誉は、どっちにころんでも、不敗の陣ときめこんでいたのである。――ただ一つ、彼に誤算があったとすれば、それは、使者でもなくて、単刀直入に、高氏みずからが、これへ来たという意表外なことでしかない。 が、こうなればもう、その高氏との会見は、一高氏との会見ではない。生涯の運命も今日の対決できめねばなるまい。また彼との、十一年にわたる感情、いきさつ、一切の総決算でもある。そもそもの十一年前から今日まで、なお底知れぬあのうすあばたのことだ。なんとしても不気味は不気味である。ばあいによれば、相手と刺し違えんなどの料りょ簡うけんを抱いていないともかぎらない。 ﹁……まだか、足利は﹂ そら寝も気が気でなく、顔の扇を除とって、道誉はふと肩をもたげた。 次室にひかえていた侍女が、 ﹁いえ、もうとうに﹂ と、それに答えた。 ﹁仰せつけのまま、御家臣方が、さきほど大書院へお通し申しあげて、ただおひとり、お待ちをねがっておりまする﹂ いましがた、高氏は大書院へ通されていた。そのままで茶菓も出ない。寂じゃ然くねんとひとりであった。 春の遅い伊吹は小鳥たちの目ざめもまだ新鮮だった。遠い山やま脈なみの襞ひだに雪を見て高啼くのか、ここの天井にまで肌さむい谺こだまとならずにいなかった。それと大庭をめぐる外そと曲ぐる輪わの林の外を、折々、霜のうごくような兵の刀槍がチラチラ通る。いやおうなく身は敵中の感であった。 ﹁ああ、あのときのままではある。自然はなにも変っていない﹂ 高氏は十一年前を想いおこす。――十一年前の十八歳の春だった。 途上で佐々木道誉なる者と知り、みちびかれて、この伊吹城に、一夜の歓待をうけたあの日も、はじめて通された室は、この大書院であったと想う。 ﹁その道誉とは、つきぬ奇縁か﹂ でなければ、よくよくな、 ﹁悪縁か?﹂ 今日までの彼との公私、表裏、さまざまなものが回想の糸にもつれてくる。が、今日こそは、と唇が噛まれた。高氏の肩には、足利の族党四千の将士からその家族までの浮沈が今かかっていた。しぜん心もからだも硬こわばッてくる。――と気づいて彼はしずかに呼息をなだめた。そして師の疎そせ石きお和しょ尚うのことばを心に、ひとみも半はん眼がんに細めていた。 ﹁…………﹂ チラと、道誉はもう廊の口に袴はかまの端を見せていたのである。だが、高氏のその姿をながめて、何かちょっと、あやしんだふうだった。さだめし、まなこもらんらんと、硬直しているものと描いていた高氏とは案に相違していたので、ふと戸惑ッたのかもしれなかった。 ﹁佐々木でおざる。お待たせ申した﹂ ﹁お﹂ 高氏はわずかに膝を向け直して、 ﹁久しゅうおざった﹂ と、会えし釈ゃくを返した。そして、相手の身なりに、 ﹁なんのいとまもなく、陣装のままで伺ったが、おゆるしをねがいたい﹂ ﹁いや御ごへ辺んはそれがもう当然常時のお支度だ、道誉の平服こそごかんべんありたい。夜来、不破の固めのため、一睡もいたしおらず、お越しと聞いたが、お見えまでのつかのまでもと、ふと手枕になったところ、いや、ぐっすりと時もわすれ、まことに失礼な仕つかまつった﹂ 綽しゃ々くしゃくと余裕のあるじぶんの立場を道誉は言外にほのめかしたことらしい。高氏は彼の笑っている黒ほく子ろに気づいた。見くだしているのである。優者が弱者に自己の弱点を思わせておくいとまを与えておく眼であった。 ﹁して。足利どの、今日の御用は?﹂ ﹁使者では心もとなきまま﹂ ﹁はて、お身軽なことではある。大将ご自身﹂ ﹁それほどな、折入ってのお願いの儀でもおざれば﹂ ﹁ま、お待ちあれ、無駄なお手などつかれぬうちに、一言先に申しておこう。不ふ破わノ柵さくは今暁から閉じ申した。このほうは近江の守護、鎌倉殿の代官だ。足利勢を通せとのかけあいならば、ごめんこうむる。ただし弓矢にかけても通るとならば、話はべつだが﹂ ﹁何、弓矢にかけて?﹂ と言った高氏のその唇もとが、道誉の方には必然な挑戦の笑みかのように眼に映った。そこで道誉はまたも間髪をいれずに、こう言いかぶせた。 ﹁おう、足利勢の何にでもかけて、通れるなら、通ってみられい!﹂ ﹁いやそれほどなら﹂ と、相手の鉾を交わして高氏は逆に澄まし込んだ。 ﹁自身、出向いてはまいらぬ。そこもとを、鎌倉殿の代官、いや高時公のご名代とも存ずればこそ伺ったので﹂ ﹁はて、いまさら何を﹂ ﹁じつは、お手もとにお預かりねがいたい者を連れてまいった。一子不いさ知や哉ま丸ると申すものを﹂ ﹁なに、このほうにそれを預かれとな? 一体それは何の意味で﹂ ﹁人質にです﹂ ﹁人質に﹂ ﹁ご不審でしょう。が、じつは鎌倉表を軍いく立さだちの日、不知哉丸も使者へ渡すべしと、申しつかっておりました。……どうして高氏の、三河の隠し子のことまでを、高時公が御存知ありしか、その辺はわからぬが﹂ ﹁……足利どの﹂ 道誉は、刺された脾ひば腹らの刃を抜きとるような気色ばみで切り返した。 ﹁お耳へ入れたのは、このほうだった。何かの世間ばなしが出た折にな。それが御辺には、まずかったか﹂ ﹁よくもわるくも、昨日のことは昨日と過ぎた。今日はその質ち子しを当城へ差上げにまいったのみ。……その子は当年十一、田舎育ちにて、体もひよわい者でおざる。ご面倒でも、お返しいただける日までお預かりねがいたい﹂ ﹁筋違いだ。質ち子しのことなど、何で道誉があずかり知ろう。鎌倉殿の使者へ渡すがいい﹂ ﹁ところが、はやお聞き及びのはずだが、矢やは作ぎノ宿にて、それがしの手の者が、使者の宿所へ夜討をかけ、一行みなごろしにいたしてござる。どうもぜひなき次第にて﹂ 全然、退屈な中でする話みたいなのである。道誉はぴらと頭をかすめられた。こいつはほんとの馬鹿なのではあるまいか。魯ろど鈍んな兆候は以前からのものではあったが、善意に、むしろ大器のように、こっちで勝手に解釈していたことかもわからぬ。と思ってみると、高氏のうすあばたまでが急に白々と馬鹿げて見えた。 ﹁なにをいうかと思えば﹂ と、道誉は内心の興ざめを、露骨にして。 ﹁――矢やは作ぎの件を、ぜひなき次第とは、どういうご料りょ簡うけんだ、道誉にはさッぱり分らん。じつ申せば、今暁、そのことはここへも早馬で聞えておる。足利が鎌倉殿のお使いをみなごろしにした、あきらかに、足利むほん、と﹂ ﹁されば、海道の途中で、はやそのような不用意をなさしめたのは、なんにせよ高氏のまずさでおざった。とはいえ、わが足利五千騎は、豹ひょ軍うぐんの気負い、血気、また破竹の勢い、押さえようもありませなんだ……。それは道誉どの、じつに恐ろしいほどだ。渇かわいている今の武士どもの欲望は。――おそらくは、天下のめぐまれぬ武士、みな同様かとおもわれる﹂ ﹁では……では何か、御辺は鎌倉殿へのむほんをば、自分でもみとめるのか﹂ ﹁いかにも。人は知らず、そこもとには、とうからようご存知のはずだった。隠してみても仕方がない﹂ 高氏はなお、静かに。 ﹁この高氏がむほんと聞いて、そこもとが、急に愕がくとするいわれはなかろう。天下をくつがえす下した拵ごしらえにかけては、そちらは高氏などよりも、一日早い先輩だった﹂ ﹁ば、ばかをいえっ﹂と、道誉は激したが、落着きを取りもどして言った。﹁……ははあ、三河党に焚たきつけられ、うかと野望に立ち上がッたものの矢やは作ぎの破はた綻んからここまで来て立ち往生のほかなく、あわれやもう血迷うたな﹂ ﹁それは佐々木氏、そこもとらしいが﹂ ﹁足利殿っ、ここは伊吹の城中だぞ﹂ ﹁武者隠しには、武者を隠してあるということか。そうか。外聞をおそれるなら、ほかの席へ移ってもよい。たしか大庭の遠い隅には茶堂があった。……十一年前、一夜のごやっかいになった折は、茶をと、そこの茶堂へ行きましたな﹂ ﹁それがどうした﹂ ﹁おわすれか。茶堂の外に家臣をぐるりに立たせておいて、この高氏を抱き入れるおつもりだったか、そこもとは、日野俊とし基もと朝あそ臣んとの大事な秘密を打明けた。かつ、朝廷に、幕府討伐のもくろみが密々はこばれているともいわれた﹂ ﹁…………﹂ ﹁やがて正中ノ変となった。あまた宮方の人々は、斬られ、流され、むざんな犠に牲えとなるを見たが、佐々木道誉の名は出ても来ぬ﹂ ﹁出ぬはずよ、あれは違う﹂ ﹁どう違う﹂ ﹁当年、無断上洛の又太郎高氏をこころみたまでのことだわ﹂ ﹁では、それもよし。しかし先年、後醍醐のきみの隠岐送りにあたって、獄中から護送の途々、何かと、奉ほう仕じをつくしたのも﹂ ﹁武士のなさけ﹂ ﹁すると、源げん中ちゅ納うな言ごん具とも行ゆき卿きょうを、六波羅から鎌倉へ差さし下くだすさい、伊吹のふもとで首斬ッたのも、武士のなさけか。なるほど、その前夜、愛えち知が川わの宿では、具行卿をよろこばせ、おなさけぶかいことでおざった。はははは﹂ 高氏はとつぜん、ばかでかい声を発して、なにもかも、かなぐり捨てるような調子で、あぐらの片膝へ、一方の肘と肩とを、らいらくに落して見せた。 ﹁なあ佐々木殿、いや佐々木と呼びすてるぞ。もうお互いに、腹の底の腹巻は脱とろうではないか。当家へは、さぐりの者も入れてある。じつは何もかも、つつ抜けにわかっていたのだ。その代りそちらの息がかかっている者も、足利家の小者溜りにいただいておる。五分と五分だ、ここまでは一切が五分で、一切が両人の碁ごか双すご六みたいなものよ、ほんとの知己に至るまでの闘いだった、としようではないか。……どうだ佐々木﹂ ﹁…………﹂ ﹁いやならよせ、拾ってやらぬ。いささか高氏を知る者と思い、他日天下の分け前も取らせてやろうと、急ぐ道をも、わざわざこれへ立寄ったのだが、はなしに乗らぬものはぜひもない。惜しい男だが、自滅を待つか﹂ いうだけいったふうである、いやまだいくらでもある余地をみせて、高氏は庭のほうへ顔をそむけた。一とき、その眼はらんと光ってみえた。いつか陽も夕めいた濃い木蔭には槍の光がしきりに遠くを歩いている。武者隠しのふすまの蔭にもコトと小さい物音が二、三度した。しかし道誉はそれも自分の呼吸も忘れていた。ただ目の前の横顔を睨ねめすえていた。 ころそうと思えば殺せる。生け捕ろうとすれば生け捕れる。いまなら、道誉の意のままだろう。 その危険を、高氏が感じないはずはない。が、感じていないかのようである。――庭へ眼をやっている。危険極まりないことだ。 もっとも高氏にすれば、ここへ臨むときからすでに、八方やぶれでいるのかもしれない。しかし、それならなんで不いさ知や哉ま丸るを連れてきたのか。一子不知哉丸を質ち子しとして預けると提言したのか。 ﹁足利﹂ やがてであった。道誉も彼を呼び捨てに。 そして、喉のへんで圧しつぶされたような声とひとつに、ぼってりと柔軟なその体を、膝ぐるみ、ぐいと前へのり出していた。 ﹁お、道誉﹂ 高氏も彼を正視する。 その眸を道誉はとらえた。ねばりッこくいつまで相手を離さなかった。なお奥底のものを見極めようとするのらしい。こういうとき、彼の如き人間の眼気には長く耐えられないのがふつうだが、高氏はふんわりしていた。つい先に瞳どう孔こうをちらつかせたのは道誉の方であった。 ﹁訊くがの、足利﹂ ﹁なんじゃ﹂ ﹁勝算はあるのか、勝算は﹂ ﹁なくてどうする﹂ ﹁おとろえても、相手は天下の幕府だぞ﹂ ﹁知れたものよ﹂ 人を吸いこむような柔らかい顔でいながら、高氏は揶や揄ゆを弄ろうしていた。 ﹁恐こわいのか、道誉﹂ ﹁むほんをくわだてながら、恐ろしくないなら嘘だ、大きなばくちではあるまいか﹂ ﹁いやこの身には、賽さいはもう投げられたのだ。投げられたあとは恐さなどもない。腹をきめたらそれが分ろう。まだ、きめられぬのか、お身ほどな人物でも﹂ ﹁…………﹂ ﹁畿きな内いの戦場へ共に出よとは決して申さぬ。ただ高氏の質ち子しをこれへ留めおくゆえ、お身はこのまま伊吹にあって、素知らぬ顔で見ていてくれ。高氏のする仕事を﹂ ﹁それでよいのか﹂ ﹁どんな勲功にもまさる大功としよう。きっと、後日にはその功におむくいする。また高氏が今日、質ち子しをたずさえて来たわけも、一にはそこもとの疑心を解くため。二には、すぐあとから、不破へさしかかって来る名越尾張守の軍を、わずか一時でよい、質ち子し不知哉丸を証として、足利に叛心なしと、巧く、たばかッてもらいたいためなのだ﹂ ﹁…………﹂ ﹁それも長くはあざむけまいが、今後十日のうちには、関東の野から、べつに叛旗をひるがえす者があらわれる。それまでの時を稼かせげばまずよいのだ﹂ ﹁えっ、東国の野から?﹂ ﹁む。新田が起たつ。上野国の新田小太郎義貞も、その遠くは、足利と同祖の家。――これまでの反目も水にながして、同時に起つ密約もすんでおる。――あとは、同じ源氏の名門では、御当家だけだが、賢明なそこもとが、ここを踏ふみ過あやまるはずはないと、新田も見てれば、またかくいう高氏も、十年らい、この目でみてきた佐々木道誉だ、かたくその者を信じてこれへ来たわけだ。わかろうがの、こうまで申せば﹂ 道誉も急に腹の底をかえていた。高氏はほんとにおれを信じている! そう彼も信じ込んできた容子だった。 さもなければ。――高氏が単身でこれへ来るなどの離れ業に出るわけもない。また、われから我が子を質子に連れてくる馬鹿もあるまい。 こうすべてに、あけっ放しな高氏が、彼には次第に利用価値の大きな愚直そのものにおもわれてきたのであった。 よし、ここは恩を着せておこう。望みどおり“むほんの旗”を進めさせ、倒幕の荒仕事は、ぞんぶん、彼にやらせておけばよい。そして、その収穫は、悠々とあとから我が手に収める工夫をしてもおそくない。――とっさに彼はそう考えた。軍事には自信もないが、その方には自信があった。 ﹁足利!﹂ ふいに、道誉は立上がって、 ﹁見せるものがある﹂ と、壁の前へ歩いて行った。 そこを押すと、壁の一端が袋戸のように開いて、抜ぬき刀みを持った三名の武者が檻おりの豹ひょうみたいにかがまっているのが見えた。腹心の家来、田子大弥太、早川主膳、民谷玄蕃などだった。 彼らは、主君の唐突な行為にあわてて、 ﹁あっ?﹂ と、ひとしく辱じるような顔を、まぶしげに、しかめ合ったが、 ﹁去れ﹂ と、道誉はなんの廉れん恥ちのふうもなく、あっさり命じて、その者たちを追いしりぞけた。そしてそれを心証と見せるかの如く、高氏へいったのだった。 ﹁質ち子しとはいわぬが、せっかくお連れになった不知哉丸とか。たしかに、道誉がお預かりするとしよう!﹂ ﹁おう、承諾してくれるか。それで当家との黙契も成ったとわかれば、士気はまた一だんと振うだろう。ではすぐ不知哉丸をこれへよんで﹂ ﹁いや、待たれい。前途お心はせくだろうが、そうきまったら、ちかいのしるしに、一酌しゃく汲くもう。――そのあいだに、野のが上みの御陣へ急使をやって、気を揉んでおるお味方をのこらず、さっそく不破の内へ通し、こよいは、ほど近い柏かし原わばらに、野営を命じおかれてはどうか﹂ 柏原には、道誉の妻子の館がある。そこへ足利勢の駐屯をゆるしたなどは、さっそくな彼の協力のしるしにせよ生やさしい好意ではない。大度量のあるところを、道誉も、高氏へ見せようとしたものか。 いずれにしろ、ついに、打開が見られたのだった。高氏は、供の桃井直常の弟、直なお和かずをよんで、細こま々ごまと旨をふくめ、 ﹁急いで行け﹂ と、野上へやった。 じつは彼も、あとの直義だの、三河党の血気どもが、何をしでかさぬ限りもないと、気が気ではなかったのだ。 同時に、不破口の兵へも、道誉の命が、行きわたった。――それらの指揮をば、道誉は席を移してから、例の茅かや葺ぶきの茶堂で居ながらに取っていた。そして高氏と酒くみ交わしながら、いよいよ、機密な熟談に入っていた。 ――もう暮色が降りていたのに、内からは、灯を求める声もしなかった。そしてただ、水屋ざかいの壁の蔭に、さっきから、身をかがめていた女があった。女の白い横顔は一本のこぼれ針みたいに、しんとそこの暗がりに澄みきっていた。 ﹁よく飲あがるな﹂ 道誉すら、高氏の飲み振りには、目をみはった程である。高氏は、ぼうと、おもてに紅こう霞かをただよわせて、 ﹁美味くてならぬ﹂ と、弾はずむのだった。 ﹁あの頃とは、だいぶお手が上がったの﹂ ﹁さよう。十一年もたてば、高氏とて、すこしは大人になり申そう。それにこの伊吹へまいると、なぜか大酔がしたくなる。かつまた、今日は二人の間に、一いち蓮れん托たく生しょうの約がむすばれためでたい日だ。酒の美う味まからぬわけはない。が道誉、貴公はまずいのか﹂ ﹁いや、飲んでおる﹂ ﹁はなしは、すんだはずだな﹂ ﹁確しかと、すんだ﹂ ﹁ならば、もそっとお身も飲み給え。もし高氏が、武運つたなく、野のず末えに屍かばねをさらしたら、道誉、おぬしに、くれてつかわすよ﹂ ﹁なにをば?﹂ ﹁あとの天下をだ﹂ ﹁まだ取りもせぬ天下をば。あはははは、これは、少々ご機嫌におなりとみえる﹂ ﹁うむ、上機嫌でおざる﹂ 大きく、うなずき込んだ首を、高氏は襟もとふかく埋めていたが、やがて、虹のような息と共に、面を上げて、ニヤニヤと相手を見ていた。 ﹁いかにも! まだ取りもせぬ天下の皮算用などは止めにしよう。それよりは、確しかとここにあるもので、おぬしという一個の男、おれという一個の馬鹿な男。そう二人だけの仲ではなしたいことがあるが﹂ ﹁何を﹂ ﹁おいよせよ。そんな立派な顔はするな。断っておいたではないか、もう密盟の話のほうは打切りだと。これからは凡愚と凡愚の交わりで行くのだ。その引出物に進上したいものがある。受け取ってくれまいか﹂ ﹁貰おう、馬か、太刀か﹂ ﹁そんなものではない。美しゅうて愛いとしいものだ。おぬしにもおれにもな。……が、思いきって連れてまいった﹂ ﹁はあて、何であろ﹂ ﹁藤夜叉だ﹂ ﹁えっ?﹂ ﹁こうなるのもぜひがない。元々は当家お抱えの田でん楽がく女ひめだ。そして、おぬしがひそかに咲かせよう心でいた蕾つぼみだった。十一年前の花盗人が、それを返しに来たような巡り合せか。花はちと、褪あせた色だが、まだ御未練は充分におありと見た﹂ ﹁よいのか、それで。……それでそっちの胸は﹂ ﹁ははは﹂と、高氏は自分の声を遠くに聞くような自嘲で言った。 ﹁よいも悪いもあるまい、高氏は負けたのだ。なにしろ、ひどい執念の恋がたきだった。ざまはない!﹂ ﹁いや、こちらもだ﹂ と、道誉は大いにあわてたらしい色をかくして、大おお容ように、ふてぶてしく、笑って退のけた。 ﹁御同様に、ざまはない。だが女嫌いの御辺が持つより、やはり花は風流なあるじの室がいいかもしれぬ。花も倖しあわせにちがいない﹂ そのとき、武者の早い足音がここへ近づいていた。それを知ってか、茶堂の水屋にひそんでいた女の影は、さっと、野の生き物みたいに裏の疎そり林んのうちへ消えて行った。夜やし叉ゃと男おとこ
西にし曲ぐる輪わの客殿は、“梅の丸”とよばれている。庭前庭後、すべて梅園だからであった。
客殿に客のある夜は、吊つり燈どう籠ろうに灯が入る――こよいは珠を連つらねたような灯があった。――しかし廊に人影の往き来もなく、灯のあるため、かえって、ふだんの夜より寂しくさえ思われた。
するといま。――遠い疎そり林んの方から、飛鳥のような迅さの物が大庭を過よぎって、客殿の北端れにある水みず仕したちの下しも屋やの軒下へさっと隠れこんだようだった。けれどそのままなんの変ったこともなく、どこかで寝ぼけ鶯が一ト声啼いたのと、そこの水屋戸がガタと鳴って、山の冷気がすうと、内へ通った気がしたにすぎなかった。
﹁たれじゃえ?﹂
水仕部屋の障子の内で、お下はし婢たのひとりが言った。けれど、野狐かむささびの悪わる戯さぐらいに思われたことなのだろう。また、にぶい明りと戯ざれ声を元のように、閉じこめている。
が、奥へとつづく黒い下しも屋やろ廊う下かには、はっきりと、水気に濡れた足あとが残されていた。――その人は外で足まで洗って静かに入って行ったとみえる。やがて、幾曲がりした客殿の廊の奥深くまでくると、彼女は、ほっと、肩も膝もくずしきった姿で、しばらく一ト間のうちに坐っていた。
藤夜叉だった。
昼、伊吹城へ着くとすぐ、桃井直常に付きそわれて、不いさ知や哉ま丸るともべつに、ここの客殿におかれていた彼女であった。
ところが、彼女にすれば、ここは故郷といってもよい所だった。およそ城内の勝手ならどんな隅々までも知りつくしていたのである。たとえ桃井直常が表に監視をおいているにしろ、なんの拘こう束そくでもなかったのだ。
そのうえに。
ここへ来て、ここの山さん巒らんの気に吹かれると、彼女の乙女時代の性が眼をさましたようによみがえっていた。元々、田でん楽がく村むらの一少女だった彼女の根からの血が俄にそよぎ立てられて、その本来な、つよい生を持ち直したものか、いずれにせよ、矢やは作ぎの柳堂で、一いち途ずに死のうなどとしたような、女の型どおりな弱い女ではなくなっていたのであった。
﹁死ぬほどなら、いのちにかけても……﹂
彼女は暗い中で、たれへともなく、唇を噛んでいた。高氏とも会って、いちどは、この恨みを、としているような一念の眸であった。
その高氏と道誉との、男同士の勝手な話を、彼女はさっき、茶堂の物蔭にいて、すっかり聞いていたのである。もう涙などこぼれもしない。――おのれの大望とやらのためには、子まで生ませた女を品物のように易い々いとして他の男へ譲るという高氏も憎いし、また、女の生命を、おもちゃか何ぞのようにしか見ていないあの道誉はなおのことだった。いくら憎んでも憎みたらない口惜しさだった。無念さだった。
﹁……おお、こよいを過ごしては、またと恨みをいえる日もあるまい。朝ともなれば、殿は、軍いくさへ立つにきまっている﹂
藤夜叉は、やがて立った。姿は、よろめいてさえ見える。そして燭台のある一ト間へ移ってそこの鏡かが蓋みぶたを開けていた。
やがてほど経へて、桃井直常の声がどこかでしていた。細殿の外から内の灯影をたしかめてでもするように、
﹁藤どのでございますな。そこに、おいででございましたか?﹂
と、念を押すように言っている。
藤夜叉は、化粧を直していたのである。すました櫛くし笥げなどを片寄せながら、さりげなく簾すの蔭で答いらえていた。
﹁え、藤夜叉です。そなたは﹂
﹁今日、お供をしてまいった警固の桃井にござりまする﹂
﹁この身はまさか罪人でもありますまいに、なんで警固が要いるのでしょうか﹂
﹁いや悪くおとりくださいますな。万一の惧おそれもあれば、明朝までは、かたく宿との直いを勤めておれと、殿のお心遣いをうけたまわっておるだけに過ぎませぬ﹂
桃井は何も知らない様子だった。けれど、万一とはどういう意味で高氏が言ったのか。藤夜叉はすぐ男の無情に挑いどまれて瞋しん恚いの炎ほむらになるのであった。
が、桃井はそんな彼女とも気がつかずになお言っていた。
﹁ところが、たそがれふと、どこにもお姿が見えぬと騒ぎおりましたゆえ、役儀上、伺ってみたまでで、決して、監視の眼を光らすなどの悪意でではさらさらございませぬ﹂
﹁では、この身をさがしていやったのか。ホホホホ﹂と、わざとらしく。﹁ふと庭へ出て、庭をあるいたのですよ。心ないことでしたの﹂
﹁いやなに、お夜食の時刻でもございましたので﹂
﹁夜食?﹂
と、ちょっと、間をおいて。
﹁それよりは、不知哉丸は、どうしていますか﹂
﹁ここの侍女たちと、遠くのお部屋で、はや双すご六ろく遊びなどに、他たあ愛いもない御様子にございまする﹂
﹁……そう﹂
と、彼女のそれは、母の安心感に沈んでいたというよりは、もっと深い孤独の底の声だった。
﹁桃井どの﹂
﹁はっ﹂
﹁どこぞに、料紙とすずり箱はありませぬか﹂
﹁持参いたしましょう﹂
直常はいちど退がって、ふたたびそれを持って、簾すのそばまで行った。
彼を待たせて、彼女は筆をとりあげていた。稚拙な、子どものような仮名文字で、やっと、短いことばを書きつづった。そして、いちど封じかけたが、また、なに思ったか、ふところの守り袋を出して眺めていた。
――それは十一年前、初めて、高氏とここで会ったときに、変らぬ契ちぎりのしるしにと、高氏から彼女へ与えたもので、香こう苞づとの折おり表びょ紙うしに似た金きん襴らんのうちに畳まれている地蔵菩薩の御すが影ただった。
﹁……あ?﹂
と、そのうちに驚いたのは、それを簾すの外から見ていた桃井直常の方で、彼女自身は手の墨筆で、いきなりその地蔵菩薩の像を、綾あや十じゅ文うも字んじに、黒々と、なすりつぶしていたのであった。
もう無造作に、それを手紙の内へたたみ入れ、さらにべつな料紙で封をした上へ、
殿へ
と、だけ書いたのを、藤夜叉は、桃井の手にわたして、そして、頼んだ。桃井は、このとき初めて、なにか異常なものを彼女の眉に知って、つい、高氏への取次ぎを、恐こわ々ごわながら引きうけて退がってしまった。
一方の茶堂では、宵すぎから茶堂らしくない殺伐な酒景を呈していた。たそがれ高ノ師直や仁木義勝らの一隊が、着陣の報をかねて、柏かし原わばらからこれへ来ていたし、また佐々木方の重臣も加わって、両家合体の約が成った祝杯とばかり、その談合に、沸きかえっていたのであった。
つまるところ、上下一体、天下分け取りの分け前に、ひとしく気が立っていたのでもあるが、しかし、
高氏
道誉
の、じつは異いむ夢どう同しょ床うの二頭目だけは、やや趣おもむきがちがっていた。いつか軍事上のことなどはそッちのけで、どっちも負けず劣らずの酒呑み大将といったような恰好だった。
﹁すでに一約の上は﹂
と、二人とも、赤裸になりあっているようにみえるが、酒に寄せて、じつは複雑な腹のうちの闘いを演じていると思われないことでもなかった。
もちまえの毒舌をしきりに弄もてあそぶ道誉にたいして、高氏もぐでんぐでんな態ていで、彼の婆ば娑さ羅らな若入道ぶりを、手ひどく揶や揄ゆしたりするのであった。
相互の家臣は、はらはらしていた。
せっかくな約も一ぺんに破れ去るかと、いくども、酒の気を吹きさまされたほどである。だが、ふたりの舌ぜっ頭とうの火花は、火花とみえた瞬間に、大きな笑い声となり、また、一同の爆笑となっていた。――とはいえ、そのあぶない酒戦は、見ているだけでも気がちぢまった。夜もふけたし、無事なうちにと、相互の家臣は、引き分ける潮どきばかりうかがっていた。――で、ほどなく道誉は、腹心たちにささえられながら、蹣まん跚さんたる足どりで、茶堂から本丸のほうへひきあげて行ったのだった。そしてまた高氏も、設けられたべつの寝所へと、しきりに、うながされていたが、
﹁いや、おっくうだ。ここでいい、ここで﹂
とばかり、彼は、茶堂の書棚の数冊を取ってそれを枕に、大の字なりに眠ってしまった。
ぜひなく家臣たちは、夜の具ものを着せかけて、そっと杯はい盤ばんをとりかたづけ、やがてみな、疎そり林んの外で、夜営の支度にかかっていた。そして、そうした外の物音も寂せきとひそまり返った頃である。高氏はふと、眼をひらいてみた。むずむずと、袂の内から取出したものを、枕元の一穂すいの灯にかざしながら、横になったままで、飽くなく見入っていたのであった。
殿へ
と、封の上に、藤夜叉の筆てがいかにも幼い。
さっき、まだ杯盤もちらかっていたうちに、桃井から師もろ直なおの手をとおして、そっと彼に渡されていたのであった。
封は切るまい
と、しているらしかったが、殿へ、としてあるたった二字にさえ、その拙つたなさには、そのまま藤夜叉の生い立ちやらすがたが見えるようだった。どんな高い教養の香のある美しい筆蹟よりも、それに窺うかがわれる知性の幼稚さは、かえって無性に高氏の心をあわれませてきた。という以上にも掻きみだした。――で、つい封は切られ、そして披ひらいてみると、一そうたどたどしい文字ばかりか、べつに黒々とばってんされた地蔵菩薩のお顔も出てきた。
うそつきです
あなたは
うそつき地蔵です
こんな物 こうしてやる
一生がい 恨んでやる
死ぬものですか
あなたは 私が
死ねばいいと思っている
にちがいないけれど……
あなたは
うそつき地蔵です
こんな物 こうしてやる
一生がい 恨んでやる
死ぬものですか
あなたは 私が
死ねばいいと思っている
にちがいないけれど……
藤夜叉の乱脈な筆は、こんな意味に読みとれる。
白い紙へ、女の怨みつらみを、抜け毛みたいにバラ撒まいたかのような感情ムキ出しの墨の痕が、しどろであった。だのに、ぜひとも今夜、むかし二人が初めて会ったあの梅園のほとりへ来てくれという、凡ただの女の哀願も、切々と書かれてある。
そして、夜すがらでも、私はそこにお待ちしているでしょう、もし来てくれないなら、じぶんにもさいごの決心があると、そこだけは、男にとれば強迫とも感じられるような烈しいことばづかいを、そのまま筆に使っているのでもあった。
﹁…………﹂
やっと、読み判じてきて、高氏は一そう女があわれまれた。嫌けん厭えんも憎しみもわかず、いよいよ不びんを増すばかりなのが、彼を、だらしのない、一個の懊おう悩のうの男にしていた。
やはり彼も藤夜叉を愛していたというほかはない。こんな愛憐を一人の女に集中して、理性も何も失いかけるなどは、これまで彼も覚えなかったことだろう。とつぜん、自分の中の埋うずみ火びがあげた炎に、どうにも寝つかれない寝返りを、いくどとなくしている高氏としか見られなかった。
かえりみると。彼の大望の素志が固まったのは、彼が藤夜叉を知ってまもない後からのことだった。――かの鑁ばん阿な寺じの置おき文ぶみは、そのときから彼の青春を、或る未知数な日までの、氷の中に閉じこめてしまっていた。
それの野望へ賭けた人知れない忍にん辱にくの生活裏では、長いあいだ、彼に一日の退屈も心の弛しか緩んもゆるさなかった。まったく一面の或る人生すらも忘れさせていたのである。――妻はあり、また側室も、ふたりほどはあったが、そして、性欲の燃えもあるにはあったが――それはそれにすぎなかった。特に一人の女に、恋々と、想いわずらうなどという遊戯はついぞ心に求めたことがない。その部分は今日まで氷ったままであったのだ。それが今夜は、はしなく、一個の惑溺の男を、みずから見ずにいられなかった。それとまた、道誉と闘って飲んだ宵からの大酒もむかむか胃の腑に手つだって、高氏は、いつにないもがきを寝姿に描くのであった。
すると、そのうちに。とつぜん、彼は夜の具ものを刎はねのけた。
そして陣座羽織をぬぎ、えぼしもそこにおいて、ばっと、茶堂の水屋口からおもての闇へ出て行った。すぐ、それと気がついたものとみえ、つづいて宿との直いの師直が、
﹁……殿っ﹂
と、どこかで呼びかけると、高氏は一ト声、
﹁来るな!﹂
と、叱るように後ろへ言った。そして疎そり林んのそばのささ流れへかがみ込むと、口のなかへ指を突ッこんで、がっと、宵からの酒を吐いていた。
来るな、といわれても、師直は寄って行って、おあるじの背をさすらずにいられない。
﹁……いかがなされました。……殿。……お薬でも持たせましょうか﹂
高氏は苦しそうであった。吐いたあとも、流れへ、かがんだままでいた。
からになった胃の腑に、すがすがしい落着きを持つと、高氏はやがて、顔を水面にひたして、その水しずくを、横に拭きこすりながら身を起した。そして、口にもふくんでいた水を、こころよげに吐きすてて、
﹁師直か﹂と、下を見すえ﹁――大事はない﹂
と、しいて白く笑った。
﹁いやお顔いろもすぐれず、ほどなく四更こう︵夜明け︶にもなりましょう。暁とともに、ここは御発足の手筈にございますが﹂
﹁おおよ、それでいい﹂
﹁しかし時刻をのばしても、充分お寝やすみをとって御出馬のほうがおよろしくありますまいか﹂
﹁なんの、いらぬ斟しん酌しゃくだ。少々常より酒量を過ごしたまでのこと。それよりはの、師直﹂
﹁はっ﹂
﹁いっそその辺をひとめぐり歩いて来る。だが、尾ついて来るなよ。そちばかりでなく、たれも来ぬように、ほどよい所で見張っていてくれ﹂
高氏はもう先へ歩いていたのである。師直は追わなかった。跪いたままでそれを見送っている。彼には、とっさに分ったのだ。やがて、にゅうっと、髯だらけな中の目鼻が苦笑をたたえ出した。
――高氏の影は、十一年前の記憶をたどりながら、大庭を避けて、梅の木の多い方へとさまよっていた。だが、うすら覚えも残っていず、遠いあの夜の、白々とした花だの春の朧おぼろが思い出されるのみだった。そして今夜は、匂う風さえもない。暗い梅若葉の蔭に、毛虫であろうか、夜光虫のような物が、かそけく、露の音に交じって光るだけだった。
﹁……。お﹂
彼は足をとめた。
つと、彼の目のまえに自分の影をさらした藤夜叉も、すくんだように、うごかずにいた。
﹁藤夜叉﹂
﹁…………﹂
また、ややまをおいて、
﹁藤夜叉、待っていたか﹂
と、寄って行った。
そして高氏は自分の心が命じるままに、ただの男になって彼女の肩へ手をのせた。女の誤解をなだめて、その不びんな恨みつらみに、ことばを尽して、よく得心を与えてやろう。それは当然な男の償つぐないでもあるし、また後々のためにもと、思い直していたことだった。
だが、藤夜叉は、
﹁白々しい﹂
いきなり肩を外して、憎そうに、その手を振りはらッた。そして、
﹁殿﹂
と、恐い目で睨みつけた。その顔は、怨おん霊りょうの女の、つやのない白さをたたえて、息づかいからして、すでにただではなかったのである。
ぎょっとして、高氏は、
﹁これっ﹂
叱りながら、無意識に体を退いた。すると彼女は、とたんに、その胸にむしゃぶりついて、体じゅうを揉んで泣いた。
怨むにせよ愛するにせよ、彼女の慟どう哭こくにはなんの交じり気もあいまいもない。高氏が自己を大望へ賭けているように、彼女も男へ賭けていた。全生命で泣くのであった。その黒髪へは高氏もつい、心にもない、しかし本心でもあるような、愛撫をみせずにいられなかった。とはいえまた振りほどこうにも、振りほどけない女の吸着力を知ると、彼は自分が恐かった。
﹁気がすんだろう﹂
すこしおちついたのか。彼女もやっとゆるい嗚おえ咽つを余していた。で、高氏はその重たく濡れている顔へそっと言った。
﹁藤夜叉。……おまえとの仲もこれだけのことだった。そう思ってくれい。伊吹はおまえのふるさとだ。ふるさとへ帰ったつもりでこれからは倖せに送るがいい﹂
﹁倖せに?﹂
彼女はわれから肩を振りほどいた。しかし、燐りんに似た眸が、男を焦やいた。
﹁なんのことです? 倖せにとは﹂
﹁ま、おちつけ﹂
﹁いいえ、いまこそ、私は夜叉です。殿という憎い男を、責めずにはいられません。食いころしてもあきたりない﹂
﹁わるかった。高氏がわるかった。こう、あやまる﹂
﹁そらぞらしい﹂
なぶられた炎のように、かえって彼女の盲目な手が烈しく高氏の体を突いた。けれど、男の革胴や具足の五体は、石像か金物のようで、刎はね返かえされた感じでしかなく、それがまた、とつぜん彼女の悲泣を誘って、あらぬ口走りとなっていた。
﹁ち、畜生﹂
﹁なに﹂
﹁あなたは、鬼か畜生ですっ。まだ何も知らなかった私をとらえて、この梅ばやしの花の木蔭で、いやおうなしに、私の一生をきめてしまったのは、あなたという男ではありませんか。こうなったのも、あなたのせいだ。このさき、どんなことになってもあなたのせいです﹂
﹁しっ、静かにいえ。だからこそ高氏もわびておる﹂
﹁もうそんな優しげなお口にはのりませぬ。これまでのこともみな嘘ばッかり……。なに一つ誓ったことは果たしていず、あげくに、ここはおまえのふるさとだ、ふるさとに帰ったつもりになれとは、あんまり虫がよすぎます。このままになどいるものですか﹂
﹁ではどうする﹂
﹁一生つきまとって、あなたを責めずにおきませぬ﹂
﹁高氏のくるしむのが、おまえの眼にはたのしいか﹂
﹁でもあなたこそ、ご自分の大望とやらを遂げるためには、私などは、どうなってもよいのでしょ。いいえ、その恐ろしいお望みのため、この私までを、伊吹の入道の生いけ贄にえにささげたではありませんか。何もかも夕がた私は茶堂のかげで聞いていました。あなたは私を天下取りの道具につかい、道誉は私をおもちゃにする。そんなために、十一年もの間、藤夜叉は、待っていたのではありません。女にも女の一念はある、生いの命ちはある。これからは身まま気まま、思うざま、男に恨みを返してやりまする。きっと、おぼえていらっしゃいませ﹂
﹁それもよかろう﹂
さからわずに、彼は言った。
﹁恨むなら恨め。わしはおまえを憎いとは思わぬだろう。また生涯忘れもしまい。不いさ知や哉ま丸るをも生んだ女だ﹂
と、聞くと、彼女のどこかで瞬間、べつな女が、切なそうな息を内へひいた。不知哉丸を思い出させるなどは、むごい言だったのである。
高氏は悔いたが、追いつかなかった。それは女の心理をなお夜叉そのものにしてしまった。
﹁あなたは父てて御ごのおつもりか。その父御があの和子に、何を親らしいこと一つでもしたでしょう。けだものすらも、子は可愛がる。子を質として人手には渡すまいに﹂
﹁哮たけるな、男には男の情、女の知ったことではない﹂
﹁さもしいお方だ、そんなにまでして、身の栄花が欲しいのか。天下とやらを取りたいのか﹂
﹁だまらぬか﹂
﹁だまりません! あなたは、ご自分の慾よくしか知ってないんでしょ。慾のためには、女も売り、子を捨てても﹂
﹁藤夜叉﹂
﹁なんです﹂
﹁ならばいうぞ﹂
﹁いってごらんなさい﹂
﹁そなたはすでに、他人の女ではなかったのか。さ、なぜ道誉へ身をゆるした﹂
﹁ひぇっ﹂
﹁おめおめ、この高氏の前へ出られた女ではあるまいがの﹂
﹁…………﹂
﹁それは、道誉の罠わなに落ちた過ちではあったろう。が、なぜいいつけを破って都へなどさまよい出たか。ああ! ……いやよそう、いうのもおろかだ﹂
﹁もしッ……﹂と藤夜叉は叫びかけて泣きくずれた。そのまま、地の底へ沈みこむようなもがきをしばらくしていたが﹁いいえ、いいえ!﹂と、自分を打つように、その黒髪を掻き上げて――
﹁言ってください。お胸のいえるまで仰っしゃってください。そのことは、私から言いたかったのに、言えないでいたんですっ。……殿っ﹂
と、高氏の足もとへすがりついた。それには巨木も揺れそうな必死の訴えと悔いがわかった。しかし高氏は恐れるように、その藤夜叉を力まかせに蹴とばした。そして、たまらない自己嫌厭の中に吹きくるまれていた。
女を挟んで道誉と争いたくなかったし、また道誉という男を滲にじませて藤夜叉を見たくもなかった。つい、口にしたのが浅ましかった思いなのだ。どこかでは、打消しえない潔癖が女の肉体を憎み、そのくせ、あわれで、ふびんで、ならないのである。それが足蹴になっていたのだった。
﹁もっと、仰っしゃって!﹂
彼女はまたからみついた。そして嵐のような烈しさで、せがんだ。
﹁もっと打って!﹂
﹁うるさい﹂
﹁打ってッ﹂
﹁ちっ、どうなとなれ﹂
肉の音がした。地が哭ないた。そして、地を抱いた彼女は、それでやっと、こころよい苦痛と、あふれ出る或る満足にちかいものにその泣きじゃくりを次第になだめられていた。――やがて、どこかで師直の声がし、また高氏が去るとわかっても、そうしていた。火みたいな頬のしびれを、手の中に抱えて、甘い痛みだけを、あたまの芯しんで追っていた。
やがて、彼女はたれかに抱きおこされていた。高氏でないことはもう知っていたのだろう。素直に起きあがり、そしてものもいわず、うなだれたまま、どこへともなく歩みだしていた。
﹁藤どの……﹂
呼ぶ声に、その後ろ姿は、初めて人がいるのを知ったようにふりむいた。
青い朝がいつか明るみかけている。自分の涙で濡らした大地のあとに、師直の影が、うッすら、歯をむいて笑っていた。
﹁よかった。……どうやらお心を取り直されたか﹂
﹁…………﹂
﹁一人の男に迷はぐらされるたび、いちいち狂乱していたら、女の一生は狂気のしどおしで送らにゃならぬ。こんな世にばかげていよう。しょせん女にょ性しょうにしても強く生き抜くしか生きようはおざるまいがの。ま、ご短慮はなさらぬことだ﹂
﹁…………﹂
ちらと見ただけで、藤夜叉はまた足を先へむけていた。いちど見過ごしていた師直は、急に二十歩ほど躍って、いきなり彼女の背を後ろからかかえこんだ。
﹁……のう。ご縁なあって、矢やは作ぎの陣からずっとお世話申してきた師直だ。これからも変らずにきっと蔭でのお力にはなり申そう﹂
﹁…………﹂
﹁殿は元々、ああしたお方だ。無情というものではおざらぬ。いずれは若ぎみと共に、藤どのの身も、伊吹から迎え取るお胸でいるには相違ない。あなたさえおいやでなくばだ。……またこの師直もそうなるように、お側にあっておすすめする。……ま、ここしばしのご辛抱だ。あの道誉のごときは、どうにでも、お口のさきでだましておかれい﹂
はっと、師直は彼女から手を離した。そのとき伊吹城の鼓ころ楼うの太鼓が、突とつと、鳴り響いていたからだろう。
すでに中門の遠くには武者のむらがりが朝霧のうちにきらめき出し、茶堂の疎林にも馬のいななきが流れた。師直はあわてて、もいちど、藤夜叉の肩ごしに、ひと言ふた言、柄にもない優しいことばをいていた。そして、駻かん馬ばの如く身をひるがえすやいな彼方の疎林の下を駈けくぐって行ってしまった。
﹁……もう朝か﹂
彼女には何か、自分の棺ひつぎでも出す日の朝雲みたいに空いちめんも、むなしかった。――が急に、敏捷なひとみを持って、その影は、野兎にも似る迅さで梅の木のあいだを縫ぬい、そして物見山の小高い所へのぼっていた。
まもなく、朝霧のやぶれをとおして、さんさんと、騎馬甲かっ冑ちゅうのながれが近くの目の下に望まれだした。一陣はいま矢倉門を出た佐々木勢の軍勢か。そして、おそらくは佐々木道誉を先頭に、高氏以下の者を、柏原の本軍のいるところまで、見送ろうとするのではあるまいか。
﹁どこに?﹂
彼女は高氏の姿ひとつを眸にさがした。男のすすんでゆく野望の道には、一人の女など路傍の花ほどでもなかったのだと、彼女は知った。それなのに彼女はなお男の行くてのけわしい道に幸さちあるようにと気を揉まずにいられなかった。そして抜け殻のような身を茫ぼうと祈りのなかにおいて或る観念にいやおうなく達してきたとき、初めて一すじの光を心のすみが見つけていた。