折々の記

吉川英治







稿()()
著者












 
 鹿
 
 
とび込んで手にもたまらぬ霰かな
 
 ()()
 
けふも春恥かしからぬ寢臥かな
 
 
日の恩やたちまち碎く厚氷
 
 
 
草まくらむすぶ假寢の夢さめて常世にかへる春のあけぼの
 も私の好きな一つであるが、原惣右衞門の一首、
かねてより君と母とにしらせんと人よりいそぐ死出の山みち
 
 
 
 祿
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 ()姿
 
 
 
 
 
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もののふの戀はほのかにゆかしくあるこそよけれ
 
 
 祿
 
 祿
 
 ()
 



 
 
 鹿
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 宿便
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
――いよいよ戰ははじまりましたが、どうせ何十年もつづくでせうから、あせつても仕方はありません。世のなかでは、からさわぎをして、がやがやしてゐるやうですが、あれでは教育も、修養も、増産も、あまりうまくは出來ぬでせう。重大時局になればなるほど、皆が、持場をシーンとまもつて、こつこつやるのが眞劍なので、人が軍艦の三隻や五隻を沈めたとて、何もさわぐには當らないと思ひます。(以下略)
 



 ()()
菊の咲く日本に生れ日本ばれ
 
 
 
 
 姿
水仙に戯作の恥を思ふ朝
 これは、數年前の元旦につぶやいた、自分の句である。



 
 
 



 
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 滿滿滿
 
 鹿
 
 



 簿
 穿姿U+7FA128-5
 
 穿
 辿
 
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 使()
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 31-10()
 ()
 

 
 
 
 
 
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 稿
寢てゐて人を起すな
 の一章に會ふ。
 翁の力行的生涯の事蹟、また、僕ら若輩書生の惰眠を撲つ。
 世には、寢てゐて讀まれざる書もありし。



 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)

 
西
 
 
 西
 
 



 
 
 調
 
 



 
 ()
 
 
 



 
 
 



 木崎光吉氏のお宅で、頼三樹三郎の心事についての意見を拜聽しながら、當年の俊才三樹三郎が友人に宛てた書簡を見た。
 それにも、
お互ひに棺を蓋つた後で恥かしくない歳月を過したい
 
 
僕は慷慨家はきらひ
 




 
 
 
  
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 



 
 



 使
 
 



 
 
 



 
 
 廿
 
 
 祿
 
 
 
 
 綿
 滿滿殿
 
 
 
 
 




 
 使
 



 
 調
 



  
 滿
 
 
 
 



 
 
 
 耀



 
 
 
 
 
 
 
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 宿
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 使使殿
 宿宿
 姿
 姿
 
 
 
 
 
 U+7FA164-13
 便
 



 西
 廿綿
 
 祿
 



 
 西



 
 
 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)



 
 
 使
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 滿
 西
 
遠くなり近くなるみの濱ちどり
なく音に汐のみち干をぞ知る
 

 
 
 使
 

 
 使



 
 
 
 
 
 



 
 
 
 使()()()
 
 使
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
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 西
 
 姿
 



――地方文化振興の適任者として――
 
 
 調
 使
 調
 
 
 
 
 宿
 
 
 
 
 
 
 
 辿



 
 
 
 
 
 
 
 
 調
 
 
 姿
 
 使
  耀沿殿西
 
 
 
 
 
 
 
 退
 
 
 調
 ※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)
 



 滿()
 
  
 105-9沿西※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)
 
 
 
 
 
 
 使
 
 使
 
 
 ()()



 
 使
 便
 
 
 












 
 
 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)
 116-5116-5
 
 
 使滿
 ()()
 119-9
 西西使
 使
 姿姿辿滿
 退
 
 
 使

 126-13調廿127-3
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 姿U+7FA1129-6
 
 廿稿
 
 使
 廿
 
 使
 
 使
 滿滿
 調調
 
 



 

 滿



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 姿
 使
 
 姿
 
 
 姿※(「穴かんむり/樔のつくり」、第4水準2-83-21)
 椿
 
 西
 西
 
 
 使
 
※(「木+射」、第3水準1-85-92)
 
 
 
 椿廿
 
 
 
 西
 



 
 
 ()
 ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)
 
 
 
 



 
 
 
 調()()
 祿
 



 
 
 
 
 
 



 
 
 鹿
 
 
 
 稿



 158-10158-10
 159-2
 
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 調
 
 滿
 
 
 
 
 
 
 



 小説家は、何の書を讀み、何を學び、つとめてどう心がけたらよいか、と質問した弟子に對して、山東京傳は、
()()()
 といつた。



 
 
 
 
 
 



 
 
 
 西
 
 
 
 
 
 
 
 
 ()
 
 
 
 
 



 殿姿



 
 
 辿
 鹿
 
 
 
 
 ※(「風にょう+思」、第4水準2-92-36)便



 
 
 173-8
 
 使



 



 
 
 
 
 調
 
 



 姿
 
 
 



 
 
 使
 
 使使使
 調貿
 調使調
 調調鹿



 
 
 



 使辿
 使
 調退
 
 



 
 
 
 調
 



 宿
 192-4












 
 
 
 
 



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退()
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 

 
 
 
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 使
 
 



 
 
 
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 使

 

 

 



 
 
 
 調
 
 
 
 
 
 
 
 
 祿
 
 
 
 西
 調



 
 



 
 
 
 

 
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 姿
 姿
 姿姿
 
 
 
 宿
 232-6232-6
 
 
 
 
 
 
 
 
 234-5調調
 
 調
 
 
 歿調





 
 ()()
 



 
 
 
 ()()
 
 



 小牧の合戰から關ヶ原までの十七年間。――武藏の一歳から十七歳までの間の――彼の郷土である山間の人心は、どんなだつたらうかと考へるに、その平和中、多少の泰平は謳はれたらうが、なかなか中央に於ける醍醐の茶會とか、桃山文化の、あの爛漫な盛時や豪華ぶりは、夢想もできないものだつたらうと思はれる。
 現に小牧の合戰の時でも、
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()
 
 
――此表、十四五之内に、世上之物狂ものぐるひも、酒醉之醒たるごとくに(後略)
 
 
 



 
 
 
 
 
 ()
 
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 西
 
 ()
 便



 以上、武藏の生きてゐた時代を、その年齡に應じて、四期に分けてみるならば、
天正十二年から、慶長五年の關ヶ原の役までを――(彼の少年期に)
慶長五年から、元和元年の大坂陣までを――(彼の青年期に)
大坂落城の元和元年から、五十一歳小倉の小笠原家に逗留までの間を――(彼の壯年期に)
 
 
 
 
 西
 



 西
 
 



 滿
 使()()()姿滿()()



 
 
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 使
 
 
 
 
我れ事に於いて後悔せず
 と、書いてゐるのは、彼がいかに嘗つては悔い、又悔いては日々悔を重ねて來たかを語の裏に語つてゐるし、又、
れんぼの道、思ひよる心なし
 
 


西


 
 西西()()()()
 西使()()()()()
 西
 西
 西
 
 西西
 西
 
 西()()()()()()()()西()
 
=武士道とは、死ぬことと見つけたり
 
=萬理一空
 で結んである。
 山岡鐵舟の無想劍も、反町無格の無眼流も、要するに、戰國末から徳川初期の間に、「無刀」といひ「萬理一空」といふ所まで行つてしまつてゐる。これ以上、日本の劍道と武士道とに遺されてゐる宿題は唯、科學との合致と、近代生活とそれとの飽和である。再言すれば、鎌倉武士のそれを戰國期から江戸初期に再生したやうに、江戸武士のそれを更に幕末維新の呼吸に革新したやうに、時代の煉冶をかけて、不朽に生かすことであると思ふ。



 使
 姿
 滿西
 
 
 
 西258-6

 
 
 
 
 

殿()
 
 
 

 
 祿
 祿祿
 
 祿

 
 
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 祿
 
 
 ()
 
 
 姿()
 
 
 
 
 
 264-6
 
 
 
 
 
 
 
 使
 
 
 
 
 
 
 
 宿
 便
 
 
 
 
 
 
 
 西西
 
 
 












 
()()
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 稿
 



 
 
 
 
 滿
 
 
 
 
 ()
 
 ()
 
 
 
 
 278-5278-6
 廿
 278-13
 
 ()()
 

 
 
 
 辿
 西
 綿



 ()()
 
 
 
豐葦原ノ千五百秋ちいほあき瑞穗みづほノ國ハ、我ガ子孫うみのこきみタルベキくにナリ、いまし皇孫すめみまゆきしらセ。
 ()()()()
 

 
 
 
 
山は裂け海はあせなむ世なりとも君にふたごころわれあらめやも

 ()() 
 調
 退辿
 
 調
 
 
 
 
國體の心そのものが自分の一身
 



 
――學問をしなければ今の農村からでも遲れてしまひます。然し、學問をすれば今の農村を捨てたくなると私共の友達はみんな云ひます。いつたい何うしたらいいのですか。(後略)

 
 
 
 
 ()
 
修養とは我を愛する者の我への大願
 
 西
 ()
 使
 
 
 
 
 
 ()()
 
 
 
 



 ()
 調
 
 
 
 
 西

 
 ()()()
 

 
 
 ()※(「口+云」、第3水準1-14-87)
 
 
憂き事のなほ此上につもれかし限りある身の力ためさん
 ()()
 
 

 
 
 
 

 
 
 



 
 滿
 滿
 
 ()()宿
 ※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)

 
 
 
 U+7FA1301-13滿



 
 ()()姿
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 ()
 
 ()()

 

 
 祿使
 使
 
  稿
 
長槍ちやうそう大劍たいけん非我事わがことにあらず
ふでをとつてむくはんとほつす聖明君しやうめいのきみ
 と云ふのがあるが、その節齋が、中川親王へ上せた書の中に、
殉國之具は、獨り刀劍のみと爲さず
文筆も亦、殉國の具たり
 



 祿



 
 
 
――近頃は國事横議ばやりにて、悲憤慷慨せざれば人でなきが如く世事相見え候も、由來、昂肩横刀の唾辯家にまことの志あるは見難しと存候小生など元々悲憤慷慨嫌ひの小膽者にて……云々。
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 使
 
 
 
 宿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 ()
 
 
 
 
 
 
 




 あらゆる事相に對して、明確な認識を青年は持つべきである。青年道に、忌避、回避はない。澄徹した觀照の下に、理解を信念化して、常に丹田にすゑて置くべきだ。わけても、金は、精神に對立する最も大きい物的存在である。それに對して、はつきりした心構へと定見を持つことは、云ふ迄もなく、處世の備へであり、又、青年道の大事でもある。――然しながら、私はいはゆる利算の法を説くには適しない人間である。ここに云ふところの信念は、即ち、それに不適な人間の信念であつて、利殖拜金の學問ではないことを斷つておく。

 
 
 
 
 
 
 
 滿
 西滿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 便()
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 ()
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 ()()便
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 






   194217510
   194318314
5-86

39284343
281
1953281225


2013106

http://www.aozora.gr.jp/







 W3C  XHTML1.1 



JIS X 0213

JIS X 0213-


「義」の「我」に代えて「咨−口」、U+7FA1    28-5、64-13、129-6、301-13
「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」    31-10、105-9、116-5、116-5、119-9、126-13、127-3、158-10、158-10、159-2、173-8、192-4、232-6、232-6、234-5、258-6、264-6、278-5、278-6、278-13


●図書カード