今日は二百二十日だが、九月一日の関東大震災記念日や、二百十日から、この日にかけては、寅とら彦ひこ先生の名言﹁天災は忘れた頃来る﹂という言葉が、いくつかの新聞に必ず引用されることになっている。 ところで、よく聞かれるのであるが、この言葉は、先生のどの随筆にあるのかが、問題になっている。寅彦のファンは日本中にたくさんあって、先生の全集は隅すみから隅まで、何回となく繰り返して読んだという熱心な人がよくある。そういう人から、どうもおかしいが、この言葉は、どこにも見当らない。一体どこにあるのか、という質問をよく受ける。 実はこの言葉は、先生の書かれたものの中には、ないのである。しかし話の間には、しばしば出た言葉で、かつ先生の代表的な随筆の一つとされている﹁天災と国防﹂の中には、これと全く同じことが、少しちがった表現で出ている。 それで私も、この言葉が先生の書かれたものの中にあるものと思い込んでいた。もう十五年ばかりも昔の話になるが、たしか東京日日新聞だったかに頼まれて﹁天災﹂という短文を書いたことがある。その文章の中で、私はこの言葉を引用︵?︶して﹁天災は忘れた頃来る﹂という寅彦先生の言葉は、まさに千古の名言であると書いておいた。 ところが、この言葉が、その後方々で引用されるようになり、とうとう朝日新聞が、戦争中に、一日一訓というようなものを編集した時、九月一日の分に、この言葉が採用されることになった。 正月元旦の﹁日本国は神国なり﹂から始まって、三百六十五日分、毎日その日に何かいわれのある言葉を、集めたものである。そしてそれには、いろいろな人が、出所と解説とを書くことになっていた。私は九月一日﹁天災は忘れた頃来る﹂の解説を頼まれ、まず出所を明らかにと思って﹁天災と国防﹂を読み返してみたが、ない。慌あわてて天災に関係のありそうな随筆を、片っ端から探して見たが、どうしても見当たらない。 大いに困ったが、この言葉の方は、すでに慎重な会議をなんべんも開いて、採用に決定していたので、止やめるわけには行かない。それで﹁天災と国防﹂の中にこれと全く同じことが書いてあるという理由で、解説を適当に書いて、勘弁してもらった。 もともとこの言葉は、書かれたものには残っていないが、寅彦の言葉にはちがいないのであるから、別に嘘うそをいったわけではない。面白いことには、坪つぼ井いち忠ゅう二じ博士なども、初めはこの言葉が、寅彦の随筆の中にあるものと思い込んでいたそうである。それでこれは、先生がペンを使わないで書かれた文字であるともいえる。 ︵昭和三十年九月十一日︶