黒板は何処から来たのか

小倉金之助






 調
 使12M. M. Scott使David Murray
 使3

(1)今の東京教育大学の前身 (2)今の東京大学の前身 (3)『ダビット・モルレー申報』(明治六年)。

 使使
 使
「五十音圖ヲ用ヰ、書法ヲ説キ明シテ塗板ヘ書シ、生徒各自ノ石盤ヘ書セシムベシ……。生徒石盤ニ書スルニ當リテ、或ハ細字ヲ書シ、或ハ石盤全面ノ大字ヲ書シ、或ハ亂雜ニ書スル等ノ不規則ヲ生ズル故ニ、教師塗板ヘ書スルトキ、縱横ニ直線ヲ引キ、其内ニ正シク書シ、生徒ヘモ亦此ノ如ク、石盤ヘ線ヲ引キテ書セシムベシ、塗板ヘ書スルトキ、傍ラニ、字畫ヲ缺キ、又ハ筆順等ノ違ヘタル、不正ノ文字ヲ書シテ、其不正ナルコトヲ説キ示シ、生徒ヲシテ其不正ヲ理解セシム……。塗板ヘ書スルニ、字畫ノ多キ文字ハ、二度或ハ三度ニ書スベシ、必ズ一度ニ書シ終ルベカラズ。……」
 また例えば第六級(二年級の前半)の算術については、
「……右ノ如ク暗算ヲ教フルトキ、兼テ二段ノ加算ノ題ヲ塗板ニ書シ、各ノ生徒ヲシテ一列同音ニ、加算九々ヲ誦シテ之ヲ加ヘシメ、其答數ヲ塗板ヘ記スベシ、但シ其記シ方ハ、何レノ位ニ何數ノ字ヲ書スルヤヲ生徒ニ尋ネ、然ル後之ヲ書スベシ。二段ノ加法ニ熟スル後、三段以上ノ題ヲ塗板ニ書シ、生徒各自ノ石盤ニテ之ヲ加ヘシメ、然ル後一人ノ生徒ノ答數ヲ塗板ヘ書シ、各ノ生徒ニ照看セシメ、之ト同ジキ者ニハ右手ヲ擧ゲシムベシ。若シ此答數正シカラザルトキハ、更ニ又、他ノ生徒ノ答數ヲ書シテ、之ニ照準セシムベシ……」
 何かあまりに形式的ではあるけれども、それは兎も角、まことに至れり尽せりの、模範的な説明振りではないか。黒板の使用が比較的短日月の間に広く普及したのも、決して偶然ではなかったと思う。



 使
 Samuel J. MayFrancis Xavier Brosius使
 
 使

 調Claude Crozet
 
 Gaspard Monge使
 使
 Charles Davies



 
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 使



 ここに至って再び出発点に帰ろう。明治の初期に、わが教育がマーレーやスコットによって指導されたとき、わが数学界はどういう勢力の下に置かれたのか。それは当時圧倒的な勢力を占めたのは、いうまでもなくアメリカの数学であった。しかも明治八年頃までの間最も有力であったのは、かのウェスト・ポイント陸軍士官学校のデヴィース――彼は後には他に転じたが――の書であった。それは独り原書で広く読まれたばかりでなく、数種の書物が翻訳され翻案されたのだった。彼の名は漢字で代威斯、第維氏などと書かれた。
 学問文化伝達の歴史は、多く偶然的な要素に支配されるかのように見えても、必ずしもそうではない。問題はむしろ、主として私たち自らの理論・分析の力の強弱に係っているのである。
(一九四七年五月三日稿同年「別冊文芸春秋」一〇月号)
*〔追記〕デヴィースの業績とその日本訳については、『数学教育史』(岩波書店)に詳しい。またエコール・ポリテクニクおよびモンジュについては、『数学史研究』(岩波書店)第一輯および第二輯を参照されたい。




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sogo

2012129

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