私の処女出版、と言つてもそれはついこなひだのことである。丁度一年まへに、私は初めて、﹁落穂拾ひ﹂といふ貧しい小説集を出した。そして私は分不相応な好意を受けた。けれども、好意といふものは、本来さういふものなのであらう。道ばたの雑草に露が降りるやうな。私もまた、これまでに書いたものは、みんな不満である。けれども、愛着といふことは、これはまた別であらう。私は、この本の中にある作品のどれにも、愛着を持つてゐる。﹁わが師への書﹂と﹁聖アンデルセン﹂は、故太宰治が読んでくれたものである。また﹁朴歯の下駄﹂は井伏鱒二氏が﹁落穂拾ひ﹂は亀井勝一郎氏が、それぞれ題名をつけて下さつた。そのほかの作品も、みんな、隠れた好意のこもつてゐるものである。また、自分の最初の小説集が、太宰さんと関係の深かつた筑摩書房から出版されたといふことも、私にはうれしいことの一つである。私はこの本に、ついあとがきを書かなかつたが、この文章がその代りみたいになつてしまつた。 ︵昭和二十九年七月﹃東京新聞﹄︶