一
駒こま田だも紋んだ太ゆ夫うは癇かん癖ぺきの強い理屈好きな老人であるが、酒がはいってるときはものわかりのよい人情家になる。そのときも程よく酔っていた。そのうえ多年の念願だった隠居の許しが下って、数日うちに城北いなり山の別宅に夫婦だけで移ることになり、すでに荷物も送り出したという状態で、甥おいの庄しょ司うじ千蔵にとっては又とない面会の好機だった。もちろん初めは渋い顔をみせられた。江戸邸から精くわしい手紙が来ていたとみえて、拳固一つくらいの事まで﹁なんたる態たらくだ﹂などとどなられた。千蔵のほうでは覚悟のまえであった。どうせ褒められようとは思っていない、小さいじぶんこの伯父さんが江戸に来るたんびに、癇かん癪しゃくを起こすのが面白くってよく悪いた戯ずらをした。父と酒を飲んでいるとき、汁椀の中へ蜻とん蛉ぼを入れたり、敷いてある寝床の中へ飛ばっ蝗たを二十も突込んで置いたり、帰り際に刀を隠したりした。最も面白かったのは、厠かわやへはいっているとき窓から西すい瓜かを投げ入れたのと、酔って寝ている枕まく許らもとへ半はんを置いて、起きると水をかぶるような仕掛けを拵こしらえたときだ、甲のばあいは夜の厠で蹲しゃがんでいる頭へ西瓜が落ちたらしい、ごつんという音といっしょに﹁ひょう﹂というような奇声が聞えた。乙のときも予期以上に仕掛けがうまく利いて、起上るとたんにざっぷりと水をかぶったが、逆上したのだろういきなり刀を抜いて、無礼者と叫びながら転げている半を斬ったのには驚いた。﹁こいつは碌ろくな者にはならん﹂とその頃から目の敵にされていたので、ぎゅっという目に遭うだろうくらいは暗算して来たのである。ところが小言は割かた軽く済んで、五年ばかり見ないうちにすっかり肥って酒光りの出た赭あから顔も、どうやら隠居らしい温厚なおちつきが表われている。千蔵つい嬉しくなって、世間の親おや爺じという親爺をみんな隠居させたらさぞ安楽だろうと思ったくらいである。 ﹁然しどうしておまえはこう喧けん嘩かばかりするんだ﹂紋太夫の調子はぐっと親愛の調子を帯びてきた、﹁若いうちは有りがちだといっても、おまえのは願を掛けたようじゃないか、就なか中んずくこの仁にや宅け多二郎を殴ったという訳がわからん、仁宅はこっちにいるじぶんおれの役所で使っていたが、ごく温厚で篤実な人間だった、決して喧嘩や口論をするような性質ではない、どういう理屈であれを殴ったんだ﹂ ﹁――あいつあふざけた糸へち瓜まですよ﹂千蔵はぐいと唇をへし曲げた、﹁晩飯を食わせるから来いというんでいったんです、ふところ都合も余りよくはねえだろうと思ってこっちは頑てきに角つの樽だるを持たせていったくらいなんです、ところがあの蒟こん蒻にゃ玉くだまは﹂ ﹁ちょっと待て千蔵、――おまえ酔っているのか﹂ ﹁いいえとんでもない素しら面ふですよ﹂こちらは証拠を見せるために顔を前方へつきだした、それから景気よく話を続けた、﹁ところがあの蒟蒻玉は床間に木で偶くを飾っているんです、然もそれが女の木偶なんです、私はむらむらときたけれどもいちおう穏やかにそいつを取って庭へ抛ほうりだしました﹂ ﹁床間の物を庭へ抛りだすのが穏やかなのか﹂ ﹁だってまだ殴りもしないし喧嘩も吹っかけた訳じゃないんですから、ぽっと出の田舎者だと思うから柔らかく出たんです、それでわかる訳なのにあの頓とん痴ち気きはなんとかいう名工の作だとか、やがて御老職にも成ることだから少しはこんな趣味もどうだとか、詰らない念仏を並べたてるんです、世の中に理屈と念仏と海なま鼠こっくらい厭いやな物はありあしません、我慢したんですけれどもあんまり舐なめたことを云うからつい、――なにしたんですよ、お蔭で酒を一升棒に振っちまいました﹂ ﹁どうもおかしい﹂紋太夫は腕組みをして首を捻ひねった、﹁おまえの云うことを聞いていると駕か籠ご舁かきか魚屋とでも話してるようだ、江戸は言葉がぞんざいなことは知っているがおまえのは桁けた外はずれじゃないか、ふざけた糸瓜だ、晩飯を食わせる、蒟蒻玉頑てき頓痴気、とうてい武士の口にすべきたぐいの語ご彙いではない、いかんぞ千蔵﹂ 酒がはいっていなかったらこの辺で雷が落ちるのである、然し老人の生理的条件は最上であって、寧むしろ甥おいの性格のなかに自分と同位元素のあることを認め、これを撓ため直すこと己れの為すが如くせよとさえ思ったくらいである。 ﹁もっと此方へ寄れ、――﹂紋太夫は声を柔らげて云った、﹁おまえの短気は世間を知らず苦労を知らないところから起こる、人間はそれぞれ感情もあり意地もあって、時には臍へそを曲げたり毒口をきいたりしたくもなるものだ、いいか例えばここでおまえが殴られたとする﹂ ﹁そんなことは断じてありません﹂ ﹁これは譬たとえだ、例えばおまえが殴られたとして、ああよく殴って呉くれたいい気持だ、――そう思うか﹂ ﹁誰がそんなことを思うもんですか、もしそんな奴がいたら﹂ ﹁まあ聞くんだ、いいか、おまえが殴られていい気持がしないとすれば、おまえに殴られる相手だっていい気持はしない、そうだろう﹂ ﹁そしたら殴り返しゃあいいんです、簡単明瞭ですよ﹂ ﹁黙れといったら黙れ、――手も早いが口も減らないやつだ、どう云えばいったい﹂ こう首を捻ったとたんに名案がうかんだ、黄金宝玉の如しとはいえないが一石二鳥の値打はたしかな名案である、老人はひそかにほくそ笑み手を擦った。二
﹁おまえあの雨をどう思う﹂紋太夫は庭のほうを指さした、﹁もう四日も降り続いている返り梅つ雨ゆのようなあの雨をどう思う﹂ ﹁鬱うっ陶とうしくってむしゃくしゃして堪りません﹂彼は見るのも厭だというように庭とは反対のほうへ顔をそむけた、﹁手の届くものならとっ捉つかまえて五つ六つぶん殴ってやりたいくらいですよ﹂ ﹁そうだろう、然し相手が空では殴れまい、――また一つには、もう少し前へ出ろ千蔵﹂ こう云われて、なにげなく膝ひざを進めるとたん、老人は拳を固めて甥の頭を殴った。ごつんと音がしたくらい手厳しく殴った。千蔵の躯からだはひくっと痙ひき攣つり、片ほうの膝と右手とが一種の運動を起こしかけた、これは意識の支配を受けない純粋の筋反射であって、交感神経の鋭敏な個こた躰いには特に著しくみられる現象の一つである。紋太夫は本能的に片手で防ぼう禦ぎょ姿勢をとったが、千蔵はどうもしなかった。人がその躰内から一種の瓦ガ斯ス体を排はい泄せつするときの如く、顔を赧あかくして力み、歯をくいしばった。 ﹁どうした、殴り返さないのか――﹂ ﹁な、ぐ、り、ま、せん﹂千蔵は、歯と歯の間からこう答えた、﹁伯父上には、手は、挙げら、れ、ま、せ、ん、から﹂ ﹁いい心掛けだ、それならまだ望みはある﹂紋太夫は手を膝へ戻した、﹁おまえの短気は世間知らず苦労知らずと云った、詰り自分の感情に走って相手のことを考えない、紙の表を見て裏を見ない、凡すべてに思慮が一方的だから短気が起こるのだ、この雨は鬱陶しい、むしゃくしゃする、然し農家などにはこの雨が天の恵みだ、雨具商人、辻つじ駕かご人足などもさぞ儲もうかるだろう、まあ降るだけ降るがいいとこう考えてみろ、気持は軽くなるし癇癪も起こらないで済む﹂ ﹁はあ、――﹂ ﹁いまおれに殴られて伯父だから殴り返せないと云うが、なぜおれが殴ったかということを考えてみないか、殴られるようなことを昔おれにした覚えはないかどうか﹂ ﹁むかし、――﹂と云いかけて千蔵はああと唸うなった。汁椀の中の蜻蛉、厠の窓から投込んだ西瓜、ひっくりかえった半、その他あらゆる悪戯の数かずが毀こわれた玩おも具ちゃの転げ出るような具合に、ずらずらと記憶から跳びだして来たのだ。﹁なるほど﹂千蔵はこう頷うなずいた。 ﹁おれの云う意味がわかったか、思い当ることがあったか﹂ ﹁わかりました、然し、――﹂ 彼は感に耐えたという風に首を傾かしげながら、つい知らず小さい声で、やっぱりじじい覚えてけつかったと呟つぶやいた。この呟きは老人に聞えたが、それは老人を怒らせるよりも寧むしろ復ふく讐しゅうの快感に酔わせたくらいで、一石二鳥とは即すなわちここを指して云ったものである。 ﹁ここをよく考えろ千蔵、この世の凡ては因果の律に支配されておる、おまえが生れたのはおまえの父と母とが、――えへん、広大な、詰りそうしたことが、原因となっておる、花は蝶に蜜みつを与えて実を結び、源氏を滅ぼしたことに因よって、平氏は源氏に滅ぼされる、因果は昭彰として無駄も掛け値もない、だからして、わかり易く云えば、ここにおまえの癪に障る人間がいて、一つぶん殴ってやろうとするとき、こいつは今おれに肚はらを立てさせたが、こいつがおれに肚を立てさせるようなことをするようなことをおれにこいつが、いやおれが、こいつが、いや待て﹂老人はどうやら修辞法の網にひっかかって汗をかきだした、﹁詰りこうだ、このおれがおまえとする、いいか、そこでおまえのこいつがおれのおまえに肚を立てさせるとするだろう、そこでおれのおまえがおまえのこいつに、おれのおまえに肚を立てさせるようなことをおまえのおれが、こいつが、いやおれが、ええ癇癪が起こる、ばかばかしい﹂紋太夫は手の甲で額を撫なでながら、﹁今日はもうやめだ、また明日来い﹂ こう云ってさっさと立っていってしまった。 千蔵は明くる日また伯父を訪ねた。――だいたいこんど彼が国詰になって来たのは、庄司の家名を継いで三十人組の組がしらに任ぜられたためである、庄司は母方の遠縁に当る姓で、二代まえに絶縁していたのを、こんど再興することになって彼が選ばれた、そしてまた同じ遠縁のうち宇野又右衛門の二女かなを妻に迎える話も定きまっていたのである。――三十人組というのは藩主側近の衛え士じで、江戸と国くに許もとに六十六人ずつ二組になっており、水練、木登り、早道などという特殊の技能者が集めてある、本来が戦場非常のばあいに備えた部署で、泰平には余り使いどころのない役だったが、それが却かえって﹁側近の衛士﹂という虚名と結び着いて、傍若無人、横着僭せん上じょう、高慢不ふそ遜んの気風を唆そそるようになり、現在ではちょっと手に負えない存在になっていた。それなら廃止すればよさそうなものだが、元げん亀き天てん正しょうの頃からの由緒ある職制だし、一つには藩主の意見で、﹁悪童的存在も武家気風の支柱として有るほうがよい﹂という封建的政略的主旨から存続されている訳だった。こういう次第なので、この組を支配する組がしらが難物だった、内には豹ひょ虎うこの如き連中を抱え、外には家中一般との折合をつけなければならない、これは裏りき急ゅう後こう重じゅうの腸ちょ疾うし患っかんを持って三三九度の席に列なると等しく、臀しりを押えて中座するか、とりはずして恥をかくかのどっちか一つと相場が定っていた、それで﹁三十人組を預かるには妻子親族と絶縁してかかれ﹂という金言ができたくらい、嫌われた役目だったのである。三
千蔵に庄司を再興させ、三十人組の支配を宛がうという案は紋太夫から出たものだ。庄司はいずれ中老の席に直る家格なので、ひと修業させる意味もあるし、わる悪戯な甥に眼から火の出るような思いをさせてやりたいという、無邪気な意地わる根性もあった、然しさて当人が来てみると、意地わる根性どころか急になにもかも心配になって、なんとか甥の短気を封じ、まん丸でなくともせめて楕円形ぐらいには勤まってゆくようにと気を揉もみだしたのである。﹁人間には勘忍袋というものがある﹂既にあれから五日めとなって紋太夫の意見はようやく普遍性を帯びてきた。 ﹁おまえも人間である以上は持っている筈だ、まずそれをぐっと緊める、こう――﹂と老人は胸のところでなにかを握るまねをした、﹁こうぐっと緊めるんだ、いいか、さてそこで、こんどは相手の身になって考える、こいつがこんなことを云ったり仕たりするのは、おれがいつか知らずに侮辱したとか、不愉快な思いをさせたなんということがあるのではないか、もしなにもないとすれば、こいつはひどく運の悪いことか思惑はずれがあって癇が立っているんだろう、気の毒に、――こう思ってやる、またどうしても気の合わぬ者とか、厭なやつ、愚図、高慢な人間などはなるべく長所をみつけるようにするんだ、あいつは大嫌いだが鼻はみごとだとか、意地は悪いが耳が立派だとか、愚図だけれども気は好いとか、なんにも取柄はないがこんなに取柄のないということも一つの取柄だとか、根性は曲っているが足は真直だとか﹂ ﹁もしもがに股まただったら、――﹂ ﹁そしたら手とか、背骨とか、鼻筋とか﹂ ﹁それがどこもかしこも曲っているとすると、――﹂ ﹁そうすれば詰り、全体が曲ってるとすれば、詰りそれなりに、統一が取れている訳で、統一が取れているということはそれなりに真直だということになる、――だが口を出すな、話がこんがらかっていけない﹂ ﹁要するに﹂八回めになって、いなり山の別宅まで意見拝聴に出張した千蔵は、もうこの辺で解放されたくなってこう云った、﹁要するに喧嘩をしたり人を殴ったりしなければいいのですね﹂ ﹁それだけではない、ひとを尊敬し、ひとの意見を重んじ、寛厚に付合い、過ちを恕ゆるし、常に勘忍袋の緒を緊めて、――﹂ ﹁わかりました、きっとうまくやりますから安心して下さい﹂ ﹁大丈夫だということが保証できるか﹂ ﹁保証かどうかわかりませんが、今日で八回もお小言を聞きながら、いちども肚を立てなかったとしてみれば――﹂ ﹁申したな、よし、その言葉を忘れるなよ﹂ こう云って老人は止めを刺すようにぐっと睨にらんだ。 実を云うと千蔵はこのとき既に自分の勘忍袋を発見し、その緒をぐっと緊めることに成功していたのだ。一度は家のことで、一度は富田弥六という三十人組の小こが頭しらのことで、――家のほうは狭くて古いのが気にいらず、係りの役所へ捻ねじ込こんだが、いま空家が無いので暫しばらく辛抱して貰いたいということで我慢をした。弥六のほうはかなり危なかった。後で考えると容子を探りに来たものらしい、玄関に立って反り返ったまま﹁いつから出仕なさるか﹂と横柄な口を利いた。恐ろしく反り返っているのでこっちからは顎あごだけしか見えないくらいだった、千蔵は頭がじいんと痺しびれた、臍へそのあたりがむず痒がゆくなり、それが胃の腑ふのところへ移行して来た、従来の経験だとそれは準備完了の徴候であるがそのとき、移行して来たものがなにかにこつんと突当ったのである、胃の噴門部あたりで得態の知れないものにぶっつかり、そこで不決断に停止した、詰りその得態の知れないものが勘忍袋だった訳で、そう気づくなり千蔵は満身の力をこめてその緒を引緊めた、ぎゅっ、ぎゅっと力いっぱい引緊めた。富田弥六はじりじりと後ろへ退った、こちらが返辞をしないでいつまでも黙って立っているので少し不安になったらしい、千蔵はようやく袋の口を緊め終ったので、しずかに﹁この十二日から出仕する﹂と答えた。弥六は﹁この﹂という発音と同時に右の腕で頬を掩おおい、左手で﹇#底本では﹁掩おおい 左手で﹂﹈なにかを防ぐような恰好をしながら、蝗いなごのようにすばやく玄関の外へ跳び出した。この動作の敏速的確さは彼もまた或る種の人物であることを証明するものであろう、然し敏速なる退避行動にも拘らず、拳骨も平手打もとんで来ないのを知ると、彼は︵既に門のところにいたが︶吃びっ驚くりしたように四あた辺りを見まわし、千蔵が依然として玄関に立ったままで、些いささかも暴力的所作に出る容子のないのを慥たしかめると、もういちどこっちへ顎を見せたのち、悠々と門の外へ去っていった。……気おくびの出るほど聞かされた伯父の意見と、この二つの経験、就中勘忍袋の発見に依って、千蔵は新生活に対する自分の力量に確信を持っていたのである。四
世の中は艱かん難なんの待合室であり、人間は胎内より業ごう苦くを負って生れるという、されば人生は風雪を冒して嶮けん難なん悪路を往くが如く、二十四時寸刻の油断もならぬ酷薄苛烈なものである、千蔵は組がしらとして役所へ勤めだすなりそれを知った。彼は三十人組の士風作興という任務を授けられていた。かれらの傍若無人と横着高慢はその本分を尽さないところに原因がある、木登り、水練、速足などという、それぞれの特技に精励勉強させれば、しぜん謙抑温順になり節義道徳を守るであろう、こういう意見に依って千蔵の任務は計量公課されていたのである。――出仕の第一日は老職の前で組下の小頭五人に紹介され、更にかれらの案内で詰所へいって、六十人の組下に紹介された。この儀式はごく単純なもので、要するに﹁庄司千蔵が今日からおまえたちの組がしらになった﹂という布告である、ところが儀式が終ったとき千蔵は極めて怪けげ訝んな印象を受けた。それは組がしらに就任したのは六十五人のかれらであって、自分はかれら全体を長官とする唯一人の部下であるという気持だった。海辺の蟹かには時し化けの襲来を予知するそうであるが、事実とすれば、庄司千蔵にも蟹的予知力が有ったに違いない、彼の受けた印象は誤らなかった。かれらが正しく長官であって、然も長官族の中で最も長官らしい長官だということは、就任十日めにして次の如く証明されたのである。 ﹁ちょうど季節だから泳ぎの稽古を始めたいと思うがどうだろう﹂ 千蔵はその小頭である須井栄之助を呼んでこう云った。 須井栄之助は﹁結構ですね﹂と答えながら、えいと叫んで片手を振り、眼の前に飛んでいる蠅をあっさり掴つかんだ、蠅捕り蜘ぐ蛛ものような男である。 ﹁――ではいつ始めようか﹂ ﹁さよう、いつでもいいでしょう﹂ ﹁明日からでよかろうか﹂ ﹁いいでしょうな﹂ ﹁では明日からとして、場所や師範者は定っているのだろうな﹂ ﹁場所は川でも海でも沼でも池でもお好み次第です、お城の濠ほり以外はどこで泳いでも心配はありません、師範者というのは私は知りませんが、御希望なら捜させましょうか﹂ ﹁御希望――﹂千蔵は唾をのんだ、﹁自分は別に希望もなにもないが、従来それでは師範者なしにやって来たのか﹂ ﹁誰が、なにをです﹂ ﹁其そこ許もとの組下たちで、水練を師範者なしにやって来たのかと訊きくんだ﹂ ﹁私たちがですか﹂栄之助はけぶなことを聞くというようにこちらを見た、﹁――どうしてまたそんなことをお訊きになるんです、私たちは水練なんかやりあしませんしやりたいなんて思ったこともありませんよ、明日から始めるというのは組がしら御自身の話じゃなかったんですか﹂ ﹁――――﹂ 千蔵は歯をくいしばって勘忍袋の緒を緊めつけた、袋は厭いやをしたり藻も掻がいたり、痙けい攣れんしたり縮まったり、ぐっと伸びたり跳ね上ったりした、彼は汗みずくになって格闘した結果ようやくそいつを捻伏せたが、栄之助は不作法にも、﹁水練組に水泳ぎをやれだなんて妙なことを聞くものだ﹂こう呟きながら立っていった。千蔵は眼をつぶって歯ぎしりをした、それから思考を転位させるために、﹁えーと今日は、今日はなにか用事があった筈だが﹂などと空言を云ってみた。たしか用事はあった。その日は午後からいなり山へいって、伯父の家で宇野又右衛門の二女と会うことになっていた。然し栄之助との問答と勘忍袋との格闘で、疲労困こん憊ぱいした結果まったく忘れてしまったのである。今日は、今日はと十遍も云ってから﹁よし今日は晩飯に鰻うなぎを食おう﹂と呟いた。鰻うなぎと下城するまでにしゃにむに鰻のことを考え続けていた彼は、家へ帰るなり家僕にそれを命じた。ところが一言のもとにはねつけられたのである、﹁この土地には鰻なんかあござりやせん﹂にべもない返辞だった。だい体この秀六という家僕は横着な怠け者で、否、――それどころではない、その時玄関へいなり山から使いが来て﹁皆様が待ち兼ねている﹂ということを息せき切って伝えた。千蔵は思わずああしまったと呻うめき、着替えもそこそこ家をとびだした。まえに記したとおり宇野のかな女とは既に婚約ができ、十一月には祝言をする予定であるが、そのまえにいちど会って風貌性格を知って置きたいという要求から、その日の会合が企画されたのだ、但しその﹁要求﹂は彼のものではなくかな女の提出にかかるものであって、率直に云えば﹁会合﹂ではなく一種の﹁召喚﹂だったのである。千蔵がこの事実をどう考えたかは云うまでもあるまい、然し彼は勘忍袋を片手に緊めて、須井栄之助と一刻以上の遅刻と水練と鰻とかな女のことで頭をいっぱいにしながら伯父の家へと駆けつけた。いなり山の客室では宇野夫妻とかな女と主人の紋太夫が待ち草くた臥びれていた、否そんな生ぬるいことではない、待ち勢い待ち挑み待ち熾さかっていたと云うべきだろう。紋太夫は甥の顔を見るなり﹁なにをしていた﹂と呶ど鳴なった。之これに対して千蔵は片手で汗を拭きながら﹁役所で泳いでおりました﹂と答えた。﹁役所で泳――﹂と紋太夫が眼を剥むき、又右衛門が失ふき笑だした。かな女は仏像の如く端正に坐り端正な眼と端正な鼻をこちらへ向けて端正に千蔵の顔を眺めていた。五
中秋名月の招待と、かな女が仏像の如くあらゆる点で端正だという、二つの収穫を持って彼は自宅へ帰った。なにしろ﹁役所で泳いだ﹂という失言と、手を放せば暴れだしそうな勘忍袋の心配と、頭の中で嘲ちょ笑うしょうし手を叩いている須井栄之助の幻像とで、どんな話題が出たかなにを答えたかすらまるで記憶がない、帰る途中の或る町筋で鰻を売っている店をみつけたが、﹁なるほどこの土地には鰻なんかあ無いんだな﹂と感心したくらいあがりにあがっていたのである。 千蔵が有あり賀がね子の之は八ちを呼んだのはそれから半月ほど後のことだった。有賀は速足組の小頭であるが、六尺豊かな恐ろしく肥えた躯に所有されていて、素人が見たのではその巨大な肉塊のどこに彼自身がいるのか見当がつかないくらいだった。水練組との交渉をひとまず延期した千蔵は第二の交渉相手としてこの子之八を選んだ。肥え過ぎた人間は概して善人だという、殊に有賀は肉躰的にも精神的にも百事超然たる風格にみえたから、須井の如く悪あく辣らつな逆説を弄ろうする惧おそれはないだろうと考えたのだ。ところがこれは非常な浅見だった、子之八の風貌が百事超然にみえるのは、脂肪の極大堆たい積せきに依って全皮膚の表面張力が限度に達しているため、全身的にも部分的にも心理の反映たる表情能力を欠除していたからで、その巨大な肉塊を掻かき分わけて現われた実際の子之八は、千蔵の予想などとはまったく違う人品だったのである。 ﹁仰おっしゃることがよくわかりましぇん﹂千蔵の問いに対して彼はサ行に癖のある悠長な口ぶりでこう反問した、﹁稽古とはいったい、どんな稽古でしか﹂ ﹁速足組だから速歩法の稽古をするのではないのか﹂ ﹁ああそれでしか﹂彼は悠ゆっくり点頭した、﹁それなら勿もち論ろんやっておりまし、せれともやっていないとでも仰さるんでしか﹂ ﹁そんなことは云わないが、今後なお組織立った方法でいっそう﹂ ﹁いや御安心下しゃい、みんな実に達者なもので、それは実に吃驚するくらいでしから、その点なら実に塵ちりほどの御心配もありましぇんでし﹂ ﹁それはそうだろうが、役目のことであるからなお﹂ ﹁いや大丈夫でしとも、なわも蓆むしろもない金の草わら鞋じに太鼓判でしよ、慶徳院さまの御治世に臼うす鉢ばち百兵べ衛えという速足がいたそうでし、間坂山が崩れて七郷の田が流れたとき、彼の百兵衛は半日で二十一里十二町を往復したそうでしが、いま私の組にいる井田典九郎なずはあなた、実に並足で半刻五里という記録を持つくらいでしからな、尤もっとも寿門院さまの御治世に一人、後に相法院さまが久くら良か加へ平いの髭ひげをおりなせった折、――あれは慥か蛇だら卵ん論議といって江戸屋敷でも評判だったそうでしから御承知かも知れましぇんが、蛇が鶏小屋へ卵を盗みに来るに就いて、いや牝めん鶏どりを瞞まん着ちゃくするために瀬戸物で卵を作るそうでしな、なぜ瞞着せなければならぬかというとでし、牝鶏というやつは卵を産むと、――﹂ 千蔵はもう聞いてはいなかった、両手で懸命に勘忍袋を押えつけ、眼をつむり歯を噛かみ緊めながら、宇野のかな女が仏像に似ていることや、このごろ家僕の秀六が立ったままで自分にものを云うことや、いちど江戸前の蒲かば焼やきを飽きるほど喰べたいなどということを考え続けた。子之八は約二時間も饒しゃ舌べったのち、再び巨大な肉塊の中へもぐり込みその肉塊を運搬してたち去った。人間の感覚器官のうち視聴の二覚ほど天あま邪のじ鬼ゃくな唯物論的な無拘束な自由主義者はない、例えば眼のことにしても、芝居などで贔ひい負き役者のぎっくりきまる表情を見ようとするときとか、疾走する列車の窓から林間の川原で乙女が素裸で水浴しているのをみつけ、慌てて︵もちろん美的感性から︶振返るときなど決して希望どおりに見えた例しがない、にも拘かかわらず見たくないもの、面を外向けたくなるような事物は必ず見える、厭になるほどはっきり見えるうえに記憶の原板へ焼付いてしまう。耳もそのとおり、セラックの甘美な田園描写曲の細部を聞き取ろうとか旅館で隣室の、――否、若夫婦の否、詰り、――戦争中来襲機と味方機との爆音を聞き分けようとするときなどてんから役に立たない癖をして、聞きたくない音、耳を掩おおいたいようなものは実によく聞える、聞くまいとすればするほどかさに掛って聞えるうえにこいつも記憶の石へ碑文のように彫付いてしまう、悪七兵衛が眼を剔てき出しゅつしゴッホ殿が耳をちょん切った所ゆえ以ん実にここに存するのである。千蔵は眼をつむり他よ処そ事を考えていた、子之八の姿を見ず声を聞かぬために懸命の努力をした。にも拘らず数日のあいだなにを見ても子之八に見え、耳の中では蛇だの相門院さまだの井田典九郎だの瀬戸物の卵だのが﹁しぇーん、しぇーん﹂と唸うなったり叫んだりし続け、夜もおちおち眠れないくらいであった。 千蔵を取巻く家中の状態はその前後からはっきりし始めた。彼等は確認したのである、江戸屋敷に庄司千蔵という暴れ者がいる、短気で手が早くて恐ろしく喧嘩に強い、こんどそいつが来るそうだからみんな気をつけろ、こう噂うわさをしていた当人が、現に来て四五十日経つのに喧嘩のけの字も見せない。小当りに当ってみても温順の如く鄭てい重ちょうに、或いは鄭重の如く温順に受流す許ばかりで、短気なところなど爪の尖さきほどもみつからなかった。 ﹁あの評判は嘘っぱちさ、大丈夫まるで腰の抜けた猫だよ﹂ 家中の観察はこのように廻れ右をしたのであった。六
水練にも速足にも背負投げをくった千蔵は、中秋名月の数日まえに木登組を打診してみた、こんどは小頭を避けて、奥野兵衛という温おと和なしそうな組下の者を呼んで話した。 ﹁私がですか﹂兵衛は眼を瞠みはり、﹁私が木登りを――あの子供がやっているあいつを﹂こう云って急に屠とじ場ょうへ牽ひかれる羊のような声をだした、﹁お願いですそれだけは勘弁して下さい、私はもう三十七歳で妻もあれば、子供の六人もある人間ですから﹂ ﹁この稽古が年齢や妻子に関係があるのかね﹂ ﹁考えてみて下さい、この髭を生やした、鬢びんの毛に白いもののみえる男が七八つの腕白みたいにえっさえっさと木登りをやる、――否え勘弁して下さい、私は構わないとしても妻や子供が可哀そうですから、どうか私の妻子に泣きをみせないで下さい、妻や子供を憐あわれんでやって下さい、お願いです﹂ 千蔵は彼を退らせてやはり組下の吉よし木きた多ざ左え衛も門んを呼んだ。これはむやみに快活なまだ若い明けっぴろげた男だったが、話を聞くなり﹁本当ですか﹂と膝を乗出した。顔が活気だちぺろりと舌なめずりをして、恐ろしく張切ったうえ声をひそめた、﹁本当にお許しが出るんですか、まさか騙だますんじゃないでしょうな﹂ ﹁役目のことで騙すなんという訳はない、然し、――﹂千蔵はちょっと不安になった、乗気になって呉れたのは有難いが、どうもあんまり乗気になり過ぎるようである、これ迄までがこれ迄だからこれ迄の手とは違う手を打つかも知れないと思った、﹁然しまさか感違いをしているのではないだろうな、稽古というのは木登りのことなのだが﹂ ﹁ええ感違いなんかしやあしません木登りです、手と足を使って樹へ攀よじ登のぼるあれでしょう、わかっていますよ、ちょうどこれからしゅんに向うときですから申し分がありません、早速やります﹂ ﹁――しゅんに向う﹂千蔵は相手を見た、﹁木登りにしゅんがあるか﹂ ﹁御存じないんですね﹂こう云って吉木多左衛門は更に膝を乗出した、﹁御存じなければお教えしますがね、木登りは夏から冬がしゅんで面白いんですよ﹂ ﹁少し考えよう、――﹂ 千蔵は手を振りながら今日はもういいと退らせた。世の中がいかに多くの艱難に満ちているか、生きることがいかに困難な味気ないものであるか今こそ身にしみて千蔵に了解された。彼は厳粛になり人生に頭を垂れた、今こそ彼は、﹁世間なるもの﹂の定価は、千蔵にとって恐ろしく高いものについたのである。 宇野家から中秋名月の招待を取消して来たのはその翌々日のことであった、﹁雨になりそうだから﹂という理由であるが、当日は朝から晴れて終夜皓こう々こうたる名月が眺められた。尤もっとも千蔵は眺めた訳ではない、彼はその日城を下るとき、本丸の桝ます形がたの処で知らない人間にぎゅっと油を絞られた、向うから来た三人伴づれとすれ違うとたん、﹁待て﹂と大きく呼止められた、振返ると三人がぐるっと取囲んで、﹁いまおれの刀へ鞘さや当あてをしたがなにか遺恨があるのか﹂と云う、こっちはまるで覚えがなかったが、相手は喧嘩にする積りらしいので謝った。低頭して﹁申し訳がない﹂と謝った。 ﹁おれは槍組の葉山津太郎という者だ﹂相手はこちらをこう上からねめおろした、﹁心得のために聞いて置こう、詰所はいずれで姓名はなんというか﹂ そして千蔵が名乗ると、相手はほうと眼を丸くし、態わざとらしくじろじろ眺めながら、すると本当なんですなと云った、﹁貴方の勘忍袋が牛の革で出来ているというのは、まさかと思ってたんだが本当なんですなあれは﹂ そして三人でげらげら笑いながらたち去った。﹁勘忍の革袋か﹂と高声に嘲あざけりながら、――幸いにして当の勘忍袋はたいして暴れもせず、ただ腋わきの下へ冷たい汗が出ただけだった、然し勘忍袋が牛の革で出来ているという言葉がいつまでも耳について離れず、食もたれでもしたように胸が重いので宵のうちから蒲団を被かぶって寝てしまった、﹁勘忍の革袋か、――だがいいじゃないか、これでおれの勘忍強さも正札が付いた訳だ﹂こう思って満足し、月なんか勝手にしろと嘯うそぶいた。七
革袋には正札が付いた。こうなれば千人力である、観月の招待を取消した宇野家からは、間もなく婚礼延期の通告が来た、﹁些いささか得心なり難きことあって﹂のことだという、人にはそれぞれ事情があるものだ、宜しい、彼は承知の旨を答えた。なにしろ千人力である、城中で聞えよがしな蔭口を耳にしても、通りすがりに態と突当られても、牛の革で出来た袋はもうびくともしない、役所での彼の席は段だん隅のほうへ押詰められ、小頭たちがまん中へのさばり出てきた、いいじゃないか、席が逆になったって天変地異が起こる訳もなかろう、富田弥六は立派な顎だし、有賀子之八は隅になんぞいられる躯じゃない、﹁人間は勘弁と折り合が大切だ、そこで初めて世の中が泰平無事におさまるんだ﹂――いかにも、泰平無事ほど結構なものはない、人類永遠の理想は恒に自由と平和であるから、然しこれほど求めて得難く、求め得て永続きのしないものはない、筆者は永遠の平和を信じない如く革袋の正札も信じないだろう。なぜなら﹁正札﹂はいつでも付替えられる仕掛けになっている物だからである。果して、革袋の正札の剥はげる日がやって来た、付替えではないさっぱりとり取られる日が――。 残暑の返ったような暑い日のことだった。城から家へ帰って来ると、千蔵の居間に家僕の秀六がごろ寝をしていた。肱ひじ枕まくらで長ながと寝そべって、好い心持そうに鼾いびきまでかいて眠りこけていた。千蔵の腋の下に冷汗がにじみ出て来た、これは勘忍袋が温和しくなって以来の生理現象である。 ﹁まあいい、――﹂彼は暫く家僕の寝ざまを眺めた後でこう呟いた、﹁秀六だって同じ人間だ、たまには風のよく通る広い部屋で午睡もしたかろう﹂ それから足音を忍ばせて静かに寝間へゆき、着替えをして、汗でも拭こうと裏へ出た。そして井戸端で半へ水を汲くみ、顔を洗おうと跼かがんだ時である。彼は水の面へ妙な人間の顔が写るのでぎょっとし、急いで後ろを振向いた、もちろん誰がいる訳でもない、そこで改めてよく見るとどうやら自分の顔のようである、たしかにどこかしら見覚えがある、﹁おれの顔だ﹂と云い張る自信もないが、﹁おれの顔じゃない﹂とも云い切れない。千蔵は不安になった。手拭を抛りだしたまま急いで寝間へ戻り、長持の中から鏡を取出した、縁側の明るい処へいって坐り、熟つくづくと鏡の面を瞶みつめたが、半の水面に写ったのと少しの違いもない、﹁慥かにこれはおれだ、――が、これは決しておれの顔じゃない﹂いったいなに事が起こったのだろう、彼は鏡を置き腕組みをした。どのくらい考え耽ふけったことだろう、居間のほうで﹁あっーあ﹂という大きな欠あく伸びが聞え、どたんと足を投出す音がした。そのとたんである、どたんと足を投出す音といっしょに、千蔵の胃の噴門部のあたりでぷつんとなにかが千切れ、﹁ぶれい者﹂という叫びが口を衝いて出た。まったく無意識の叫びだったし、ああおれはなにか呶ど鳴なったなと気づいた時には、既に居間へとび込んで秀六の枕まく許らもとへ立っていた、﹁――起きろ、五躰満足でいたかったら自分の部屋へ退れ﹂家僕は夢でもみていると思ったのだろう、ぽかんと口をあけて主人を見上げたが、とつぜん恐怖の悲鳴と共に腰を抜かし、﹁うな、うな、鰻はあります、鰻はあります﹂と血迷ったことを喚きながら、畳の上を這はい這い逃げていった。千蔵はまだ鏡を持っているのに気がつき、ちょっと覗のぞいて床間へ置こうとしたが、吃驚したように慌ててまた覗いた。それから縁側へ出てゆき、鏡の面を拭いてよくよく眺めた……自分の顔である、慥かに、紛れもなく庄司千蔵の顔である、﹁ははあ﹂こう彼は頷いた、﹁ははあ、――﹂弁証法を借りるまでもない、この二つの顔の表明するものがわからなければ、それこそ頓痴気であり蒟蒻玉である。なにをか疑うべき、千蔵は鏡を置き声を張って﹁秀六これへ来い﹂と叫んだ、秀六は跳んで来た。千蔵はそっぽを向いたまま、﹁おれが我慢を切らしたということはわかるだろう﹂ ﹁へえ﹂ ﹁断わって置くがおれの拳骨は痛いうえに文句なしの待ったなしだ、眼の玉が二つとも飛出した奴があるから気をつけろ﹂ ﹁へえ、よ、よくわかりました、それで鰻を﹂ ﹁買って来い、荒いところを五人前だ、酒も付けるんだぞ﹂ そして彼は右手で拳骨を握り、それをぶんぶんと唸るほど振廻した。秀六は眼をつぶってけし飛んだ。正札は剥がれた、さっき胃の噴門部あたりでぷつんと千切れたのは勘忍袋の緒に違いない、胸も腹も裏返しにして大川で洗い晒さらしたようにさっぱりしてきた、筋肉がうずうずして骨が鳴るようである、﹁そんなばかなちょぼ一があるか﹂彼はどかっと坐ってから云いだした、﹁おれの面がおれの面でなくなって革袋に正札が付いたってなんだ、勘忍袋を牛の革で包んでも米の出来がよくなる訳じゃねえ、芋虫は這うもの蜻蛉は飛ぶもの、頓痴気は頓痴気で水練は水泳ぎだ、紋太夫が伯父貴なら甥のおれあ千蔵よ、正法にふしぎはねえまっぴら御免だ﹂ああやんぬる哉、遂に泰平は幕を下ろしたのである。八
新しい幕は明くる朝の城の大手から始まる。登城して来た彼は大手先で葉山津太郎に会った。このあいだの伴れだろう、なにか高声に話しながら三人で歩いてゆく、それが槍組の葉山に相違ないと見るや、千蔵はぐんぐん追いついてゆき、いきなり後ろから力任せに躰当りを呉れた。ふいを食って相手はつんのめった、否つんのめった許りではないみごとに顔で地面に立った。 ﹁ぶれい者﹂こう叫んだのは千蔵である、﹁こんな広い処で人に突当るとは遺恨でもあるのか、なに者だ﹂ ﹁――――﹂ 葉山津太郎は口から石ころを吐出しながら起きた、﹁な、なん、な﹂ ﹁なにがなんだ、はっきり、――やあ、おまえさんはこのあいだの先生だな﹂彼はにやりとした、﹁なるほど、あのときの鞘当ての遺恨か、読めた、読めたとなったら問答はない、明朝六時に的場の森で会おうじゃないか、そこで話をつけよう、約束したぞ﹂ 云うだけ云うと後をも見ずに歩きだした。本丸をまわってゆくとき第二の獲物があった。名は知らないがよく聞えよがしに﹁革袋革袋﹂と云った奴である、こいつはずんぐりむっくり小男なので、追い越しながら、﹁子供がこんな処へはいって来ちゃいけない﹂と叱りつけ、これにも明朝六時的場の森の約束手形を振出した。中の口から廊下へ上ると、富田弥六といっしょになったから、﹁おい、おまえの名前はとんだやろうとも読めるが、洒し落ゃれてるなあ﹂と云った。弥六は眼を剥いて反った、恐ろしく反ったのでまた顎だけしか見えなくなった、﹁ほらまた反りゃあがった、おまえその他に芸はねえのか﹂ ﹁侮辱だ、侮辱だ﹂弥六は金切り声をあげた、﹁断じて赦せない、武士の面目が立たない、みんな証人になって呉れ、証人になってこの﹂ ﹁やかましい、皮のやぶけた太鼓をそう叩くな、口惜しかったら的場の森へやって来い、朝の六時に待ってるぞ﹂ そしてさっさと歩きだした。三十人組の詰所へはいるとうまいことに有賀子之八が猿山四郎次という木登組の小頭と茶を飲んでいた。猿山はいつか奥野と吉木多左衛門を使って嘲ちょ弄うろうした男である。――茶碗と土どび瓶んを前に置いて、有賀と四郎次が差向いでなにか話している。そのまん中をまっすぐに、千蔵がずかずかと通りぬけた。茶碗がすっ飛び土瓶がひっくり返って、熱い茶が景気よく四辺へはねかった。二人はかまいたちとでも思ったのだろう、子之八は我知らず﹁なむとらやあ﹂と唱えたし、猿山は眼をつぶって両手で空気をひっ掻きまわした。﹁茶は焚たき火びの間で飲め﹂千蔵はこう呶鳴った。そして二人がいまそこを通ったのがかまいたちではなく、組がしらの革袋だと知って憤然としたとき、﹁よしわかったなにも云うな﹂と先手を打って叫んだ、﹁話は的場の森でつけよう、明日の朝六時にやって来い、待っているから忘れるなよ﹂有賀は四郎次の顔を見、猿山は子之八の顔を見た。そしてぶるっと身震いをした後もっとよくお互いを眺めた。その時もう千蔵は次の獲物を掴んでいた、本来なら彼の席であるべき場所に、須井栄之助が坐って組下の者になにか云っている。彼はその面前へいって立ったまま相手を見下ろした。栄之助は顔をあげてこっちを見た。千蔵はそれをじっと見下ろしていたが、﹁――まずい面だ﹂こう云ってその廻りをぶらぶら歩きだした。 ﹁なにか仰しゃいましたか﹂ ﹁おれかい、ああ仰しゃったね、聞えたかい﹂振向きもしないでこう云うと、栄之助はさっと蒼あおくなった。 ﹁聞えました。まずい面だというのがはっきり聞えました﹂ ﹁それはめでたいね、耳だけはまあ人並の証拠だ﹂ ﹁それは正気で云うんですか、それとも寝言ですか﹂ ﹁おまえ洒落れたことが云えるんだな栄の字、うん、――ちょいとしたもんだ﹂こう云いながらもまだ栄之助の廻りをぶらぶらしている、﹁然し断わって置くがそれで止よせ、それ以上うっとも云っちゃいけない、おれの拳骨は痛いうえに文句なしの待ったなしだ、両方の眼玉の飛出さないうちに黙るほうがいい、――立たないのか﹂ 立たないのかという言葉は天床や襖ふすまがびりびりいったほどの大喝である、栄之助は下から発ば条ねを掛けられたように跳上った。千蔵はその跡へかっちりと坐り、﹁ここは組がしらの席だ、おれは組がしらだ、席の順序のわからぬやつは庭へ抛りだす、小頭はみんな出ているのか﹂ ﹁――出ておられます﹂蚊のような声で向うから答えたのは奥山兵蔵であった。見ると廊下から焚火の間へかけて、組下の者たちの仰天したような顔が並んでいた。 ﹁おまえ達は向うへ退っていろ、見世物じゃない、小頭はここへ集まるんだ、なにを愚図ぐずしているか、おれは忙しいんだ、てきぱきとやれ﹂勝敗は決した、四人の小頭は憑つきものでもしたようにそこへ坐った。 ﹁みんな出たな﹂千蔵はじろっと眺めまわした、﹁それではこれから布令を出すからよく聞け、三十人組は殿御側近の衛士という許りでなく、元亀天正より伝承する唯一の名誉ある職制で、これに属する者は鍛錬これ努め修身を厳にし、職を涜けがさざると共に一藩の模範たらねばならぬ、鍛錬とはなんぞ、――須井栄之助、おまえの預かる組はなにを以て鍛錬とするか、おまえの組の鍛錬とはなんだ﹂ ﹁――す、水練で……﹂ ﹁はっきり申せ、なんだ﹂ ﹁水練でございます﹂ ﹁よし、猿山四郎次の組はなんだ﹂ ﹁木登りでございます﹂ ﹁有賀は﹂ ﹁速足です﹂ ﹁よし、――水練は水練、速足は速足、富田弥六は三組用達として明日から鍛錬にかかるんだ、布令に従わぬ者は支配へ申し達して屹きっ度と処罰する、わかったか﹂ そして千蔵は座を立ち大おお股またにずんずん廊下に出ていった、更に残りの獲物を探すために、的場の森の約束手形を振出す為に、――そしてその翌朝。九
まだ仄ほの暗ぐらい朝の五時、いま明けた許りの宇野家の門をはいって、こわ高に玄関で案内を乞う者があった。庄司千蔵である、﹁たのむ、たのむ﹂遠慮も会釈もない叫び声だ、奥から家か扶ふが走って来て、﹁お静かにお静かに﹂と制止した、﹁なに御用で、何どな誰たさまでございます﹂
﹁かなどのに伝言がある、こう伝えて貰いたい﹂千蔵は更に大きく声を張って叫んだ、﹁臆病犬をひと纒まとめにして、庄司千蔵の拳骨の音をお聞きにいれる、おこころあらば、的場の森へ六時までに来て頂きたい、宜しいか﹂
そして唖あぜ然んとしている家扶に背を向け、力足を踏んで宇野邸を出ていった。霧の流れる城下町を北へぬける、大馬場を廻って小川の畔ほとりをゆくこと三町、鉄砲的場を取巻いて深い杉の森がひろがっていた。千蔵はまっすぐ森の際までいった、見まわしたが、誰もいない、舌打をして、転げている朽木へ腰を掛けた、﹁――誰か一人ぐらいは来るだろう﹂こんなことを呟いた。
小鳥の囀さえずりが高くなり、霧がうすれた。千蔵は朽木から立ち、伸上って道の彼方を見やった。もうとっくに刻限である、然し誰一人として現われる容子がない、﹁ちょ――﹂彼は舌打をし、右手で拳骨を握ってぶんぶん振廻した。するとうしろで﹁もうお帰りあそばせ﹂という声がした。これには千蔵も吃驚して、あっと叫んで振返った。そこに、――宇野のかな女が立っていた。
﹁あなたは、あなたは﹂
﹁ええ来ておりました、庄司さまよりほんのひと足早く、――﹂
﹁私より早くですって、だってどうしてそれが﹂
﹁昨日のお噂は城下じゅう知らない者はございませんですわ、そして伺ったわたしが、ここへまいらないでいられましたろうか、――﹂
千蔵はじっとかな女の眼を瞶めた、そしていちど全身を見上げ見下ろしてから、改めてまた眼を瞶めた。彼女は仏像ではなかった、彼女自身に変化があったのか千蔵の眼が変ったのか筆者は知らない、﹁なるほど﹂千蔵は仏像でなくなったかな女の眼に微笑を送って頷いた。
﹁私は演説をつかうのが嫌いです、いまの言葉をこのあいだの延期の取消しとみていいでしょうな﹂
﹁――もう何誰もいらっしゃいませんわ﹂かな女は眩まぶしそうに眼をそらした、﹁わたくし家の者には黙ってまいったのですから、もう帰りませんと、――﹂
﹁こいつを見せたかったんだがな、こいつを﹂彼は右手の拳骨を口惜しそうに押し撫でた、﹁然しまた折があるでしょう、そのときは胸のすくようなのを﹂
﹁わたくしにはいやでございますよ﹂
ああみなさん、こう云ったとたんのかな女の眼が想像できるでしょうか、詩人共が何千年このかた讃たたえて来、何万年の将来も讃え飽かぬであろうそのまなざしが。――彼は大馬場の角まで送っていってかな女と別れ、その足でいなり山の家を訪ねた。
﹁伯父上はお起きになったか﹂玄関で千蔵はこう呶鳴った、すると面前へ﹁やかましい﹂と云いながら紋太夫が出て来た、﹁なにを早朝からどなりこんで来たんだ﹂
﹁お返し物があるんです﹂千蔵はにこっと笑った。
﹁返し物とはなんだ﹂
﹁勘忍袋ですよ、とうとうやぶけちまいましたし私にはもう用がありません、きれいさっぱりお返しします﹂
﹁――、――﹂
﹁そして十一月には祝言をやっつけますから﹂彼はこういって叩こう頭とうした、﹁伯母上によろしく﹂