ヨーロッパの北のほうの国には、すぐれた童どう話わさ作っ家かがおります。アンデルセンといえば、みなさんの中で知らない人はないでしょう。それからトペリウス、この人も美しい童話をたくさん書いていますね。けれども、ラーゲルレーヴという名まえはあまり聞いたことがないかもしれません。そうでしょう、童話はほとんど書いてはいないのですから。でも、この人の書いた﹁ニールス・ホルゲルッソンのふしぎなスウェーデンの旅たび﹂︵﹁ニールスのふしぎな旅﹂と短くしておきました︶という童話は、みなさんも読んでみればわかるとおり、とってもすばらしいお話です。ですから、スウェーデンの人たちばかりか、いろんな国のことばに訳されて、よその国の子どもからも、おとなからも喜ばれているのです。 セルマ・ラーゲルレーヴさんは、一八五八年十一月二十日にスウェーデンのヴェルムランドという地方に生まれました。ラーゲルレーヴさんは足がすこし不自由だったせいもあって、小さい時から本を読むことが大すきでした。大きくなったら、詩しや小説や戯ぎき曲ょくを書きたいと思っていました。でも、そのためには、じぶんひとりで本を読むばかりではだめだと気がついて、二十三歳さいのときに女子高等師しは範んが学っこ校うにはいりました。そこを卒業してからは、しばらく女学校の先生をしていましたが、ちょうどそのころ、ある雑誌で懸けん賞しょ小うし説ょうせつを募ぼし集ゅうしました。そこで、故こき郷ょうの伝でん説せつをもとにして﹁イェスタ・ベルリング物語﹂という作品を書いて出してみますと、それがみごとに当選しました。そして、一八九一年に出版されたこの作によって、ラーゲルレーヴさんの名は一いち躍やく有名になったのです。一八九五年まで先生をしていましたが、それからまもなくヨーロッパを旅行して、その時の経けい験けんから﹁イェルサレム﹂という名高い小説を書きました。 一九〇二年には、スウェーデンの教育会から、子どもに読ますための本を頼たのまれました。そこで、ラーゲルレーヴさんは三年のあいだ鳥やケモノの生活をくわしくしらべました。こうして苦心したあげく、ようやく書きあげたのが、この﹁ニールスのふしぎな旅﹂です。これは、ガチョウのせなかに乗ってスウェーデンじゅうを飛びまわる少年の冒ぼう険けん物もの語がたりですが、その旅のあいだに、各地の伝でん説せつや、おもしろい風ふう俗ぞくや、ためになるお話をたくさん聞かせてくれます。それから、鳥やケモノの生活、そうしてそれらのあいだの友情や愛あい情じょうをも教えてくれます。しかもそれが、美しい風ふう景けいの描びょ写うしゃとともに、ゆたかな空想力によって、じつにすばらしい物語となっているのです。 ラーゲルレーヴさんは、このほかにも、﹁地じぬ主しの家の物語﹂をはじめ、たくさんの作品を発表しています。こうした文学上の活かつ躍やくが認みとめられて、一九〇九年には、女の人としてはじめての名めい誉よであるノーベル文ぶん学がく賞しょうを受けました。また、一九一四年にはスウェーデン学士院会員にもえらばれました。 そのうちに、第二次世界大戦がはじまりました。ラーゲルレーヴさんは、この戦争がだんだん大きくなっていくのを心配しながら、一九四〇年三月六日に静かに息をひきとりました。 さて、この﹁ニールスのふしぎな旅﹂は、第一巻と第二巻とに分かれているたいへん長い物語です。それで、いまはとにかく第一巻を、上巻と下巻とに分けて訳やくすことにし、第二巻のほうはあらすじだけを下巻のおしまいにつけておきました。なお、この本には、スウェーデンの歴史や風俗などで、日本のみなさんにはわかりにくいところや、おもしろくないところもありますので、そういうところは少々はぶきましたが、だいたいにおいて、できるだけわかりやすいようにくだいて全訳しておきました。 少年文庫から、この本の原稿を早く書くようにといわれて、冬休みのあいだ、毎日毎日こたつにもぐりこんで一生けんめい訳しました。そして訳したところをそばにいるわたしの子どもに話してきかせますと、それからどうなる? それからどうなる? と先をさいそくされました。おかげで、いそがしくはあっても、みんなでたいへん楽たのしいお正月をすごすことができました。みなさんも一ど読みはじめたら、早く先が読みたくてたまらないでしょう。 矢崎源九郎