これはアメリカのアーネスト・トムソン・シートンという人が書いた物語で、文中﹃私わたし﹄とあるのはシートン氏のことです。シートン氏は幼おさないころから動物が大だい好すきで、動物に関する物語と絵をかくことを一生しょ懸うけ命んめい勉強しました。そしていつも山さん岳がくや草原に露ろえ営いの生活をして、野生動物を深く観察し、りっぱな動物物語をたくさんあらわしました。この﹃狼おおかみの王ロボ﹄は、その中でも傑けっ作さくといわれる面白いものです。
翌よく朝ちょう、私わたしたちは馬へ乗って昨きの日うのわなの辺を見まわりにいった。おおかみの足あし跡あとはたくさんにある。私は胸むねをおどらした。急いでその跡をたどってみると、牝めう牛しの首もわなもない。私はいよいよ胸の鼓こど動うをたかめて、その辺の足あし跡あとをこまかにしらべた。すると、ロボが他の仲なか間まを牛の死体に近づけないよう注意しているあいだに、やや小さい一匹ぴきのおおかみが、少しはなれている例の首の方へ歩みよって、そこのわなにひっかかったらしい跡がある。 私わたしは、しめたと思った。 そこでその足跡をつけてゆくと、二キロ足らずのところで、はたせるかな、白のめすおおかみブランカが、わなにかかった足をひきずりながら、牝めう牛しの首をくわえてかけてゆくのに追いついた。牛の首は六、七キロもあろうというのに、ブランカのかける早さは人間の足では追っつけないくらいだった。しかしゆく先には岩石がたくさんあったので、とうとう牛の角が岩へひっかかり、ブランカは動けなくなってしまった。 私わたしたちが近寄ると、ブランカはきっと立ちあがってものすごい長ぼえをした。すると、はるかに木こか蔭げから、同じ調子の一層そう高いほえ声がひびいてきた。それはロボの声にちがいない。私たちはすぐ得えも物のをふりあげて近寄りざま、ブランカをなぐりつけた。ブランカは力がつきて最後の悲鳴をあげてぐたりと横に倒たおれた。私は輪わな繩わをその頸に投げかけて、その端はしを馬につなぎ、一むちあてると、馬は家うちの方へ駈かけ出した。 そのあいだ、ロボは遠くでしきりにほえていたが、鉄てっ砲ぽうがこわいと見えて私たちのそばへよりつかなかった。 この日、夕方までロボの遠ぼえがきこえていたが、日が暮くれると、その声はだんだんに近づき次第にかなしい調子を帯おびてきかれた。あらあらしい声でなく、長く引いた苦しげなうめきのようにきこえた。 ﹁ブランカ、ブランカ!﹂と呼よんでいるかのようだ。 夜がふけると、その声は一層近くなって、私わたしたちが昼間ブランカを殺した辺にきた。そこにはブランカの血がたくさんにたれていたので、かれはそこでおこったできごとをさとったことであろう。 羊ひつ飼じかいどもも、﹁これまで、こんなにおおかみの悲しげな声を聞いたことはありません。﹂といった。
おおかみ狩がりの勧かん誘ゆう状じょう
﹁カランポーの谷の王様おおかみロボの首に、一千ドルの懸けん賞しょうがかけられた。﹂ このうわさは、土地の新聞から全メキシコへひろまった。カランポーというのは、北部メキシコを流れている川の名だ。その川の流りゅ域ういきには、広々とした草原が開け、それが大きな牧場になっていた。ところがこの谷に一群のおおかみがすんでいて、しきりに家かち畜くをあらす。そのおおかみの群れの王と見られるのは、土地の人々からロボと呼よばれる、まことに悪がしこく獰どう猛もうなやつであった。 土地の羊ひつ飼じか達いたちはもちろん、よそからもおおかみ狩りを自じま慢んの連中が続々とやってきて、この悪あく獣じゅうを退たい治じしようとしたのであったが、いずれも失敗して引きあげる。そこでこの一千ドルの懸けん賞しょ広うこ告うこくが新聞にでたのである。 そのときカランポーに住む友人から、私わたしのところへ、このおおかみ狩りをすすめる手紙がきた。その一節に、こんな文句があった。 ﹁このロボというのは、灰はい色いろの大きなおおかみで、カランポー狼ろう群ぐんの王といわれるだけにとても知ち恵えがはたらき、毒薬にもわなにもかからない。この地方の牧場でその害をこうむらないものはなく、深夜はるかにその長くひいた異いよ様うなほえ声を聞くと、たれでもぞっと身ぶるいがするという。ロボの一党とうは、非常に数が多いようにいわれているが、私の調べたところでは、五、六頭にすぎないようだ。しかし、どれもこれも狂きょ暴うぼうなやつばかりである。私には今のところそれを退治るいい工夫が浮うかばん。このさいきみの腕うでにたよるほかない……﹂さんざんな失敗
私わたしは以前、おおかみ狩がりをしたことがあるが、おおかみを追っかけまわる痛つう快かいさといったらない。そのときの味がわすれられないので、友からの手紙を受けとるとろくに準備もしないでカランポーへ乗りこんだ。 友は大喜びで私わたしを迎むかえてくれた。その晩は何年ぶりかで一緒しょに酒を酌くみかわしながら、私はくわしくようすを聞いた。 友は語る、 ﹁このあいだも、テキサス州から、タンナリーという男が、おおかみ狩がりはおれにかぎると大元気で乗り込んできた。相当経験があるらしく、小しょ銃うじゅうや短ピス銃トルも高価なものをもち、乗馬と二十頭の猟りょ犬うけんを連れていた。それで﹃明あし日たにもロボの首を取ってきて床とこの間の飾かざりり物に﹇#﹁飾かざりり物に﹂はママ﹈する﹄と大きなことをいっていたものさ。ところが初日でみごと失敗してしまった。というのは、このタンナリーは、テキサス州の平たいらな草原のおおかみ狩りにはなれてもいたろうが、このカランポーの谷は、高低があって、川の支流が縦じゅ横うおうにいりまじっている。猟犬はきたばかりの不案内の土地なので、狼ろう群ぐんを追いつつ四方へちっていったのはいいが、勝手を知ったロボの群れにひどい逆ぎゃ襲くしゅうをくらって、夕方帰ってきたのは、たった六頭。その中うち二頭はあばらをかみさかれているというみじめさだ。タンナリーはその後も二回でかけたが、一層そうの不成功で、最後の日には、その乗馬が断だん崖がいからころがり落ちて死んだ。彼が、すっかり力をおとして、テキサス州へ帰ったのは一昨日のことさ。﹂毒殺の計
翌よく日じつから私わたしは地形を見にまわった。なるほどカランポーの谷は、土地の高低があって、川の流れも多く、とても馬や猟りょ犬うけんでおおかみを追いまわせそうもないところだ。 ﹁毒か、わなを用いるほかない。﹂と、私わたしは友に語ったのだが、大きいわなは持ってゆかなかったので、まず一服ぷく毒を盛ることにした。 私わたしは、わかい牝めう牛しの腎じん臓ぞう脂しぼ肪うへチーズを交ぜ、それを陶とう器きざ皿らに入れてとろ火で煮にた。金かな物ものの臭においを避さけるために、中の骨ほねを小刀がわりに使った。この煮にも物のをさましていくつもの塊かたまりに切り、その切り口へあなをあけて、毒薬を詰つめ、その上へチーズを厚くぬってふたをした。このご馳ちそ走うをつくるあいだ、私わたしは人間の臭においがつかないように注意して、牛のほふったばかりの温あたたかい血へ浸ひたした手てぶ袋くろをはめ、また私の息がこの餌えの肉へふきかからないように、マスクをかけた。こうして丹たん念ねんにつくったご馳ちそ走うを、同じ血へ浸したわらづとの中に入れた。それを持ってカランポーの谷を一巡じゅんし、一粁キロおきぐらいに一つとずつを草のあいだへおいてきた。狼ろう群ぐんは鉄てっ砲ぽうをおそれて日中はあまりでないし、また人間の姿すがたが見えると、さっさと逃にげてしまうので、この日は別べつ段だん危きけ険んもなかった。 その夜、たしかにロボのほえる声が聞こえたというので、私わたしは大喜びで翌よく朝ちょう早はやく結果を見にでかけた。 はたしておおかみの足あし跡あとはたくさんある。ロボの足跡は、普ふつ通うのおおかみよりは大きいのですぐわかった。その足跡から推おすと、背せの高さ一メートルにちかく、体重も六、七十キロくらいはたしかにある。おそろしくたくましいやつらしい。 やがて最初の餌えの肉のところへくると、大きな足跡が、そこへ立ちどまった形に残っていて、肉にく塊かいはなくなっている。 ﹁しめた!﹂ 私わたしは胸むねをおどらして、ついてきた者もの達たちにほこった。 ﹁やっこさん、一、二粁キロも先にきっとかたくなっているぞ。﹂ 私どもは馬に一むちくれて、威いせ勢いよくつぎの餌えに肉くのところへいった。はたしてそこにもない。私は狂きょ喜うきして、 ﹁ロボばかりでなく、あの畜ちく生しょうども、枕まくらを並ならべて往生しているにちがいない。﹂と叫さけんだ。 その付近を見まわったが、しかしおおかみの死体はなかった。足あし跡あとばかりたくさんに残っている。第三番目の餌えに肉くへきてみたが、ここにも肉塊はなくて、足跡はさらに第四番目へつづいている。 私わたしは﹁はてな。﹂と思った。と同時に疑うたがいと喜びとがごっちゃになってきだした。 私わたしたちはだんだん心配になって、第四番目の餌えに肉くのところへきてみると、おどろいたことには、肉に手をつけてないばかりでなく、そこへ、前の三か所の餌肉も一緒しょに並ならべてあるではないか。しかもごていねいにも第五番目の餌肉までが、ちゃんと持ってきて積みあげてあるではないか。 ﹁ヘー!﹂と、私は全身の血をぬき取られたような気持ちになった。りこうぶった私の計けい略りゃくは、狼ろう王おうロボのためにすっかり裏うらをかかれてしまったのである。 ﹁とてもこれは毒で退たい治じられる代しろ物ものではない。﹂ と私はさじを投げ、大型のわなを郷きょ里うりへ注文してその到とう着ちゃくを待った。ぜいたくな食べ物
そのあいだの一夜、おおかみの群れがすごいいたずらを演じて、カランポーの谷にすむ人たちを興こう奮ふんさせた。一ひと人りのわかい羊ひつ飼じかいがその模もよ様うを私わたしに物語った。 ﹁旦だん那な、おおかみというやつは、羊ひつじを食うのでなく、ただおどかしてかみ殺しては喜ぶのです。一体たい、羊は、千頭から三千頭までを一群にして一ひと人り二ふた人りの番人をつけておくのです。夜はかこいの中へ入れて、両りょ端うはしの小屋へ番人が一人ずつ寝ねています。羊はちょっとしたことにもおどろく臆おく病びょうな動物ですが、中へ五、六頭の山や羊ぎを入れておくと、羊はこの山羊をたよりに思って、夜などもなにかさわぎがおこると、みな山や羊ぎのそばへより集まるのです。ところがあのロボの悪あく党とうめ、そこのことまでよく知っていて、昨ゆう夜べは先に山羊をかみ殺してしまったのです。羊どもはたよるものがなくて、八方へちりぢりになったものだから、とうとうかみ放題に二百五十頭とうも殺されたのです。﹂ ﹁まるで子こど供もが、玩おも具ちゃのサーベルでトマトをやっつけるようなものだね。﹂と私わたしはあきれていった。 ﹁まったくです。﹂と、若わか者ものは話に油が乗って、 ﹁あのロボのやつには、これまでにもう羊や牝めう牛し合わせて二千頭あまりやられています。一体おおかみは意地きたないやつで、なんでも腹はら一杯ぱい食いさえすれアいい。食べ物のよしあしなんてかまわないのが普ふつ通うですが、あのロボの仲なか間まにかぎっては、口がなかなかおごっていて、死んだ肉は食わない。人間がほふった家かち畜くは食わない。なんでも自分の歯でかみ殺した上等なのだけ食うのです。一番好すきなのは当とう歳さい仔このやわらかな牝めう牛しで、年とった牛や馬は好かない。人間よりもよほどぜいたくです。また羊の肉もあまり好かない。ただ、かわいそうに逃にげまどうやつを片かた端っぱしからやっつけてしまうのです。本当ににくいたらありゃしません。﹂狼ろう群ぐんと牛の格かく闘とう
羊よりは、わかい牝めう牛しを好このむというのは初耳で、私わたしは話をそこへ向けると、若わか者ものは、先年、ロボが牝牛をとり殺したという実見談をはじめた。 ﹁私わたしはそのときはなれたところから見ていたのです。最初牛の群れとおおかみの群れとが原中でばったり出くわしたと思ってください。いばったやつで、ロボめ、自分は手出しもせずに、仲間の奴やつ等らに仕事をまかせているのです。ロボのつぎの位にいるブランカという白おおかみが大たい将しょうになって、五、六匹のおおかみが牛の群れへおそいかかってきました。牛の中には一頭とう牝めう牛しの当とう歳さい仔こがまじって、これは後列へかくれていました。牛の群れは一列に戦線を張って角をふりたてたので、白おおかみ等もちょっと手がでません。すると、さっきからそれを見ていたロボのやつ、一声ほえると、横合いからだしぬけに牛の群れへおどりかかった。牛どもはたちまち列をみだして逃にげる。ロボはめざす牝めう牛しへせまる。牝牛はやっと七、八十メートルも逃げたが、たちまち追いつかれてしまった。ロボはその喉のどに食いついたなり、身を沈しずめ、うんとふんばると、牝めう牛しは、角を地についてまっさかさまに大きくとんぼ返りに倒たおれる。はずみをくってロボもはね飛ばされそうになったが、腰こしの強いやつで、からだをぴたりと地につけてぐっとふみこたえます。そこへ白おおかみブランカはじめ仲なか間まが競いかかって、見る見る牝めう牛しの息の根をとめてしまいましたよ。ロボのやつ、獲えも物のは仲間にまかせてけろりとしているのです。私わたしは大声に叫さけんで、馬に乗って追っかけると、おおかみどもは鉄てっ砲ぽうがこわいものだから、さっさと逃にげていく。私わたしはいい機会だと思って、持っていた毒薬を手早く、たおれた牝めう牛しの体へ二個所に注ぎこんで、そのまま家へ帰りました。おおかみどもは自分の歯でかみ殺した動物は安心して食う習慣ですから、あとでもどってきて、その肉を食うにちがいないとにらんだのです。翌よく朝ちょう私は、 ﹁あのロボのやつ、いまごろはかたくなってくたばっていることだろう。﹂と勇んで、昨きの日うのところへ行いってみると、小こづ面らにくいたらありゃしません。毒を注さしたところだけ、きれいにさき捨すてて、毒のない部分をさんざん食いあらしていたのです。一服ぷく盛もろうたってあいつにゃ駄だ目めです。﹂わなにかかった白おおかみブランカ
そのうち、注文したわながたくさん到とう着ちゃくした。私わたしは大急ぎでそれを組み合わせ、夜になってから原の方々へ埋うめておいた。翌よく日じつ見まわると、ロボの足あし跡あとはわなからわなへと続いていたが、わなはみなほじり出されて、鉄てっ鎖さも丸まる太たもむきだしになっている。足跡から判はんずると、ロボは狼ろう群ぐんの先に立ってわなへ近よると、仲なか間まを止めて、自分ひとりでうまい工ぐあ合いにかきだしてしまうらしい。私わたしはいろいろ工夫をこらし、方法をかえていくたびもわなをかけてみたが、ロボはなかなかたくみにわなをかきだしてさらしものにするのである。 だが、このカランポーの狼ろう群ぐんの行動には、私わたしにとけないことが一つあった。それは私のこれまでの経験によると、おおかみの群れというものは、一匹ぴきの指導おおかみにしたがうのがならわしであるのに、ここのはおりおりロボの大きい足あし跡あとの前にやや小さい足跡がついているのである。 ところが、ある日、牛うし飼かいがやってきての話に、 ﹁私わたしは今きょ日う例のおおかみどもがずっと向こうの方を歩いているのを見ましたが、白のブランカのやつが、ときどきロボの先になってゆくのですよ。﹂と。 私ははたと手をうった。 ﹁それでわかった。そのブランカはめすなのだ。もしおすおおかみがそんなですぎたことをしたなら、ロボがすぐかみ殺すはずだ。小さい足あし跡あとが先に立っていたのもそれでわかった。﹂ そこで新工夫が浮うかんだ。私わたしはわかい牝めう牛しをほふってその死体のまわりに、わざと地上にむきだしにしたわなを二つおいた。それからその死体から首をきり取って少しはなれたところへおき、その周囲へ二つの鋼こう鉄てつ製せいのわなをうめた。この仕事をするあいだ、私は私の手足や道具などをその牝めう牛しの血に浸ひたし、地面へも同じ血を一杯ぱいにまいた。このしかけがすむと、今度はおおかみの皮でその辺の地面を一帯になでておき、またおおかみの足でわなの周囲にたくさんの足跡をつけた。この首と胴どう体たいとのあいだはせまい通路になっているので、その通路へ一番精せい巧こうな二つのわなをうめ、そのわなの端はしを牝めう牛しの首に結びつけた。 私わたしが知っていることでは、おおかみというやつは、動物の死体を見つけると、それを食おうという気がなくても、きっと近よって、それをかいではいろいろとためしてみるものである。で、私わたしはこのカランポーのおおかみどもも同じ習慣をもっているとにらんだのである。ロボはまたも私の計けい略りゃくを見やぶるかもしれない。けれど、私の心の中にはべつな考えがあったのである。翌よく朝ちょう、私わたしたちは馬へ乗って昨きの日うのわなの辺を見まわりにいった。おおかみの足あし跡あとはたくさんにある。私は胸むねをおどらした。急いでその跡をたどってみると、牝めう牛しの首もわなもない。私はいよいよ胸の鼓こど動うをたかめて、その辺の足あし跡あとをこまかにしらべた。すると、ロボが他の仲なか間まを牛の死体に近づけないよう注意しているあいだに、やや小さい一匹ぴきのおおかみが、少しはなれている例の首の方へ歩みよって、そこのわなにひっかかったらしい跡がある。 私わたしは、しめたと思った。 そこでその足跡をつけてゆくと、二キロ足らずのところで、はたせるかな、白のめすおおかみブランカが、わなにかかった足をひきずりながら、牝めう牛しの首をくわえてかけてゆくのに追いついた。牛の首は六、七キロもあろうというのに、ブランカのかける早さは人間の足では追っつけないくらいだった。しかしゆく先には岩石がたくさんあったので、とうとう牛の角が岩へひっかかり、ブランカは動けなくなってしまった。 私わたしたちが近寄ると、ブランカはきっと立ちあがってものすごい長ぼえをした。すると、はるかに木こか蔭げから、同じ調子の一層そう高いほえ声がひびいてきた。それはロボの声にちがいない。私たちはすぐ得えも物のをふりあげて近寄りざま、ブランカをなぐりつけた。ブランカは力がつきて最後の悲鳴をあげてぐたりと横に倒たおれた。私は輪わな繩わをその頸に投げかけて、その端はしを馬につなぎ、一むちあてると、馬は家うちの方へ駈かけ出した。 そのあいだ、ロボは遠くでしきりにほえていたが、鉄てっ砲ぽうがこわいと見えて私たちのそばへよりつかなかった。 この日、夕方までロボの遠ぼえがきこえていたが、日が暮くれると、その声はだんだんに近づき次第にかなしい調子を帯おびてきかれた。あらあらしい声でなく、長く引いた苦しげなうめきのようにきこえた。 ﹁ブランカ、ブランカ!﹂と呼よんでいるかのようだ。 夜がふけると、その声は一層近くなって、私わたしたちが昼間ブランカを殺した辺にきた。そこにはブランカの血がたくさんにたれていたので、かれはそこでおこったできごとをさとったことであろう。 羊ひつ飼じかいどもも、﹁これまで、こんなにおおかみの悲しげな声を聞いたことはありません。﹂といった。