ラヂオ閑話

成澤玲川






 
 便使



 
 稿稿30-1-130-1-2稿



 ××××滿滿
 滿滿滿
 稿
 



 日本語のアナウンスは英語や支那語のそれに比べると平板を免れない。英語アナウンスの美しさは知つてゐたが、毎晩南京を聽いて見て支那語といふものが案外に美しいものだといふことをつく/″\感じて來た。南京の婦人アナウンサーに一人素敵な美聲の持主がゐる。チヤーミング・ヴオイスといふのはこれであらう。木の葉が金銀の裏表を飜して落ちて來るやうな調子で、綿々切々の情緒を絃の音に乘せたやうな美しいアナウンスには、全くうつとりとさせられる。支那語の分らない私がかう感じる位であるから、言葉の持つ内容が分つたら一層樂しく感じられるであらう。その聲を聽いてゐると、一寸顏が見たくなる。日本でもアナウンサーはいつの間にか人氣商賣のやうになつて來た。ラヂオを聽く人は毎日同じ聲を聽いて一種の親しみを持つやうになる。その顏を一目見たいといふ氣持の起るのは人情の自然である。しかしアナウンサーは名前や顏を賣物にする商賣ではない。‥‥段々夜も受けて[#「夜も受けて」はママ]來た。この前の土曜日には午前二時半まで空を探つて各地の放送を樂んだが、明日はまた早く起きなければならない。丁度マニラの終了アナウンスが聞えて來た。「只今マニラ時間は十時五十二分であります。おやすみなさい。」(日本十一時五十二分)





底本:「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」文藝春秋社
   1935(昭和10)年1月1日発行
初出:「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」文藝春秋社
   1935(昭和10)年1月1日発行
入力:sogo
校正:The Creative CAT
2018年11月24日作成
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JIS X 0213-


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