お母かあさま
こどものとき 一いっ休きゅうさんは、千せん菊ぎく丸まるという なまえでした。 ある はるの日ひの ことです。千せん菊ぎく丸まるは うばに つれられて きよみずでらに おまいりに いきました。 おてらの にわは さくらの 花はなが まんかいでした。 はらはらと ちる さくらの はなびらの したでは、おばあさんや お母かあさんに つれられた 子こどもたちが、あそびたわむれています。 ﹁きれいだなあ ばあや。﹂ しばらく 花はなに みとれていた 千せん菊ぎく丸まるは、ふと、むこうの いしだんの ところに いる おや子こづれの こじきを みて、ふしぎそうに たちどまりました。 きたない きものを きた こじきの 母ははおやが、五いつつか六むっつぐらいの 子こどもを そばに すわらせて、おもちゃを やっているのでした。 やがて 千せん菊ぎく丸まるは うばの 手てを ひいて、たずねました。 ﹁ばあや、あれなあに。﹂ ﹁おや子この こじきです。まずしいので さんけいの 人ひとに ものを もらって たべているのです。﹂ ﹁そうじゃあないの、ばあや、千せん菊ぎくは あの おんなの こじきは あの 子こどもの なんじゃと きいているのだよ。﹂ ﹁あれは、お母かあさんと 子こどもです。﹂ ﹁ふうーん。﹂ と、千せん菊ぎく丸まるは いかにも ふしぎそうです。 ﹁こじきにも お母かあさまが あるの、ばあや。﹂ ﹁はい。こじきにも お母かあさまが いますよ、千せん菊ぎくさま。﹂ ﹁ふしぎだ なあ。﹂ 千せん菊ぎく丸まるは かわいい くびを かしげて、しばらく じっとして いましたが、 ﹁あんな きたない こじきにも お母かあさまが あるのに、千せん菊ぎくに どうして お母かあさまが ないのだろう。ばあや、どうして 千せん菊ぎくには お母かあさまが ないの。﹂ と、ばあやの 手てを ぎゅっと にぎりしめて いいました。 ﹁ええ、千せん菊ぎくさまには……千せん菊ぎくさまには……。﹂ うばは、はたと こたえに つまって しまいました。 と いうのは、つぎの ような ふかい わけが あるからでした。父ちちは てんのう
一いっ休きゅうさんの うまれたのは おうえい元がんねん、いまから ざっと 五百ひゃく六十年ねんばかり まえの ことです。 お父とうさまは ごこまつてんのうで、お母かあさまは いよのつぼね と いいました。 ほんとうならば 一いっ休きゅうさんも てんのうの おうじさまとして、きゅうていで そだてられる はずでしたが、お母かあさまが、わるものの ざんげんで てんのうの おそばに いられなくなったので、一いっ休きゅうさんも お母かあさまとも わかれて 京きょうのみやこの かたほとりに、うばと ふたりで すむことに なったのです。 お母かあさまも 京きょうのみやこに すんでいましたが、一いっ休きゅうさんは うまれたばかりで お母かあさまと わかれわかれに なったので、お母かあさまの あることさえ しりませんでした。 それで みんな お父とうさまも お母かあさまも あるのに、じぶんだけ うばと ふたりきりなのは どうしてだろうと、いつも かなしく おもって いたのでした。 それが こじきのおやこの むつまじい ありさまを みて、きゅうに むねが こみあげてきたのでした。 一いっ休きゅうさんが、あんまり かなしそうに お母かあさまの ことを きくので、うばも、 ﹁いっそ お母かあさまが おなじ 京きょうのみやこに いることを はなして、お母かあさまに おあわせして あげようか。﹂ と、おもいましたが、また おもい なおして、 ﹁いやいや、それはいけない。﹂と、そっと なみだを ぬぐって、 ﹁千せん菊ぎくさま、坊ぼっっちゃまにも お母かあさまが あります。けれども、いまは とおいとおい ところに いらっしゃるので、とても あえません。﹂と、いいました。 ﹁まろにも お母かあさまがあるの!﹂ はじめて お母かあさまの ことを きいた 一いっ休きゅうさんは、きらきらと めを かがやかして、きっと うばの かおを みあげると、 ﹁ばあや、まろは どんな とおい ところにも いく。お母かあさまに あわして ください。﹂と、ねだりました。 ﹁とても、千せん菊ぎくさまの いけるところでは ありません。﹂ うばも こまって しまいました。そして、 ﹁千せん菊ぎくさまが これから うんと がくもんして、えらい人ひとに なったら、きっと お母かあさまが あいにきて くださります。﹂と、その日ひは、やっと なだめて かえりました。雪ゆきのあさ
こういう わけですから、うばも 一いっ休きゅうさんを りっぱな 人ひとに そだてたいと とても しんぱいしました。
一いっ休きゅうさんは 子こどもの ときから 一をきいて 十をしる、と いうほど りこうな 子こでしたが、また 大たいへんな いたずらっ子こでした。
それが うばの しんぱいの たねでした。
ある 春はるの日ひの ことでした。
京きょうのみやこに めずらしく 大おおゆきが ふりました。
いたずらッ子この 千せん菊ぎく丸まるは 大おおよろこびです。まるで 犬いぬころの ように はだしで にわに かけだしたり、ゆきを なげつけたり、まどを やぶくやら、ろうかを ゆきだらけに するやら 大おおあばれです。
うばが みるに みかねて、
﹁千せん菊ぎくさま、そんなに いたずらを する 子こは、りっぱな 人ひとに なれません。﹂
と、たしなめて、
﹁そんなひまが あったら ちと べんきょうなさい。むかし、すがわらのみちざね と いう えらいかたは、七つのとき りっぱな うたを おつくりに なりました。千せん菊ぎくさまも、おうたでも おつくりなさい。﹂
﹁うたを つくるより、雪ゆきなげの ほうが、おもしろいわい。﹂
﹁いけません。大おおきくなって、ごてんに あがっても、うたが つくれないようでは はじを かきます。﹂
それをきくと、一いっ休きゅうさんは きゅうに まじめに なって、
﹁ばあや、その みちざねの つくった うたは、どんな うた だい。﹂
と、ききました。
「うるわしき べにの いろなる うめのはな
わこが かおにも つけべかりけり
わこが かおにも つけべかりけり
と、いうのです。うめの花はなを みて おうたいに なったのです。﹂
うばが いうと、一いっ休きゅうさんは、ちょいと、おどけた かおをして、
﹁そんな うたなら、いくらでも つくれらあ。﹂
﹁まあ、千せん菊ぎくさまに できますかしら。﹂
﹁できるよ。ばあや、おどろくな。﹂
一いっ休きゅうさんは、これは どうだい、といいながら、
ふる雪 が おしろいならば 手 にといて
おくろの かおに つけべかりける
おくろの かおに つけべかりける
と、すらすら、と、うたいました。
﹁まあ!﹂と、うばは びっくりしました。
すがわらのみちざねの つくったうたの、いみは こうです。
むかし きゅうちゅうに いる、わかい人ひとは、おとこでも うすく おしろいや ほおべにを つけていました。
わこ と いうのは わたし と いうことです。みちざねは赤あかい、うめの花はなを みて、あの うつくしい うめの花はなの いろを わたしの かおに つけたい と うたったのです。
それで、一いっ休きゅうさんの うたですが、おくろ と いうのは うばの ことで、この うばの かおは くろいので、みんなが うばのことを﹁おくろさん、おくろさん。﹂と、よんでいました。
それで 一いっ休きゅうさんは、白しろい ゆきを うばの くろい かおに つけてやろうと、ふざけたのでした。
﹁まあ、ひどい。﹂
うばは、あきれてしまいましたが、この あたまの よさには、すっかり かんしんしてしまって、
﹁千せん菊ぎくさまは、きっと えらくなります。﹂と、大おおよろこびでした。
六むっつの ひな僧そう
一いっ休きゅうさんは、六むっつのとき いなり山やまの きたに ある あんこくじと いう おてらに はいって、ぼうさんに なることに なりました。 これは おかあさまの いよのつぼねの かげながらの とりはからい でした。 と いうのは、そのころは くにが みだれていて、さむらいや きゅうてい の ひとたちも おたがいに ねたみあい うたぐりあって いましたが、一いっ休きゅうさんの お母かあさまは、もし じぶんを ざんげんして、きゅうていを おいはらった ひとたちが、一いっ休きゅうさんを ねらって、ころして しまったりするかも しれないと しんぱい したからです。 けれども ごこまつてんのうの おん子ことして うまれた 一いっ休きゅうさんを なんとかして、えらくしたいと おもいました。 そのころ、えらくなるには さむらいに なるか、おぼうさんに なるかしか、なかったのです。 それで、お母かあさまは 一いっ休きゅうさんを さむらいに して、ころしたり ころされたり するよりは おぼうさんに しよう、と うばにも はなして、一いっ休きゅうさんを あんこくじの ひなそうに したのでした。 あんこくじの ひなそうに なった 一いっ休きゅうさんは、しゅうけんと いう なまえを もらって、まいあさ おしょうさまから おきょうを ならいましたが、りこうなので すぐおぼえます。 ことに その とんちの いいことは、大おと人なも したを まく ばかりでした。 あんこくじには、七ななつ 八やっつ ぐらいの こぞうが 十にんばかりも いました。一いっ休きゅうさんは そのなかで いちばん としした でしたが、いちばん りこうで、とんちが ありました。 つぎに、一いっ休きゅうさんの とんちばなしを しましょう。みずあめと どくやく
ある日ひの ことです。小こぞうたちが みんなで ひたいを あつめて ひそひそばなしを していました。 ﹁おしょうさまが わたしたちに かくれて、まいにち こっそり 水みずあめを なめて いるよ。﹂ ﹁みずあめ――あまいだろうなあ。なめたいなあ。﹂ ﹁どこに あるの。﹂ ﹁おしょうさまの いまの とだなの うえに、ほら、かべつちいろの かめが あるだろう。あの なかに あるんだよ。﹂ ﹁ほんとに みたのかい。﹂ ﹁ほんとさ。﹂と いって、目めを くるくる まわして みせたのが、てつばいと いう、いたずら小こぞうです。てつばいは いかにも てがらがおに、 ﹁わたしが ゆうべ しょうじの かみに あなを あけて、おしょうさまの みずあめを なめて いるのを、そっと のぞいて みたんだもの。﹂ ﹁ふーん。﹂と、小こぞうたちは したなめずりを しました。すると てつばいは、 ﹁おしょうさまだけ なめるなんて ずるいや。わたしらにも すこし なめさせて もらおうではないか。﹂ と、いいだしました。 ﹁そう しよう、そう しよう。﹂ みんな さんせいです。 ﹁だれか いって おしょうさまに たのんで こいよ。﹂ ﹁おこられるよ。いやだよ。﹂ みんな しりごみ します。 ﹁しゅうけん、おまえ いってこいよ。﹂ てつばいは、いちばん とししたの 一いっ休きゅうさんに おしつけようと しました。 ﹁それが いい、それが いい。しゅうけん いってこいよ。﹂ みんな そう いいます。 ﹁うん そうか。それでは ちょっと いって きいてくる。﹂ いたずらっ子こでも とんちが あっても、まだ むじゃきな 一いっ休きゅうさんは、すぐ たちあがって、おしょうさまの へやに でかけていきました。 おしょうさまは ぼんやり にわを ながめていました。 ﹁おしょうさま。﹂ と、一いっ休きゅうさんが しきいの そとに 手てを つきました。 ﹁なんじゃ。﹂ と、おしょうさまが 一いっ休きゅうさんを ふりかえりました。 ﹁おしょうさま、みずあめを なめさせて ください。﹂ ﹁なんじゃと。﹂ ﹁たなの うえの かべつちいろの つぼの なかにある みずあめを、すこしずつで いいですから わたしたちに なめさせて ください。﹂ おしょうさまは びっくりして、まじまじと 一いっ休きゅうさんを みつめました。 ﹁たれが そんな ことを いった。﹂ ﹁みたものが あります。おしょうさま、大おと人なの おしょうさま ばかり なめて、子こどもの わたしたちに なめさせない なんて、おしょうさま ずるいや。﹂ ﹁うん、そうか。ゆうべ しょうじに あなを あけたのは おまえじゃな。﹂ ﹁わたしでは ありませんが、たしかに おしょうさまが みずあめを なめているのを みたものが あります。﹂ ﹁うん、そうか。﹂ おしょうさまは 一ひとつ、こらしめて やろうと おもって、 ﹁みんなを ここに よんでこい。﹂と、いいました。 そんな こととは おもいも よらない 一いっ休きゅうさんは、さっそく みんなの ところに もどってきて、 ﹁おーい、みんな、こいよ。おしょうさまが みずあめを くださるぞっ!﹂と、大おおごえに さけびました。 ﹁そうか。くださるか。﹂ ﹁みんな いこう。﹂ 小こぞうたちは 大おおよろこびで、おしょうさまの へやに とんでいきました。 ずらり おしょうさまの まえに ならんだ 小こぞうたちを、じろり みわたした おしょうさんは、 ﹁みんなに いって おくことがある。よく きいておけ。﹂と、おごそかに いいました。 これは へんだぞ……小こぞうたちは かおを みあわせまた﹇#﹁みあわせまた﹂はママ﹈。おしょうさまは いいました。 ﹁じつは この かめの なかにある みずあめの ような ものは、ほんとうは、みずあめでは なくて、てんじくから とうらいした ちゅうふうの くすりじゃ。﹂ てんじくは いまの インドです。ぶっきょうの わたってきた ところです。この くすりは ぶっきょうと いっしょに にっぽんに わたって きたのでしょう。 ﹁あれッ!﹂と、みんな目めを ぱちくり させました。 ﹁いいか。あれは ちゅうふうの くすりじゃ。ちゅうふうという びょうきは 子こどもには かからぬ、わしの ような ろうじんにだけ ある びょうきじゃ。いいか、よく きけ。あの くすりは、ろうじんの ちゅうふうには よく きくが、子こどもが なめたら いのちが なくなる。まちがっても あの くすりを なめたりするでは ないぞ。﹂ ﹁へんな ことに なった もんだなあ。﹂ ﹁わかったか――わかったな。﹂ ﹁はい。﹂ ﹁わかったら、でて いって よろしい。﹂ へんだなあ と、おもいながら みんな はんぶん べそを かいて、おしょうさまの へやを でて いきました。死しぬ つもりで!
なかでも いちばん へんだなア、と おもったのが、いちばん りこうな 一いっ休きゅうさんでした。 つぎの日ひ おしょうさまは、どこかの ほうじに でていって、るすでした。 ﹁よし、この あいだに あの かめの なかの ものが みずあめか どくか、ためしてみよう。﹂ いたずらものの 一いっ休きゅうさんは したなめずりを して おしょうさまの へやに しのびこんで いきました。 さっそく たなの まえに たちましたが、あいにく たなが たかくて、子こどもの 一いっ休きゅうさんには てが とどきません。一いっ休きゅうさんは そばに あった ちゃだんすを ひきずってきて、どっこいしょ、と そのうえに のると、かめに りょうてを かけ、そろそろと ひきおろそうと しました。 が、かめが おもいものですから つるりと てが すべって、あッ と おもう まも あらばこそ、かめは どしーんと、一いっ休きゅうさんの ぼうずあたまの うえに おちました。 ﹁しまったッ!﹂ そう さけんだ 一いっ休きゅうさんは、かめと いっしょに すってんころりと ちゃだんすの うえから ころげおちました。 その ひょうしに、一いっ休きゅうさんは あたまから、どろどろと みずあめを かぶって しまいました。が、一いっ休きゅうさんは みずあめの なかに つかりながら、ぺろぺろと みずあめを なめています。 ﹁あまい あまい。﹂ やっぱり ちゅうふうの くすりだなんて うそだ。くすりなら にがい はずだ! 一いっ休きゅうさんは むちゅうです。 が、はらいっぱい みずあめを なめてから、一いっ休きゅうさんは、﹁これは しまった ことをした。﹂と、あおく なりました。 一いっ休きゅうさんは そっと なめて、しらないふりを しているつもりだったのに、こんなに ありたけ こぼして しまっては、おしょうさんに わかって 大おおめだまを くうに きまっている! 一いっ休きゅうさんは 大おおあわてに あわてて こぼれた みずあめを ふきとりましたが、とても 子こどもの ちからでは ふききれません。 そればかりではなく、ふと みると、そばには おしょうさまの たいせつに している おちゃのみぢゃわんが こなごなに こわれて いるのでした。 すると うんの わるいときには しかたの ないもので、そこに ガラリと へやの しょうじが あいて、おしょうさまが かえってきました。 ﹁わっ!﹂ 一いっ休きゅうさんが あめだらけの あたまを かかえると、これを みた おしょうさまは、 ﹁しゅうけん、なに しとるのじゃ。﹂と、大おおごえで しかりました。 ﹁は、はい、はい。﹂ 一いっ休きゅうさんは 目めを しろくろ させています。 ﹁なにを しとると いうのじゃ。﹂ 一いっ休きゅうさんは わーんと なきだして しまいました。なきながら 一いっ休きゅうさんの あたまには、一つの とんちが おもい うかびました。 ﹁おしょうさま、おしょうさま。わたしは おしょうさまのだいじな だいじな おちゃわんを こわして しまいました。それが かなしくて わたしは 死しんで おわびしようと おもって、こんなに たくさん おしょうさまの くすりを いただきましたが、ちっとも しねません。﹂ そう いうと、一いっ休きゅうさんは りょうてで かおを おおって、まえよりも はげしく わんわん なきだしました。 ﹁なに、ちゃわんを わったと……。﹂ ﹁そうです。おしょうさまの おるすの あいだに おへやを そうじして おこうと おもって、おちゃわんを わりました。おしょうさま、ああ、わたしは しにたい、しにたい。﹂ 一いっ休きゅうさんは そう いいながら、また こぼれた みずあめを ぺろぺろと なめました。 おしょうさまは あきれかえって、一いっ休きゅうさんを みつめていました。そんなことは うそに きまっています。 ﹁うそじゃ。﹂ と、おしょうさまは しかりました。 ﹁ちがいます。うそでは ありません。﹂ ﹁そうか。﹂ じっと かんがえこんだ おしょうさまは、とつぜん あっはっはっは……と、わらいだして しまいました。そして、いいました。 ﹁しゅうけん、わしが わるかった。これは わしが おまえたちを だました、ほとけの ばちと いう ものじゃ。﹂ それを きくと、こんどは 一いっ休きゅうさんが おしょうさまの まえに りょうてを ついて、 ﹁おしょうさま、わたしが わるうございました。わたしは うそを つきました。﹂ と、あやまりました。 ﹁いいや、しゅうけん。はじめに うそを ついたのは わしじゃ。わるいのは この わしじゃ。﹂ ﹁いいえ、わたしが わるうございました。﹂ ﹁いや、わるいのは わしじゃ。﹂ 一いっ休きゅうさんと おしょうさまは こんどは おたがいに じぶんが わるい、と いいっこです。 ﹁わかった、わかった。﹂ おしょうさまが、とうとう まけて しまいました。そして、一いっ休きゅうさんに、 ﹁しゅうけん、おまえの とんちには おどろいた。これからは わるいことを するなよ。わるいと きづいて さっそく あやまったのは、いい こころがけだ。﹂と、やさしく いいきかせました。かたわれの 月つき
なにしろ 子こどもですから、一いっ休きゅうさんは たべものと なると、むちゅうに なることが あります。
そのとしの としの くれの ことでした。
くれの ことなので、おしょうさまは 今きょ日うは 小こぞうたちを みんな つれて たくはつに でかけました。
﹁しゅうけん、今きょ日うは おまえが るすばんだ。きを つけて おるすを するんだよ。﹂
おしょうさまは 一いっ休きゅうさんに るすばんを いいつけました。
すると、おしょうさまたちが でかけて だいぶ たってからの ことです。
﹁ごめん ください。ごめん ください。﹂
と、おしょうさまの おへやの ほうで ひとの こえがしました。
﹁おや、さっそく おきゃくさまだな。﹂
たった ひとり、あとに のこされて ぼんやり していた 一いっ休きゅうさんは、さっそく とびだして いきました。
﹁今きょ日うは、おしょうさんは るすかな。﹂
うらぐちに たって いるのは、あんこくじの だんかの もとべえさんでした。
おいものとんやの もとべえさんは、かずおおい だんかの なかでも いちばん この おてらに よくして くれる だんかです。今きょ日うも たくさんの おもちを ついて、でっちの ちょうまつに せおわせて きたのでした。まるい まるい まんげつの ように まるい かがみもちです。
﹁これは これは、もとべえさんですか。あいにく、おしょうさまは たくはつに でかけて おるすです。﹂
一いっ休きゅうさんが ていねいに いうと、もとべえさんは、
﹁それは かまいません。今きょ日うは としの くれで、おもちを ついたので、もって きました。どうぞ、おしょうさまが おかえりに なりましたら、ほとけさまに あげてください と いって ください。﹂
と、いって、でっちの ちょうまつに せおわせてきた たくさんの おもちを おいて いきました。
﹁うまそうだなア。﹂
つつみを といて、一いっ休きゅうさんが ちょっと さわってみると、おもちは まだ ほっかりと あたたかくて、まるで ごむまりの ように ぷかぷか していました。
一いっ休きゅうさんは ごくん と、つばを のみこみました。むちゅうで、一つの おもちに かじりつきました。
﹁うまいなア。﹂
一いっ休きゅうさんが おもわず にっこりした ときです。がたがたと おもてに ひとの あしおとがして、おしょうさまたちが かえってきました。
﹁あっ、たいへんだ。﹂
一いっ休きゅうさんは あわてて おもちを のみくだそうとします。が、あんまり たくさん、いっぺんに おもちを くちの なかに いれたので、なかなか のみくだすことが できません。
一いっ休きゅうさんが 目めを しろくろ させて いると、さきに きた あにでしが、
﹁しゅうけん、また いたずらを したな。おしょうさまに みつかると 大おおめだまだぞ。﹂
と、一いっ休きゅうさんの せなかを たたいてやりました。
﹁うわあ、くるしい。﹂
一いっ休きゅうさんが やっと おもちを のみくだした ときでした。あとから はいってきた おしょうさまは この ようすを みて くすくす わらいながら、一いっ休きゅうさんの まえに、かけた かがみもちを だして、
﹁しゅうけん、しゅうけん、十五やの 月つきは まんまるなのに これは どうしたことだ。﹂
と、なぞを かけました。
すると 一いっ休きゅうさんは、にこりとして、
﹁くもに かくれて ここに はんぶん。﹂
と、こたえながら じぶんの はらを ゆびさしました。
これは 一つの うたになります。
十五やの 月 は まんまる なるものを
くもがくれして ここに はんぶん
くもがくれして ここに はんぶん
おしょうさまのは かみの く、一いっ休きゅうさんの は、しものくです。
おしょうさんは、この 一いっ休きゅうさんの とんちに すっかり かんしんして しまって、
﹁しゅうけん、でかした でかした。﹂
と、手てを たたいて 一いっ休きゅうさんを ほめ、
﹁さあ、おもちを たくさん あげるから、みんなで たべなさい。﹂
と、たくさんの おもちを くれました。
﹁しゅうけん、うまく やったな。また たのむぞ。﹂
あにでしたちも 大おおよろこびで、おもちに、ぱくつきました。
皮かわもんどう
あんこくじの おぼうさんに なって 二三ねん たった ときでした。 はたやじくさい という ひとが、まいばんの ように あそびに きて、おしょうさまと おそくまで はなしあったり、ごや しょうぎを していきました。 このひとは ながさきで うまれたのですが、お父とうさんは オランダ人じんでした。いまで いえば アイノコです。その お父とうさんが、オランダに かえる とき、にしきを おる ほうほうを おしえて いきました。じくさいは きょうとに きて はたやを ひらいて、大たいへん はんじょうしました。 これが、いまでも なだかい にしじんおりの もとです。 ﹁あれ、じくさいの やつ、また きたよ。﹂ ある夜よ、あにでしの てつばいが げんかんの ほうを みながら、そう いいました。 ﹁ほんとだ。こんやも また おそくまで いるんだろうな。あいつが くると、わしらが いつまでも ねられなくて よわるよ。﹂ 小こぞうたちは おゃきくさまの﹇#﹁おゃきくさまの﹂はママ﹈ いるうちは ねるわけに いかないので、じくさいが くると、みんな いやがるのでした。 ﹁なんとかして あの じくさいめが、こない ように する くふうは ないものかなあ。﹂ 小こぞうたちは みんなで こんな そうだんを はじめました。 一いっ休きゅうさんも これは どうかんです。ついと、みんなの まえに すすみでると、 ﹁わたしが じくさいさんの こなくなる まじないを しましょう。﹂ と、いいだしました。 ﹁ほんとに そんなことが できるかい。へんな ことを すると、また おしょうさまから 大おおめだまだよ。﹂ あにでしたちは しんぱいそうです。 ﹁だいじょうぶです。もし しくじったら、みんな わたしが つみを きます。﹂ 一いっ休きゅうさんは とても じしんが ありそうです。 ﹁それじゃ、たのむよ。うまく やってくれよ。﹂ よくじつの ゆうがたの ことです。一いっ休きゅうさんは、もう じくさいさんが やってくるころだな、と おもいながら、はんしを 五まいも つぎたして、すみ くろぐろと、大おおきな じで、
と、かいて、げんかんに はりつけました。
まもなく、せかせかと げたの おとを させながら、じくさいさんが やってきました。
アイノコの じくさいさんは いつでも、けものの かわで つくった どうぎを きているのです。
﹁どうするかな、じくさいさん。﹂
一いっ休きゅうさんや 小こぞうたちは しょうじの かげに かおを あつめて、じっと じくさいさんの ようすを のぞいていました。
おしょうさまと なかよしの じくさいさんは、いつでも あんないも こわず、ずかずかと げんかんを はいってきます。
ふと みると、げんかんに なにか かいてあります。
﹁おや、なんだろう。﹂
じくさいさんは、たちどまって、じっと、はりがみを ながめて いましたが、すぐ ハハハ……と 大おおごえで わらって、
﹁ははは……小こぞうども、わしが いつも よる おそくまで いるもんだから、こんな いたずらを しおったな。﹂
と いうと、そのまま おくに はいろうと します。
そのとき いきなり 一いっ休きゅうさんが とびだしました。
﹁この はりがみが みえないのですか、じくさいさん。﹂
﹁ははあ、これは しゅうけんぼうずかい。はりがみは よみましたよ。﹂
じくさいさんは、にやにや わらって います。
﹁よんだなら、なぜ はいってきた。﹂
﹁小こぞうさん、どうして かわを きたものが はいって いけないのかね。﹂
﹁おてらに けだものの かわを きて くると けがれます。これは ほとけさまの おしえです。かえって ください。﹂
﹁はっはっは……小こぞうさん、あんたは、りこうものだと ききましたが、やっぱり まぬけですね。﹂
﹁どこが まぬけです。﹂
﹁では、ききますが、てらにも じこくを しらせる たいこが ありましょう。たいこは けだものの かわを はって あるでしょう。わたしも けものの かわを きて いますから、たいこの ように、ずっと おくまで とおりますよ。はい、ごめんなさい。﹂
じくさいさんは そう いうと、ちらと 一いっ休きゅうさんを からかうような わらいを みせて、おくに いこうとしました。
すると 一いっ休きゅうさんは、なにを おもったか、ちょこちょこと じくさいさんに さきまわりして、ほんどうから たいこの ぱちを﹇#﹁ぱちを﹂はママ﹈ もって くると、いきなり じくさいさんの はげあたまを ぽかぽかと たたきました。
﹁これ、なにを する、小こぞうさん。﹂
じくさいさんは、一いっ休きゅうさんを にらみつけて おこりました。が、一いっ休きゅうさんは すましたもので、
﹁じくさいさんは、たいこの ように おくに とおると いったでは ありませんか。たいこと おなじなら いくら たたかれても、もんくは ないでしょう。﹂
と、いって、また ポカリ。
﹁まいった。﹂
すると じくさいさんは きゅうに あともどりすると、ぬいであった げたを つかんで、はだしで にげていきました。
﹁うまい、うまい、しゅうけん――ああ、むねが すーッと した。﹂
あにでしたちは 手てを たたいて 大おおよろこびです。
この はし わたるな
つぎの 日ひ、じくさいさんの おつかいが おしょうさまに てがみを もって きました。ひらいて みると、 ﹁ゆうがた、ごちそう したいから、しゅうけんさんを つれて あそびに きてください。﹂と、かいて あります。 おしょうさまは、にこにこ わらいながら、一いっ休きゅうさんを よんで、 ﹁しゅうけん、じくさいさんが、こんな てがみを よこしたよ。きっと きのうの かたきうちを するつもりだよ。﹂ と、いいました。 ﹁ははあ、じくさいさん よっぽど くやしかったと みえますね、おしょうさま。﹂ 一いっ休きゅうさんも にこにこ しています。 ゆうがた 一いっ休きゅうさんは おしょうさまに つれられて、じくさいさんの いえに でかけました。 じくさいさんの いえは 大おおきな おやしきで、やしきの まえに おがわが ながれ、そのかわに はしが かかっていました。 おしょうさまと 一いっ休きゅうさんが そのはしを わたろうとすると、どうでしょう、つぎのような たてふだが たっていました。
この はし わたるな
﹁おやおや、やっぱりだね、しゅうけん。﹂
おしょうさまは そう いって うしろの 一いっ休きゅうさんを ふりかえりました。
﹁つまんないこと かいてありますね。﹂
しかし、一いっ休きゅうさんは おどろきません。
﹁おしょうさま、まんなかを わたって いきましょう。﹂
﹁だって、はしを わたっては いけない、と かいてあるでは ないか。﹂
﹁だから、まんなかを わたるのです、おしょうさま。この たてふだには、わざと はしを かんじで かかないで、はしと かなで かいて あります。これが なぞを とく かぎですよ、おしょうさま。﹂
一いっ休きゅうさんは そう いうと、すたすたと はしの まんなかを わたっていきます。
じくさいさんは いえの まえまで でて、一いっ休きゅうさんが どうするだろう、と ながめていました。
すると 一いっ休きゅうさんと おしょうさまが、へいきな かおで はしを わたって きたので、
﹁しゅうけんさん、おまえさんは あの たてふだが みえなかったのかね。﹂
と、いいました。
﹁いいえ。わたしは このとおり 二ふたつの めが ちゃんと そろって いますから、たてふだは よく みてきました。﹂
﹁なに、みてきた。――では、なぜ はしを わたってきましたか。﹂
﹁いいえ。はしの ほうを わたっては いけないと かいて ありましたから、まんなかを わたって きました。じくさいさん、この はしは はしの ほうが くさって いるんですか。そうでしたら、あぶないから はやく なおしておいて ください。﹂
一いっ休きゅうさんが すました かおで いうので、じくさいさんは、また、
﹁まいった。﹂
と、おもわず ひたいを たたいて、おしょうさまに、
﹁しゅうけんさんの とんちには、おとなの わたしも とても かないません。﹂と いって、したを まいてしまいましたが、すぐ おもいかえして、
﹁でも、しゅうけんさん、こんどは まけませんよ。しゅうけんさんとの とんちきょうそうは これからですよ。﹂
と、いいながら にこにこして、おしょうさまと 一いっ休きゅうさんを ざしきに あんないしました。
さて、じくさいさんは どんな、なんもんを ようい しているのでしょう?
したから うえに さがるもの
りっぱな へやに たくさんの ごちそうが はこばれてきました。 くいしんぼうの 一いっ休きゅうさんは ごくごくと のどを ならして、 ﹁どれから さきに たべようかな。﹂ と、おぜんの うえを にらんでいました。 すると じくさいさんは、ゆうゆうと おちつきはらって、 ﹁さて、しゅうけんさん、わたしが これから なんもんを だしますから、りっぱに こたえてください。もし、しゅうけんさんが わたしの なんもんに こたえられなかったら、今きょ日うの ごちそうは おあずけにします。﹂ と、いじの わるいことを いいだしました。 一いっ休きゅうさんは くやしそうに じろりと じくさいさんの かおを にらみつけましたが、ぐっと がまんして、 ﹁さっきの かたきうちですか。だめですよ じくさいさん、おやめに なった ほうが よいでしょう。﹂ やせがまんを いいます。 ﹁なあに、こんどこそ しゅうけんさんを ぎゅう というめに あわしますよ。﹂ じくさいさんは、そう いって おいて、 ﹁しゅうけんさん、したから うえに さがるものは なあに……。﹂ と、いって、 ﹁さあ、しゅうけんさん、ごちそうばかり ながめて いないで はやく こたえて ください。﹂ ﹁ははあ、そんなこと わけも ありません。﹂ 一いっ休きゅうさんは にこりと して、すらすらと、つぎの ような うたを よみました。
ふじだなの みずに うつりし ふじの はな
したより うえに さがるなりけり
したより うえに さがるなりけり
﹁はい どうです、じくさいさん。では、いただきますよ。﹂
一いっ休きゅうさんは うたいおわると さっそく ごちそうを ぱくつきました。
﹁えらい、えらい。やっぱり わたしは しゅうけんさんに かないません。さあ、たくさん、めしあがってください。﹂
じくさいさんは 大おおよろこびで いいました。
こんなふうに まけても かっても こだわらないで よろこんで いるのが、ぜんしゅうと いう しゅうしの えらい ところです。
びょうぶの とら
そのころは、ぶっきょうの なかでも ぜんしゅうが とても さかんでした。 ぜんしゅうを しんこうする ひとたちは、もんどうが 大だいすきでした。 それで、一いっ休きゅうさんの とんちは たちまち 大だいひょうばんに なって、 ﹁あんこくじの しゅうけん という 小こぼうずは 大たいへんに とんちが すぐれて いるそうだ。﹂ と、いう うわさが、ぱっと 京きょうの まちじゅうに ひろがりました。 そして、そのことが いつか しょうぐんけにも きこえました。 ときの しょうぐんは あしかが 三だいしょうぐんの よしみつ公こうです。一いっ休きゅうさんの はなしを きいた よしみつ公こうは、 ﹁ほほう、それは おもしろい。では 一ひとつ その しゅうけんと いう 小こぞうを よんで、ごちそう して やろうでは ないか。﹂ と、いって、つぎの日ひ さっそく あんこくじに つかいを よこして、 ﹁あす 小こぞうの しゅうけんを つれて きんかくじに きなさい。﹂ と、いいました。 よしみつ公こうは そのころ あたまを そって ぶつもんにはいり、天てん山ざんと いいましたが、きんかくじを たて、そこに すんで いたのでした。 むかしは ぶしが としを とると、おてらを たてて ぼうずに なり、いんきょ することが はやったものです。 しょうぐんさまから まねかれる ことは 大たいへんな めいよですから、おしょうさまは さっそく しゅうけんを つれて きんかくじに いきました。 ふたりは すぐ りっぱな 大おおひろまに とおされました。 上じょうだんの まんなかに よしみつ公こうが すわっています。その みぎと ひだりには、えらい さむらいたちが ずらりと ならんでいます。おしょうさまは しずかに 手てをついて、 ﹁おめしにより、しゅうけんを つれ さんじょう いたしました。﹂と、いいました。 ﹁おお ごくろうじゃった。﹂ よしみつ公こうは おしょうさまの うしろで あたまを さげている 一いっ休きゅうさんを じろりと ながめ、 ﹁くるしゅうない。あたまを あげい。﹂ ﹁はい。﹂ 一いっ休きゅうさんは あたまを あげて、あからがおの ずんぐり ふとった よしみつ公こうを じっと みあげました。 すると よしみつ公こうは とつぜん 一いっ休きゅうさんに いいました。 ﹁しゅうけん、おまえは なかなか とんちの よい 小こぞうじゃと きくが、どうじゃ、おまえの よこに ある その びょうぶに かいて ある トラは、まるで いきて いるようじゃろう。﹂ ﹁はい。おおせの とおりで ございます。﹂ ﹁ところが、そのトラが まいばん そのびょうぶから ぬけだして、いたずらを するので ほとほと こまるのじゃ。ついては そのほう ただちに そのトラを しばって わしの もとに つれてまいれ。﹂ よしみつ公こうは なんもんを だしました。 おしょうさま はじめ そこに いる人ひとは、みんな あっけに とられて、一いっ休きゅうさんが この なんもんに どう こたえるか じっと みつめていました。 ところが 一いっ休きゅうさんは へいきのへいざで、にこにこ わらいながら、 ﹁はい、しょうち いたしました。﹂と、さらりと こたえました。 これには こんどは なんもんを だした よしみつ公こうのほうが、あっけに とられました。 ﹁ただちに めしとるのじゃぞ。﹂ ﹁はい、わけが ありません。﹂ 一いっ休きゅうさんは よしみつ公こうに かるく あたまを さげると、びょうぶの まえに たって いき、ころもの したから 手てぬぐいを だして きりきりと はちまきをし、いかにも トラを つかまえそうな かっこうをして、 ﹁しょうぐんさま、おなわを おかしください。﹂ ﹁おお、たれか しうゅけんに﹇#﹁しうゅけんに﹂はママ﹈ なわを かしてやれ。﹂ けらいは すぐ なわを もって きて、一いっ休きゅうさんに わたしました。 どうするのだろう? 一いっ休きゅうさんは ほんきで えに かいた トラを なわで しばる つもりでしょうか。 いならぶ 人ひとたちも 手てに あせを にぎり、じっと 一いっ休きゅうさんの ようすを ながめています。 が、一いっ休きゅうさんは へいきで じっと びょうぶの なかのトラを にらんで いましたが、ふと よしみつ公こうの ほうを むいて、 ﹁よういは できました。すぐ しばりますから、どうぞ たれかに この トラを びょうぶの なかから おいださしてください。﹂ と、いいました。 ﹁う、う、うむ……なんと、その トラを おいだせと もうすか。﹂ よしみつ公こうは おもわず うなりました。 ﹁はい、おいだして くだされば しゅうけん ただちに しばります。はやく ごけらいに いいつけて おいだしてください。﹂ ﹁う、う、うむ。﹂ よしみつ公こうは 大おおきな 目めだまを ぎろりと むきだして いつまでも うなっています。 これは はっきりと よしみつ公こうの まけです。そう おもった よしみつ公こうは、すぐ、 ﹁いや、あっぱれじゃ。いかにも そちの とんち みあげた ものじゃ。﹂ と、ひざを たたいて 一いっ休きゅうさんの とんちに かんしんし、 ﹁それ、ものども しゅうけんに ごちそうを だしてやれ。﹂と、けらいに いいつけました。 おしょうさまと 一いっ休きゅうさんの まえには 山やまもりどっさりの ごちそうが たくさん はこばれてきました。一いっ休きゅうさんは にこにこ 大おおよろこびで ごちそうに ぱくつきました。さかなと にくと おさけと かたな
が、よしみつ公こうは も一ひとつ 一いっ休きゅうさんの とんちを ためして みようと おもって いたのでした。 ぜんしゅうでは さかな にく からいもの、おさけ などを たべたり のんだり することを きんじています。そういう ものを てらの なかに もってくる ことさえ きんじていました。 ところが、いま 一いっ休きゅうさんの 目めの まえに はこばれた ごちそうには、さかなも にくも ありました。 おしょうさまは ごく したしいところでは さかなも にくも たべますが、いまは しょうぐんさまの まえなので たべようか たべまいか ためらっていましたが、一いっ休きゅうさんと きたら そんなこと へいちゃらで、手てあたりしだい むしゃむしゃ たべました。 すると よしみつ公こうが いいました。 ﹁こりゃ、しゅうけん、おいしいか。﹂ ﹁はい、わたくしは くいしんぼうですから、おいしくて たまりません。﹂ ﹁ほう。では、一ひとつ きくが、しゅっけは にくや さかなを たべても いいのかな。わしは、しゅっけは なまぐさものは たべないものだ、と きいていたが……。﹂ ﹁はッ!﹂ と、いって 一いっ休きゅうさんは しばらく かんがえこみました。それから にこりとして、 ﹁しょうぐんさまも たべて おいでですね。﹂ ﹁おお。わしは さむらいじゃ。にくも さかなも たべる。﹂ ﹁でも、しょうぐんさまも あたまを ぼうずに して いらっしゃいますね。﹂ ﹁そうだ。わしも ぶつもんに はいったのじゃ。﹂ ﹁そうすると やはり ぼうさんの なかまいりを したのでしょう。﹂ ﹁その とおりじゃ。﹂ ﹁おなじ ぼうさんなら しょうぐんさまも さかなや にくを たべては いけないのでは ないでしょうか。﹂ ﹁うむ、うむ……わしは しかし ほんとうの ぼうさんではない。﹂ ﹁なまぐさぼうず ですか。なまぐさぼうずなら いたしかた ありません。﹂ 一いっ休きゅうさんは ぎゅうっと まず よしみつ公こうを とっちめました。すると よしみつ公こうは、 ﹁すると おまえも なまぐさぼうずかな。﹂ と、ぎゃくしゅう して きました。 ﹁いいえ、ちがいます。﹂ ﹁へいきで なまぐさを たべる ところを みると、なまぐさぼうず だろう。﹂ ﹁いいえ、わたしのは ちがいます。﹂ ﹁どう ちごう。﹂ ﹁にんげんの のどには、しょくどうと きどうと ございます。﹂ ﹁ほう、二ふたつ あるか。﹂ ﹁このみちは、とうかいどうと かまくらかいどう みたいな ものです。﹂ しょくどうは たべものを たべるみち、きどうは くうきを すったり はいたり するみち――みなさんは、のどに 二ほんの くだなど ないことは ちゃんと しっているでしょう。しかし これは とんちもんどうですから、また べつです。 ﹁ほう。﹂ よしみつ公こうは 一いっ休きゅうめ なにを いいだすか、と にこにこしています。 ﹁かいどうならば、もちやも とおれば、さかなやも とおります。とうふやも にくやも とおります。﹂ ﹁かいどうなら とおるじゃろうな。﹂ ﹁はい。それで、わたしの かいどうを ただいま さかなやと にくやと とうふやが とおった わけで、けっして にくや さかなが ひとりで とおった わけでは ございません。﹂ ﹁ははあ、小こぞう うまく にげたな。﹂ よしみつ公こうは おもわず にっこりと しましたが、すぐ ぎゅっと 一いっ休きゅうさんを にらみつけて、ぐっと そばの かたなを 一いっ休きゅうさんに つきつけると、 ﹁これ しゅうけん、かいどうならば ぶしも とおるであろう。すみやかに この ぶしを とおしてみよ。﹂ さあ 大だいなんだいです。かたなを とおしたら、しんで しまいます。が、一いっ休きゅうさんは へいきで、 ﹁いや、むやみ やたらには おとおし できません。﹂ ﹁なぜじゃ。﹂ ﹁おそれながら もうしあげます。ただいまは よのなかも しずかでは ありますが、まだまだ かたなを さした とうぞくも おれば、しょうぐんさまに 手てむかい しようと ねらっている ものも あるかも しれません。さかなやや にくやや とうふやは そんな わるい ことを しませんが、かたなを さした ぶしは、いちいち しらべないと とおす ことは できません。﹂ 一いっ休きゅうさんは まんまと いいのがれて しまいました。ことに よしみつ公こうに 手てむかいするものが あるかも しれない。それを しらべないで とおす わけには いかない、と いったのが、とても よしみつ公こうの おきにいったので、よしみつ公こうは、 ﹁しゅうけん、でかしたッ!﹂ と、大おおよろこびで、 ﹁しゅうけん、これからも よくよく がくもん して りっぱな そうりょに なれよ。それ、しゅうけんに ほうびを とらせよ。﹂ と、けらいに めいじて たくさんの ごほうびを しゅうけんに あたえました。ほんとうの ぼうさん
しかし 一いっ休きゅうさんは こんな とんちもんどう ばかりして いたのではありません。 おしょうさまに ついて ねっしんに がくもんに はげんで いました。それで、一いっ休きゅうさんは ほんとうの にんげんの みち、ほんとうの ぼうさんの みち、と いうものも だんだん わかって いきました。 あるときの ことでした。 一いっ休きゅうさんが おしょうさまの おつかいで まちを とおりますと、 ﹁もしもし、あなたは あんこくじの 小こぞうさんでは ございませんか。﹂ と、ひとり みしらぬ おばあさんが 一いっ休きゅうさんを よびとめました。 ﹁はい、そうです。あんこくじの しゅうけんです。なにか ごようでしょうか。﹂ 一いっ休きゅうさんが おどろいて たちどまると、おばあさんは 一いっ休きゅうさんを おがむように して、 ﹁やっぱり ほとけさまの おみちびきです。﹂と、いいます。 が、一いっ休きゅうさんは なんの ことか わかりません。 ﹁どうしたのですか、おばあさん。﹂ ﹁はい、はい。じつは けさ はやく おじいさんが なくなったのです。どうぞ いんどうを わたして いただけないでしょうか。もしも おねがいが できれば、ほとけも うかばれます。﹂ ﹁でも、おばあさん、それでしたら あなたの だんなでらに おねがい したら よくは ありませんか。﹂ ﹁それが だめなので ございます。わたしの いえは おじいさんの ながわずらいで、一もんの おかねもありません。けさ おてらに いんどうを わたして ください とたのみに いきましたら、おてらさんでは、わたしが おふせを だせないことを しっていて、きて くれません。どうぞ おねがいします。﹂ おばあさんは かなしそうに なみだを ながして ぴたりと じべたに すわり、一いっ休きゅうさんに 手てをあわせて たのみました。 ﹁そうですか。﹂ 一いっ休きゅうさんは ぐっと むねが あつく なりました。おばあさんが かわいそうなのと、それよりも おふせが だせないからと いって、おきょうも あげてやらない その てらの ぼうさんに たいする いきどおり のためでした。 ぶっきょうの もとを ひらかれた おしゃかさまは おうじの みぶんを すてて、山やまに はいり、こじきのような くらしを しながら、だれにでも おんなじに おきょうを よんで くれました。 ところが そのころの ぼうさんの なかには おかねもちや、えらいひとにばかり こびへつらって、たくさんの おかねを もらい、ぜいたくを することばかり かんがえている ぼうさんが たくさん いました。 そんなことは ぼうさんと しては、いちばん わるいことです。ほんとうの ぼうさんの みちを みっちりと こころの なかに いれている 一いっ休きゅうさんは、はらわたが にえかえるほど いやな きもちになりました。 ﹁ああ、なげかわしい ことだな。﹂ そう おもうと、 ﹁そうですか。それは こまりましょう。それでは わたしが おきょうを よんで あげましょう。﹂ と、いって、一いっ休きゅうさんは すぐ おばあさんと いっしょに おばあさんの いえに いきました。 なるほど、おばあさんの いえは ひどい いえでした。やねも かべも くずれかかり、ちょっとの かぜにも ふっとんで しまいそうな きたない いえです。 ﹁さあ おばあさん、おきょうを よんで あげましょう。﹂ 一いっ休きゅうさんは ねんごろに おきょうを あげてやりました。おばあさんは、 ﹁あなたは いきぼとけさまだ。﹂ と、いって よろこびました。口くちと 手て
さて また 一いっ休きゅうさんの とんちばなしに、うつりましょう。 ある日ひの ことです。おしょうさまが、一いっ休きゅうさんを よんで、 ﹁しゅうけん、ほんどうの おとうみょうを けして きなさい。﹂ と、いいつけました。 ﹁はい。﹂ 一いっ休きゅうさんは すたすたと、ほんどうに いって、ふっ ふと、おとうみょうを ふきけしました。 すると、これを みていた おしょうさまが、また、 ﹁しゅうけん、しゅうけん、ちょっと おいで。﹂と、よびました。 ﹁はい、なんで ございますか。﹂ 一いっ休きゅうさんが おしょうさまの まえに くると、おしょうさまは、 ﹁しゅうけん、いま おまえは なにで おとうみょうを けした?﹂と、ききました。 ﹁はい、口くちで ふきけしました。﹂ ﹁それは、いけません。口くちは いろいろな ものを たべるところです。口くちの なかは きたなく なっています。その口くちで、おとうみょうを ふきけしては、ほとけの ばちが あたります。おまえも もう、まるまるの 子こどもでは、ありません。そのくらいの ことは おぼえて おきなさい。﹂ ﹁…………﹂ はい、と こたえるかと おもいのほか、一いっ休きゅうさんは いかにも わからない という かおつきで、 ﹁では、おしょうさま、おきょうも 口くちで よんでは なりませぬか?﹂ ﹁なぜじゃ。﹂ ﹁ただいまの おはなしですと、口くちは きたないから おとうみょうを ふきけしては いけないと おっしゃいましたが、その きたない 口くちで、とうとい おきょうを よんでは、なおさら ほとけの ばちが あたりは しないか、と しんぱいです。﹂ ﹁うむ、なるほど……。﹂ おしょうさまも、これには へんじの しようが ありません。 しかし、これは けっして へりくつでは ありません。どんな ことも こういう ぐあいにして、わるいところが あらためられて いくのです。でるか はいるか
ひさしぶりで、じくさいさんから てがみが きました。 ﹁なかなか あつい日ひが つづきます。こんなときは、とんちもんどう でもして あつさを しのぐに かぎります。どうぞ、おししょうさまと いっしょに あそびに きてください。そのかわり、ごちそうは たくさん ようい しておきます。﹂ ﹁おしょうさま、じくさいさんから こんな てがみが きましたよ。﹂ 一いっ休きゅうさんは おしょうさまの へやに とんで いきました。 ﹁ほう、よしよし。それでは さっそく でかけるとしよう。﹂ 一いっ休きゅうさんと おしょうさまは そろって じくさいさんのいえに でかけました。 こんどは、はしの たてふだも ありません。 ﹁じくさいさん、今きょ日うは どんな なんもんを よういしているかな。﹂ どこから なにが とびだすかも わかりません。一いっ休きゅうさんは ようじん おさおさ おこたりなく、いえに はいりました。 が、今きょ日うの じくさいさんは、とても きげんが よくて、なかなか なんもんを だしません。 そのうち めしつかいたちが どんどん おいしい ごちそうを はこびました。 と、ひとりの めしつかいが、いま へやを でて いこうと して、しきいを またいだ ときです。 ﹁これこれ、ちょっと まちなさい。﹂ と、じくさいさんが その めしつかいを よびとめました。 ﹁はい。﹂と いって、めしつかいは しきいを またいだまま たちどまりました。 すると じくさいさんは 一いっ休きゅうさんに むかって、 ﹁しゅうけんさん、あの めしつかいは、へやを でますか、それとも もどって きますか?﹂ と、ききました。 ははん、きたなと おもった 一いっ休きゅうさんは、ぽんぽんと 手てを たたいて、 ﹁じくさいさん、いま なった 手ては みぎですか、ひだりですか?﹂ と、いいました。 ﹁はははあ……。﹂ じくさいさんは なにも いわないで わらっています。 これで、もんどうは じくさいさんの まけです。 みなさん わかりますか。 手てを たたいて なった ほうは みぎと こたえても、ひだりと こたえても、りょうほうです、と こたえても いいでしょう。 ですから、みぎ、と こたえれば、ひだりです、と いうかも しれません。 じくさいさんの よびとめた めしつかいも、一いっ休きゅうさんが、 ﹁でる。﹂ と、こたえれば、もどって くる つもりです。 ﹁もどる。﹂ と、こたえれば、でていく つもりです。 へんじの しようが ありません。へんじの しようが ないでは ないか、と いうことを、一いっ休きゅうさんは 手てを たたいて こたえたのです。とりの もんどう
この もんどうだけで ごちそうが おわりました。 三にんで えんがわに でて にわを ながめて いると、ひとりの こどもが ちょこちょこと めの まえに でてきました。 その こどもは みぎてに 小ことりを いちわ にぎって いました。それを みた じくさいさんは、そしらぬ ふりで、一いっ休きゅうさんに はなしかけました。 ﹁しゅうけんさん、あの 子こどもの 手てに にぎられている 小ことりは、しんで いますか、いきて いますか?﹂ 一いっ休きゅうさんは にこにこして、すーっと たちあがりました。そして、さっき じくさいさんの めしつかいが したように へやの さかいの しきいを またいで、 ﹁じくさいさん、わたしは へやを でますか、もどりますか?﹂ と、いいました。 それをみた じくさいさんは、わらいながら、 ﹁わたしの まけです。﹂ と、いって おじぎを しました。 これも さっきの もんどうと おんなじことで、一いっ休きゅうさんが 子こどもの 手てに にぎられた 小ことりを、 ﹁いきて いる。﹂ と、いえば、にぎりころす つもり、 ﹁しんで いる。﹂ と、いえば、 ﹁ほれ、この とおり いきて いる。﹂ と、いきた まま だして みせる つもりに ちがいないのです。十三ねん目め
一いっ休きゅうさんは いつか 十八さいに なっていました。すると ある日ひ、おしょうさまが 一いっ休きゅうさんを よんで、 ﹁しゅうけん、おまえも いつの 間まにか 十八に なりましたね。﹂ と、しんみりと いいました。 ﹁ええ、おかげさまで いつか 十八に なりました。おししょうさまの もとに まいりましたのは、六むっつの ときで ございますから、いつの まにか 十三ねん たちました。まるで ゆめの ようです。﹂ と、一いっ休きゅうさんも しんみりしました。おしょうさまは、 ﹁ついては しゅうけん、おまえに おりいって 話はなしたいことが あるのだがね。﹂ ﹁はい、なんでしょうか?﹂ ﹁じつは ね、しゅうけん、わしは もう おまえに おしえる ことが、なんにも なくなったのだ。わしの もっている がくもんは、みんな のこらず おまえに おしえつくして しまったのじゃ。このうえは たれか わしより えらい かたに おまえを おたのみして、おまえに もっと もっと がくもんを ふかめて もらいたいのじゃ。﹂ ﹁はい。﹂ ﹁十三ねんも いっしょに いた おまえと、いまさら わかれるのは わしも つらい ことじゃが、おまえの がくもんの ためには これも いたしかた ないことじゃ。﹂ ﹁はい。﹂ ﹁ついては、ここに さいごんじの おしょうに てがみが かいてある。さいごんじの おしょうは てんかに かくれない がくもんの ふかい おしょうじゃ。この てがみをもって、これから すぐ さいごんじに いきなさい。さいごんじの おしょうには もう よく 話はなしてある。﹂ ﹁はい、おししょうさま、ありがとうございます。﹂ 一いっ休きゅうさんは その日ひ さっそく さいごんじに いきました。 さいごんじの おしょうさまは、あんこくじの おしょうさまの そえてがみを みて、一いっ休きゅうさんを へやに とおすと、 ﹁しゅうけんと いう 小こぞうは おまえか?﹂ と、どなりつける ように いいました。 ﹁はい、しゅうけんと もうします。よろしく おねがい いたします。﹂ ﹁おまえは 大たいへん けんか こうろん、とんちもんどうが すきだそうだが、ほんとか?﹂ ﹁いや、おしょうさま、わたしは けんかも こうろんも すきでは ありません。﹂ ﹁なに、すきでない。それじゃあ おんなみたいに よわむしか?﹂ ﹁でも ありません。﹂ ﹁では、けんか こうろんは すきじゃろ?﹂ ﹁ほんとは すきですが、しない ことにして おります。﹂ さいごんじの おしょうさまは、じょうひんで きだてのやさしい、まえの あんこくじの おしょうさまとは まるで はんたいで、かみなりの ような 大おおごえで がみがみいう ひとでした。一いっ休きゅうさんを じろりと みおろして、 ﹁おまえを でしに するまえに、一ひとつ きいておこう。﹂ と、もんどうを はじめました。あたまは 石いし
﹁おまえは いま けんか こうろんは せぬ、と いったな。﹂ ﹁はい、もうしました。﹂ ﹁では、ひとに つばや たんを はきかけられても、けんかを せぬか。﹂ ﹁はい、おしぬぐって じっと だまり、おこらない しゅぎょうを したいと おもいます。﹂ ﹁ほう、それでよい。それが おまえに、ほんとうに できるか?﹂ ﹁はい、できます。できる ように しゅぎょう いたします。﹂ ﹁そうだ。こちらが ただしいのに、つばや たんを はきかける ような やつは、いわば、ハエみたいなものじゃ。にんげんでは ない。そんな やつを あいてに けんか こうろん すれば、こちらが ばかに なる。﹂ ﹁はい。﹂ ﹁では、あいてが ぽかりと あたまを なぐって きたら、どうする。﹂ ﹁がまん します。﹂ ﹁いや、ただ がまんする だけでは いけない。そんな やつには、いくらでも なぐらせて やるがいい。わけの わからん やつがなぐった ときは、じぶんの あたまを あたまと おもうな。石いしだと おもえ。﹂ ﹁石いしだと おもうのですか?﹂ 一いっ休きゅうさんは、にがい くすりを のんだような かおをしました。 ﹁そうじゃ。わしの あたまは 石いしじゃ。おまえの 手ては さぞ いたかったろうと あいてを ながめ、あいてを あわれんで やるのじゃ。﹂ ﹁はい。﹂ こんどの さいごんじの おしょうさまは、こんなふうに てっていした こころを もっており、そのころ がくもんも おこないも、天てん下か一だと いわれていた えらい ぼうさんでした。おしょうさまは、 ﹁おまえは なかなか できている。どうじゃ、わしの ところで しんぼう できそうか。﹂ ﹁いたします。﹂ ﹁それでは 今きょ日うから そうじゅん と 名なま前えを かえろ。﹂ 一いっ休きゅうさんは こうして、その日ひから さいごんじの 小こぞうに なりました。米こめがない
﹁そうじゅん、さっそくだが でしいりと きまったら、めしを たいて もらおう。﹂
でしいりが きまると、おしょうさまは さっそく しごとを いいつけました。
﹁はい。こめびつは どこに ありますか?﹂
﹁だいどころに ある はずじゃ。﹂
だいどころに いって みると、こめびつは あるが、こめびつの なかには おこめが 一ひとつぶも ありません。
﹁おしょうさま、おこめが ありません。﹂
﹁ないなら、どこからか さがして こい。﹂
大たいへんな ことに なったものです。
こんどの おしょうさまは がくもんや、がくもんを かんがえる じかんが おしくて、たくはつに でて、おこめを もらうのも わすれて いるのでした。三みっ日かも、四よっ日かも ごはんを たべないで、じっと がくもんを して いることが ありました。
今きょ日うも あさから なんにも たべないで、みずばかり のんで いたのです。
そのときは 一いっ休きゅうさんが すぐ きんじょの いえに いって、おこめを もらって、おしょうさまに ごはんを たいて あげましたが、そんな ぐあい ですから、がくもんでは 京きょうのみやこで いちばんだ と いわれる さいごんじの おしょうさまも ころもは ぼろぼろ、みちを あるくときは みぞの わきで ひろった 竹たけのぼうを つえに ついて あるくので、みちで あそんでいる 子こどもたちは、
﹁やーい、こじきぼうず。﹂と、はやしたてる ほどでした。
おてらの なかも ぼろぼろ――それでも、おしょうさまの おへやには 本ほんが 山やまのように つまれて いました。
つぎの日ひ、おしょうさまは、一いっ休きゅうさんを へやに つれていって、
﹁そうじゅん、これを よめ。﹂
と、かべに はってある かみを ゆびさしました。
そこには むそうこくし と いう えらい ぼうさんのかいた、ぼうさんの わけかたが はって ありました。
一、本 は たくさん よんでも、うたなどばかり つくって ほとけの おしえを わすれた ぼうず。これは あたまを そった ただの人 。
二、ごちそうばかり ほしがって、かってなことを しているぼうず。
﹁せけんには 下かとうの二の ぼうず ばかり おおいですね、おしょうさま。﹂
それを よんで 一いっ休きゅうさんが いいました。
﹁そうだよ。十にんの うちの 八にんまでは 下かとうの 二だ。﹂
﹁あんこくじの おしょうさまは どのくらいでしょう。﹂
あんこくじは まえの おてらです。
﹁そうだね。まず、中ちゅうとう かね。﹂
﹁よしみつ公こうは 下かとうの 二ですね。﹂
﹁まだ、下かとうの 二にも いかないよ。﹂
﹁おしょうさまは どのくらい ですか?﹂
﹁おれか。おれは 上じょうとうに はいりかけて いる ところだ。おまえも ぼうずに なったからには、上じょうとうの上じょうに ならなくては いけないよ。﹂
﹁はい!﹂