日本農民組合
にほんのうみんくみあい
出典: Web版尼崎地域史事典﹃apedia﹄
我が国最初の農民による全国組織として、1922年︵大正11︶4月9日神戸市で結成。略称﹁日農﹂。工場地帯として発展を遂げつつあった尼崎地方では、土地返還等大都市近郊特有の事案が多く、労働運動の発展にも触発されて米騒動以後小作人の運動は激化した。市内各所で小作争議が続発するなか、1925年3月14日東難波支部︵のちに尼崎支部と改称︶が設立された。日本労農党結成をめぐって1927年︵昭和2︶2月全日本農民組合とに分立したが、阪神間の組織は日農に踏み止まった。尼崎ではこの時尼崎・立花・大西の3支部があり、1928年塚口・小田支部が結成された。3.15事件後日農と全日農とが統一し全国農民組合が結成されたことにともない、尼崎市域は同組合の摂陽東部地区に属することとなり、尼崎・大西・塚口・東富松・森本の5支部に組合員94戸が所属した。
執筆者: 久保在久
関連項目
●全農全国会議兵庫県連合会
カテゴリ: 農民運動︵近代︶
最終更新 2006年5月6日︵土︶ 14:09
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