「江戸しぐさ」を初めて正面から批判した本が発売された。歴史研究家の原田実による『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書)だ。
原田は「江戸しぐさ」を「実際の江戸時代の中で使えそうなものは皆無」と断言し、「現代人が現代人のためにつくったマナーとしか思えない」と否定する。本書は、どこがどのように誤っているのかをはっきりと指摘し、なおかつ江戸しぐさが現代日本で普及した経緯や、創始者の芝三光がどういう人物であったのかも探る一冊だ。
はじめに 「江戸しぐさ」を読み解く三つの視点
第一章 「江戸しぐさ」を概観する
第二章 検証「江戸しぐさ」パラレルワールドの中の「江戸」
第三章 「江戸しぐさ」の展開 越川禮子と桐山勝
第四章 「江戸しぐさ」の誕生 創始者・芝三光と反骨の生涯
第五章 オカルトとしての「江戸しぐさ」 偽史が教育をむしばむ
第六章 「江戸しぐさ」教育を弾劾する 歴史教育、そして歴史学の敗北
おわりに 「江戸しぐさ」は最後の歴史捏造ではない
ミステリー小説のような面白さがあるのが、第二章の「検証」だ。
読めば読むほど、﹁江戸しぐさ﹂はトンデモとしか思えないのに、今もなお広がっている。その理由はさまざまだが、原田のこの文章がもっとも的確に示しているだろう。 ︿﹁江戸しぐさ﹂の説明をみていくと、現代人の不作法を非難し、それと対比する形で﹁江戸しぐさ﹂を行う江戸っ子を称賛するという形式のものが目立つ。
﹁江戸しぐさ﹂があったことを示す文献は存在していない。﹁NPO法人江戸しぐさ﹂によると、幕末に薩長勢力により﹁江戸っ子狩り﹂が行われ、江戸に関する記録が失われてしまったのだという。もともと﹁江戸しぐさ﹂じたい口伝で伝えられていたものであるとも。
少しでも江戸に興味があったなら、こんなトンデモを口にすることはできないだろう。もちろん検閲や焼失で現代に伝わらなかった文献は数多く存在するが、広く親しまれていた﹁思想﹂﹁哲学﹂がどこにも見られないはずがない。江戸時代の文化は本だけではなく、手紙や落語、俳句︵俳諧︶や川柳、民謡やことわざなど、いたるところで知ることができる。そのどれもが﹁江戸しぐさ﹂的な行動や思考を示さないのは明らかにおかしい。
それでも、﹁ない﹂ことを証明するのは難しいのは確かだ︵いわゆる﹁悪魔の証明﹂になる︶。原田は、﹁江戸しぐさ﹂をトンデモと指摘してもなお支持する人々について、次のように述べている。
︿信奉者に共通しているのは﹁︵嘘を交えているにしても︶すべてが嘘とはかぎらない﹂という論法である。しかし、︵中略︶そのような論法は無意味である﹀ ︿否定されているのは、伝来されていた内容以上に、伝来の経緯に関する証言や証拠なのである。その伝来の経緯が嘘だった以上、その内容だけは本当ということはまずありえない。それはさしずめ、土台が崩れているのに、その上にある建物は無事だと言っているようなものである﹀ これは﹁江戸しぐさ﹂に限らない。たとえば、昭和30年代に対する﹁古きよき日本﹂というノスタルジーや、﹁女は家庭を守るもの﹂という考え方、もっと言えば中韓や民間療法、原発にまつわるトピックについても同じことが言えるだろう。
なぜ、人はトンデモを信じ、固執してしまうのか? 原田はこう断言する。
〈彼らは、真実を求めるより、自分の思い込みを守ることの方を選んでしまった〉
(青柳美帆子)