『赤い蝋燭(ろうそく)と人魚』のルーツ 故郷上越市へ
小川未明氏は、48才の時︵1930年︶に家族とともに東高円寺に移り住み晩年を過ごした。最期の時もここで迎えるのだが、ここで過ごした時代は、すでに創作活動も中盤を越えた頃であった。
代表作の一つ﹃赤い蝋燭と人魚﹄は、1921年に執筆されさまざまな作家の挿絵で発行されているが、なかでも故いわさきちひろさんの絶筆でもある絵本は名高い。
﹁人魚﹂といえば、アンデルセンの童話﹃人魚姫﹄があまりにも有名だが、日本で﹁人魚﹂が登場する童話は稀だ。 そのルーツを彼の故郷、上越市直江津に訪ねた。
﹃赤い蝋燭と人魚﹄の銅像は、日本海の浜辺を見渡す高台の﹁船見公園﹂にある。 潮風をまとう浜辺に座って、船の安全を祈るかのごとく蝋燭を両手に持ち、海を眺める人魚。素朴で凛とした少女の眼差しは、さみしげだがどこか気品を感じさせる。
﹃赤い蝋燭と人魚﹄は、未明の幼児期の体験に根ざして描かれたと言われている。 生まれてすぐに、この地方の因習によって隣家の丸山家に里子に出された。この丸山家の家業が蝋燭作りであったという。
また、父・澄晴が建立に奔走した春日山神社を訪ねた。 小さな山の上に続く苔むした小さな石段を上がると、お宮の前に未明の碑がひっそりと佇んでいた。父の神社建立後、未明氏はこの春日山で家族と共に暮らし、山を歩いては自然石を集め、一人で空想に耽るのを好んだという。
﹃赤い蝋燭と人魚﹄の物語は、蝋燭づくりを商いにする老夫婦が、海の近くに建つ、山の上のお宮にお参りした帰りに、その麓に置き去りにされた人魚の娘を見つけ家に連れて帰るところから始まる。
美しくも恐ろしい北の海。海辺を見下ろす神社の麓の小さなまちを舞台に、やがて異形の娘が、私利私欲に目が眩んだ大人たちに翻弄されていく。 その哀しく、残酷な結末の物語には、やはり彼の幼少時の経験が、大きく影響を与えたようである。