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ハイネ詩集
生田春月 訳
新しい春
五
春はこの世にやつて来た
草も木もみな花咲いて
青い空にはうつくしく
薔薇色の雲が棚曵いてゐる
高い小枝の茂みから
夜(うぐ)鶯(ひす)はやさしくうたつてゐる
柔かな緑の三葉草の中に
白い羊はをどつてゐる
わたしは歌ひも飛びもせず
病人のやうに草の間に寝ころんで
遥か遠くの物音を聞きながら
自分でもわからない夢を見てゐる
六
わたしの胸をかるく通してあいらしく
声立てるのはおまへかい
響けよ、小さな春の歌
響いて行けよ、何処までも
乱れて花の咲きにほふ
恋しい家へ響いて行け
もしあの薔薇を見たならば
接(き)吻(す)して言へよ、わたしがよろしく申したと
七
蝶は薔薇に惚れこんで
花のまはりを飛びめぐる
その蝶にまたかゞやく日光が
惚れてめぐりにつきまとふ
だが、薔薇は誰れを慕つてゐるんだらう?
わたしはそれが知りたくてならない
それは歌つてゐる夜(うぐ)鶯(ひす)だらうか?
それは黙りこんでゐる星だらうか?
薔薇が誰れを慕つてゐるのかわたしにはわからない
だがわたしはおまへ逹みんなを好いてゐる
薔薇を、蝶々を、日光を
夕の星を、夜(うぐ)鶯(ひす)を!
八
樹といふ樹はみな鳴りさわぎ
鳥といふ鳥はみな歌ふ
この緑の森の管(オオ)絃(ケス)楽(ト)部(ラ)で
楽(カペ)団(ルマ)長(イステル)は誰であらう?
彼(あそ)処(こ)で始終尤もらしくうなづいてゐる
あの灰いろの珠(なべ)鶏(けり)だらうか?
それとも始終きまつた時(と)間(き)をおいて
くつくと鳴いてゐる、あのペダントだらうか?
他(ほか)のものがみな歌つてゐるに
まるで指揮でもするやうに
長い脚をがらがらいはせてゐる
あの真面目くさつた鸛(こふ)鳥(づ)だらうか?
いや、わたし自身の心のなかに
森の楽(カペ)団(ルマ)長(イステル)はひかへてゐて
調子を取つてゐるのにちがひない
さうしてその名は愛(アモオル)といふのにちがひない
九
﹃はじめて夜(うぐ)鶯(ひす)がああはれて
美しい歌をうたふと、その音(ね)につれて
そこにもここにも青い草が萠え出し
林檎の花がほころび菫が咲いた
夜(うぐ)鶯(ひす)が自分の胸を噛みやぶつて
紅い血を流すと、その血から
美しい薔薇の木が生え出した
するとその木に夜(うぐ)鶯(ひす)は愛の歌をうたふ
我々はじめこの森(もり)中(ぢゆう)の小鳥はみんな
その傷から流れた血と仲よくする
けれど薔薇の歌が消え去ると
森(もり)中(ぢゆう)もまた滅びてしまふのだ﹄
こんなに樫の木の巣の中で
父の雀は子雀たちに話して聞かす
母の雀はしつきりなしに囀りながら
いかにも満足さうにすわつてゐる
彼女は立派な妻君で
よく子供を育てて、ふくれたりしない
父の雀は閑つぶしにと
子供たちに神様のことを教へてやる
底本‥﹁ハイネ詩集﹂︵新潮文庫、第三十五編︶
新潮社出版、昭和八年五月十八日印刷、昭和八年五月廿八日發行、
昭和十年三月二十日廿四版。
生田春月(1892-1930年)
﹁ハイネ詩集﹂(Heinrich Heine, 1797-1856年)
入力‥osawa
編集‥明かりの本
2017年7月7日作成
物語倶楽部作成ファイル‥
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