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宮沢賢治 或る農学生の日誌
或る農学生の日誌
宮沢賢治
序
ぼくは農(のう)学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日(にっ)誌(し)を公(こう)開(かい)する。どうせぼくは字も文(ぶん)章(しょう)も下(へ)手(た)だ。ぼくと同じように本気に仕(しご)事(と)にかかった人でなかったらこんなもの実(じつ)に厭(いや)な面(おも)白(しろ)くもないものにちがいない。いまぼくが読み返(かえ)してみてさえ実に意(い)気(く)地(じ)なく野(やば)蛮(ん)なような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校の読本の村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕(しか)方(た)ない。ぼくらは空(くう)想(そう)でならどんなことでもすることができる。けれどもほんとうの仕事はみんなこんなにじみなのだ。そしてその仕事をまじめにしているともう考えることも考えることもみんなじみな、そうだ、じみというよりはやぼな所(いわ)謂(ゆる)田(いな)舎(かく)臭(さ)いものに変(かわ)ってしまう。
ぼくはひがんで云(い)うのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろいろな仕事のことを云いながらはたらいているところを読んだら、ぼくを軽(けい)べつする人がきっと沢(たく)山(さん)あるだろう。そんなやつをぼくは叩(たた)きつけてやりたい。ぼくは人を軽べつするかそうでなければ妬(ねた)むことしかできないやつらはいちばん卑(ひき)怯(ょう)なものだと思う。ぼくのように働(はたら)いている仲(なか)間(ま)よ、仲間よ、ぼくたちはこんな卑怯さを世(せか)界(い)から無(な)くしてしまおうでないか。
一九二五、四月一日 火曜日 晴
今日から新らしい一学(がっ)期(き)だ。けれども学校へ行っても何だか張(はり)合(あ)いがなかった。一年生はまだはいらないし三年生は居(い)ない。居ないのでないもうこっちが三年生なのだが、あの挨(あい)拶(さつ)を待(ま)ってそっと横(よこ)眼(め)で威(い)張(ば)っている卑(ひき)怯(ょう)な上(じょ)級(うき)生(ゅうせい)が居ないのだ。そこで何だか今まで頭をぶっつけた低(ひく)い天(てん)井(じょ)裏(ううら)が無(な)くなったような気もするけれどもまた支(しち)柱(ゅう)をみんな取(と)ってしまった桜(さくら)の木のような気もする。今日の実(じっ)習(しゅう)にはそれをやった。去(きょ)年(ねん)の九月古い競(けい)馬(ばじ)場(ょう)のまわりから掘って来て植(う)えておいたのだ。今ごろ支柱を取るのはまだ早いだろうとみんな思った。なぜならこれからちょうど小さな根(ね)がでるころなのに西風はまだまだ吹(ふ)くから幹(みき)がてこになってそれを切るのだ。けれども菊(きく)池(ち)先生はみんな除(と)らせた。花が咲(さ)くのに支柱があっては見っともないと云(い)うのだけれども桜が咲くにはまだ一月もその余(よ)もある。菊池先生は春になったのでただ面(おも)白(しろ)くてあれを取ったのだとおもう。
その古い縄(なわ)だの冬の間のごみだの運(うん)動(どう)場(じょう)の隅(すみ)へ集(あつ)めて燃(も)やした。そこでほかの実習の組の人たちは羨(うらや)ましがった。午前中その実習をして放(ほう)課(か)になった。教科書がまだ来ないので明日もやっぱり実習だという。午(ご)后(ご)はみんなでテニスコートを直(なお)したりした。
四月二日 水曜日 晴
今日は三年生は地(ちし)質(つ)と土(どせ)性(い)の実習だった。斉(さい)藤(とう)先生が先に立って女学校の裏(うら)で洪(こう)積(せき)層(そう)と第(だい)三紀(き)の泥(でい)岩(がん)の露(ろし)出(ゅつ)を見てそれからだんだん土性を調(しら)べながら小(こぶ)船(な)渡(と)の北(きた)上(かみ)の岸(きし)へ行った。河(かわ)へ出ている広い泥岩の露出で奇(きた)体(い)なギザギザのあるくるみの化(かせ)石(き)だの赤い高(たか)師(しこ)小(ぞ)僧(う)だのたくさん拾(ひろ)った。それから川岸を下って朝(あさ)日(ひば)橋(し)を渡(わた)って砂(じゃ)利(り)になった広い河(かわ)原(ら)へ出てみんなで鉄(かな)鎚(づち)でいろいろな岩石の標(ひょ)本(うほん)を集(あつ)めた。河原からはもうかげろうがゆらゆら立って向(むこ)うの水などは何だか風のように見えた。河原で分れて二時頃(ごろ)うちへ帰った。
そして晩(ばん)まで垣(かき)根(ね)を結(ゆ)って手(てつ)伝(だ)った。あしたはやすみだ。
四月三日 今日はいい付(つ)けられて一日古い桑(くわ)の根(ね)掘(ほ)りをしたので大へんつかれた。
四月四日、上(うえ)田(だく)君(ん)と高(たか)橋(はし)君(くん)は今日も学校へ来なかった。上田君は師(しは)範(ん)学校の試(しけ)験(ん)を受(う)けたそうだけれどもまだ入ったかどうかはわからない。なぜ農(のう)学校を二年もやってから師範学校なんかへ行くのだろう。高橋君は家で稼(かせ)いでいてあとは学校へは行かないと云ったそうだ。高橋君のところは去(きょ)年(ねん)の旱(かん)魃(ばつ)がいちばんひどかったそうだから今年はずいぶん難(なん)儀(ぎ)するだろう。それへ較(くら)べたらうちなんかは半分でもいくらでも穫(と)れたのだからいい方だ。今年は肥(ひり)料(ょう)だのすっかり僕(ぼく)が考えてきっと去年の埋(う)め合せを付(つ)ける。実(じっ)習(しゅう)は苗(なわ)代(しろ)掘(ほ)りだった。去年の秋小さな盛(も)りにしていた土を崩(くず)すだけだったから何でもなかった。教科書がたいてい来たそうだ。ただ測(そく)量(りょう)と園(えん)芸(げい)が来ないとか云っていた。あしたは日曜だけれども無(な)くならないうちに買いに行こう。僕は国語と修(しゅ)身(うしん)は農事試験場へ行った工(くど)藤(う)さんから譲(ゆず)られてあるから残(のこ)りは九冊(さつ)だけだ。
四月五日 日
南(みな)万(みま)丁(んち)目(ょうめ)へ屋(や)根(ね)換(が)えの手(てつ)伝(だ)え(︵ママ︶)にやられた。なかなかひどかった。屋根の上にのぼっていたら南の方に学校が長々と横(よこた)わっているように見えた。ぼくは何だか今日は一日あの学校の生(せい)徒(と)でないような気がした。教科書は明日買う。
四月六日 月
今日は入学式(しき)だった。ぼんやりとしてそれでいて何だか堅(かた)苦(くる)しそうにしている新入生はおかしなものだ。ところがいまにみんな暴(あば)れ出す。来年になるとあれがみんな二年生になっていい気になる。さ来年はみんな僕(ぼく)らのようになってまた新入生をわらう。そう考(かんが)えると何だか変(へん)な気がする。伊(いと)藤(うく)君(ん)と行って本(ほん)屋(や)へ教科書を九冊(さつ)だけとっておいてもらうように頼(たの)んでおいた。
四月七日 火、朝父から金を貰(もら)って教科書を買った。
そして今日から授(じゅ)業(ぎょう)だ。測(そく)量(りょう)はたしかに面(おも)白(しろ)い。地図を見るのも面白い。ぜんたいここらの田や畑(はたけ)でほんとうの反(たん)別(べつ)になっている処(ところ)がないと武(たけ)田(だ)先生が云(い)った。それだから仕(しご)事(と)の予(よて)定(い)も肥(ひり)料(ょう)の入れようも見当がつかないのだ。僕(ぼく)はもう少し習(なら)ったらうちの田をみんな一枚(まい)ずつ測(はか)って帳(ちょ)面(うめん)に綴(と)じておく。そして肥料だのすっかり考えてやる。きっと今年は去(きょ)年(ねん)の旱(かん)魃(ばつ)の埋(う)め合せと、それから僕の授(じゅ)業(ぎょ)料(うりょう)ぐらいを穫(と)ってみせる。実習は今日も苗(なわ)代(しろ)掘(ほ)りだった。
四月八日 水、今日は実(じっ)習(しゅう)はなくて学校の行(こう)進(しん)歌(か)の練(れん)習(しゅう)をした。僕らが歌って一年生がまねをするのだ。けれどもぼくは何だか圧(お)しつけられるようであの行(こう)進(しん)歌(か)はきらいだ。何だかあの歌を歌うと頭が痛(いた)くなるような気がする。実(じっ)習(しゅう)のほうが却(かえ)っていいくらいだ。学校から纏(まと)めて注(ちゅ)文(うもん)するというので僕(ぼく)は苹(りん)果(ご)を二本と葡(ぶど)萄(う)を一本頼(たの)んでおいた。
四月九日︹以下空白︺
一千九百廿(にじゅう)五年五月五日 晴
まだ朝の風は冷(つめ)たいけれども学校へ上り口の公園の桜(さくら)は咲(さ)いた。けれどもぼくは桜の花はあんまり好(す)きでない。朝日にすかされたのを木の下から見ると何だか蛙(かえる)の卵(たまご)のような気がする。それにすぐ古くさい歌やなんか思い出すしまた歌など詠(よ)むのろのろしたような昔(むかし)の人を考えるからどうもいやだ。そんなことがなかったら僕(ぼく)はもっと好きだったかも知れない。誰(だれ)も桜が立(りっ)派(ぱ)だなんて云(い)わなかったら僕はきっと大声でそのきれいさを叫(さけ)んだかも知れない。僕は却(かえ)ってたんぽぽの毛のほうを好きだ。夕(ゆう)陽(ひ)になんか照(て)らされたらいくら立派だか知れない。
今日の実習は陸(おか)稲(ぼ)播(ま)きで面(おも)白(しろ)かった。みんなで二うねずつやるのだ。ぼくは杭(くい)を借(か)りて来て定(じょ)規(うぎ)をあてて播いた。種(しゅ)子(し)が間(かん)隔(かく)を正しくまっすぐになった時はうれしかった。いまに芽(め)を出せばその通り青く見えるんだ。学校の田のなかにはきっとひばりの巣(す)が三つ四つある。実習している間になんべんも降(お)りたのだ。けれども飛(と)びあがるところはつい見なかった。ひばりは降りるときはわざと巣からはなれて降りるから飛びあがるとこを見なければ巣のありかはわからない。
一千九百二十五年五月六日
今日学校で武(たけ)田(だ)先生から三年生の修(しゅ)学(うが)旅(くり)行(ょこう)のはなしがあった。今月の十八日の夜十時で発(た)って二十三日まで札(さっ)幌(ぽろ)から室(むろ)蘭(らん)をまわって来るのだそうだ。先生は手に取(と)るように向(むこ)うの景(けし)色(き)だの見て来ることだの話した。
津(つが)軽(るか)海(いき)峡(ょう)、トラピスト、函(はこ)館(だて)、五(ごり)稜(ょう)郭(かく)、えぞ富(ふ)士(じ)、白(しら)樺(かば)、小(おた)樽(る)、札幌の大学、麦(ビー)酒(ル)会社、博(はく)物(ぶつ)館(かん)、デンマーク人の農(のう)場(じょう)、苫(とま)小(こま)牧(い)、白(しら)老(おい)のアイヌ部(ぶら)落(く)、室(むろ)蘭(らん)、ああ僕(ぼく)は数(かぞ)えただけで胸(むね)が踊(おど)る。五時間目には菊(きく)池(ち)先生がうちへ宛(あ)てた手紙を渡(わた)して、またいろいろ話された。武田先生と菊池先生がついて行かれるのだそうだ。
行く人が二十八人にならなければやめるそうだ。それは県(けん)の規(きそ)則(く)が全(ぜん)級(きゅう)の三分の一以(いじ)上(ょう)参(さん)加(か)するようになってるからだそうだ。けれども学校へ十九円納(おさ)めるのだしあと五円もかかるそうだから。きっと行けると思う人はと云ったら内(ない)藤(とう)君や四人だけ手をあげた。みんな町の人たちだ。うちではやってくれるだろうか。父が居(い)ないので母へだけ話したけれども母は心(しん)配(ぱい)そうに眼(め)をあげただけで何とも云わなかった。けれどもきっと父はやってくれるだろう。そしたら僕は大きな手(てち)帳(ょう)へ二冊(さつ)も書いて来て見せよう。
五月七日
今朝父へ学校からの手紙を渡してそれからいろいろ先生の云ったことを話そうとした。すると父は手紙を読んでしまってあとはなぜか大へんあたりに気(き)兼(が)ねしたようすで僕が半分しか云わないうちに止めてしまった。そしてよく相(そう)談(だん)するからと云った。祖(そ)母(ぼ)や母に気兼ねをしているのかもしれない。
五月八日 行く人が大ぶあるようだ。けれどもうちでは誰(だれ)も何とも云わない。だから僕(ぼく)はずいぶんつらい。
五月九日、
三時間目に菊(きく)池(ち)先生がまたいろいろ話された。行くときまった人はみんな面(おも)白(しろ)そうにして聞いていた。僕は頭が熱(あつ)くて痛(いた)くなった。ああ北海道、雑(ざつ)嚢(のう)を下げてマントをぐるぐる捲(ま)いて肩(かた)にかけて津(つが)軽(るか)海(いき)峡(ょう)をみんなと船で渡(わた)ったらどんなに嬉(うれ)しいだろう。
五月十日 今日もだめだ。
五月十一日 日曜 曇(くもり) 午前は母や祖(そ)母(ぼ)といっしょに田(た)打(う)ちをした。午(ご)后(ご)はうちのひば垣(がき)をはさんだ。何だか修(しゅ)学(うが)旅(くり)行(ょこう)の話が出てから家中へんになってしまった。僕はもう行かなくてもいい。行かなくてもいいから学校ではあと授(じゅ)業(ぎょう)の時間に行く人を調(しら)べたり旅行の話をしたりしなければいいのだ。
北海道なんか何だ。ぼくは今に働(はたら)いて自分で金をもうけてどこへでも行くんだ。ブラジルへでも行ってみせる。
五月十二日、今日また人数を調べた。二十八人に四人足りなかった。みんなは僕(ぼく)だの斉(さい)藤(とう)君(くん)だの行かないので旅行が不(ふせ)成(いり)立(つ)になると云(い)ってしきりに責(せ)めた。武(たけ)田(だ)先生まで何だか変(へん)な顔をして僕に行けと云う。僕はほんとうにつらい。明(みょ)后(うご)日(にち)までにすっかり決(き)まるのだ。夕方父が帰って炉(ろ)ばたに居(い)たからぼくは思い切って父にもう一度(ど)学校の事(じじ)情(ょう)を云った。
すると父が母もまだ伊(いせ)勢(ま)詣(い)りさえしないのだし祖(そ)母(ぼ)だって伊勢詣り一ぺんとここらの観(かん)音(のん)巡(めぐ)り一ぺんしただけこの十何年死(し)ぬまでに善(ぜん)光(こう)寺(じ)へお詣りしたいとそればかり云っているのだ、ことに去(きょ)年(ねん)からのここら全(ぜん)体(たい)の旱(かん)魃(ばつ)でいま外へ遊(あそ)んで歩くなんてことはとなりやみんなへ悪(わる)くてどうもいけないということを云った。
僕はいくら下を向いていても炉のなかへ涙(なみだ)がこぼれて仕(しか)方(た)なかった。それでもしばらくたってからそんなら僕はもう行かなくてもいいからと云(い)った。ぼくはみんなが修(しゅ)学(うが)旅(くり)行(ょこう)へ発(た)つ間休みだといって学校は欠(けっ)席(せき)しようと思ったのだ。すると父がまたしばらくだまっていたがとにかくもいちど相(そう)談(だん)するからと云ってあとはいろいろ稲(いね)の種(しゅ)類(るい)のことだのふだんきかないようなことまでぼくにきいた。ぼくはけれども気(き)持(も)ちがさっぱりした。
五月十三日 今日学校から帰って田に行ってみたら母だけ一人居(い)て何だか嬉(うれ)しそうにして田の畦(あぜ)を切っていた。
何かあったのかと思ってきいたら、今にお父さんから聞けといった。ぼくはきっと修学旅行のことだと思った。
僕もそこで母が家へ帰るまで田(た)打(う)ちをして助(たす)けた。
けれども父はまだ帰って来ない。
五月十四日、昨(さく)夜(や)父が晩(おそ)く帰って来て、僕を修学旅行にやると云った。母も嬉しそうだったし祖母もいろいろ向(むこ)うのことを聞いたことを云った。祖母の云うのはみんな北海道開(かい)拓(たく)当(とう)時(じ)のことらしくて熊(くま)だのアイヌだの南(かぼ)瓜(ちゃ)の飯(めし)や玉(とう)蜀(もろ)黍(こし)の団(だん)子(ご)やいまとはよほどちがうだろうと思われた。今日学校へ行って武(たけ)田(だ)先生へ行くと云(い)って届(とど)けたら先生も大へんよろこんだ。もうあと二人足りないけれども定(てい)員(いん)を超(こ)えたことにして県(けん)へは申(しん)請(せい)書(しょ)を出したそうだ。ぼくはもう行ってきっとすっかり見て来る、そしてみんなへ詳(くわ)しく話すのだ。
一九二五、五、一八、
汽車は闇(やみ)のなかをどんどん北へ走って行く。盛(もり)岡(おか)の上のそらがまだぼうっと明るく濁(にご)って見える。黒い藪(やぶ)だの松(まつ)林(ばやし)だのぐんぐん窓(まど)を通って行く。北(きた)上(かみ)山地の上のへりが時々かすかに見える。
さあいよいよぼくらも岩(いわ)手(てけ)県(ん)をはなれるのだ。
うちではみんなもう寝(ね)ただろう。祖母さんはぼくにお守(まも)りを借(か)してくれた。さよなら、北上山地、北上川、岩手県の夜の風、今武田先生が廻(まわ)ってみんなの席(せき)の工(ぐあ)合(い)や何かを見て行った。
一九二六(︵ママ︶)、五、一九、︹以下空白︺
五月十九日
*
いま汽車は青森県の海(かい)岸(がん)を走っている。海は針(はり)をたくさん並(なら)べたように光っているし木のいっぱい生(は)えた三角な島もある。いま見ているこの白い海が太(たい)平(へい)洋(よう)なのだ。その向(むこ)うにアメリカがほんとうにあるのだ。ぼくは何だか変(へん)な気がする。
海が岬(みさき)で見えなくなった。松(まつ)林(ばやし)だ。また見える。次(つぎ)は浅(あさ)虫(むし)だ。石を載(の)せた屋(や)根(ね)も見える。何て愉(ゆか)快(い)だろう。
*
青森の町は盛(もり)岡(おか)ぐらいだった。停(てい)車(しゃ)場(じょう)の前にはバナナだの苹(りん)果(ご)だの売る人がたくさんいた。待(まち)合(あい)室(しつ)は大きくてたくさんの人が顔を洗(あら)ったり物(もの)を食べたりしている。待合室で白い服(ふく)を着(き)た車(しゃ)掌(しょう)みたいな人が蕎(そ)麦(ば)も売っているのはおかしい。
*
船はいま黒い煙(けむり)を青森の方へ長くひいて下(しも)北(きた)半(はん)島(とう)と津(つが)軽(る)半島の間を通って海(かい)峡(きょう)へ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりの影(かげ)は波(なみ)にうつって黒い鏡(かがみ)のようだ。津軽半島の方はまるで学校にある広(ひろ)重(しげ)の絵のようだ。山の谷がみんな海まで来ているのだ。そして海(かい)岸(がん)にわずかの砂(すな)浜(はま)があってそこには巨(おお)きな黒(くろ)松(まつ)の並(なみ)木(き)のある街(かい)道(どう)が通っている。少し大きな谷には小さな家が二、三十も建(た)っていてそこの浜には五、六そうの舟(ふね)もある。
さっきから見えていた白い燈(とう)台(だい)はすぐそこだ。ぼくは船が横(よこ)を通る間にだまってすっかり見てやろう。絵が上(じょ)手(うず)だといいんだけれども僕(ぼく)は絵は描(か)けないから覚(おぼ)えて行ってみんな話すのだ。風は寒(さむ)いけれどもいい天気だ。僕は少しも船に酔(よ)わない。ほかにも誰(だれ)も酔ったものはない。
*
いるかの群(むれ)が船の横を通っている。いちばんはじめに見(み)附(つ)けたのは僕だ。ちょっと向うを見たら何か黒いものが波(なみ)から抜(ぬ)け出て小さな弧(こ)を描(えが)いてまた波へはいったのでどうしたのかと思ってみていたらまたすぐ近くにも出た。それからあっちにもこっちにも出た。そこでぼくはみんなに知らせた。何だか手を気を付(つ)けの姿(しせ)勢(い)で水を出たり入ったりしているようで滑(こっ)稽(けい)だ。
先生も何だかわからなかったようだが漁(りょ)師(うし)の頭(かしら)らしい洋(よう)服(ふく)を着(き)た肥(ふと)った人がああいるかですと云(い)った。あんまりみんな甲(かん)板(ぱん)のこっち側(がわ)へばかり来たものだから少し船が傾(かたむ)いた。
風が出てきた。
何だか波が高くなってきた。
東も西も海だ。向うにもう北海道が見える。何だか工(ぐあ)合(い)がわるくなってきた。
*
いま汽車は函(はこ)館(だて)を発(た)って小(おた)樽(る)へ向(むか)って走っている。窓(まど)の外はまっくらだ。もう十一時だ。函館の公園はたったいま見て来たばかりだけれどもまるで夢(ゆめ)のようだ。
巨(おお)きな桜(さくら)へみんな百ぐらいずつの電(でん)燈(とう)がついていた。それに赤や青の灯(ひ)や池にはかきつばたの形した電(でん)燈(とう)の仕(し)掛(か)けものそれに港(みなと)の船の灯や電車の火花じつにうつくしかった。けれどもぼくは昨(さく)夜(や)からよく寝(ね)ないのでつかれた。書かないでおいたってあんなうつくしい景(けし)色(き)は忘(わす)れない。それからひるは過(かり)燐(んさ)酸(ん)の工場と五(ごり)稜(ょう)郭(かく)。過燐酸石(せっ)灰(かい)、硫(りゅ)酸(うさん)もつくる。
五月廿日
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いま窓(まど)の右手にえぞ富(ふ)士(じ)が見える。火山だ。頭が平(ひら)たい。焼(や)いた枕(まく)木(らぎ)でこさえた小さな家がある。熊(くま)笹(ざさ)が茂(しげ)っている。植(しょ)民(くみ)地(んち)だ。
*
いま小(おた)樽(る)の公園に居(い)る。高(こう)等(とう)商(しょ)業(うぎょう)の標(ひょ)本(うほ)室(んしつ)も見てきた。馬(ばれ)鈴(いし)薯(ょ)からできるもの百五、六十種(しゅ)の標本が面(おも)白(しろ)かった。
この公園も丘(おか)になっている。白(しら)樺(かば)がたくさんある。まっ青(さお)な小樽湾(わん)が一目だ。軍(ぐん)艦(かん)が入っているので海軍には旗(はた)も立っている。時間があれば見せるのだがと武(たけ)田(だ)先生が云った。ベンチへ座(すわ)ってやすんでいると赤い蟹(かに)をゆでたのを売りに来る。何だか怖(こわ)いようだ。よくあんなの食べるものだ。
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一千九百廿五年十月十六日
一時間目の修(しゅ)身(うしん)の講(こう)義(ぎ)が済(す)んでもまだ時間が余(あま)っていたら校長が何でも質(しつ)問(もん)していいと云った。けれども誰(だれ)も黙(だま)っていて下を向(む)いているばかりだった。ききたいことは僕(ぼく)だってみんなだって沢(たく)山(さん)あるのだ。けれどもぼくらがほんとうにききたいことをきくと先生はきっと顔をおかしくするからだめなのだ。
なぜ修身がほんとうにわれわれのしなければならないと信(しん)ずることを教えるものなら、どんな質問でも出さしてはっきりそれをほんとうかうそか示(しめ)さないのだろう。
一千九百廿五年十月廿五日
今日は土(どせ)性(いち)調(ょう)査(さ)の実(じっ)習(しゅう)だった。僕(ぼく)は第(だい)二班(はん)の班長で図(ずば)板(ん)をもった。あとは五人でハムマアだの検(けん)土(どじ)杖(ょう)だの試(しけ)験(ん)紙(し)だの塩(えん)化(か)加(カ)里(リ)の瓶(びん)だの持(も)って学校を出るときの愉(ゆか)快(い)さは何とも云(い)われなかった。谷(たに)先生もほんとうに愉快そうだった。六班がみんな思い思いの計画で別(べつ)々(べつ)のコースをとって調査にかかった。僕は郡(ぐん)で調(しら)べたのをちゃんと写(うつ)して予(よさ)察(つ)図(ず)にして持っていたからほかの班のようにまごつかなかった。けれどもなかなかわからない。郡のも十万分一だしほんの大体しか調ば(︵マ)っ(マ︶)ていない。猿(さる)ヶ(がい)石(し)川の南の平(ひら)地(ち)に十時半ころまでにできた。それからは洪(こう)積(せき)層(そう)が旧(キー)天(デン)王(ノー)の安(あん)山(ざん)集(しゅ)塊(うか)岩(いがん)の丘(おか)つづきのにも被(かぶ)さっているかがいちばんの疑(ぎも)問(ん)だったけれどもぼくたちは集塊岩のいくつもの露(ろと)頭(う)を丘の頂(ちょ)部(うぶ)近くで見(み)附(つ)けた。結(けっ)局(きょく)洪積紀(き)は地形図の百四十米(メートル)の線以(い)下(か)という大体の見当も附けてあとは先生が云ったように木の育(そだ)ち工(ぐあ)合(い)や何かを参(さん)照(しょう)して決(き)めた。ぼくは土性の調査よりも地(ちし)質(つ)の方が面(おも)白(しろ)い。土性の方ならただ土をしらべてその場所を地図の上にその色で取(と)っていくだけなのだが地質の方は考えなければいけないしその考えがなかなかうまくあたるのだから。
ぼくらは松(まつ)林(ばやし)の中だの萱(かや)の中で何べんもほかの班に出会った。みんなぼくらの地図をのぞきたがった。
萱の中からは何べんも雉(き)子(じ)も飛(と)んだ。
耕(こう)地(ちせ)整(い)理(り)になっているところがやっぱり旱(かん)害(がい)で稲(いね)は殆(ほと)んど仕(し)付(つ)からなかったらしく赤いみじかい雑(ざっ)草(そう)が生(は)えておまけに一ぱいにひびわれていた。
やっと仕付かった所(ところ)も少しも分(ぶん)蘖(けつ)せず赤くなって実(み)のはいらない稲がそのまま刈(か)りとられずに立っていた。耕地整理の先に立った人はみんなの為(ため)にしたのだそうだけれどもほんとうにひどいだろう。ぼくらはそこの土(どせ)性(い)もすっかりしらべた。水さえ来るならきっと将(しょ)来(うらい)は反(たん)当(あたり)三石(ごく)まではとれるようにできると思う。
午(ご)后(ご)一時に約(やく)束(そく)の通り各(かく)班(はん)が猿(さる)ヶ(がい)石(し)川の岸(きし)にあるきれいな安(あん)山(ざん)集(しゅ)塊(うか)岩(いがん)の露(ろし)出(ゅつ)のところに集(あつま)った。どこからか小(こな)梨(し)を貰(もら)ったと云(い)って先生はみんなに分けた。ぼくたちはそこで地図を塗(ぬ)りなおしたりした。先生はその場(ばし)所(ょ)では誰(だれ)のもいいとも悪(わる)いとも云わなかった。しばらくやすんでから、こんどはみんなで先生について川の北の花(かこ)崗(うが)岩(ん)だの三紀(き)の泥(でい)岩(がん)だのまではいった込(こ)んだ地(ちし)質(つ)や土性のところを教わってあるいた。図は次(つぎ)の月曜までに清(せい)書(しょ)して出すことにした。
ぼくはあの図を出して先生に直(なお)してもらったら次の日曜に高(たか)橋(はし)君(くん)を頼(たの)んで僕のうちの近(きん)所(じょ)のをすっかりこしらえてしまうんだ。僕のうちの近くなら洪(こう)積(せき)と沖(ちゅ)積(うせき)があるきりだしずっと簡(かん)単(たん)だ。それでも肥(ひり)料(ょう)の入れようやなんかまるでちがうんだから。いまならみんなはまるで反(はん)対(たい)にやってるんでないかと思う。
一九二五、十一月十日。
今日実(じっ)習(しゅう)が済(す)んでから農(のう)舎(しゃ)の前に立ってグラジオラスの球(きゅ)根(うこん)の旱(ほ)してあるのを見ていたら武(たけ)田(だ)先生も鶏(にわ)小(とり)屋(ごや)の消(しょ)毒(うどく)だか済んで硫(いお)黄(う)華(か)をずぼんへいっぱいつけて来られた。そしてやっぱり球根を見ていられたがそこから大きなのを三つばかり取(と)って僕に呉(く)れた。僕がもじもじしているとこれは新らしい高(た)価(か)い種(しゅ)類(るい)だよ。君(きみ)にだけやるから来春植(う)えてみたまえと云った。すると農場の方から花の係(かか)りの内(ない)藤(とう)先生が来たら武田先生は大へんあわててポケットへしまっておきたまえ、と云った。ぼくは変(へん)な気がしたけれども仕(しか)方(た)なくポケットへ入れた。すると武田先生は急(いそ)いで農舎の中へはいって農(のう)具(ぐ)だか何だか整(せい)理(り)し出した。ぼくはいやで仕方なかったので内藤先生が行ってからそっと球根をむしろの中へ返(かえ)して、急いで校舎へ入って実習服(ふく)を着(き)換(が)えてうちに帰った。
一千九百二十六年三月廿︹一字分空白︺日、
塩(えん)水(すい)撰(せん)をやった。うちのが済(す)んでから楢(なら)戸(ど)のもやった。
本にある通りの比(ひじ)重(ゅう)でやったら亀(かめ)の尾(お)は半分も残(のこ)らなかった。去(きょ)年(ねん)の旱(かん)害(がい)はいちばんよかった所(ところ)でもこんな工(ぐあ)合(い)だったのだ。けれども陸(りく)羽(う)一三二号(ごう)のほうは三割(わり)ぐらいしか浮く分がなかった。それでも塩水選(せん)をかけたので恰(ちょ)度(うど)六斗(と)あったから本田の一町一反(たん)分には充(じゅ)分(うぶん)だろう。とにかく僕(ぼく)は今日半日で大(だい)丈(じょ)夫(うぶ)五十円の仕(しご)事(と)はした訳(わけ)だ。
なぜならいままでは塩水選をしないでやっと反(たん)当(あたり)二石(こく)そこそこしかとっていなかったのを今(こん)度(ど)はあちこちの農(のう)事(じし)試(けん)験(じょ)場(う)の発(はっ)表(ぴょう)のように一割の二斗ずつの増(ぞう)収(しゅう)としても一町一反では二石二斗になるのだ。みんなにもほんとうにいいということが判(わか)るようになったら、ぼくは同じ塩水で長(ちょ)根(うこん)ぜんたいのをやるようにしよう。一軒(けん)のうちで三十円ずつ得(とく)してもこの部(ぶら)落(くぜ)全(んた)体(い)では四百五十円になる。それが五、六人ただ半日の仕(しご)事(と)なのだ。塩水選をする間は父はそこらの冬の間のごみを集(あつ)めて焼(や)いた。籾(もみ)ができると父は細(ほそ)長(なが)くきれいに藁(わら)を通して編(あ)んだ俵(たわら)につめて中へつめた。あれは合(ごう)理(りて)的(き)だと思う。湧(わき)水(みず)がないので、あのつつみへ漬(つ)けた。氷(こおり)がまだどての陰(かげ)には浮いているからちょうど摂(せっ)氏(しれ)零(い)度(ど)ぐらいだろう。十二月にどてのひびを埋(う)めてから水は六分目までたまっていた。今年こそきっといいのだ。あんなひどい旱(かん)魃(ばつ)が二年続(つづ)いたことさえいままでの気(きし)象(ょう)の統(とう)計(けい)にはなかったというくらいだもの、どんな偶(ぐう)然(ぜん)が集(あつま)ったって今年まで続くなんてことはないはずだ。気(きこ)候(う)さえあたり前だったら今年は僕はきっといままでの旱魃の損(そん)害(がい)を恢(かい)復(ふく)してみせる。そして来(らい)年(ねん)からはもううちの経(けい)済(ざい)も楽にするし長根ぜんたいまできっと生(いき)々(いき)した愉(ゆか)快(い)なものにしてみせる。
一千九百二十六年六月十四日 今日はやっと正(しょ)午(うご)から七時まで番(ばん)水(すい)があたったので樋(とい)番(ばん)をした。何せ去(きょ)年(ねん)からの巨(おお)きなひびもあるとみえて水はなかなかたまらなかった。くろへ腰(こし)掛(か)けてこぼこぼはっていく温(あたたか)い水へ足を入れていてついとろっとしたらなんだかぼくが稲(いね)になったような気がした。そしてぼくが桃(もも)いろをした熱(ねつ)病(びょう)にかかっていてそこへいま水が来たのでぼくは足から水を吸(す)いあげているのだった。どきっとして眼(め)をさました。水がこぼこぼ裂(さけ)目(め)のところで泡(あわ)を吹(ふ)きながらインクのようにゆっくりゆっくりひろがっていったのだ。
水が来なくなって下田の代(しろ)掻(かき)ができなくなってから今日で恰(ちょ)度(うど)十二日雨が降(ふ)らない。いったいそらがどう変(かわ)ったのだろう。あんな旱(かん)魃(ばつ)の二年続(つづ)いた記(きろ)録(く)が無(な)いと測(そっ)候(こう)所(じょ)が云(い)ったのにこれで三年続くわけでないか。大(おお)堰(ぜき)の水もまるで四寸(すん)ぐらいしかない。夕方になってやっといままでの分へ一わたり水がかかった。
三時ごろ水がさっぱり来なくなったからどうしたのかと思って大堰の下の岐(わか)れまで行ってみたら権(ごん)十(じゅう)がこっちをとめてじぶんの方へ向(む)けていた。ぼくはまるで権十が甘(かん)藍(らん)の夜(よと)盗(うむ)虫(し)みたいな気がした。顔がむくむく膨(ふく)れていて、おまけにあんな冠(かぶ)らなくてもいいような穴(あな)のあいたつばの下った土(どか)方(た)しゃっぽをかぶってその上からまた頬(ほお)かぶりをしているのだ。
手も足も膨れているからぼくはまるで権十が夜盗虫みたいな気がした。何をするんだと云ったら、なんだ、農(のう)学校終(おわ)ったって自分だけいいことをするなと云うのだ。ぼくもむっとした。何だ、農学校なぞ終っても終らなくてもいまはぼくのとこの番にあたって水を引いているのだ。それを盗(ぬす)んで行くとは何だ。と云ったら、学校へ入ったんでしゃべれるようになったもんな、と云う。ぼくはもう大きな石をたたきつけてやろうとさえ思った。
けれども権十はそのまま行ってしまったから、ぼくは水をうちの方へ向け直(なお)した。やっぱり権十はぼくを子(こど)供(も)だと思ってぼくだけ居(い)たものだからあんなことをしたのだ。いまにみろ、ぼくは卑(ひき)怯(ょう)なやつらはみんな片(かた)っぱしから叩(たた)きつけてやるから。
一千九百二十七年八月廿一日
稲(いね)がとうとう倒(たお)れてしまった。ぼくはもうどうしていいかわからない。あれぐらい昨(きの)日(う)までしっかりしていたのに、明(あけ)方(がた)の烈(はげ)しい雷(らい)雨(う)からさっきまでにほとんど半分倒れてしまった。喜(きさ)作(く)のもこっそり行ってみたけれどもやっぱり倒れた。いまもまだ降(ふ)っている。父はわらって大(だい)丈(じょ)夫(うぶ)大丈夫だと云うけれどもそれはぼくをなだめるためでじつは大へんひどいのだ。母はまるでぼくのことばかり心(しん)配(ぱい)している。ぼくはうちの稲が倒れただけなら何でもないのだ。ぼくが肥(ひり)料(ょう)を教えた喜作のだってそれだけなら何でもない。それだけならぼくは冬に鉄(てつ)道(どう)へ出ても行(ぎょ)商(うしょう)してもきっと取(と)り返(かえ)しをつける。けれども、あれぐらい手入をしてあれぐらい肥料を考えてやってそれでこんなになるのならもう村はどこももっとよくなる見(みこ)込(み)はないのだ。ぼくはどこへも相(そう)談(だん)に行くとこがない。学校へ行ったってだめだ。……先生はああ倒れたのか、苗(なえ)が弱くはなかったかな、あんまり力を落(おと)してはいけないよ、ぐらいのことを云って笑(わら)うだけのもんだ。日(にっ)誌(し)、日誌、ぼくはこの書きつける日誌がなかったら今夜どうしているだろう。せきはとめたし落し口は切ったし田のなかへはまだ入られないしどうすることもできずだまってあのぼしょぼしょしたりまたおどすように強くなったりする雨の音を聞いていなければならないのだ。いったいこの雨があしたのうちに晴れるだなんてことがあるだろうか。
ああどうでもいい、なるようになるんだ。あした雨が晴れるか晴れないかよりも、今夜ぼくが…………を一足つくれることのほうがよっぽどたしかなんだから。
底本‥﹁イーハトーボ農学校の春﹂角川文庫、角川書店
1996︵平成8︶年3月25日初版発行
底本の親本‥﹁新校本 宮澤賢治全集﹂筑摩書房
1995︵平成7︶年5月
※底本は、一つ目の﹁猿ヶ石﹂の﹁ヶ﹂︵区点番号5-86︶は大振りに、二つ目の﹁猿ヶ石﹂のそれは、小振りにつくっています。
入力‥ゆうき
校正‥noriko saito
2009年8月23日作成
青空文庫作成ファイル‥
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