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力あることば
正月十五日の前の晩に、子どもが人の家の前に来てわる口を言う風習が、稀(まれ)にはまだ農村には残っている。羽(う)後(ご)の飛(とび)島(しま)などではそれが必ず両の手に一本ずつ、ヨンドリ棒を持っていてすることにきまっていた。家の男女の一年間の隠(かく)しごとを、随分と露骨にいってしまうのだが、それを黙って囲(い)炉(ろ)裏(り)ばたで首を垂れて聴(き)いているのだそうである。小児はもちろん人の秘密などは知らない、または片はし知ってもそれを言い現わす言葉はもたない。だから若い衆などがついて来て、小声でその文句を授けるのが例であったというが、そのようにしてまで小児の口から、常は言わないことを言わせていたのは、つまりはこの正月の祝い棒の力を認めていたからであった。
早川孝太郎君の﹃飛島図誌﹄に、このヨンドリ棒の絵が出ている。鳥追いの日が過ぎると背(せ)戸(ど)の樹(き)の下などに、その毎年の棒を積み重ねておくという。ヨンドリ棒については言ってみたいことが色々あるが、子どもに関係がないことだからごくざっと述べると、この棒の材料は桑(くわ)の木で、上端を削って眼鼻口を描いたのが、我々の問題にしているオシラサマとよく似ている。奥(おう)州(しゅう)でオシラサマという木の二本の切れを持って、神の言葉を伝えるのは小児でなく、イタコまたはモリコと称する盲目の婦人であるが、この二つの間には共通点があるのみならず、小枝の鉤(かぎ)になったベロベロの神、一名カギボトケというものも元(もと)は同じ目的に使われた。それが今はただ児童のあてもの遊戯の中に、幽(かす)かな残形を留(とど)めているのである。
大(おと)人(な)がこういうことをするのはもう阿(あ)呆(ほ)らしくなって、自然に子どもの真似をするのは放任したという場合もあったと思うが、別に最初から小児を適任とし、彼らに頼んでさせたという行事も、一部にはたしかにあったのである。たとえば年取った者ならまだ憶(おぼ)えているだろうが、近畿とその周囲の昔かたぎの家々で、正月元日の朝の起きぬけに、特に彼らをして言わしめた詞(ことば)、
ゆの木の下のおん事は
さればその事めでとう候(そうろう)
という問答などは、意味は分らぬなりに久しく守られていた。私たち兄弟も元はそれを言ったことがある。そうしてなんだか大切なものであったように今にいたるまで印象づけられている。
︹つづく︺
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