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千艘や万艘
東北では正月の春田打ち、または田植と称する行事が、土地によっては今もまだ少年少女の領分である。
明(あ)きの方から早(さお)乙(と)女(め)が参った
といったり、または、
田(たう)人(ど)に来たよ 小(こな)苗(え)ぶちが来(き)いした
などといって、彼ら自身もなんのことだか知らずに、ただまわってあるけば餅(もち)が貰(もら)えるものだと思っている。それに相応の受け答えをして、心よく用意の餅を出して与えるのみか、それが来なくなるのをなんとなく淋(さび)しく思っている家もまだ多い。正月はもちろん田植の季節でないが、もとは一年のはじめに一通りそのわざを演じて、農作成功のまじないとする風(ふう)があって、それには外部からこういって来る者のあることを、一つの瑞(ずい)相(そう)として歓迎したのであった。ところが他の土地ではもうそのための職業団体ができたり、または貧しい人たちが顔を包んで、門に立ったりすることがはじまって、なんだか品の悪いものとして、親も学校も制止するようになり、子どもの正月の楽しみはまた一つ失われた。
これと似よった例は四国の粥(かゆ)釣(つ)りや御祝いそ、中国地方のコトコト・ホトホト、またはトロベイ・トヘイなどというもの、九州・奥(おう)州(しゅう)の両端にあるカセドリなど数えきれぬほどの種類を私は知っている。起源は少しずつちがっているかも知らぬが、いずれも正月に子供の口から、めでたい言葉を聴(き)こうとした趣意は一つで、もしもはじめから賤(いや)しいと見られる所(しょ)作(さ)であったら、真似をするはずもないのだから、いわば児童はお株を取られたのである。
もとよりこの変化は近ごろのものではない。東京などでもまだ江戸といった昔、町の子どもが数人で小さな船の形をしたものをかかえ、商家の店さきに来て入船の祝言を唱(とな)えていたということが、多くの書き物に残っているが、これなどもやはりいろいろの段階において今も諸国の船(ふな)着(つき)場(ば)には行なわれている。たとえば津(つが)軽(る)の鰺(あじ)ヶ沢(さわ)の柱かつぎ、筑(ちく)前(ぜん)博多のセンザイロウなどはまだ子どもの管轄に属している。そんな話を聴(き)けば珍しがるだろうが、東京人の中でも小さな児(こ)をかかえゆさぶって、
千ぞや万ぞ お船はぎっちらこ
などと唱えているのが、やはり古い文句の記憶であり、幼い者がそれを楽しんでいるのも、幽(かす)かながらその相続であった。
︹つづく︺
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