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猿ちご問答
今は東京市内になった高(たか)井(い)戸(ど)あたりの子どもが、もとは甲州街道に出て富士登りの道(どう)者(しゃ)に、
お撒(ま)きやれお道者 御(おや)山(ま)の天気もよかろうに
と、銭(ぜに)を撒くことをねだり、もし撒かずに行くと後から、風吹け雨降れというような悪口をしたということが、百年ばかり前の紀行に見えている。百年も以前に行なわれていたものならば、古来の風習だろうと即断する人がないとは言えぬが、私には一つの零(れい)落(らく)の姿としか思われない。見ず知らずの旅人が村を通って、遠くへ物(もの)詣(まい)りをするような場合がそう早くからあったはずもなく、またどこに行っても見られる出来ごとでもないからである。なにかもとづくところがあったろうとまでは考えられる。しかし少なくともこういういやなことをするようになったのは、別に新たな誘因があったのである。
しかも道(みち)行(ゆき)の多い街(かい)道(どう)筋(すじ)、ことに大きな神社や霊場に参詣する路(みち)では、今も時々は旅客の袂(たもと)について施(ほどこ)しを求める風儀が残っているぐらいで、もちろん江戸近郊だけの特例ではなかった。私などがこれについて思い出すのは﹃参(さん)宮(ぐう)名(めい)所(しょ)図(ず)会(え)﹄にも出ている﹁さるちご問答﹂その他、旅人が最初馬鹿にしてかかった路傍の小児から、あべこべに遣(や)りこめられるという話で、わが邦(くに)ではこれを西(さい)行(ぎょ)上(うし)人(ょうにん)や宗(そう)祇(ぎほ)法(う)師(し)の逸話として、妙に数多く各地に伝えている。知らぬ人も少なかろうがこの例を一つだけ挙げておこう。伊(い)勢(せ)では櫛(くし)田(だが)川(わ)のほとりのある村で、可(かわ)愛(い)い童子が樹(き)の上にいるのを見て、
さる稚(ち)児(ご)と見るより早く木に登り
と口ずさんでいい気になっていると、すぐにその童子が下(しも)の句をつけて、
狗(いぬ)のようなる法師来たれば
とやり返したので、ぎゃふんと参って早々に遁(に)げ去ったという話。その﹁さる稚児﹂は今ならば目に立つほどの美少年とでもいう言葉だが、それを猿(さる)に引(ひっ)掛(か)けて木に登りとからかうと、一方また猿に対して狗といった、つまりは平凡なただの口合いではあるが、﹁狗のような法師﹂はあのころのはやりで、旅の連(れん)歌(が)師(し)などが自らを嘲(あざけ)る言葉だったからおかしいのである。児と法師との多くの問答は、いずれの土地の伝説でも、皆かならず前者の勝利をもって結ばれている。その賢(さか)しい童児は実は神様の化(けげ)現(ん)であったなどというのを見ると、単なる民間文芸の趣向ではなしに、或いはもと路(みち)ばたに出て旅の参(さん)詣(けい)者(しゃ)に呼びかけるような宗教的の職業に、子どもが参与する慣(なら)わしがあったのではないかと思う。
︹つづく︺
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