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公認の悪戯
味をしめるということが、よく子どもについてはいわれる。子どもには自制の念が乏しいのは当り前だから、してもよろしいとなるとたいていのうまいことが、癖にもなれば流行にもなりやすい。悪(いた)戯(ずら)に独創のものが少ないのもそのためであった。
大阪郊外の村里などにも、八月十五夜の団(だん)子(ご)突(つ)きがつい近ごろまであったが、あれは全国的といってもよいほど、各地の子どもに知られている悪戯であった。細い長い竹(たけ)竿(ざお)のさきに、縫(ぬい)針(ばり)や釘(くぎ)などを附けたものさえ関東にはあった。それを垣根の隙(すき)からそっとさし入れて、縁(えん)端(ばな)のお月見団子を取って行くのである。中には家の人たちがいる前で、さして来てやったと自慢する子がある。取られた家でも笑いながら代りを補充したり、または十五夜団子は盗まれるほど好(よ)いと言ったり、その盗んで来たのを貰(もら)って食べると、何かのまじないになるという人さえあったのだから、面白くてたまらなかったわけである。
一方にはまた御手本といってもよいものがあった。村に嫁(よめ)迎(むか)えがあると若い衆はよく酒をねだる。これを樽(たる)入(い)れ、笊(ざる)転(ころ)がしなどといって、そっと背(せど)戸(ぐ)口(ち)から空(から)の容器を持(もち)込(こ)み、知らぬ間に持って行くのが普通だったが、或いは竿(さお)のさきに樽を結(ゆ)わえて、高(たか)塀(べい)の外からぶら下げるという例も多く、熊(くま)野(の)などではこれを釣(つる)瓶(べ)さしと呼んでいた。これも家の方では快く入れてくれるのだが、顔を見られまいとするところに一種の冒険味があった。子どもはおそらく狩猟のような気持でそれを羨(うらや)みまた真(ま)似(ね)たものであろう。
取られる側からいうと一種の豊富感、余って誰にでも遣(や)りたいという幸福を、味わいたい際なのだから、相手が容易に悦(よろこ)ぶ子どもならば、なおのこと取らせてやりたかったであろう。
千葉県の農村などは苗(なわ)代(しろ)の種(たね)蒔(ま)き日に、子どもは焼(やき)米(ごめ)袋(ぶくろ)というのをこしらえてもらって首にかけて村中をもらいあるいた。雛(ひな)の節(せっ)供(く)にお雛はん見せとくれといって来る子どもは、昔も今も炒(いり)豆(まめ)や菓子が目あてであった。関西ではこれを雛荒しという土地が多く、愛知・岐阜の二県などは、ガンドウチという名が今もまだ行なわれている。ガンドは中世語で強盗のことだから、まず極端なる誇張であるが、以前は断りなしに雛の供(くも)物(つ)を取ってゆくのが、子どもには何よりの楽しみだったらしい。やれガンドウメなどと笑いながら、勝手に炒豆や菓子をつかんで行かせた、昔の人の心(ここ)持(ろもち)は気楽でよいと思う。
︹つづく︺
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