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ベロベロの神
東北で小児がベロベロの遊びをするのは、たいていは樹(き)の小枝の鉤(かぎ)になったものを折(おり)取(と)って、それを両手の間にまわして、あのおかしな文句を唱(とな)えるのだが、時としては萱(かや)とか藁(わら)とかの一本の茎(くき)を折(おり)曲(ま)げてすることもある。ベロベロという言葉が最初からなにか滑(こっ)稽(けい)な意味をもっているように思う人もあるかは知らぬが、実際は決してそうでなかった。長野県の北部などでは、正月の三日をベロベロの歳(とし)取(と)りと称して、小枝でそういう鉤をこしらえて三(さん)方(ぼう)折(おし)敷(き)に載せて神(かみ)棚(だな)に上げておく家もあり、またはもう、そういうものは作らずに、ただこの名称だけを知っている家もあるが、とにかくこれには少しも戯(たわむ)れの心(ここ)持(ろもち)は伴わぬのである。奥(おう)州(しゅう)の田(いな)舎(か)では以前まだ定まった墓地がない時代に、葬式当日に行列の先に立つ者が、このベロベロを廻して送るべき方角をきめたという話なども残っている。非常に子どもらしい素(そぼ)朴(く)過ぎた占(うらな)いかただけれども、前にはこうして右か左かの疑いをきめるという信仰もあったのではないかと思われる。
そんならどういうわけでその尊い、また正直な鉤の神にベロベロなどという名をつけたろうかという問題が起る。私たちの想像では、ベロベロとは嘗(な)めることで、舌(した)の田舎言葉をベロというのも、元(もと)はそれから出ているのかと思っている。今でも子どもがベロベロの神を廻すのを見ていると、これを両手で高く口の前まで持って来て顎(あご)の下あたりで揉(も)み廻すので、ちょうど鉤のさきを鼻と見立て、その細い棒の後から、声が出て行くようにしていたようである。きわめて簡単なものだが、この鉤を一つの人(にん)形(ぎょう)のように見ることが許されていたのではあるまいか。
人形が今のように写実になったのは、わが邦(くに)でもそう古いことではない。東北で盲(めくら)の巫(み)女(こ)が舞わせているオシラサマという木の神は、ある土地では布(ぬの)で掩(おお)うた単なる棒であり、また他の土地では、その木の頭に眼鼻口だけを描いてある。そうしてこれをカギボトケという名などもまだ時々は記憶せられている。信心な人たちの強いまぼろしでは単なる鉤ある小枝でも、なお有(あり)難(がた)い神の姿に見ることができたので、それを祭をする人の口の前に持ってくることが大切な条件ではなかったかと思う。東京でオシャブリ、関西でネブリコなどという木の人形も、これを轆(ろく)轤(ろ)でひいて今のコケシボコにするまでの、元の形というものがあって、それがのちには幼い者の手によって管理せられることになったのではあるまいか。
︹つづく︺
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