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坊っちゃん
夏目漱石
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一
親(おや)譲(ゆず)りの無(むて)鉄(っぽ)砲(う)で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰(こし)を抜(ぬ)かした事がある。なぜそんな無(むや)闇(み)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗(じょ)談(うだん)に、いくら威(い)張(ば)っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃(はや)したからである。小(こづ)使(かい)に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼(め)をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴(やつ)があるかと云(い)ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰(もら)って奇(きれ)麗(い)な刃(は)を日に翳(かざ)して、友(とも)達(だち)に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲(こう)をはすに切り込(こ)んだ。幸(さいわい)ナイフが小さいのと、親指の骨が堅(かた)かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創(きず)痕(あと)は死ぬまで消えぬ。
庭を東へ二十歩に行き尽(つく)すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真(まん)中(なか)に栗(くり)の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背(せ)戸(ど)を出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山(やま)城(しろ)屋(や)という質屋の庭続きで、この質屋に勘(かん)太(たろ)郎(う)という十三四の倅(せがれ)が居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖(くせ)に四つ目垣を乗りこえて、栗を盗(ぬす)みにくる。ある日の夕方折(おり)戸(ど)の蔭(かげ)に隠(かく)れて、とうとう勘太郎を捕(つら)まえてやった。その時勘太郎は逃(に)げ路(みち)を失って、一(いっ)生(しょ)懸(うけ)命(んめい)に飛びかかってきた。向(むこ)うは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢(はち)の開いた頭を、こっちの胸へ宛(あ)ててぐいぐい押(お)した拍(ひょ)子(うし)に、勘太郎の頭がすべって、おれの袷(あわせ)の袖(そで)の中にはいった。邪(じゃ)魔(ま)になって手が使えぬから、無暗に手を振(ふ)ったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡(なび)いた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕(うで)へ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足(あし)搦(がら)をかけて向うへ倒(たお)してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩(くず)して、自分の領分へ真(まっ)逆(さか)様(さま)に落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫(わ)びに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。
この外いたずらは大分やった。大工の兼(かね)公(こう)と肴(さか)屋(なや)の角(かく)をつれて、茂(もさ)作(く)の人(にん)参(じん)畠(ばたけ)をあらした事がある。人参の芽が出(でそ)揃(ろ)わぬ処(ところ)へ藁(わら)が一面に敷(し)いてあったから、その上で三人が半日相(すも)撲(う)をとりつづけに取ったら、人参がみんな踏(ふ)みつぶされてしまった。古(ふる)川(かわ)の持っている田(たん)圃(ぼ)の井(い)戸(ど)を埋(う)めて尻(しり)を持ち込まれた事もある。太い孟(もう)宗(そう)の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧(わ)き出て、そこいらの稲(いね)にみずがかかる仕(しか)掛(け)であった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒(ぼう)ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿(さ)し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真(まっ)赤(か)になって怒(ど)鳴(な)り込んで来た。たしか罰(ばっ)金(きん)を出して済んだようである。
おやじはちっともおれを可(かわ)愛(い)がってくれなかった。母は兄ばかり贔(ひい)屓(き)にしていた。この兄はやに色が白くって、芝(しば)居(い)の真(ま)似(ね)をして女(おん)形(ながた)になるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせ碌(ろく)なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲(ちょ)役(うえき)に行かないで生きているばかりである。
母が病気で死ぬ二(にさ)三(ん)日(ち)前台所で宙返りをしてへっついの角で肋(あば)骨(らぼね)を撲(う)って大いに痛かった。母が大層怒(おこ)って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊(とま)りに行っていた。するととうとう死んだと云う報(しら)知(せ)が来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大(おと)人(な)しくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口(く)惜(や)しかったから、兄の横っ面を張って大変叱(しか)られた。
母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮(くら)していた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄(だ)目(め)だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙(みょう)なおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一(いっ)遍(ぺん)ぐらいの割で喧(けん)嘩(か)をしていた。ある時将(しょ)棋(うぎ)をさしたら卑(ひき)怯(ょう)な待(まち)駒(ごま)をして、人が困ると嬉(うれ)しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉(みけ)間(ん)へ擲(たた)きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言(い)付(つ)けた。おやじがおれを勘(かん)当(どう)すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清(きよ)という下女が、泣きながらおやじに詫(あや)まって、ようやくおやじの怒(いか)りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖(こわ)いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由(ゆい)緒(しょ)のあるものだったそうだが、瓦(がか)解(い)のときに零(れい)落(らく)して、つい奉(ほう)公(こう)までするようになったのだと聞いている。だから婆(ばあ)さんである。この婆さんがどういう因(いん)縁(えん)か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛(あい)想(そ)をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪(つま)弾(はじ)きをする――このおれを無暗に珍(ちん)重(ちょう)してくれた。おれは到(とう)底(てい)人に好かれる性(たち)でないとあきらめていたから、他人から木の端(はし)のように取り扱(あつか)われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不(ふし)審(ん)に考えた。清は時々台所で人の居ない時に﹁あなたは真(ま)っ直(すぐ)でよいご気性だ﹂と賞(ほ)める事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好(い)い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌(きら)いだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔を眺(なが)めている。自分の力でおれを製造して誇(ほこ)ってるように見える。少々気味がわるかった。
母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、廃(よ)せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小(こづ)遣(か)いで金(きん)鍔(つば)や紅(こう)梅(ばい)焼(やき)を買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎(そ)麦(ば)粉(こ)を仕入れておいて、いつの間にか寝(ね)ている枕(まく)元(らもと)へ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋(なべ)焼(やき)饂(うど)飩(ん)さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴(くつ)足(た)袋(び)ももらった。鉛(えん)筆(ぴつ)も貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦(がま)蟇(ぐ)口(ち)へ入れて、懐(ふところ)へ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後(こう)架(か)の中へ落(おと)してしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒を捜(さが)して来て、取って上げますと云った。しばらくすると井(いど)戸(ば)端(た)でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐(ひも)を引き懸(か)けたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱(いち)円(えん)札(さつ)を改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾(かわ)かして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭(くさ)いやと云ったら、それじゃお出しなさい、取り換(か)えて来て上げますからと、どこでどう胡(ご)魔(ま)化(か)したか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓(か)子(し)や色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣(や)らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄(すま)したものでお兄(あに)様(いさま)はお父(とう)様(さま)が買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑(がん)固(こ)だけれども、そんな依(えこ)怙(ひ)贔(い)負(き)はせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺(おぼ)れていたに違(ちが)いない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢(あ)っては叶(かな)わない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了(りょ)見(うけん)もなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬(ば)鹿(か)馬(ば)鹿(か)しい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手(てぐ)車(るま)へ乗って、立派な玄(げん)関(かん)のある家をこしらえるに相(そう)違(い)ないと云った。
それから清はおれがうちでも持って独立したら、一(いっ)所(しょ)になる気でいた。どうか置いて下さいと何遍も繰(く)り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹(こう)町(じまち)ですか麻(あざ)布(ぶ)ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並(なら)べていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日(にほ)本(んだ)建(て)も全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一(いち)概(がい)にこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可(かわ)哀(いそ)想(う)だ、不(ふし)仕(あわ)合(せ)だと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行(ゆ)かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出(しゅ)立(ったつ)すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄(やっ)介(かい)になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極(きま)っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚(かく)悟(ご)をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦(がら)落(く)多(た)を二(にそ)束(くさ)三(んも)文(ん)に売った。家(いえ)屋(やし)敷(き)はある人の周(しゅ)旋(うせん)である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳(くわ)しい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小(おが)川(わま)町(ち)へ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡(わた)るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんは何(なんに)も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州下(くんだ)りまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四(よじ)畳(ょう)半(はん)の安下宿に籠(こも)って、それすらもいざとなれば直ちに引き払(はら)わねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥(おく)さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥(おい)の厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差(さし)支(つか)えなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴(な)れた家(うち)の方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉(ほう)公(こう)易(が)えをして入らぬ気(きが)兼(ね)を仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻(さい)を貰えの、来て世話をするのと云う。親(しん)身(み)の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商(しょ)買(うばい)をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随(ずい)意(い)に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡(たん)泊(ばく)な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停(てい)車(しゃ)場(ば)で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面(めん)倒(ど)くさくって旨(うま)く出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生(しょ)来(うらい)どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真(まっ)平(ぴら)ご免(めん)だ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛(かか)ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起(おこ)った失策だ。
三年間まあ人(ひと)並(なみ)に勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘(かん)定(じょう)する方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可(お)笑(か)しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田(いな)舎(か)へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即(そく)席(せき)に返事をした。これも親譲りの無鉄砲が祟(たた)ったのである。
引き受けた以上は赴(ふに)任(ん)せねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄(ちっ)居(きょ)して小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比(ひか)較(くて)的(き)呑(のん)気(き)な時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌(かま)倉(くら)へ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
家を畳(たた)んでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行(ゆ)くたびに、居(お)りさえすれば、何くれと款(も)待(て)なしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自(じま)慢(ん)を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹(ふい)聴(ちょう)した事もある。独りで極(き)めて一(ひと)人(り)で喋(しゃ)舌(べ)るから、こっちは困(こ)まって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔(むか)風(しふう)の女だから、自分とおれの関係を封(ほう)建(けん)時代の主(しゅ)従(じゅう)のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合(がて)点(ん)したものらしい。甥こそいい面(つら)の皮だ。
いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋(たず)ねたら、北向きの三畳に風(か)邪(ぜ)を引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊(ぼ)っちゃんいつ家(うち)をお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容(よう)子(す)で、胡(ごま)麻(し)塩(お)の鬢(びん)の乱れをしきりに撫(な)でた。あまり気の毒だから﹁行(ゆ)く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る﹂と慰(なぐさ)めてやった。それでも妙な顔をしているから﹁何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい﹂と聞いてみたら﹁越(えち)後(ご)の笹(ささ)飴(あめ)が食べたい﹂と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。﹁おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ﹂と云って聞かしたら﹁そんなら、どっちの見当です﹂と聞き返した。﹁西の方だよ﹂と云うと﹁箱(はこ)根(ね)のさきですか手前ですか﹂と問う。随分持てあました。
出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途(とち)中(ゅう)小間物屋で買って来た歯(はみ)磨(がき)と楊(よう)子(じ)と手(てぬ)拭(ぐい)をズックの革(かば)鞄(ん)に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て﹁もうお別れになるかも知れません。随分ご機(きげ)嫌(ん)よう﹂と小さな声で云った。目に涙(なみだ)が一(いっ)杯(ぱい)たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大(だい)丈(しょ)夫(うぶ)だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
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二
ぶうと云(い)って汽船がとまると、艀(はしけ)が岸を離(はな)れて、漕(こ)ぎ寄せて来た。船頭は真(ま)っ裸(ぱだか)に赤ふんどしをしめている。野(やば)蛮(ん)な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼(め)がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大(おお)森(もり)ぐらいな漁村だ。人を馬(ば)鹿(か)にしていらあ、こんな所に我(がま)慢(ん)が出来るものかと思ったが仕方がない。威(いせ)勢(い)よく一番に飛び込んだ。続(つ)づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱(はこ)を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻(もど)して来た。陸(おか)へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯(いそ)に立っていた鼻たれ小(こぞ)僧(う)をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田(いな)舎(か)ものだ。猫(ねこ)の額ほどな町内の癖(くせ)に、中学校のありかも知らぬ奴(やつ)があるものか。ところへ妙(みょう)な筒(つつ)っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾(つ)いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃(そろ)えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革(かば)鞄(ん)を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
停車場はすぐ知れた。切(きっ)符(ぷ)も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭(やと)って、中学校へ来たら、もう放課後で誰(だれ)も居ない。宿直はちょっと用(よう)達(たし)に出たと小(こづ)使(かい)が教えた。随(ずい)分(ぶん)気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋(たず)ねようかと思ったが、草(くた)臥(び)れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山(やま)城(しろ)屋(や)と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘(かん)太(たろ)郎(う)の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
何だか二階の楷(はし)子(ごだ)段(ん)の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞(ふさ)がっておりますからと云いながら革鞄を抛(ほう)り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗(あせ)をかいて我(がま)慢(ん)していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗(のぞ)いてみると涼(すず)しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘(うそ)をつきゃあがった。それから下女が膳(ぜん)を持って来た。部屋は熱(あ)つかったが、飯は下宿のよりも大分旨(うま)かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当(あた)り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞(きこ)えた。くだらないから、すぐ寝(ね)たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒(そう)々(ぞう)しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清(きよ)の夢(ゆめ)を見た。清が越(えち)後(ご)の笹(ささ)飴(あめ)を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云(い)って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突(つ)き抜(ぬ)けたような天気だ。
道(どう)中(ちゅう)をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗(そま)末(つ)に取り扱われると聞いていた。こんな、狭(せま)くて暗い部屋へ押(お)し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服(な)装(り)をして、ズックの革鞄と毛(けじ)繻(ゅ)子(す)の蝙(こう)蝠(も)傘(り)を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見(みく)括(び)ったな。一番茶代をやって驚(おどろ)かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐(ふところ)に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰(もら)うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚(おど)ろいて眼を廻(まわ)すに極(きま)っている。どうするか見ろと済(すま)して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆(ぼん)を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面(つら)よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪(しゃく)に障(さわ)ったから、中(ちゅ)途(うと)で五円札(さつ)を一枚(まい)出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出(で)懸(か)けた。靴(くつ)は磨(みが)いてなかった。
学校は昨(きの)日(う)車で乗りつけたから、大(たい)概(がい)の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄(げん)関(かん)までは御(みか)影(げい)石(し)で敷(し)きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無(むや)暗(み)に仰(ぎょ)山(うさん)な音がするので少し弱った。途中から小(こく)倉(ら)の制服を着た生徒にたくさん逢(あ)ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪(わ)るくなった。名(めい)刺(し)を出したら校長室へ通した。校長は薄(うす)髯(ひげ)のある、色の黒い、目の大きな狸(たぬき)のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭(うやうや)しく大きな印の捺(おさ)った、辞令を渡(わた)した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込(こ)んでしまった。校長は今に職員に紹(しょ)介(うかい)してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面(めん)倒(どう)な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
教員が控(ひか)所(えじょ)へ揃(そろ)うには一時間目の喇(らっ)叭(ぱ)が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追(おい)々(おい)ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑(の)み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無(むて)鉄(っぽ)砲(う)なものをつらまえて、生徒の模(もは)範(ん)になれの、一校の師(しひ)表(ょう)と仰(あお)がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及(およ)ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥(はる)々(ばる)こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧(けん)嘩(か)の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇(やと)う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘(うそ)をつくのが嫌(きら)いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断(こと)わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財(さい)布(ふ)の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜(お)しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到(とう)底(てい)あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威(おど)嚇(さ)さなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並(なら)べてみんな腰(こし)をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一(ひと)人(りび)一(と)人(り)の前へ行って辞令を出して挨(あい)拶(さつ)をした。大(たい)概(がい)は椅(い)子(す)を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭(うやうや)しく返(へん)却(きゃく)した。まるで宮芝居の真(ま)似(ね)だ。十五人目に体(たい)操(そう)の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向(むこ)うは一度で済む。こっちは同じ所(しょ)作(さ)を十五返繰り返している。少しはひとの了(りょ)見(うけん)も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙(みょう)に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯(しゃ)衣(つ)を着ている。いくらか薄(うす)い地には相(そう)違(い)なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服(な)装(り)をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬(ば)鹿(か)にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身(から)体(だ)に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂(あつ)らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴(はかま)も赤にすればいい。それから英語の教師に古(こ)賀(が)とか云う大変顔色の悪(わ)るい男が居た。大概顔の蒼(あお)い人は瘠(や)せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔(むかし)小学校へ行く時分、浅(あさ)井(い)の民(たみ)さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百(ひゃ)姓(くしょう)だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐(とう)茄(な)子(す)ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬(むく)いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違(ちが)いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀(ほっ)田(た)というのが居た。これは逞(たくま)しい毬(いが)栗(ぐり)坊(ぼう)主(ず)で、叡(えい)山(ざん)の悪(あく)僧(そう)と云うべき面(つら)構(がまえ)である。人が叮(てい)寧(ねい)に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来(きた)給(ま)えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼(れい)儀(ぎ)を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山(やま)嵐(あらし)という渾(あだ)名(な)をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅(かた)いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励(れい)精(せい)で、――とのべつに弁じたのは愛(あい)嬌(きょう)のあるお爺(じい)さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透(すき)綾(や)の羽織を着て、扇(せん)子(す)をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉(うれ)しい、お仲間が出来て……私(わたし)もこれで江(え)戸(ど)っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明(あさ)後(っ)日(て)から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌(いま)々(いま)しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は﹁おい君どこに宿(とま)ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する﹂と云い残して白(はく)墨(ぼく)を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻(あざ)布(ぶ)の聯(れん)隊(たい)より立派でない。大通りも見た。神(かぐ)楽(らざ)坂(か)を半分に狭くしたぐらいな道(みち)幅(はば)で町(まち)並(なみ)はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威(い)張(ば)ってる人間は可(かわ)哀(いそ)想(う)なものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大(たい)抵(てい)は見(みつ)尽(く)したのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。帳場に坐(すわ)っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。靴(くつ)を脱(ぬ)いで上がると、お座(ざし)敷(き)があきましたからと下女が二階へ案内をした。十五畳(じょう)の表二階で大きな床(とこ)の間(ま)がついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴(ゆか)衣(た)一枚になって座敷の真(まん)中(なか)へ大の字に寝てみた。いい心持ちである。
昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大(だい)嫌(きら)いだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮(ふん)発(ぱつ)して長いのを書いてやった。その文句はこうである。
﹁きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら﹂
手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠(ねむ)気(け)がさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寝た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が覚めたら、山嵐がはいって来た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼(ろう)狽(ばい)した。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は愚(おろか)、明(あし)日(た)から始めろと云ったって驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、僕(ぼく)がいい下宿を周(しゅ)旋(うせん)してやるから移りたまえ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿(しゅ)料(くりょう)に払(はら)っても追っつかないかもしれぬ。五円の茶代を奮(ふん)発(ぱつ)してすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移る者なら、早く引き越(こ)して落ち付く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐に頼(たの)む事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに来てみろと云うから、行った。町はずれの岡の中腹にある家で至極閑(かん)静(せい)だ。主人は骨(こっ)董(とう)を売買するいか銀と云う男で、女(にょ)房(うぼう)は亭(てい)主(しゅ)よりも四つばかり年(とし)嵩(かさ)の女だ。中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だから構わない。とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通(とお)町(りちょう)で氷水を一杯(ぱい)奢(おご)った。学校で逢った時はやに横(おう)風(ふう)な失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。ただおれと同じようにせっかちで肝(かん)癪(しゃ)持(くもち)らしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。
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三
いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、何だか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。生徒はやかましい。時々図(ず)抜(ぬ)けた大きな声で先生と云(い)う。先生には応(こた)えた。今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲(うん)泥(でい)の差だ。何だか足の裏がむずむずする。おれは卑(ひき)怯(ょう)な人間ではない。臆(おく)病(びょう)な男でもないが、惜(お)しい事に胆(たん)力(りょく)が欠けている。先生と大きな声をされると、腹の減った時に丸の内で午(ど)砲(ん)を聞いたような気がする。最初の一時間は何だかいい加減にやってしまった。しかし別段困った質問も掛(か)けられずに済んだ。控(ひか)所(えじょ)へ帰って来たら、山嵐がどうだいと聞いた。うんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。
二時間目に白(はく)墨(ぼく)を持って控所を出た時には何だか敵地へ乗り込(こ)むような気がした。教場へ出ると今度の組は前より大きな奴(やつ)ばかりである。おれは江(え)戸(ど)っ子で華(きゃ)奢(しゃ)に小作りに出来ているから、どうも高い所へ上がっても押(お)しが利かない。喧(けん)嘩(か)なら相(すも)撲(うと)取(り)とでもやってみせるが、こんな大(おお)僧(ぞう)を四十人も前へ並(なら)べて、ただ一枚(まい)の舌をたたいて恐(きょ)縮(うしゅく)させる手際はない。しかしこんな田(いな)舎(かも)者(の)に弱身を見せると癖(くせ)になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒も烟(けむ)に捲(ま)かれてぼんやりしていたから、それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の真(まん)中(なか)に居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。そら来たと思いながら、何だと聞いたら、﹁あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる遣(や)って、おくれんかな、もし﹂と云った。おくれんかな、もしは生(なま)温(ぬ)るい言葉だ。早過ぎるなら、ゆっくり云ってやるが、おれは江戸っ子だから君(きみ)等(ら)の言葉は使えない、分(わか)らなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやった。この調子で二時間目は思ったより、うまく行った。ただ帰りがけに生徒の一人がちょっとこの問題を解釈をしておくれんかな、もし、と出来そうもない幾(き)何(か)の問題を持って逼(せま)ったには冷(ひや)汗(あせ)を流した。仕方がないから何だか分らない、この次教えてやると急いで引き揚(あ)げたら、生徒がわあと囃(はや)した。その中に出来ん出来んと云う声が聞(きこ)える。箆(べら)棒(ぼう)め、先生だって、出来ないのは当り前だ。出来ないのを出来ないと云うのに不思議があるもんか。そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た。今度はどうだとまた山嵐が聞いた。うんと云ったが、うんだけでは気が済まなかったから、この学校の生徒は分らずやだなと云ってやった。山嵐は妙(みょう)な顔をしていた。
三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひと通り済んだが、まだ帰れない、三時までぽつ然(ねん)として待ってなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を掃(そう)除(じ)して報(しら)知(せ)にくるから検分をするんだそうだ。それから、出(しゅ)席(っせ)簿(きぼ)を一応調べてようやくお暇(ひま)が出る。いくら月給で買われた身(から)体(だ)だって、あいた時間まで学校へ縛(しば)りつけて机と睨(にら)めっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんな大(おと)人(な)しくご規則通りやってるから新参のおればかり、だだを捏(こ)ねるのもよろしくないと思って我(がま)慢(ん)していた。帰りがけに、君何でもかんでも三時過(すぎ)まで学校にいさせるのは愚(おろか)だぜと山嵐に訴えたら、山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとから真(ま)面(じ)目(め)になって、君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うなら僕(ぼく)だけに話せ、随(ずい)分(ぶん)妙な人も居るからなと忠告がましい事を云った。四つ角で分れたから詳(くわ)しい事は聞くひまがなかった。
それからうちへ帰ってくると、宿の亭(てい)主(しゅ)がお茶を入れましょうと云ってやって来る。お茶を入れると云うからご馳(ちそ)走(う)をするのかと思うと、おれの茶を遠(えん)慮(りょ)なく入れて自分が飲むのだ。この様子では留(るす)守(ちゅ)中(う)も勝手にお茶を入れましょうを一(ひと)人(り)で履(りこ)行(う)しているかも知れない。亭主が云うには手前は書(しょ)画(がこ)骨(っと)董(う)がすきで、とうとうこんな商買を内々で始めるようになりました。あなたもお見受け申すところ大分ご風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、飛んでもない勧(かん)誘(ゆう)をやる。二年前ある人の使(つかい)に帝(てい)国(こく)ホテルへ行った時は錠(じょ)前(うまえ)直しと間(まち)違(が)えられた事がある。ケットを被(かぶ)って、鎌(かま)倉(くら)の大仏を見物した時は車屋から親方と云われた。その外今(こん)日(にち)まで見(みそ)損(くな)われた事は随分あるが、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない。大(たい)抵(てい)はなりや様子でも分る。風流人なんていうものは、画(え)を見ても、頭(ずき)巾(ん)を被(かぶ)るか短(たん)冊(ざく)を持ってるものだ。このおれを風流人だなどと真面目に云うのはただの曲(くせ)者(もの)じゃない。おれはそんな呑(のん)気(き)な隠(いん)居(きょ)のやるような事は嫌(きら)いだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な手(てつ)付(き)をして飲んでいる。実はゆうべ茶を買ってくれと頼(たの)んでおいたのだが、こんな苦い濃(こ)い茶はいやだ。一杯(ぱい)飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思って無(むや)暗(み)に飲む奴(やつ)だ。主人が引き下がってから、明日の下(した)読(よみ)をしてすぐ寝(ね)てしまった。
それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く、毎日毎日帰って来ると主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ばかりしたら学校の様子もひと通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も大(たい)概(がい)は分った。ほかの教師に聞いてみると辞令を受けて一週間から一ヶ月ぐらいの間は自分の評判がいいだろうか、悪(わ)るいだろうか非常に気に掛(か)かるそうであるが、おれは一向そんな感じはなかった。教場で折々しくじるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと奇(きれ)麗(い)に消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影(えい)響(きょう)を与(あた)えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈(てい)するかまるで無(むと)頓(んじ)着(ゃく)であった。おれは前に云う通りあまり度胸の据(すわ)った男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ行(ゆ)く覚(かく)悟(ご)でいたから、狸(たぬき)も赤シャツも、ちっとも恐(おそろ)しくはなかった。まして教場の小(こぞ)僧(う)共なんかには愛(あい)嬌(きょう)もお世辞も使う気になれなかった。学校はそれでいいのだが下宿の方はそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろな者を持ってくる。始めに持って来たのは何でも印材で、十(とお)ばかり並(なら)べておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと云う。田(いな)舎(かま)巡(わ)りのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは入らないと云ったら、今度は華(かざ)山(ん)とか何とか云う男の花鳥の掛(かけ)物(もの)をもって来た。自分で床(とこ)の間(ま)へかけて、いい出来じゃありませんかと云うから、そうかなと好(いい)加(かげ)減(ん)に挨(あい)拶(さつ)をすると、華山には二(ふた)人(り)ある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、この幅(ふく)はその何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にしておきます。お買いなさいと催(さい)促(そく)をする。金がないと断わると、金なんか、いつでもようございますとなかなか頑(がん)固(こ)だ。金があつても買わないんだと、その時は追っ払(ぱら)っちまった。その次には鬼(おに)瓦(がわら)ぐらいな大(おお)硯(すずり)を担ぎ込んだ。これは端(たん)渓(けい)です、端渓ですと二遍(へん)も三遍も端渓がるから、面白半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始め出した。端渓には上層中層下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これはたしかに中層です、この眼(がん)をご覧なさい。眼が三つあるのは珍(めず)らしい。溌(はつ)墨(ぼく)の具合も至極よろしい、試してご覧なさいと、おれの前へ大きな硯を突(つ)きつける。いくらだと聞くと、持主が支(し)那(な)から持って帰って来て是非売りたいと云いますから、お安くして三十円にしておきましょうと云う。この男は馬(ば)鹿(か)に相(そう)違(い)ない。学校の方はどうかこうか無事に勤まりそうだが、こう骨(こっ)董(とう)責(ぜめ)に逢(あ)ってはとても長く続きそうにない。
そのうち学校もいやになった。 ある日の晩大(おお)町(まち)と云う所を散歩していたら郵便局の隣(とな)りに蕎(そ)麦(ば)とかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好きである。東京に居(お)った時でも蕎麦屋の前を通って薬味の香(にお)いをかぐと、どうしても暖(のれ)簾(ん)がくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなる。ついでだから一杯食って行こうと思って上がり込んだ。見ると看板ほどでもない。東京と断(こと)わる以上はもう少し奇麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅(めっ)法(ぽう)きたない。畳(たたみ)は色が変ってお負けに砂でざらざらしている。壁(かべ)は煤(すす)で真(まっ)黒(くろ)だ。天(てん)井(じょう)はランプの油(ゆえ)烟(ん)で燻(くす)ぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくらいだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って二(にさ)三(ん)日(ち)前から開業したに違(ちが)いなかろう。ねだん付の第一号に天(てん)麩(ぷ)羅(ら)とある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。するとこの時まで隅(すみ)の方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連(れん)中(じゅう)が、ひとしくおれの方を見た。部(へ)屋(や)が暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学校の生徒である。先方で挨(あい)拶(さつ)をしたから、おれも挨拶をした。その晩は久(ひさ)し振(ぶり)に蕎麦を食ったので、旨(うま)かったから天麩羅を四杯平(たいら)げた。
翌日何の気もなく教場へはいると、黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ可(お)笑(か)しいかと聞いた。すると生徒の一(ひと)人(り)が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。十分立って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。但(ただ)し笑うべからず。と黒板にかいてある。さっきは別に腹も立たなかったが今度は癪(しゃく)に障(さわ)った。冗(じょ)談(うだん)も度を過ごせばいたずらだ。焼(やき)餅(もち)の黒(くろ)焦(こげ)のようなもので誰(だれ)も賞(ほ)め手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押(お)して行っても構わないと云う了(りょ)見(うけん)だろう。一時間あるくと見物する町もないような狭(せま)い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日(にち)露(ろ)戦争のように触(ふ)れちらかすんだろう。憐(あわ)れな奴(やつ)等(ら)だ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植(うえ)木(きば)鉢(ち)の楓(かえで)みたような小(しょ)人(うじん)が出来るんだ。無(むじ)邪(ゃ)気(き)ならいっしょに笑ってもいいが、こりゃなんだ。小供の癖(くせ)に乙(おつ)に毒気を持ってる。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらが面白いか、卑(ひき)怯(ょう)な冗談だ。君等は卑怯と云う意味を知ってるか、と云ったら、自分がした事を笑われて怒(おこ)るのが卑怯じゃろうがな、もしと答えた奴がある。やな奴だ。わざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思ったら情なくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云って、授業を始めてしまった。それから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末に終えない。あんまり腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと云ってすたすた帰って来てやった。生徒は休みになって喜んだそうだ。こうなると学校より骨董の方がまだましだ。
天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに肝(かん)癪(しゃく)に障らなくなった。学校へ出てみると、生徒も出ている。何だか訳が分らない。それから三日ばかりは無事であったが、四日目の晩に住(すみ)田(た)と云う所へ行って団(だん)子(ご)を食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊(ゆう)廓(かく)がある。おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、誰(だれ)も知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二皿(さら)七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払(はら)った。どうも厄(やっ)介(かい)な奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。あきれ返った奴等だ。団子がそれで済んだと思ったら今度は赤(あか)手(てぬ)拭(ぐい)と云うのが評判になった。何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極(き)めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及(およ)ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出(でか)掛(け)る。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に染(そま)った上へ、赤い縞(しま)が流れ出したのでちょっと見ると紅(べに)色(いろ)に見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。どうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。まだある。温泉は三階の新築で上等は浴(ゆか)衣(た)をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天(てん)目(もく)へ茶を載(の)せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅(ぜい)沢(たく)だと云い出した。余計なお世話だ。まだある。湯(ゆつ)壺(ぼ)は花(みか)崗(げい)石(し)を畳(たた)み上げて、十五畳(じょ)敷(うじき)ぐらいの広さに仕切ってある。大(たい)抵(てい)は十三四人漬(つか)ってるがたまには誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉(ゆか)快(い)だ。おれは人の居ないのを見(みす)済(ま)しては十五畳の湯壺を泳ぎ巡(まわ)って喜んでいた。ところがある日三階から威(いせ)勢(い)よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗(のぞ)いてみると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼(は)りつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この貼(はり)札(ふだ)はおれのために特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには驚(おど)ろいた。何だか生徒全体がおれ一人を探(たん)偵(てい)しているように思われた。くさくさした。生徒が何を云ったって、やろうと思った事をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情なくなった。それでうちへ帰ると相変らず骨董責である。
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四
学校には宿直があって、職員が代る代るこれをつとめる。但(ただ)し狸(たぬき)と赤シャツは例外である。何でこの両人が当然の義務を免(まぬ)かれるのかと聞いてみたら、奏(そう)任(にん)待(たい)遇(ぐう)だからと云う。面白くもない。月給はたくさんとる、時間は少ない、それで宿直を逃(の)がれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらえて、それが当(あた)り前(まえ)だというような顔をしている。よくまああんなにずうずうしく出来るものだ。これについては大分不平であるが、山(やま)嵐(あらし)の説によると、いくら一(ひと)人(り)で不平を並(なら)べたって通るものじゃないそうだ。一人だって二(ふた)人(り)だって正しい事なら通りそうなものだ。山嵐は might is right という英語を引いて説(せつ)諭(ゆ)を加えたが、何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利と云う意味だそうだ。強者の権利ぐらいなら昔(むかし)から知っている。今さら山嵐から講釈をきかなくってもいい。強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤シャツが強者だなんて、誰(だれ)が承知するものか。議論は議論としてこの宿直がいよいよおれの番に廻(まわ)って来た。一体疳(かん)性(しょう)だから夜(や)具(ぐ)蒲(ふと)団(ん)などは自分のものへ楽に寝ないと寝たような心持ちがしない。小供の時から、友達のうちへ泊(とま)った事はほとんどないくらいだ。友達のうちでさえ厭(いや)なら学校の宿直はなおさら厭だ。厭だけれども、これが四十円のうちへ籠(こも)っているなら仕方がない。我(がま)慢(ん)して勤めてやろう。
教師も生徒も帰ってしまったあとで、一人ぽかんとしているのは随(ずい)分(ぶん)間が抜(ぬ)けたものだ。宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西はずれの一室だ。ちょっとはいってみたが、西日をまともに受けて、苦しくって居たたまれない。田(いな)舎(か)だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ。生徒の賄(まかない)を取りよせて晩飯を済ましたが、まずいには恐(おそ)れ入(い)った。よくあんなものを食って、あれだけに暴れられたもんだ。それで晩飯を急いで四時半に片付けてしまうんだから豪(ごう)傑(けつ)に違(ちが)いない。飯は食ったが、まだ日が暮(く)れないから寝(ね)る訳に行かない。ちょっと温泉に行きたくなった。宿直をして、外へ出るのはいい事だか、悪(わ)るい事だかしらないが、こうつくねんとして重(じゅ)禁(うき)錮(んこ)同様な憂(うき)目(め)に逢(あ)うのは我慢の出来るもんじゃない。始めて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、ちょっと用(よう)達(たし)に出たと小(こづ)使(かい)が答えたのを妙(みょう)だと思ったが、自分に番が廻(まわ)ってみると思い当る。出る方が正しいのだ。おれは小使にちょっと出てくると云ったら、何かご用ですかと聞くから、用じゃない、温泉へはいるんだと答えて、さっさと出(で)掛(か)けた。赤(あか)手(てぬ)拭(ぐい)は宿へ忘れて来たのが残念だが今日は先方で借りるとしよう。
それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日(ひぐ)暮(れが)方(た)になったから、汽車へ乗って古(こま)町(ち)の停(てい)車(しゃ)場(ば)まで来て下りた。学校まではこれから四丁だ。訳はないとあるき出すと、向うから狸が来た。狸はこれからこの汽車で温泉へ行こうと云う計画なんだろう。すたすた急ぎ足にやってきたが、擦(す)れ違(ちが)った時おれの顔を見たから、ちょっと挨(あい)拶(さつ)をした。すると狸はあなたは今日は宿直ではなかったですかねえと真(ま)面(じ)目(め)くさって聞いた。なかったですかねえもないもんだ。二時間前おれに向って今夜は始めての宿直ですね。ご苦労さま。と礼を云ったじゃないか。校長なんかになるといやに曲りくねった言葉を使うもんだ。おれは腹が立ったから、ええ宿直です。宿直ですから、これから帰って泊る事はたしかに泊りますと云い捨てて済ましてあるき出した。竪(たて)町(まち)の四つ角までくると今度は山(やま)嵐(あらし)に出っ喰(く)わした。どうも狭(せま)い所だ。出てあるきさえすれば必ず誰かに逢う。﹁おい君は宿直じゃないか﹂と聞くから﹁うん、宿直だ﹂と答えたら、﹁宿直が無(むや)暗(み)に出てあるくなんて、不(ふつ)都(ご)合(う)じゃないか﹂と云った。﹁ちっとも不都合なもんか、出てあるかない方が不都合だ﹂と威(い)張(ば)ってみせた。﹁君のずぼらにも困るな、校長か教頭に出逢うと面(めん)倒(どう)だぜ﹂と山嵐に似合わない事を云うから﹁校長にはたった今逢った。暑い時には散歩でもしないと宿直も骨でしょうと校長が、おれの散歩をほめたよ﹂と云って、面倒臭(くさ)いから、さっさと学校へ帰って来た。
それから日はすぐくれる。くれてから二時間ばかりは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、それも飽(あ)きたから、寝られないまでも床(とこ)へはいろうと思って、寝巻に着(き)換(が)えて、蚊(か)帳(や)を捲(ま)くって、赤い毛(けっ)布(と)を跳(は)ねのけて、とんと尻(しり)持(もち)を突(つ)いて、仰(あお)向(む)けになった。おれが寝るときにとんと尻持をつくのは小供の時からの癖(くせ)だ。わるい癖だと云って小(おが)川(わま)町(ち)の下宿に居た時分、二階下に居た法律学校の書生が苦情を持ち込(こ)んだ事がある。法律の書生なんてものは弱い癖に、やに口が達者なもので、愚(ぐ)な事を長たらしく述べ立てるから、寝る時にどんどん音がするのはおれの尻がわるいのじゃない。下宿の建築が粗(そま)末(つ)なんだ。掛(か)ケ合うなら下宿へ掛ケ合えと凹(へこ)ましてやった。この宿直部屋は二階じゃないから、いくら、どしんと倒(たお)れても構わない。なるべく勢(いきおい)よく倒れないと寝たような心持ちがしない。ああ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。ざらざらして蚤(のみ)のようでもないからこいつあと驚(おど)ろいて、足を二三度毛(けっ)布(と)の中で振(ふ)ってみた。するとざらざらと当ったものが、急に殖(ふ)え出して脛(すね)が五六カ所、股(もも)が二三カ所、尻の下でぐちゃりと踏(ふ)み潰(つぶ)したのが一つ、臍(へそ)の所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚ろいた。早(さっ)速(そく)起き上(あが)って、毛(けっ)布(と)をぱっと後ろへ抛(ほう)ると、蒲団の中から、バッタが五六十飛び出した。正体の知れない時は多少気味が悪(わ)るかったが、バッタと相場が極(き)まってみたら急に腹が立った。バッタの癖に人を驚ろかしやがって、どうするか見ろと、いきなり括(くく)り枕(まくら)を取って、二三度擲(たた)きつけたが、相手が小さ過ぎるから勢よく抛(な)げつける割に利(きき)目(め)がない。仕方がないから、また布団の上へ坐(すわ)って、煤(すす)掃(はき)の時に蓙(ござ)を丸めて畳(たたみ)を叩(たた)くように、そこら近辺を無暗にたたいた。バッタが驚ろいた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれの肩(かた)だの、頭だの鼻の先だのへくっ付いたり、ぶつかったりする。顔へ付いた奴(やつ)は枕で叩く訳に行かないから、手で攫(つか)んで、一生懸命に擲きつける。忌(いま)々(いま)しい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで少しも手答がない。バッタは擲きつけられたまま蚊帳へつらまっている。死にもどうもしない。ようやくの事に三十分ばかりでバッタは退(たい)治(じ)た。箒(ほうき)を持って来てバッタの死(しが)骸(い)を掃き出した。小使が来て何ですかと云うから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中に飼(か)っとく奴がどこの国にある。間(まぬ)抜(け)め。と叱(しか)ったら、私は存じませんと弁解をした。存じませんで済むかと箒を椽(えん)側(がわ)へ抛(ほう)り出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った。
おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だろうが十人だろうが構うものか。寝巻のまま腕(うで)まくりをして談判を始めた。
﹁なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた﹂
﹁バッタた何ぞな﹂と真(まっ)先(さき)の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
﹁バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう﹂と云ったが、生(あい)憎(にく)掃き出してしまって一匹(ぴき)も居ない。また小使を呼んで、﹁さっきのバッタを持ってこい﹂と云ったら、﹁もう掃(はき)溜(だめ)へ棄(す)ててしまいましたが、拾って参りましょうか﹂と聞いた。﹁うんすぐ拾って来い﹂と云うと小使は急いで馳(か)け出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり載(の)せて来て﹁どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります﹂と云う。小使まで馬(ば)鹿(か)だ。おれはバッタの一つを生徒に見せて﹁バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ﹂と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が﹁そりゃ、イナゴぞな、もし﹂と生意気におれを遣(や)り込(こ)めた。﹁篦(べら)棒(ぼう)め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕(つら)まえてなもした何だ。菜(なめ)飯(し)は田(でん)楽(がく)の時より外に食うもんじゃない﹂とあべこべに遣り込めてやったら﹁なもしと菜飯とは違うぞな、もし﹂と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。
﹁イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれと頼(たの)んだ﹂
﹁誰も入れやせんがな﹂
﹁入れないものが、どうして床の中に居るんだ﹂
﹁イナゴは温(ぬく)い所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ﹂
﹁馬鹿あ云え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、云え﹂
﹁云えてて、入れんものを説明しようがないがな﹂
けちな奴(やつ)等(ら)だ。自分で自分のした事が云えないくらいなら、てんでしないがいい。証(しょ)拠(うこ)さえ挙がらなければ、しらを切るつもりで図太く構えていやがる。おれだって中学に居た時分は少しはいたずらもしたもんだ。しかしだれがしたと聞かれた時に、尻込みをするような卑(ひき)怯(ょう)な事はただの一度もなかった。したものはしたので、しないものはしないに極(きま)ってる。おれなんぞは、いくら、いたずらをしたって潔白なものだ。嘘を吐(つ)いて罰(ばつ)を逃(に)げるくらいなら、始めからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰はご免(めん)蒙(こうむ)るなんて下(げれ)劣(つ)な根性がどこの国に流(は)行(や)ると思ってるんだ。金は借りるが、返す事はご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相(そう)違(い)ない。全体中学校へ何しにはいってるんだ。学校へはいって、嘘を吐いて、胡(ご)魔(ま)化(か)して、陰(かげ)でこせこせ生意気な悪いたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと癇(かん)違(ちが)いをしていやがる。話せない雑(ぞう)兵(ひょう)だ。
おれはこんな腐(くさ)った了(りょ)見(うけん)の奴等と談判するのは胸(むな)糞(くそ)が悪(わ)るいから、﹁そんなに云われなきゃ、聞かなくっていい。中学校へはいって、上品も下品も区別が出来ないのは気の毒なものだ﹂と云って六人を逐(お)っ放(ぱな)してやった。おれは言葉や様子こそあまり上品じゃないが、心はこいつらよりも遥(はる)かに上品なつもりだ。六人は悠(ゆう)々(ゆう)と引き揚(あ)げた。上(うわ)部(べ)だけは教師のおれよりよっぽどえらく見える。実は落ち付いているだけなお悪るい。おれには到(とう)底(てい)これほどの度胸はない。
それからまた床へはいって横になったら、さっきの騒(そう)動(どう)で蚊帳の中はぶんぶん唸(うな)っている。手(てし)燭(ょく)をつけて一匹ずつ焼くなんて面倒な事は出来ないから、釣(つり)手(て)をはずして、長く畳(たた)んでおいて部屋の中で横(よこ)竪(たて)十文字に振(ふる)ったら、環(かん)が飛んで手の甲(こう)をいやというほど撲(ぶ)った。三度目に床へはいった時は少々落ち付いたがなかなか寝られない。時計を見ると十時半だ。考えてみると厄介な所へ来たもんだ。一体中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするなら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。よっぽど辛(しん)防(ぼう)強い朴(ぼく)念(ねん)仁(じん)がなるんだろう。おれには到底やり切れない。それを思うと清(きよ)なんてのは見上げたものだ。教育もない身分もない婆(ばあ)さんだが、人間としてはすこぶる尊(たっ)とい。今まではあんなに世話になって別段難(あり)有(がた)いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。越(えち)後(ご)の笹(ささ)飴(あめ)が食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値は充(じゅ)分(うぶん)ある。清はおれの事を欲がなくって、真(まっ)直(すぐ)な気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。
清の事を考えながら、のつそつしていると、突(とつ)然(ぜん)おれの頭の上で、数で云ったら三四十人もあろうか、二階が落っこちるほどどん、どん、どんと拍(ひょ)子(うし)を取って床板を踏みならす音がした。すると足音に比例した大きな鬨(とき)の声が起(おこ)った。おれは何事が持ち上がったのかと驚ろいて飛び起きた。飛び起きる途(とた)端(ん)に、ははあさっきの意(いし)趣(ゅが)返(え)しに生徒があばれるのだなと気がついた。手前のわるい事は悪るかったと言ってしまわないうちは罪は消えないもんだ。わるい事は、手前達に覚(おぼえ)があるだろう。本来なら寝てから後(こう)悔(かい)してあしたの朝でもあやまりに来るのが本筋だ。たとい、あやまらないまでも恐れ入って、静(せい)粛(しゅく)に寝ているべきだ。それを何だこの騒(さわ)ぎは。寄宿舎を建てて豚(ぶた)でも飼っておきあしまいし。気(きち)狂(が)いじみた真(ま)似(ね)も大(たい)抵(てい)にするがいい。どうするか見ろと、寝巻のまま宿直部屋を飛び出して、楷(はし)子(ごだ)段(ん)を三(みま)股(たは)半(ん)に二階まで躍(おど)り上がった。すると不思議な事に、今まで頭の上で、たしかにどたばた暴れていたのが、急に静まり返って、人声どころか足音もしなくなった。これは妙だ。ランプはすでに消してあるから、暗くてどこに何が居るか判然と分(わか)らないが、人(ひと)気(け)のあるとないとは様子でも知れる。長く東から西へ貫(つらぬ)いた廊(ろう)下(か)には鼠(ねずみ)一匹(ぴき)も隠(かく)れていない。廊下のはずれから月がさして、遥か向うが際どく明るい。どうも変だ、おれは小供の時から、よく夢(ゆめ)を見る癖があって、夢(むち)中(ゅう)に跳ね起きて、わからぬ寝言を云って、人に笑われた事がよくある。十六七の時ダイヤモンドを拾った夢を見た晩なぞは、むくりと立ち上がって、そばに居た兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な勢(いきおい)で尋(たず)ねたくらいだ。その時は三日ばかりうち中(じゅう)の笑い草になって大いに弱った。ことによると今のも夢かも知れない。しかしたしかにあばれたに違いないがと、廊下の真(まん)中(なか)で考え込んでいると、月のさしている向うのはずれで、一二三わあと、三四十人の声がかたまって響(ひび)いたかと思う間もなく、前のように拍子を取って、一同が床(ゆか)板(いた)を踏み鳴らした。それ見ろ夢じゃないやっぱり事実だ。静かにしろ、夜なかだぞ、とこっちも負けんくらいな声を出して、廊下を向うへ馳(か)けだした。おれの通る路(みち)は暗い、ただはずれに見える月あかりが目(めじ)標(るし)だ。おれが馳け出して二間も来たかと思うと、廊下の真中で、堅(かた)い大きなものに向(むこ)脛(うずね)をぶつけて、あ痛いが頭へひびく間に、身体はすとんと前へ抛(ほう)り出された。こん畜(ちき)生(しょう)と起き上がってみたが、馳けられない。気はせくが、足だけは云う事を利かない。じれったいから、一本足で飛んで来たら、もう足音も人声も静まり返って、森(しん)としている。いくら人間が卑怯だって、こんなに卑怯に出来るものじゃない。まるで豚だ。こうなれば隠れている奴を引きずり出して、あやまらせてやるまではひかないぞと、心を極(き)めて寝(しん)室(しつ)の一つを開けて中を検査しようと思ったが開かない。錠(じょう)をかけてあるのか、机か何か積んで立て懸(か)けてあるのか、押(お)しても、押しても決して開かない。今度は向う合せの北側の室(へや)を試みた。開かない事はやっぱり同然である。おれが戸を開けて中に居る奴を引っ捕(つ)らまえてやろうと、焦(いら)慮(っ)てると、また東のはずれで鬨の声と足拍子が始まった。この野(やろ)郎(う)申し合せて、東西相応じておれを馬鹿にする気だな、とは思ったがさてどうしていいか分らない。正直に白状してしまうが、おれは勇気のある割合に智(ち)慧(え)が足りない。こんな時にはどうしていいかさっぱりわからない。わからないけれども、決して負けるつもりはない。このままに済ましてはおれの顔にかかわる。江(え)戸(ど)っ子は意(い)気(く)地(じ)がないと云われるのは残念だ。宿直をして鼻(はな)垂(った)れ小(こぞ)僧(う)にからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗(はた)本(もと)だ。旗本の元は清(せい)和(わげ)源(ん)氏(じ)で、多(た)田(だ)の満(まん)仲(じゅう)の後(こう)裔(えい)だ。こんな土(どび)百(ゃく)姓(しょう)とは生まれからして違うんだ。ただ智慧のないところが惜しいだけだ。どうしていいか分らないのが困るだけだ。困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。あさって勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここに居る。おれはこう決心をしたから、廊下の真中へあぐらをかいて夜のあけるのを待っていた。蚊がぶんぶん来たけれども何ともなかった。さっき、ぶつけた向脛を撫(な)でてみると、何だかぬらぬらする。血が出るんだろう。血なんか出たければ勝手に出るがいい。そのうち最前からの疲(つか)れが出て、ついうとうと寝てしまった。何だか騒がしいので、眼(め)が覚めた時はえっ糞(くそ)しまったと飛び上がった。おれの坐(すわ)ってた右側にある戸が半分あいて、生徒が二人、おれの前に立っている。おれは正気に返って、はっと思う途端に、おれの鼻の先にある生徒の足を引(ひ)っ攫(つか)んで、力任せにぐいと引いたら、そいつは、どたりと仰(あお)向(むけ)に倒れた。ざまを見ろ。残る一人がちょっと狼(ろう)狽(ばい)したところを、飛びかかって、肩を抑(おさ)えて二三度こづき廻したら、あっけに取られて、眼をぱちぱちさせた。さあおれの部屋まで来いと引っ立てると、弱虫だと見えて、一も二もなく尾(つ)いて来た。夜(よ)はとうにあけている。
おれが宿直部屋へ連れてきた奴を詰(きつ)問(もん)し始めると、豚は、打(ぶ)っても擲いても豚だから、ただ知らんがなで、どこまでも通す了見と見えて、けっして白状しない。そのうち一人来る、二人来る、だんだん二階から宿直部屋へ集まってくる。見るとみんな眠(ねむ)そうに瞼(まぶた)をはらしている。けちな奴等だ。一晩ぐらい寝ないで、そんな面をして男と云われるか。面でも洗って議論に来いと云ってやったが、誰も面を洗いに行かない。
おれは五十人あまりを相手に約一時間ばかり押(おし)問(もん)答(どう)をしていると、ひょっくり狸がやって来た。あとから聞いたら、小使が学校に騒動がありますって、わざわざ知らせに行ったのだそうだ。これしきの事に、校長を呼ぶなんて意気地がなさ過ぎる。それだから中学校の小使なんぞをしてるんだ。
校長はひと通りおれの説明を聞いた。生徒の言(いい)草(ぐさ)もちょっと聞いた。追って処分するまでは、今まで通り学校へ出ろ。早く顔を洗って、朝飯を食わないと時間に間に合わないから、早くしろと云って寄宿生をみんな放(ほう)免(めん)した。手(て)温(ぬ)るい事だ。おれなら即(そく)席(せき)に寄宿生をことごとく退校してしまう。こんな悠(ゆう)長(ちょう)な事をするから生徒が宿直員を馬鹿にするんだ。その上おれに向って、あなたもさぞご心配でお疲れでしょう、今日はご授業に及(およ)ばんと云うから、おれはこう答えた。﹁いえ、ちっとも心配じゃありません。こんな事が毎晩あっても、命のある間は心配にゃなりません。授業はやります、一晩ぐらい寝なくって、授業が出来ないくらいなら、頂(ちょ)戴(うだい)した月給を学校の方へ割(わり)戻(もど)します﹂校長は何と思ったものか、しばらくおれの顔を見つめていたが、しかし顔が大分はれていますよと注意した。なるほど何だか少々重たい気がする。その上べた一面痒(かゆ)い。蚊がよっぽと刺(さ)したに相違ない。おれは顔中ぼりぼり掻(か)きながら、顔はいくら膨(は)れたって、口はたしかにきけますから、授業には差し支(つか)えませんと答えた。校長は笑いながら、大分元気ですねと賞(ほ)めた。実を云うと賞めたんじゃあるまい、ひやかしたんだろう。
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五
君釣(つ)りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪(わ)るいように優しい声を出す男である。まるで男だか女だか分(わか)りゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか。物理学校でさえおれくらいな声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。
おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あんまりないが、子供の時、小(こう)梅(め)の釣(つり)堀(ぼり)で鮒(ふな)を三匹(びき)釣った事がある。それから神(かぐ)楽(らざ)坂(か)の毘(びし)沙(ゃも)門(ん)の縁(えん)日(にち)で八寸ばかりの鯉(こい)を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜(お)しいと云(い)ったら、赤シャツは顋(あご)を前の方へ突(つ)き出してホホホホと笑った。何もそう気取って笑わなくっても、よさそうな者だ。﹁それじゃ、まだ釣りの味は分らんですな。お望みならちと伝授しましょう﹂とすこぶる得意である。だれがご伝授をうけるものか。一体釣や猟(りょう)をする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくって、殺(せっ)生(しょう)をして喜ぶ訳がない。魚だって、鳥だって殺されるより生きてる方が楽に極(き)まってる。釣や猟をしなくっちゃ活(かっ)計(けい)がたたないなら格別だが、何不足なく暮(くら)している上に、生き物を殺さなくっちゃ寝られないなんて贅(ぜい)沢(たく)な話だ。こう思ったが向(むこ)うは文学士だけに口が達者だから、議論じゃ叶(かな)わないと思って、だまってた。すると先生このおれを降参させたと疳(かん)違(ちが)いして、早速伝授しましょう。おひまなら、今日どうです、いっしょに行っちゃ。吉(よし)川(かわ)君と二(ふた)人(り)ぎりじゃ、淋(さむ)しいから、来たまえとしきりに勧める。吉川君というのは画学の教師で例の野だいこの事だ。この野だは、どういう了(りょ)見(うけん)だか、赤シャツのうちへ朝夕出(でい)入(り)して、どこへでも随(ずい)行(こう)して行(ゆ)く。まるで同(どう)輩(はい)じゃない。主(しゅ)従(うじゅう)みたようだ。赤シャツの行く所なら、野だは必ず行くに極(きま)っているんだから、今さら驚(おど)ろきもしないが、二人で行けば済むところを、なんで無(ぶあ)愛(い)想(そ)のおれへ口を掛(か)けたんだろう。大方高(こう)慢(まん)ちきな釣道楽で、自分の釣るところをおれに見せびらかすつもりかなんかで誘(さそ)ったに違いない。そんな事で見せびらかされるおれじゃない。鮪(まぐろ)の二匹や三匹釣ったって、びくともするもんか。おれだって人間だ、いくら下(へ)手(た)だって糸さえ卸(おろ)しゃ、何かかかるだろう、ここでおれが行かないと、赤シャツの事だから、下手だから行かないんだ、嫌(きら)いだから行かないんじゃないと邪(じゃ)推(すい)するに相(そう)違(い)ない。おれはこう考えたから、行きましょうと答えた。それから、学校をしまって、一応うちへ帰って、支(した)度(く)を整えて、停車場で赤シャツと野だを待ち合せて浜(はま)へ行った。船頭は一(ひと)人(り)で、船(ふね)は細長い東京辺では見た事もない恰(かっ)好(こう)である。さっきから船中見(みわ)渡(た)すが釣(つり)竿(ざお)が一本も見えない。釣竿なしで釣が出来るものか、どうする了見だろうと、野だに聞くと、沖(おき)釣(づり)には竿は用いません、糸だけでげすと顋を撫(な)でて黒(くろ)人(うと)じみた事を云った。こう遣(や)り込(こ)められるくらいならだまっていればよかった。
船頭はゆっくりゆっくり漕(こ)いでいるが熟練は恐(おそろ)しいもので、見(み)返(か)えると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。高(こう)柏(はく)寺(じ)の五重の塔(とう)が森の上へ抜(ぬ)け出して針のように尖(とん)がってる。向(むこ)側(うがわ)を見ると青(あお)嶋(しま)が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松(まつ)ばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺(ちょ)望(うぼう)していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹(ふ)かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。﹁あの松を見たまえ、幹が真(まっ)直(すぐ)で、上が傘(かさ)のように開いてターナーの画にありそうだね﹂と赤シャツが野だに云うと、野だは﹁全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ﹂と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙(だま)っていた。舟は島を右に見てぐるりと廻(まわ)った。波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほど平(たいら)だ。赤シャツのお陰(かげ)ではなはだ愉(ゆか)快(い)だ。出来る事なら、あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙ってた。すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発(ほつ)議(ぎ)をした。赤シャツはそいつは面白い、吾(われ)々(われ)はこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれもはいってるなら迷(めい)惑(わく)だ。おれには青嶋でたくさんだ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。なに誰も居ないから大(だい)丈(じょ)夫(うぶ)ですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれは何だかやな心持ちがした。マドンナだろうが、小(こだ)旦(ん)那(な)だろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。これで当人は私(わたし)も江(え)戸(ど)っ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴(なじ)染(み)の芸者の渾(あだ)名(な)か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺(なが)めていれば世話はない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。
ここいらがいいだろうと船頭は船をとめて、錨(いかり)を卸した。幾(いく)尋(ひろ)あるかねと赤シャツが聞くと、六(むひ)尋(ろ)ぐらいだと云う。六尋ぐらいじゃ鯛(たい)はむずかしいなと、赤シャツは糸を海へなげ込んだ。大将鯛を釣る気と見える、豪(ごう)胆(たん)なものだ。野だは、なに教頭のお手際じゃかかりますよ。それになぎですからとお世辞を云いながら、これも糸を繰(く)り出して投げ入れる。何だか先に錘(おもり)のような鉛(なまり)がぶら下がってるだけだ。浮(うき)がない。浮がなくって釣をするのは寒暖計なしで熱度をはかるようなものだ。おれには到(とう)底(てい)出来ないと見ていると、さあ君もやりたまえ糸はありますかと聞く。糸はあまるほどあるが、浮がありませんと云ったら、浮がなくっちゃ釣が出来ないのは素(しろ)人(うと)ですよ。こうしてね、糸が水(みず)底(そこ)へついた時分に、船(ふな)縁(べり)の所で人指しゆびで呼吸をはかるんです、食うとすぐ手に答える。――そらきた、と先生急に糸をたぐり始めるから、何かかかったと思ったら何にもかからない、餌(え)がなくなってたばかりだ。いい気(き)味(び)だ。教頭、残念な事をしましたね、今のはたしかに大ものに違いなかったんですが、どうも教頭のお手際でさえ逃(に)げられちゃ、今日は油断ができませんよ。しかし逃げられても何ですね。浮と睨(にら)めくらをしている連中よりはましですね。ちょうど歯どめがなくっちゃ自転車へ乗れないのと同程度ですからねと野だは妙(みよう)な事ばかり喋(しゃ)舌(べ)る。よっぽど撲(なぐ)りつけてやろうかと思った。おれだって人間だ、教頭ひとりで借り切った海じゃあるまいし。広い所だ。鰹(かつお)の一匹ぐらい義理にだって、かかってくれるだろうと、どぼんと錘と糸を抛(ほう)り込んでいい加減に指の先であやつっていた。
しばらくすると、何だかぴくぴくと糸にあたるものがある。おれは考えた。こいつは魚に相違ない。生きてるものでなくっちゃ、こうぴくつく訳がない。しめた、釣れたとぐいぐい手(た)繰(ぐ)り寄せた。おや釣れましたかね、後世恐(おそ)るべしだと野だがひやかすうち、糸はもう大概手繰り込んでただ五尺ばかりほどしか、水に浸(つ)いておらん。船縁から覗(のぞ)いてみたら、金魚のような縞(しま)のある魚が糸にくっついて、右左へ漾(ただよ)いながら、手に応じて浮き上がってくる。面白い。水際から上げるとき、ぽちゃりと跳(は)ねたから、おれの顔は潮水だらけになった。ようやくつらまえて、針をとろうとするがなかなか取れない。捕(つら)まえた手はぬるぬるする。大いに気味がわるい。面倒だから糸を振(ふ)って胴(どう)の間(ま)へ擲(たた)きつけたら、すぐ死んでしまった。赤シャツと野だは驚ろいて見ている。おれは海の中で手をざぶざぶと洗って、鼻の先へあてがってみた。まだ腥(なま)臭(ぐさ)い。もう懲(こ)り懲(ご)りだ。何が釣れたって魚は握(にぎ)りたくない。魚も握られたくなかろう。そうそう糸を捲いてしまった。
一(いち)番(ばん)槍(やり)はお手(てが)柄(ら)だがゴルキじゃ、と野だがまた生意気を云うと、ゴルキと云うと露(ロ)西(シ)亜(ア)の文学者みたような名だねと赤シャツが洒(しゃ)落(れ)た。そうですね、まるで露西亜の文学者ですねと野だはすぐ賛成しやがる。ゴルキが露西亜の文学者で、丸木が芝(しば)の写真師で、米のなる木が命の親だろう。一体この赤シャツはわるい癖(くせ)だ。誰(だれ)を捕(つら)まえても片仮名の唐(とう)人(じん)の名を並べたがる。人にはそれぞれ専門があったものだ。おれのような数学の教師にゴルキだか車(しゃ)力(りき)だか見当がつくものか、少しは遠(えん)慮(りょ)するがいい。云(い)うならフランクリンの自伝だとかプッシング、ツー、ゼ、フロントだとか、おれでも知ってる名を使うがいい。赤シャツは時々帝国文学とかいう真(まっ)赤(か)な雑誌を学校へ持って来て難(あり)有(がた)そうに読んでいる。山(やま)嵐(あらし)に聞いてみたら、赤シャツの片仮名はみんなあの雑誌から出るんだそうだ。帝国文学も罪な雑誌だ。
それから赤シャツと野だは一(いっ)生(しょ)懸(うけ)命(んめい)に釣っていたが、約一時間ばかりのうちに二(ふた)人(り)で十五六上げた。可(お)笑(か)しい事に釣れるのも、釣れるのも、みんなゴルキばかりだ。鯛なんて薬にしたくってもありゃしない。今日は露西亜文学の大当りだと赤シャツが野だに話している。あなたの手(しゅ)腕(わん)でゴルキなんですから、私(わたし)なんぞがゴルキなのは仕方がありません。当り前ですなと野だが答えている。船頭に聞くとこの小魚は骨が多くって、まずくって、とても食えないんだそうだ。ただ肥(こや)料(し)には出来るそうだ。赤シャツと野だは一生懸命に肥料を釣っているんだ。気の毒の至りだ。おれは一匹(ぴき)で懲(こ)りたから、胴の間へ仰(あお)向(む)けになって、さっきから大空を眺めていた。釣をするよりこの方がよっぽど洒(しゃ)落(れ)ている。
すると二人は小声で何か話し始めた。おれにはよく聞(きこ)えない、また聞きたくもない。おれは空を見ながら清(きよ)の事を考えている。金があって、清をつれて、こんな奇(きれ)麗(い)な所へ遊びに来たらさぞ愉快だろう。いくら景色がよくっても野だなどといっしょじゃつまらない。清は皺(しわ)苦(くち)茶(ゃ)だらけの婆さんだが、どんな所へ連れて出たって恥(は)ずかしい心持ちはしない。野だのようなのは、馬車に乗ろうが、船に乗ろうが、凌(りょ)雲(うう)閣(んかく)へのろうが、到底寄り付けたものじゃない。おれが教頭で、赤シャツがおれだったら、やっぱりおれにへけつけお世辞を使って赤シャツを冷(ひや)かすに違いない。江戸っ子は軽(けい)薄(はく)だと云うがなるほどこんなものが田(いな)舎(かま)巡(わ)りをして、私(わたし)は江戸っ子でげすと繰り返していたら、軽薄は江戸っ子で、江戸っ子は軽薄の事だと田舎者が思うに極まってる。こんな事を考えていると、何だか二人がくすくす笑い出した。笑い声の間に何か云うが途(と)切(ぎ)れ途切れでとんと要領を得ない。
﹁え? どうだか……﹂﹁……全くです……知らないんですから……罪ですね﹂﹁まさか……﹂﹁バッタを……本当ですよ﹂
おれは外の言葉には耳を傾(かたむ)けなかったが、バッタと云う野だの語(ことば)を聴(き)いた時は、思わずきっとなった。野だは何のためかバッタと云う言葉だけことさら力を入れて、明(めい)瞭(りょう)におれの耳にはいるようにして、そのあとをわざとぼかしてしまった。おれは動かないでやはり聞いていた。
﹁また例の堀(ほっ)田(た)が……﹂﹁そうかも知れない……﹂﹁天(てん)麩(ぷ)羅(ら)……ハハハハハ﹂﹁……煽(せん)動(どう)して……﹂﹁団(だん)子(ご)も?﹂
言葉はかように途切れ途切れであるけれども、バッタだの天麩羅だの、団子だのというところをもって推し測ってみると、何でもおれのことについて内(ない)所(しょ)話(ばな)しをしているに相違ない。話すならもっと大きな声で話すがいい、また内所話をするくらいなら、おれなんか誘わなければいい。いけ好かない連中だ。バッタだろうが雪(せっ)踏(た)だろうが、非はおれにある事じゃない。校長がひとまずあずけろと云ったから、狸(たぬき)の顔にめんじてただ今のところは控(ひか)えているんだ。野だの癖に入らぬ批評をしやがる。毛(けふ)筆(で)でもしゃぶって引っ込んでるがいい。おれの事は、遅(おそ)かれ早かれ、おれ一人で片付けてみせるから、差(さし)支(つか)えはないが、また例の堀田がとか煽動してとか云う文句が気にかかる。堀田がおれを煽動して騒(そう)動(どう)を大きくしたと云う意味なのか、あるいは堀田が生徒を煽動しておれをいじめたと云うのか方角がわからない。青空を見ていると、日の光がだんだん弱って来て、少しはひやりとする風が吹き出した。線(せん)香(こう)の烟(けむり)のような雲が、透(す)き徹(とお)る底の上を静かに伸(の)して行ったと思ったら、いつしか底の奥(おく)に流れ込んで、うすくもやを掛(か)けたようになった。
もう帰ろうかと赤シャツが思い出したように云うと、ええちょうど時分ですね。今夜はマドンナの君にお逢(あ)いですかと野だが云う。赤シャツは馬(ば)鹿(か)あ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身を倚(も)たした奴(やつ)を、少し起き直る。エヘヘヘヘ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だが振り返った時、おれは皿(さら)のような眼(め)を野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやった。野だはまぼしそうに引っ繰り返って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭を掻(か)いた。何という猪(ちょ)口(こざ)才(い)だろう。
船は静かな海を岸へ漕(こ)ぎ戻(もど)る。君釣(つり)はあまり好きでないと見えますねと赤シャツが聞くから、ええ寝(ね)ていて空を見る方がいいですと答えて、吸いかけた巻(まき)烟(たば)草(こ)を海の中へたたき込んだら、ジュと音がして艪(ろ)の足で掻き分けられた浪(なみ)の上を揺(ゆ)られながら漾(ただよ)っていった。﹁君が来たんで生徒も大いに喜んでいるから、奮(ふん)発(ぱつ)してやってくれたまえ﹂と今度は釣にはまるで縁(えん)故(こ)もない事を云い出した。﹁あんまり喜んでもいないでしょう﹂﹁いえ、お世辞じゃない。全く喜んでいるんです、ね、吉川君﹂﹁喜んでるどころじゃない。大(おお)騒(さわ)ぎです﹂と野だはにやにやと笑った。こいつの云う事は一々癪(しゃく)に障(さわ)るから妙だ。﹁しかし君注意しないと、険(けん)呑(のん)ですよ﹂と赤シャツが云うから﹁どうせ険呑です。こうなりゃ険呑は覚(かく)悟(ご)です﹂と云ってやった。実際おれは免(めん)職(しょく)になるか、寄宿生をことごとくあやまらせるか、どっちか一つにする了見でいた。﹁そう云っちゃ、取りつきどころもないが――実は僕も教頭として君のためを思うから云うんだが、わるく取っちゃ困る﹂﹁教頭は全く君に好意を持ってるんですよ。僕も及(およ)ばずながら、同じ江戸っ子だから、なるべく長くご在校を願って、お互(たがい)に力になろうと思って、これでも蔭ながら尽(じん)力(りょく)しているんですよ﹂と野だが人間並(なみ)の事を云った。野だのお世話になるくらいなら首を縊(くく)って死んじまわあ。
﹁それでね、生徒は君の来たのを大変歓(かん)迎(げい)しているんだが、そこにはいろいろな事情があってね。君も腹の立つ事もあるだろうが、ここが我(がま)慢(ん)だと思って、辛(しん)防(ぼう)してくれたまえ。決して君のためにならないような事はしないから﹂
﹁いろいろの事情た、どんな事情です﹂
﹁それが少し込み入ってるんだが、まあだんだん分りますよ。僕(ぼく)が話さないでも自然と分って来るです、ね吉川君﹂
﹁ええなかなか込み入ってますからね。一朝一夕にゃ到底分りません。しかしだんだん分ります、僕が話さないでも自然と分って来るです﹂と野だは赤シャツと同じような事を云う。
﹁そんな面(めん)倒(どう)な事情なら聞かなくてもいいんですが、あなたの方から話し出したから伺(うかが)うんです﹂
﹁そりゃごもっともだ。こっちで口を切って、あとをつけないのは無責任ですね。それじゃこれだけの事を云っておきましょう。あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は始めての、経験である。ところが学校というものはなかなか情実のあるもので、そう書生流に淡(たん)泊(ぱく)には行(ゆ)かないですからね﹂
﹁淡泊に行かなければ、どんな風に行くんです﹂
﹁さあ君はそう率直だから、まだ経験に乏(とぼ)しいと云うんですがね……﹂
﹁どうせ経験には乏しいはずです。履(りれ)歴(きし)書(ょ)にもかいときましたが二十三年四ヶ月ですから﹂
﹁さ、そこで思わぬ辺から乗ぜられる事があるんです﹂
﹁正直にしていれば誰(だれ)が乗じたって怖(こわ)くはないです﹂
﹁無論怖くはない、怖くはないが、乗ぜられる。現に君の前任者がやられたんだから、気を付けないといけないと云うんです﹂
野だが大(おと)人(な)しくなったなと気が付いて、ふり向いて見ると、いつしか艫(とも)の方で船頭と釣の話をしている。野だが居ないんでよっぽど話しよくなった。
﹁僕の前任者が、誰(だ)れに乗ぜられたんです﹂
﹁だれと指すと、その人の名誉に関係するから云えない。また判然と証(しょ)拠(うこ)のない事だから云うとこっちの落度になる。とにかく、せっかく君が来たもんだから、ここで失敗しちゃ僕(ぼく)等(ら)も君を呼んだ甲(か)斐(い)がない。どうか気を付けてくれたまえ﹂
﹁気を付けろったって、これより気の付けようはありません。わるい事をしなけりゃ好(い)いんでしょう﹂
赤シャツはホホホホと笑った。別段おれは笑われるような事を云った覚えはない。今(こん)日(にち)ただ今に至るまでこれでいいと堅(かた)く信じている。考えてみると世間の大部分の人はわるくなる事を奨(しょ)励(うれい)しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純(じゅ)粋(んすい)な人を見ると、坊(ぼ)っちゃんだの小(こぞ)僧(う)だのと難(なん)癖(くせ)をつけて軽(けい)蔑(べつ)する。それじゃ小学校や中学校で嘘(うそ)をつくな、正直にしろと倫(りん)理(り)の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。清はこんな時に決して笑った事はない。大いに感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツよりよっぽど上等だ。
﹁無論悪(わ)るい事をしなければ好いんですが、自分だけ悪るい事をしなくっても、人の悪るいのが分らなくっちゃ、やっぱりひどい目に逢うでしょう。世の中には磊(らい)落(らく)なように見えても、淡泊なように見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、めったに油断の出来ないのがありますから……。大分寒くなった。もう秋ですね、浜の方は靄(もや)でセピヤ色になった。いい景色だ。おい、吉川君どうだい、あの浜の景色は……﹂と大きな声を出して野だを呼んだ。なあるほどこりゃ奇(きぜ)絶(つ)ですね。時間があると写生するんだが、惜(お)しいですね、このままにしておくのはと野だは大いにたたく。
港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛(ふえ)がヒューと鳴るとき、おれの乗っていた舟は磯(いそ)の砂へざぐりと、舳(へさき)をつき込んで動かなくなった。お早うお帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨(あい)拶(さつ)する。おれは船(ふな)端(ばた)から、やっと掛(かけ)声(ごえ)をして磯へ飛び下りた。
︵後編へつづく︶
※第11章で完結です。