今日は、太宰治の「小さいアルバム」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
太宰治というと聖書を読み込んでいて、イスカリオテのユダについての物語を書いている、というのがもっとも印象に残っているんですが、氏は、罪や罰についての告白を虚実入り混じらせて書くことが多く、近代のふつうの私小説となにか仕組みが、まったくちがうように思います。
深刻な吐露なのか、作中にあるような「軽薄才士とでもいったところ」の告白なのか、読んでいて判別できない。作家になる前と晩期には、道化とは言えないような事件も起こしているので、作中にあるような「軽薄に、ニヤリと笑っている」「不謹慎」な「掏摸の親方になれなかったばかりか、いやもう、みっともない失敗の連続」の作家とは思えない、難読の近代文学を数多に残した作家のように思います。
太宰治の筆名なんですが、本人は万葉集からとってきたとさらっと言いのこしています。太宰治の発言はこうで……「太宰権帥大伴の何とかつて云ふ人が、酒の歌を詠つてゐたので、酒が好きだから、これがいいつていふわけで、太宰。修治は、どちらも、おさめるで、二つはいらないといふので太宰治としたのです」と書いているんです。太宰治はペンネームがじつは5つくらいあって、そのなかで太宰治をいちばん使った主因のひとつは、「治」が本名の一部だからというがあると思います。
ただ、太宰帥の太宰というのはどうも妙なんです。大伴旅人の酒の歌が好きだから、というので「64歳頃に太宰権帥になった大伴旅人」の名前から大伴とか旅人を拝借せずに、「福岡県太宰市」とかいう意味でしかない「太宰」をとる、というのはちょっとあまりにも無理がある言い分のように思います。「酒の歌」と「太宰市」は意味がかけ離れています。それよりも”DAZAI”という言葉の響きを重視して、これを選んだのでは、と、井伏鱒二が太宰治の筆名を評した短文から連想しました。
ちょっと調べてみると、太宰治はダンテの神曲地獄篇を読解していてこれを代表作で引用しているんです。ダンテの神曲地獄篇は、聖書にある地獄を重厚な文学にした物語で、この地獄篇の最終段では、太宰治も熱心に記した「イスカリオテのユダ」が魔王に永劫に噛み砕かれています。
こういう宗教的物語がじつは日本にもあって、そこには”DAZAI”という言葉が記されています。八大地獄の閻魔に責めさいなまれる、この危機に陥った鵜飼の老翁「無間の底に堕罪すべかつし」地獄の責め苦に苦しみつつ幽霊となって現世に舞い戻り、旅僧をもてなした功を積んだことによって地獄の底の底から脱することができた。これが能の謡曲『鵜飼』のあらすじなんです。鵜飼の老翁は、地獄の底から脱出した。ダンテ地獄篇と共通項のある物語なんです。太宰治の”DAZAI”には「無間の底に堕罪すべかつし」ところ「これを修め、治めた」という言葉が隠されている……かもしれない、という仮説を立ててちょっと文献を調べてみました。じっさいに文献として明らかなことは、太宰治は万葉集の大伴旅人の歌が好き、ということだけかなと思います。本文と関係が無いんですが、令和元年の「令和」も大伴旅人の書いた「初春の令月にして、気淑く風和ぐ」からとられて「令和」という元号が出来たそうです。
今回、太宰治は「笑いとは、地球上で一番苦しんでいる動物が発明したものである。」という言葉を残したニーチェの考えを引用しつつ、この笑いながら厳粛な事を語るという、小説の創作の軸を構築して、これを書き終えたようです。
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