今日は、中島敦の「虎狩」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
日本では現代でも熊狩りが行われていますが、この小説は現実の虎狩りについて記した作品です。百年前の半島での、人々の暮らしぶりを記し、駐在所に現れた虎と、その町の子どもたちのことが描きだされます。幼子の「私」の他愛ないケンカや親交や少女との思い出のことが記されます。
学校の軍事演習を行った露営地のテントで雹が降ってきたときに、上級生から因縁をつけられて泣き顔になってしまった友人の趙が、殴られそうになった場面が印象に残りました。この趙という友人は遠くへ引っ越してゆき「私」は東京で暮らすことになるのですが……。
中学生のころ、趙と「私」は虎狩りを見にゆくことになった。趙の父と、幾人もの猟師たちについて行くかたちで、レミントン・アームズの銃を抱えて、野生の虎を撃ちにゆく。雪山に虎の足跡があって、松明を掲げて夜通しこれを追ってゆく。この前後の描写に、迫力がありました。
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十数年後にこの趙と突然の再会をするのですが、そこで「煙草をくれ」といわれてこれを差し出すと、笑ってこの煙草を突き返し、妙に哲学的な問答が生じるのでした。彼は燐寸を失っていて煙草を手にしてたのに、思わず「煙草をくれ」と言い間違ってしまった。燐寸が欲しかったのに煙草が欲しいと、間違って思い込んでいた。なぜそうなったかを検討すると、言葉だけを使っていて実態をイメージしていなかったからだ……「言葉や文字の記憶は正確なかわりに、どうかすると、とんでもない別の物に化けていることがある」という考察が記されるのでした。
煙草と燐寸を入れ違って記憶してしまったことと、趙という青年の「弱虫」な性格と「酷薄な豪族の血」と、この両面が瞬時に回想されるのでした。