今日は、新美南吉の「貧乏な少年の話」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
六年生の大作君が、人通りのない道を歩いていると、キャラメルの箱が一つ落ちていた。拾おうとして、ちょっと不自然で怪しいと思った。これは友だちがイタズラをしていて、ものかげから観察しているところなのでした。そのあと、イタズラをする側にまわって、通りすがりの子どもを観察することになり、思わぬ事態に遭遇します。完全に小学生だけが読むための童話なんですが、じっさいに読んでみると貧乏なことが恥ずかしい行動につながってしまうと思い込んだ主人公の大作君の思いの遍歴の描写があって、これが印象に残りました。
子どもからすると不自由の原因が貧乏であることが見えてしまう。他人と比較してしまって、今までの元気が失われてしまう。資金繰りのきびしい親が家族のために、無理をして働いている姿が中盤に記されています。
みんなで大綱を運ぶ運動会の競争で、吉太郎君が脱落するという、妙な事態が起きます。この一文が印象に残りました。
もう、競走の勝敗のことなどすっかりわすれていた。
吉太郎君は帰ってきた。みんなが願っていた通り、元気で帰ってきた。先生のうしろから自転車の荷かけにまたがって、血色のいい顔をにこにこさせながら帰ってきた。すこし元気すぎるほどだ。でもまあよかった。みんなは、ほっとして帰りじたくにかかった。
このあと子どもたちの中で不満が生じて諍いが起きるのですが、大作君は貧乏に悩むことを辞めるきっかけを掴んで、心的な成長をとげるのでした。後半でも、ちょっと不自然なキャラメルの空き箱のことが記されるんです。近代の閉塞した日々や、暗い歴史の中の事態も見えてきてしまう児童文学でもありました。本題とあまり関連性がないのですが、昭和を描きだす日本の名作映画の原形が見えてくるような小説に思いました。
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