丸善と三越 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「丸善と三越」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 100年前の丸善と、今の現実の丸善の存在感が、ほぼ変わらずにあり続けるというのがなんだか衝撃に思う、丸善という本屋への思いが、寺田寅彦によって描きだされている随筆でした。20世紀前半の本屋は、今より革新的で特別なものだったのでは、というように思う作品でした。
 文化や芸術に享楽的なところがあることを見出し、それが禁欲的な日本人にとって「こんなにおもしろくてもいいのかしらんと思って、なんだかそら恐ろしく」感じられることがある。
「音楽の享楽にふける事でさえ」音楽家が学びを深めるといった目的を有していない場合は「その人の人格をゆるめ弱めるという結果を生ずるだろう」これを避けるためには、その享楽ののちすぐに、なにか小さな善行をするよう習慣づければ良いのでは、と心理学者のウィリアム・ジェームスは告げています。
 寺田寅彦はこの問題について考えて、「美しい芸術が人の心に及ぼす影響はすぐその場で手っ取り早く具体的な自覚的行為に両替して、それで済まされるものだろうか。それではあまりに物足りない」と書き、たとえ無礼な人間であっても、文化や芸術に喜びを見出す経験をした場合、人生のある時期に、なにかしらの意義ある行動をする要素の一つになるのでは、というように記していました。 
  

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追記  「丸善が精神の衣食住を供給しているならば三越は肉体の丸善であると言ってもいい」という記載をみて、じっ店舗が減ってネット販売が増えてゆく現代に読んでも、なんだか興味深い随筆に思いました。「三越にはピストルが売っていない」という「友人P」の考えも記されていて、日本でどうして銃規制が浸透して、海外では銃事件が増えつづけるのか、という問題についても、江戸から明治から昭和から令和にかけての日本人の考え方の例がちょっと記されていました。