今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」その17を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
最終章は、人望論からはじまります。この本はおもに商人の倫理というのを説いてきたと思うのですが、福沢諭吉は地味な商売だけでは無く、人気商売ということについてもさかんに論じるのでした。慶應義塾をつくった福沢諭吉が、学校の人気とか、学長の人気ということも重視していた、というのはなんだか乙な話に思いました。
大きな買い物をしたあとでちょうど今だけ借金があるという商人は、マイナスの人間なのかというと、そういうわけではない、と説かれています。人望のある商人は、貯金額や技量によって評価されているわけでは無く、仁徳や知性によって人望を得ているのだ、と、福沢諭吉が言うのでした。
「売薬師が看板を金にして大いに売りひろめ、山師の帳場に空虚なる金箱を据え」というような虚飾が盛んになっていると「見識高き士君子は世間に栄誉を求めず」栄誉を避けることが増える。ところが、福沢諭吉はここで「栄誉」というのはどういうものかをちゃんと考えてみよう、と言うのでした。
「栄誉」というのは植物で言うところの「花」と同じような作用があって、花を失った植物は栄えることができない。嘘の花を盛んにして本体が行方不明になるというのもまずいけれども、花を投棄して花を避ける、というのは生物として無理がある。
自身の栄誉を無理に拡げようとしてはいけない、それよりも他人のことをしっかり知って学ぼうというのが、論語の基本で「君子は人の己れを知らざるを憂えず、人を知らざるを憂う」という方針があるのですが、福沢諭吉はこれは「悪弊」だと批評しています。才徳があるのなら人望をも得て大きな仕事に励もう、というように述べていました。他人のことを知って、自分のことも知ってもらうことが重要だと、論語の教えをさらに進めて説いていました。
そのためにはまず、言葉を学んで、活動を広める。みんなが分かるような言葉を使う、苦虫を噛み潰したような顔をずっとしているのも良くない、といった処世術についても書いているのでした。気軽に相談できるような穏やかな知者を目指してゆく……言葉や表情を柔らかくして、広く人に接する。福沢諭吉が学生に説く、人望論が書かれていました。
学問で交流したり、商売で交わったり、趣味の友だちをつくったり、友を作る方法はいろいろある。
人を毛嫌いして棒きれのような枯れた生きかたをするのは良くない。花の無い生きかたをするのは辞めよう、という福沢諭吉の指摘なのでした。
論語を学んでおいて「道がちがう相手とは協力しない」と考えるのはこれは論語の誤読である、と福沢諭吉は批評しています。
向かう道が異なるからと言って、協力しあわないというのはまずい。異なる道を進んでゆくような新しい友を求める、ということを福沢諭吉はすすめています。これで学問のすすめが完結していました。はじめて最後まで読んだ……と思いました。
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