今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
第二編では「ただ文字を読むのみをもって学問とするは大なる心得違いなり」と、学問は書物から読むだけのものでは無いと、耳や手や足を使う学問についてまず述べています。工具の名前だけ知っていても学問があるわけではなくって、じっさいに大工さんの仕事をちゃんとできることもまた学問だと述べています。論語や古事記を読めて暗記しているのに、実生活では論語と逆のことをしている人たちについて、福沢諭吉が苦言を述べているんです。他にもこう書いています。
わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし
それから、経済の古典を読めても、じっさいの商売が繁盛しないならこれは学問がとぼしい男だという批判もあって、読んでいていろいろ心苦しく感じる箇所があまたにあるんです。福沢諭吉は持続可能な仕事と学びということをとにかく重大視しているのでした。
人間の知力と能力を超える「天」というものがいのちを作った。人は上下の差なく自由や幸福を追求できるはずで「人力をもってこれを害すべからず」「大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり」というように記しています。
人には、強かったり弱かったりという差があるけれども、恐竜の世界とは違って、弱肉強食は人間の法と倫理には、通用しない。
「百姓は米を作りて人を養い、町人は物を売買して世の便利を達す。これすなわち百姓・町人の商売なり。政府は法令を設けて悪人を制し、善人を保護す。これすなわち政府の商売なり」そして「政府は年貢・運上を取りて正しくその使い払いを立て人民を保護すれば、その職分を尽くした」ことになる、という考えが面白いように思いました。「貧富強弱の有様を」悪用してはいけない、という記載も印象に残りました。
欲深くて馬鹿な違法行為をする人には、国家が正統な手続きをもって禁固刑などの処罰をする、そういった政府の権能について記しています。
福沢諭吉より三十年あとに生きた社会学者のマックス・ヴェーバーが書いた『職業としての政治』における、暴力の使用をコントロールする政治の問題を記していました。
政府からひどい目にあわされたくなかったら、勉強をしましょう、法を守りましょう、意義のある存在となりましょう、ということを書いていました。「もし暴政を避けんと欲せば、すみやかに学問に志しみずから才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざるべからず。これすなわち余輩の勧むる学問の趣意なり。」と、広くいろんな人に、学問をすすめる本なのでした。次回に続きます。
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