今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」その8を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
今回は、食い倒れと着倒れというような、人間の欲望について論考しています。そういった欲望との付きあいかたについて書いているんですが、どうやって自己の欲を制御するかというと、限度を決めるわけで、その限度というのが、他人の活動を妨げていないかどうか(それと天の理に背いていないか)が境界線になる。美食や美服は楽しいものだから、やってみたいというのはとうぜんの欲なんですけれども、これで他人の日々が妨げられていると、これは限度を超えていて駄目なんだと言うことを、福沢諭吉は説いていました。
他人の権利が侵害されていない……ハイキングだとか、観光とか、そういうのはいくらでも自由のはずだということを書いています。資本主義社会の今なら誰もがとうぜんだと思っていることでも、百数十年前だと、こういう自由も実現するのがむずかしかったのでは、と思いながら読みました。
目上の者の命令に従うことが人生だ、という古い考え方は間違っている、自分は自分の思いで動くほうが、天の理にかなっている、ということを福沢は今回、説いていました。なぜ目上の者の命令に盲従するのがまずいかというと、それは他人の自由を減退させている権力者が増加するだけだからだ、と福沢諭吉は述べています。上意下達が徹底した社会では部下の心身から魂が抜けおちてしまっていて人形化しており「人の身と心とはまったくその居処を別にして、その身はあたかも他人の魂を止むる旅宿のごとし」という状態になってしまう。
このあと、むずかしい国家論を語っています。それから、家庭内暴力についても論じています。福沢は徳川時代の貝原益軒が書いた「女大学」という本の、男尊女卑について厳しく断じていました。男尊女卑のやくざ男の愛人が増えるといったいどうなるのかについても論じていました。「わが心をもって他人の身を制すべからず」と書いていました。自分が自由で、他人も自由で、関わっている人が自由、というようなことが実現していると、罰せられることは無いし、天の理にも背いていない……ということを論じていました。また福沢諭吉は、和漢をひもときつつ親孝行はたいせつだということを書いています。
現代日本でも重大な、普通教育を受けさせる義務についても書いていました。
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