今日は、小泉節子の「思い出の記」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
小泉八雲と長らく暮らした小泉節子がしるした随筆です。
ヘルンというのはHearnのことで、ラフカディオハーン(小泉八雲)のことです。
ヘルンのカタコトの日本語の発言が、そのまま書き記されていて、異国で生きつづけた男の魅力が詰まった、みごとな記録文学であるというように思いました。ヘルンへの愛の溢れる随筆でした。
「耳なし芳一」や平家の怨霊といった日本の怪談を執筆中だったころの逸話が印象に残りました。本文こうです。
書斎の竹籔で、夜、笹の葉ずれがサラサラと致しますと『あれ、平家が亡びて行きます』とか、風の音を聞いて『壇の浦の波の音です』と真面目に耳をすましていました。
ユーモラスな人づきあいや冗談、西洋嫌いの西洋人の様子についても、いろいろ記されてありました。
フロックコートなど大嫌いでした。(略)着る時は又大騒ぎです。いやだいやだと云うのです。『この物、私好きない物です、ただあなたのためです。いつでも外にの時、あなた云う、新しい洋服、フロックコート、皆私嫌いの物です。常談でないです。本当です』など云っていやがります……
ヘルン氏はキリスト教の聖職者も嫌っていたのですが、聖書を読むことだけは重大視していたところが興味深く思いました。「弱い者に対してひどい事をする事を何よりも怒りました。」という一文も記憶に焼きつきました。現実の世界での怪談みたような不思議なこともいくつか記してありました。中盤から終盤にかけての記載がものすごく、なんだか破格の名著という印象でした。
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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
追記 氏は若いころの体験から、病や眼病を恐れていたことや、西洋様式を好まなかったことなどが記されます。小泉八雲は雑踏や汚濁を「地獄」と形容し、廃墟や廃寺に好奇心を抱き、猫や動物や植物への愛情が色濃く、文学作品とヘルン氏の人柄に共通項が多く、そこが魅力的に思いました。
また他者や喧噪への警戒心も記されていて、怪談本をさがすのも妻にやってもらい、日本家屋の書斎で文学的な思惟に耽るラフカディオハーンのことが描きだされていました。終盤の記載で、ラフカディオハーンの最後の様子が克明に描かれていました。家族と共に生きて、家族の未来を案じつつ、ほとんど痛みも無く、当人さえ気付かぬうちに亡くなっていたようです。本文こうでした。
暫らくの間、胸に手をあてて、室内を歩いていましたが、そっと寝床に休むように勧めまして、静かに横にならせました。間もなく、もうこの世の人ではありませんでした。少しも苦痛のないように、口のほとりに少し笑を含んで居りました。


