今日は、夏目漱石の「文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
文芸とは漱石にとってどういうものか、を書いている随筆です。序盤に結論があって「世間に存在して居る如何なる立派なる職業を持って来て比較して見ても、それに劣るとは言えない。優るとは言えないかも知れないが、劣るとは言えない。」と書いています。
つづけて「職業と云うことは、それを手段として生活の目的を得ると云うことである」「食って行かれないものなら、それは職業として存在し得られない」と書いて、漱石は職業ごとの優劣は無いと述べ、ある基準をたてた場合は、財産でいうなら資本家がいちばんだったり、人気の優劣で決めるのなら相撲とりがいちばんだったりということになる。儲かるか、あるいは健康か、という基準をたてた場合は近代文芸は劣りがちではあるが、もっと大きな基準で「文学とライフとの交渉を研究し」た場合はどうなるか、ますます定義が難しくなるので今回は記さないが、と漱石はこう書きます。「結論だけを言うならば、それは極く簡単で、只、吾々が生涯従事し得る立派な職業であると私は考えて居るのだ。」
それから蟻が象を論じるような事態において、漱石はこう書いています。
例えば一方は箸の先端を見て箸は細いと云い、一方は箸の真中を見て箸は太いと云って居るのと同じことで、矛盾のようで実は矛盾でない。どちらにも根拠はある。先ずそれを争う前に、二人共箸の真中を見て、太い細いを論ずるのが本当の議論である。
アウトサイダーアートや限界芸術と、歴史的名画とされるモナリザの、この二者のあいだに位置するものを論じてみると、どういう美術家の様相が見えるんだろうかと思いました。
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