今日は、三木清の「書物の倫理」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
三木清は終戦間近に、西洋の伝統的な古典のことと、図書の流通を論じた批評が有名な知識人なんだと思います。
1940年ごろの本屋では、新刊の本は、薄い包み紙でつつんで、箱入りにして本屋に並べていたそうです。なので薄紙がもげてしまうし、ためし読みがどうも出来ない。1文字も読まずに買うわけにもゆかないので、なんとも扱いにくい、という話しからはじまるエッセーでした。
じつは戦前の家庭では、本を手に取るときは、神棚にお供え物をするように、丁重に、うやうやしく書物に接したのだそうで、初めて聞いたので、びっくりしました。三木清が嘘を言ったり、三木清が勘違いを書くことはほとんど無いはずなので、たぶんそのくらい100年前は、紙の本が貴重な存在だったんだなと思いました。
三木清は、良い本をなんどでも再読するように繰り返しすすめています。歴史的に言えば、それこそが古典というものなのだと指摘しています。
フローベルが言うには、大量の本を読むことよりも、良い本を繰り返して読むことをとにかく重大視しているのでした。本文こうです。「作家の文庫は、彼が毎日繰り返して読まねばならぬ源泉であるところの五冊か六冊までの本から成っているべきである」だから、著名な作家は古典の現代語訳を念入りにやるんだなあと、なんだか得心がゆきました。
三木清は、多読して良い本を見分けられるようになって、ほんとうの愛読書を見つけようといったことを書いていました。そのためには古本屋や図書館や本の夜店に行って散歩するように本をのぞき見て、感覚的に本の目利きの才覚をみがいてゆこう、ということを提案していました。
何か言葉を書くのなら「多く読み、多く考え、そして出来るだけ少く書くこと」というように記していました。
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追記 作中に記された、ジーベックというのは、ポール・シーベック(Paul Siebeck)のことで、これは19世紀後半に活躍した出版社のことです。トイプネルというのはBibliotheca Teubnerianaのことでこれも古典哲学書をあまたに出版した組織なのです。
自分の家の本棚を、ひとつの庭園のように整えてみようということを、三木清氏は書いていました。ぼくの家は小さすぎて紙の本を置く場所が無くって、豆本と図書館本と旅カバンに入れるための文庫本しか存在しないんですが、三木清の読書論というか蔵書哲学は読んでいて興味深かったです。