生きること作ること 和辻哲郎

 今日は、和辻哲郎の「生きること作ること」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 和辻哲郎といえば難解な哲学書を書く思想家であって、その思想書の全文を精読できる人はめったに居ないのではと思うんですが、今回のは読みやすい言葉で、おおくの人が知っている古典文学について記しているので読み通しやすいように思いました。
 ダヌンチオ(ガブリエーレ・ダンヌンツィオ)を戦中に批判できた人はほとんど居ないのではと思っていたんですが、和辻氏は1916年(大正5年)ですでに、ダンヌンツィオの作品の「冗漫に堪え切れない」と記していて、トルストイの作物には「語の端々までも峻厳な芸術的良心が行きわたっている」と記しています。ほかにもドストエフスキーやさまざまな作家について論じていました。
 思想や芸術は、実体験とどのように関連するのか、というのがずっと気になっていたんですが、和辻氏のこの論述が鋭いように思いました。
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  体験の告白を地盤としない製作は無意義であるが、しかし告白は直ちに製作ではない。告白として露骨であることが製作の高い価値を定めると思ってはいけない。けれどもまた告白が不純である所には芸術の真実は栄えない。quomark end - 生きること作ること 和辻哲郎
 
 和辻氏はじつは、若いころは破滅的な物語小説を書いていたんですが、同時代の谷崎潤一郎の文才に打たれて、小説をやめて哲学に向かっていったそうです。
 和辻哲郎の哲学書は和製の帝国主義に於ける思想の混乱と絡んだものもあって、異様に難解だと思うんですが、この「生きること作ること」は読みやすいことばで、芸術と生について記していて理解しやすく、和辻氏の難読書を読むときには、この随筆と併せて読むと良いように思いました。
 後半で、和辻氏は、今からゲーテファウストのような、生き直しの本を書かねばならぬと記すんですが、そこでこう述べるんです。
quomark03 - 生きること作ること 和辻哲郎
  私の考えでは、私の夢想するファウストは私の愛がゾシマのように深くならなくてはとても書けそうにない。今の私の愛は愛と呼ぶにはあまりに弱い。私はまだ愛するものの罪を完全には許し得ないのである。愛するものの運命をことごとく担ってやることもできないのである。それどころではない。迷う者を憐れみ、怒るものをいたわることすらもなし得ない……。quomark end - 生きること作ること 和辻哲郎
 
 ゾシマというのは『カラマーゾフの兄弟』に登場した、敬虔な老僧のことです。
 最後の一文が辛辣な自己批判で、衝撃的でした。ディケンズやトルストイといった古典文学を読むにあたって、とても参考になる随筆に思いました。忘れないよう、なんども読みたい随筆だと、思います。
  

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