生産を目標とする科学 戸坂潤

 今日は、戸坂潤の「生産を目標とする科学」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 100年前は工作機械が大規模に発展した時代で、今は情報機械と言えばいいのかAIが人間の仕事以上の仕事量をこなしはじめている時代で、ちょうどいま読むと、100年前の科学論が、今の問題も示唆しているように思いました。思想家の戸坂潤は、まず科学と技術の関係について読み解いて、科学の進展によって技術の進展がなされることがある、それから科学は技術と無縁に、認識だけを進展させることがある「科学は認識を目的とするもの」とも一般には考えられてきた。「科学の目的は認識であり、そして認識は実践と統一されている」それから「やがて科学は技術への手段であるという風に考えられ」てゆく、と戸坂は指摘しています。
 科学の進展が何をもたらすかというと、いっぽうでは認識だけを進展させ(軽薄なヒューマニティーや軽薄な文化を進展させ)る。もういっぽうでは実践と技術を発展させ、功利主義や実行主義というのをうみだす。二極ともまあまあ行き詰まってゆく。ここで思想家の戸坂潤はこういう疑問を提示します。「科学の目標は認識であるだろうか」そうではないはず、と戸坂は考えます。人間がつくる「科学の目標を技術と直接結びついたものとして設定すべき」だろうと述べるんです。現代の高度な科学者は、AIが作り出す新しい社会についてさまざまに論じているんですけど、おおよそ百年前の戸坂は、本論では、こういうことを述べています。
「科学は認識を目標とすると云う代りに、科学は生産を目標に」して「物を造るものだ」そして、「本当の問題は科学に於ける生産」とは何かを考えることが重要で、アインシュタインの「測定し得るもののみが科学的に存在する」という考えをもう一歩まえに進めて「操作し得るもののみが人間に貢献する科学」であって「操作」というものを「造る」という範疇に連絡してみればどうなるか、考えてみようと、読者に呼びかけていました。
 

0000 - 生産を目標とする科学 戸坂潤

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
 操作不可能な科学技術は、人類に貢献しない……というのはたしかにその通りだなと思います。電車は操作せずに乗るからこそ安全なんですが、操作の権限が人間にある。核や公害について考えると、なにをもって操作できている技術とするのか、も問題に思いました。