今日は、和辻哲郎の「藤村の個性」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
著名な哲学者が、島崎藤村の暮らしぶりと家の様子と、藤村の私的な発言を述べつつ、氏の文学性について書いている随筆です。
「あのウイリアム・モリスのように、自分の心の世界と言ってもいいような家を作って、そして、そういうところに住んでみることは、決してぜいたくとは思いません。そこには生活というものと芸術とのおもしろい一致もあると思いますが、けれども私などの境涯では、そんなことは及びもつきませんね」と藤村は述べつつ、質素な住宅に住むことにこだわった氏の思想と信条について書いていました。「藤村はその少年時代や青年時代を他人の庇護のもとに送り、その年ごろに普通のわがままをほとんど発揮することができなかった」という記載と、芥川との文学上の対立のことをを論じています。和辻によれば「他人の気を兼ねる習癖が、作者藤村の個性にこびりついてい」て、藤村はこれに悪戦苦闘し『新生』から、この自身の習癖についての「脱却の運動はそこに始まった」というように書いていました。
藤村の美しい詩集については考慮しておらず、長編小説での氏の苦悶についてさまざまに書いているところが、不思議に思って読みすすめたのですが……「夜明け前」あたりからの作風では、和辻はこう記します。「いやな人物は一人も出て来ない。作の世界全体に叙情詩的な気分が行きわたり、不幸や苦しみのなかにもほのぼのとした暖かみが感ぜられる。これは全く独特な光景だと私は思ったのである。」
ドストエフスキーの作品でよく見る、悲惨に悲惨を上塗りしたような人物と聖人との対立といった善悪の露出というのが藤村の作品には現れてこない。全体的に、極端な動機を持った人間というのが出現せずに、「叙情的な色調」というかあいまいな人間性というのが見えてくるのが藤村の中期後期小説の特徴なんだというように思いました。和辻哲郎は、そういった藤村の文学を「くり返して読むに価する滋味に富んだ」力強い小説であると述べていました。
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